Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考/過去ログ5

最新のコメント:11 年前 | トピック:改訂ルールの実際の適用範囲について | 投稿者:Phenomenology

反対・保留等の理由づけについて 編集

反対理由について「説明されるべきこと」 編集

Wikipedia:秀逸な記事の選考/ナリタブライアンにおいて、「必ず説明されるべきことが全て説明されている」について強く保証できない、という理由での保留がありますが、現段階では投票者が認識している、当該記事に不足する「必ず説明されるべきこと」が何であるかの説明がなく、対応が非常に困難です。このような、対応困難と思われる理由による反対・保留があった場合、どのように対処すればよいのでしょうか?ルールについて私の理解が足りないせいかもしれませんが、その投票者があくまでも主張を変えなかった場合、打つ手がないように思われるのですが・・・-- 2006年11月28日 (火) 11:12 (UTC)

個人的には、理由付けのない、またはあまりに漠然とした理由による反対・保留などは無効とするというルールを明文化するというのはどうかと思うのですが、いかがでしょうか?-- 2006年11月28日 (火) 11:28 (UTC)
投票者以外複数名の合意により特定の票をカウントしない、という合意がとれれば、当該票を省くことができるようです。実際そうした先例もありますし…。この方法を踏襲することで対応可能では、と思いますがいかがでしょうか。S kitahashi(Plé)2006年11月28日 (火) 11:41 (UTC)
迅速なご回答を頂き、どうもありがとうございます。さっそくそうしてみたいと思います。-- 2006年11月28日 (火) 12:07 (UTC)
これはまた過去の恥ずかしい例を・・・(苦笑)これに限ったことではないのですが、全体的に評価のつけ方は辛すぎるんでは?と思っています。今回のD5さんの場合は「説明されるべきこと」が補充された時点で賛成なのだから「条件付賛成」に当てはまると思いますし、反対がついているものの中には大幅に手を加えなければ賛成できるという意味合いの言葉があったりして「保留でいいのでは?」と思うものが多く見られます。秀逸選考における反対は決定的問題がありどうしようもないときのみつけるものだと思ってたのですが・・・Elthy 2006年12月1日 (金) 03:41 (UTC)

反対理由について「中高生にもわかる」 編集

反対理由で「中高生にもわかるように」という意見がいくつかありますが、個人的には中学生と高校生の読解力には相当幅があり、一緒のグループとして考えるのは無理があるように思います。義務教育を終えている高校生と、中学生は一緒にできないように思います。

百科事典はある程度啓蒙的なわかりやすい記述を必要としますが、しかしわかりやすさにも一定の限度があるように思います。前に読んだ話ですが(板坂元さんのエッセーだったと思います)、アメリカーナ、ブリタニカなどの英語の百科事典は「高校生」それも1年生か2年生を読者として設定しているそうです(1980年代の話なので、1911年版などはまた違う方針である可能性はあります)。

今後、秀逸選考やあるいは一般に記事を書くときの目標として、ウィキペディアでもこうした対象読者層についての意識の統一が望ましいのではないかと思います。その上で、「中高生にもわかるように」という反対が妥当なものかどうかは、はじめて判断できるように思います。

少し踏み込んでいえば、私は「中高生にもわかるように」というのは、ウィキペディアの仕事ではないと考えています。それはメタなどで提案がでている「Kids Wikipedia」の仕事であって、このプロジェクトの目的の範疇にはないように思うのです。もちろんそうでない意見があるだろうことは想定していますが。

みなさまはいかがお考えですか。--Aphaia 2006年12月8日 (金) 07:12 (UTC)

