Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針/ 2012年までの過去ログ

最新のコメント:11 年前 | トピック:人名のソートキー | 投稿者:アルビレオ

カテゴリ本文の記述レベルについて 編集

実際に運用されているカテゴリを見ると、Category:東洋学のように細かな定義を書いているものから、「YYに関するカテゴリ。」の一文のみのものまでいろいろあります。運用についても、確か日本語版にもあったような気がしますが、en:Category:Peopleのように規定するものもあります。 個人的には、カテゴリに何を含めるべきか、記事にどういうカテゴリを付与すべきかで迷わないように、しっかりした定義推奨派なんですが、

  • 定義は単なるスタイルの問題
  • 厳格な定義を付けすぎると、柔軟な運用(拡張など)が難しくなる

といった意見にも一理あると思います。一般的な指針として現状のガイドラインを拡張することについて意見をうかがいたいなと思っています。(個別の話になると某カテゴリのように意見も割れやすいですし、それぞれの事情もあるので、まずは拡張が可能そうかどうかを知りたいなと思っています)Fuji 3 2010年3月19日 (金) 10:13 (UTC)

  コメント 難しいところではありますが、「なるべく詳しい説明をする方が、閲覧者にとっても分かりやすくていいよ」というのは前提で、実際のところ、意見が割れやすいようなカテゴリであれば、定義付けを厳密にする必要があると思いますし、しかし、基本的にはこれはfoobarなカテゴリですだけで十分なことも多いと思います。ただ、時々冒頭の案内文すらないのがありますけど、あれはさすがにちょっとな・・・という感じです。。まぁ正直なところ、カテゴリは記事本体よりあんまり重要視されていない感じがすごくある(カテゴリ整備を中心にやってたら「記事も書いてないくせにとやかくいうな!」という風に言われてた人もいますし)ので、そんなに厳密にやらなくてもいいんじゃないかな、と思います。--青子守歌会話/履歴 2010年3月19日 (金) 17:39 (UTC)
  コメントまず グループ化を目的としたカテゴリに付いては、そもそもとして「xxxに関するカテゴリ」としかつけられないように思います。
分類を目的としたカテゴリでは、上位に位置するカテゴリでは必要な場合が多いと思います。下位の方に位置するカテゴリについては、大抵は{{Pathnav}}を充実させることで十分でないかなと思いました。それでも複雑な説明が必要なものは「そもそもとしてカテゴリの名前がいまいちであること」をまず疑った方が良いのではないかなと。--マクガイア 2010年3月22日 (月) 15:03 (UTC)

Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針/ 2012年までの過去ログ/改定案2010

上位カテゴリとの関係に関する規定の例外について 編集

現在の規定は以下となっています。

(引用1)

 

あるカテゴリ(図の2)を上位カテゴリとしたら、その上位カテゴリの上位カテゴリ(図の1)を合わせて上位カテゴリとする必要は、一般的にはありません。特に上位カテゴリが完全にその上位カテゴリに包含されるケースが典型的です。例えば、「Category:日本のサッカークラブ」を上位カテゴリとしたら、「Category:アジアのサッカークラブ」や「Category:サッカークラブ」は上位カテゴリにしないでください。

(引用2)

あるカテゴリを付与したら、その上位カテゴリを合わせて貼る必要は、一般的にはありません。特に下位カテゴリが完全に上位カテゴリに包含されるケースが典型的です。例えば、「Category:日本のサッカークラブ」としたら、「Category:アジアのサッカークラブ」や「Category:サッカークラブ」は不要。ただし、下記の例外があります。

記事名「xx」と同じ名称のカテゴリ「Category:xx」が存在する場合、例外なく「Category:xx」に含めるべきです。読者への誘導の意味もあります。またこの場合は、記事に「Category:xx」ひとつを貼るだけではなく、分類を示す意味でその上位カテゴリも併記した方がよいでしょう。

この記述に関して、

Wikipedia:カテゴリの方針には「あるカテゴリとその上位カテゴリを両方付けてはならない」というような文言はありません。「一般的にはありません」という風に例外の許容を含意する文章になっていることがわかりませんか。また方針のその部分に書かれている例外以外を認めないと書かれているわけでもありません。便宜上親子カテゴリを重複して付けているようなケースはいくらでもあり、方針内容を勝手に「この例外以外のいかなる場合も両方付けてはならない」という風に解釈したうえで、そのような杓子定規な理由でカテゴリをはずされていってはたまったものではありません。

カテゴリ・トーク:政治の役職での頭痛氏の発言)

という指摘があります。例外を許容するのは当然のこととして、現在の規定は、一般論として禁止をした上で、例外として「記事名「xx」と同じ名称のカテゴリ「Category:xx」が存在する場合」という1件のみを列挙する形式となっており、こういう記載方法であれば、その他に『便宜上』親子カテゴリを重複してつけるべきケースがあった場合も列挙されていない以上認められないと考えるべきです。必要な方策として以下の3点が考えられると思います。それほど例外があるとも思えないし、(2)のような一般規定を設けると構造を明確にしようという当初の目的(と私は理解しています)が満たせないので、(1)がいいのかなと考えています。例が挙がって同意がとれるようならば、ガイドラインに加えましょう。

  1. 『便宜上』の理由を列挙に加える
  2. 例外についての一般規定を設ける
  3. そもそもその他に例外などない

ちなみに、上記引用元のトークでは、カテゴリ構造が

政治>政治家>政治の役職
政治>政治の役職

だったので、整理した(「政治>政治の役職」のみを残した)ことに関する議論なのですが、例としては不適切で方針に沿うと「政治>政治家>政治の役職」を残すべきところです。上記の整理理由は、

政治⊃政治家
政治⊃政治の役職

であるが

(政治家に行政官を含めない場合)政治家⊃政治の役職ではない(そのため、政治家>政治の役職とすべきでない)

というものです。この問題については別の課題として確認したいと思います。Fuji 3 2010年5月27日 (木) 04:56 (UTC)

カテゴリの上下関係が必ずしも包含関係とは限らないので、下位のカテゴリが付いていてもその上位カテゴリには属さない場合もあります。逆に言えば、カテゴリが包含関係でなければ、下位のカテゴリが付いていても、上位のカテゴリに属しているかどうかわからないので、上位のカテゴリも付ける意味があります。最近気づいた例としては、「カテゴリ:アメリカ合衆国の映画作品」>「カテゴリ:ユニバーサル・ピクチャーズの作品」ですが、完全な包含関係ではなく、夕なぎ (1968年の映画)は「カテゴリ:ユニバーサル・ピクチャーズの作品」かつ「カテゴリ:イギリスの映画作品」であり、サイレント・ランニングは「カテゴリ:ユニバーサル・ピクチャーズの作品」かつ「カテゴリ:アメリカ合衆国の映画作品」となっています。
上下関係にあるカテゴリで、上位のものが下位のものを完全に包含しているかどうかが曖昧なことがあり、現行の規定はその曖昧さに配慮していると考えます。--アルビレオ 2010年5月27日 (木) 21:57 (UTC)
そもそも「上位のものが下位のものを完全に包含しているかどうかが曖昧」という状態のカテゴリが存在しているところが気持ち悪い(これについては別途"上位の概念"って何?という議論ができればと思っています)のですが、その状態も認めるならば、アルビレオさんの出した例はカテゴリ付与方法の例外の1つでしょうね。
「上位カテゴリとそれよりさらに上位のカテゴリ間に包含関係がない場合、それぞれのカテゴリを付与することを検討してください」ってな感じでしょうか。「検討してください」にしているのは、ほとんど包含されていて一部だけ例外がある場合、例外の方は両方付与、そうでなければ下位のカテゴリのみ付与が原則になるかと考えるからです。Fuji 3 2010年5月28日 (金) 12:08 (UTC)

必要不可欠と見られる上位カテゴリが存在するケース 編集

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手#サッカー選手カテゴリについてで議論がなされたのですがCategory:日本のサッカー選手Category:サッカー日本代表選手である人物がいたとして、サッカー日本代表選手はすべて日本のサッカー選手に含まれるからといってCategory:日本のサッカー選手を除去するべきではなく網羅することで閲覧の際などにも有益であるという意見があり、また英語版でも、en:Category:England international footballersに「Players in this category should also be left in category:English footballers という記述があります。Category:サッカー選手をすべてのサッカー選手につけるべきだとは思いませんがこの方針を根拠に必要不可欠と見られるカテゴリが機械的に除去される編集も見られます。記事の閲覧やある分野での固有の事情や利便性その他いろいろ考えた場合、この方針は拘束力の強いものではなく分野ごとのウィキプロジェクトなどでの議論の結果、カテゴリ付与の方針を決めることが推奨されるように表現を改めるべきではないかと思いますがいかがでしょうか。--Tiyoringo 2010年7月10日 (土) 08:21 (UTC)

Category:天文学に関する記事Category:数学に関する記事は、「一つのカテゴリで記事を網羅し一覧するためのカテゴリなので、サブカテゴリに分けないでください」となっていて、上位カテゴリとの重複によるカテゴリ除去を回避しています。記事の階層化する分類のカテゴリと、そのような索引カテゴリを分けるのも一案でしょう。Tiyoringoさんの例では、網羅することで有益である反面、カテゴリの上位から見ていくときには記事が重複しない方が嬉しい面もあります。--アルビレオ 2010年7月10日 (土) 21:57 (UTC)
  コメント 網羅性に価値があるカテゴリであっても、親子関係にあるからと何の考えもなしに親カテゴリから外されることって多いですよね。そのカテゴリを分割することがカテゴリとして有為なのかどうか? という観点がもっと重要視されるべきだと思います。あのお二人の間で改定案がまとまる見込みはないと判断しましたので身を引かせていただきましたが、その辺りも含めて改定したかったですね。--マクガイア 2010年7月11日 (日) 06:13 (UTC)
  コメント 各プロジェクトに丸投げするよりも方針を具体化したほうがよいと思います。とりあえず英語版の該当する部分を私の利用者ページWikipedia:カテゴリの方針/修正案20100711にざっと翻訳してみました。サブカテゴリがある場合でもすべての関連記事に付与するCategory:数学に関する記事のようなケースについても加筆してあります。他の節の調整も必要になりますが、とりあえずこれを現在の「カテゴリの構造」節に置き換える方向で行きませんか? 記事数については過去の議論を見ても20~400という数字に根拠がないようなのでこの際除去してしまって、必要なら「カテゴリの内容」の方に「あまりに包含数が少なくまた発展性のないものは作らない」ことを明記すればよいと思います。
マクガイアさんが言われているのはひょっとして私と利用者:Fuji 3氏のことですか? Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針#改定案の当該議論に限って言えば別段この人物と私との間で顕著な対立は起こっていなかったように思いますが。むしろ私はマクガイアさんの改定案の納得できない点を具体的に伝えていたはずです。--頭痛 2010年7月11日 (日) 12:30 (UTC)
  コメント 記事数については除去した方が良いように思います。個人的には市町村カテゴリなどで学校記事、駅などを漢字ソートするくらいならば個別カテゴリに分けて良いのではと感じています。--Tiyoringo 2010年7月11日 (日) 12:40 (UTC)
Template:AllincludedTemplate:Distinguished subcategoryを訳しました。上記のCategory:サッカー日本代表選手のようなケースは必要であればTemplate:Distinguished subcategoryが使用できると思います。改定案をサブページに移し、表ページに修正の内容を告知しました。--頭痛 2010年7月13日 (火) 16:25 (UTC)
  コメント一律に上位カテゴリを除去する必要はないというのはその通りだと思います。判断基準としては、そのカテゴリが分類を指向するものかタグ付けを指向するものかというところにあたると思います。問題になっているCategory:日本のサッカー選手に対するCategory:サッカー日本代表選手の関係は、後者のタグ付けを指向しているものと考えられ、サッカー選手を国別に分類している上位カテゴリを残すという判断はありだと思います。カテゴリの意図するところについては、当面は個別にプロジェクトレベルでジャッジしていく必要があると思います。現在の規定は、カテゴリ間の関係を規定するものとして非常に曖昧なので英語版等を参考に改定した方が望ましいと思います。Fuji 3 2010年7月12日 (月) 12:37 (UTC)
Category:サッカー日本代表選手はよりキーワード指向というのは考えたのですが、分類指向とキーワード指向のどこに線を引くのか、という問題に移るだけではないかと思う一方、より本質的な理由があるのではないかと思っています。とはいうもののCategory:日本のサッカー選手Category:サッカー日本代表選手の両方にカテゴライズする必要性というのがいまひとつピンと来ないので、まずそこを説明していただけると幸いです。漠然とした予感としては、Category:サッカー日本代表選手の上位カテゴリがCategory:日本のサッカー選手だけではない (代表選手 > サッカー代表選手 > サッカー日本代表選手 や、代表選手 > 日本の代表選手 > サッカー日本代表選手 といった上位構造があり得る) という点で単純な上位カテゴリ除去とは区別できるのではないかというのがあります。もう一つの可能性は、○○の一覧、に相当するカテゴリについてはその機能から上位カテゴリに関する要請の対象外とする、というのがありえるかと思っています。索引としての機能、というのがおそらくそのことでしょう。より内容に踏み込んだ観点として日本のサッカー選手である期間と代表選手である期間に有意な差があるというのもありえるかと思っていますが、もしそうだとするとまた別の話でしょう。--Jms 2010年7月13日 (火) 22:33 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手#サッカー選手カテゴリについてでは「カテゴリにとって必要な項目であるか」といった観点も出ていますが、主な理由は「〇〇の一覧に相当するカテゴリ」ということだと考えてよいと思います。マクガイアさんの言われている「網羅性に価値があるカテゴリ」というのも同じ意味でしょう。サッカークラブに関する知識がなかったり代表チームに特に興味がないといったケースを考えた場合、クラブや代表選手を問わない包括的な分類カテゴリがあることは有用である、といった議論だと理解しています。
分類指向とキーワード指向の違いを絡めるとまた難しくなりそうですが、私は今回の修正案で触れているのは基本的に「分類指向のカテゴリ」であり、「キーワード指向のカテゴリ」については特に触れられていないと考えています。今回の修正の趣旨は、現行の方針の文面にある「上位カテゴリとの関係」やカテゴリの包含数の目安などを理由にして機械的なサブカテゴリへの分割や上位カテゴリの除去が行なわれるのを防ぐため、「カテゴリの包含記事数が肥大化しているからといって必ずしも分割が必要なわけではない」「サブカテゴリが付与されているからといって必ず上位カテゴリが除去されるわけではない」ということをより明確に示そうというところにあります。「サブカテゴリに分割されるカテゴリとされないカテゴリ」の性質の違い等を細かく規定する意図はありません。あるカテゴリを上位カテゴリと重複してつけたほうがよいかどうか、サブカテゴリが付与されているか否かを問わず上位カテゴリに網羅的に記事を包含した方がよいかどうか、といった個別の判断は、方針の文面や例を参考にして作成者の判断や個別の議論に委ねるべきと考えます。--頭痛 2010年7月14日 (水) 05:25 (UTC)
「〇〇の一覧に相当するカテゴリ」は除外という伝でゆくと、Category:日本のサッカー選手も同じ範疇に入るはずで、そうなると後者にサブカテゴリがあることがむしろ問題なのではないかという事になりましょう。その意味では、Category:日本のサッカー選手のサブカテゴリとして「Category:日本のサッカー選手一覧」あたりを作成し、個別選手は「Category:日本のサッカー選手一覧」と、代表については更にCategory:サッカー日本代表選手にもカテゴライズすれば今回の件は発生しないと思います。つまり、個別カテゴリの構成と名付けの問題であって、ガイドライン云々の問題ではないと思いますが如何でしょうか。改訂案が「分類指向のカテゴリ」に関するものだというのは同意しますが、現行ガイドラインと比べると分割という行為を基軸にした内容になっていてわかりにくい気がします。カテゴリを構成するのは必ずしも分割によるわけではないので、出来上がったカテゴリを軸に述べる方が良いと思います。--Jms 2010年7月14日 (水) 09:13 (UTC)
「「〇〇の一覧に相当するカテゴリ」は除外」という風に、特定の性質をもつカテゴリの扱い方を一律に決める意図はない、ということです。カテゴリの名称(Category:〇〇)というのは、すくなくとも分類を指向するカテゴリであればそのカテゴリが扱う対象そのものの名称が来るはずで、Category:日本のサッカー選手の一覧という名前では「日本のサッカー選手に関する一覧記事を扱うカテゴリ」ということに(名称からは)なってしまうでしょう。サッカー選手に関する議論もそうですが、この節の当初の提案内容などを見ても現行の文面が誤解を招いたり実際の運用と軋轢をきたしたりしているのは明らかであり、特定のカテゴリの構成および名称に限った問題ではない、と考えます。
カテゴリが既存のカテゴリの分割から作成されるとは限らないということはその通りですが、改定案の「カテゴリの分割」節以下では専ら「(肥大化した)カテゴリを分割する場合」について述べているのだと考えてください。「分割で作られるわけではないカテゴリ」、つまり出来上がったカテゴリを軸にしたカテゴリの関係一般に関しては改定案の冒頭の部分で簡潔に述べられていると思います。カテゴリ間の関係について述べている現行の「上位カテゴリとの関係」節と見比べてもそれほどわかりにくいものではないと思われますがいかがでしょうか。--頭痛 2010年7月14日 (水) 09:48 (UTC)
対処すべき問題の認識が違うのかもしれません。わたくしは、今回の件は、何らかの規程を根拠に、内容やその意義を顧みることなくある編集を行うこと、にあると考えています。それに対して規程の変更で対応するなら、そうした内容や意義に頓着しない人でも機械的に適用できるなにものかでなければ期待した効果は得られないでしょう。その意味で、「特定の性質をもつカテゴリの扱い方を一律に決め」るのでなければ、問題に対処したことにはならないと考えています。「現行の文面が誤解を招いたり実際の運用と軋轢をきたしたりしているのは明らか」というのは、明らかかどうかはさておき、仮に表面的にはそう見えたとしても、問題はそこにはないのではないか、ということです。分割によって作られたのではないカテゴリであっても、分割によって作られたカテゴリと同等の機能を期待して作られたカテゴリも存在するので、それについても「分割で作られるわけではないカテゴリ」というカテゴリに納めろというのはわかりにくと思います。上下関係にかかわる部分についての現行ガイドラインとの比較という点では、図の分だけ現行ガイドラインがわかりやすい (ただしその分インパクトは強いかもしれない) という点を別にして、「例えば…」で始まるサッカーを例とした部分は「カテゴリの分割」よりも前にある方がわかりやすいと思います。なお、ガイドライン的には、日本のサッカー選手一覧という記事が現存するので、カテゴリ的にも「Category:日本のサッカー選手一覧」は問題ないカテゴリだと思います。--Jms 2010年7月14日 (水) 10:38 (UTC)
(戻し)認識が違っているのは、おそらくJmsさんが今回の改定案をWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手#サッカー選手カテゴリについてという、具体的な一問題を対処するために作成されたものだと解釈されているためではないかと感じます。私が英語版の翻訳をもとに修正案をつくったほうがいいと述べているのはこの問題が起こる以前のWikipedia‐ノート:カテゴリの方針#改定案の節でも触れていたことで、今回のTiyoringoさんによる問題提起は修正案提示のきっかけにすぎなかったのです。
別のケースを提示しますと、例えばCategory:ライトノベルなどがあります。このカテゴリでは個別のライトノベル作品の記事の大部分はCategory:ライトノベル (レーベル別)以下に位置しており、ライトノベルの記事を探したいがレーベルについて知識がないような利用者にとっては非常に不便なことになっています。このような場合、Category:ライトノベル作品のような、レーベルなどを問わない包括的なカテゴリがあったほうがよいでしょう。もちろん今からでも提案してそのような形にすることはできるでしょうが、それ以前にそもそもなぜこんな不便な形が取られているのかというと、Category:ライトノベルの冒頭のアナウンスにあるように、現行のカテゴリ間の関係を規定する文章が杓子定規にとられてしまっているからです。方針文書の内容がもう少し広い運用を認めているのだということがはっきりわかるような内容であれば、レーベル別のカテゴリの作成の際にもう少し違った方向に行ったかもしれません。「何らかの規程を根拠に、内容やその意義を顧みることなくある編集を行うこと」が問題の根本にあるという点はまったく同意しますが、このように方針の杓子定規な解釈の仕方が一定数見つかる以上、「そうでない仕方も認められている」ということを明記したほうがよいでしょうし、「そうでない仕方も認められている」ことを明記することが左のような「問題のある」編集に対し有効でないとは思われません。「方針にこう書いてある」と言っている利用者に対し「いや、そうでない場合もあると書いてあるだろう」と言うことができるようになるわけですから。
JmsさんがCategory:日本のサッカー選手の一覧の名称を問題ないとされているのはまったく理解できません。一覧記事を収めるカテゴリであるならそれでよいでしょうが、個別の選手記事を納めるカテゴリとしては完全に不適切です。Category:一覧のカテゴリ以下でどういう名称のカテゴリのもとにどのような記事が扱われているか、特にCategory:サッカー選手一覧を見ていただければ、既存のカテゴリの構造とまったく整合しないことがお分かりになられるかと思います。
「例えば・・・」以下の例は「カテゴリの分割」という具体的な作業に関わる例であるので、上述したように分割か否かを問わず出来上がったカテゴリの関係を説明している冒頭部分に移してしまうのは都合が悪いと思います。「分割によって作られたのではないカテゴリであっても、分割によって作られたカテゴリと同等の機能を期待して作られたカテゴリも存在する」というのは例えばどのようなもののことですか。2、3例を挙げてみていただけないでしょうか。--頭痛 2010年7月14日 (水) 11:35 (UTC)
ある一般的な問題が、サッカー選手の場合にもあてはまるかどうかというのは、その問題の存否自体とは別のことでしょう。サッカー選手の件については、ガイドラインの問題なのか、それとも別の問題なのか、そこが自明ではないと思っています。少なくとも、もう少し説明してもらわないとわたくしには理解できません。サッカーがきっかけに過ぎないなら、改訂の件は別の話題として扱うのが適切かもしれません。サッカーの件と改訂案の件が密接に関係しているというのは明らかではないでしょう。例外があるということは現状でも読み取れると思いますが、より明確に書く方が良いというのは想像できなくはありません。「一覧記事を収めるカテゴリであるならそれでよいでしょうが」というのは、例示した名称に引きずられないでください。サッカーの件に限定したわたくしの印象は、一覧であるものと一覧とはいえないものを混在させることにもあるのではないか、ということです。一覧としての役割を期待するカテゴリは必ず最下位カテゴリとする、とすれば、今回の件は発生しないでしょう、ということです。カテゴリの名称はその点において本質ではありません。「分割によって作られたのではないカテゴリであっても、分割によって作られたカテゴリと同等の機能を期待して作られたカテゴリも存在する」というのは、カテゴライズされていなかった記事をカテゴライズする際に、カテゴリの体系を作成する様な場合です。全く新しい記事を作成する場合にそういう事が起こり得ます。--Jms 2010年7月14日 (水) 12:21 (UTC)
別にそこまで個別の「サッカー選手についての問題」に拘らなくてもいいと思うんですが。私は個別の問題としての「サッカー選手に関する議論」がそこに含まれうるより一般的な事柄についての改善策として上記の修正案を提示しているので、それが議論の立て方としておかしいというのであれば別に節を改めて改定案を再提示してもかまいませんが、上記はそうすべきという意味のご意見なのでしょうか? そもそもウィキプロジェクトで話し合われていた事柄をこの場に持ち込まれている時点で「より一般的な問題」を射程においた議論が想定されているはずだと思いますが。
「一覧であるものと一覧とはいえないものを混在させること」というのがどういうことであるのかよくわかりません。Category:日本のサッカー選手以下で言えば、Category:日本のサッカー選手Category:サッカー日本代表Category:オリンピックサッカー日本代表選手もすべて「一覧」としての機能をもっています。というより、「カテゴライズされているページの一覧化」がカテゴリの基本的な機能であるはずで、ここで問題としているのはある種のカテゴリの一覧としての有用性を考えた時に、サブカテゴリと重複して使用したほうが良い場合があるからその点について明記しておこうということです。「例示した名称に引きずられないでください」ということであれば、すべての日本のサッカー選手を包括的に扱いうるカテゴリの他の名称を提示していただけませんか。私にはCategory:日本のサッカー選手の下に置かれる、日本のサッカー選手を網羅するカテゴリで、かつCategory:サッカー日本代表選手のようなものと親子関係とならないようなカテゴリに付けうる自然な名称が想像できません。
「カテゴライズされていなかった記事群に付与することによってできたカテゴリで、「上位カテゴリの分割」で作られたものと同じ機能が想定されるもの」」ということであればそれはただ単に「新規に作られた、(改定案でいう)上位カテゴリの分割として機能するカテゴリ」ということであるに過ぎません。「上位カテゴリの分割として機能するカテゴリ」が必ずしも具体的な分割作業でつくられるわけではない、ということが上記の改定案の理解を妨げるとはあまり思えませんし、仮にそれが問題であるなら一言その点を付け加えるだけで済む問題ではないでしょうか。--頭痛 2010年7月14日 (水) 13:04 (UTC)
サッカーの例は何が問題なのか、またそれが改訂案とどう関連するかが自明ではないので、改訂案はサッカーと独立に議論した方がよくありませんか、ということです。その意味で、節を分けて別途議論する方が良いと思います。「一覧であるものと一覧とはいえないものを混在させること」というのは、記事一覧としての機能を持たせるカテゴリにはサブカテゴリを作らないことにすれば、サッカーの件は解決しませんか、ということです。一覧であるもの、というのは記事だけを含むカテゴリ、一覧とは言えないもの、というのはサブカテゴリを含むか、または一覧記事の構造以上の意味を持ち得る上位カテゴリ体系を有するものを想定しています。「カテゴライズされているページの一覧化」がカテゴリの基本的な機能、というのは、上位カテゴリを作らない場合にのみ真だと思います。「サブカテゴリと重複して使用したほうが良い場合」という主張について、なにがどう良いのかというのが自明ではないので、ポイントはどこですか、というのを尋ねています。自然な名称で対処できないなら、それは、名前の体系として不自然なことをしている端的な現れであり、ある記事を「日本のサッカー選手」と「サッカー日本代表選手」の両方にカテゴライズするというのは、その意味で不自然というか、わかりにくいと思います。しかし「サブカテゴリと重複して使用したほうが良い場合」なのでしょうから、それはどういう点においてですか、と問うています。--Jms 2010年7月14日 (水) 13:20 (UTC)
>記事一覧としての機能を持たせるカテゴリにはサブカテゴリを作らないことにすれば、サッカーの件は解決しませんか
しないです。すでにサブカテゴリが存在するカテゴリの話をしているのですから。名称に関しては、「不自然なことをしている」のはJmsさんではないかとおもいますが。私が求めている「自然な名称」が必要になるのはJmsさんの発想を取った場合なのであって、こちらの発想を取った場合ではないのですから。この節のはじめに提示されているように、サブカテゴリと重複したカテゴライズを行なうというのは英語版でも行なわれていることであり、「網羅的に扱いうるカテゴリの自然な名称」などなくても注意書きを一つつければ済むことです。そうして現改定案はそういうカテゴリの使いかたもできるのだということを、現行のように消極的な形ではなく、はっきり記すようにしようということです。
で、上記のコメントを見る限り「そもそも重複してつける必要があるのか」というご意見なのかと思われますが、「ポイントはどこですか」というのはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手#サッカー選手カテゴリについての議論をご覧になった上でおっしゃられているのでしょうか。サッカー選手のカテゴライズに関する要点は大体こちらで提示されていると思いますが。また上で「ライトノベル」を例に網羅的なカテゴリが有用になると思われるケースについて述べていますが、それでは不足でしょうか。それとも「重複してつけたほうがよいカテゴリ」の一般的な性質を規定しなければならない、ということでしょうか。--頭痛 2010年7月14日 (水) 13:46 (UTC)
前提や論理展開を共有できてない (同意しろという意味ではなく、相手がどういうことを前提としてどういう論理展開をしているか、という事を理解する、という段階ができていない) 気がします。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手#サッカー選手カテゴリについては読んでいます。その上で、ポイントがわからないと述べています。単純に一覧ということなら、たとえば、一覧記事にしてカテゴリにしない手もありましょう。ある分野でそういうやりかたをする、というのなら必要ありませんが、一般化しようとするなら「重複してつけたほうがよいカテゴリ」のある程度一般的な性質を抽出して議論する必要があると思います。--Jms 2010年7月14日 (水) 14:01 (UTC)
私は「ある程度一般的な性質を抽出して議論する必要がある」とは思いません。「ポイント」というのは「抽象化せよ」ということですよね。すでに述べていると思いますが、私が提示している修正案は「上位カテゴリと重複してつけたほうがよいカテゴリ」の一般的な性質を抽出することを目的としているわけではありません。まず「一般的な性質」について議論し始めても「重複してつけたほうが良いカテゴリと、そうでないカテゴリ」の境目を分ける明確な基準が作れるとは思えませんし、また「このような性質を持つカテゴリは重複してつける」という形に設定しまうと、逆にその点を杓子定規に解釈して網羅的に「規程を根拠に、内容やその意義を顧みることなく」編集が行なわれる可能性が出てくるでしょう。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手#サッカー選手カテゴリについてで、あるカテゴリについて重複してつけた方がよいという意見が多勢を占めている、またこの場でもそれ以外の重複してつけたほうがよい例が提示されたり、そのようなケースが存在するという意見が一定数出ている、だからそういう種類のカテゴリもあるのだということを明記しておこう、ただし個別のケースをどうすべきかは各自で判断してくれ、ということでなぜ問題があるのでしょうか。抽象的な指標がなくても「その分野に携わるものが有用に感じるかどうか」で結論を出すことができると思います。--頭痛 2010年7月14日 (水) 14:24 (UTC)
それなら、現行の「上位カテゴリとする必要は、一般的にはありません。特に上位カテゴリが完全にその上位カテゴリに包含されるケースが典型的です。」で十分読み取れるでしょう。一般的には必要はない、包含される場合がこれこれが典型的、と言っているのですから、当然そうでないものはあるわけです。むしろ、典型であると言っている完全包含であるにもかかわらず例外的に処理しなければならない場合を念頭に積極的に言及しようとするなら、どんな場合が例外に該当し得るのか、ある程度の例示が必要でしょう。境界ははっきり引けない、というのと、典型が典型でないというのとでは、インパクトが違います。--Jms 2010年7月14日 (水) 14:49 (UTC)
ですから実際問題として、例外が許容されたり個別に柔軟な対応が許容されているのだということが読み取れない、あるいは誤解しているケースが一定数確認できるのだと申しておるのです。現行の文案でもそれが読み取れると考えるのは私も同じですが、そうでない者が少なからずいるからもう少し踏み込んだ内容にしたほうがよいということです。改定案では(というか基本的に翻訳したに過ぎませんが)、上位カテゴリの分割として機能するカテゴリの例、分割として機能しないカテゴリの例を2,3ずつ例示しています。「ある程度の例示」は行なわれていると思います。「典型が典型でない」というのは意図がよく汲み取れないのですが、もう少し説明していただけませんか。改定案では「上位カテゴリが完全にその上位カテゴリに包含されるケース」は何らかの「典型」とは見なしていません。--頭痛 2010年7月14日 (水) 15:07 (UTC)
見通しをよくするため、改訂案については別途議論しませんか。--Jms 2010年7月14日 (水) 16:46 (UTC)
節を改めた上でまた我々の間で議論を行なうのであれば同じことではないでしょうか。私はこの節の最初の提案内容と無関係な話をしているつもりはありません。別に節を改めてもよいとは言いましたが、まずJmsさんとの間で議論をしつくした上で、コメント依頼などを含め第三者を交えた議論が必要になればそのときに節を改める形にすることを希望します。さしあたって、これまでの私の返答に対し理解できない点、納得できない点はどこでしょうか? というか、今は私が質問していたところだったかと思いますが。--頭痛 2010年7月14日 (水) 17:19 (UTC)
サッカーを例とした問題とは独立な現行ガイドラインの問題については、サッカーを例とした問題の所在によらず議論できます。一方、サッカーを例とした問題を改訂案が解決できるかどうかは、サッカーを例とした問題の本質が (杓子定規なガイドラインの適用という範囲を越えた部分について) どこにあるのかがわからないと判断できません。サッカーに関連させて改訂案を議論するなら、まずサッカーを例とした問題の明確化が必要です。これまで頂いている説明で理解というか得心できていないのは、名称は別にして、一覧のためのカテゴリを別扱いすることでサッカーを例とした問題 (包含関係において明らかに典型的上下関係にあるにもかかわらず、カテゴリの上下関係に関するやりかたから除外しなければならない) を解消できない理由 (名称を別にするからだ、ということなのでしょうが、逆に名称の衝突ならば問題は名称に帰着する)、でしょうか。一覧であることが重要なのか、それとも、日本のサッカー選手であることととサッカー日本代表選手であることの間にたとえば時間的関係がある (どちらかというと代表選手である期間の方が有意に短い) といった条件によって「日本のサッカー選手」というカテゴリと「サッカー日本代表選手」というカテゴリとの間に包含関係以外の関係を見出しているから扱いが対称でないのか、といったあたりがわかっていません。一見単純に見えて結構複雑な話ではないかと思っていますが、その予感が正しければ、頂いている説明のどこがわからないか、というのに答えるのも難しいと考えています。--Jms 2010年7月14日 (水) 17:36 (UTC)
(戻し)「サッカーを例とした問題の本質」を探究する必要は別にないでしょう。まず第一に上記のサッカーの議論は「実際問題として」「杓子定規なガイドラインの適用」を行なう利用者が表れたということで始まっています。改定案はガイドラインの当該部分にもっと幅を持たせることでその点を解決できます。第二に、Category:サッカー日本代表選手Category:日本のサッカー選手から見て、改定案でいう「特殊な指標によって作られたカテゴリ」に該当することは直感的に判断できると思います。Category:サッカー日本代表選手Category:日本のサッカー選手との間の関係性を抽象的に規定する必要はありませんし、私にはそれは益のない議論に思われます。「重複してつけたほうがよいと考えるものが多勢を占めている」「そのようなカテゴライズができるという文言が改定案に見つかる」問題の解決としてはこれで十分であり、それ以上の議論は余計です。
「一覧のためのカテゴリを別扱いする」というような、「特定の性質を持つカテゴリを一律に別扱いする」ような話ではないのだと再三申しているはずですが。「あるカテゴリの(一般的な意味での)一覧としての有用性を考えた時に、サブカテゴリと重複してつけたほうがよい場合もある」です。「一覧のためのカテゴリを別扱いすることでサッカーを例とした問題を解消できない理由」というのは問題の設定の仕方を間違えているのではないでしょうか。「Category:日本のサッカー選手とは別の名称を持つ、日本のサッカー選手を網羅するカテゴリ」のような想定の仕方が不自然だから「名称の衝突が起こる」のであって、「名称の衝突が起こっているから名称の問題である」というのは因果関係がおかしいでしょう。なぜ「包含関係において明らかに典型的上下関係にある場合であっても、カテゴリの上下関係に関するやりかたから除外することにしよう」という方法ではいけないのでしょうか。注意書き一個で済むのですから、自然な名称が存在するのか定かでない新たなカテゴリを作って入れなおしていくよりよほど手間もないし現実味があるでしょう。私はJmsさんが過度に抽象的な思考をすることによって現実的な解決策から遊離しているように感じられます。--頭痛 2010年7月14日 (水) 18:24 (UTC)
どうもやはり問題意識を共有できていない様です。サッカーを例とした問題は、境界が曖昧だという問題ではなくて、包含関係にあるにもかかわらず例外扱いしなければならないというところにあると考えています。だからこそ、杓子定規な解釈運用との衝突が生じたのではないかと考えています。完全な包含関係になければ、杓子定規な解釈運用でも問題なかった筈です。その意味で、杓子定規な解釈運用を防ぐやりかたとしては、○○だが××もある、では不十分ではないかと考えています。また、「特定の性質を持つカテゴリを一律に別扱いする」ような話ではない、ということと、「別扱いしたカテゴリの持つ特定の性質を一切例示しない」というのは同値ではありません。一律、というのに釣られてわたくしも使ってしまいましたが、その部分については撤回します。「特定の性質を持つカテゴリについて別扱いする場合があることを明示的する」に訂正します。「あるカテゴリの(一般的な意味での)一覧としての有用性を考えた時に」というのは、まさしく「特定の性質」を考えているのですから、その特定の性質を網羅はできないにしても例示しておきませんか、ということです。で、その際本当に「特定の性質」が一覧性なのか、というのを問うているわけです。なぜ「包含関係において明らかに典型的上下関係にある場合であっても、カテゴリの上下関係に関するやりかたから除外することにしよう」という方法ではいけないか、というと、包含関係というカテゴリ構成のコアな部分に関わる問題だからです。少なくとも、どういう場合には例外扱いした例があるか、ある程度の例示をして歯止めをする必要があると思います。--Jms 2010年7月14日 (水) 18:57 (UTC)
前半部分でおっしゃっていることがよくわかりません。「その意味で、杓子定規な解釈運用を防ぐやりかたとしては、○○だが××もある、では不十分ではないか」というのはどういうことなのでしょうか。改定案の「カテゴリの分割」以下は「特定のカテゴリからサブカテゴリを作る場合」ですから、基本的には「完全な包含関係」が前提となるでしょう。サッカーの問題が「完全な包含関係」を前提としたものかそうでないのかがわからない、だから今回の改訂案でカバーしうる内容であるのかわからない、といったことでしょうか? サッカーについては多分完全な包含関係が成立していると思いますが。
「あるカテゴリの(一般的な意味での)一覧としての有用性を考えた時に」と言うとき、別に個別具体的な何らかの「特性」を想定しているのではありません。「網羅的にしたほうが有用であると個別判断されるもの」です。その有用性は私としては今のところ「一覧(索引)としての有用性」しか思い浮かびませんが、他になにか想定できるものがありますか。「例示」が「実際にサブカテゴリと重複してつけることになっている上位カテゴリの例」ということであれば、明示的にそうしている例は今のところは思い浮かびません。そうしたほうがよいと考えられるものの例は提示しているのですから、必要であれば後に実際に作成されたものを例として付け加えれば済む話ではないのでしょうか。--頭痛 2010年7月14日 (水) 19:45 (UTC)
サッカーの件と今回の改訂案は独立なのですか、独立ではないのですか。サッカーの件がきっかけに過ぎないなら、サッカーの件を離れて検討しませんか。サッカーの件を離れられないなら、サッカーの件を先に検討しませんか。論点は一つずつ片付けませんか。--Jms 2010年7月14日 (水) 20:55 (UTC)
「サッカーの件から離れられない」のはJmsさんの方ではないでしょうか。サッカーの件がきっかけになり、サッカーの問題を解決しうるものとして提示している限りでは「独立」していません。サッカーの件はいったん保留して改定案のみを論じようとすればそうすることもできる、という点では「独立」しています。前述したようにこの議論はもともとウィキプロジェクトで議論されていたサッカーの個別議論に端を発しながら、カテゴリの方針の一部修正を目的としてこの方針ノートで始められたものです。その意味で初めから「サッカーの問題に関する個別議論」が専ら論じられていたのではありません。
議論がこの場所にあるせいで個別議論に気を取られてしまう、ということであれば節を改めても構いません。後日行なうことにしますが、その際にはもう少し具体的な意見を述べていただければと思います。私はJmsさんが改定案に反対しているのか、それとも修正を求めているのか、ひたすらサッカーの個別的な問題を論じていただけなのか、それすらもよくわかりませんでした。現実に存在する問題とその解決策の話をしているので、あまり抽象的な切り口からの議論は勘弁願いたいです。このように議論が長くなりますし。--頭痛 2010年7月15日 (木) 05:24 (UTC)
では節を改めてください。お願いします。--Jms 2010年7月15日 (木) 09:44 (UTC)

