共産主義の定義に関わって 編集

共産主義の定義の中の「すべての人間の自由で全面的な成長・発達を目的とする思想、運動、社会体制」の文言のもとになっている文献は以下です。

マルクスの『共産党宣言』の中での、未来社会についての次の文言 「階級および階級対立をもつ古いブルジョア的社会の代わりに、各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件である結合社会が現われる」 および『資本論』のなかでも、未来社会について語るとき、「自由な人々の連合体」(第一部第一篇「第1章 商品」)、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする、より高度な社会形態」(第一部第七篇「第22章 剰余価値の資本への転化」)などの記述があり、これらをもとにした表記です。 240F:3C:6018:1:1089:A384:82B6:60B3 2022年1月7日 (金) 05:15 (UTC)返信

  このノートページは、Wikipedia日本語版の方針文書について議論する場です。個別記事の議論については、当該項目のノートページ(ノート:共産主義)のほうでお願いします。ご注意ください。--小石川人晃会話2022年1月7日 (金) 11:24 (UTC)返信

「自主公表された情報源:公式サイト」の文章の一部修正の提案 編集

自主公表された情報源:公式サイトについて、現在以下のような記述があります。

例えばウィキペディアに、ある政治団体の記事があったとします。この記事について、その政治団体が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。 — 2021年9月26日 (日) 08:08の版より

この文の主部は「その政治団体が開設しているウェブサイト」で、述部は「(その政治団体自身に関する情報源として)使用できます」ですが、あまりに修飾が多く文意を捉えにくくなっていると感じます。この部分について、以下の修正を提案します。

例えばウィキペディアに、とある政治団体を主題とした記事があったとします。この記事において、その政治団体が開設しているウェブサイトは情報源として使用することができます。ただし、これは一次資料をどう扱うべきかを良く理解して、その情報が記事を執筆するために重要であると十分に判断できる場合に限定されるべきです。過度に自己を美化するものではないことはもちろん、もし第三者によって公表された信頼できる情報源があればその情報と矛盾していないかを良く確認してください。 — 修正案1

意味的には大きな変更はないと考えます。大きな変更点として、WP:PSTSへのリンクを加えていますがこれはリンク先と自主公表された情報源:公式サイトに強い関連があり、リンク先を参照することで理解が深まると考えたためです。以上が私の提案です。ご意見いただけれだと思います。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月1日 (火) 14:47 (UTC)返信

  報告 修正案を反映しました。--しんぎんぐきゃっと会話2022年3月13日 (日) 10:21 (UTC)返信

編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果は、読者に検証可能か? 編集

ノート:交響曲第1番 (佐村河内守)での議論中に、あるウェブページAとそのウェブアーカイブBについて単に参照するだけでなく、AとBを比較して分かることも検証可能性を満たす旨の意見が出ました。いわく「比較は人間精神の自然な反応であり、検証可能性から排除されていないと考えるのが妥当」ということです。以上について、現在のWikipedia:検証可能性という方針に反するかどうかご意見願います。--2019jul07会話2022年4月5日 (火) 10:16 (UTC)返信

  コメント 話が抽象化され過ぎてしまっているので私からも説明させて頂きます。あるウェブページの過去の版に掲載されていた指揮者のコメントが現在のウェブページには掲載されていないので、ウェブページAと、コメントが掲載されているウェブアーカイブBの両者を出典として示した上で「文章は削除されている」と書くのは検証可能性を満たすと私は考えますが、2019jul07さんは検証可能性を満たさない、と主張しています。--Gruppetto会話2022年4月5日 (火) 14:55 (UTC)返信

  • 検証可能性というよりはWP:SYNの話でしょうか? --Kto2038会話2022年4月5日 (火) 11:31 (UTC)返信
  •   コメント 私は「情報の合成」に該当すると考えます。AとBの両者を出典として示したところで、AとBの内容をウィキペディアの投稿者が比較し「文章は削除されている」と書くのであれば、解釈を加えたことになると考えます。「文章は削除されている」を記載するならその比較を直接行った信頼できる情報源を示すことが必要だと思いますし、そうすれば情報の合成には当たらないと考えます。逆に、そのような情報源がなく、AとBを比較して記載するような方法をとったところで、その内容の重要性(WP:IINFOに合致しないこと)を主張できないと思います。ウィキペディア的に本当に重要なことであれば、直接的な比較を行った信頼できる第三者言及があって然るべきだと思います。--郊外生活会話2022年4月5日 (火) 16:32 (UTC)返信
  • 同じような問題について、以前にノート:吉野敬介で過去の著書と後年の著書の比較の記述について議論になったことがありますね。ただ、ウェブアーカイブは、その時点でのそのページの内容が本当に正しく保存されているのかどうか保証できませんし、極端に言えば一度ページをデタラメな内容に書き換えてそれをアーカイブに保存するといったことも可能なわけで、過去の記述に関する保証が書籍や新聞に比べると弱いのではないかと思います。書籍の比較内容を記述することは許容されても、ウェブアーカイブとの比較内容を記述することは許容すべきではないかもしれません。なお「人間精神の自然な反応だから検証可能性から排除されていない」というのはさすがに無茶な主張というものです。例として「何かを実際に見てその見たままの内容を書く」のも「人間精神の自然な反応」と思いますが、検証可能性の上では許容されていませんので。--Muyo会話2022年4月6日 (水) 02:09 (UTC)返信
WP:SYN(情報の合成)について。件の議論中に出た意見は、ページAとアーカイブBを編集者が比較した結果は検証可能つまり発表済みの情報に当たるというものです。WP:SYN(情報の合成)はそれに解釈を加えることを禁じるものであり、発表済みの情報とは何かを定めるものではありません。今一度、検証可能かどうかという点についてご意見願います。--2019jul07会話2022年4月6日 (水) 08:03 (UTC)返信

ご意見ありがとうございました。ウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果は検証可能なものではないとWikipedia:検証可能性で定めることを  提案 します。--2019jul07会話2022年5月13日 (金) 04:03 (UTC)返信

  追記 具体案を以下に示します。現在、

分かり易く言えば、検証可能性とは信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)からすでに公開されている情報だけをウィキペディアに記載することで、読者にも検証可能にするということです。編集者が独自に検証できるからといって、それは(一般的な)検証可能性を満たしたことにはなりません。

となっている部分を、

分かり易く言えば、検証可能性とは信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)からすでに公開されている情報だけをウィキペディアに記載することで、読者にも検証可能にするということです。編集者が独自に検証できるからといって、それは(一般的な)検証可能性を満たしたことにはなりません。例えば、ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果をウィキペディアに載せてはいけません。