果たして、百科事典の文章のレヴェルは何処まで求めたほうがいいのかというのは結論が出ない問いだと思います。文型人間の私が物理学化学、あるいはコンピューター言語の記事を読んでも、はっきり言えば、ちんぷんかんぷんであるし、また、その逆のパターンもありうるかと思います。
さて、Aphaiaさんが、今回、このようなコメントをここに書かれたということは、今、選考中の記事全てに反対意見のコメントが書かれていたことが原因だと思いますが、根本的に言うならば、百科事典である以上は、学術的なものであれば、ある程度のレヴェルの参考文献(最低でも大学ないし大学院相当のレヴェルの教科書)に基づいて書くことが私は必要だと考えています。少なくとも、文章のレヴェルも学術論文に次ぐ程度の文章を求めたいと思います。
ナリタブライアンの記事について、Galopinさんが、早速、リコメントをされていらっしゃるみたいですが、中学生や高校生もある程度の教養と知識、また、文章表現能力を持っていると考えるべきです。ナリタブライアンのFA選考に関しては、私もわずかですが、アドヴァイスをさせていただきましたが、反対意見を述べる以上は、5W1Hに基づいて、反証を提示すべきです。5W1Hに基づいての反証ができていない反対意見は、ある程度、無視してもいいかとは思います(ちょっと、言い過ぎかもしれませんが)。
残念ながら、日本語版は、英語版と比較した場合、記事数が大きく見劣りするわけです。現実問題として、私もイスラーム関連の記事を書く以上、日本語版の貧弱な部分を少しでも補正するためにも、最低でも英語版に目を通します。最低でも、それぐらいやる努力は各個人がやっていただきたい。
最後に、Googleと連動した検索エンジンがついている以上、まずは、自分で調べた上で、もしも、検索で引っかからなかった場合は、詳しい人に聞くなり、ノートに質問を書いていただきたい。経緯が全くない質問は単なる書きなぐりだと考えます。
ナリタブライアンの件では、1月、選考の推敲に時間がかかってしまい、何処に不備があるのかおおもめになったのは、明らかですが、大衆文化でも、参考文献と脚注の引用を廉さんが徹底したことによって、検証可能性の問題をクリアして、いつFAになってもおかしくない記事に仕上がったと思います。「白斑」の件は、辞書で「斑」を引けば、病気でないぐらいすぐ分かることだと思いますけど、いかがでしょう?--Tantal 2006年12月8日 (金) 07:38 (UTC)
はじめに重箱の隅から。白斑は、私は「しろまだら」と読めば病気だとは思わないだろうけど、「はくはん」と読めば病気だと思ってもそうおかしくないのではないかと思います。尋常性白斑(シロナマズ)というのがありますし。。これは常識の違いというもので、そういう細かいところをクリアしていけるのがよい記事なのではないかと思います。
話を戻すと、難しいですね。ナリタブライアンの記事は、わたしも正直どこがいいのかよくわかりません。好きな馬だったのですが、百科事典の記事は論文であるという観点からするとどこがポイントなのかつかみづらいところがあって、それを秀逸に推すことがよいことなのかどうか、いまだに迷っています。構成に問題があるというか。それに下でおっしゃっている出典の問題を考えると、文章中の個々の文章の出典が不明で、それも検証可能性が方針になっている今のウィキペディアで積極的に称揚していくべき記事なのかどうか迷いがあります。上で述べておられるようなクリテリアからは、こうした迷いも「もっと調べてこい」ということで一蹴されそうに思うのですが、それは杞憂でしょうか。
百科事典一般の問題として考えれば、対象の設定は難しいのですが、形のある文章を書く以上は、なにがしか限りを付ける必要があるだろうとも思っています。なので、一般的な問題としてではなく、ウィキペディア固有の問題として考えてみたいのです。大まかにでも、そうした方向性がコミュニティで共有できていると、よいなと思っています。そして記事自体の対象設定と、典拠とするべき資料の質の問題というのは、少し私が取り上げたかったこととはずれているようにも思いました。学会発表を子供向け啓蒙書を資料にかけないのはもちろんですが、子供向けだからといって学術論文を資料にしないというものでもないでしょうから。そこで、よろしければ改めてお伺いしたいのですが、Tantalさんが想定している読者というのはどんな読者さんなのでしょうか。他の方からも、ご意見を伺えれば幸いです。--Aphaia 2006年12月8日 (金) 20:44 (UTC)
Wikiで私よりも長い期間で活躍されていらっしゃるAphaiaさんから、以上のような指摘を受けたので、私なりの回答を示しておきたいと思います。