かつてCategory‐ノート:日本出身の人物/過去ログ1で都道府県別の出身人物カテゴリで職業別カテゴリは原則作らない、ただし政治家や大相撲力士の場合などは認める、ただしそのカテゴライズをもって都道府県別の出身人物カテゴリは除去しないと合意がされていたのを見つけました。--Tiyoringo 2010年7月28日 (水) 10:07 (UTC)

関連が深いキーワードにおける「上位の概念」とは何か? 編集

カテゴリの定義より引用、太字はFuji_3による

「分類」より「キーワード」を指向しているカテゴリも存在します。記事xxが「YY関連用語」であるという意味合いでカテゴリYYに属することが期待される場合があります。例として、学術用語とCategory:学問の関係など。この場合も、カテゴリはより上位の概念であることが求められるため、逆の関係ではあり得ません。

ここにある「上位の概念」というのはどういう内容を指すのでしょう? 私は、単純に「より範囲が広く抽象化された概念」といった意味で捉えていましたが、人によって結構解釈に差が出てくるようなので、どのような見解があるかを確認したいと思っています。

考え方にはいくつかの視点やレベルがあると思うので、思いつくものを下記に記します。

  1. 概念AAは、概念XXの一部を示す。ただし、XXを分類するものではない(AAはXXに対する何らかの分類軸の一つではなく、キーワードの一つ)
  2. 概念AAの部分は、概念XXの一部を示す。(AAはXXのキーワードになっているが、必ずしもXXのためのキーワードではない)
  3. 概念AAは、概念XXに関連する。(AAはXXの結果であったりするが、XXのためのキーワードではない)
  4. 概念AAの大部分は、概念XXの大部分と共通する。(AAはXXのキーワードであり、XXはAAのキーワードである)

具体例を挙げると、

  • (1)「学術用語(AA)」と「学問(XX)」
  • (2)「政治の役職(AA) ※行政官も含むカテゴリ」と「政治家(XX)」
  • (2)「貴族(AA)」と「身分(XX)」「身分制度(XX)」
  • (3)「被害者(AA)」と「暴力(XX)」「犯罪(XX)」
  • (4)「翻案作品(AA)」と「メディアミックス作品(XX)」

といったところでしょうか。他にパターンや適当な例があったら追加いただけたらと思います。

個人的には以下のように理解しています。

  • (1)・・・"上位の概念”
  • (2)・・・程度によって"上位の概念"となることもある
  • (3)(4)・・・上位・下位という関係ではない

(2)の一部や(3)(4)はカテゴリの帰属関係にすべきではなく、必要であれば関連カテゴリや関連記事といった形で示すのが良いと考えています。これは、カテゴリ間の関係を整理して、カテゴリ全体の構造・体系を分かりやすくすべきという思想に基づきます。この考え方についても「上位の概念」とは何かについてと別途意見をうかがいたいと思います。Fuji 3 2010年6月2日 (水) 10:17 (UTC)

(補足)Category‐ノート:政治の役職#類似概念(カテゴリ)との関係についてCategory‐ノート:役職#定義について2、?Category‐ノート:被害者Category‐ノート:メディアミックス作品?に先行議論があります。--頭痛 2010年6月2日 (水) 10:44 (UTC)
◆何を確認したいのかよくわかりません。ある概念 X が概念 Y の上位概念であるとは、X の内包が Y の内包の部分集合であり、かつ、Y の外延が X の外延の部分集合である場合です (少なくとも形式概念の意味で)。分類、キーワードといった語をどのような意味で用いているのかを、分類体系、内包、外延、といった語と比較しつつ整理すると見通しがよくなるかもしれません。なお、カテゴリの上下関係は、外延の包含関係を必ずしも意味しません。どちらかとえばカテゴリの体系は内包の体系であって、からなずしも概念の体系とは整合しません。--Jms 2010年6月3日 (木) 17:51 (UTC)
Xの内包⊂Yの内包 ∧ Xの外延⊃Yの外延 と内包・外延を条件とすることはなるほどです。分かりやすい。ただ、
>カテゴリの上下関係は、外延の包含関係を必ずしも意味しません。どちらかとえばカテゴリの体系は内包の体系であって、からなずしも概念の体系とは整合しません。
の根拠がよくわかりません。上記のような意味で上位概念を理解すると、現状の多くのカテゴリがあてはまらないというのは理解しています。しかし、規定では”カテゴリXがカテゴリYの上位概念である”ことが必要と明記されているわけですし、カテゴリXがカテゴリYの上位カテゴリである場合、外延の包含関係も求められるべきでしょう。
個人的には、内包だけに着目してカテゴリ間の構造が決まっている場合があるのが、カテゴリ構造を複雑怪奇にしている原因の一つで、上位カテゴリから下位カテゴリに移動していく際に、いつのまにか当初意図したところと違うところにたどり着いてしまうような問題の元凶ではないかと考えています。(そのような場合は、実際の用途を考慮して、カテゴリを帰属関係にするのではなく関連カテゴリのリンクとして並列関係にすべきだろうと考えています。)つまり、上記の「被害者(YY)」と「暴力(XX)」であれば、「被害者」の外延"事故被害者"や"被爆者"というのは「暴力」の外延にあたらないので、暴力>被害者となっているカテゴリ構造は見直すべきという意見なわけです。もっとも、これは私見であり、違う意見もあろうかと思います。逆に、現状に合わせて「カテゴリの説明における『上位概念』とは・・・である」ということを明確にするというアプローチもあると考えています。
いずれにせよ、「上位の概念」とはという点で認識が共通しないとしょうがないので、まずはその確認をしたいなということです。Fuji 3 2010年6月4日 (金) 04:23 (UTC)
「カテゴリ」と「概念」は違う言葉だ、というのはまずよろしいですか。--Jms 2010年6月4日 (金) 11:58 (UTC)
もちろん。Fuji 3 2010年6月4日 (金) 12:59 (UTC)
でしたら、カテゴリについて求められることと概念にもとめられることが異なることはあり得る、というのはご理解いただけると思います。したがって、「カテゴリの上下関係は、外延の包含関係を必ずしも意味しません。どちらかとえばカテゴリの体系は内包の体系であって、からなずしも概念の体系とは整合しません。」という事はあり得ますし、「カテゴリXがカテゴリYの上位カテゴリである場合、外延の包含関係も求められるべき」とは言えないでしょう。「規定では”カテゴリXがカテゴリYの上位概念である”ことが必要と明記されている」というのが具体的にどの部分を指すのかわかりませんが、もし、学術用語と学問という例示のことなら、これは項目とカテゴリの話であって、カテゴリとカテゴリの話ではありません。「内包だけに着目してカテゴリ間の構造が決まっている場合があるのが、カテゴリ構造を複雑怪奇にしている原因の一つ」とのことですが、概念の体系にしたところで束構造なので、仰る様なことは起こります。暴力と被害者の様な例は、文書群の登場語について解析するとそこでの構造としてしばしば見られることであり、カテゴリの構造がそうした言語構造を反映したものとなるのはおかしなことではないでしょう。--Jms 2010年6月4日 (金) 16:14 (UTC)
  • 一般的に「上位の概念」とはXXである
  • カテゴリの説明でいう「上位の概念」というのは、XXではない
ということをおっしゃっているのだと思っているのですが違いますか?
上記については私も否定していません。なので、もしカテゴリの説明における「上位の概念」がXXでないならなんであるのか?YYなのかZZなのかを明確にしたいというのがこの節の趣旨です。
"カテゴリ"と"項目"の関係と"カテゴリ"と"カテゴリ"の関係が異なるであろう点についても同様です。実際扱いを変えた方がうまくいくと思えることがありますが、ガイドライン上は特に区別することなく案内をしており、扱いを変えるべき点があればそれを明記すべきです。逆に、明記されていないのであれば規定は"カテゴリ"と"項目"、"カテゴリ"と"カテゴリ"のいずれにも該当すると考えるべきというのが私の意見です。もし、この意見や、意見の前提とする理解について間違いがあるようでしたら指摘願います。Fuji 3 2010年6月4日 (金) 23:08 (UTC)

(インデント戻し) 「XX」というのが何を指しているのかよくわかりません (「概念XX」のことだろうとは思いますが、概念の意味なのか、カテゴリの意味なのか、キーワードないし語の意味なのか、これらの意味が区別されているのかどうか…)が、多分違うのではないかと思います。概念とカテゴリ、あるいは、概念と語ないしキーワードが厳密に区別されているという前提で述べます。カテゴリの説明における「上位の概念」、というのが、この節の冒頭で引用されているWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義第二項における「カテゴリはより上位の概念であることが求められる」ならば、既に述べた通り、「カテゴリは (記事に対して) より上位 (の語)」という意味でしょう。明示されていなければ規程はカテゴリと項目いずれにも適用されるべき、というのは妥当ではありません。なぜならば、記事の記述対象が概念である一方、記事そのものはウィキペディアにおいて (メタな意味で) 個物である (概念ではない) からです。この二つを同一視することは、個物と集合の混同なので適切ではありません。このあたりは何が個物かというフレームの問題でもあり、語や名がいかにそのフレームをうまく扱う道具となっているかという問題でもあるので、Wikipedia:カテゴリの方針でそれを明確に書くことはその労力に見合うものではないと思います。どうしても言及する必要があるなら、『論理哲学論考』3.33 あたりを参照することになりましょう。--Jms 2010年6月5日 (土) 00:05 (UTC)

(1)「カテゴリと記事」と「カテゴリとカテゴリ」で扱いを変えるべきというのはいいと思っています。また、現状のガイドラインが「カテゴリと記事」の関係を念頭においている記載されたという仮定も悪くないと思います。ただ、その仮定なら「カテゴリとカテゴリ」の関係についてもガイドラインに理解もただ、その場合、「カテゴリとカテゴリ」についてのガイドラインはないということになり、その点はガイドライン化していくべきではないでしょうか?
(2)カテゴリの定義が「カテゴリと記事」の関係を示すものであるという仮定で
  • 「上位の概念」とは「Xの内包⊂Yの内包 ∧ Xの外延⊃Yの外延」をみたすような概念のことを指す
  • カテゴリの定義2項で、カテゴリは項目に対して「上位の概念」であることが求められる
ここまではあっていると思いますが、
  • カテゴリは項目に対して必ずしも「上位の概念」である必要はない
ということを仰っているのかどうかが不明です。それとも上位の概念とならないのはあくまでもカテゴリとカテゴリの関係についてのみということなのでしょうか?Fuji 3 2010年6月5日 (土) 01:05 (UTC)
(1) カテゴリとカテゴリの関係についてもガイドラインに言及がありますが、それでは不足でしょうか。(2) Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義第二項は「分類」よりは「キーワード」を指向しているカテゴリについて述べており、概念というよりはキーワードすなわちカテゴリの内包としての側面について言及していると考えるべきでしょう。その文脈によらず「上位の概念」の「概念」という部分を拾いあげてしまうと、第二項の意図から外れてしまいます。「カテゴリは (記事に対して) より上位 (の語)」という意味でしょう、と書いたのはそういうことです。キーワード的なものが項目に対して上位概念とは限らない、というのは当然でしょうし、その意味で第二項の記述が厳密にはミスリーディングであるとは思いますが、書き直すと却ってわかりにくくなるのではないかと思います。--Jms 2010年6月5日 (土) 01:51 (UTC)
(1)現在の記述で「カテゴリと項目」「カテゴリとカテゴリ」の関係について、Jmsの考えるほどに理解できる人は多くないのではと思います。まぁ、これは私がアホなだけで、みなさんは理解しているということも十分ありえると思うので、ここでコメントを募って判断したいと思っています。
(2)私は、定義の2項は素直に「キーワードを指向したカテゴリも『上位の概念』であることが必要」と読むべきだと考えています。「学問」と「学術用語」という厳選された例をもってきていることと、定義文「この場合、カテゴリはより上位の概念であることが求められるため」の「も」がカテゴリ本来の意味である分類を示す1項の定義をふまえての記述と思われることが推測の根拠です。つまり、2項は「キーワードを指向したカテゴリでもよい。ただしそれは結果としてカテゴリを示す語が帰属させる項目に対して『上位の概念』である必要があるという制約がある」ということを述べているという理解です。キーワード指向と「上位の概念」であることの相性が悪いこと、現状「上位の概念」でないカテゴリが多く存在していることは確かだと思いますが、だから書いていることを否定するように解釈すべきというのは某国の憲法解釈を連想してしまいます(必要なら解釈改憲ではなく改憲すべき)。
あと、Jmsさんの「キーワードすなわちカテゴリの内包としての側面」とおっしゃっている点についてですが、ここでの「キーワード」というのは必ずしもそういう意味で使われていないのではと考えています。1項でいう「『分類』を示すものです」の流れから考えると、2項は単に「分類を示さないが対象を集めるもの」ということを言っているのではないかとも思えますし。もっとも定義自体どこまで考えられていたかがよく分からないので、単なる私見ですが。(ちなみにJmsさんの言っているのは、2項はある集合の内包である要素をキーワード(カテゴリ名称)として抽出して作成されるカテゴリについての規定、という理解であってますか?)Fuji 3 2010年6月5日 (土) 07:13 (UTC)
分類というのは、対象を、重なりのない部分すなわち類にわけることです。「分類を示さないが対象を集めるもの」というのはありえないでしょう。分類 (類にわけること) と分類体系 (類の包含関係によって示される類の構造) を混同していませんか。第二項を「キーワードを指向したカテゴリも『上位の概念』であることが必要」と読んでしまうと、第二項で「キーワード」と「分類」を対比させている意味がなくなってしまうでしょう、概念の上下関係とは分類体系のことですから。「結果としてカテゴリを示す語が帰属させる項目に対して『上位の概念』である必要があるという制約がある」というのは、語と概念とカテゴリについてどういう定義で述べられているのかよくわかりません。ラベルとしての語と、その語が指し示す概念との区別が曖昧なのではないかと思います。件の例示における「学問」と「学術用語」の上下というのは、関連語そのものには上下関係がないが、カテゴリには上下関係があるので、項目「学問」がカテゴリ「学術用語」に含まれるとはならない、という意味でしょう。このことは、包含関係の存在をかならずしも要求しません、もし包含関係が常に要求されるなら、それは第一項でカバーされているので第二項として述べる必要がありません。「2項はある集合の内包である要素をキーワード(カテゴリ名称)として抽出して作成されるカテゴリについての規定」というのはしっくりこないので、あっているかといわれると「なんとなく」違う気がしますが、そうであるという気もします。記事の特徴語の体系を示すのにカテゴリを使うことがある、というのが第二項の意味だと考えています。Fuji 3 さんの様な解釈をすると、第二項は不要ということになるのではないかと思います。--Jms 2010年6月5日 (土) 07:57 (UTC)
「分類を示さないが対象を集めるもの」についてですが、集合全体の共通項ではなく部分集合の共通項により作成されたカテゴリを想定していただければと思います。例を挙げると、「人物」カテゴリの下に「キリスト教徒」のようなサブカテゴリを設けるようなものです(あくまでも例です。実際にはそのような構造ではありません)。その他の宗教のカテゴリや「非キリスト教徒」のようなカテゴリがあれば”分類を行うカテゴリ”ですが、実際にはをそのようなカテゴリは用意されておらず、分類として機能していないといったパターンです。私はこういったものを「キーワードによるカテゴリ=分類を示さないが対象を集めるもの」として想定しているので、それを踏まえてもらえれば以降の話が通じるのではと思います。Fuji 3 2010年6月5日 (土) 09:22 (UTC)
「分類を示さないが対象を集めるもの」が、ある分類の一方だけを示されその補集合を明示されていないもの、という意味だというのは理解しましが、それを「分類を示さないが対象を集めるもの」と呼ぶのは不適切だと思います。それだと、たとえば「哺乳類」は分類を示していないことになります (一方、これは「集合全体の共通項ではなく部分集合の共通項により作成されたカテゴリ」という条件は満たしています、集合全体、というのが何かという任意性はありますが)。補集合たるカテゴリがなければ分類として機能していない、というならば、分類たるためにはすべてのカテゴリについて「○○」と「非○○」を用意せよと主張していることになりますが、自動車やら神やら、およそキリスト教徒ではないあらゆるものが含まれた「非キリスト教徒」というカテゴリは役に立たないでしょう。もちろんそういうことを仰ろうとしているのではないのでしょうが、論理的にはそういう主張になっていると思います。--Jms 2010年6月5日 (土) 09:44 (UTC)
微妙に違っていて、そもそも「補集合を出さないと親集合をMECEに分割できないようなカテゴライズ基準」を「分類を示さないが対象を集めるもの」と想定しています。補集合をカテゴリとすれば必ずMECEになりますが、それは仰る通り役にたたないカテゴリなのでよほど条件が合わない限り使用しないパターンと思っています。哺乳類の例ですが、「集合全体、というのが何かという任意性はありますが」と述べられているので気付かれていると思いますが、脊椎動物門の中で分類を示すものとなっていますし、脊椎動物門は動物界を分類するものになっています。ということで「補集合たるカテゴリがなければ分類として機能していない」ということもないという認識です。補足するなら「集合全体=親カテゴリの集合のこと」ということです。Fuji 3 2010年6月6日 (日) 01:05 (UTC)