とします。--2019jul07会話2022年5月25日 (水) 04:41 (UTC)返信

  提案無効 二点、問題があります。まず一点目ですが、そもそもの方針の解釈が明らかに間違っています。「編集者が独自に検証できる」ということの例は、「あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。 」で端的に示されている通りです。つまり、ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を比較してその差異に言及することは、「編集者が独自に検証できる」範疇には全く当てはまりません。同様の手段で「誰でも検証できる」からです。その差異(比較した結果)の重要性の評価および編集者の解釈を挟むことの問題については郊外生活さんも指摘されている通りですが、いずれにしろ検証可能性の範疇からは外れます。この点はノート:交響曲第1番 (佐村河内守)での議論においても、既に紅い目の女の子さんから「そこは認めなければ話が進まない」という旨の指摘がなされています。そして二点目の問題ですが、前述の通り論ずるべきは「情報の合成」ないし「情報の重要性」についてであるということで各編集者の見解は概ね一致を見ており、2019jul07さんただひとりが「検証可能性」についての議論に拘泥されているのが現状です。これは先行するノート:交響曲第1番 (佐村河内守)での議論のみならず、同じ趣旨で行われているノート:にじさんじにおける議論でも同様の傾向が認められ、そのために議論をこじれさせてしまっています。斯様な状況でこうした提案をされるというのは、率直に言って横車を押すに等しい振る舞いであると評すほかありません。--どろりあん会話2022年5月27日 (金) 07:45 (UTC)返信
一点目。ウェブサイトとそのウェブアーカイブの差異が「誰でも検証できる」という事実はありません。Wikipedia:検証可能性が定める「検証できる」内容とは、信頼できる情報源が公表・出版している内容のことであり、編集者が比較した結果はそれに当たりません。二点目。ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容の差異が「誰でも検証できる」のであれば、WP:SYNには当たりません。であれば、WP:SYNが論ずるべきであることはないはずです。ノート:交響曲第1番_(佐村河内守)#出典不明の記述についてで論じているのがWikipedia:検証可能性についてであることは、このノートで私とGruppettoさんが述べた通り共通の見解です。  提案 は5月13日にしたもので、5月25日に行った編集以降のノート:にじさんじ#チェ・アラ氏の扱いでの私の発言は無関係です。--2019jul07会話2022年5月27日 (金) 10:11 (UTC)返信
一点目については先の議論同様に水掛け論の様相を呈しているため、これ以上のやりとりは不毛でしょう。二点目については一点目とも関連しますが、「差異が存在するという事実」と、「その差異をどう解釈するか」はそれぞれ別の議論である、というのがその要諦です。今一度議論の流れをご確認ください。なお議論の時系列については当方の事実誤認でした。申し訳ありません。お詫び申し上げるとともに、当該部を訂正させていただきます。--どろりあん会話2022年5月27日 (金) 10:41 (UTC)返信
  どろりあん さん 水掛け論になっているので「定めることを   提案 」しました。また、WP:SYNではなく検証可能性について議論をする理由は4月6日 (水) 08:03に述べましたのでご確認ください。--2019jul07会話2022年9月10日 (土) 14:01 (UTC)返信
  反対 提案のように1つ1つの事例に対して指示を増やし続けることが良い方向だとは思わないので提案自体には賛成できません。
それはそれとして、最初の質問である「ウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果が検証可能かどうか?」についての回答は「その議論と結論に意味はない」と言えます。というのも、検証可能であろうとなかろうと、その結果に関してウィキペディアで意味のある記述とすることはほとんど不可能だからです。事例のように(具体的な議論や文面は見ずにあくまで一例として一般論として取り上げますが)、「ウェブページから、とある記述が削除された」という事実がありそれが仮に検証可能だと結論付けたとしても、その記述を単独で使うことは極めて困難でしょう。そのような結果を用いる時、実用上は、その比較結果Xの前に、何か前段の記述Yがあった上で、XはYに対する証拠やYの主張する観点の推進のために用いる以外に、使い道はありえないのではないですか?例示の「記述が削除された」を使えば、例えば、「A社の製品Bの効用について疑問の声が上がった(○×新聞)。A社は製品Bの公式サイトから効用についての記述を削除した(現在とウェブアーカイブとの比較結果)」と書いた場合、前文がYで後文がXになるわけですが、これはあたかもA社が製品Bの効用がないことについて公式に認めて撤回したように読めます。しかし、これはまさにWP:SYNの言う「特定の観点(A社が公式に効用がないことを認めた)を推進するような、発表済みの情報の合成(両記述間の繋がりが不明であるのに並べることで1つの事象のように扱った)」に該当しますよね。一方、もしそのような前段記述Yがない場合、「比較した結果」はあくまで「結果」だけですから、物事を「説明」する百科事典の記述にはならず、ただの事実データベース・まとめサイトにしかならないので、ウィキペディアにはふさわしくない記述でしょう。やはり何かしらの意味や考察Yがないと、その事実Xが単独でとても重要でそれだけで何か意味が成立するような極めて特殊な状況でもない限り、「ウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果」を使えるところはないと思いますが・・・、それで使うと先に書いた通りWP:SYNになります。という意味では「使って良い」と例示することにもまた反対で、何も明記せず、可・不可は事例毎によって議論し見極める(超特殊な事例でないかを確認する)しかないと思います。--青子守歌会話/履歴 2022年9月10日 (土) 14:54 (UTC)返信
10日 (土) 14:54のコメントを読む限り、ウィキペディアで扱うためには「検証可能である」と「特殊事例である」の両方の条件が必要だということになるので、「検証可能かどうか?」の結論に意味がないとは考えません。しかし、個別の事例について追加し続けることが不適だということには同意するため、  提案 の内容を「ウェブページとそのウェブアーカイブを独自に比較した結果が検証可能なものではないことは、現在のWikipedia:検証可能性で既に定められていると追認する」ということに変更します。--2019jul07会話2022年9月11日 (日) 06:32 (UTC)返信
大前提を書いておくと、ウィキペディアで扱うためにに必要なのは、検証可能性と特殊事例であるという議論以外に、独自研究でないことや中立的な観点であること、そして百科事典の説明として間違っていないことなども必要不可欠です。つまり、「検証可能であるかどうか」を単独で考えても「ウィキペディアに載せてよいか」の結論は出ません。特に、検証可能性は独自研究と密接に関連しており、「検証可能ではないなら、独自研究である」がほぼすべての場合において成立します。「独自研究を排するために検証可能でなければならない」と言い換えても良いでしょう。ゆえに、今回の「ウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果」のように、まともな百科事典の記述(単なる無差別な事実の列挙ではなく記事としてふさわしい説明)にするためには独自研究するしかない(WP:SYNにひっかかる)ような記述は、「検証可能であるか」以前に、そもそも独自研究である時点でウィキペディアに記載できません。私たちウィキペディアンは、決して多くない私たちの資源(時間や労力)を、百科事典としてのウィキペディアの発展に集中させるべきで、「検証可能である/ない」が決定されたところそもそもウィキペディアの記述として使えないような、ウィキペディアの発展に寄与しない議論や方針整備をすべきではありません。--青子守歌会話/履歴 2022年9月11日 (日) 09:29 (UTC)返信
ノート:交響曲第1番 (佐村河内守)での議論に還元できなければ意味がないので、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの保証を得るために、「ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果」がウィキペディアにふさわしい内容かどうかの議論をWikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないかで告知か話題追加することを  提案 します。--2019jul07会話2022年9月11日 (日) 10:48 (UTC)返信
2019jul07さん、「ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果」について検証可能性に追加する必要はないと思慮します。上で複数の方が情報の合成と判断されています。方針で相互に補完しあっているので現状でも「ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果」は記載することはできないはずですよね?記事に対しての影響が変わらないのであれば蛇足ではないでしょうか?逆に、仮にですが何らかの方針転換で情報の合成に変更する必要が出た場合に検証可能性に対しても議論する必要が出てしまい、手間が増えてしまいます。ノート:交響曲第1番 (佐村河内守)も三大方針検証可能性ではなく独自研究は載せないで足りる話しのはずです。--ぷにを会話2022年9月12日 (月) 00:44 (UTC)返信
繰り返しになりますが、ノート:交響曲第1番 (佐村河内守)では「ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果」は「検証可能性から排除されていない」という意見が出ています。この意見と、Wikipedia:独自研究は載せないにより記載できないという意見は両立しません。よって、本件が独自研究に当たると考える者が記載に反対すると同様に、独自研究に当たらないと考える者は除去に反対するため、結局のところWikipedia:独自研究は載せないを示すことは有効ではありません。--2019jul07会話2022年9月12日 (月) 09:14 (UTC)返信
『ウェブサイトとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果」は「検証可能性から排除されていない」という意見が出ています。この意見と、Wikipedia:独自研究は載せないにより記載できないという意見は両立しません。』この部分について私の理解が足りないのか申し訳ありませんが分かりません。三大方針はそれぞれ補完しあうものですから、検証可能性中立的な観点を満たしたとしても独自研究は載せないに該当すれば記載するべきものではないはずですよね?この節の上でもWP:SYNだと判断する方が複数いたはずです。独自研究に当たらないと考える方により丁寧に説明し納得いただくか同様の問題が続く場合に独自研究は載せないで提案するのならまだ分かるのですが、検証可能性に記載する内容ではないと考えています。そもそもWP:SYNでは「AでありBである、ゆえにCである」という三段論法は信頼できる情報源で発表されている場合にのみ掲載できることになっています。「ウェブサイトには記載があるウェブアーカイブには記載がない、ゆえに記載は削除されている」はまさに典型例ではないでしょうか?--ぷにを会話2022年9月13日 (火) 00:58 (UTC)返信
私は本件を「Wikipedia:検証可能性を満たしたとしてもWikipedia:独自研究は載せないを満たさない」という事例だと考えていません。書くかどうか議論されているのは「ウェブサイトには記載があるウェブアーカイブには記載がない、ゆえに記載は削除されている」ではなく、「記載は削除されている」だけです。WP:SYNはそのような記述を「また」で接続することを制限していません。--2019jul07会話2022年9月13日 (火) 01:56 (UTC)返信
「記載は削除されている」とするには前提として記載されていた事実がなければいけません。ウェブサイトだけ見ても元々載っていなかったのか、ページ改訂で載らなくなったのか(削除とは若干違う)、削除されたのかは分かりません。ウェブアーカイブと比較検証したからこそ言えることではないでしょうか。ゆえに書かれていなくても「ウェブサイトには記載があるウェブアーカイブには記載がない」から「記載は削除されている」であると考えます。そして仮に『「記載は削除されている」だけです。WP:SYNはそのような記述を「また」で接続することを制限していません。』であれば、やはり手を付けるのはWP:SYNであって検証可能性ではないように思います。--ぷにを会話2022年9月13日 (火) 03:02 (UTC)返信
本ノートでの  提案  取り下げて、Wikipedia:独自研究は載せないについて検討することにします。皆さんありがとうございました。--2019jul07会話2022年9月13日 (火) 03:19 (UTC)返信
  報告 Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較したとき、その結果は独自研究か?で検討を始めました。--2019jul07会話2022年9月13日 (火) 05:10 (UTC)返信
よくわかりました。--153.190.129.1 2023年1月3日 (火) 07:24 (UTC)返信
--153.190.129.1 2023年1月3日 (火) 07:25 (UTC)返信

先に書いた文章がどこに表記したか分からなくなったので、新たに書きます。議論下さい。 編集

 親鸞が信じたアミダ仏とは、法蔵菩薩(アミダ仏の修行時代の名前)の時に『仏説無量寿経』(『大経』)に、「人生は苦なり」とすべての人が苦しみ悩んでいる姿を観察して、この人たちすべてを自分と同じアミダ仏となって、同じ幸せと喜びを味わって戴きたいと願われました。

 その願いが48願となり、第18番目の願いを「本願」と呼ばれました。「十方の衆生が心から信じ、我国に生まれたいと願って念仏を称えたが、もし極楽浄土に生まれなかったら、私はアミダ仏の命を捨てます。」と誓われます。

 その救いの方法は「なむ(も)あみだぶつ」と聞こえる声を出して念仏することです。アミダ仏は自分がアミダ仏になるに必要な全ての善根功徳を、名前に備わるようにと願って修行を積まれたのです。その名前を称えると、聞こえた人にアミダ仏になるに必要な、功徳が届けられ他力による「利他行」を実行したことになります。大乗仏教では利他行をすれば、必ず「苦しみの根源の無明が破られ、一切の志願が満たされる」と教えます。 

 その本願を信じて念仏を称えたら、信心が「即」に浄土に往生し、即にアミダ仏同等の「大信心」となります。そして、わが身に還ってきて、アミダ仏同等の利他行を実行しなさいと勅命されます。このブッダの心となった深信を、「横超の信心」と呼ばれました。この「横超」で一宗開闢の必須条件の「教相判釈」を建て、全仏教中最も早く最も易くブッダとなる、優れた教えだと論証されました。ここが親鸞孤高の教えです。

 ところで利他行を実行させようという勅命を、「わが身」は「嫌だ」と抵抗し反逆します。その時に、初めて自然に「私は悪人でございました」と信心が気付くのです。これ以前の罪悪感は偽物です。なぜなら、煩悩を持った凡夫が「私は悪人です」とは決して気付くことはできなく、「私が善人です」としか考えないのです。だから、親鸞の罪悪感は釈尊の悟りに当たる、「証」から生まれた深信の自覚なのです。「大信心」者は「如來にひとし」と、『華厳経』で解かれたと親鸞は論証されます。

 さて、「わが身」の煩悩が、信心が如来となった真実信心の「如実修行相応」(アミダ仏同等の実働)の邪魔をしても、真実信心を「日光」に譬えわが身の煩悩を「雲霧」に譬え、「下に闇なきがごとし」と説かれます。必ず利他行は貧窮者のために、僅かでも尽くす教えなのです。もし、全く尽くさないなら「信不具足」と一刀両断となる教えだったのです。--いりいよしき会話2023年1月18日 (水) 09:17 (UTC)返信

  返信 (利用者:いりいよしきさん宛) ここはWikipedia:検証可能性に係わる議論の場です(先に書いた文章は、もしかしてノート:親鸞でしょうか)。ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんもご覧ください。ご納得のほどお願いします。第三者の皆様へ、暫く経ちましたらば、このコメント含めて節ごと削除でよいです。--小石川人晃会話2023年1月18日 (水) 11:18 (UTC)返信

本文または要旨に現状の英語版の説明を加えられませんか。 編集

本文か要旨に現状の英語版の趣旨を加てほしいと思うのですがいかがでしょうか。--121.115.128.139 2023年4月6日 (木) 06:55 (UTC)返信