想定している読者執筆者は別物だと考えています。ただ、百科事典である以上は、ある程度の専門性を持たせておくべきだとは考えています。おそらく、私が児童だったころと違って、インターネットは、もはや空気のような存在として学校にもある(?)ことでしょうから、最低限でも、中学生以上は、読者として想定してもいいかとは思います。
しかし、中学生以上を読者の対象にすえたとしても、文章に求められる専門性は必要なわけですから、その辺のバランスは執筆の段階で難しい部分はあるかと思います。
化学の分野は、例えば、モルの概念は、高校生にならないと勉強しないわけですし、数学では、数列微分積分も同様ですね。
現実問題として、私が中心と執筆している分野は、イスラーム世界史、人物録及びイスラーム法概念がほとんどになるわけですが、この分野で、執筆をするとなると高校生の知識ではほとんど何1つ書けなくなるわけです。一例としてあげると高校の世界史では、中東戦争を学習するわけですが、2回のインティファーダについての勉強は学校の先生の教育できるレヴェルがあるかどうかクエスチョンマークがついてくるわけです。ハラールに関しても、「確かに豚は禁忌」ということを学習するわけですが、クルアーンでは、忌避すべき食品であり、どうしても飢えているときは食べてもよいという記述があるということは意外と誰にも知られていない事実があるわけです。
大衆文化に関しても、それこそ、氾濫する情報の中で取捨選択をした上で、文章の執筆を求められるわけですが、漫画に関して言えば、掲載誌・単行本・OVAが、また、競馬に関しては、専門の競馬新聞・雑誌、その馬に関しての一連の刊行物が参考文献になるわけです。 
ただ、執筆するとなるとある程度の知識とその知識を咀嚼した上で文章として表現する能力が求められるかと思います。先述したとおり、今、FA選考に「中高生も分かる」記事が要求されるのであれば、その点を選考の場で指摘すればよいわけです。しかし、問題しすべきは、反復になりますが、5W1Hに基づいての反証ができない反対意見に関しては、反証以前の問題と考えているわけです。--Tantal 2006年12月9日 (土) 00:27 (UTC)
「中高生にも判るように」ってのには、大きく二つの解釈があって、1.文章的な問題があって(やれば出来るのに)初学者が理解しやすいように書かれていない、2.コンテクストそのものが難解で周辺知識がないと理解できない、という二つのパターンがありえます。秀逸な記事の選考で問うべきなのは、この前者の問題でしょう。例えば、文章の説明順がおかしいとか、平易で妥当な表現があるのに難解な言い回しをしているなどは、指摘されて改善されるべきでしょう。一方、Tantalさんが指摘されてるのは後者の問題だと思いますが、こちらの方は「秀逸な記事とは何ぞや」という各人の価値観にも関わってくることなので、解決は難しいかもしれません。個人的にはこういう価値観の関わる部分については、全体的な指針を設けるよりは、ケースバイケースで(難解なコンテクストだが秀逸な記事とするに相応しい、など)判断せよ、とするのが現実的だろうと思ってますが。
私は、秀逸な記事の選考よりもむしろWikipedia:査読依頼の方で作業してることが多いんですが、学術論文での査読と同様、5W1Hで改善すべき部分をピンポイントで示せないような、具体的でない指摘というのは有用性がなく、ウィキペディアにおいては無視されても「文句はいえない」部類だと思います(まー、そもそもの選考システム自体の問題に絡むのでややこしいですが)。そういうことから言うと、「中高生にも判るように」というのは、しばしば一意性がなく曖昧な表現なんで、できるだけ避けた方がいい部類のものだとは思います。例えば単に「中高生に判るように書かれてない」だけしか書かれていないものについては無視されても仕方ないでしょう。ただし「全体としてもっと平易に、中高生にも判るような文章に推敲すべき。例えば、〜の部分は〜にした方がよく、このような記述がいたるところに散見される」という感じで、全体を総括して説明してるような場合は許容されて構わないと考えます。要はこれも「ケースバイケースで判断しろ」ということで。--Y tambe 2006年12月9日 (土) 03:00 (UTC)
「義務教育をちゃんとマスターした人」という意味合いでの高校生ならまぁ分からなくもないです。wikipediaの管理者の選考においても未成年であるという理由で敢えて希望者を排除するように、wikipediaはメディアとして「ある一定以上の知識ある大人」を読者として指定していると考えます。その最低限基準を高校生と置くか大学生と置くか微妙なところですが、「高校を出ていない人もいる」事を考えると高校生なのかな?とも。ただそれ以下である中学生にまで配慮するのは違うかなと思うのです。Elthy 2006年12月14日 (木) 09:03 (UTC)