(インデント戻し) 「補集合を出さないと親集合をMECEに分割できないようなカテゴライズ基準」というのが理解できません。類別になっているなら、補集合は存在します。補集合が存在しないなら、類別にはなっていません。カテゴライズ基準というのは、集合に含まれるかどうかの判断基準だということだと思いますが、基準が明確でないために類別にできないならその基準による集まりは集合の要件を満たさないので補集合も存在しませんし、補集合を出す (定義する、の意味?) ことで類別できるならそもそも集合の要件を満たしているので明確なカテゴライズ基準が存在することになります。そこから推測すると、「分類を示さないが対象を集めるもの」というのは、ある記事がそのカテゴリに含まれるかどうか判断がつかないようなカテゴリ、という意味かと思いますが、そういう理解でよろしいでしょうか? あるいは、ラフ集合の様なものが想定されているのでしょうか? 「哺乳類」に対して「脊椎動物門」を持ってくるのはある分類体系を前提とした恣意的な想定であって、哺乳類とそうでないものを峻別できるならば、それ自体は分類になっています。やはり、分類と分類体系を混同なさっているのではないかと思います。なにか本質的部分で前提を共有できていないのではないかと思います。問いはWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義第二項における「上位の概念」とは何か、ということだと理解していますが、なにか違うことを問おうとなさっているのではないかという気がしてきました。--Jms 2010年6月6日 (日) 01:28 (UTC)

違います。外延により集合の全要素が示されているようなカテゴリを「分類するカテゴリ」といっています。「補集合によらずに親集合をMECEに分割するカテゴリ群」が”分類カテゴリ(1項の定義内容)”、そのようなカテゴリ群が提示されていないカテゴリ、つまり任意のキーワードにより親集団の一部のみが集められているカテゴリを”キーワードによるカテゴリ(2項の定義内容)”と理解しているということです。Jmsさんの用法を誤解している可能性はありますが、言葉を借りると、私は1項と2項のカテゴリを分類体系があるかどうかで区別しており、カテゴリである以上、1項も2項も分類を示すものには変わりないと考えているということです。この前提が異なる(一般の理解と異なる)ならば、「上位の概念」についても話がかみあうはずもなく、なのでここまで確認を進めさせてもらっています。Fuji 3 2010年6月6日 (日) 22:39 (UTC)
「外延により集合の全要素が示されているようなカテゴリ」の、全要素というのは、ウィキペディア日本語版の記事のことですか、それとも、そのカテゴリが包含するであろう全対象のことですか。そこが違うのかもしれません。「任意のキーワードにより親集団の一部のみが集められているカテゴリ」というのは第一項を排除しないので、仰っている対比は妥当でないのではないかと思います。分類として機能するためには類別基準となる何らかの属性が存在するはずであり、任意のキーワードがその属性であり得るからです。その意味では「カテゴリである以上、1項も2項も分類を示すものには変わりない」のですが、包含関係を期待できるかどうかが第一項と第二項の違いです。包含関係を期待できない第二項に「上位の概念」という言葉があるのが問題だ、という指摘だと理解していますが、包含関係は集合と集合の関係であって、集合とその要素の関係は包含関係ではないので、第二項の「上位の概念」に包含関係を当てはめることは妥当ではありません (「上位のカテゴリ」とは書かれていないことにも注意)。これは既に述べたことのパラフレーズですが、念のため。なお、包含関係と分類体系違いは、包含関係は二つの集合の間の関係であるのに対し、分類体系はそうした包含関係を集めた総体のことです。包含関係のないところにも分類はあり得ますが、分類体系はあり得ません。--Jms 2010年6月6日 (日) 23:02 (UTC)
>集合の全要素
集合は「カテゴリの定義で示される概念にそって集められる(べき)記事及びサブカテゴリの集合」です。したがって、全要素というのは、Jmsさんの言う「そのカテゴリが包含するであろう全対象のこと」であっているのだと思います。
>「任意のキーワードにより親集団の一部のみが集められているカテゴリ」というのは第一項を排除しない
その通りです。書き方が悪かったですが、私は、第一項は「『任意のキーワードにより親集団の一部を集めるカテゴリ』が、MECEになるように集められた状態にある」場合のカテゴリについての説明であると理解しているということです。言い方を変えると、包含関係を期待できるかできないかで1項と2項が分かれるとは考えていないということです。Jmsさんの考え方も大枠は理解できているつもりですが、その前提が異なっているので「上位の概念」の考え方も異ならざるをえないのかなと思っています。
どうも、「上位の概念」の確認をする前に、1項・2項をどう読むのか(何の説明を意図しているのか)という点について確認をした方がいいのかもしれないと思っています。なお、現時点では、私は自分の理解が絶対とは思っていませんがJmsさんの主張も正しいという確信もありません。これは私がJmsさんの考えを理解しきれていないからかもしれませんし、ひょっとして、どちらかの主張が正しいというような性質の問題ではないのかもしれないなとも感じています。Fuji 3 2010年6月7日 (月) 01:24 (UTC)
前提から (用語の?) すりあわせ、というのに異論はありません。また、同じことの裏表を述べているのではないかとも思っています。が。第一項が「『任意のキーワードにより親集団の一部を集めるカテゴリ』が、MECEになるように集められた状態にある」であるとして、ということは「任意のキーワードにより親集団の一部を集めたカテゴリ」であってかつ類別でないものを作り得る、ということを意味しています。一方、「一部を集めた」ということはとりもなおさず残りは集めなかったわけで、その残りが一つの集合をなすことを考えれば、「一部を集めた」ことそれ自身が類別になっています。従って「任意のキーワードにより親集団の一部を集めたカテゴリ」であってかつ類別でないものは存在し得ず、ということは「『任意のキーワードにより親集団の一部を集めるカテゴリ』が、MECEになるように集められた状態にある」という後半は前半から帰結されることなので述べるまでもないと思うのですが、如何でしょう。「任意のキーワードにより親集団の一部を集めたカテゴリ」であってその集める行為が排他的完全分割にならないものがありましょうか。--Jms 2010年6月7日 (月) 08:56 (UTC)
「カテゴリとして集めていない集合は、カテゴリ機能の利用という点では存在していないものと見なしている」という説明でよろしいでしょうか。
先の定義はより厳密には、
  • 「『任意のキーワードにより親集団の一部を集めるカテゴリ』により示される集合(補集合は含まない)が複数集まることにより、親集団をMECEに分割している状態にある」
ということになろうかと思います。補集合を無視する理由は、一つの親集合に対し、wikipediaでは複数の視点のカテゴリを設定できるからです。親集団Xに対し、甲・乙という項目があったとして、甲はAというキーワードによるカテゴリに当てはまり乙は当てはまらなかった場合に、
X ・・・乙
|―A ・・・甲
他のサブカテゴリがなければ、上記のようにAというキーワードでXの要素{甲、乙}が分類されたことが分かりやすいので問題ないと思っていますが、Aと独立したキーワードBによるカテゴリがあって、
X
|―A ・・・甲
|―B ・・・甲、乙
となった場合に、乙という要素がAの補集合として存在しているということが一見しただけでは分かりません。このような場合、あくまでもwikipediaのカテゴリという機能上の話ですが、分類されていないと認識した方がいいと考えているということです。Fuji 3 2010年6月7日 (月) 11:01 (UTC)

(インデント戻し) 「カテゴリとして集めていない集合は、カテゴリ機能の利用という点では存在していないものと見なしている」というのは、正直なところ、意味する所がわかりません。カテゴリとして集める、集めない、というのは何を意味しているのでしょうか。○○として集めようが集めまいが、集合は集合だと思うのですが…。ある記事集合について、それら記事の共通属性として想定できるものがない、ということならわかりますが…。「補集合は含まない」というのは暗示される補集合によらずに、という意味だと思いますが、それは親集合と仰っているある集合を想定しない、という意味と同じことです (分類するには親集合の指定が必要、親集合を指定すれば部分集合の指定が補集合の指定を常にt伴なわざるを得ない)。対象として、ウィキペディアの記事空間 (「カテゴリの定義で示される概念にそって集められる(べき)記事及びサブカテゴリの集合」) を想定した時点で、全体集合としてウィキペディアの記事を想定した上でその部分集合を論じていることになるので、「補集合は含まない」ということは不可能です。補集合を含むかどうかではなくて、補集合を肯定文で表現できる様な属性を内包として含まない、ということを意図なさっているのでしょうか、それならまだわからなくもありませんが。甲乙ABの例は、A が明らかに類別になっているので、分類されていないと認識するのは単なる錯誤です。たとえば、B は背骨がある、A は母乳で子を育てる、ということでしょう。なお、B 抜きの場合というのは、形式概念分析において属性集合として否定属性を明示的にとらなかった場合に発生します。たとえば、対象集合の要素がハツカネズミ、ヒト、コウモリそれぞれの個体で、内包集合の要素が哺乳、直立二足歩行、翼がある、という属性だった場合、ハツカネズミはヒト及びコウモリの上位概念となってしまいます。こうした事例が起こらない様に、われわれは暗黙に否定属性 (直立二足歩行しない、翼がない) を用いています。--Jms 2010年6月7日 (月) 11:30 (UTC)

追記。こういうことを仰りたいのでしょうか。ある記事集合 P と、その部分集合 C1, C2, … Cn を考える。P のどの記事も必ず Ci のどれか一つにだけ属するとき、これらの C を P の分類という。もしそういうことをお考えだとすると、それは分類の定義として適切ではないし、第一項の想定する分類とも異なると思います。incertae sedisの様な例が現実にありますし、C の構成によってはある記事が Ci と Cj の両方に属することもあるでしょう。後者の場合 Ci と Cj 更に分割すれば仰る様な事は可能ですが、そこは分類の粒度としての使いやすさとのトレードオフで分割しないほうがむしろ良い場合もあり得ます。第一項の想定する分類とはある項目がある集合の要素である、ということだけであって、カテゴリを集めたときにどうなるかということを含意してはいません。カテゴリの構成は第三項で述べられています。第三項はMECEを望ましいとしてはいますが、現実の概念構成は集合の分割ハッセ図の如くであることがしばしばであり、だからこそ併存についての言及があるのだと思います。--Jms 2010年6月7日 (月) 18:43 (UTC)

大分誤解されているようなので、繰り返し部分もありますが表現を変えて記載します。
>「補集合は含まない」というのは暗示される補集合によらずに、という意味だと思いますが、それは親集合と仰っているある集合を想定しない、という意味と同じことです
いいえ、親集合を想定しているので、ある分類があれば当然補集合はあります。ただ、wikipediaでカテゴリ機能を利用して記事を参照する場合、補集合は先の例の通り、どこに存在しているか理解できないことがあるので運用上は分類されているとみなさない方がいいということです。言い方を変えると、明示的に示されていないカテゴリ(集合)は考慮しないということです。分類の主目的は記事がどこにあるかを明確にすることだと思っているので、その役割が果たせない概念的な集合に意味はないという考えです。
記事集合 P に対し、カテゴリC1、C2、C3がMECEならばCは分類を行うカテゴリである。同様にPに対し、カテゴリX1、X2、X3がMECEならばXも分類を行うカテゴリである。逆にPに対しカテゴリY1、Y2がMECEでないならば、それは分類を行うカテゴリでなく、キーワードを指向したカテゴリであると定義しています。この時、P{C1、C2、C3、X1、X2、Y1、Y2}です。そして、Ynに当てはまらない記事甲があった場合、それはカテゴリCn、Xnのそれぞれに存在しているはずですが、どこにいるのかは全てのカテゴリを展開しないと分かりません。これは、利用者にとって存在しているかわからない=Ynは分類を指向するカテゴリとして機能していないとみなすべきという意見です。
>対象集合の要素がハツカネズミ、ヒト、コウモリそれぞれの個体で、内包集合の要素が哺乳、直立二足歩行、翼がある、という属性だった場合、ハツカネズミはヒト及びコウモリの上位概念となってしまいます。
すみません、こっちはよく分かりません。wikipediaの記事が、カテゴリ動物{ハツカネズミ個体A、ハツカネズミ個体B、ヒト個体A、ヒト個体B、コウモリ個体A、コウモリ個体B}があり、仮に内包の「哺乳」「直立二足歩行」「有翼」のカテゴリがある場合をおっしゃっているのだと思いますが、この場合、
カテゴリ動物
|―カテゴリ哺乳{ハツカネズミ個体A、ハツカネズミ個体B、ヒト個体A、ヒト個体B、コウモリ個体A、コウモリ個体B}
|―カテゴリ直立二足歩行{ヒト個体A、ヒト個体B}
|―カテゴリ有翼{コウモリ個体A、コウモリ個体B}
であり、「直立二足歩行」「有翼」は「哺乳」の内包ではなく、残り2つのカテゴリについても同様なので、カテゴリ間に上位概念―下位概念という関係はありません。また、ハツカネズミとい概念に着目した場合も、ハツカネズミの内包「哺乳」はヒトの内包の部分集合ですが、ヒトの外延{ヒト個体A、ヒト個体B}は、ハツカネズミの外延{ハツカネズミ個体A、ハツカネズミ個体B}の部分集合ではないので、ハツカネズミがヒトの上位概念になることもありえないという認識です(ついでに、ハツカネズミの他の内包要素についてはヒトの内包の部分集合でもないし)。
ちなみに、もともと確認したかったことは上記例で言えば、カテゴリ哺乳{カテゴリ直立二足歩行、カテゴリ有翼}とするのはよろしくないのでは?ということですね。カテゴリが「哺乳」であって、その内包要素のカテゴリがある、つまり、カテゴリ哺乳類{カテゴリ直立二足歩行、カテゴリ有翼}は構いませんがFuji 3 2010年6月8日 (火) 01:52 (UTC)
「Pに対しカテゴリY1、Y2がMECEでないならば、それは分類を行うカテゴリでなく、キーワードを指向したカテゴリであると定義」というのは論旨飛躍です。言えるとすれば「それは P の分類を行うカテゴリでなく、P という観点からすればキーワードを指向したカテゴリであると定義」まででしょう。しかしそのことは、Y1、Y2 が (重複がないとして) 排他的分割となる様な親集合 PY の存在を排除しないので、Y1、Y2 が一般に分類ではないとは言えません。この点、つまり、ある P を固定してしまうことに問題があると思います。ある特定の P について排他的分割となっていないカテゴリは、すべて分類たり得ないカテゴリなのでしょうか。そうではないでしょう。P{C1、C2、C3、X1、X2、Y1、Y2} という記法は何を表しているのでしょうか、P = { 括弧内略 } という意味でしょうか。カテゴリとしては C1 等は P の要素ですが、概念としての C1 は P の部分集合ではあっても要素ではありませんが…。
ハツカネズミ云々は、個体で考えれば仰る通りです。分類群で考えると、ちょっと厄介なことになる、ということです。もちろん、だからこそ個体で考えなければならないわけですが。内包をどこまでの精度でとるか、という問題もありますが、ここではシンプルにとりました。
「ちなみに」の部分は、そもそも第二項の上位概念というのが記事とカテゴリのことなので、「カテゴリ哺乳{カテゴリ直立二足歩行、カテゴリ有翼}とするのはよろしくないのでは?」というのはそもそも対象外でしょう。「カテゴリ哺乳類{カテゴリ直立二足歩行、カテゴリ有翼}」は別の意味で違うと思います。
分類、ということばの意味が違うのかもしれない、という気がしてきました。わたくしは、厳密に述べれば、分類されるのはあくまで個物であり、その分類に対応して集合を分割する基準が示される、と考えています。Fuji 3 さんは、集合の分割を分類と仰っているのではないかと思っています。何が違うかというと、はじめに集合ありきかどうか、という点だと思います。--Jms 2010年6月8日 (火) 06:13 (UTC)
定義については、Jmsさんの補足してくださった内容であっています。
>P = { 括弧内略 }という意味でしょうか
その通りです。単純に、C1 をPに含まれるものという意味で要素の一つしてみなしています。あるカテゴリを参照する側から見ると、記事なのかサブカテゴリかは関係なく見た目は一緒という認識だからです。
>集合の分割を分類と仰っているのではないかと
「集合の完全な分割」ということであれば、大体あっているかと思います。「classificationの前提としてdivisionされている必要がある、divisionされていないものは classificationとは言えない(で、少なくともwikipediaカテゴリ機能では、残余という意味での補集合での分割はないものとみなした方がいい)」という考え方です。これは、あくまでもwikipediaでカテゴリ機能を利用する上でそう解釈した方がいいという観点での意見の一つであって、Jmsさんのいう分類の考え方は分かる気がします。Fuji 3 2010年6月8日 (火) 07:38 (UTC)
大体、互いの言わんとしているところは (同意できるかどうかは別として) 理解できつつあると思います。さて、元の話にもどって、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義第一項にいう「分類」とは、is-A 関係でしかなく、Fuji 3 さんが分類に求めている排他被覆性までは含意していません。その意味で分類というべきではない、ということでしたら、そうかもしれません。第二項の「上位概念」については、項目とカテゴリの関係なので排他被覆性を期待すべくもありません (あるいはその「上位概念」カテゴリに含まれる要素によって常に排他被覆が保証されている) が、これをWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義の文脈において「分類でない」と言ってしまうと、言葉の間の is-A 関係 (「学術用語」という語は、「学問」に関連する語の一つである) であるという点から不都合だと思います。結局のところ、第二項の「上位概念」というのは、言葉の間の is-A 関係と解釈するのが妥当ではないでしょうか。わたくしにはキーワードについて関連項目として示すべき場合とカテゴリとして示す方が良い場合とがある、ということを示そうとしている様に思えます。
カテゴリの要素がカテゴリと個別記事の両方である以上、カテゴリの関係は排他被覆という意味での分類ではあり得ませんし、分割元の集合として前述の P をとるか PY をとるかという任意性もあるのですから、そこに排他被覆性を厳しく求めても仕方ないのではないかと思います。分類体系を概ね反映する様な構成を工夫する、その一方で言葉の分類としての利用も排除しない、というのがWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義の意図するところでしょう。--Jms 2010年6月8日 (火) 08:31 (UTC)
(インデント戻し)
>第一項にいう「分類」とは、is-A 関係でしかなく、Fuji 3 さんが分類に求めている排他被覆性までは含意していません。
その通りだと思います。ただ、第2項の
『「分類」より「キーワード」を指向しているカテゴリも存在します』
という文章における「分類」は文脈からして、単なるis-A 関係を示しているものと思えない(「上位の概念=is-A 関係」ではないと思うので(後述))ということです。もっとも、「分類」がMECEであるべきかといった点はこの節で確認したかった内容ではないので、また改めて確認したいと思います。
で、この節の当初目的は、Jmsがおっしゃる「言葉の分類としての利用(2項)」の際に、「上位の概念であることが求められる」という意味はどういうことか?という点です。ここまでの話では、
  • (A)「xxはYYのひとつである」ことが「上位の概念」である
  • (B)2項に出ているキーワードを利用して「xxはYYに”関連する”概念の一つである」ことが「上位の概念」である
  • (C)「YYの内包⊂xxの内包 ∧ YYの外延⊃xxの外延 である」ことが「上位の概念」である
といった解釈があるものと思っています。
このうち、(A)については「学術用語(xx)は学問(YY)の一つ」ではありませんから、例か「上位の概念」の解釈のどちらかが不適切です。
(B)については、「学術用語(xx)は学問(YY)に”関連する”概念の一つである」で例は問題ありませんが、”関連する”というのは何ですか?どこまでを”関連する”とみなしていいのですか?という問題が出てくると思います。
(C)については、「学術用語(xx)の内包⊂学問(YY)の内包 ∧ 学術用語(xx)の外延⊃学問(YY)の外延」で個人的にはほぼ問題ないかと思っています。ただ、現時点の利用状況として、あてはまっていないカテゴリが結構な数存在している可能性があるという認識です。
で、他にいい解釈がないのであれば、(B)の”関連する"の意味をはっきりさせるか、(C)の認識にそってカテゴリを修正していくか、はたまた2項の文言自体をあらためてしまうかのどれかをはじめていきたいのです。Fuji 3 2010年6月10日 (木) 04:30 (UTC)
『「分類」より「キーワード」を指向しているカテゴリも存在します』という文章における「分類」は文脈からして、単なるis-A 関係を示しているものと思えない、というのには同意できません。「上位の概念=is-A 関係」ではない、からこそ、上位の分類とは言わずに上位の概念なのではありますまいか。「上位の概念であることが求められる」というのは、is-A 関係でないからといって、たとえば韓国と北朝鮮のいずれかがカテゴリで、他方がそのカテゴリに属する項目である様なことがあってはならない、という意味でしょう。「関連する」というのに明確な境界を求めるのもどうかと思いますが、少なくとも、韓国と北朝鮮の様に、同位並列なものについてはカテゴライズにより扱わない、ということを第二項後半は述べていると思います。あるいは、学問と学術用語で言えば、包含関係にないにしろ何らかの共通部分がある様な集合で、どちらがより大きい集合か、ということでしょう。わたくしには、現行の定義を読むのに困難はありません。なぜ Fuji 3 さんにはそれが難しいのか、想像できずに困っています。--Jms 2010年6月10日 (木) 10:52 (UTC)
現行の定義を読むのに困難はないという意味では私も同じです。ただ、その読み方が異なっている方が少なからず存在しているので、定義をもう少し厳密に考えようということです。再掲になりますが、下記のようなカテゴリは2項を満たしていると思いますか?ということです。
  • (3)「被害者(AA)」と「暴力(XX)」「犯罪(XX)」
  • (4)「翻案作品(AA)」と「メディアミックス作品(XX)」
私にはどちらもXXがAAの上位の概念になっているとは思えないですが、上記(B)の観点で「関連する」を広くとれば上位の概念ということになるのでしょう。どちらがより大きい集合か?といった単純な条件で判断することもできないと思います。Fuji 3 2010年6月11日 (金) 03:38 (UTC)
二項は記事とカテゴリについてのみ上位概念ということを述べているので、「下記のようなカテゴリ」が AA と XX の両方を指すなら、第二項における上位概念とは何か、ということとは関係ありません。キーワード性をカテゴリ間の関係にまで拡張するのは、第二項の範疇ではないのではないかと思います。もう少し述べれば、記事被害者中で犯罪にリンクつきで言及していますから、関連項目として挙げる必要も、カテゴリとする必要もありません。「翻案作品」と「メディアミックス作品」の関係も、カテゴリ間の関係として表すべきことではないでしょう。いずれにせよ、そういう個別判断はここでの議論になじまないと思います。--Jms 2010年6月11日 (金) 09:58 (UTC)
Category:被害者被害者学犯罪被害者等基本法など「犯罪被害者」に関する記事をまとめる機能を負っているのでCategory:犯罪の下位になっています。これはCategory:犯罪被害者ができるまでの措置です(別にすぐに作っても構いませんが)。Category:翻案作品Category:メディアミックス作品については、Category:メディアミックス作品の本文にあるように原作を持つ(大多数の)「メディアミックス作品」がすべてCategory:翻案作品に入る形になるので現在のようなカテゴリ構造になっています。メディアミックスの一環として他媒体への翻案が行われるか、複数の媒体への翻案が行なわれたことによって「メディアミックス」となるかなので、Category:メディアミックス作品>Category:翻案作品の関係は逆にはなりません。「翻案」の定義上、「Category:翻案作品」の中にはメディアミックスと言えないものが一定数含まれるというだけのことです。
問題はこうした個別に判断されるべきカテゴリの関係に対して、利用者:Fuji 3氏が「方針の第二項の『上位の概念』に当たらない」ということに基づいてあちこちのカテゴリで上位カテゴリを差っ引いたりノートで議論提起したりしていることです。対応に困ったので「それなら方針のノートで「上位の概念」について聞いてきてくれ」と頼みました。--頭痛 2010年6月11日 (金) 11:03 (UTC)
>頭痛氏へ
Category:被害者について、おっしゃるような意図であるなら何も疑問はありません。改名するなり新規作成するなりの対応いただければと思います。
「メディアミックス」について、「翻案作品」の大多数が該当するから”Category:メディアミックス作品>Category:翻案作品”というのは意見の一つとしては否定していません。
上記の意見を見ても分かる通り、「上位の概念」の考え方(もしくは2項の理解の仕方)については、かなり幅があるようですから、個別の議論が目的ではありませんが、具体例を交えながら検討する必要があるという見解です。その他の方の意見も聞いてみたいと思っています。Fuji 3 2010年6月11日 (金) 11:39 (UTC)
相変わらず話が通じないな。Category:被害者は「犯罪被害者」をまとめる機能を負っているから現在のカテゴリ構成になるのが自然であると言っているのであって「対応が必要である」というような話はしていません。
私は「第二項の解釈に幅がある」ことが問題なのではなく、あなた一人がごく狭い(私から見れば奇怪な)自分の解釈しか許容できずにあちこちで上位カテゴリを減らしたりいちいちノートで説明を求めたりする行動のほうが問題なのだと認識しています。現在の方針の文面を変える必要性は感じません。--頭痛 2010年6月11日 (金) 12:01 (UTC)
◆定義の範疇で解決を図るなら、第二項の解釈が問題なのではなく、第三項の運用の問題ではないでしょうか。当初からメディアミックスを意識して企画された作品は翻案とは言い難いでしょうが、そうした作品が例外的である場合にどうするのが望ましいかは第三項の範疇、あるいは定義に続く解説部分の範疇であり、それは個別に解決されるべき匙加減でしょう。第二項の厳格適用を根拠とするなら、第二項はカテゴリ間の関係には無関係である、というのは繰り返し述べている通りです。--Jms 2010年6月11日 (金) 14:23 (UTC)
>頭痛氏
とりあえずCategory:犯罪被害者ができることに前言翻して文句を言わないなら、私のノートでの問題提起については解決されているので十分です。
あなたの不思議なのは、あなた一人がごく狭い(私から見れば奇怪な)自分の解釈しか許容できずにあちこちで自分の編集を強行している可能性を想像できてないことですね。私も現在の方針の文面を変える必要はないと思っているのですが、水掛け論しかできないのであれば、内容についてのコンセンサスを確認する必要は継続してあると思っているだけです。「2項の解釈に幅をもたせるべきか、狭く解釈すべきか」もしくは、そこはおいて「3項以降も含めて『よいカテゴリ構造』とは何?」といったところが方向でしょうか。いずれにせよ議論参加者が少ないので、気楽に感想・意見を求める環境を作るため、しばらく黙ります。Fuji 3 2010年6月11日 (金) 16:59 (UTC)
「前言翻して」とか意味不明だな。この議論にあるように「犯罪被害者」が作られることは「被害者」を作る前から想定しているのだが。
私の編集とあなたの編集は対照ではありません。私が行なった編集(あなたの編集の差し戻し)は私が作ったり付けたりしたカテゴリばかりでないことはあなたの会話ページで最初に確認したはずですが? あなたよりもカテゴリの範囲を広く取っている私のほうが、上位カテゴリが二つ三つしかないカテゴリの上位カテゴリを一つ二つにしているあなたよりもなぜ「狭い」ことになるのでしょうか。なお、上で説明されているJms氏の解釈は私には不可解なところはありません。現在までのところ、少なくとも二人の利用者からあなたの方針の解釈の仕方に疑義が出されているのだということはきちんと理解してください。しばらく黙るのは勝手ですが、これはいつまで続くのでしょうか? この取決めのせいで足止めを食っているのだからなるべく早く片をつけて欲しいのですが。--頭痛 2010年6月12日 (土) 05:37 (UTC)
しかし人に何を言われても「そういう意見もありますね。他の人の意見も聞いてみたいと思います」か。どうにもならんな。--頭痛 2010年6月12日 (土) 05:58 (UTC)

(適切なインデントレベル不明) 経緯はいろいろとあるのでしょうが、ここでの議論、つまり、第二項にいう「上位の概念」とは何か、ということに直接関係のないことは、議論の見通しを良くするためヨソで論じていただければ幸いです。--Jms 2010年6月12日 (土) 07:17 (UTC)

これ以上口を挟む気はありません。しばらく放っておきます。--頭痛 2010年6月12日 (土) 08:43 (UTC)

内容とは関係ないことですが、この節の上の方の2番目の投稿の「Category‐ノート:メディアミックス作品?」の部分は「Category‐ノート:メディアミックス作品?」とするつもりだったものと思われます。--ぬまぶくろう会話2012年10月14日 (日) 13:00 (UTC)

記事内にリダイレクトの所属カテゴリを記述すべきか否か 編集

オオカミさんシリーズにおいて記事内にオオカミさんと七人の仲間たちの所属カテゴリを記述していたところ、先日記述が除去されていました。除去された方にお伺いしたところ、「一般読者が読んだ際にその節がなんであるのかを理解できないのではないか」「そういった記述は完全に編集者向けのものではないか」「編集者にとって必要なことならばコメントアウトでもして記述すべきもので、わざわざ表に見えるようにしておく意味が分かりません」とご返答をいただきました。確かにリダイレクトの所属カテゴリは一般読者にとって理解できないもので、コメントアウトして記述すればいいと思いますが、そうなるとリダイレクトの所属カテゴリに直接行けず不便になるのではないでしょうか。リダイレクトの所属カテゴリをWikipedia検索すると、記述している記事が多くあります。なので私自身もこれまで問題ないと判断していくつかの記事でリダイレクトの所属カテゴリの記述をしてきました。他の方々はどのようなお考えなのでしょうか。他の記事にも関係する事なのでこちらの方で、記述すべきか否か方針を決めて頂きたいと思い提議しました。--ジャビ 2010年6月6日 (日) 15:20 (UTC)