この「検証可能性」のページは、元は英語版の翻訳から始まっていると思います。
ところが現状は、最近の英語版とは内容がかけ離れており、いわゆるガラパゴス状態だと思うのです。
日本語版の説明は、「出典のない記述は一切書いてならない」とも読めるもので、これはもちろん実態とかけ離れているし、おそらくWikiやWikipediaそのもののコンセプトとも相反すると思います。
この矛盾は英語版では解消されています。
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思うに、日本語版の元になった2006年4月頃の英語版の状態は、その過渡期で特殊な状態だったのではないでしょうか。
元々日本語版を独自進化させるという志向でもないと思います。
今の英語版に寄せる努力をすべきかと。
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現状の日本語版の説明があると、自主的取り締まり活動をしたがる編集者に対して反論しづらくて困るのです。
英語版の趣旨だけでもどこかに入れるか、あるいは「英語版の方針も参照せよ」といった一文を入れられないでしょうか。--121.115.128.139 2023年4月6日 (木) 07:11 (UTC)返信
今の英語版の序文にはこうあります。
All material in Wikipedia mainspace, including everything in articles, lists, and captions, must be verifiable. All quotations, and any material whose verifiability has been challenged or is likely to be challenged, must include an inline citation to a reliable source that directly supports[b] the material. Any material that needs an inline citation but does not have one may be removed. Please immediately remove contentious material about living people that is unsourced or poorly sourced.
これはわたしの読み違いでなければ
・あらゆる記述は検証可能でなければならない。
・"検証可能性について疑義が呈された記述”には、出典が示されるべき
・"検証可能性について疑義が呈された”上でなおかつ出典なしのままの記述は(それを理由に)削除されうる
・存命人物にかかる議論を招く記述は即取り除くべし
こんな趣旨と思います。これは日本語版Wikipediaの編集の実態とも合致すると思います。--121.115.128.139 2023年4月6日 (木) 07:46 (UTC)返信
英語版と日本語版での記述の差はWP:多言語プロジェクトとしてのウィキペディア#プロジェクト間の協調・分業体制に『プロジェクトの方針やルールは、中立的な観点の方針などごく一部を除いて、各言語版の自治を通じて形成されています。(引用ここまで)』と記載されており、各言語間で差が出ることは問題ないかと思います。また、英語版の序文ですが、2行目は「検証可能性に疑義が呈されたまたはその可能性のある記述には出典が必要」3行目は「出典が必要なのに付けられていない物は削除される可能性がある」(共に大意)と読めました。なので英語版でも出典のない記述を見た編集者が「この内容本当に正しい?出典がないけど?」と感じた記述に対して「出典が必要なのに付いていない記述だから」として削除することは起きるのではないですかね?--ぷにを会話2023年4月18日 (火) 06:34 (UTC)返信
議論へのご参加ありがとうございます。(反応が遅れてすみません。)
>各言語間で差が出ることは問題ない
ごもっともです。私も単に同じにしなければならないとは思いません。しかし「合意が形成されているか」という点では問題があると思います。
日本語版の策定当時、方針を輸入することには合意があったと考えられますが、当時の英語版をその後永続的に保持するのか、英語版が変わったらそれに追従させるかという点は十分議論されていない可能性があります。当時の日本語版利用者に、日本語版は英語版とは独立に管理するという認識があったかもわかりません。したがって、現状の日本語版の方針は根拠となる合意形成が根本的に欠けているとみなされてもおかしくないと思います。
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>英語版の序文ですが
端的に違いを挙げますと、英語版では削除がしたかったらまず「要出典」をつけよ(あるいはそれに準じた議論を始めよ)ということが日本語版より明確です。それだけでも、即リバートする編集者に対しての防衛は容易になるでしょう。
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さらに検証可能性の定義が、英語版では「出典が見つかりうること」といった趣旨になっています。探せば当然みつかるものは付けなくてよいとか、出典を探してつけるのは記述を書いた本人でなくてよいということが、日本語版より明確になっています。--121.115.128.139 2023年4月20日 (木) 05:02 (UTC)返信
追従も保持も特に明言されているわけではありませんが、上で挙げさせていただいたWP:多言語プロジェクトとしてのウィキペディア#プロジェクト間の協調・分業体制にあるように既に他言語版という別プロジェクトですよね。長らくの間改訂もされながら自治されてきているのでそれまでの多くの参加者は差が出ている状態を問題ないと判断してきたのではないでしょうか。それがないから納得できないというのであれば正しく提案し、議論されていることを周知し、合意を得られれば変更できるかもしれません。英語版の序文以外もざっと目を通しました。「要出典を付けよ」というより「要出典を付けることも検討してください」くらいですかね?日本語版でも似たようなことは書かれています。「探せば見つかるものは付けなくてよい」はどこにありましたかね?何度か読み返してみたのですが見つけられていません。Wikipediaの方針と食い違う内容にも聞こえるのであれ?と思っています。出典を探して自分でつけることをお勧めしている点は確かにありましたが、逆に英語版には「出典を示す責任は掲載を希望する側に」という内容がありません。別々のプロジェクトで運用してきた中で出てきた差ですが、これは言うならば英語版よりも正しくあるために厳しくなっている点ででしょう。私としてはここで方針についての微改訂を頑張るより記載したい内容について出典を用意してから記載することに注力する方が得られる物が大きいのではないかなと思います。--ぷにを会話2023年4月20日 (木) 06:55 (UTC)返信
ご意見拝見しますた。
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>長らくの間改訂もされながら自治されてきているのでそれまでの多くの参加者は差が出ている状態を問題ないと判断してきた。
これは同意しかねます。私は日本語版方針の出処や英語版の方針を確認しようとは長らく思いつきませんでした。そしてやっとコメントしていただいた貴方も英語版との差をご存じなかったようです。日本語版の編集者の多くは「英語版と違っても問題ない」としているのではなく「英語版と大きな違いはない」と考えているものと思います。そして、そういう編集者が大多数ということであれば、日本語版の方針ガイドラインが合意形成に基づいたものでないと見做されうることとなるかと思います。
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私が先に書いた「探せば当然みつかるものは付けなくてよいということが日本語版より明確」
については該当部分を後で抜き出すつもりです。(私が読み違えていた可能性もありますが)
「出典を示す責任は掲載を希望する側に」に相当する記述は英語版の方針ガイドラインのどこかにはあった気がします。
見つかったら示します。
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>別々のプロジェクトで運用してきた中で出てきた差
この点ですけども、当方の考えでは日本語版はルールのメンテナンスに手が回っていないために大筋が輸入(翻訳)当時の状態で放置されているだけだと思うのです。無論それは運用してきた中で出てきた英語版との差です。そして日本語版のほうがむしろ日本語版の実態と合致しないというかふさわしくないと感じるわけです。
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仰る通り、当方の提案は微改定ですから、頑張る必要はないはずです。そのための議論よりもはるかに大きな規模の(不毛な)議論を微改定によって無くせると思います。それを後まわしにして目先の編集成果を追うべきでないと思うわけです。
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また、「出典を用意してから記載することに注力する方がよい」というご意見ですが、これは、これからWikipediaに参加しようとしている方や参加したばかりの新規編集者を蔑ろにしかねない考え方だと思います。わたしの読み違いでなければWikipediaは「ルールを知らないひとであっても編集に加わってよい」というスタンスのはずです。--121.115.128.139 2023年4月20日 (木) 12:27 (UTC)返信
「出典を示す責任は掲載を希望する側に」に相当する記述ですが
英語版en:Wikipedia:Verifiability#Responsibility for providing citations
太字のところ
The burden to demonstrate verifiability lies with the editor who adds or restores material,
が対応するかと思います。--121.115.128.139 2023年4月21日 (金) 02:58 (UTC)返信

--121.115.128.139 2023年4月20日 (木) 12:30 (UTC)返信

「大筋が輸入(翻訳)当時の状態で放置されているだけだと思うのです。(引用ここまで。)」についてですが、検証可能性だけで言ってもノートでの議論が過去ログに残っています。なので放置されているというのは違うでしょう。英語版について参照している方も過去ログの中ではいるので私たちが触れなかった・考えなかったとはいえ気付く人はいますし、そもそも分業のため必ず参照しないといけないわけでもないはずです。今回の問題はいわばトレードオフの関係です。記述をしやすくするほどに方針である検証可能性を無視しますし、検証可能性を強く求めるほどに記述するハードルが上がります。なのでここを微改訂しても不毛な議論の毛色は変われど量はそれほど変わらないのではないですかね?「新規編集者を蔑ろにしかねない考え方(引用ここまで。)」についてはWikipediaは新規の方を排除しませんが、方針・ルールは存在します。これはWikipediaに参加するためには必要不可欠です。なので新規編集者の問題の記述に関してはWP:BITEWP:AGFのようなガイドラインに合わせた対応をすればよく、検証可能性を横に置いてまで許容するべきことでもないかと思います。私のイメージですが将棋を始めたばかりの人が二歩をしたら二歩は駄目だよとルールを教えるべきで二歩を許してそのまま続行するべきではないといえば伝わるでしょうか。--ぷにを会話2023年4月21日 (金) 01:42 (UTC)返信
まず、貴方の最後の例え話について、
Wikipedia方針を将棋の二歩に例えることは全く不適切でミスリードを誘うものです。
二歩のように単純明快に禁止されているものはWikipedia方針にはほとんど無いはずです。ルールでの禁止はせずコミュニティの合意を最大限尊重するといった趣旨のはずです。--121.115.128.139 2023年4月21日 (金) 02:55 (UTC)返信
ですが二歩のような禁止事項だと思い込む人が多数いる。
その内には即リバートのような極端な行動をとって、引っ込みがつかなくなる。
そういう人は検証可能性の記事しか読んでいないのかもしれませんね。--121.115.128.139 2023年4月21日 (金) 03:09 (UTC)返信
二歩が例えとして悪かったなら申し訳なかったのですが、「記述するには出典を付ける必要があるし、それがないと消されるかもしれないんだ。」と新規参加者に教えるのが正しく「新規参加者の記述だから出典がなくても残してあげよう」は間違いですし、出典を探してあげるのは善意であり義務付けるものではないでしょう。英語版との差異が問題ないことは既に説明しましたし、過去ログを参照すればメンテナンスされてこなかった訳でもないことが分かります。英語版から翻訳され、より良くしようと議論されてきた結果の今を改訂したいのであれば以前お伝えした通り、提案し、周知し、合意するしかないのではないでしょうか。--ぷにを会話2023年4月21日 (金) 04:34 (UTC)返信
私の見解は以下のようなところです。
新規参加者かどうかは関係なく、
・出典がなくとも記述してよい
・出典があってもなくても除去されうる
・出典がないという理由のみで消されるものではない
・出典の有無と出典の要不要は別問題
・出典必要の記述には要出典のタグをつける。
・要出典タグは出典提示を特に記述者本人に求める趣旨ではない
・出典が必要だと感じた人がそれをつけるのは推奨されている。これは記述者本人に限ったことではない。
--
日本語版の五本柱や検証可能性のページだけを見て「出典無しで記述してはいけない」という考えに至る人がいることは存じています。
--
ログについて:
私は過去ログを見たところ、メンテナンスされていないという印象を受けました。また、英語版の翻訳について吟味された形跡がないと感じました。
--
提案周知合意についてはその通りと思います。--121.115.128.139 2023年4月23日 (日) 09:15 (UTC)返信