今なおこの問題については決着が付いておらず、相変わらず揉めることが多いようですね。何をもってわかりやすいというべきかは、同程度の教育を受けた人間でも大きく違ってきますし、主観的評価になりがちです(高橋宏志『法学教室』269号巻頭言、藤田宙靖『行政法学の思考形式 増補版』巻末座談会)。

しかし、まず、投票のルールにおいては、「賛成以外では問題点や改善案を明確に指摘して下さい。賛成の場合も他人が納得するであろう評価をしてください。投票には好みや主義、執筆者・推薦者に対する意見、副次的な影響等を含めないでください。」

とあるのですから、何をもってわかりやすいとするかは「好み」の問題であり、「中高生にもわかるように」書かれるべきだ、というのは「主義」の問題に過ぎません。

一方ウィキペディアにおいては、「ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。」ともあること、またWikipedia:独自研究は載せないには、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説・・・のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」とあることから、ウィキペディア一般において要求される解説とは、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」であり、「ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない」というものであると考えられます。その要求をより良く満たしているものが秀逸な記事だというべきでしょう。秀逸な記事だけ一般記事と異なるものが要求されるとでも言うのでしょうか。また、より一層説明的・教科書な記事が求められるウィキバーシティという別のプロジェクトにおいて名宛人とされているのはその名前から判断する限り大学生以上でしょう。

以上から、秀逸な記事は「中高生にもわかるように」書かれるべきだ、というのはウィキペディアの採るところではないと考えられます。そうでなければ矛盾します。

一般論としても、百科事典の記事だけ読んでその対象の総てを理解するなどありえず、わからなければ自分で調べられる取っ掛かりになることができれば百科事典の目的は達せられます。一方、誰にでも分かる平易な言葉は曖昧であり、初学者や門外漢にわかりやすいと錯覚させるような安易なわかりやすさは内容の不正確を招き、かえって有害になる場合があることはしばしば指摘されるところです(穂積陳重『法典論』188頁、穂積重遠『民法読本』序文、堅田剛『独逸法学の受容過程』125頁)。巷にあふれている、わかりやすいと称するマニュアル本の引き写しをすればそれが秀逸な記事になりますか?この手の本には論理の省略・飛躍や矛盾、明らかに中立性を欠いた記述も少なくなく、「誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」になっているとはいえない(真の意味でわかりやすくない)ことはご存知かと思います。もとよりわかりやすさと内容の正確の二兎を追わなければなりませんが、ウィキブックスという教科書が別に用意されていること、及び百科事典としての性質上、客観的な内容の正確に重点を置くべきでしょう(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。Phenomenology会話2012年11月12日 (月) 20:56 (UTC)

反対理由について「出典無き場合」 編集

そろそろ、推薦の条件として、検証可能性を満たしていること、つまり、信頼できるソース・参考文献が示されていることを必要条件とするべきでは無いでしょうか。--miya 2006年12月8日 (金) 11:09 (UTC)