必要なカテゴリであればリダイレクトが所属するカテゴリという節を用いるのではなく当該カテゴリもその記事に追加すれば良いと思います。--Tiyoringo 2010年6月6日 (日) 15:27 (UTC)

  コメント まず、リダイレクトにカテゴリを付与することは機能として認められていることですし、カテゴリ側での表示を正確にするという大きなメリットがあります。従って記事に直接付与するというのは意味がありません。そしてカテゴリは、カテゴリからの検索という一方的なものではなく、記事側からその記事の内容がどのように分類されているかを遡り、同種の記事を探し出すという双方的なものですので、リダイレクトに付与されているカテゴリを本記事内で示すことには十分な必要性があると考えます。状態としては通常に付与されたカテゴリとほとんど変わりありませんし、「一般読者が読んだ際にその節がなんであるのかを理解できない」という反対理由は、理由になっているとは私は思いません。--マクガイア 2010年6月6日 (日) 22:26 (UTC)
  コメント 「リダイレクト所属のカテゴリ」というのはメディアミックス作品で原作のタイトルと派生作品のタイトルで異同があるときなんかに使われているようですが、こういうふうに目次に「リダイレクト所属のカテゴリ」と出てくるのはやめて欲しいです。一般読者(編集に関わってない読者)からしたら意味が分からんというのはまったくその通りだと思いますし、それが記事冒頭の目次にまで入ってくるというのは避けて欲しい。「リダイレクト」も「カテゴリ」もWikipediaのシステムを表す言葉で「概要」とか「参考文献」とか「外部リンク」のような一般性のある言葉じゃないので、記事の見出しに使用すべきではないだろうと思います。
「リダイレクトにカテゴリ付与」までは問題ない(というか仕方ない)と思いますが、そのカテゴリについては一般的には記事のほうにコメントで<!--アニメのカテゴリはリダイレクトに付与-->とでも付けておいて編集者にわかるようにすれば十分ではないでしょうか。記事からリダイレクトのカテゴリを辿れないとか、そこまでカテゴリに利便性を求めなくてもと思います。
どうしても気になるなら見出し(==)を使うのではなくて、外部リンク節(最後の節)の末尾に--で区切って「以下のカテゴリリダイレクトに付与されています」みたいな文をつけておくというのはどうでしょうか。こんな感じで。

以下のカテゴリリダイレクトに付与されています。

Category:漫画作品 おCategory:月刊コミック電撃大王Category:アニメ作品 おCategory:2010年のテレビアニメCategory:UHFアニメCategory:J.C.STAFFCategory:ジェンコ

こうすれば「カテゴリ」「リダイレクト」が分からなくてもすぐヘルプページに飛べますし、見出しにシステム語が表示されることの違和感もなくなるでしょう。
リダイレクトに付与したカテゴリも本記事のほうに薄く表示される、見たいな仕様にしてもらえれば一番よさそうですが、無理なんですかね。--頭痛 2010年6月7日 (月) 01:57 (UTC)
  コメント 頭痛さんの考えに同じです。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2010年6月7日 (月) 10:49 (UTC)

  コメントTiyoringoさんの意見に同じです。示す必要があるならばリダイレクト先の記事にリダイレクトに付与されているカテゴリと同じものを付与すればすむ話だと思います。別の視点として、質問のページのような記述をしなければならない場合、そもそもリダイレクト化することが妥当なのか?という疑問もあります。Fuji 3 2010年6月7日 (月) 11:10 (UTC)

ご意見ありがとうございます。リダイレクトの所属カテゴリのような節を設けて記述する事はやはり問題のようですね。私としては、頭痛さんの案なら一般読者にもわかりやすく、カテゴリにも行けますのでよさそうです。戦う司書シリーズでも似たような感じ(一般読者には意味がわからないと思いますが…)で記述しているようです。TiyoringoさんやFuji 3さんのおっしゃるように同じものを付与するとカテゴリが重複するのではないでしょうか?そうなると、例えばCategory:2010年のテレビアニメから辿っていくと「オオカミさんシリーズ」「オオカミさんと七人の仲間たち」が並ぶ事になります。果たしてこれで良いものなのでしょうか。--ジャビ 2010年6月7日 (月) 13:40 (UTC)

それが気になるようであれば、そもそも「オオカミさんシリーズ」に記事をまとめていることに問題があるのでは?という意見です。小項目主義・大項目主義あって、なかなか一筋縄にはいかないと思いますが。Fuji 3 2010年6月8日 (火) 01:56 (UTC)
前回の投稿で説明不足な点があったかなと思うので追記しますが、私としてはカテゴリはどちらかに付与すればいいんじゃないかなと思うのです。もし本記事にカテゴリを付与(リダイレクトの所属カテゴリという事ではない)するなら、リダイレクトにカテゴリを付与する必要はないのではないかなと思います。あと、お恥ずかしながら私はカテゴリは普段各記事を辿っていく時に利用したり、記事に追加したりする程度にしか利用していないので、あまり難しい事を言われてもよくわからないのです。無知な者で申し訳ありません。--ジャビ 2010年6月8日 (火) 14:13 (UTC)
現在カテゴリは設置されておりませんが例えば西鉄ライオンズ大洋ホエールズロッテオリオンズなどにカテゴリがあった場合にそれなりに意味があることと思います。「オオカミさん」についてはほぼ似た記事名なので必要性は薄いかもしれませんが。--Tiyoringo 2010年6月8日 (火) 22:16 (UTC)

  コメント カテゴリは記事を探すためのものなので、リダイレクトページをカテゴリから探したいのであればリダイレクトページにカテゴリを付加し、記事を探したいのであれば記事本体にカテゴリを付加して、リダイレクトページにはカテゴリを付けないことが嬉しいです。Tiyoringoさんが指摘した「西鉄ライオンズ」について言えば、Category:現在活動していない日本の野球チームにあるCategory:西鉄ライオンズまでは辿れますが、その先のリダイレクトページ「西鉄ライオンズ」にカテゴリが付加されていないために埼玉西武ライオンズまで辿れないのはちょっと不親切ですね。『記事名「xx」と同じ名称のカテゴリ「Category:xx」が存在する場合、例外なく「Category:xx」に含めるべきです』はリダイレクトページにも適用すべきだと思います。この場合を考えても、「記事内にリダイレクトの所属カテゴリを記述すべきか」については不要だと思います。上記の例で「埼玉西武ライオンズ」に「Category:西鉄ライオンズ」を記述すべきとは思いません--アルビレオ 2010年6月8日 (火) 22:38 (UTC)Tiyoringoさんの例示にあった西鉄ライオンズ大洋ホエールズロッテオリオンズにはカテゴリを付けておきました。--アルビレオ 2010年6月12日 (土) 05:26 (UTC)

確かに埼玉西武ライオンズや横浜ベイスターズ、千葉ロッテマリーンズにはリダイレクトの所属カテゴリを記述すべきではないですね。必ずしもリダイレクトの所属カテゴリは記述すべきものではないような気がしてきました。--ジャビ 2010年6月26日 (土) 11:53 (UTC)

これまでに挙がったケースと同様かどうか判断できないのですが、多摩センター駅#関連項目というのを挙げてみます。「鉄道会社の駅」カテゴリからは「小田急多摩センター駅」と「京王多摩センター駅」のリダイレクトで誘導し、記事からは関連項目でカテゴリにリンクしている例です。--デニー・ウォーア 2010年6月28日 (月) 16:38 (UTC)

隠しカテゴリの方針 編集

約2年前に導入された隠しカテゴリですが、そのノートで「閲覧者にとって益はないが、編集者側の管理に役立つメンテナンス系カテゴリに使うもの」となんとなく合意され、とくに問題なく2年間のあいだ運用されているようなので、そろそろこの方針文書に記載したほうが良いかと思うのですがどうでしょう。

記事空間にあるメンテナンス系カテゴリは編集者側の管理に役立ちますが、閲覧者にとっては意味を持ちません。そこでこのようなカテゴリは閲覧者に対して隠します。 カテゴリを隠すには{{hiddencat}}をカテゴリに付与してください。自動的にCategory:隠しカテゴリにカテゴライズされます。

ログインユーザーは個人設定の「表示」タブにある「隠しカテゴリを表示する」をチェックすることで、これらのカテゴリを常時表示できます。

例えばこんな感じで。 --Afaz 2010年7月18日 (日) 14:25 (UTC)

  賛成 明確にこういうカテゴリで使う、という合意はないのかもしれませんが、方針の記載は良い案だと思います。--sabuell 2010年8月6日 (金) 13:26 (UTC)
特に反対意見はないようなので記載しました。--Afaz 2010年8月26日 (木) 16:13 (UTC)

複数の読みがある場合のソートキー 編集

主に曖昧さ回避記事で、記事名に対し読みが複数というものがあります。現状を見るに、ソートキーを指定していないもの(例:金山峠日向)、読みのうちの1つをソートキーにしているもの(例:神成千秋)、などがあるようですが、この場合ソートキーの指定方法に基準はありますでしょうか。--MWE 2010年7月22日 (木) 22:45 (UTC)

基準はとくに設けられていないと思いますが、以前、利用案内で質問したことがあります(参考)。その時の話では、50音順でより若いものを指定、読みの違いによる記事への誘導は索引に任せる、場合によっては読みによって分割を検討、といった感じでした。--NISYAN 2010年7月23日 (金) 01:05 (UTC)
なるほど。索引に重複掲載するという手は盲点でした。読みによって分割というのはどうかと思うのですが、言葉の意味・用途によって読みが固定されるのであれば意味・用途による分割で問題解消できる場合もありそうです。ソートキーについては、「一番普遍的な読み方」「ソートで先頭になる読み方」のどちらも一長一短ありですから、基準を定めるのは難しそうですね。取り敢えず、索引を活用していきたいと思います。--MWE 2010年7月24日 (土) 23:02 (UTC)

「カテゴリの構造」節の改定案(再掲) 編集

間が開いてしまってすいませんが、前節「上位カテゴリとの関係に関する規定の例外について」で節を改めてほしいとの希望がありましたので改定案を再提示します。具体的な文案はWikipedia:カテゴリの方針/修正案20100711にあり、基本的には英語版の「Subcategorization」の節を翻訳したものです。改定の趣旨はあまり根拠のないと思われる「記事数20~200」という目安を撤廃し、記事数によって機械的にカテゴリの細分化がされるのを防ぐこと、またカテゴリの性質によってはカテゴリとサブカテゴリを重複して記事に付与してよいことをはっきり示すこと、あたりです。再度ご意見をよろしくおねがいします。--頭痛 2010年8月3日 (火) 00:54 (UTC)