インデント戻します。121.115.128.139さん、お疲れさまです。上にお書きになったWikipedia:検証可能性の英語版の一文"All quotations, and any material whose verifiability has been challenged or is likely to be challenged, must include an inline citation to a reliable source that directly supports[b] the material. Any material that needs an inline citation but does not have one may be removed."を「"検証可能性について疑義が呈された記述”には、出典が示されるべき」「"検証可能性について疑義が呈された”上でなおかつ出典なしのままの記述は(それを理由に)削除されうる」と訳出してますが、原文中の"is likely to be challenged"(検証可能性について疑義が呈される可能性が高い記述)を訳出されていませんが、英語版にはこの表現も含まれるということでよろしいですよね。--うら会話2023年4月21日 (金) 10:12 (UTC)返信

上の趣旨の提示だけでは不足ということでしたら
私なりの拙訳を提示しますが、そうしますか?
英語に長けた人を待ってもよいと思いますが。--121.115.128.139 2023年4月23日 (日) 03:08 (UTC)返信
121.115.128.139さん、お疲れさまです。では、訳をお示しいただけますか? 上で趣旨を示していただいた部分の内容で結構ですので。--うら会話2023年4月23日 (日) 07:50 (UTC)返信
All quotations, and any material whose verifiability has been challenged or is likely to be challenged, must include an inline citation to a reliable source that directly supports[b] the material. Any material that needs an inline citation but does not have one may be removed.
すべての引用と、検証可能性についてのチャレンジを受けたかそれが見込まれる記述(※厳密にはWikipediaの要素)には、その記述を直接支持する信頼できる情報源へのなんらかの参照が付けられている(すなわち出典を備える)はずです。ついてあるはずの出典が無い記述は、(今後)削除されるかもしれません。--121.115.128.139 2023年4月23日 (日) 08:58 (UTC)返信
ありがとうございます。いただいた訳について、太字部分を修正しました。問題ないでしょうか?→「すべての引用と、検証可能性についての疑義が示された疑義が示される可能性が高い記述(※厳密にはWikipediaの要素)には、その記述を直接支持する信頼できる情報源へのなんらかの参照が付けられてい(すなわち出典を備え)なければなりません。ついてあるはずの出典が無い記述は、(今後)削除されるかもしれません。」--うら会話2023年4月23日 (日) 11:13 (UTC)返信
  • 引用や記述の“状態”について、「なけれならない」と訳すのは賛同できません。示されている状態が事実と異なっていた際に、何を表したい文章なのか怪しく感じられませんか。
  • 貴方の訳は「投稿する際の方針」として解釈する前提のように私には見えます。
いま提示されている元英文を見る限りそうではないはずです。それとも元英文のページ全体の文脈からはそう見えるということでしょうか。
  • 「may」は将来的出来事というニュアンスがあります。一方「するかもしれません」といった日本語訳では、必ずしも将来のことという風に受け取られません。言葉を濁しているだけという解釈が成り立つからです。もし、「今後」を外すということでしたら、なにか別なことばで補うべきと思います。
--121.115.128.139 2023年4月24日 (月) 03:41 (UTC)返信
121.115.128.139さん、コメントありがとうございます。
(1)
> 引用や記述の“状態”について、「なければならない」と訳すのは賛同できません。示されている状態が事実と異なっていた際に、何を表したい文章なのか怪しく感じられませんか。
→ 「示されている状態が事実と異なっていた際」とは何でしょうか。『「すべての引用と、検証可能性についてのチャレンジを受けたかそれが見込まれる記述」について「その記述を直接支持する信頼できる情報源へのなんらかの参照が付けられてい(すなわち出典を備え)ない」状態』のことですか。そうであれば、その状態であるべきではない(あってはならない)、すなわちそのような記述が存在するべきではない(存在してはならない)、ということではありませんか。それとも、記述されている内容の状態が事実と異なっているということですか?
(2)
> 貴方の訳は「投稿する際の方針」として解釈する前提のように私には見えます。
→ なぜそう見えるのですか? 『「すべての引用と、検証可能性についてのチャレンジを受けたかそれが見込まれる記述」について「その記述を直接支持する信頼できる情報源へのなんらかの参照が付けられてい(すなわち出典を備え)ない」状態』については、投稿する際の方針に限定するものでなく、私の解釈は上(1)のとおりです。
(3)
> 「may」は将来的出来事というニュアンスがあります。一方「するかもしれません」といった日本語訳では、必ずしも将来のことという風に受け取られません。言葉を濁しているだけという解釈が成り立つからです。もし、「今後」を外すということでしたら、なにか別なことばで補うべきと思います。
→ 「may」を推量として訳しておられますが、法律文書では、mayには許可を示す表現があると知りました。であれば「A may be removed」は「Aは削除することができるものである」という表現のほうが適切ではないでしょうか。
以上、よろしくお願いいたします。--うら会話) 2023年4月24日 (月) 09:43 (UTC)(一部修正しました。--うら会話2023年4月24日 (月) 11:24 (UTC)返信
--
(1)
日本語で「出典がついていなければならない」という決まりがあるとされながら、実際にはついていなかった場合、どう考えますか?
1 決まりが間違っている。
2 決まりは理想的な状態を示すもので、相反する状態も許容している。
3 出典がついていなかったらつけろという意味。
このうちの2が無難な解釈だということが分からないときというのが必ず出てきます。
その原因のひとつが「(ある状態に)なければならない」を、「(なにかを)しなければらない」のように意思の込もるものとして解釈しがちなことです。
元英文のincludeはここで意思を感じさせるような使い回しではありませんから、mustと合わせて、意思を想起させないよう訳すのが無難と思います。
こんな理由もあって、「出典がついているでしょう」「出典がついているに違いない」「出典がついているはず」といった“単に状態を記述しているだけの説明”であることが明確な訳とすれば議論せずに済むかと思います。
--
(2)
貴方の意見は元のページの文脈の話ですか?
それとも提示されている英文だけ見てのご意見ですか?
--
(3)
mayとmaynotは推量としては5分5分らしいです。
「してもよい」、許可という言い方はあり得ます。
ただし、実際にはこの「削除」は他の条項でも制約を受ける事柄ですから、このくだりにおいて許可は出せません。
もし許可と解釈したいならば「他の条項に違反しない限りで(除去してもよい)」といった断りが少なくとも必要と思います。
>「Aは削除することができるものである」
その訳は間違っているとはいいませんが、許可ではなく推奨のようにとられかねません。
英文ではそういった意思を込めた書き方はされていないと思います。
「削除されるかもしれないし、されないかもしれない」
「削除してもよいし、しなくともよい」
こんなとこと思います。--121.115.128.139 2023年4月25日 (火) 04:16 (UTC)返信
--
>その状態であるべきではない(あってはならない)、すなわちそのような記述が存在するべきではない(存在してはならない)、ということではありませんか。
 ありません。と思います。
貴方の説明は、mustについて、いわゆる推量と義務が混ざっていると思います。
mustが、状態についての記述であるなら「推量」であり
動作や意思についての記述であるなら「義務」と解せば無難な訳となるはずです。
推量として訳した上にさらに義務のニュアンスを込める必要はありません。
また、「推量」は、「状態にとっての義務」ではない。そこで誤解が生じがちだからこそ「推量」と「義務」に分けることになっているのだと思っています。。--121.115.128.139 2023年4月25日 (火) 04:40 (UTC)返信
「なければならない」について、事典では義務付けられていて個人の意思で選択する余地がない、勝手に変えることが許されない事柄と説明されています。辞書によって多少の違いがあるにしても「決まりは理想的な状態を示すもので、相反する状態も許容している。」は明らかな間違いです。--ぷにを会話2023年4月25日 (火) 04:54 (UTC)返信
「辞書を読みながらであれば2の発想にはならない」
ということでしたらば
特に否定しません。--121.115.128.139 2023年4月26日 (水) 08:56 (UTC)返信
IPさん、私(うら)の(1)(2)(3)についてお返事ありがとうございます。
(1)についてですが、「出典がついていなければならない」という決まりがあるとされながら、実際にはついていなかった場合とありますが、ここでIPさんは「疑義が呈されているまたは疑義が示される可能性が高い記述には、」という前提を抜いておられます。英語版による場合、単に出典がない記載が問題ではなく、疑義がある/ある可能性が高いという意思にかかる条件付けがあることから、単純に状態についての根拠のない推量を示すものではない、というのが私の考えです。それを踏まえるとIPさんの1~3の選択肢のうち、私は文の趣旨を踏まえた3である「疑義が呈されているまたは疑義が示される可能性が高い記述には、出典がついていなかったらつけられなければならないという意味。」以外にはないと考えます。議論があればお聞きします。
(2)は両方です。(3)はIPさんも判断しえないようですので英語にお詳しい方のご意見をお聞きしたいところです。--うら会話) 2023年4月25日 (火) 10:04 (UTC)(一部加筆しました--うら会話2023年4月25日 (火) 10:11 (UTC)返信
>疑義がある/ある可能性が高いという意思
「疑義がある/ある可能性が高い」は意思ではないと思います。
--
>「疑義が呈されているまたは疑義が示される可能性が高い記述には、出典が(ついていなかったら)つけられなければならない」
一つ目の文がこの意とするならば、後の文がmustであるべきです。
実際にはmayであり、矛盾するように思います。--121.115.128.139 2023年4月26日 (水) 08:54 (UTC)返信
>一つ目の文がこの意とするならば、後の文がmustであるべき
「後の文も」
ですね--121.115.128.139 2023年4月26日 (水) 09:11 (UTC)返信
IPさん、コメントありがとうございます。
もし、状態について述べるmustを「~でしょう」「~のはず」「~に違いない」と訳さなければならないのであれば、この前の文「All material in Wikipedia mainspace, including everything in articles, lists, and captions, must be verifiable.」も状態ですので、は「Wikipedia名前空間のあらゆる記事やリスト、キャプションなどのすべての要素は検証可能であるに違いない。」となるのでしょうか。IPさんが当初(2023年4月6日 (木) 07:46 (UTC))記したように「あらゆる記述は検証可能でなければならない。」とするほうが適切だと思います。最後の「may be removed」については英語にお詳しい方のご意見をお聞きしたいところです。--うら会話2023年4月27日 (木) 17:55 (UTC)返信
まず、2023年4月6日 (木)の記述は抄訳ではあるかもしれませんが翻訳ではありませんのでここで引き合いに出すような対象ではないと思います。
---
なければならないという訳にしたいとのことかと思いますが、
その訳とした際には、ぷにを氏指摘のようにgoo事典などを見て、「実現するように観測者が義務を負う」すなわち英語の「You must」の文意が込められているかのように解釈されうるようですから、その是非を示されたら良いかと思います。
  • 推量と解釈できるmustについて、「婉曲的に『You must ...』の意味が暗に込められている」とみなすことが適切かどうか
ということですね。--121.115.128.139 2023年4月28日 (金) 07:57 (UTC)返信