賛成します。英語版ウィキペディアのように、記述ごとに脚注をいれて出典を明示する必要があるのか、ドイツ語版ウィキペディアのように文献表があることでよしとするのかも、その際きちんとしておいたほうがいいように思います。--Aphaia 2006年12月8日 (金) 15:19 (UTC)
ドイツ語を読めないので(大学のときに、第2外国語で勉強しましたけど、ほとんど忘れてしまったので)、具体的にドイツ語版がどのような形態なのかは推測だけで申し訳ないのですが、私は、英語版のように、脚注と参考文献をある程度網羅している記事を必要条件とすべきではないかと思います。
万年筆が、検証可能性の条件を全く満たすことがなく、3月経過したことを考えるとそう結論付けざるを得ないのが、その理由です。
あと、可能であれば、できるだけ、赤リンクが少ない記事が必要条件として求められるかと思います。どうしても、赤リンクにせざるを得ない場合には、他の言語版で記事があれば、それを併記していただければと思います(そうすれば、その記事を読んだ人が新しい記事を作ってくれるのではないかという期待を持つことが可能なので)。手前味噌で恐縮ですが、自らがメインで執筆した記事を例に2つほど提示させていただきたいと思います。
  1. タウヒードを例に挙げれば、サラフィーという語が出てくるわけです。
  2. ムハンマド・イクバールを例に挙げれば、ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミーが出てきます。
⇒それぞれ、en:Salafien:Jalal ad-Din Muhammad Rumiと赤リンクの後ろに括弧書きすれば、その記事の言わんとすることがある程度、わかるという仕組みを作っておけばいいのではないでしょうか?そこまで、FAの推薦に求めるのは酷でしょうか?--Tantal 2006年12月8日 (金) 16:00 (UTC)
「必要条件とすべき」ということについては、そもそも現在の秀逸記事の選考に諮るときに「必要条件」なんてものがあるのか、という点から疑問を投げかけておきます。「必要条件」=「出典提示されてないものは無条件で審議の門前払いが可能」なんてことを意図してるのであれば、現時点ではまだ時期尚早と言わねばならないでしょう。とりあえず、出典提示が必要と思われる記述について、出典提示が行われていないのであれば、選考の際に指摘して改善要求する部分にする、ということでよろしいかと。単に、現在書かれている「目安」に、出典可能性に関する一文を盛り込むべきではないか、という提案であれば、大いに賛成します。もし、もっと強行に主張されるのであれば、現在の秀逸記事についても(主に「将来的な期待を含めて」選出された項目についても)それが完備されてから、という条件を提案しておきます(「再選考にかけろ」という意味ではないので、念のため)。要するに、やるんならそこまでの「大工事」が必要だろうってことです。高い理想だけでなく実現性も考えて、一歩一歩進めなくちゃなんない。
出典の提示方法については、それが適切に出典を提示しているのならば、ドイツ語版の方式でも英語版の方式でも構わないでしょう。ある記事について、非常によいレビューないし教科書が2-3篇あり、ウィキペディアに書かれてる記述のすべてがそれらを出典とするだけで事足りている場合には、ドイツ語版式の方法で十分です。それらに不足した記述を他の文献から持ってきた場合には、その記述部分について英語版式で出典表示を行うべきでしょう。この点に関しては、日本語版全体でreferenceスタイルの統一については指針がない段階ですから、スタイルがどうこうではなく、あくまでその機能として「出典を適切に示しているか」を問うべきかと。--Y tambe 2006年12月9日 (土) 02:29 (UTC)
これには「反対」します。なぜなら「文献として出版されていないジャンルについては何をどうやっても秀逸になれない」というボーダーラインを引いてしまうからです。例えば過去に秀逸になれなかったラグナロクオンラインのようなものについて「ラグナロクオンライン論」みたいな形で論文をかいたり、出版物を出す人はまずいません。なぜなら大学の専攻にそういうものはないから。そうなるとどう頑張っても「文献不足」の論評を覆すことは出来ません。文献の範囲がもう少し緩やか(雑誌記述などを含む)ならばまだ可能でしょうが、現状のごとく「ちゃんとしたものでないとダメ」と堅苦しく構えているうちは納得いきかねるところがあります。Elthy 2006年12月14日 (木) 08:55 (UTC)
参考文献に用いるのに、雑誌あるいは、新聞記事は問題ないのではないのでしょうか?英語版では、BBCのホームページやニューヨーク・タイムスのホームページあたりだとアーカイブになっているので引用文献として頻繁に用いられています。ゲーム関連だったら、それこそ、ファミ通あたりは、編集の歴史が長いので問題はないかと思いますけど、いかがなものでしょう(今、私が、編集に携わっているもので例示すれば、現代レバノンの杉の革命は、それこそBBCのアーカイブのオンパレードですし)。
ただ、問題は、ゲームのファミ通であったり、競馬のGallopがそれぞれの出版社に長く保存されているかどうかは懐疑的になるわけですけど、その問題も、極論を言えば、国会図書館に行けば問題ないでしょう。ある程度、検証可能性はクリアできるわけです。そういう(雑誌や新聞を含めてOKという)意味では、Elthyさんの意見に、私は賛成です。大衆文化の記事がFAになりにくい障壁をある程度、クリアできるのではないでしょうか。--Tantal 2006年12月14日 (木) 12:31 (UTC)
「信頼できるソース」が記事のジャンルによって大幅に異なってくることは留意しておくべきであろうと思います。私は以前「出典を明記する」のノートでこの件について話したことがあります。とにかく1.「情報の責任元(発言者もしくは出版社など)が明記されているもの」で2.「後からそれを確認できる可能性が僅かでも残されているもの」ならOKではないでしょうか。ファミ通など新聞・雑誌なら全く問題ないと思いますよ。--ZERO 2006年12月17日 (日) 15:10 (UTC)