記事数の目安を除くのは良いと思います。「単純な理由でその記事から上位カテゴリを除去すべきではない」の「単純な理由」は「理由だけ」と訳すべきだと思います。その部分を含む「こういったカテゴリを…除去すべきではないでしょう」の「その上位カテゴリも合わせて付与したほうがよいと考えられるため」は原文の意図からは逸脱していると思います。英語版の当該箇所を訳せば「こういったカテゴリは、一つのページをあるカテゴリとそのサブカテゴリの両方には含めない、という一般則から外れることがあります。分割ではないカテゴリがある上位カテゴリのサブカテゴリだからという理由だけで、その上位カテゴリから記事を除去すべきではないでしょう」といったところでしょうか。Diffuse という語感を今ひとつ掴めずにいますが、分割であるというのが集合の分割すなわち類別になっているという意味なら、つまりサブカテゴリ集合が上位カテゴリを重なりなく被覆しているという意味なら、そう書く方がわかりやすいと思います。ただ、これはトートロジーないし論点先取ではないかという気もします。サブカテゴリ集合が上位カテゴリの類別になっているならば、その上位カテゴリに直接属している記事は存在しないことになるので、記事をサブカテゴリと上位カテゴリの両方にカテゴライズするということはそもそも起こり得ません。「こういったカテゴリを…除去すべきではないでしょう」という部分は、素直に「こういったカテゴリの様に、カテゴリの性質によっては一つの記事をカテゴリとそのサブカテゴリに重複して含める場合があります」と書く方が良いと思います。「分割」という言葉は必ずしも一意ではないので、集合の分割にリンクして意味を限定するか、リンクないし説明を付与した上で「類別」という一意な語を用いる方が良いでしょう。--Jms 2010年8月3日 (火) 11:01 (UTC)
記事数の目安を除去する件は特に異論がないようなので、先行して除去して差し支えないと思います。--伏儀 2010年8月6日 (金) 06:29 (UTC)
「単純な理由」に「だけ」をつけるのは良いと思います。「一般則から外れる」についても、その一般則を一般則として説明している箇所がないので適当に書き換えたものでしたが、これもJmsさんの案でとくに問題はなさそうです。「分割」については「類別」という限定的な意味合いはありません。原文のdiffuseにもそうした厳密な意味合いでは使われていないと思います。diffuseは文脈的には、そのカテゴリに含まれている記事群の大多数に関連付けられるような一般性のある指標によって分け、そうすることによって直下にあった記事群をサブカテゴリに分散させる、あるいは元のカテゴリの機能をサブカテゴリ群に分散させる、ぐらいのことではないでしょうか。「相互に重なりなく」としてしまうと、例えばCategory:小説におけるCategory:小説のジャンルのように、かなりの割合のものが入るが複数のジャンルに跨ったり特定のジャンルには分類されないものがあったりするものが排除されることになり不都合です(ジャンルによるサブカテゴリは英語版でもdiffuseするサブカテゴリと見なされています)。diffuseに「分割」という語を当てたのは、日本語版ではこういう場合には日常的に「分割」という表現がよくされていると思ったからで、これは現行の「カテゴリの構造」でも同じような使われかたがされています。多数の者が参照すべき基本的なガイドラインなので、リンク先の数理の記事を見ていちいち定義を確認しなければならないような形にするべきでもないと思います。--頭痛 2010年8月7日 (土) 00:32 (UTC)
原文の diffuse は、その文脈からすると、あるカテゴリに分類されていた記事の一つ一つを、いずれかのサブカテゴリに含める (サブカテゴリが元のカテゴリに diffuse する) という意味ではないかと思います。そう考えないと、non-diffuse との対比を理解できない (どういう場合が diffuse でどういう場合が non-diffuse かわからない) と思います。語感としては、重なりなくぴったり類別というよりは、被覆とすべきかもしれません (サブカテゴリに重なりを許容するなら divide ではなく diffuse とするのは理解できる)。つまり、diffuse 前のカテゴリに含まれていてどのサブカテゴリにも属さない記事がない、とうことでしょう。一般にサブカテゴリは上位カテゴリのうちある特定の指標基づいて上位カテゴリの余の部分から区別しているわけで、修正案の表現では diffuse とそうでないものの区別ができません。それを踏まえた上で例示されているものを diffuse から区別するとすれば上位カテゴリの被覆として機能させようとしているかどうか (アカデミー賞を受賞していない映画作品、小倉百人一首の歌人以外の歌人、天然記念物でない哺乳類といったおよそ役立たなそうなサブカテゴリを持ち込まないと類別にならない) という点に帰着するのではないかと思います。そこで、たとえば、次の様にしてはどうでしょうか。「ただし、すべてのカテゴリが上記のようにサブカテゴリで覆い尽くされるわけではありません。例えばCategory:映画作品から見たCategory:アカデミー賞受賞作、Category:歌人から見たCategory:小倉百人一首の歌人、Category:哺乳類から見たCategory:哺乳類天然記念物などの場合、アカデミー賞を受賞していない映画作品、小倉百人一首の歌人以外の歌人、天然記念物でない哺乳類といったカテゴリが作られる見込みはないでしょう。こういった、覆い尽くしを意図してはいないカテゴリは、一つのページをあるカテゴリとそのサブカテゴリの両方には含めない、という一般則から外れることがあります。カテゴリの性質によっては、上位カテゴリのサブカテゴリだからという理由だけで、その上位カテゴリから記事を除去すべきではないでしょう。」--Jms 2010年8月7日 (土) 00:58 (UTC)
"diffuse"については、カテゴリの記事の全体または一部を複数のサブカテゴリに分類しなおす、だと考えます。原文の"It is possible for a category to be only partially diffused"では、カテゴリの一部だけをdiffuseできる、と言っています。最もこれは、必ずしもカテゴリの全ての記事をサブカテゴリに再分類せず、一部を元のカテゴリに残しておいても良い、という意味でしょう。
"diffuse"は、カテゴリAの記事の全部または一部をサブカテゴリA1,A2などに分ける。カテゴリAの記事の全てをサブカテゴリに分けることが望ましいが、実際には全ての記事を分けられないので、元のカテゴリAに残しておいても良い。
"non-diffuse"は、カテゴリAの記事の一部をサブカテゴリBとして抜き出す。そもそもカテゴリAの記事を複数の記事に再分類することは意図していない。
ということだと思います。なお、サブカテゴリについては、重複を許すというよりも、実際に分類するとMECEにならないことがある、またはMECEにならない分類も認める、でしょう(書いていてニュアンスの違いでしかない気がしてきましたが)。原文の例で言うと、「カテゴリ:ヨーロッパの川」を「カテゴリ:アルバニアの川」、「カテゴリ:アンドラの川」などに分けると、国境を流れる川は複数のサブカテゴリに属してしまう、ということです。
纏めて言うと、"diffuse"は「分類」とし、節のタイトルとしては「カテゴリの分類」と、「分類ではないサブカテゴリ」が適切だと思います。--アルビレオ 2010年8月7日 (土) 21:36 (UTC)
確かに partially diffused とありますね、見落としていました。しかし、これでますますわからなくなりました。そうなると、結局、diffuse すなわちサブカテゴリを作ること、でしかないことになります (cover でないから diffuse なのに、さらに partially とやると何がなんだかわからない)。むしろサブカテゴリの覆う範囲が上位カテゴリ全体に「広がっている」(完全被覆までは求めない) 状況を diffuse と表現していると思います。複数のサブカテゴリに属するのを許容する状況を「分類」(類にわけること) と呼ぶのは矛盾しているので避けるべきです (色でわけたサブカテゴリと形でわけたサブカテゴリ、といった類は別として)。例示からすると non-diffuse というのは対立概念を想定しないという意味でしょうし、だとすればそれは分類を意図していないというのは確かなのですが、その反対だからといって diffuse を分類としてしまうと、類との関係から混乱を招き兼ねません。節のタイトルとしては「(分類指向の?) サブカテゴリ」と「分類を意図しないサブカテゴリ」ではどうでしょう。--Jms 2010年8月7日 (土) 22:09 (UTC)
追記。Non-diffuse のキモは、当該サブカテゴリのカバレッジが上位カテゴリの極く一部 (映画に対するアカデミー賞受賞映画、といった程度) で対立概念が便利そうには思えない (これはカバレッジの狭さに随伴する性質かもしれません) という点にあるのだろうと考えていますが、この点は如何でしょう。そこさえ共有できていればあとは書き方の問題だと思っています。--Jms 2010年8月7日 (土) 22:19 (UTC)
diffuseに「分類」なり「分類指向」なりを当ててしまうと、現行の方針中の「カテゴリの定義」でカテゴリの機能の説明として用いられている「分類」と意味が整合しません。「カテゴリの定義」での文章から考えれば「小倉百人一首の歌人」も「アカデミー賞受賞作」も明らかに「分類として機能しているカテゴリ」です。改定案中で「分割」と言っているのは「集合の分割」のような形式的に厳密な定義を持つ言葉としてではありません。日常的な日本語としての(あるいはWikipedia日本語版において、カテゴリの作成の際に使われる言葉としての)「分割」は専ら「相互に重なりなく」という意味合いで使われているわけではないと思います。ここで「分割」という語を使用することに不都合があるとは私には思えません。
同様に、diffuseとnon-diffuseを厳密に(形式論理的に)区別できる必要はありません。Jmsさんには前節の「上位カテゴリとの関係に関する規定の例外について」で再三説明したと思いますし、そもそも英語原文でも両者を厳密に区別できるような文面にはなっていないはずです。「Non-diffuse のキモは、当該サブカテゴリのカバレッジが上位カテゴリの極く一部」というのはそうだと思いますが、それを判断するのに「対立概念」を持ち出す必要性は感じません。「覆い尽くし」と言ったり「アカデミー賞受賞作」に対して「受賞していない作品」を仮定したりするJmsさんの先の文案は、形式論理的に考えられているのだということがわからなければかなりわかりづらい文面になってしまっていると思います。また私は先にdiffuseについて「そのカテゴリに含まれている記事群の大多数に関連付けられるような一般性のある指標によって分け」る、が大体の意味だろうと述べました。diffuseとnon-diffuseを形式論理的に区別しようとしない限りはこの理解の仕方で不都合があるようには見えませんし、現在の改定案の文面はその点を伝えるのに特にわかりにくいものにはなっていないはずです。--頭痛 2010年8月8日 (日) 10:30 (UTC)
例示だけではどこに着目すればよいか (diffuse と non-diffuse というのが結局何の違いなのか) 分からないので、例示によるだけでなく、そこが誤解なく (ないし少なく) 伝わる工夫が必要だと思います。現在の改訂案の文面はこの区別がわかりにくいと思います。わかりにくいから、何を述べようとしているのか確認して、平易な表現に改めようとしています。表現として厳密に区別しようとしている訳ではありません、それ以前の、何を言いたいのかを理解するために分析を行なっている段階です。「カテゴリの定義」からすれば「小倉百人一首の歌人」や「アカデミー賞受賞作」はむしろキーワード指向のカテゴリに近いとわたくしには思えます。そこで考えが違ってしまうくらいなので、理解しにくいわけです。「分類」の一般的意味は、広辞苑では、「種類によって分けること。類別」となっていました。「類別」は「種類によって区別すること。分類。」、「分ける」は「(境界をくっきりとつけて) わかつ。はなす。区分する」でした。「わかつ、はなす、区分する」ですから、辞書の意味の「分類」は「相互に重なりなく」という意味に他ならないと思います。頭痛さんの想定する日常的な日本語としての「分類」の意味はどんなものでしょうか。--Jms 2010年8月8日 (日) 12:39 (UTC)
補足。「カテゴリの定義」を字義通り解釈すれば、「小野小町は小倉百人一首の歌人である」と言えるので、「小倉百人一首の歌人」が「分類」を示すと言える、に該当するのは確かです。しかし、「分類」より「キーワード」を指向しているカテゴリも存在します、という表現からすれば、むしろ分類指向ではないと考える事も可能でしょう。これは、「分類」という言葉をどう捉えているかにも依存すると思います。--Jms 2010年8月8日 (日) 14:18 (UTC)
「分類」が「種類によって分けること」、「分ける」が「(境界をくっきりとつけて) わかつ。はなす。区分する」と書かれているのであればそう書かれている以上のことをそこに読み取るべきではないでしょう。私にはその定義からは「相互に重なりの存在するものは分類ではない」というようなことは読み取れません。例えば「境界をくっきりつける」がカテゴリ(WPのではなく、一般的な意味での)の定義をはっきり確定させることだと考えれば、「境界をくっきりつけること」と「その境界を横切ったり跨いだりするものがあること」は別の事象であって、後者が存在するからと言ってかならずしも「境界がくっきりつけられていない」ということにはなりません。「くっきり」なんてのも曖昧な言葉なのであって、もともとファジーに使われている日常言語を、専門用語みたいに意味を確定しようとしても不自然なことになるだけです。第一私が定義をどうこう言ったのは「分類」ではなくて「分割」なのですが。
「カテゴリの定義」で言われている「分類」指向と「キーワード」指向の違いは、英語版の「Set categories」と「Topic categories」の違いに対応します。前者は「種類」を集めたカテゴリ、後者は「関連語」をあつめたカテゴリです。Jmsさんは「分類」という日本語に引きずられてしまい「相互に重なりなく」とか、そのカテゴリを補完するような同じ指標の別カテゴリが想定できるか、みたいな風に考えてしまっているのでしょう。わかりにくければ前者は「同種のものを集めている」という意味で「同種カテゴリ」とでも言い換えればよいかもしれません。もっとも「同種」と言おうが種類によって「分類」していることに変わりはないので、「分類」という語を当てているのが間違いであるとは思いませんが。
例えば、Category:小説は「小説」の記事そのものではなく、小説のジャンルだとかウェブサイトだとか雑多な種類の記事が含まれているため「キーワード指向のカテゴリ」になります。しかしCategory:短編小説であれば、主に「短編小説そのもの」の記事が入るため「分類指向のカテゴリ(同種カテゴリ)」になります。「小説」が「戯曲」や「」などとならべて「文学のジャンル」の一つと見なせるからと言って(つまり「文学」を各ジャンルに「分類」しているからといって)「分類指向である」ということにはならないのです。そう考えないと、同じカテゴリが上位カテゴリや周辺カテゴリとの関係によって「分類指向」であったりなかったりするというおかしなことになります。上のように考えれば「小倉百人一首の歌人」が「分類」であるとも言えるがそうでないとも言える、というような曖昧な話にはなりません。「小倉百人一首の歌人」も「アカデミー賞受賞作」も明白に「分類指向のカテゴリ」です。
なげえのでいったん切りますが、とりあえずここまではよいですか。--頭痛 2010年8月9日 (月) 09:18 (UTC)
残念ながらよくありません。「わかつ。はなす。区分する」というのは、「はなす」という位なので分けたなにものかの間に隙間があることさえ想定されており、「わかつ」からも「区分」からも重なりは想定されていないと思います。「分割」も辞書 (広辞苑) を調べてみました。「区分して管轄すること」とありました。「区分」は「区別して分けること。また、その分けたそれぞれの仕切り。区分け。」とあり、「区別」は「違いによって分けること。また、その違い。」、「仕切り」は「しきること。また、そのもの。」、「しきる」は「区画する。かぎる。」とありました。分割にしろ分類にしろ、まあそういった、あまり積極的には重なっていない様子に対応していると思います。で、これは区分、すなわちカテゴリがどうなっているかという話であって、カテゴリに属する記事の事ではありません。「小倉百人一首の歌人」が「分類」である、という立場をとると、いやとるからこそ、対立概念のカテゴリとしての意味づけを導入しないと diffuse と non-diffuse の違いが理解しにくい、ということを述べています。まずは提案なさっている改訂案が何を意味するのか、それを明確にするところから始めませんか。頭痛さんには明確なのでしょうが、わたくしには明確とは思えません。そういう人にも理解しやすい文案を工夫すべきだと思います。diffuse というのが、あるカテゴリに対する複数のサブカテゴリであって、そのサブカテゴリの和集合が、上位カテゴリの比較的広い部分 (場合によっては、全体) を含むこと、non-diffuse というのが、あるカテゴリの、基本的に一つのサブカテゴリであって、そのサブカテゴリは上位カテゴリの狭い部分しか含まず、かつ、その補集合それ自身またはその分割があまり意味のあるカテゴリにならない (アカデミー賞を受賞しなかった映画、の様な) もの、と考えていますが、その解釈でよろしいですか。なお、同じカテゴリが上位カテゴリや周辺カテゴリとの関係によって「分類指向」であったりなかったりする、というのはまさしくその通りでおかしくはありません。「何らかの賞を受賞した映画」に対して、「アカデミー賞受賞作」は分類指向のカテゴリですが、映画一般に対してはそうではありません。「小倉百人一首の歌人」も、「歌集の歌人」に対しては分類カテゴリでしょう。分類になっているかどうかというのは、何の分類かという指定抜きには成り立ちません。--Jms 2010年8月9日 (月) 10:59 (UTC)
今はまだdiffuse/non-diffuseの話はしていません。混乱しないように分けて話をしているのに自分でいっしょくたにして議論をはじめないでください。今は「分類」が明確に「相互に重なりを許さない」を意味するという考えは辞書的な定義の恣意的な解釈であって同意はできない(「あまり積極的には重なっていない様子」くらいなら同意できる)、また「カテゴリの定義」で言われている「分類指向」の意味は、英語版の「Set categories」と対照させれば意味は明白であって(英語版には「分類(Sort)」などの言葉は使われていない)、あなたの考えているような「分類」だとすると意味がわからなくなるという話です。「分類」でわからなくなっているのなら「分類」じゃなくて「同種」とでも脳内変換して考えたらいかが、と言っているのですが。「分類」という語が使われているからと言って「分類」という日本語にひきずられて考えるべきではないと言っているそばからそのような議論の立てかたをしないでください。--頭痛 2010年8月9日 (月) 11:17 (UTC)
それは失敬、わたくしとしては diffuse/non-diffuse というのが何を意図しているか、というのを確認した上で、それに適当な日本語をあてる事を考えていました。さて、まず、英語版ウィキペディアありきで検討するのでしょうか。英語版の Topic categories / Set categories は名付けの問題としてのみ書かれている様に思えますし、そうだとすれば無批判に日本語版ウィキペディアでの相当文書と対応させられるとも限らないと思うのですが。「分類」という語が使われているからと言って「分類」という日本語にひきずられて考えるべきではない、というのは、日本語版ウィキペディアでは適切な主張ではないと思います。--Jms 2010年8月9日 (月) 11:38 (UTC)
Topic categories に「Category:France contains articles relating to the topic France」、Set categoriesに「Category:Cities in France contains articles whose subjects are cities in France」とあるように、名づけだけではなく内容まで踏み込んで書かれています。この例から私が上で説明した両者の違いを導き出すのは無茶ですかね? 私にはごく自然な解釈だと思われるのですけれど。なお、日本語だと複数形が使えないためカテゴリの名称からは両者は区別できませんので、必然的に「どのように使われているか」から区別するしかないことになります。--頭痛 2010年8月9日 (月) 11:44 (UTC)
カテゴリに含まれる対象記事が、どれもカテゴリ名の表す一般概念の一例である場合が「Set category」、そうでない場合が「Topic category」というのはわかりますが (名付けの外ではありますね、失礼)、それば「分類」とは関係ないでしょう。その意味で、「Set category」が必ずしも分類を意味しない、というのはわかりますが、そのことは、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義で「分類」という語を用いるのがそもそも問題、ということではないでしょうか、日本語版の文書を英語版の文書に一致させなければならないとしての話ですが。--Jms 2010年8月9日 (月) 12:01 (UTC)
えーと、そもそもあなたが上で説明しているような考え方を採用してしまったら「キーワード指向のカテゴリ」も「上位カテゴリから「そのキーワードに関連するもの」と「そうでないもの」を分けている」という意味で「分類カテゴリ」になってしまうのではないですか。それなら機能の説明として「分類」「キーワード」を分けている意味がまったくなくなってしまう(しかもその場合「キーワード指向」かつ「分類」が成り立つから、「「分類」より「キーワード」を指向しているカテゴリも・・・」という方針文面とますます矛盾する)。「カテゴリの構造」の説明には「「xxはYYのひとつである」と言うことができれば、「分類」を示すと言えます。項目xxはカテゴリYYに属するべきです」という説明しかないのだし、説明されている以上のことを「分類」という日本語に基づいて想像したりすべきではないんです。「「xxはYYのひとつである」と言うことができれば、「分類」を示すと言えます」は上位カテゴリとの関係によって成り立ったり成り立たなかったりするなどとは書かれていません。「分類」という日本語が使われているのが問題だというならそうかもしれませんが、そんなことを問題視するのはWPJP中を探してもJmsさんくらいじゃないのかという気がしますが。フツーは「「xxはYYのひとつである」が成り立つのを「分類」と言っているのだな」と単純に理解するでしょう。--頭痛 2010年8月9日 (月) 12:17 (UTC)
分類 (これを「同種」と言っても同じことです、同種とみなす同値関係が作る類を扱うことになるので) という意味では、仰る通り「キーワード指向のカテゴリ」もその上位カテゴリに対して類になっているのですから、分類です。これは上位カテゴリとの関係において生ずる関係であって、「カテゴリの定義」が述べているセマンティクスとしての「分類」とは異なるでしょう。「カテゴリの定義」の鈎括弧はそういう区別だと思います。--Jms 2010年8月9日 (月) 15:32 (UTC)
なら四つ前であなたが述べている意見(「同じカテゴリが上位カテゴリや周辺カテゴリとの関係によって「分類指向」であったりなかったりする、というのはまさしくその通りでおかしくはありません」とか)は明らかにおかしいし、「カテゴリの定義」で述べられているかぎ括弧付き「分類」のカテゴリを英語版のSet categoriesだと見なすことは何ら問題ないでしょ。--頭痛 2010年8月9日 (月) 15:49 (UTC)
英語版の Set categories と鈎括弧つき「分類」を同じと看做す、という前提を採用するのはアリだと思います (これまでの議論の鈎括弧の有無は要整理)。明らかにおかしい、というのは、どこがどう明らかなのか、わたくしには明らかではありませんが…「キーワード指向のカテゴリ」自体はそれがサブカテゴリであれば上位カテゴリに対して類である、というのと、上位または周辺カテゴリとの関係で「分類指向」であったりなかったりする、というのが整合しない、という意味でしょうか。このあたりは diffuse/non-diffuse とも関わるでしょうから、次のステップなのかと思っていますが…。--Jms 2010年8月9日 (月) 16:10 (UTC)
「カテゴリの定義」における「分類」が上位カテゴリとの関係において生ずる「分類」のことでないなら、その前の段階で私が「「カテゴリの定義」で言われている「分類」指向と「キーワード」指向の違いは・・・」と言っているのに対して「同じカテゴリが上位カテゴリや周辺カテゴリとの関係によって「分類指向」であったりなかったりする、というのはまさしくその通りでおかしくはありません」などというのはおかしいだろうと言ってるんです。ではあなたの言う「セマンティクスとしての「分類」の意味」は、「上位カテゴリとの関係において生ずる関係」でないのならいったいどうのように規定されるのですか。これまで説明した私の「「カテゴリの構造」「カテゴリの定義」節における「分類」の意味」とはどう違うのですか。今はdiffuseの話はまったく関係ありません。--頭痛 2010年8月9日 (月) 16:19 (UTC) --頭痛 2010年8月9日 (月) 16:47 (UTC)修正
鈎括弧つきの「分類」の意味は、記事○○について、「○○は××である」という言明が真となる様なカテゴリ××、という意味だと理解しています。記事とカテゴリの関係なので、ここには上位カテゴリとの関係は登場しません。「分類」と一般的な意味での分類を区別するならば、「分類指向」という表現について十分区別を意識して使っていませんでした。「同じカテゴリが…おかしくはありません」の分類指向には鈎括弧をつけるべきではありませんでした。鈎括弧なしの分類指向に訂正させてください。「カテゴリの構造」節における「分類」の意味、というのは具体的にどの部分でしょうか、「カテゴリの定義」を「カテゴリの構造」と誤記したのだろうと思われる言及は20100809T1217Zにありましたが…。--Jms 2010年8月9日 (月) 16:38 (UTC)
そこは「カテゴリの定義」の誤記です。--頭痛 2010年8月9日 (月) 16:47 (UTC)
了解。同じです。鈎括弧の有無を意識して使い分けていませんでしたが、使い分けることにするならば、鈎括弧つきの「分類」の意味は「カテゴリの定義」の「分類」と同じであり、「Set categories」とも同義でしょう。これで鈎括弧つきの「分類」は片付いたと思います。次はどの語でしょうか。--Jms 2010年8月9日 (月) 16:59 (UTC)
いったんここで切ります。--頭痛 2010年8月9日 (月) 17:04 (UTC)
(続き)で、上の点を確認しておいたのは、「diffuseとnon-diffuseの違いは何か」(何がdiffuseで何がdiffuseでないか)を考えようとすると、このSet categories/Topic categories(もう誤解がないようにこっちを使うことにしますが)との関係に言及せざるを得ないと思われるからです。前の節でも少し触れましたが、英語原文を見れば分かるとおりdiffuseの例もnon-diffuseの例もすべてSet categoryのサブカテゴリとしてSet categoryを作る場合です。Topic categoryからSet categoryをサブカテゴリとして作る場合やTopicからTopicを作る場合(性質上SetからTopicが派生することはまずないと思いますが)にはdiffuse/non-diffuseの区別はどうなるのか、少なくとも原文の例からはよくわかりません。例えばCategory:文学(Topic)の中にあるCategory:文学のジャンル(Set)やCategory:文学研究(Topic)は、Category:文学に対してdiffuseなのかnon-diffuseなのか、あるいはCategory:人間なんてのを見た場合に、このサブカテゴリのうちどれがdiffuseでどれがdiffuseでないのか、今のままでは必ずしもよくわからないわけです。とりあえずここまでよろしいですか。--頭痛 2010年8月11日 (水) 14:01 (UTC)
Set categories か Topic categories かというのは、含まれる記事とカテゴリ名の関係、あるいは、そのカテゴリに含まれる記事間の関係で決まるものだと理解しています。たとえばen:Category:Albumsにはen:Album coveren:Bonus tracken:Record sleeveなどが含まれていますし、サブカテゴリのen:Category:Album coversあたりは別扱いにするにしてもen:Category:Drama audio recordingsに含まれているen:Weiß Kreuzはアルバムとはいえなさそうな記事です。en:Category:Cast recordingsに含まれるen:Cast recordingというのもアルバムに限った記事とも思えません。en:Category:Rivers_of_Europeに含まれるen:Category:Leithaen:Category:Prutは河川以外に関する記事を含んでいます。これらからすると、例示されているカテゴリとそのサブカテゴリが Set category だといえるのかどうか、よくわかりませんでした。ですので、例示は全て Set category であって Topic category ではない、という点については留保させてください。もちろんそれでは話が進まないので、例示は全て Set category である、とひとまず仮定して議論を展開して頂いて結構です。--Jms 2010年8月11日 (水) 16:31 (UTC)
Set categoriesの例として挙げられているen:Category:Cities in Franceでも「都市そのもの」ではないen:Category:Sport in France by city(都市別のスポーツ)が入っています。日本語版でも「キーワードを指向する」というような言い方がされていることからもわかるように、「分類指向のカテゴリ」と「キーワード指向のカテゴリ」は互いの機能を排除しあうものではありません。英語版のen:Category:Albumsの場合、直下に入っているものに確かに「アルバムそのもの」ではないものが含まれますが、サブカテゴリを見れば9割以上「アルバムそのものの記事」を扱っていることが分かると思います。なおen:Category:Drama audio recordings(ドラマCD)にen:Weiß Kreuzが入っているのは”Weiß Kreuz”のドラマCDが制作されているからで、仮にCDの単独項目が立てばそちらがこのカテゴリに入りen:Weiß Kreuz自体は外れることになりますから、やはり「ドラマCDそのものの記事」として扱われていると思います。en:Cast recordingはアルバムに限った記事ではないのかもしれませんが、内容を見る限りen:Category:Cast recordingsは事実上ほぼ「アルバムの記事」を扱うカテゴリになっているでしょう。
それで「Set categoriesしか例に挙げられていない」として何が言いたいのかというと、上でJmsさんが言っているような「対立概念を想定しない」ものをnon-diffuseと考えた時、Set categoryのなかにSet categoriesを作る場合にはそれでいいかもしれないが、Topic categoryのなかにTopicあるいはSet categoriesを作る場合にはうまくいかないのではないかということです。なぜかというと、Set categorieは基本的に主題の種類が同じである記事(「ニューヨークの橋」なら原則「橋そのものの記事」が入る)が主に扱われるので、サブカテゴリではその一種類のものをどう分けるかという問題しか生じません。しかしTopicの場合「〇〇に関連する記事」ということで記事主題の種類自体は人であったり物であったり概念であったりとバラバラであって、そういうものをさらに分けようとしたときに特定の指標で上位カテゴリの「覆い尽くし」ができるほうが稀だと思われるのです。例えばCategory:人間に入っている「人格」「人名」「人物」「人間関係」「人の一生」「身分」「民族」などのカテゴリは、「対立概念が有効に使えそうにない」ということであればすべてnon-diffuseになってしまいます。Category:社会とかCategory:哲学などに入っているものも同じことが言えるでしょう。まあ別にこれらはすべてnon-diffuseなのだ、ということにすればそう言う事もできるでしょうが、そうしてしまうとむしろサブカテゴリが「diffuse」であることのほうがカテゴリ全体としてみると稀ということになりかねません。しかし英語原文の「Not all subcategories serve the "diffusion" function」とか「It is useful to identify non-diffusing subcategories with a note on the category page」とかの表現を見ても、あるいはカテゴリの肥大化に注意を促すテンプレートにCategory diffuseという名が使われているのを見ても、「non-diffuse」は「diffuse」の場合に対して例外的なもの考えたほうが自然ではないかと思われるのです。以上の点はいかがですか。--頭痛 2010年8月12日 (木) 04:19 (UTC)
対立概念を想定しない、というのをなぜ言い出したかというと、diffuse というのはあるカテゴリのサブカテゴリ集合のカバレッジのこと、non-diffuse というのは基本的にある一つのサブカテゴリのカバレッジが狭いこと、だけでは不十分だろう、という事から言い出しました。アカデミー賞受賞作、小倉百人一首の歌人、哺乳類天然記念物、といった例と、またnon-diffuse なものが特殊な指標に基づいて抽出された (の、特殊の意味で困ったりしているのですが) ものだという点からすると、おそらく diffuse なものに対してカバレッジが限られているという相違点はあるだろうが、カバレッジだけでは diffuse なサブカテゴリ集合の一つでカバレッジの狭いものと non-diffuse なものとを区別できないので、その区別として使えるのではないかという発想からです。diffuse なカテゴリ集合のうちカバレッジの狭いものと non-diffuse なものを区別できるなら、あるいは、特殊な指標に基づいて、というのが何を言わんとしているのか明確になるなら、対立概念を想定しないなどと言い出さずとも済むとは思います。Topical なカテゴリの場合に対立概念というのが適用しづらいといのはわかりますが、覆い尽くしが稀だろうというのは、さてどうでしょう、覆い尽くしとして想定しているのは、あるカテゴリに属している記事が、そのカテゴリのサブカテゴリのどれか少なくとも一つに概ね属する、という状況であって概念として覆い尽くしていると述べているのではないので、稀だとすればそれは diffuse なサブカテゴリが稀だということになるのではないかと思います。non-diffuse が diffuse に対して例外だ、というのはその通りでしょうが、diffuse というのが結局何を意味しているのかというところで意見の相違がある様ですので、いかがですかととわれても答えようがありません。diffuse というのをわたくしの想定している様な意味で捉えれば、topical なカテゴリにも適用可能だと思います。英語版は diffuse そのものについてその程度の事しか述べていない (だからメタカテゴリが別の節になっている) のではないかと思います。その意味では diffuse に対して分類ないし分類指向と述べるのは適切でないというのはわかります。--Jms 2010年8月12日 (木) 05:01 (UTC)
ええ、ですからdiffuseなサブカテゴリが稀だということになってしまうがそう解釈してしまうと原文の文面と合わないのではないかということです。「カバレッジが狭い」ということをdiffuse/non-diffuseの指標にすると、もちろんTopicに適用するのは可能だが「diffuseなサブカテゴリ」がカテゴリ全体に対して限られすぎないか、ということです。以上の認識は共有できますか。というのは、まだ前提を確認している段階なのですが。ここまで問題なければまた明日以降に続きを書きます。--頭痛 2010年8月12日 (木) 06:17 (UTC)
共有できているのかどうか、よくわかりませんが、共有できていない気がします。diffuse というのは、サブカテゴリの集合が、その含む記事という意味で上位カテゴリに広がっていて、non-diffuse というのはそうではない、いわば concentrated な場合だと考えるのが、英語版で diffuse/non-diffuse という言葉を使っている意図を理解するのに適切だと考えています。そう考えると、少なくとも diffuse (を構成するカテゴリに含まれる記事を全て含む和集合)に対して non-diffuse (なカテゴリに含まれる記事の集合) の方が (同じ上位カテゴリの diffuse なカテゴリ集合と、non-diffuse なあるカテゴリを想定したとして) カバレッジが狭いということは出てくると思うのですが。この点においても認識が異なりましょうか。もちろん、カバレッジが狭いものは何でも non-diffuse という意味ではありません。--Jms 2010年8月12日 (木) 06:39 (UTC)
いやだからそれはわかってます。そしてそのように考えるとWP内のカテゴリ全体の中では(特定の上位カテゴリを)diffuseするカテゴリというのはかなり限定的なケースにならないか、と言っているのです。diffuseの認識が違っているというのはわかっているので、今はJmsさんの認識しているdiffuseに限った話をしています。例えばJmsさんの考え方だとCategory:人間の直下に入っているサブカテゴリはおそらくすべてnon-diffuseということになるのではないですか?--頭痛 2010年8月12日 (木) 08:40 (UTC)
Category:人間の直下に入っているサブカテゴリが diffuse を構成するか non-diffuse かととわれれば、殆んどが diffuse を構成するのではないかと想像します。なぜ「そのように考えるとWP内のカテゴリ全体の中では(特定の上位カテゴリを)diffuseするカテゴリというのはかなり限定的なケースにならないか」となるのかがわかりません。対立概念のことを想定してのことなら、アカデミー賞受賞作、小倉百人一首の歌人、哺乳類天然記念物という例から non-diffuse なる概念を把握する一つのやりかたとして述べてみたのであって、diffuse/non-diffuse というのはなにをもって区別するのか、わたくしにはよくわかりません (だから困っているし、だからこそ対立概念と言ってみたりしている)。diffuse というのは複数のサブカテゴリについて成立する概念、一方 non-diffuse というのは基本的に一つのカテゴリの話なので、diffuse と non-diffuse という対比が理解しにくいのです (一つのサブカテゴリがそれ単独で上位カテゴリに対して diffuse となることはあり得ない)。頭痛さんの non-diffuse の概念とは一体どういうものでしょうか、特殊な指標に基づいて抽出されたもの、というのはどのサブカテゴリについても成立するので non-diffuse の指標にはなりませんし、親カテゴリの「分割」としての機能がない、というのはその non-diffuse なサブカテゴリと組み合わせて diffuse なサブカテゴリの組を構成できない様なもの、という意味なので、結局「対立概念に意味がない」「みたい」なもの (対立概念というのが適切かどうかは別として、diffuse を構成しえないもの) になるのではないかと思うのですが…。--Jms 2010年8月12日 (木) 09:16 (UTC)
あー、つまり、複数のサブカテゴリ群が上位カテゴリに入りうる記事を分担している状態がとりあえず「diffuseな状態」なのだが、一方でサブカテゴリの中には「non-diffuse」と言われる特定のカテゴリがあり、それは「diffuseなカテゴリ」とは組を作らない(しかし両者がどのように区別されるのかはよくわからない)というようなことでしょうか? しかしそれであればCategory:人間の直下のサブカテゴリである「人格」「人名」「人物」「人間関係」「人の一生」「身分」「民族」などがdiffuseなカテゴリであるというのは理解できないのですが。その考え方であれば「人格」とか「身分」とかはCategory:人間内のいずれかのサブカテゴリと組を作らなければならないと思うのですが、これらのうちのどれとどれがどのように組を作るのですか? diffuse/non-diffuseに関する私の考えは後回しにしてください。一遍にやると混乱するので。--頭痛 2010年8月12日 (木) 13:11 (UTC)
「というようなことでしょうか」までについては、はい、そういう様なことです。Category:人間のサブカテゴリについては次の様に考えました。あるサブカテゴリ群に上位カテゴリの記事がそこそこ (がどれくらいかというのは置くとして) 含まれているならば、その組は diffuse であると判断できます。言い方を変えれば、サブカテゴリ群に含まれる記事に比べて上位カテゴリに直属する記事がずっと少なければ、そのカテゴリ群は diffuse だと言えるでしょう。その意味で、Category:人間のサブカテゴリは diffuse だろうと考えました。diffuse なサブカテゴリ群のうちある一つをとりあげて、そのサブカテゴリと diffuse な組を作るのはどれとどれか、という問いはナンセンスです、diffuse はそういう風には (少なくとも英語版では) 記述されていないので。同様に、ある一つのサブカテゴリが non-diffuse であるかどうか、という判断も難しいことだと考えています、だから苦し紛れに対立概念などと言い出しました。diffuse/non-diffuse というのは概念としてうまくいかないのではないかと思っています。サブカテゴリ群に記事の重複を許さない、つまり上位カテゴリに対して分割/分類 (鈎括弧なし) になっていることを求めるなら、分割なり分類なりを構成するサブカテゴリ群と、それにあてはまらないサブカテゴリというのは区別できる場合があると思います。こうした典型的な場合についてのスケッチを例示だけに依拠することなく示した上で条件を緩和するならそれなりのことは表現できるでしょうが、そこを端折って diffuse という言葉に頼るときちんと考えようとした時に訳がわからなくなると思っています。 --Jms 2010年8月12日 (木) 14:26 (UTC) わかりにくいので一部追記 --Jms 2010年8月12日 (木) 21:55 (UTC)
「diffuse なサブカテゴリの組を構成できない」と言われていたので「国別の〇〇」(日本の〇〇、アメリカの〇〇、イギリスの〇〇・・・)のように同種の指標で纏められるようなサブカテゴリ群のことを言っているのかと思ったのですが、そうではなくて単にdiffuseのサブカテゴリ群とは組を作らないということですね。大体分かったと思います。
diffuseが「複数のサブカテゴリ群が上位カテゴリに入りうる記事を分担している状態」であるというのは原文中のdiffuseの使われ方からしてその通りでしょう。その点でdiffuseというのは日本語版で親カテゴリから複数のサブカテゴリを作成する時につかう「分割」という表現とやはり対応すると思います(原文のdiffuseにも翻訳の「分割」にも引用符が使われていることに注意してください。限定的な意味で使っているということでは「カテゴリの定義」の「分類」と同じです)。またその意味では「diffuse すなわちサブカテゴリを作ること、でしかない」というのは一面その通りでしょう。要は肥大化したカテゴリから(複数の)サブカテゴリを作るのを一般にdiffuse(「分割」)と言っているわけです。
それでnon-diffuseについては、原文では例示を除けばその性質について「simply subsets which have some special characteristic of interest」としか書かれていません。diffuseについてはとりたてて説明はありませんから、原文で「diffuseとnon-diffuseの違い」を言い表しているのはこれだけです。ここで「special characteristic of interest」と言っているのはその特定のカテゴリの負っている概念なり主題なりが特殊であるといっているのであって、そのカテゴリの部分集合としての特徴が特殊だといっているのではありません。したがってカバレッジの広さとか対立概念(補集合)のようなものを持ち出して集合としての特質から両者を区別しようと考えるべきではないんです。
仮に純粋にSet categoryとして機能しているカテゴリ同士の関係を考えた場合、前述したようにこれは一種類のものをどう分けるかという問題しかありませんから、たとえば「国別」とか「年代別」のようにある程度MECE的に使われることが想定されるものをdiffuse、「賞別」のようにカバー範囲が必ずしも記事全体に及ぶものではないものをnon-diffuseとして形式化することもできるでしょうが、しかし現実にはTopic categoriesが混じってきますから、これだとカテゴリ全体に対してうまく考えられないことになります。だからTopic categoriesを視野に入れた場合、diffuseとnon-diffuseの違いは結局「指標が(他に比して)特殊である」という以上のことは言えなくなります。「特殊な指標に基づいて抽出されたもの、というのはどのサブカテゴリについても成立する」というのは形式論理的に考えればそうだというだけであって、実際にはある分野内である概念なり分類指標なりに対して別のものがより一般的であったり特殊であったりするということは生じえます。この場合の「一般的」とか「特殊」というのは上位カテゴリの主題や使用状況、他のサブカテゴリとの関係なども関わってくるでしょうから、「こういうものが特殊」という風に予めいうことはほとんどできません。それはどちらかと言えばcommon senseに関わる判断領域であって、だから前節で「実際にどれがそうかは議論して決める」というようなことを繰り返して言いました。形式的に判断できる領域でないので個別に判断するしかないのです。
要するにnon-diffusing categoriesというのは、同じようにdiffuseされたサブカテゴリの中で、分類指標や主題がほかと比べて特殊と見なされたものを(事後的に)「non-diffusing category」と名づけて区別する、といったことに過ぎないと思います。つまりdiffuseとnon-diffuseは対照的なものではぜんぜんないので、訳文で「このように親カテゴリの分割として機能しているサブカテゴリを・・・・」というような文章を入れて「分割でないもの」と対照させてしまっているのは誤解を招く表現だったかもしれません。
「diffuseでない」と言われるのは、そのカテゴリを除くほかのサブカテゴリ群が一様に「一般的」(と見なされた)な指標で親カテゴリの機能を分担していることに対して、そのカテゴリが同じようには元のカテゴリの機能を分担していない、と見なされるということでしょう。概念としてちゃんとしたものではない、と言えばまあそうかもしれませんが、「一般的な指標で分けられたカテゴリとそうでないものを区別する」という意識はカテゴリの作成や議論のうえで役に立ちうるものだと思います。
ただそう考えたうえで調べてみると、Topic categoryのなかにあるもので「non-diffusing」と見なしうるケースというのはほとんどないのではないかという気がします。Topic categoryというのはある主題に関わるものを雑多に集めている状態ですので、そこからSet categoryを作ればそれは種という点で一般性があることが予想できますし、またより具体的なTopicに分けた場合、Topic同士での一般性の優劣(というより、大多数のTopicに対して特殊なTopic)というのが考え難いのかもしれません(ただ絶対にないと断言する自信はありませんが)。そうなのであれば、例えば「分割しないカテゴリ」の節に「特に「分類」として機能しているカテゴリの場合・・・」という風に断り書きを入れて、上に書いたように「diffuse」と「non-diffuse」を形式的に判断できるようにするという方法はあるかもしれません。訳語はやはり上記の理由で「分割」でいいと思いますが。--頭痛 2010年8月13日 (金) 10:56 (UTC)
わたくしの述べていることを概ね御理解頂けた様でほっとしています。さて、特殊、というの表現は漠然としすぎていると考えています。というのは、任意のサブカテゴリが上位カテゴリに対して特殊である以上、特殊というだけでは何かを伝える役に立っているとは思えないからです。特殊というのが、ある diffuse を構成するサブカテゴリ群の、そのサブカテゴリを互いに区別している性質 (たとえば、映画監督の、出身国や性別といった性質) とは異なった何か (たとえば、アカデミー賞受賞経験)、という意味だろうと考えて、その意味で対立概念云々と述べたのですが…。結局のところ、non-diffuse というのは、diffuse を構成するカウンターパートとなるカテゴリないしカテゴリ群がまず作られそうにない、という場合なのではありませんか。また、non-diffuse が意図しているであろう特殊な性質を有するならば当然の結果としてカバレッジは狭いだろうと思います。さて、diffuse というのはあまり適当な表現ではなく、分割や分類と表現することになるでしょうが、分割にせよ分類にせよ、一般的な意味においては重なりがないことを含意していると思います。その点はいかがでしょう、「相互に重なりなく」は問題との事でしたが。なお、ここでいう重なりがないとは、個人について、性別や出身国が、えー、基本的には一意に決まるということであって、性別という分類と出身国という分類を重畳適用することを排除する意味ではありません。重なりがないという点を弱めるなら、分類・分割指向である/ない、分類・分割を意図した/していない、といった表現もあります。--Jms 2010年8月13日 (金) 11:53 (UTC)
「特殊というのが、ある diffuse を構成するサブカテゴリ群の・・・・」以下の表現がよくわからないようです。non-diffuseの特徴としての「特殊」に関することで先にnon-diffuseに対するものとしての「diffuseを構成するサブカテゴリ群」を想定してしまってはトートロジーみたいなことになりませんか。また「diffuseを構成するカウンターパートとなるカテゴリ」という表現がよくわからないのですが、とりあえずこの点をもう少し説明していただけますか。--頭痛 2010年8月13日 (金) 12:18 (UTC)
「特殊というのが、ある diffuse を構成するサブカテゴリ群の…」以下の、よくわからない部分はどこでしょうか。書き直そうとしてはみたのですが、結局同じ様な説明になってしまったのでやめました。non-diffuse は diffuse を想定しないと出てきませんから、diffuse を構成するサブカテゴリ群を想定した上で、それとの対比においてのみ non-diffuse は把握可能だと思います。その意味で、diffuse を構成するサブカテゴリ群を先に想定する必要があります。トートロジーになるかどうかは詳細に検討していませんが、そもそもトートロジー的ではないかと思います、diffuse と non-diffuse ですので。「diffuseを構成するカウンターパートとなるカテゴリ」とは、たとえば映画監督のサブカテゴリで言えば、男性監督カテゴリに対する女性監督カテゴリ、ルーマニアの映画監督カテゴリに対するそれ以外の個々の国の映画監督カテゴリ、といったことです。女性監督やルーマニア以外の個々の国の映画監督が、それぞれ男性監督やルーマニアの映画監督の (映画監督についての diffuse を構成する上での) カウンターパートです。--Jms 2010年8月13日 (金) 14:14 (UTC)
以前のJmsさんの発言[1]を忘れていました。「上位カテゴリの記事がそこそこ入っている」サブカテゴリがdiffuseということでしたね。その前提が抜けていたので上の文章がよくわからないものに見えました。
綜合すると、
  • 上位カテゴリの記事がそこそこ入っているものがdiffuse
  • そこそこ入っているものと同一の指標(国とか)で組がつくれるもの、ないしその指標で分類されたカテゴリ群全体でそこそこ記事が入っているものもdiffuse
  • 記事があまり入っていない、かつdiffuseなものと組をつくることもできないのがnon-diffuse
ということでしょうか?--頭痛 2010年8月13日 (金) 14:48 (UTC)
微妙に違うかもしれません。
  • diffuse: サブカテゴリの組と上位カテゴリの関係についての概念であって、単一のサブカテゴリについては成立しない。diffuse なサブカテゴリの組のいずれにも属さない、上位カテゴリ直属の記事は比較的少数。同じサブカテゴリの組でも、上位カテゴリによって diffuse になる場合とならない場合があり得る。サブカテゴリの組のとりかたとしては、同一の指標によるものを組とする場合がよくみられる。同じ上位カテゴリについて、指標の異なる diffuse の組が複数作れる。
  • non-diffuse: 基本的に単一のサブカテゴリと上位カテゴリの関係についての概念。他のサブカテゴリと組合せて上位カテゴリの diffuse (というよりは分割/分類) を作ることがない。上位カテゴリのとりかたによっては他のサブカテゴリと組合せて diffuse を作ることがあり得るが、その場合その上位カテゴリとの関係は non-diffuse ではない。diffuse に比べその覆う範囲は限られている。
といったところです。--Jms 2010年8月13日 (金) 15:22 (UTC) カバレッジ追記 --Jms 2010年8月13日 (金) 20:46 (UTC)
「サブカテゴリの組」と言っているものがよくわかりません。diffuseに関して、同一の指標によるものを組とする場合がよく見られるが、そうでない「組」もあるわけですよね? そのそうでない場合の「組」とはどういうものなのでしょうか。それがわからないとnon-diffuseが他のカテゴリと組合わされない(組を作らない)というのも分かりません。--頭痛 2010年8月13日 (金) 15:51 (UTC)
「サブカテゴリの組」というのは、サブカテゴリの組合せです。それ以上の意味はありません。サブカテゴリから拾い出したあるカテゴリで組を作ります。同一指標によるものもよらないものもあり得ます。英語版に従えば diffuse に求められるのはあるサブカテゴリ集合のカバーする範囲が上位カテゴリに広がっている/を概ね覆っていることだけなので、概ね覆ってさえいればどんなサブカテゴリの組合せでもアリです。重複があっても取りこぼしがあっても構いません。non-diffuse について「diffuse (というよりは分割/分類)」と書いたのはこのためです。diffuse を構成するだけならなんでもアリなので、non-diffuse に意味を持たせるには diffuse を分割/分類的なもの (相互の重なりが (すく) ないもの) に限定する必要があります。その意味で、なぜ英語版は diffuse (divide) などという書き方をしているのかが未だにわかりません。--Jms 2010年8月13日 (金) 16:18 (UTC)
理解しました。あなたは説明がヘタです。
例えばCategory:哺乳類を見た場合、Category:偶蹄目Category:齧歯目Category:象ゾウ目)などのカテゴリは、哺乳類の記事群全体を生物分類によって分けています。Category:哺乳類の生殖Category:哺乳類学などのカテゴリは哺乳類そのものの記事を入れるカテゴリではありませんが、哺乳類そのもの記事とは別に「哺乳類の生殖に関する記事」「哺乳類学に関する記事」を分担することによって、上記の生物分類によるカテゴリと合わせてCategory:哺乳類の概ね全体を分割していると言えます。一方、Category:架空の哺乳類(フィクション作品の哺乳類)、Category:神話伝説の哺乳類Category:化石哺乳類の三つは、この三つとは別に「Category:現存する哺乳類」のようなカテゴリがない限りCategory:哺乳類全体を分割しているとはいえません。「Category:現存する哺乳類」のように、カバーする範囲が広すぎて役に立たなさそうなカテゴリが今後作られる見込みはあまりないでしょうから、この三つのカテゴリは上位カテゴリCategory:哺乳類全体を分割できないという意味で、「(上位カテゴリの)分割として機能しないカテゴリ」と呼びます。Category:哺乳類天然記念物も同様の理由でCategory:哺乳類に対しては「分割として機能しないカテゴリ」です。
このように書けば大体誤解なく伝わるのではないでしょうか。--頭痛 2010年8月14日 (土) 04:38 (UTC)
(追記)よく見たらCategory:架空の哺乳類Category:神話伝説の哺乳類Category:化石哺乳類は生物分類のカテゴリと重なっていないものも多いので分割していると見なすべきだったかもしれません。もう少し整理されたカテゴリで例にとりやすいものがあればいいのですが。--頭痛 2010年8月14日 (土) 09:08 (UTC)
説明が下手で済みません。説明としては上記の様なもので十分だと思います。例示は、より適切なものがあれば必要い応じて検討しましょう。想定している上位カテゴリに対して、分割 (分類の方がよい「かも」知れない、どちらが良いかは文脈依存なので、後で検討) として機能し得るかどうか、分割を意図しているかどうか、という観点で述べるならば diffuse/non-diffuse 由来の「特殊な指標」も不要であり、ずっとわかりやすいと思います。さて、次のステップ。「特殊な指標」が登場せず、diffuse に対する non-diffuse という対応の暗喩に配慮することも不要なら、分割として機能しないサブカテゴリについてカバレッジが狭い必然性はなくなります。そうなると、たとえばCategory:人間のサブカテゴリで、diffuse ではあるが分割として機能していなさそうなものもこちらに含まれることになります。そこまで来ると、例えばCategory:アカデミー賞受賞作Category:映画作品のサブカテゴリとするのが本当に適切なのかどうか、悩ましく思えてきます。というのは、Category:アカデミー賞受賞作Category:アカデミー賞のサブカテゴリとしておいて、Category:映画作品ではサブカテゴリとはせず関連カテゴリとして示しておくというやりかたもあります。「アカデミー賞受賞作は映画作品である」というセンスで鈎括弧つきの「分類」であることは確かなのですが、上位カテゴリとの関係に関する規定の例外として扱うよりは、むしろカテゴリの構成を工夫して見通しを良くする (Set categories のサブカテゴリには基本的に分割を期待し、分割を期待できないものについてはなるべく Topic category のサブカテゴリとして Set categories とは互いに関連カテゴリとして参照する) 方が良いのではないか、と思えてきます。その様な構成にすれば、上位カテゴリとの関係についての例外とする必要はないのではないでしょうか。使いやすさに応じてある分野で例外運用をするのは構いませんが、ある記事を上位カテゴリにも重複して含めたくなる様な場合には、構成の工夫を検討してみることを推奨するほうが一般的なガイドラインとしては望ましいのではないかと思います。せいぜい、「分野によっては例外について合意のある場合があります」程度の言及でよいのではないかと思いますが如何でしょう。--Jms 2010年8月14日 (土) 09:26 (UTC)
また何を言っているのか分からなくなりました。私は英語版のdiffuseと大体同じつもりで「分割」と言っていたので、「diffuse ではあるが分割として機能していなさそうなもの」と言われるとなんのことなのかよくわかりません。両者の違いはなんですか。またCategory:人間のうちで具体的にどれがそれに当たるのですか。--頭痛 2010年8月14日 (土) 09:36 (UTC)
サブカテゴリのある組がある上位カテゴリに対して diffuse であるとは、上位カテゴリに直属していずれのサブカテゴリにも属さない記事が、サブカテゴリの組のいずれかのサブカテゴリに属する記事よりもずっと少ないことであり、一つの記事がそのサブカテゴリの組の複数のサブカテゴリや、サブカテゴリと上位カテゴリに重複して属してよい。サブカテゴリのある組がある上位カテゴリの分割であるとは、一つの記事が、サブカテゴリの組のいずれか、または上位カテゴリの、いずれか一つに重複なく属すること。という違いを想定しています。分割の場合に上位カテゴリ直属の割合が少ないことは必須ではありませんが、基本的には上位直属が少ないことを期待しています。Category:人間のサブカテゴリで具体的にどれがどちらかというのはそれぞれに属する記事を全部調べないとわからないので勘弁してください。--Jms 2010年8月14日 (土) 10:30 (UTC)
ええと、つまり、diffuseはサブカテゴリ間で包含記事が被ってもよい状態だが、いくらでも被ってよいことにするとnon-diffuseが存在し得なくなるので、non-diffuseはそれ単独で包含記事数が少ないものでかつ同一の指標(国別とか)で他のdiffuseを構成するものとセットにならないもの、としていたということでしょうか?--頭痛 2010年8月14日 (土) 10:54 (UTC)
そういうこと、つまり、non-diffuse が存在するためには diffuse に制限がなければならない、分割はその制限を満たす、ということです。だからこそ diffuse (divide) と書かざるを得なかったのだろうとは想像していますが、なぜそこで素直に divide なり partition なりと書かないのか想像がつかないので、英語版の意図を今ひとつ把握しかねています。なお、「non-diffuseはそれ単独で包含記事数が少ない」は、「特殊な指標」という要請と、non-diffuse があまりに大きくなるとそれ自身が diffuse になって語義矛盾になるから大きくてはいけない、という二つの要請から出てきます。--Jms 2010年8月14日 (土) 11:08 (UTC)
私は英語版でもおっしゃるような意味ではdiffuseとは言っていないと思いますが。diffuseもやはり特定の上位カテゴリの内容を(あまり重なりなく)サブカテゴリに振り分ける、くらいのことではないですか。それであればnon-diffuseは「サブカテゴリをどのように組み合わせた場合でも、diffuseを構成する(上位カテゴリの内容をなるべく重なりなくサブカテゴリに振り分ける)ために必須なものとならないサブカテゴリ(群)」くらいに考えればいいのではないでしょうか。non-diffuseを包含記事の多寡の問題にしてしまっては、その分野におけるメジャーなものだが単に執筆がすすんでなくて包含数が少ないだけのカテゴリと区別がつきません。partitionやdivideでないのは、上位カテゴリからあるサブカテゴリを作ったとき、そのサブカテゴリ群でカバーされなかったあまりの部分も、いずれ別のサブカテゴリでほとんどがカバーされる、ということを想定した言い方なのでしょう。たとえば単にサブカテゴリを一個作るだけの行為も「サブカテゴリに入るもの」と「入らないもの」を「分ける」行為ですから、partition, divideという表現ではそれこそ「単にサブカテゴリを作る行為」と区別できません。--頭痛 2010年8月14日 (土) 11:53 (UTC)
diffuse には divide という意味はないので、diffuse と divide を同じ意味で使うのには無理があります。diffuse が英語版に登場したのは今年の 2 月で、en:Template:CatDiffuse あたりの影響ではないかと思いますが、上位カテゴリに属している記事をサブカテゴリに diffuse させてゆくという話であって、その際サブカテゴリはすでに存在しています。分割、すなわち領域を分けることと、わけた領域へ記事を割り振ることすなわち分配とは違います。記事再配分プロセスとしての diffuse なのに、non-diffusing subcategory などと言い出すからおかしくなるのです。これが、上位カテゴリ直属の記事群を指して non-diffuse というのならまだわかりますが。いずれにせよ、diffuse は記事か、サブカテゴリに再分配されてサブサブカテゴリになる既存サブカテゴリについての語であるべきであって、上位カテゴリの分割であるサブカテゴリについての語であるべきではありません。にもかかわらず、non-diffusing subcategory などと言ってしまうから、分割であるサブカテゴリもそれに引っ張られて (non-diffusing に対して diffused なサブカテゴリということになって) カテゴリのコンテンツの話とカテゴリの話の区別が曖昧になり、話がおかしくなるのです。--Jms 2010年8月14日 (土) 12:54 (UTC)
ですから、「中身を振り分ける」話をしたいのに「上位カテゴリをpartitionする」などという言い方をしてしまうとそれ自体では「単に上位カテゴリにサブカテゴリを(一つ)作る行為」と字面から区別がつかないんじゃないか、ということです。上位カテゴリの中身を(なるべく重なりなく)振り分けることがdiffuseとして、もしそのカテゴリがなくても中身全体の「振り分け」が成り立つから、「「(全体の)振り分け」を担わないカテゴリ」という意味で「non-diffusing subcategories」(diffuseしないサブカテゴリ)なのではないですか。
でさっきの話で触れてなかった後半の部分ですが、Set categoryの中で「分割として機能しない」サブカテゴリをはずして関連カテゴリにする、となると。例えばCategory:アカデミー賞受賞作の場合、いまはたまたまこれ一個しか作られていませんが、映画の賞というのは何もアカデミー賞だけではないので、将来的に「パルムドール作品」とか「ヴェネチア金獅子賞受賞作品」とか「ベルリン金熊賞受賞作品」とかいったカテゴリが作られる可能性があり、そうするとそれらをまとめるCategory:賞別の映画作品が作られる可能性があるでしょう。しかし映画作品には何も受賞してないものも多くあるので、これらはいくら増えても「Category:映画作品全体の分割」にはなりません。Category:映画作品にはCategory:各国の映画作品Category:監督別の映画作品は入れるがCategory:賞別の映画作品は入れないで関連項目扱いにする、などというやり方が分かりやすい使い方ですか?--頭痛 2010年8月14日 (土) 13:38 (UTC)