あと、2文目の「"検証可能性について疑義が呈された”上でなおかつ出典なしのままの記述は(それを理由に)削除されうる」と訳出された内容は、「出典が示されるべきものの出典なしの記述は削除されうる」ですよね。--うら会話2023年4月21日 (金) 10:21 (UTC)返信

「出典が示されるべき記事」=「検証可能性についての疑義が呈されたかそれが見込まれる記事」
といったところかと。
上での私の記述は、
現状英語版を「出典が示されるべき記事を『それだけを理由に』削除されうる」と解釈したとしても現状日本語版とは異なり、「出典無しだけを理由に除去される」という意味合いにはならない
ということを指摘したつもりです。--121.115.128.139 2023年4月23日 (日) 08:27 (UTC)返信
『それだけを理由に』に該当する部分というのは元の英文にはありません。--121.115.128.139 2023年4月23日 (日) 08:28 (UTC)返信
念のため言っておきますが、英語版がどうであれ英語版に寄せる意味はありません。英語版が絶対で寄せなければいけない方針・ルールがあるのであれば教えていただきたいですが、そうでないなら英語が得意ではない人がこねくり回すよりも日本語版としてどうあるべきかで提案されるべきです。〇〇が問題だと思うから検証可能性の××の部分を△△に改訂してはどうかのような形です。--ぷにを会話2023年4月25日 (火) 01:01 (UTC)返信
英語版に寄せるということで合意形成するというのも一つの手だと思っています。--121.115.128.139 2023年4月25日 (火) 04:53 (UTC)返信
121.115.128.139さんが英語に長けていて他の参加者も英語に長けているのであればいいですが、英語を得意でない人が英語版に寄せると言っても得意な他の人に作業してもらわなければ正しく英語版に寄せることができません。自身でできないことは提案するべきではないでしょうし、そのような方が現れない限り私が英語版に寄せるという提案に同意することはありません。--ぷにを会話2023年4月25日 (火) 04:59 (UTC)返信
自身でできないことは提案するべきでない、というのはまったくWikipediaの趣旨に反する
というのが私の見解です。
大勢で編集しあうのがWikipediaのはずです。--121.115.128.139 2023年4月26日 (水) 09:01 (UTC)返信
121.115.128.139さんの見解には同意できません。Wikipediaは大勢の参加者が「自分のできること」を積み上げて作っていくものです。仮に121.115.128.139さん、うらさん、私で合意したとして英語版を日本語版に寄せるのは誰ができるんですか?そしてそれが正しく日本語版に反映されていると誰が確認できるんですか?既に2人から英訳について初歩的な指摘(is likely to be challengedがまるまる抜けていた件)をされている人の「恐らくこういう意味だから日本語版よりも英語版の方が優れている」を鵜呑みにできません。自分でも恐らくこんな意味だろうという訳はしていますが、それも正確かは十分な自身がありません。もう何度も言っていますが日本語版として「〇〇が問題だと思うから検証可能性の××の部分を△△に改訂してはどうか」と提案してください。これなら誰の英語力が低くても日本語さえできれば問題ないんですから。--ぷにを会話2023年4月26日 (水) 10:45 (UTC)返信
仮に「英語版を日本語版に寄せる」という合意に到達した場合に
一人の編集者にすべて一任すべきだという合意内容になるとは私は思いません。
--
ぷにを氏が英語に寄せることに反対であることはわかりました。--121.115.128.139 2023年4月27日 (木) 04:35 (UTC)返信
  静観しておりましたがコメントさせていただきます。121.115.128.139さんはこの節で意見を募集されているだけだと思っておりましたが、Wikipedia:検証可能性を改訂されたいのでしょうか。ぷにを氏も言っておりますが「Wikipedia:検証可能性の文章は〇〇が問題点があり、××の部分を△△に改訂することを提案します」のようなわかりやすい提案を再度していただくようお願いします。今のままではどこをどこまで改訂をされたくて議論しているのかがわかりません。また、121.115.128.139さんが行おうとしている改訂はWikipedia:独自研究は載せないも関係するように聞こえますので整合性が取れるような提案をしてください。私の意見はその提案がされた後記載いたします。--Nocto会話2023年4月25日 (火) 18:24 (UTC)返信
  コメント依頼からたまたま流れ着いてしまいましたので用語についてだけ申し上げておきますと、これは仕様書の書式ですので must は「しなければならない」であって should 「するべきである」とは明確に区別されます。 may は「しても(しなくても)よい」です。興味がおありなら RFC2119 [1] をご覧いただくとよろしいのではないかと思います。--枯葉会話2023年5月18日 (木) 18:28 (UTC)返信

「通常は信頼できないとされる情報源」にもう一つ追加することを提案します。 編集

現在「信頼性に乏しい情報源」「自主公表された情報源」「自主公表された情報源:公式サイト」「 ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイト」の節がありますが、いわゆる「ユーザーが投稿した情報を公開するサイト」(仮称)を追加することを提案します。

これまでも度々、ピクシブ百科事典ニコニコ大百科百度百科の様な「ユーザー参加型のインターネット百科事典」やYahoo!知恵袋の様なナレッジコミュニティを出典とした記事が書かれては削除などの対処をされてきました。私がちょくちょく編集に関わるジャンルだと八百万の神なんかが使われる例もある様です。これらは実質的には「ウィキペディア自身及び~」と変わらないのですが、明記されていない所為もあってか使われる例が中々無くなりません。「ウィキペディア自身及び~」に追記するというのも一寸考えたのですが、ウィキペディアとその他の百科事典サイトなどを混ぜるのは混乱の元かな、と。

「ユーザーが内容を投稿・編集できる」ものと、書籍の百科事典のオンライン版など「専門家の査読済み」であるインターネット百科事典とは明確に切り分けるべきですので、可能であればピクシブ百科事典Yahoo!知恵袋の様な実名を挙げて「こういうのは出典に使っちゃダメ」と明記できないかと考えています。--KAMUI会話2023年10月15日 (日) 01:07 (UTC)返信

  賛成 実名を挙げることも含めて。--Anesth Earth会話2023年10月21日 (土) 00:59 (UTC)返信

文面としては最低でもこんな感じになるでしょうか。

Pixiv百科事典ニコニコ大百科百度百科の様な「ユーザー参加型のインターネット百科事典」やYahoo!知恵袋の様なナレッジコミュニティは出典としては使用できません。それらは「ユーザーが内容を投稿・編集できる」ため、間違った情報や虚偽の情報を書くことが出来てしまうという問題があります。また、こうしたサイトの多くはそもそも「内容を検証するための出典の提示」が必須となっていません。

他に書いておくべき事柄や「文面はこんな方がいいんじゃないか」などありましたら、ご意見頂きたく思います。--KAMUI会話2023年10月21日 (土) 08:47 (UTC)返信

  •   コメント コメント依頼から来ました。「信頼性に乏しい情報源」の記述に「事実確認の機能を欠く」、「編集上の監督を欠く」とあります。これらはそのままユーザー参加型百科事典に当てはまりますので、特別に項目を追加する必要はないと考えます。ユーザー参加型百科事典を出典とする記述を行う編集者に対して、それらを使用しないように促すために、「自主公表された情報源:公式サイト」にある「Xの短文投稿サービス……についても、この方針が適用されます。」のように、「信頼性に乏しい情報源」に具体例としてサイト名を列挙する、あるいは、「事実確認の機能を欠く情報源」か「編集上の監督を欠く情報源」の括弧書きに「ユーザー参加型百科事典等も含む」などを追記するのも良いかもしれません。--ClioneX会話2023年10月21日 (土) 09:06 (UTC)返信
  賛成 コメント依頼を見てきました。KAMUIさんの文案で私は良いと思います。ClioneXさんの言われることも一理はあるのですが、利用者の中には例え話や婉曲表現をあまり気にしない人もいるので、やはり実名を出したほうが良いのでは。--常陸のクマさん会話2023年10月21日 (土) 11:04 (UTC)返信
私も「利用者の中には例え話や婉曲表現をあまり気にしない人もいる」というご意見には同感です。しかし、出典になりうるメディアが数多あるこの世界において、ユーザー参加型百科事典だけを特別扱いにすることには違和感を覚えます。本心では不許可一覧のようなものがあれば話が早いとは考えますが、今後同様に別のメディアもその都度追記してゆくことは現実的ではありませんので、すでにある項目内に付記する程度が妥当だと考えます。--ClioneX会話2023年10月21日 (土) 11:25 (UTC)返信
「信頼性に乏しい情報源」節に入れるのではなく節を分けて「コレは使うな」と明言する方向にしたのには、「じゃあここに書いてあるサンの例みたいに"Pixiv百科事典によれば~"って書き方すればいいんだろ」みたいなやり方されてしまう可能性も考えたからです。つい最近の削除依頼でも「Pixiv百科事典や知恵袋(の利用者が貼った画像)のアーカイブ」の出典としての有効性についてゴネた利用者が居たりしましたので、ハッキリと「サイト自体が出典には使えない」ことを示しておくべきだと。--KAMUI会話2023年10月21日 (土) 13:14 (UTC)返信
KAMUIさんの危惧されていることについては私も同感です。すでに述べたとおり、私もそのような一覧があれば良いとは考えます。しかし、出典となりうるすべてのメディアを列挙して明示するというのは現実的ではなく、ユーザー参加型百科事典だけを特別視するのは誤りであり、やはり「信頼性に乏しい情報源」のように広く網をかけるのが妥当と考えます。--ClioneX会話2023年10月21日 (土) 14:31 (UTC)返信
  賛成 コメント依頼から来ました。ClioneXさんのおっしゃることも分かります。しかし、全てを列挙することは不可能ですが、「何々のような」と具体的にいくつかの名を挙げているだけなので、KAMUIさんの文案に賛成します。--Haatouki会話2023年10月21日 (土) 15:09 (UTC)返信
私も「具体例として列挙することは良いかもしれない」とすでに述べています。ただし、それはあくまでも「信頼性に乏しい情報源」の中であって、ユーザー参加型百科事典だけを特別に別項目にするのは誤っていると申し上げています。それを行えば、KAMUIさん自身が仰った「『じゃあここに書いてあるサンの例みたいに"〇〇によれば~"って書き方すればいいんだろ』みたいなやり方」が、明示されていない出典のすべてに当てはまってしまうことになります。つまり、今度は「『通常は信頼できないとされる情報源』に明示されてないからOKだろ?」という主張を許すことになってしまうということです。--ClioneX会話2023年10月21日 (土) 16:39 (UTC)返信
  例として挙げているだけなので私は良いと思いますが。いろんな方がいらっしゃるのでいろいろ心配しすぎても、とも思います。--Haatouki会話2023年10月21日 (土) 16:53 (UTC)返信
「信頼性に乏しい情報源」に含まれるべき「ユーザー参加型百科事典」を独立するというご提案ですので、単に例示するというのとは意味合いが全く異なります。心配しすぎるとかいう問題ではありません。--ClioneX会話2023年10月21日 (土) 17:18 (UTC)返信
例文にも「様な」と書いたりナレッジコミュニティを含めている様に、対象としているのは「特定のユーザー参加型百科事典」だけではなく「ユーザーが投稿した情報を公開するサイト」全般ですが・・・そもそも「ユーザー参加型百科事典」にしちゃうとそれこそ「誰でも自由に投稿・編集できるけどこのサイトは百科事典を標榜してないのでオッケー」みたいな馬鹿げた話に持って行こうとする利用者は(これまでの多くの事例から見ても)確実に出るでしょう。例えば、依頼文でも書いた八百万の神は「ユーザーによって投稿された神社・寺院に関するコメント等を公開する」としていますが、百科辞典とは称していません。以前調べてみたら間違いや古い情報が・・・あまり更新とかされてないのかも。
また「編集上の監督を欠く」という点から見れば「自主公表された情報源」節にあるブログ電子掲示板も同じですが「じゃあ「自主公表された情報源」節は廃止してこっちも一纏めにしてしまえ」とはならないですよね。--KAMUI会話2023年10月21日 (土) 21:39 (UTC)返信