「一アカウントにつき一票」の明確化 編集

ただいま選考中の日本語について、2006年12月13日 (水) 9:23現在反対票が2票入っていますが、実はどちらもメギドファイアーさんによる投票です。一アカウントにつき2票以上の投票はありえないのではないかと思い、修正を行おうと思って念のため「投票の仕方」を確認させていただいたのですが、「一人一票」と明確に読める記述がありませんでした……。

「秀逸な記事の選考」をはじめ、Wikipediaにおける投票行為は、記事の内容が改善されれば投票内容(投票者の意思)を「見え消しで変更」できる利点がありますが、これは「一人一票」の原則が成り立っているからこそできる行為ではないかと考えます(そうじゃないと、一人の意見で「賛成」「反対」の2票が並立できてしまいます。今回はたまたま反対票ですが、一人で「賛成票」3票入れられるとか、普通にありえないと思いますので)。「言わずもがなのこと」と捉えず、「Wikipedia:秀逸な記事の選考#投票の仕方」に「一アカウントにつき一票とする」と明記すべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか(もちろん、「一人一票」と書ければベストだと思うのですが、ソックパペットを用いた投票行為についての運用方針は別の場所で統一的に記述すべきかなと思いましたので、今回はあえて「一アカウント~」という表記にしました)。

差し当たり、メギドファイアーさんの二重投票の一方を修正したいと思うのですが、二票目を見え消しにして(コメント)に変更すればよいでしょうか?ご意見をお待ち申し上げます。--Crystaltear 2006年12月14日 (木) 12:46 (UTC)

(訂正)一票、反対票を見落としていたようですので、見え消しさせていただきました。集計の2票のもう一票は、Kmnsさんのものでしたね……。--Crystaltear 2006年12月14日 (木) 13:23 (UTC)

基本的に他者の投票を修正すると「発言の改竄」とみなされるのですが、その発言が誤解を招く場合、理由を明記の上でのみ、修正も可能であるようです。他者の発言の改竄の例外5.誤字の修正なども参考にしてください。--Damena 2006年12月17日 (日) 20:49 (UTC)

延長選考について 編集

現状、「賛成票が1票以上3票未満で、かつ他の票がない場合」が条件になっていますが、賛成票が3票以上あった場合でも、選考期間が残り1週間を切って、合意より他の票がなくなる場合もありますので、単に「賛成票が1票以上で、かつ他の票がない場合」と修正してもよろしいでしょうか。--Me2hero 2006年12月23日 (土) 13:17 (UTC)