(インデント戻し) カテゴリの構造にかかわる操作としては、あるカテゴリに対してサブカテゴリを作成して、上位カテゴリに属していた記事をサブカテゴリに分配する場合と、既存のカテゴリを束ねる上位カテゴリを作成する場合、あるサブカテゴリをある上位カテゴリから別の上位カテゴリに移す場合、といったことが考えられます。カテゴリの構造についての節ですので、述べるべきは構造であって、テゴリの構成方法に依存した記述はできるだけ避けるべきだと思います。diffuse は基本的に記事 (サブカテゴリの中身) の話なのに、「(全体の)振り分け」を担わないカテゴリ、という解釈をしてまで、diffuse や non-diffuse をサブカテゴリに結びつける必要があるのでしょうか。英語版の表現がどうであろうと、内容としては分割を意図しているカテゴリかそうでないか、で十分だと思います。「相互に重なりなく」では不都合だとの事でしたので diffuse について検討しましたが、「なるべく重なりなくサブカテゴリに振り分ける」のが不都合でないなら、diffuse を擁護する必要もないでしょう (語感としてのぴったり具合との兼ね合いで、分割か分類か、あるいは他の語を検討するかはひとまず置くとして)。「Category:賞別の映画作品」を関連カテゴリにする場合、冒頭のカテゴリ説明に、たとえば、「各賞の受賞作品については Category:賞別の映画作品を参照」などとすることなるでしょうが、ナビゲーション上はサブカテゴリの場合と大差ないと思います。カバレッジや意味合いの違いは明確になってむしろ良い場合もあるでしょう。映画の場合はそうではありませんが、分割が一通りしかない場合には使いやすいと思います。--Jms 2010年8月14日 (土) 14:22 (UTC)

また言っていることが漠然としてきました。あなたがどう考えているかを言うのではなくて、具体的になにをどのようにしたいのかを言ってください。可能であれば例示や文案の提示を行なってください。「構成方法に依存した記述はできるだけ避けるべきだ」というのは改定案に対するコメントなのでしょうか? 節名が問題であれば単に「カテゴリの構成」とでも変えれば済む話ではないのですか。「ナビゲーション上はサブカテゴリの場合と大差ない」というようなことではなくて、Category:映画作品のなかで一方の「監督別の映画作品」や「国別の映画作品」といったものはそのまま入っているのに、名称上は似たようなものである「賞別の映画作品」だけ別扱いするというようなやり方が大多数の利用者や閲覧者にとって親切かと言ってるんです。普通に考えればなぜそんな扱いになっているのか意味が分かりません。「むしろ良い場合もあるでしょう」などと漠然と言われても分かりません。
diffuseについては英語版と離れて話をするのであればもうどうでもいい感じですが、diffuseは「記事の話」ではなくて「記事をどうするかの話」です。上位カテゴリに入っている記事をどうするかはサブカテゴリに依存するのだから、両者が結びつくのは当たり前ではないのですか。--頭痛 2010年8月14日 (土) 14:53 (UTC)
具体的にどうしたいかは文案で示します。そのために、「相互に重なりなく」のどのあたりが不都合なのかをうかがってきたわけですが、その点に関する確認をさせてください。diffuse/non-diffuse を、分割として機能する/しないないし分割を意図している/いない、と表現すると問題がありますか。ここで、分割とは、基本的に相互に重なりのないサブカテゴリを想定しています。構成方法に関するコメントは改訂案が最初に出された時点で述べています。これも文案で示そうと思います。大多数の利用者や閲覧者にとって親切か、という点については、「ナビゲーション上はサブカテゴリの場合と大差ない」、つまり親切さにおいて大きな違いはない、と考えています。diffuseは「記事の話」、というのは「記事をどうするかの話」の意味で書きました。カテゴリの構成にかかわる操作は、上位カテゴリの分割に伴ってそこに属する記事をサブカテゴリに分配する場合だけではないということは既に述べました。--Jms 2010年8月14日 (土) 15:13 (UTC)
具体的にカテゴリを考えた場合に「完全に相互に重なりなく分割される」ことはほとんどありません。何らかの形でTopic categoriesが絡むことがほとんどだからで、Topic categoriesは主題に関連する雑多なものを集めたものですからSetの機能を持つサブカテゴリの内容としばしば重なりが生じます。なので上に挙げた哺乳類の例の文章でも「上位カテゴリ全体を分割する」というのはある程度の重なりを許容していると考えた方がよい(上の文面でそれが分からないのなら分かるように手を加えたほうがよい)と思っています。「分割を意図している」というのは誰が意図しているんでしょうか。カテゴリというのは用途に沿って(自然発生的に)作られたものが後で集められるといったような側面もあるので、「意図している」ではあまりに計画的なニュアンスが強く表現としてそぐわないと感じます。
親切かと言っているのは各サブカテゴリへのアクセスのし易さのような話ではなくて、「賞別の映画作品」だけが別扱いされている理由がわからない大多数の利用者は困惑すると思われるがその困惑は無視するのかってことです。「カテゴリの構成にかかわる操作は、上位カテゴリの分割に伴ってそこに属する記事をサブカテゴリに分配する場合だけではないということは既に述べました」というのは私の発言の何に対して言っているのかわかりません。場合だけでないから何なのですか。説明を端折らないでください。--頭痛 2010年8月14日 (土) 15:38 (UTC)
カテゴリについて「完全に相互に重なりなく」を期待できないことは理解していますが、分割という場合、重なりがないことを強く意味していると思います (以前述べた辞書での説明例を参照)。分割払いで毎回の払いに重なりはありません (二重払いをしない) し、38 度線による朝鮮半島の分割にも重なりはありません。その意味で、「完全に相互に重なりなく分割される」ことが殆んどないなら、分割とは言わない方が良いのではないかと考えています。それを緩和するために、指向と言ったり意図したと言ったりしています。意図というのは目的を導入してしまうあまりうれしくない表現なので、より適切なものを探してはいるのですが、未だたどりつけていません。
大多数の利用者はそもそも「賞別の映画作品」だけが別扱いされていても気にしないだろうと考えています。
「カテゴリの構成にかかわる…」は、「上位カテゴリに入っている記事をどうするかはサブカテゴリに依存するのだから、両者が結びつくのは当たり前」に対するコメントです。カテゴリの構成にかかわる操作は記事の含まれている既存カテゴリの分割とは限らず、既存カテゴリに対して上位カテゴリを作成する場合もあるのだから、記事の diffuse を伴うとは限らない、従ってカテゴリの構成に対して記事の diffuse ありきは適当ではない、ということです。--Jms 2010年8月14日 (土) 16:02 (UTC)
「分割」についても「分類」について述べたことと同じです。分ける、仕切ると書かれているのならそれ以上の意味を読み込むのは恣意的な解釈です。「積極的には重なっていない」くらいなら同意はできます(積極的に重なるようなものなら仕切る意味はない)。支払いや国境にそもそも重なりができるわけはないでしょう。日常言語の意味というのは文脈に依存するものであって特定の用例で重なりが一切ないからといってその語が重なりが一切ないことを含意していることにはなりません。WPのカテゴリではその性質上「分ける」「区分する」ということをしても重なりができるように(自然にそうなることもあるし、便宜を考えてそうすることもできる)なっています。支払いは支払い、国境は国境、WPはWPであって文脈が違います。前にウィトゲンシュタインがどうとか言っていたのはJmsさんではなかったですか?
>大多数の利用者はそもそも「賞別の映画作品」だけが別扱いされていても気にしないだろうと考えています。
私はそう思いません。むしろ「監督別の映画作品」と同じ扱いに戻そうとするでしょう。
>カテゴリの構成にかかわる操作は記事の含まれている既存カテゴリの分割とは限らず・・・
まず前提として、英語版のSubcategorizationの節は「特定の上位カテゴリとそのサブカテゴリ」の関係について述べています。その関係において意味をもつ語として「diffuse」が(選ばれて)使われています。その前提において両者が結びつくのは当たり前です。--頭痛 2010年8月14日 (土) 16:23 (UTC)
それ以上の意味を読み込むかどうか、というよりは、分ける、仕切る、という意味の典型を共有していないのでしょう (共有していないならどこから「それ以上」かは当然異なり得る)。分割なり分類なりを用いつつ、分ける、仕切るをわたくしの様に解釈する人でも困惑しない (指向だの意図だのはなるべく言わずに済む) 文案を出すつもりでいます。
英語版ありきである必要性はありますか。結果が同等なら構成や表現は必ずしも英語版に従う必要もなかろうと思っていますが…。
ところで、文案の提示は、Wikipedia:カテゴリの方針/修正案20100711に直接手を加えてもよろしいでしょうか、それとも別途の方が良いでしょうか。修正案ベースで作業しますので、履歴継承という点では修正案に手を加える方が後の手間は少ないかと思いますが…。--Jms 2010年8月14日 (土) 16:44 (UTC)
まあとりあえず文案を待つことにしましょう。私はすでに英語版からある程度離れて議論していたつもりでいたのですが(だからさっき「もうどうでもいい感じですが」と言いました)。diffuseがわからんわからんと言われるので本筋とは別に「こう解釈したらどうか」というようなことを述べてそれが発展しただけです。私の文案に手を加えるのはもちろん構いません。--頭痛 2010年8月14日 (土) 16:50 (UTC)
(追記)他の利用者のコメントを得る意味で、文案を提示される際には節を改めた方がよいかもしれません。--頭痛 2010年8月14日 (土) 17:09 (UTC)
手を入れてみました。--Jms 2010年8月14日 (土) 17:38 (UTC)
え、これだけですか? 節名を対照にして元の内容を詳しく述べただけのように見えるのですが。「賞別の映画作品は別扱いにする」というような話はどこに行ったのですか。--頭痛 2010年8月14日 (土) 17:47 (UTC)
「賞別の映画作品は別扱いにする」はとりあえず見送りました。修正案で困る例が発生するかどうかにもよりますし。--Jms 2010年8月14日 (土) 18:02 (UTC)
これでいいということであれば、全体としては強く反対する点は特にないと思います。細かい点では表現が抽象的になりすぎて分かりにくく感じるところがあるので、それらについてはまた後日コメントします。お疲れ様でした。--頭痛 2010年8月14日 (土) 18:06 (UTC)

(続き)では細かい点のコメントです。

  • 「一方、具体的なカテゴリに対して、それらを一般化した上位カテゴリを作成し、そこに具体的なカテゴリをサブカテゴリとして含めることもあります」がちょっと意味が受け取りにくいかもしれません。そこまでに一行しかないのに「一方」という話を切り替えるときに使われる言葉があるのもちょっと唐突な感じがします。「・・・サブカテゴリに分割されます。またこれらのサブカテゴリをまとめるために、これらを一般化した上位のサブカテゴリを作成し、そこに前者のサブカテゴリを含めることもあります」くらいでどうでしょうか。
  • 「上位カテゴリを概ねカバーしている様なサブカテゴリの組ことを」は「上位カテゴリの内容全体を概ねカバーしている様な」とした方が伝わりやすいと思います。そのまえの「基本的に重なりがなく」も「基本的に内容に重なりがなく」としておいた方がよいのではないでしょうか。その後に出てくる「サブカテゴリ間に多少の重なりが」も「サブカテゴリ間の包含内容に多少の重なりが」のほうがよいと思います。
  • またこの最初の段落はカッコが頻出してちょっとくどい印象を受けるので、「上位カテゴリの一部にサブカテゴリには含まれない (つまり、上位カテゴリに直属している) 部分があっても構いません」の部分はカッコをはずし、「・・・多少の重なりがあっても構いませんし、またサブカテゴリには含まれず上位カテゴリに直属している記事があっても構いません」でどうでしょうか。
  • 二段落目の「これらは、基準ごとに・・・」は「これらは、それぞれの基準ごとに」と入れたほうがよいと思います。
  • 「どのような基準による分割であるかという説明は、必要であれば各カテゴリの本文に記します」は、英語版の「Information about how a category is diffused may be given on the category page」に対応する部分ですが、上位カテゴリの「分割」を「a large category will often be broken down ("diffused") into smaller」(diffuseされる)と言っており、またサブカテゴリを「non-diffusing」(diffuseする/diffuseである)と言っているのだから「how a category is diffused」は「上位カテゴリをどのようにサブカテゴリに分けるか(という情報を上位カテゴリに書くとよい)」ではないのでしょうか。英語版をはなれて考えても、個々のサブカテゴリがどのような分割であるかはカテゴリの名称から自明である場合がほとんだと思います。要するにCategory:日本の辞典のように「(将来的にもっと記事が増えた場合)このように分割してください」という情報を書く、ということだと思うのですが。
  • 同じ段落の「内容のほとんどがサブカテゴリに分割されているようなカテゴリの場合」というのは(というか、これは私が書いた部分そのままですが)原文のまま「内容のほとんどをサブカテゴリに入れることを意図しているカテゴリの場合」としたほうがよさそうです。
  • 次の節の「しかし、そういったカテゴリが作られる見込みは極めて低いものでしょう」は、「しかしこれらの場合、」あるいは「しかし例のようなものの場合」と入れたほうがよいと思います。「一つのサブカテゴリが、ある上位カテゴリに対しては分割としては機能しないが・・・」のところは、「ある上位カテゴリに対しては分割として機能しないサブカテゴリでも、別の上位カテゴリに対しては分割として機能するサブカテゴリとなることがあります」の方が前後のつながりがよいのではないでしょうか。
  • 三段落目は私の文章そのままですが、Category:数学に関する記事はサブカテゴリに分割されているわけではないので例としては不適切でした。ここは適切な例が見つかるまで例なしとしておくということでどうですか。

表現上の細かい点ばかりですが気になったのはこんなところです。ところでこのように「分割として機能するカテゴリ」「機能しないカテゴリ」という風にサブカテゴリの性質を対照させると、当面の問題には関わらないし別の節で簡単に触れられているので省略した「Eponymous categories(同じ名称の記事を含むカテゴリ)」の節も、「そもそも親カテゴリの分割から作られるわけではないカテゴリ」の説明として「カテゴリの構造」内に入れたほうがよいのではないかという気がしてきました。この節を訳して追加することに異存はありますか。--頭痛 2010年8月17日 (火) 19:37 (UTC)