  返信 (KAMUIさん宛) (インデントを戻します) 各項目を要約すると、『信頼性に乏しい情報源』は「内容が十分チェックされていないものは基本NG、ただし条件付きでOKの場合も」、『自主公表された情報源』は「自主公表は基本NG、ただし著名人なら条件付きでOKの場合も」、『公式サイト』は「自主公表だが例外的に条件付きでOK」、『ウィキペディア自身』は「自己参照になるからNG」ということだと思います。したがってこの認識に誤りがなければ、KAMUIさんが仰る「ユーザーが投稿した情報を公開するサイト全般」も『信頼性に乏しい情報源』の範疇にあると思います。また「ブログや電子掲示板も同じ」については、「編集上の監督を欠く」とは文意が異なります。そこは「(ある分野の専門家だと主張する人物の)ブログや電子掲示板の発言を」と読むのが正解であり、そこだけを切り取って廃止の例とするのは誤りです。KAMUIさんのご提案は、要するに「信頼性に乏しい情報源」の範疇にあるものからカテゴライズできるものの一部を独立させ、明確なブラックリストを作るのと同義だと思います。しかしそれを行うと、それ以外のカテゴリの「信頼性に乏しい情報源」もブラックリスト化しなければならなくなり現実的ではない、というのが私の見解です。--ClioneX会話2023年10月22日 (日) 10:44 (UTC)返信

誤字修正--ClioneX会話2023年10月22日 (日) 10:48 (UTC)返信
ちょっと間が開きましたが、とりあえずClioneX氏のコメントの前に投票されたお二人に再度ご意見を伺うべくお知らせしてきました。常陸のクマさん氏とHaatouki氏にも議論が継続中であることをお知らせした方がいいかしらん。--KAMUI会話2023年10月26日 (木) 09:25 (UTC)返信
  コメント 現状、ルールの例示が不充分なことによるコミュニケーションコストの増大に対してなされたルール変更提案に対し、ルールの改訂コストを憂えているのがClioneXさんと理解しましたが、ここは1つ、あっさりルール変更して、本当に危惧されたようなゴネ得編集者出現が更なるコミュニケーションコスト増大を引き起こす例が続発すれば、元に戻す、ではダメなんでしょうか。私は運用にあわせてルールを変えることには肯定的なスタンスです。現状、ルールの針の穴を執拗に狙う編集者がいる一方で、そもそもルールをろくすっぽ読まない編集者も多い、後者の対応コストが現状大きいというのはそういう保守によく居合わせている(ぽい)KAMUIさんや侵入者ウィリアムさんが仰ることなので説得力があるかな、と私は賛成票を投じた次第です。--Anesth Earth会話2023年10月26日 (木) 10:28 (UTC)返信
  コメント 私としては「ピクシブ百科事典ニコニコ大百科百度百科の様な『ユーザー参加型のインターネット百科事典』やYahoo!知恵袋の様なナレッジコミュニティ」を名指しで原則NGとする文言がどこかに入れば満足で、それを「信頼性に乏しい情報源」に加筆するのか新規の別段落にするのかにはこだわりません。このあたりのサイトを信頼できる情報源だと思い込んで滅茶苦茶な編集をしてごねる利用者が絶えませんので(事例1事例2)。◆本当はen:Wikipedia:Potentially unreliable sourcesのようなブラックリストを作ってガイドライン化する(なお、ブラックリストに含まれないからといって信頼できる情報源とは限らない)のがよいのかも知れませんが、en:Wikipedia:Potentially unreliable sourcesは英語版でもガイドライン未満の私論なのですね。--侵入者ウィリアム会話2023年10月26日 (木) 13:09 (UTC)返信
先の日曜にも旅行サイト・フォートラベルの「クチコミを出典として加筆」した利用者が居たりしましたので(出典無効を貼って、加筆した利用者にお知らせしたところ、今回は幸いにもゴネたりは無かったです)、なるべく「利用者がパッと見て解り易い形で」書ければと思いますけどね。その点から節を分けた方がいいと考えたのですが。--KAMUI会話2023年10月26日 (木) 14:05 (UTC)返信
  返信 全部をブラックリスト化して網羅化(それこそ非現実的)せずとも、「例」としてメジャーなものを挙げるだけで、トータルのコストは下がるのでは無いでしょうか。--Anesth Earth会話2023年10月26日 (木) 14:45 (UTC)返信
  コメント 私も意見変わらず、「例」として挙げることに賛成します。
なお、文面の「何々の様な」はWP:JPE#仮名書きでは「何々のような」です。見ていて少し気になったので。--Haatouki会話2023年10月26日 (木) 15:36 (UTC)返信
  コメント私は変わらず、例示すること自体は反対しないが『信頼性に乏しい情報源』内に留めるべきという意見です。個人的には、それよりも『信頼性に乏しい情報源』に書かれている「出典はここだよと書けばOK」のような説明を、もっと誤解のないような書き方に変えることを提案します。皆さんと同じように、その文言を拡大解釈している利用者には閉口しています。Anesth Earthさんのご理解には少し違っているところがあって、私が言いたいことは「甘い、辛い、酸っぱい、苦い」という区分別けをしているところに「甘いジュース」や「甘いアイスクリーム」というのを同列にしてブラックリスト化するのは誤りだということです。それをやると今後は「これは甘い飴だからOKだろ?」ってことになりかねず、それこそ「甘い飴」「甘いチョコレート」と増やさないとなりませんよ、ということですが、この部分は「改訂コスト」という認識であっていると思います。節を分けて「信頼性に乏しい情報源の例」とするのであれば最初の問題は解決して「改訂コスト」の問題だけになるかもしれませんが、他の方針文書と比べると少々異質なものになってしまうとは思います。--ClioneX会話2023年10月26日 (木) 18:15 (UTC)返信
訂正します。「同列にしてブラックリスト化するのは」ではなく「ブラックリスト化して同列にするのは」の方がより正しい表現です。--ClioneX会話2023年10月26日 (木) 18:19 (UTC)返信
  返信 (ClioneX様宛) 御返信有り難うございます。現状の文面をより、誤解の生じない内容に変えることに関してはご賛成いただけたわけで、既にKAMUI様より、上の方で具体的な文案までご呈示いただいています。漸進主義者の私としては、もうあれでいい、と思うわけなのですが、ClioneX様は、あれを具体的にどのように変更するのがベストとお考えでしょうか? 先ほど申し上げたように、ルール改訂で現状の問題に対処して出るかどうか分からない今後の新たな問題を危惧して何もしないよりは、現状を動かすことに、どうやら総意が決しつつあることとは思いますので、後は具体案制定となるかなと。--Anesth Earth会話2023年10月26日 (木) 21:48 (UTC)返信
  返信 (Anesth Earthさん宛) Anesth Earthさん、ご返信ありがとうございます。私が申し上げたいのは、文面がどうかという以前に、文章の構成が出鱈目になりますよ、ということです。先の説明に用いた「甘い、辛い、酸っぱい、苦い」の喩えでも伝わらないのであれば、これ以上は説明のしようがありませんので、理解していただくことは断念したいと思います。正直なところを申し上げれば、この提案が通ったとしても方針が変わるとか追加されるとか削除されるとかいう性質のものではありませんので、個人的にはコミュニティがそれで良いとするのなら絶対反対ということではありません。また、これは個人的なことなのですが、昨日から2度めの「気に入らない奴を排除せよゲーム」に巻き込まれてしまいまして、今後本議論に参加し続けることができなくなる可能性もありますので、このあたりで離脱したいと思います。私は中立と判断していただいて結構ですので、あとは皆さんでよく検討されてください。--ClioneX会話2023年10月27日 (金) 08:01 (UTC)返信
  コメント 注意書きを増やすか増やさないかに賛否はありませんが、増やすならWikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿と文面を合わせていただきたいところです。--LudwigSKDiskussion/Beiträge2023年10月27日 (金) 07:13 (UTC)返信
「使うべきでないサイトについて名前を幾つか挙げる」点については概ね合意が取れた様に思われますので、あとは文面と・・・場所ですね。
当初「節を分ける」提案でしたが、ご意見を伺う限りではClioneX氏以外の方も「節を分ける」ことは必ずしも必要ではないという事になりますでしょうか。 これまでの議論を含めて「信頼性に乏しい情報源」に付け加えるならば若干の手直しが必要にはなるかな?というのはありますけど。
Pixiv百科事典ニコニコ大百科百度百科のような「ユーザー参加型のインターネット百科事典」やYahoo!知恵袋のようなQ&Aサイト、商品やサービスに対するレビューサイトナレッジコミュニティは出典としては使用できません。それらは「ユーザーが内容を投稿・編集できる」ため、間違った情報や虚偽の情報を書くことが出来てしまうという問題があります。また、こうしたサイトの多くはそもそも「内容を検証するための出典の提示」が必須となっていません。
Yahoo!知恵袋についてはナレッジコミュニティとするよりは分かりやすいであろうQ&Aサイトの記事ありましたので、またレビューサイトについては途中で書いた「フォートラベルの出典使用」を考慮して追加しました。如何でしょうか? また、これらを追加することに伴って「節の他の文面をこう修正した方がいい」みたいな話があれば伺いたいです。なお、Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源Wikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿とでは文体がちょっと違うので、とりあえず考慮していません。--KAMUI会話2023年10月28日 (土) 22:48 (UTC)返信
お久しぶりです、常陸のクマさんです。基本的にKAMUIさんの文案で問題ないかと思います。ちょっと多忙で余り長々と書けずに申し訳ないのですが、よろしくお願い致します。--常陸のクマさん会話2023年10月29日 (日) 06:31 (UTC)返信
  返信 KAMUI様御提案の文面でさらに分かりやすくなったものと思います。私的には不足はありません。-- Anesth Earth会話2023年10月30日 (月) 09:47 (UTC)返信