賛成いたします。--汲平 2006年12月23日 (土) 14:00 (UTC)

現在その対象となっている、ナリタブライアンについて、とりあえず選考を1ヶ月延長し、Wikipedia:井戸端 (告知)に告知しました(Template:意見募集中の告知についてはよくわからなかった……)。本文の修正についてはもう少し待ちたいと思います。--Me2hero 2006年12月23日 (土) 18:47 (UTC)

提案後、1週間たちましたが、異議が出なかったので修正します。--Me2hero 2006年12月31日 (日) 05:32 (UTC)


ルール改訂の提案 編集

ナリタブライアン、日本航空123便墜落事故と皆さんの関心がある分野が秀逸な記事になるかならないかで選考期間のぎりぎりまで、活発な議論が交わされていますが、ただ1つの保留票やどこを改善すればFAになるのかわからないという経験をとおして、現在の秀逸な記事の選考に不備があると思います。問題点は、以下の4点に整理できると思います。

  1. 条件付賛成、保留、反対意見を提示するのは、各人の自由です。しかし、5W1Hに基づいた意見提示をなされていますか?
  2. 特定票の排除のタイミングについて。前回のナリタブライアンの時は、FA選考終了の2週間前に、特定票の排除の提案を実施し、意見の集約化を図ることで、FAへ移行させましたが、今からも、新しい項目が増えるWikipediaにおいて、良質な記事をFAにするためにも、そろそろ、排除決定のタイミングを前もって決めておく必要性があるのではないでしょうか?
  3. 選考期間の延長の問題。特定票の排除を図った場合、ある程度の時間の猶予が必要です。ナリタブライアンのときには、賛成意見を集めるために、ほんのわずかですが、先行期間を延長しましたが、あくまでも特例みたいなものです。そのルールも決めておく必要があるでしょう。
  4. オーガナイザーの不在。ナリタブライアンはGalopinさんと廉さんがその役割を、GARNET CROWはZEROさんがその役割を果たしたことによって、FAになりました。推薦者は、そのオーガナイザーの役割を果たしうるかどうかを引き受ける責任がおありでしょうか?(以上、Wikipedia:秀逸な記事の選考/日本航空123便墜落事故より転載)

したがって、1番目の問題は別として、特定票の排除のタイミング・選考期間延長・オーガナイザーについてある程度、ルール化する必要があるのではないでしょうか?--Tantal 2007年1月28日 (日) 08:42 (UTC)

とりあえず、意見。

  1. いちいちそこまでいうのは不要でしょう。個々人に干渉していくことが生産性をあげるとは思えません。要は票がカウントできればいいのだから、賛成、反対、保留の判断が出来れば十分でしょう。
  2. これについては、判断保留です。
  3. これについては、判断保留です。ケースバイケースでしょう。ルールを作るのでは無くて、ツールの確認をしておくことが重要です。
  4. 反対です。特定個人が責任を負うという考え方自体がウィキ的でないと判断します。

--ゆきち 2007年1月28日 (日) 09:29 (UTC)

条件付賛成・保留・反対票は、「たとえ5W1Hに基づいていなくても」簡単に投票することができ、票としてカウントされます。それが変更されない限り、絶対に秀逸な記事に入りません。しかし「その票を無効にする条件」に関しては、明文化されておらず判断が難しく、排除しようとする人に大変なストレスがかかります。これは不公平です。投票する人もその票に応じた分の説明責任と態度を負うべきですが、残念ながら現実は違っています。「5W1Hに基づかない投票」や「投票したまま議論に参加しない人」がいます。ゆきちさんは「いちいちそこまでいうのは不要でしょう」とおっしゃっていますけれど、実際は「そこまで言わないとわからない人が反対票を投じている現実」が既にあり、推薦者としては大変苦労しました(例:Wikipedia:秀逸な記事の選考/GARNET_CROW)。これが自分が選考を体験したときの正直な感想です。そのため「票を無効にする条件」については、ある程度決めておいてほしいです。「何人かの合意があれば票が無効になったと見なされる」とか、それとも「何日かたって異論がなければ無効になる」などです。現状ではどうしていいのか不明確であり、ケースバイケースでは本当に途方に暮れます(私の場合は反対票を取り下げて頂きましたが)。少なくとも、どこかにあらかじめ『条件付賛成・保留・反対票を投じる際は、「具体的な問題点」と「その改善方法」を明確に指摘してください。指摘されていない場合、投票は無効となります』などとはっきり書いておいてほしいです(これぐらいまでならゆきちさんにも納得できますか?)。どんな対策を講じるかは別として、Tantalさんの指摘された点は問題点として納得できます。英語版では(私の読解が確かなら)FA Directorさんがいて、その人がいろいろやってくれるんですが… --ZERO 2007年1月28日 (日) 10:55 (UTC)