  • 「・・・サブカテゴリに分割されます。またこれらのサブカテゴリを」だと、具体的なカテゴリがまずあって、それらをまとめるというパターンが外れてしまうので、困ります。背景意図としては、分割というのが、既存のカテゴリをサブカテゴリに分割してサブカテゴリを作るという行為だけではなくて、作られ方はどうあれ、サブカテゴリが上位カテゴリに対する分割になっている、という意味で用いられることを読み手に伝える、というのがあります。「具体的な」を「既存の」としてはどうでしょうか。「一方」と「また」は文案を作るときに迷った位なので、「また」で構いません。
  • 「上位カテゴリの内容全体を概ねカバーしている様な」、つまり、内包の問題なのか、「上位カテゴリを概ねカバーしている様な」、つまり、むしろ外延の問題なのか。前者なら、「上位カテゴリの内容全体を概ねカバーし得る」位でしょう。内包なのか外延なのか、あるいは渾然一体なのかは英語版ではよくわかりませんでした。内包外延という言葉を使うかどうかは別として、それを軸に文案作成側の意識を整理した方が見通しがよかろうという印象は持っています。「サブカテゴリ間に多少の重なりが」を「サブカテゴリ間の包含内容に多少の重なりが」としてしまうと、カテゴリ間の包含関係 (つまり、上下関係) を連想させかねません。「サブカテゴリ間で、内容に多少の重なりが」ではどうでしょう。読点が必要かどうかは要検討。
  • 「どのような基準による分割であるかという説明は、必要であれば各カテゴリの本文に記します」は、とりあえず外しましょう。diffuse という語に起因の混乱を持ち込みかねないので。
  • 「内容のほとんどをサブカテゴリに入れることを意図しているカテゴリの場合」…「基本的に内容をいずれかのサブカテゴリに入れることを意図しているカテゴリの場合」ではどうでしょう。
  • 「カテゴリが作られる見込みは極めて低い」の部分。「しかしこれらの場合、」にしましょう。「一つのサブカテゴリが、」は、御提案の「ある上位カテゴリ…となることがあります」にしましょう。
  • Category:数学に関する記事は、上位カテゴリを記事に重複して含めない一つのやりかたではありので、言及しておく方がよいと思います。手を入れてみました (しまった、上の変更もついでにしておけばよかった…)。
とりあえずまとまりそうな部分から逐次本文に反映しませんか。「Eponymous categories(同じ名称の記事を含むカテゴリ)」は、それからにしましょう。訳すこと自体に異存があるわけではありませんが、そこでまたやりとりになって、できている部分が塩漬になってもよろしくありませんから。--Jms 2010年8月17日 (火) 20:17 (UTC)
  • 最初の点については「既存の」でよいです。おっしゃるような意図であるなら「こうしたサブカテゴリのうち」は「このようにしてできたサブカテゴリのうち」としたほうがわかりやすいと思います。
  • 「内容全体をカバーしている」がなんで内包と見なされる恐れがあるのかよく理解できません。「カテゴリの内容」と言ったら包含記事のこととしか解釈しようがないと思うのですが。この場合「外延」は包含記事のことだと思いますが「WPのカテゴリの内包」とは一体どういうものを指すのでしょう。「記事」と言わずに「内容」と言っているのはサブカテゴリが纏められているケースを考えているだけのことなのですが。「サブカテゴリ間で、内容に多少の重なりが」はその表現でいいと思います。読点はこの場合どっちでも同じでしょう。
  • 英語版を考慮せずとしても「上位カテゴリの分割方法は必要ならそのカテゴリページに書く」という注意は有用だと思っているのでそれに関する記述はほしいです。この点を(英語版は離れて)言及することに問題はありますか。
  • 「基本的に内容をいずれかのサブカテゴリに入れることを意図しているカテゴリの場合」はその表現でいいです。
逐次本文に反映することに異存はないです。「Eponymous categories」についても後回しとしましょう。--頭痛 2010年8月17日 (火) 20:43 (UTC)
  • 「このようにしてできたサブカテゴリのうち」を含めて、合意できている部分を反映しました。
  • 「上位カテゴリの内容全体を概ねカバーしている」が内包というのは、「内容」の語を含まない表現との対比、また「内容を概ね」ではなく「内容全体を概ね」という表現が用いられている事から、内容の意味のうち、意味、実質という方を連想して書きました。辞書的には、内容の意味として、1. 物の中身「袋の内容」 2. 事物・現象を成り立たせている実質や意味「話の内容」(広辞苑) の二つがあり、その意味では内容という語そのものは外延でもあり内包でもあり得ると考えるべきなのかもしれません。「上位カテゴリの内容を概ねカバーしている」では如何でしょう。なお、「WPのカテゴリの内包」というのは、その対象範囲に共通すると想定させる属性集合のことであり、基本的にカテゴリ名の意味するところでしょう。
  • 英語版…というか diffuse に関係なく「上位カテゴリの分割方法は必要ならそのカテゴリページに書く」事を述べるのは良いと思います。--Jms 2010年8月17日 (火) 21:52 (UTC)
サブカテゴリ群のそれぞれの名称の意味するところが上位カテゴリの名称の意味することを概ねカバーしているかどうか、みたいな判断はほとんど成り立たないのではないかという気がしますが、表現としては「上位カテゴリの内容を概ねカバーしている」でもよいと思います。--頭痛 2010年8月17日 (火) 22:04 (UTC)
対応ついでに括弧を外してみました。括弧はない方が良いけれど表現は前の方が良い気がします。--Jms 2010年8月17日 (火) 22:38 (UTC)
「上位カテゴリに対して分割として機能しているカテゴリ」では語呂が悪いです。そこは括弧付きでも前の表現の方がいい。--頭痛 2010年8月17日 (火) 22:42 (UTC)
括弧つきに戻しました。「ある上位カテゴリに対しては分割として機能しないサブカテゴリでも、別の上位カテゴリに対しては分割として機能するサブカテゴリとなることがあります」と対称な表現というのも考えましたが、分割として機能するカテゴリについてはそこまでは必要ないと思いやめました。--Jms 2010年8月18日 (水) 12:23 (UTC)
ありがとうございました。大体意見の調整はできたと思いますのでEponymous categoriesの節を訳して追加しました[2]。対照しやすいように原文も残してあります。問題のある点がありましたらご指摘ください。最後の段落については、こういう場合日本語版ではカテゴリ間をリンクで示す慣習がなさそうだったので簡略化しています。ここは括弧付きにして前の段落に入れたほうがよいかもしれません。あと前述した「あるカテゴリをどのような基準で分割するか」という点については異論はなかったと思いますのでついでに変更しました。--頭痛 2010年8月19日 (木) 17:44 (UTC) 加筆--頭痛 2010年8月19日 (木) 17:58 (UTC)
Eponymous categories については、節を分けて議論する方が良いと思います (このノートのセクションの分量としての技術的な話なので小節新設でも可)。英語版が eponymous という語に依存した書き方になっているので、厄介な部分がなきにしもという印象を持っています。Eponymous categories 節については検討する時間をください。--Jms 2010年8月21日 (土) 00:25 (UTC)
では適当に節を分けます。それ以前の部分は合意が取れていると思いますので、一週間ほど他に異論が出なければとりあえずその部分のみ本文に反映するということでよろしいでしょうか。--頭痛 2010年8月22日 (日) 16:01 (UTC)
節分けどうも。それ以前の部分については一週間ほど待って異論なければ反映させてよいと思います。--Jms 2010年8月22日 (日) 16:49 (UTC)

Eponymous categories 編集

上記までの議論に関連して、en:Wikipedia:Categorizationから「Eponymous categories」の節を追加することを提案しています。具体的な文案はこの部分です。ご意見よろしくお願いします。--頭痛 2010年8月22日 (日) 16:01 (UTC)

「同名の記事を含むカテゴリ」とありますが、記事を含まない場合もある一方、次の節では「同名のカテゴリ」という表現が使われています。「同名のカテゴリ」あるいは「同名カテゴリ」とするのが良いのではないでしょうか。「同名カテゴリ」としておくと、一般論として「同名のカテゴリ」と言いたい場合とも区別できます。日本語としては同じ名前のカテゴリが二つある場合にも読めますが、ウィキペディアで二つのカテゴリが同名になることはあり得ないので、ちょっと考えれば「同名のカテゴリ」「同名カテゴリ」でも混乱することはないと思います。「多くの場合、論理的に考えればそうすべきではありません」は、「論理的には、通常はそうすべきではありません」でどうでしょう。「便宜上」ではなく「慣習的に」ではないかと思います。分類指向のカテゴリ、というのは「分類」を示すカテゴリ、と定義節の表現にあわせる方が良いと思います。それに続いて登場する「そのカテゴリ」はどのカテゴリかすぐにはわからないので、「上位カテゴリ」と書く方が良いでしょう。分類指向のカテゴリの前にある「特に」というのはつながりがよくわからないので除く方が良いと思います。Category:日本の小説家におけるCategory:日本の小説家のカテゴリというくだりは、何が例外の対象となるのかよくわかりません。多少の例外が存在するのは当然なので、触れない方が良いのではないでしょうか。--Jms 2010年8月26日 (木) 19:31 (UTC)
「記事を含まない場合」というのがどういう場合を想定しているのかよくわかりません。「同名のカテゴリ」という言い方になっているのは「~のカテゴリを持つ記事を・・・」という文章の中に「同名の記事を持つカテゴリ」を入れるとごちゃごちゃするからというだけで、同じ内容のカテゴリを指しているのだということは文脈から明白なはずなので「(記事と)同名のカテゴリ」という風に省略しただけです。「同名(の)カテゴリ」だけだとどういう事態を指しているのか名称からすぐにわからないのでこれを一般名とするのにはあまり賛成できません。
「論理的には、通常はそうすべきではありません」だけだと、「しかしながら、便宜上、多くのカテゴリが記事とともにその同名のカテゴリをカテゴライズしています」と繋げて読んだ時に「本来すべきでない状態に現状なってしまっている」みたいな風に読めてしまう気がします。そこは「論理的に考えれば、通常はそうすべきではありません」にしておきませんか。
「便宜上」は多分for convenienceと取り違えたのでしょう。そこは「慣習的に」でよいです。
「分類」については定義節の2に「「分類」より「キーワード」を指向しているカテゴリも」とあるので別に「キーワードを指向するカテゴリでないもの→分類を指向するもの」でも構わんと思いますが、まあどっちでもいいです。「特に」と言っているのは「多くのカテゴリが慣習的にそうなっているが、その中でも特に「分類」カテゴリからははずさないように注意する」ということでおかしくはないと思いますが。「そのカテゴリ→上位カテゴリ」はそれでよいです。
「Category:日本の小説家」で言っているのは、Category:夏目漱石Category:日本の小説家には入らず、そのサブカテゴリであるCategory:日本の小説家のカテゴリに入っているということです。--頭痛 2010年9月4日 (土) 03:00 (UTC)
「記事を含まない場合」は、「Usually the article itself will be a member of the category」によりました。訳文では、「一般的に、後に述べるソートキーを使って」と、対応する部分が抜け落ちています。具体例があるかどうかは知りません。「論理的に…」の部分はまさに「本来すべきでない状態に現状なってしまっている」ということだと思いますが、「論理的に考えれば」でも構いません。「分類」については、定義節にある「分類」の意味なら、鈎括弧をつけましょう。Category:日本の小説家Category:日本の小説家のカテゴリはそもそもなぜそういう構造になっているのか (そうでなければならないのか)、という点がどうにも解せないのですが、そうした構成を排除する文言があるわけでなし、あえて言及する必要がありましょうか。--Jms 2010年9月5日 (日) 14:43 (UTC)
具体例は私も思いつきませんが、この節で説明されていることは「カテゴリの中に同じ名称の記事が入っている場合」であるので、同じ名称であっても何らかの事情で包含関係にないような場合は考慮する必要はないのではないかと思います。かぎ括弧をつけることに異存はありません。
Category:日本の小説家のカテゴリに関しては同種のものをまとめておいた方がカテゴリ間の比較やメンテナンスの際に有用になると思います。Category:日本の小説家のように包含数の多いカテゴリでは直接小説家のカテゴリを含めると一度に表示されませんし、カテゴリツリーをつけても長くなりすぎてわずらわしくなるでしょう。それで、「特に「分類」を指向するカテゴリの場合ははずすな(記事とともにカテゴリを含めよ)」という風にわりと強い調子で言っている文章があるわけで、Category:日本の小説家は明らかに「分類」指向カテゴリですから、「ただしこういう例外もある」という風に留保をつけておくことは必要だと考えます。--頭痛 2010年9月9日 (木) 15:51 (UTC)
Category:日本の小説家のカテゴリの件は、「カテゴリの中に同じ名称の記事が入っている場合」で扱うのが適当なのかどうかよくわかりません。メタカテゴリとしてCategory:日本の小説家のカテゴリが間に挟まっており、Category:日本の小説家のカテゴリ自体はCategory:日本の小説家の分割としては機能していないので、記事夏目漱石Category:日本の小説家Category:夏目漱石の両方に、Category:夏目漱石Category:日本の小説家のカテゴリを経由してCategory:日本の小説家に、という構造はCategory:夏目漱石という同名のカテゴリというよりはCategory:夏目漱石ならびにCategory:日本の小説家のカテゴリという分割として機能しないカテゴリの範疇ではないかと思います。基本的に記事とカテゴリの関係について記述している部分でカテゴリとカテゴリの関係に言及しているのがわかりにくいのかもしれません。--Jms 2010年9月9日 (木) 16:28 (UTC)
うーん・・・。「記事が「分類」を指向するカテゴリに入れられている場合」という風に言っている時点ですでにカテゴリとカテゴリの関係(「同名の記事を持つカテゴリ」と「その記事が入っている、「分類」を指向するカテゴリ」との関係)について述べているわけで、その関係の例外事項として「「同名の記事を持つカテゴリ」群がメタカテゴリに纏められている場合」について言及しているのですから、この節に(括弧書きにして)入れておくのが自然だと私には思われるのですが。「分割として機能しないカテゴリ」の節では「そこに属する記事をその上位カテゴリにも重複して含める場合があります」となっていてカテゴリの扱いについては言及していませんし、別の節から類推可能だからといってここで言及しないほうが混乱を招くのではないでしょうか?--頭痛 2010年9月15日 (水) 12:46 (UTC)
「特に分類を指向するカテゴリに入れられている記事は、同名のカテゴリも入っているという理由でそのカテゴリから除去しないようにしてください。」という文が言及しているのは、Category:日本の小説家のカテゴリ夏目漱石Category:夏目漱石の両方が含まれている様な状況、あるいはCategory:日本の小説家夏目漱石Category:夏目漱石の両方が含まれている様な状況であって、Category:日本の小説家Category:日本の小説家のカテゴリの関係においてはそもそもこの文が述べている状況が成立しておらず、従ってこの文の例外だと言われても例外たり得ないと思うのですが、如何でしょう。「そこに属する記事をその上位カテゴリにも重複して含める場合があります」というのは、Category:夏目漱石に属する記事夏目漱石を、Category:夏目漱石の上位カテゴリであるCategory:日本の小説家にも重複して含める場合、という形で成立しており、別途カテゴリの扱いについて言及する必要がない (記事の扱いを通じて二つのカテゴリに言及している) と思います。--Jms 2010年9月15日 (水) 15:10 (UTC)
あー、そうか。要するに私は「原則として分類を指向するカテゴリには同名カテゴリとその記事をセットで入れる」という風に上の文章を捉えた上でそれについての「例外」というつもりだったのですが、そう考えると確かにおかしいですね。まあCategory:日本の小説家のカテゴリも分類カテゴリなのですが、そこに記事を入れるべきでないのは見ればわかりますか。では時間をかけてすいませんが、件の文章は除去することにしましょう。
上までの議論を踏まえて修正を行ないました。[3] 他には何かありますでしょうか。--頭痛 2010年9月24日 (金) 22:16 (UTC)
第二節とのつながりという観点からすると、第一節の「同名の記事を含むカテゴリ」と第二節の「同名のカテゴリ」はどちらかに統一する方がやはり望ましいのではないでしょうか。他には問題はないと思います。--Jms 2010年9月24日 (金) 22:32 (UTC)

ソートキーにおける「お」段長音の扱い 編集

ソートキーでの長音については、現時点では母音とすることが主流とされています。しかし、「お」段の長音については、「う」とするものと「お」とするものが混在しています。もともと現代かなづかいでも「う」表記と「お」表記があり、和語についてはほぼそのかなづかいに沿っているようですが、外来語で普通長音記号を使う記事名について、「う」と「お」が混在していて、統一が取れていません。ソートは「お」ですが、ゴールデンウィークでは「う」が使われています。それどころか、もともと同じboyから来る記事名でもボーイソプラノは「う」でボーイスカウトは「お」となっています。さらに、ボーイングのように長音をソートキーから省いたものも見られます。 8月28日にNikmさんがソートキーの例として挙げた「日本語ウィキペディアのソートキー」については、「お」段の長音の表記の合意がないため「ソートキー」部分を削除しましたが、「う」と「お」のどちらを使うかについては、できるだけ広く合意を集めて統一した方が良いと思います。皆様のご意見をお待ちします。--アルビレオ 2010年8月31日 (火) 13:00 (UTC)

私は「お」のほうがよいと思います。--クルチ 2010年8月31日 (火) 13:02 (UTC)
  コメント だいぶ古いものですが、手元の新明解国語辞典では「お」として扱われています(「ボーイ」は「吠える」より後、「ソース」は「疎遠」より後)。直前の母音を用いるということで考え方が揃いますし、「お」でよいんじゃないでしょうか。--Yukida-R 2010年9月1日 (水) 13:23 (UTC)
  コメント 私も「お」でいいと思います。その方がわかりやすいですし。
ついでですみませんが、人物記事のソートキーについて一つ。いまCategory:存命人物などを見ると、主にカタカナ名の人物について「姓 - 名」とするものと「名 - 姓」とするものが混在しています。方針としては「姓 - 名」なのでしょうが、私には長い外国語圏の方の名前ではどこからが姓なのかよくわかりません。それに、「マイケル・ジャクソン」の記事を探すとき、普通なら「ま」の項目を探すと思うのです。「名 - 姓」の順に名前を書く外国語圏の人物に関しては「名 - 姓」のままソートキーを設定するべきだと思うのですがどうでしょうか。--赤の旋律(会話履歴) 2010年9月2日 (木) 12:30 (UTC)

「う」を支持する意見がなかったので、本文に「お」を主流とする記述を追加しました。--アルビレオ 2010年9月24日 (金) 23:19 (UTC)

デフォルトソートの付け方の細かな説明が不足しています 編集

カッコつきの記事名についてデフォルトソートをどうつけたらいいのか説明がないので、お願いします。あと、外国人名は倒置させる(姓と名を)などの、既成事実化した規則についての記述も、誰かお願いします。私はWikipedia空間の執筆に慣れていませんので、下手にいじらないように、控えておきます。--積極的 2010年11月1日 (月) 11:46 (UTC)

あと「ヴァ」は「うあ」なのか「は」なのか、なども。--積極的 2010年11月5日 (金) 09:22 (UTC)(修正--積極的 2010年11月27日 (土) 04:47 (UTC)
あと読みが複数ある場合にどのデフォルトソートをつければいいのかも説明してくれないと初心者が(私とか)分からないのではないでしょうか。あとセクションの名前を変えました。もう括弧つきかどうかは関係なくなっているため。--積極的 2011年1月13日 (木) 08:11 (UTC)
「読みが複数ある」とは「VIP」を「ビップ」とも「ブイ・アイ・ピー」とも呼ぶというような意味です。--UnLovedDoll 2011年5月26日 (木) 06:20 (UTC)家族のアカウントがログインしている状態で間違って投稿してしまいました。このUnLovedDollのコメントと上の積極的は本当は同一人物ですごめんなさい。--UnLovedDoll 2011年8月29日 (月) 05:10 (UTC)

「読みが複数ある」について。疑問ということであれば、「#複数の読みがある場合のソートキー」節に、複数の読みがある場合のケースについての質問と回答がありますので、参考にしていただきたく存じます。

いや、疑問ではなく、そういった疑問に対する説明文書の不足という意味なら確かにそうですね。もっと方針系文書に慣れた人によってもっとこなれた文章にしていただきたいところですが、案を以下に記します。

その際に、濁音半濁音清音に、拗音直音に、長音(音引き)は母音に置き換えるのが主流です(例: 日本語ウィキペディアにほんこういきへていあ)。なお、お段に長音符が付く場合、「う」と「お」の両方が使われていますが、「お」を使うことが主流です(例: ソートキーそおときい)。日本国外の人物や地名、あるいは略語におけるVの文字を含む語句には「ヴィ」などの読みを含む場合がありますが、このソートキーに「うい」「ふい」「ひ」のいずれを指定するかは決まっていません。

一つの事柄に複数の読みがある場合、どのデフォルトソートを採用するかは決まっていません。ソート順で最も若い読みを採用する、最も普遍的な読みを採用する、といった方法が過去に用いられてきました。

下線部分が追加部分です。これをベースにどうするかを決めていきたいと考えますが、ご意見を宜しくお願いします。余談ながら、V付き用語のDEFAULTSORTがどうなっているかを確認しようとviを見に行ったところ、付いていませんでした。「ブイアイ」>「ふいあい」かなと思うのですが、主流の読みかは何とも言えません。--NISYAN 2011年5月29日 (日) 10:44 (UTC)

編集フィルターについて 編集

編集フィルターでカテゴリの無い記事を書くと、警告が表示されるみたいなのですが、こちらにはそのような警告が出ると書いておかなくてもよいのですか?--kkplls 2010年11月8日 (月) 07:58 (UTC)

「リダイレクトカテゴリ」節の追加提案 編集

Redirected categoriesに関する記述がないため、以下の節を「隠しカテゴリ」と「一覧記事とカテゴリとの関係」の間に挿入することを提案します。

==リダイレクトカテゴリ==
カテゴリページはリダイレクトとすべきではありません。このようなリダイレクト化されたカテゴリ(リダイレクトカテゴリ)の作成は技術的には可能ですが、論理的に同一のカテゴリとして扱えるようになる訳ではなく、問題が生じるためです(リダイレクトカテゴリに属するページが自動的にリダイレクト先のカテゴリに属すことはありません)。

なお、Template:Category redirectは利用しない前提です。また、Wikipedia:即時削除の方針#カテゴリ1により、「初版から継続してカテゴリへのリダイレクトである」カテゴリは即時削除の対象です。反対がなければ文書に追加したいと思います。ご意見等よろしくお願いいたします。--Penn Station 2011年4月23日 (土) 06:02 (UTC)

  報告 特に反対もありませんでしたので、文書に追加しました(意味がクリアになるように少し補いました[4]。--Penn Station 2011年5月5日 (木) 12:14 (UTC)

DEFAULTSORTをデフォルトソートに書き換え 編集

{{DEFAULTSORT:よみかな}}を{{デフォルトソート:よみかな}}に書き換えてまわる編集は有意義なものなのでしょうか? 意味がない気がするのですが。--LearningBox 2011年4月25日 (月) 10:20 (UTC)

上の編集を行っていたアカウントは無期限ブロック中のuser:Gokiソックパペットとしてブロックされました。--LearningBox 2011年5月10日 (火) 02:55 (UTC)
全角→半角のBOT的編集と合わせて{{デフォルトソート:よみかな}}へ書き換えてまわっている編集は、上記と同じ人物ではないでしょうか?--Wolf359borg 2011年5月19日 (木) 13:11 (UTC)
現在、Wikipedia:カテゴリの方針に定義されている標準は「DEFAULTSORT」です。--Triglav 2011年5月19日 (木) 13:29 (UTC)
編集ページ下の「マークアップ」には、{{デフォルトソート:}} が用意されています。「些細な編集のみを行う副アカウント」と名乗るHalo1331さんは、これを根拠に大量書き換えを行っているのだと思いますが、どちらが正しいのでしょうか?この分ですと、今日も日中の時間帯に大量書き換えを行うのではないかと思われます。--Wolf359borg 2011年5月19日 (木) 15:40 (UTC)
ローカルページで提案されて差し替えられてますね。MediaWiki‐ノート:Edittools#ローカライズ。機能上は差し支えありませんが、手続きの進め方としては、ちょっと深刻です。とりあえず作業アカウントさんに声かけてみます。--Triglav 2011年5月19日 (木) 16:21 (UTC)
長文失礼します。
初版執筆やDEFAULTSORTなしの記事に付与する状況下においては、読者から見えない部分であり、編集者の利便性に影響を与えない部分(統一によって利便性が劇的に高まる要素はない、せいぜいDEFAULTSORTを見る必要のあるBot編集や編集フィルターでもあったら両方を指定しなくて済むという程度)でしょうから、どちらでもいい話かと。私は日本語の表記揺れ(デフォルトに関していえばディフォルトも表記揺れの範囲内)を覚えるのが面倒なので一意性の観点からDEFAULTSORTを使用しますが、それは初版執筆やDEFAULTSORTなしの記事に付与する状況下においての話です。
既にDEFAULTSORTあるいはデフォルトソートが付与されている記事について、変更することによる(読者に対するものでも将来の編集者に対するものでもどちらでもよいですが)利がない以上は、それだけを目的に編集する行為はディスクの浪費とサーバー負荷を与えるだけの行為でしかないでしょう。その意味で、排除されるのが妥当な行為だと思います。
統一されていたら綺麗だとは思いますが、統一に利がない以上は、既に不統一となった状況下においてどちらが正しい/どちらがよいというものでもないかと思います。個人的には、そもそもこんなところの多言語化はいらない(理由は、下のマークアップに並ぶ他のものや、例えば{{Cite web}}におけるhttpという部分なんかもそうですが、全部が全部多言語化できないのだから「日本語しかできない」という編集者にもどこかで英語ベースのマークアップ類を覚えていただく必要があるわけで、それならDEFAULTSORTなどの一部のマークアップ類を頑張って多言語化する意味はない)と思いますし、それがなければこんな議論も編集も不要だと考えるのですが、逆にデフォルトソートをDEFAULTSORTにすることにも意味を感じませんので、既に不統一となってしまった以上はこれ以上言うつもりはないです。ただ「Wikipedia:カテゴリの方針」と編集ページ下の「マークアップ」の不整合は不細工ですから、何らかの対処をしておくほうがいいとは思います。「マークアップ」は、「MediaWiki‐ノート:Edittools#ローカライズ」の議論の影響ということであれば、jawpコミュニティがどちらを選択するかですが、jawpコミュニティがDEFAULTSORTを選択するならWikipedia側で上書きすればいいかと。Wikipedia:カテゴリの方針」は「マークアップの最終結果に合わせる」(今の表記に合わせてデフォルトソートにする、という意味ではありません)あるいは「どっちでもいい」という感じかと。どっちかといえばDEFAULTSORTですけど。--NISYAN 2011年5月19日 (木) 17:03 (UTC) マークアップの部分がtranslatewikiなどのWikipedia以外のものによる影響だと勘違いした部分のコメントの除去や補足 --NISYAN 2011年5月19日 (木) 17:59 (UTC)

一言だけ書かせてください。マークアップの{{デフォルトソート:}} を今すぐ変える提案をしてください。そうすればかような作業をする人は(私を含め)いなくなると思います。ていうかこんな矛盾のあるマークアップの提案したの誰ですか?--Halo1331 2011年5月20日 (金) 05:15 (UTC)

「議論のある編集は行わない」とし、「副アカウント」であるから「議論参加を行わない」立場の存在と自らの立ち位置を決めた以上は、矛盾のある事柄に関する編集で他者から指摘がある状況なのですから、その矛盾の解消に向けての議論が終結するまで指摘された行動を一旦停止する一択でしょう。それが嫌なら、「主アカウント」で「副アカウント」の行動が正しい旨を説明するといった選択肢もなくはないですが、それはHalo1331さんの参加スタイルと異なるわけで、参加スタイルに合わない以上は仕方がありません。マークアップを変える提案といった段階にはまだありませんが、マークアップに関する疑問を既に「MediaWiki‐ノート:Edittools#「転送」より「REDIRECT」のほうがよいと思います」において投げかけております。そこでの議論が終結するまでしばらくお待ちいただき、議論終結までに指摘を受けた行動を再度繰り返すことのないようにお願い致します。もし提案の進みが遅いと感じるのであれば、Halo1331さんご自身に課せられた制約を解いて、「主アカウント」で議論参加して議論の早期終結を図るしかないと思います。
なお、上記リンク先で発言したように、マークアップの改訂が文書類の改訂よりも先に行われていることを私は手順前後だと考えていますが、手順前後な事柄を同じ人が何度となく繰り返すのでない限り、誰が提案したなどといった話を追求するのは無意味なことです。長い人生誰にでも間違いは何度もあるはずだし、間違えていれば謝って軌道修正し、間違いを繰り返さなければ問題はないでしょう。また、今の時点では間違いかどうか自体もはっきりしていません。その点についても、上記リンク先での議論の行方をお待ちいただきたく存じます。--NISYAN 2011年5月20日 (金) 22:55 (UTC)

(インデント戻し)カテゴリの方針ではありませんが、同様の行為なのでとりあえずここで提議します。File:で動作している画像関連のリンクをファイル:に書き換えてまわる編集 も同様に無意味だと思いますが、いかがでしょうか。--LearningBox 2011年6月1日 (水) 19:33 (UTC)

そうですね。「転送」など、ほかにもいろいろとありますので、DEFAULTSORTの議論が終了したら、それを雛形にしてまとめて発議するのもよいかもしれません。--Triglav 2011年6月1日 (水) 23:05 (UTC)
「ファイル」は別。(Image/画像等も考慮に入れるべし)--Hem2791 2011年6月8日 (水) 01:51 (UTC)

DEFAULTSORTにデフォルトソート追加提案 編集

MediaWiki‐ノート:Edittools#「転送」より「REDIRECT」のほうがよいと思いますにて話し合いがもたれましたが、DEFAULTSORT節に「デフォルトソート」を追加しようと思います。記述方法は原則併記。記述例の部分についてはどちらか先に記述されているほうを採用します。さらに文章の末尾に「また、DEFAULTSORT、デフォルトソートのどちらを使うかは自由です。文中の現在の内容に対してどちらかに統一させるような作業も必要ありません。」を付け加えます。Edittoolsのノートでは、どちらかを駆逐するというようなことをしないことは既に決まっています。あとはこちらの併記の順番を考えたいと思います。DEFAULTSORTが先になる場合は、現行文章のDEFAULTSORTの後ろにデフォルトソートを挿入。デフォルトソートが先になる場合は、節のタイトルを「デフォルトソート」に変更(互換用としてDEFAULTSORTのアンカーを設置)します。--Triglav 2011年6月1日 (水) 12:48 (UTC)