現時点では変更などの明確なご意見は無い様ですので、議論提起から1ヶ月に当たる11月15日までに他の(内容の変更を伴う)ご意見が無ければ、10月28日の文面を「信頼性に乏しい情報源」に追記する形で行こうかと思います。--KAMUI会話2023年11月2日 (木) 19:22 (UTC)返信

  コメント KAMUI様、こんにちは。私はYasuakiHと申します。Wikipediaで主に英語版記事の翻訳により記事を作成しています。コメント依頼 でこの議論を見つけて皆様のご意見を拝読しました。ご提案の5番目の節を追加する意図を理解します。しかし気になったことが一つありました。それは、五本の柱に直結する方針であるWikipedia:検証可能性に項目を追加することで、意図に反して、抜け道を増やす可能性があるのではないかということです。できるだけ原則は少ないほうが良いですし。
また、この方針をもとに実践的に説明したWikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用というガイドラインとの棲み分けも気になりました。ご提案は、粒度的には、むしろこちらに近いかもしれません。
ところで、「ユーザー参加型」というのは人間のことなのでしょうか? というのも、私が脅威に思うのは、生成AI などの自然言語処理技術が作り出した情報源の使用です。もちろん全てがNGという訳でも、各サイトで使われていると言う訳でもありません。しかし、人間が作る文書と区別するのが困難な文書を作りだす驚異的な性能から、もたらされる倫理的課題について研究者が警告を発していることが報道されるほど身近な存在となりました。「ユーザー参加型」の範囲にこうした技術の生成物が含まれるなら、あるいは方針への反映が必要かもしれないと思いました。(コメントはここまで)
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ご参考
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英語版WPではどうなっているか気になって調べました。便宜のためChromeの機械翻訳で和訳したものを示していますが、最新の原文もご覧ください。思っていたよりもシンプルな書き方になっていること、方針とガイドラインがほぼ1:1に対応していることが印象的でした。細かく具体的に記述することよりも、適用範囲を狭めないことを優先しているようです。
■方針 en:WP:NOTRELIABLE
『疑わしい情報源
疑わしい情報源とは、事実の確認に関して評判が低い情報源、有意義な編集監督が欠如している情報源、または明らかに利益相反がある情報源のことです。このような情報源には、他の情報源によって宣伝的、過激主義的である、または根拠のないゴシップ、噂、または個人的な意見に大きく依存していると広くみなされている見解を表明する Web サイトや出版物が含まれます。(後略)』
■ガイドライン en:WP:QUESTIONABLE
『疑わしい情報源
疑わしい情報源とは、事実確認の評判が低い情報源、または編集上の監督がまったくない情報源です。このような情報源には、過激派として広く認識されている見解、本質的に宣伝目的である見解、または噂や個人的見解に大きく依存している見解を表明している Web サイトや出版物が含まれます。(後略)』
■生成AI
上述の「生成AI」については、英語版WPには方針もガイドラインも見つけられず、唯一、エッセイとして en:Wikipedia:Artificial intelligence で、『コミュニティのコンセンサスとして人間の決定を優先する』という方向性を打ち出し、それを起点として en:Wikipedia:Large language models で、大規模言語モデル(LLM)を使った記事作成を「オリジナルコンテンツ作成は不可だが、(精査を前提に) 編集のためにLLMを使える」と一定の範囲で認めるとしていました。一方、出典としての使用は『LLM が作成した作品は信頼できる情報源ではありません』と原則に反することが述べられていました。
なお、日本語版WPにおいて前者の記事はなく、後者は存在しますが少し古いようです。
以上、取り留めもないコメントとなってしまいましたが、考える機会をいただいたことに感謝します。--YasuakiH会話2023年11月3日 (金) 11:48 (UTC)返信

生成AIについてはそれこそ別に議論した方が良い様な気がします。一応、議論参加者にお知らせしましょうかね。ClioneX氏はなんかブロック依頼の最中なのでどうしたもんかと思いますが・・・--KAMUI会話2023年11月4日 (土) 23:00 (UTC)返信

  •   コメント 生成AIについては別途議論するのがよいと私も思います。◆なお現状の生成AIはそれらしい文章を紡ぐだけで、その文章の中身の信憑性を保証しませんので、「生成AI丸投げであることが明らかな情報源」は信頼できる情報源でない(ウィキペディアで出典として使うべきではない)と私は考えます。--侵入者ウィリアム会話2023年11月4日 (土) 23:33 (UTC)返信
  •   コメント お疲れ様です。会話ページでお知らせいただいたので参上しました。
生成AIについては、現時点では記事執筆には使わず、使うとしても「ウィキペディアの既存の記事の要約」以外は使わないということでどうでしょうか。
侵入者ウィリアムさんの意見に同意です。
下書きにも使わないということにしたほうがいいでしょう。使うとしたら既存の原稿の要約の下書きだけでしょう。ChatGPTを始めとする生成AIで作成した文章は平気で嘘が混じってしまうのが避けられないようです。
試みに幾つかChatGPT3.5に聞いてみましたが駄目ですね。人間なら簡単にわかるようなことでも間違えて回答してきます。下書きでも使い物になるレベルではない。ジャンルを違えて幾つか聞いてみましたがことごとく間違えている。
  • 「関ヶ原の戦い」について質問すると「1600年に現在の福井県近辺の関ヶ原で発生しました。」と回答してきました。関ヶ原は岐阜県ですよね。「近辺と言うなら滋賀県ならまだ分かりますが、福井県とは。
  • 『後漢書』について質問すると「班固(Ban Gu)が執筆を開始し、その兄の班固(Ban Chao)が完成させた」と回答してきました。班固は『漢書』の筆者でこの回答は間違いです。「班固の兄の班固」もわけが分かりません。文章を理解して回答していると言うよりそれっぽい回答を返している感じですね。
  • 「パワプロクンポケット16」という架空のゲームについて聞くと、「日本のプレイステーション ポータブル(PSP)向けに2007年にリリースされた作品です。」とまるっきりの嘘を回答していました。
パワプロクンポケットシリーズは連番は14で終わっていますので16はありません。だから正答は「そんなゲームはありません」なんですが、そういう回答ができないのですね。2007年に発売されたこのシリーズの作品はパワプロクンポケット10、ハードは任天堂DSでソニーPSPではありません。--常陸のクマさん会話) 2023年11月4日 (土) 23:50 (UTC)--常陸のクマさん会話2023年11月4日 (土) 23:56 (UTC)(表記一部修正)返信
  コメント生成AIについては、別に議論した方がよいと私も思います。考えるところは幾つかありますが、ここに書くのはやめておきます。--Anesth Earth会話2023年11月5日 (日) 00:29 (UTC)返信
  返信 皆様、改めて自分の発言を読み返して、生成AIは先走りしすぎだったと反省しています。なので、この場での議論はいったん止めてくださいますか? そして、KAMUI様の 2023年11月2日 (木) 19:22 (UTC) にあった結論、『10月28日の文面を「信頼性に乏しい情報源」に追記する形』に対して同意します。同じ結論であったことを理解していませんでした。--YasuakiH会話2023年11月5日 (日) 02:56 (UTC)返信
  コメント お疲れ様です。会話ページにお知らせありがとうございました。生成AIについては結論は出たようですね。
文面についてはKAMUIさんが示された文案に賛成します。
次に場所についてですが、「信頼性に乏しい情報源」に追加する場合、「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。例えば「イギリスの日刊タブロイド紙『サン』によれば…」としてください」の一文が気になります。
編集者が「重要だ」と主張すれば記載できるとも考えられ、抜け道になるのではないかと考えます。
なので、当初のKAMUIさんのご提案通りの「信頼性に乏しい情報源」節に入れるのではなく、「節を分ける」に賛成いたします。--Haatouki会話2023年11月5日 (日) 06:43 (UTC)返信
すいません。ちょっと家族の体調が良くないので参加頻度が上げられないのですが、他の方も「節を分ける」か「節は分けない」かでご意見頂けると助かります。--KAMUI会話2023年11月6日 (月) 19:31 (UTC)返信
  返信 お疲れさまです。「節を分ける」に賛成します。理由は上に挙げられた抜け道対策です。--Anesth Earth会話2023年11月7日 (火) 00:59 (UTC)返信
  確認 我はIP利用者の身であるが、鉄道記事を主に投稿している者である。コメント依頼から本議論を見て、現状結論が出かけている時ではあるが、少々確認したいことがあって我もコメントしたいと思います。もし、現状議論されている条文が「Wikipedia:検証可能性」の方針として書き加えられた場合、以下の鉄道投稿サイトは、この条文に違反するのではないかという確認であります。そのサイト(一部は実際に出典として掲載中のものもあり)を下記に示します。
  1. C58 239が盛岡へ 掲載サイト:『鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース』、運営会社:交友社
  2. E129系A2編成 回送 掲載サイト:Tetsudo.com みんなでつくる鉄道コム、運営会社:朝日インタラクティブ
  3. キハ120 11が網干総合車両所を出場 掲載サイト:『鉄道ホビタス 鉄道投稿情報局』、運営会社:ネコ・パブリッシング(カルチュア・エンタテインメント)
これらの内2件は大宮総合車両センター(鉄道車両の検査・修繕を行うJR東日本所属の総合車両センター)で、残り1件は網干総合車両所(大宮と同様の業務を行うJR西日本所属の車両所)の読者投稿記事であるが、特に、『鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース』と『鉄道ホビタス 鉄道投稿情報局』は、各鉄道車両基地記事だけでなく、各鉄道車両や各鉄道路線などで多く出典として掲載されてます。一番懸念しているのが、これらのサイトは投稿者が自分で撮影した写真付けて投稿するサイトではあるが、条文の「>それらは「ユーザーが内容を投稿・編集できる」ため、間違った情報や虚偽の情報を書くことが出来てしまうという問題があります。また、こうしたサイトの多くはそもそも「内容を検証するための出典の提示」が必須となっていません。」に思いっきり該当していることです。写真画像付きなので前半の「>間違った情報や虚偽の情報を書くことが出来てしまうという問題」は、流石に運営会社が写真画像とは違った内容の投稿文を掲載することはないので、この部分に関してはクリアできる部分なのかもしれないが、後半の「>こうしたサイトの多くはそもそも「内容を検証するための出典の提示」が必須となっていません。」は完全に該当してしまうので、このようなサイトは今後鉄道記事関連では使えないことになってしまいます。こうなると、今後鉄道記事を編集する際の出典を選ぶ際に、使用できる出典の選択肢が狭まる恐れがあるため、条文に写真画像付き投稿サイトを出典とする場合の使用できるできないについて、何か書き加えることができるのではないかと思うのであるが、どうでしょうか?--2400:4050:9061:FFF0:6075:82E4:ACD4:CA26 2023年11月16日 (木) 09:55 (UTC)返信
それらのサイトについては上で話題にした旅行口コミサイトのフォートラベルなどと同様でしょう。「自主公表された情報源」節でも「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」を除けば出典として不適格とされています。つまり根本的な話としてウィキペディアでは「一般人が書いたもの」は出典としては使用できません。
本改定案はそうしたものでよく"使われてしまう"ものについて明文化するものですので、上で示された鉄道関連サイトを含めて本改定案以前から「そもそも出典として使ってはいけないもの」です。{{出典無効}}などを貼り付けて、書籍など適切な出典に差し替えることを促すべきと考えます。--KAMUI会話2023年11月18日 (土) 06:54 (UTC)返信
(IPアドレスは少々変わりますが、前に投稿したIPと同一の者です)
  確認 KAMUI殿のご見解を拝見しました。更なる確認なのですが、『鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース』の運営会社「交友社」は、鉄道趣味誌の1つである『鉄道ファン』という紙の本を発行しており、その中の鉄道ファン「POST」(このページは、読者投稿を基に各地の鉄道車両などの動向を届けるコーナー)は、そのWeb版である『鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース』の内容をほぼそのまま『鉄道ファン』の「POST」のコーナーに掲載する場合があります。また、『鉄道ホビタス 鉄道投稿情報局』の運営会社「ネコ・パブリッシング(カルチュア・エンタテインメント)」も『レイル・マガジン』(これは、『鉄道ファン』とは違い毎月発行されるものではなく、2022年1月21日発売の453号(2022年3月号)をもって不定期刊のムックと変更になった。詳細はこちらを参照)に『鉄道ホビタス 鉄道投稿情報局』の内容をそのまま『レイル・マガジン』の「NEWS SCRAMBLE(ニュース・スクランブル)」のコーナーに掲載していました(ただし、前述の2022年3月号以降は、不定期刊となったため、それ以降はこのコーナーは廃止されています)。他にWeb版はないものの、イカロス出版が発行する『J train 季刊〔ジェイ・トレイン〕』の「J train NEWSダイジェスト」や電気車研究会が発行する『鉄道ピクトリアル』の「トピック・フォト(Topic Photos)」の各コーナーも写真付きで読者投稿による情報コーナーがあり、これらは紙の本で世間一般の本屋などで販売されるものです。このような、鉄道趣味誌と呼ばれるものはさらに『鉄道ジャーナル』『鉄道ダイヤ情報』もあります。
それで、更なる確認というのは、もし、以前に示した鉄道投稿サイト(再び下記に示します)
  1. C58 239が盛岡へ 掲載サイト:『鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース』、運営会社:交友社
  2. E129系A2編成 回送 掲載サイト:Tetsudo.com みんなでつくる鉄道コム、運営会社:朝日インタラクティブ
  3. キハ120 11が網干総合車両所を出場 掲載サイト:『鉄道ホビタス 鉄道投稿情報局』、運営会社:ネコ・パブリッシング(カルチュア・エンタテインメント)
に掲載された内容が、紙の本で発行された『鉄道ファン』の「POST」や『レイル・マガジン』の「NEWS SCRAMBLE(ニュース・スクランブル)」、『J train 季刊〔ジェイ・トレイン〕』]の「J train NEWSダイジェスト」などの読者投稿情報コーナーに掲載された場合、また、上記の内容が業界では有名・著名な鉄道ライターなど(JBCキャンパスブック『全国保存鉄道』の著者:白川淳氏や鉄道ジャーナリストの梅原淳氏など)がそれらの趣味誌に執筆した場合、これらの情報は出典として有効となるのかです。これらは、いわゆるグレーゾーン的なものになりそうで、特に、前者は、紙の本に掲載された場合は、著作権が投稿者から発行者へと移るはずで、そうなったら発行者である各社は、その内容を検証するはずなので、今回の改訂条文には該当しないと思うのであるが、今一度KAMUI殿のご見解をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。--2400:4050:9061:FFF0:5BC9:9405:9D94:E21B 2023年11月18日 (土) 08:36 (UTC)返信
(前に投稿したIPと同一の者です)
  追記 先ほどの更なる確認したい事項について、少々判らないかもしれなかったので、下記に具体例を示しますと、
上記の2件はいずれも『2018年5月26日に、さいたま市と共同でさいたま市のJR東日本大宮総合車両センターおよびJR貨物大宮車両所で開催された「鉄道のまち 鉄道ふれあいフェア」の開催内容などを鉄道投稿サイトに投稿されたもの』であるが、更なる確認事項は以下のようになります。
  1. 上記の2件が、前者は『鉄道ファン』の「POST」に、後者は『レイル・マガジン』の「NEWS SCRAMBLE(ニュース・スクランブル)」に同じ内容(名義がWeb版と紙版とで違う場合や、文章や写真が運営者側で修正もしくは別投稿者のものを使用した場合も含む)で掲載された場合、出典として有効か?
  2. 上記の2件が、他の鉄道趣味誌、イカロス出版発行『J train 季刊〔ジェイ・トレイン〕』]の「J train NEWSダイジェスト」、電気車研究会発行『鉄道ピクトリアル』]の「トピック・フォト(Topic Photos)」、『鉄道ジャーナル』、『鉄道ダイヤ情報』に(上記2件と文章と写真画像は確実に違うが)「鉄道のまち 鉄道ふれあいフェア」の開催内容が掲載された場合、出典として有効か?
  3. 上記の2件が、業界では有名・著名な鉄道ライターなど(JBCキャンパスブック『全国保存鉄道』の著者:白川淳氏や鉄道ジャーナリストの梅原淳氏など)がそれらの趣味誌に別の特集記事などに執筆した場合、出典として有効か?
ということです。なお、『鉄道のまち 鉄道ふれあいフェア開催』に関しては実際に『鉄道ファン2018年9月号』p.151の「POST」にWeb版とは別名義および写真と文章内容も違うもの(両者とも読者投稿)が、また、『鉄道ダイヤ情報』p.31の「NEWS FILE DOMESTIC(ニュース・ファイル・ドメスティック)」(これは『鉄道ダイヤ情報』編集部による記事)にも同じく『鉄道のまち 鉄道ふれあいフェア開催』のことが掲載されていました。誤解しないでほしいのが、我はKAMUI殿の提案に反対しているのではなく、今まで出典として使えていたと思っていたのが出典として使用できなくなると認定された場合、我はそれに従うつもりでいるが、例外的な条文も作れないか?という確認を取りたいだけなので、その点においてはご理解を賜りたいと思います。--2400:4050:9061:FFF0:5BC9:9405:9D94:E21B 2023年11月18日 (土) 09:55 (UTC)返信
まず「ウェブと同じ内容が読者投稿欄に載った」としてもそれは「読者投稿欄へ直接投稿されたもの」と何ら変わりは無いでしょう。本質はあくまでも「一般人によるものは出典に出来ない」ですから「読者投稿欄」を出典として使用すべきではありません。
一方、「情報の内容」が同じことを伝えていたとしても、ジャーナリストやそのジャンルに関わりの深いプロのライターによって書かれた特集記事などであれば「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」に当たるものと考えられます。鉄道趣味から離れて久しいので白川淳氏が現在どういったポジションの方なのか私には一寸分かりませんけど、梅原淳氏についてはjawpに記事があります。なお、鉄道ふれあいフェアについては「開催された」ではなく「開催します」であれば普通に情報がありますし(ちなみに今年のフェアについての情報ですがJR東日本JR貨物さいたま市埼玉新聞)、「開催された」についても報道での後追いなども存在する可能性はありますので(大宮経済新聞(2014年)アコレ大宮(2016年))、丹念に探してみるべきでしょう。--KAMUI会話2023年11月18日 (土) 12:59 (UTC)返信

(インデント戻します。前に投稿したIPと同一の者です)要は、同じ内容であっても、Webだろうと紙ベースだろうと「一般人の読者が投稿した鉄道投稿サイトや鉄道趣味誌の読者投稿欄は例外なく出典にできない」という結論ですね。これについては十分に理解しました。また、大宮での過去および今年度の鉄道ふれあいフェアについての出典のご教授ありがとうございました。「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」などの記事で使用されている『鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース』や『鉄道ホビタス 鉄道投稿情報局』を出典とするものについては、結構数多くあるので一朝一夕には訂正できないので徐々にやっていくつもりです。因みに、上記で名前を出した白川淳氏や梅原淳氏については、たまたま手元にあった15冊近くあるJBCキャンパスブックの目に付いた著者の名前がそのお二方だったので、例示として出した次第です。特に意味はありません。今回の件については、確認が取れて本当に感謝しています。ありがとうございました。--2400:4050:9061:FFF0:5BC9:9405:9D94:E21B 2023年11月18日 (土) 14:26 (UTC)返信

出典差し替えが手間なのは他のジャンルで経験して理解していますので、頑張ってください。--KAMUI会話2023年11月18日 (土) 20:20 (UTC)返信


(報告)本議論に基づき「通常は信頼できないとされる情報源」に10月28日に挙げた内容を記載しました。なおHaatouki氏とAnesth Earth氏から「信頼性に乏しい情報源」節への記載が抜け道になる可能性のご指摘がありましたので、当初提案通り節を分けて記載しています。将来的な改定が必要になった場合には新たな議論に基づいて行なわれるべきでしょう。議論に参加していただいた皆様には感謝いたします。--KAMUI会話2023年11月18日 (土) 20:20 (UTC)返信

KAMUIさん、更新された方針を確認しました。ありがとうございます。これに抵触した場合の対応として、上に記述された鉄道ふれあいフェアでの考え方が、好ましい方向付けをするものとして印象に残りました。--YasuakiH会話2023年11月23日 (木) 22:06 (UTC)返信

IP氏の投稿記録から追ってこの場に辿り着いたので今更なんですが、鉄道分野におけるこの手のサイトはプロジェクト‐ノート:鉄道/その他#個人運営の情報収集サイトを出典に用いることについてあたりで議論されていて、ユーザー投稿が無条件なのか運営元による採否があるのか(かつ、その運営元はWP:RSを満たすか)が分水嶺となっていました。つまり鉄道誌の読者投稿欄は雑誌編集部による査読を経ているからという理由で使用可能という理屈だったと自分は認識していて、本件の肝である「一般人によるもの」という点が「(WP:RSを満たす)編集部の採否選定により文責は投稿者から編集部に移る」と考えられるか否かだということです(新聞の読者投稿欄とかと同じカテゴリ?)。

この点を加味すると使用可能なのか否か、否とするなら運営元のフィルターという観点は本件追加の文面で説明できているか(ないとしても別の部分に該当する内容があるのか)という点が気になりました。--ButuCC+Mtp 2023年12月13日 (水) 17:40 (UTC)返信

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