一応意見表明。追加や併記や統一不要文言記載については賛成。どちらを先にするかは個人的にはDEFAULTSORTですが、あくまで個人的理由によるものであり、DEFAULTSORTを強く推すというものではありません。--NISYAN 2011年6月4日 (土) 01:50 (UTC)
DEFAULTSORTを先にするなら編集の際のツール類の修正も提案願います。--Hem2791 2011年6月8日 (水) 01:49 (UTC)
DEFAULTSORTを先にして書き換えました。英字もカナも序列としては同列であるため、Edittoolsについては現状で特に問題ありません。書き換えを必要とされる方々で提案を行ってください。--Triglav 2011年6月8日 (水) 12:56 (UTC)
デフォルトソートはまだEdittoolsとやらの変更ですむので別に今のままでもいいので私からは提案しないが、「転送」のほうを「REDIRECT」に変える提案をする人が出たら移動で「転送」になる設定を変える提案も一緒にやるのを忘れないこと。でないと全力で反対します。--Hem2791 2011年6月9日 (木) 06:02 (UTC)
ところでDEFAULTSORTの件は上の節にあるように、あちこちBOT的に書き換えて回る編集者の存在が発端だったわけですが、Hem2791さんもスペースの除去などの無意味な細部の編集を精力的に行っていらっしゃいます[5]。ここでの意見表明と何か関係あるのでしょうか?--Wolf359borg 2011年6月11日 (土) 15:57 (UTC)
◆MediaWiki上での記述方法に複数の選択肢があり、そのいずれかの選択肢に統一することが閲覧者の利にも編集者の利にもほとんどならないというケースにおいて、一方に統一する必要がないことが明文化されていないなどの理由から一方に統一する編集を精力的に行う編集者が現れること、その無意味さを理解できない編集者のために(常識的に考えれば判るだろうということであるが判らないという人のために)本項の改訂が行われた、というのが私の理解です。
≪DEFAULTSORTを先にするなら編集の際のツール類の修正も提案願います≫≪デフォルトソートはまだEdittoolsとやらの変更ですむ≫という発言をされているということは、本項の改訂の意味を理解できていないのではないでしょうか?本項はEdittoolsに「デフォルトソート」を用いるか「DEFAULTSORT」を用いるかという議論とは無関係です。Edittoolsでいずれの表記を用いるかということは、一方の表記のみを認めることや、一方の表記を推奨することとは無関係です。
そして、「転送」と「REDIRECT」についても、≪MediaWiki上での記述方法に複数の選択肢があり、そのいずれかの選択肢に統一することが閲覧者の利にも編集者の利にもほとんどならないというケース≫に該当すると考えますし、その意味において≪「デフォルトソート」と「DEFAULTSORT」≫のケースと同じと考えます。Edittoolsに「転送」と「REDIRECT」のいずれを用いるか、移動機能を用いた場合の移動元に自動設置されるものが「転送」と「REDIRECT」のいずれであるか、などについても「デフォルトソート」と「DEFAULTSORT」の話同様、どちらであってもよいものであり、既に(他者編集あるいは機械的仕組みによって)記事上に存在する選択肢を他方に編集することが無意味な編集であることも同様です。≪移動で「転送」になる≫か「REDIRECT」になるか、いずれの設定であるかということは「転送」と「REDIRECT」の一方の優位性を意味しないと私は考えます。--NISYAN 2011年6月11日 (土) 23:22 (UTC)

ソートキーが不要な例 編集

WP:CG#ソートキーでのソートキーの設定の仕方は「ひらがな」「清音」「直音」にするのが基本となっていますが、記事名が最初からこれらの条件をすべて満たしている場合(例:くるりなくもんかほしのふるまちやさしくなりたいなど。かないみかほしのあきなどの人名は姓名間にスペースを入れることが多いので除く)はソートキーを設定する必要はないと思われますがどうでしょうか?問題ない場合は方針に記載しても良いかと思うのですが。--ウース 2011年11月5日 (土) 14:00 (UTC)

  コメント 記事名とソートキーが同一の場合、ソートキーは無くとも正しくソートされますが、有って不都合なことも無いようです。有っても構わないものを「不要である」と明記することには違和感を覚えます。--Frozen-mikan 2011年11月5日 (土) 15:47 (UTC)

人名のソートキー 編集

現状『人名のソートキーは、「姓名」の順の読み仮名(ひらがな)とします』となっていますが、ドイツ語の「フォン」のように姓の一部が前置詞の場合、どうするのが妥当でしょうか。調べてみたところでは

という状況で、どれが主流とも言えない状態です。現状を追認して、これらを併記してどれも使われています、としてしまうのも手ですが、新しく記事を作成する場合に基準が無いのも不便でしょう。--アルビレオ会話2012年4月21日 (土) 10:47 (UTC)

クレメンス・フォン・メッテルニヒの改名提案の際にアルビレオさんから関連でご質問をいただいたので、私の意見をこちらにまとめることにします。
  • ドイツ系の「フォン」やフランス系の「ド(ドゥ)」などは、これを姓の一部とみなした上でソートキーの先頭に加えると、「ふ」や「と」のところに人物記事が集中して、ソートの方法としては良くないと思われます。上の例ですと、「トラップ」や「ヒンデンブルク」や「リンネ」が事典の見出しとなるはずで、ソートもそうした発想から「とらつふ」「ひんてんふるく」「りんね」でソートキーを始めるのが適切だろうと考えます。また、最後に持ってきてもソート順にはほとんど影響することはないと思われますので、ソートキー自体から省略してしまって差し支えないと考えます。
  • スペイン系の「デ」(例:マヌエル・デ・ファリャアリシア・デ・ラローチャ)も、同様の考え方で良いのではないかと考えます。
  • ただし、「フォン」でもヴェルナー・フォン・ブラウンのように「フォン・ブラウン」でワンセットとみなされるケース(フォン (前置詞) を参照)、またオランダ系の「ファン(ヴァン)」や「デ」などは姓の一部としてソートキーの先頭に加えるべきであろうと考えます。「デメジエール」の「デ」なども「フォン・ブラウン」と同様に考えるべきケースでしょう。
--モンゴルの白い虎会話2012年11月8日 (木) 15:33 (UTC)
コメントありがとうございます。「フォン」などをソートキーの先頭に加えると、特定の文字に集中するため良くない、というコメントは説得力があります。現時点でも、冠詞はソートキーに含めず省略することになっているので、それと同じ扱いにすれば良いと思います。
一方でソートキーの先頭に加えるべきものもある、とのご意見ですが、省略するのか先頭に加えるのかをどう判断すれば良いでしょうか。普通は省略しない場合はソートキーの先頭に加え、しばしば省略する場合はソートキーに入れない、ということで良いでしょうか。--アルビレオ会話2012年11月9日 (金) 23:18 (UTC)
>普通は省略しない場合はソートキーの先頭に加え、しばしば省略する場合はソートキーに入れない
そう説明するしかなさそうです。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(オランダ系)でもっぱら「ベートーヴェン」のみが姓として扱われたり、シャルル・ド・ゴール(フランスの貴族出身)では「ド・ゴール」で一つの姓とみなされたり、「ファン・ダイク」で上記の扱いが妥当としても「ファン・ゴッホ」では怪しかったり、とケース・バイ・ケースです。
さらに付け加えますが、オランダ系の「ファン」についての上記の扱いは平民に関してであり、貴族の「ファン」はドイツ系の「フォン」に準じた扱いにすべきでしょう。--モンゴルの白い虎会話2012年11月10日 (土) 05:05 (UTC)

本文の改定案を考えてみました。

人名のソートキーは、「姓名」の順の読み仮名(ひらがな)とします。姓と名の間に「半角スペース」を入れる方式があります(夏目漱石は「なつめ そうせき」、ジム・キャリーは「きやりい しむ」)が、スペースの有無については揺れがあります。

ドイツ語の「フォン」、フランス系の「ド(ドゥ)」、スペイン系の「デ」など、姓の一部が前置詞のように使われる場合、ソートキーには省略する、先頭に置く、末尾に置くと、複数の方法があります。これらについては、原則として省略しない場合は姓の一部として先頭に置き、しばしば省略する場合はソートキーからも省略することを推奨します。

文面修正についてのご意見をお願いいたします。2週間程度は意見を待ちたいと思います。--アルビレオ会話2012年11月10日 (土) 11:53 (UTC)

>姓の一部が前置詞のように使われる場合
これは逆で、「前置詞が姓の一部のように使われる場合」ではないでしょうか? ついでながら、私が最初の意見で挙げていたオランダ系の姓の「デ」は定冠詞なので、問題にすべきは「ファン」のみでした。--モンゴルの白い虎会話2012年11月18日 (日) 01:55 (UTC)
確かに「前置詞が」ですね。考えているうちに考えが暴走していました。定冠詞が姓の一部として使われる場合はソートキーには入れないというご意見ですか? そこだけ確認させてください。--アルビレオ会話2012年11月19日 (月) 12:10 (UTC)
定冠詞は原則省略されないはずですので、特に考えるまでもないかと思っていました。--モンゴルの白い虎会話2012年11月19日 (月) 16:34 (UTC)
現時点のガイドラインでは、『「The - 」「ザ(ジ) - 」といった、最初に定冠詞のある名前の場合は、定冠詞の部分(さ、し)は書きません。』となっているので、人名について明記しない限りはソートキーからは省略することになります。--アルビレオ会話2012年11月19日 (月) 21:42 (UTC)
言葉が足らなかったでしょうか。「姓の一部として用いられる定冠詞」に限定の話なのですが。--モンゴルの白い虎会話2012年11月19日 (月) 23:15 (UTC)
「姓の一部として用いられる定冠詞」はソートキーに入れてよい、ということですね。では改定案その2です。
人名のソートキーは、「姓名」の順の読み仮名(ひらがな)とします。姓と名の間に「半角スペース」を入れる方式があります(夏目漱石は「なつめ そうせき」、ジム・キャリーは「きやりい しむ」)が、スペースの有無については揺れがあります。

ドイツ語の「フォン」、フランス系の「ド(ドゥ)」、スペイン系の「デ」など、前置詞や冠詞が姓の一部として使われる場合、ソートキーには省略する、先頭に置く、末尾に置くと、複数の方法があります。これらについては、原則として省略しない場合は姓の一部として先頭に置き、しばしば省略する場合はソートキーからも省略することを推奨します。

--アルビレオ会話2012年11月20日 (火) 11:06 (UTC)

  報告本文に反映しました。--アルビレオ会話2012年12月6日 (木) 12:11 (UTC)

この文書の分類・位置づけについて 編集

ただいまプロジェクト‐ノート:プロジェクト関連文書#分類用サブカテゴリ作成の提案に基づいてカテゴリを作成した上で、各ガイドラインの分類を整理しているのですが、本文書については多少分類しづらい部分があるため、どう分類すべきか意見をいただければと思います。
ガイドラインのカテゴリのうちの3つ、Category:記事の執筆についてのガイドラインCategory:記事の内容についてのガイドラインCategory:記事のスタイルについてのガイドラインについて、日本語版と英語版の現状を調査した結果、おおよそ以下のような状況にあることがわかりました。
  1. 「記事の執筆についてのガイドライン」は、記事執筆に関連するガイドライン全般についてのカテゴリであるが、そのうち特に記事の内容とスタイルについてはそれぞれ「記事の内容についてのガイドライン」、「記事のスタイルについてのガイドライン」に分類されている。したがって「記事の執筆についてのガイドライン」に残っているのは内容とスタイル以外のその他の執筆に関連するガイドライン(ナビゲーションや各種執筆手順など)である。(cf.Category:記事内容のルール, en:Wikipedia:List of guidelines
  2. 英語版においては記事執筆に関連するルールのうち、記事の内容についてのルールはWikipedia:方針とする場合があるが、記事のスタイルとその他の執筆に関連するルールはガイドライン止まりである(cf.en:Template:Wikipedia policies and guidelines)。これはおそらくウィキペディアの目的 ― 百科事典を作成する ―から考えて、最も重要なのは記事の内容であり、一方でスタイルやそれ以外の執筆に関するルールはさほど重要でないからだと考えられる。
  3. 英語版の記事の執筆についてのガイドライン(en:Category:Wikipedia editing guidelines)には、カテゴリのガイドライン(en:Wikipedia:Categorization)、リダイレクトスタブ、ショートカット、Wikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:ハットノートなど、記事の本文以外の各種機能がカテゴライズされている。
以上を踏まえて現状の本文書のカテゴリを確認しますと、Category:ウィキペディアの方針Category:記事を執筆するの2つとなっており、素直に考えれば「記事の執筆についての方針」にカテゴライズするところなのですが、これは2.3.の基準に反し現在のカテゴリ構成ではカテゴライズができません。したがって本文書のカテゴライズを変更するか、または基準を変更しなくてはいけません。となると対処方法としては以下が考えられます。
  1. 本文書をガイドラインに格下げし、「記事の執筆についてのガイドライン」とする。
    • メリット:分類基準・格付け基準は完全に首尾一貫しており把握しやすい。
    • デメリット:現時点では本文書は「方針」であり、格下げが必要となる。
  2. 本文書を記事の内容のルールとみなし、「記事の内容についての方針」とする。
    • メリット:カテゴリ構造を変更する必要も、案1のような格下げの必要もない。また格付け基準は首尾一貫している。
    • デメリット:理由3.から見て、本文書だけ内容についてのルールとするのは分類基準が曖昧である。また本文書だけ「方針」とするのは他の類似のガイドラインとの釣り合いが取れない。
  3. カテゴリ構造を修正して「執筆についての方針」を作成し、本文書をそこにカテゴライズする。
    • メリット:本文書のカテゴリを変更する必要がない。
    • デメリット:その他の執筆についてのルールまで「方針」とすることが可能になるため、文書の格付け基準が曖昧になる。
さて、以上の対処方法のうちどの方法を取るべきでしょうか?なお私の意見としては案1です。--Kurz会話) 2012年5月7日 (月) 11:27 (UTC) 追記--Kurz会話2012年5月12日 (土) 09:29 (UTC)
すこし本題からはずれますが、英語版に対応したカテゴリであるのならCategory:Wikipedia editing guidelinesは「記事の執筆についてのガイドライン」ではなく「記事の編集についてのガイドライン」にすべきだったのではないでしょうか。カテゴライズとか改名とかはあまり「執筆」という言い方にそぐわないと思うのですが。--頭痛会話2012年5月12日 (土) 18:59 (UTC)
  コメント まず対処方法1については反対です。そもそもカテゴリは対象を分類するためのものであって、カテゴリのために対象を変更するのは本末転倒です。そもそもKurzさんの挙げた状況2,3はあくまで英語版の状況であり、これを日本語版の基準とみるのは飛躍しすぎでしょう。
カテゴリ構造を見てみると、これは分類のためのカテゴリであり、MECEであることが前提になっていると考えられます。従って「記事の内容」にも「記事のスタイル」にも関係するものはどちらにも含めず、「執筆について」に分類すべきだと思います。その点から見ると対処方式2には問題があります。
対処方式3のデメリットとして挙げられている内容は、「方針」だけをカテゴライズすれば良いだけの話であり、実際にデメリットとなるものではありません。
結論として対処方式3を採用すべきだと考えますが、頭痛さんのコメントを含めて考えると、カテゴリ名はCategory:記事についての方針の方が良さそうに思います。なお、本方針のほかにWikipedia:曖昧さ回避も同じカテゴリになるでしょう。--アルビレオ会話2012年5月12日 (土) 22:08 (UTC)
  コメント まず「記事の執筆についてのガイドライン」ですが、この名称は既存のカテゴリであるCategory:記事を執筆するを踏襲したものです。私としては別に英語版の直訳として「記事の編集についてのガイドライン」とか「記事を編集する」としても構わないのですが、問題のカテゴリは2007年に議論に基づいて設置され[6]それなりに定着しているもののように見えますので、特段変更する理由がなければ現状を踏襲したほうがいいのではないかと思うのですが、いかが思われますか。
対処法3のデメリットについては多少説明不足だったかもしれません。そもそも今回の提案は、「カテゴリのために対象を変更する」ためのものではなくて、文書の分野別の分類について優先順位を設けるか否かという論点があって、英語版では理由2のような基準(以下格付け基準と呼ぶ)が採用されていてそれには一定のメリットがあるので、日本語版でもそれを採用したほうがいいのではないかというのが主な理由です。さて格付け基準を採用することについてのメリットですが、
  1. ウィキペディアのルールのうち、初心者は方針を優先して覚えるべきとされている。そこで格付け基準を採用すると、優先順位が明確になる上、最初に覚える範囲がコンパクトになり、初心者への負担を減らせる。
  2. あるルールを方針やガイドラインのどちらにするか決める際に一定の基準が設けられる。
  3. 基準が明確で、かつ方針・ガイドラインのサブカテゴリの数を減らすことができるので、カテゴリの全体像を把握しやすい。
ということが挙げられるでしょう。したがって対処法3を取るということは、以上のメリットが享受できなくなるので、文書の分類が多少乱雑になって把握しにくくなることを意味しているのですが、その点についてはどう思われますか。
なお現状で格付け基準に沿っていないのはWikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:カテゴリの方針なのですが、どちらも当時誰かが{{policy}}を貼ったからpolicyとなったというだけで、「方針」とした議論も合意も特に見当たりませんでしたので、ガイドラインとしても特に差し支えはないものとも考えられます。--Kurz会話2012年5月13日 (日) 00:24 (UTC)
  コメント (この節ではこの「方針」の「カテゴリ分け」についてのみ話し合う、というのであれば、私の意見は無視して下さって結構です。)私は対処方法1を推します(より正確に言えば、方針からガイドラインに「格下げ」したいわけではありません)。なぜなら、このページはガイドラインに相当するからです。私は、カテゴリの方針、曖昧さ回避、署名などのページが「方針」であることに何年も前から疑問に思ってきました。しかし、大きく声を挙げることはしませんでした。日本語版では、方針とガイドラインの違いについて明確な文章は無く、その違いを気にする必要も無かったからです。
さて、私たちは「(合理的な理由が無くとも)ガイドラインであるから守らなくて良い」という主旨の発言を目にすることがあります。これは、ガイドラインを守らなくてもブロックされないことが前提にあります。ここで問題にしたいのは、方針とガイドラインの違いについてです。何故、ガイドラインではブロックされることは無いのでしょうか。理由の一つはガイドラインを構成しているものが禁止条項ではないからです。ガイドラインが作られ、追加される条文は「そうした方がうまくいく(ベストプラクティス)」というものです。逆に言えば、ほとんどの方針にある条文はブロックされるほどのものです。明文化された前提すらない持論になりますが、このような考え方では、「カテゴリの方針」はガイドラインに相当します。--Frozen-mikan会話2012年5月13日 (日) 07:09 (UTC)
  コメント 頭痛さんとアルビレオさんの意見への回答はしましたので、何か意見ないし反論があればお願いします。--Kurz会話2012年5月19日 (土) 06:18 (UTC)
  コメント 複数の観点が混在していて話がやや混乱しているかもしれません。
  • Wikipedia:方針とガイドラインで方針とガイドラインが定義されており、Wikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:カテゴリの方針は方針として5年以上運用されているので、それをガイドラインにする場合は広く合意を取る必要があるでしょう。なお、現時点では私はガイドライン化する必要は無いと考えています。この2つがあまり議論せずに「方針」になったのはその通りだと思いますが、ある程度の期間「方針」として運用されているものは経緯はともかくとして「方針」として扱うべきだと考えます。(同様の議論がどこかにあったと思うのですが、見つけられませんでした。)
  • 日本語版のWikipedia:記事名の付け方Category:記事のスタイルについてのガイドラインですが、英語版のen:Wikipedia:Article titlesは方針(policy)です。私はゆくゆくは「記事名の付け方」を方針に格上げすべきだと考えています。格上げした時にはそれは「Category:記事のスタイルについての方針」にするのでしょうか。だとすると、現時点でも「曖昧さ回避」と「カテゴリの方針」はCategory:記事のスタイルについての方針を作成してそこにカテゴライズしておけば良いでしょう。
  • Kurzさんの言う格付け基準のメリットについては、「方針」と「ガイドライン」の格付けとは別に考えるべきだと思います。Wikipedia:画像利用の方針Wikipedia:存命人物の伝記などは「方針」ではあるが、初心者が必ず覚えなければいけないものではなく、画像を利用しようとする人や、人物記事を執筆しようとする人が見れば良いものでしょう。
  • そもそも「内容について」と「スタイルについて」の整理が不十分なのではないでしょうか。英語版ではguidelineではcontentとstyleを分けているものの、policyにはcontentしかなく、Article titlesはcontent policyになっています。
--アルビレオ会話2012年5月19日 (土) 22:05 (UTC)

カテゴリ名の変更手順ないしはその指針も示してもらいたい 編集

カテゴリ名、たとえば、「安全技術」を「安全」に変更すべきと考えています。 英語のSafetyに対して、「安全技術」を対応させていることが理解できないため、「安全」カテゴリを英語サイト等に習って「社会」主要カテゴリの下に置こうとしましたが拒否されています。

拒否するからにはそれなりの理由があるのだと思います。しかし、変更提案の手順が見えません。 

そこで、カテゴリ方針にカテゴリ名をよりふさわしいものにする提案についての手順または指針を記載してもらいたい。 --Kanehiro 2012年9月11日 (火) 04:32 (UTC)

後に、[改名 | http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%AE%E6%94%B9%E5%90%8D#.E6.94.B9.E5.90.8D.E3.81.AE.E4.BB.95.E6.96.B9]に関するページがあることが分かりました。うえのノートを無視していただいて結構ですが、方針ページに関係する手段へのリンクがあればよいではと考えます。

--Kanehiro 2012年9月11日 (火) 04:53 (UTC)

内容とは関係ないことですが、上記のURL自体が表示されている部分は「改名」という表示文字列で「Wikipedia:ページの改名#改名の仕方」へのリンクを作成するつもりだったものと思われます。リンクに関してはHelp:ページの編集#リンクHelp:リンクを参照してください。--ぬまぶくろう会話2012年9月11日 (火) 13:57 (UTC)

リダイレクトについて 編集

現時点のカテゴリの方針では、「カテゴリページはリダイレクトとすべきではありません。」と規定しており、Wikipedia:ページの改名#改名の仕方でも、改名後のカテゴリページは削除するようになっています。

しかし、ノートページなどでカテゴリへのリンクがあって、そのカテゴリが改名された場合、リンクが赤リンクとなって論旨がわからなくなる危険があります。

これを解決するため、リンクされているカテゴリページを改名する場合は、元のカテゴリページから改名後のカテゴリページへリダイレクトしてよい、とすることを提案します。--アルビレオ会話2012年10月13日 (土) 23:39 (UTC)

  反対 一見カテゴリの如きリダイレクトが存在すると、利用者が記事でそれをカテゴリとして指定し不適切な分類となる(探している記事が見つからなくなる)おそれがあります。検索ボックスのオートコンプリート機能を利用する際に障害にもなります。また、一口に「リンクされている」と言っても、改名提案ページやその他管理ページなどリンク切れとなっても問題ないもののみの場合や、改名後のリンク修正によりリンクがなくなる場合も多いです。
もしノートページなどでリンク修正が不適当なリンクが残っている場合は、削除の要約欄に改名先のカテゴリへのリンクを含める、とするのではいかがでしょうか。赤リンクなので利用者は削除されていることがすぐに分かり、かつリンクも辿ることができます。--Penn Station (talk) 2012年10月15日 (月) 15:38 (UTC)
コメントを頂き、調べてみたところいろいろな運用がされていることがわかりました。
私の懸念したノートページに削除前のリンクが赤リンクとして残っている場合は、赤リンクをクリックすることで削除前の情報がわかることが知られていて、かつ管理者が要約欄に改名後のカテゴリの情報を含めていることが多いので、実態としては問題ないことが多いようです。なので提案はひっこめますが、すでにそのようにしている例もあり、カテゴリの改名についてはもっと公知が必要だと思います。--アルビレオ会話2012年10月15日 (月) 21:51 (UTC)
挙げてくださったうちCategory:ももいろクローバーは私が対処したものですが、削除理由としてWikipedia:削除依頼/Category:ももいろクローバーへのリンクを載せているので、当該ページを開いていただければ、移行先のカテゴリ(Category:ももいろクローバーZ)が分かるようにはなっています。一方、Category:オデッサの人物の移動先はCategory:オデッサ出身の人物ですが、移動記録は表示されていませんね(元々カテゴリの移動は新カテゴリ作成→旧カテゴリ削除のため)。
(1) 移動の残骸で、(2) ノートページなどでリンク修正が不適当かつリンクを維持すべきリンク元ページがある場合、は削除の理由に移動先のカテゴリへのリンクを含むようにした方が良さそうですね。
公知はお知らせか井戸端あたりですかね。こちらの議論が落ち着いたら考えましょうか。本文書の文面も、もう少し問題点を分かりやすく説明した方がよいかなとも思いました。--Penn Station (talk) 2012年10月16日 (火) 11:51 (UTC)
挙げて下さった例を元に、移動先の調べ方をHelp:カテゴリ#改名先は?に書いておきました。--Ahora(会話/履歴2012年11月24日 (土) 06:47 (UTC)
英語版ウィキペディアではen:WP:R#CATEGORYで解説されていますが、en:Template:Category redirectというテンプレートがあって広く使われています。たとえばen:gory:Kanto regionはテンプレートを使って、正しいen:Category:Kantō regionへリンクしています。ユーザーがそれをカテゴリとして指定し不適切な分類となる問題についてはボットが定期的に修正しているようです。--Kusunose会話2012年10月16日 (火) 04:33 (UTC)
ご紹介ありがとうございます。日本語版にもTemplate:Category redirectとして移入されていますね。Bot運用がされていない現状では使用すべきではないと思います。Botを動かして維持する程重要なものなのだろうか、むしろ利用者(特にWikipediaに不慣れな利用者)には分かりずらくなるだけでは、とも思います。--Penn Station (talk) 2012年10月16日 (火) 11:51 (UTC)
英語版ではen:WP:CfDでカテゴリの削除や改名が議論されますが、改名したもの全てにこのテンプレートを貼っている訳ではないようです(このテンプレートを貼ることも、「ソフトリダイレクト」と呼んでいます)。en:WP:CATREDによると、削除しても繰り返し作られたり、カテゴライズされたりするカテゴリに対して使われ、またテンプレートの過去ログen:Template_talk:Category_redirect/Archive_1#What this template is forでは一意でない表記にも有用、とあります。
日本語版で{{category redirect}}が使われているカテゴリは現在10くらいありますが、幸いそれらのカテゴリに分類された記事はありません。ですので、それらのカテゴリを削除し(必要ならばノートページに移動先を記し)、一時的にテンプレートをカテゴリページでは使えなくしようと思います。もっとも削除されたカテゴリのノートの冒頭に貼るテンプレートとするならば、見易いので有用かも知れません。--Ahora会話2012年11月10日 (土) 07:47 (UTC)

節「リダイレクトカテゴリ」の改名提案 編集

(前の節の議論とは関係ありません。)

Wikipedia:カテゴリの方針#リダイレクトカテゴリは、誤りではありませんが、英語版にある「リダイレクトを集めたカテゴリ」と紛らわしいので、「カテゴリのリダイレクト」への改名を提案致します。特に反対が無ければ、10日程で実行します。

<span id=...>を使い、前の名前へのリンクはできるようにします。--Ahora会話2012年10月26日 (金) 07:54 (UTC)

  実行しました。あわせて可読性のために表現を少し修正しました。--Ahora会話2012年11月6日 (火) 05:48 (UTC)
  コメント「カテゴリへのリダイレクト」では如何でしょうか。さらに明確になると思います。--アルビレオ会話2012年11月6日 (火) 12:51 (UTC)

ああ、なるほど、それでしたら「カテゴリ間のリダイレクト」でどうでしょう。「カテゴリへの」だと普通のページからカテゴリにリダイレクトするみたいなので。(アルビレオさんと何を話しているのか説明しますと、「カテゴリのリダイレクト」でも、やはり「リダイレクトが属する/を集めたカテゴリ」と混同しやすい、という事です。)

ただ厳密には、「間」を挿入すると、カテゴリ自体のリダイレクト、という意味合いは少し薄れるような気もしますが、どうせそんなものは存在しないので(前の節で指摘された、それに近いものを実現させようとしているen:template:Category redirectはともかくとして)、問題はないでしょう。--Ahora会話2012年11月6日 (火) 23:40 (UTC)

確かに「カテゴリへの」だと普通のページからのリダイレクトにも見えますね。セクションのタイトルは「カテゴリ間のリダイレクト」にして、本文を次の文章にしてはどうでしょうか。
カテゴリページ(Aとします)へリダイレクトするカテゴリページ(Bとします)を作成しないでください。このようなリダイレクト化されたカテゴリの作成自体は可能ですが、ページにカテゴリBを付与しても、そのページがリダイレクト先のカテゴリAに属する訳ではありません。リダイレクトの意味を成さないばかりか、カテゴリに混乱が生じてしまいます。
もう少し練った方が良いかもしれませんが、まずは叩き台ということで。--アルビレオ会話2012年11月8日 (木) 13:57 (UTC)

  アルビレオさんの案を参考に、本文を改訂しました。--Ahora(会話/履歴2012年11月21日 (水) 12:44 (UTC)

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