賛成、反対、保留票はあくまでカウントする手段であり、それに付随する議論は、また別でしょう。そもそも、ひとり一票なのだから、ソクパペでも無い限り、必要以上に神経質にならない方が賢明かと思います。荒しを除けば、票を無効にする理由が思い付かないのですが、例えば、どのようなケースなら、無効にした方がいいのでしょうか。反対票が投げられたということは、それが秀逸に値しないと判断されているだけでしょう。極端な話、全員を納得させる必要はないのだから。示された記事を見ると、ZEROさんが背負い込みすぎている気がしてなりません。逆に、そうしたルールの増加が、作業の遅れを作ることの方こそ懸念されます。過去に推薦した記事が落とされた経験は、僕にもありますよ。--ゆきち 2007年1月28日 (日) 11:35 (UTC)
今回は、コメントは最小限に。一度も項目を編集したことがない利用者がFAだけ推薦して、後は何もしないというのは問題があるのでは?何のためのFA選考が分からないでしょう。良質な項目を推薦し、それをモデルに、他の項目もFAにしていくのが目標でしょう。八王子市がモデルになって、都市関連の項目は作成されていることを考えると、WikipediaにおけるFAの役割は、相当大きいと思うのですが。--Tantal 2007年1月28日 (日) 11:42 (UTC)
「一度も項目を編集したことがない利用者がFAだけ推薦して、後は何もしないというのは問題があるのでは?」ということですが、どんな問題があるのでしょうか。記事を書く能力と読む能力は違います。僕は、秀逸でこそないものの、Wikipedia:おすすめ記事に一度も編集したことのない記事を推挙したことがあります。そもそも、「誰が見ても優れている」と判断できる物こそが、本当の「秀逸」ではないでしょうか(もちろん、そこまでの敷居は求めませんが)。
あと、お二人とも話を聞いていると、「秀逸に推挙した後も記事を編集して良い物にしたい」という考えがあるようですが、個人でそういうポリシーをもつのは構いませんが、それは必ずしも必須の条件では無いでしょう。
また、それに関連して「責任」について。基本的にオープンなプロジェクトは、参入の敷居を低くして、参加者を増やすことによって、それを質に転換してきました。今のWPもそうです。もし、記事や個別の行為にいちいち責任を求めてきたら、ここまでは成長しなかったでしょう。なので、いちいち責任を求める行為は、今の各種プロジェクトを衰退させる行為であると判断します。ここで言えば、「秀逸に推挙する行為を個人の責任に帰す」「記事に対して意見を言う際には、その発言に責任を求める」というルールを作ることは、却って推挙の数をへらし、議論の停滞を招くことでしょう。個人と個別の成果物(ここでいえば、個別の記事)を切り離すことによって、逆にその後も他人が介入し、成果物を成長させることが出来る物と考えます。なので、個人の責任を必要以上に求めるルールを作ることには、大いに反対させていただきます。--ゆきち 2007年1月28日 (日) 12:35 (UTC)

今後わかりづらくなりそうなので先に書いておきますが、私が希望しているのは「特定票排除に関する明文化」です。ゆきちさんは『「誰が見ても優れている」と判断できる物こそが、本当の「秀逸」ではないでしょうか(もちろん、そこまでの敷居は求めませんが)』とされていますが、この考え方が私と違うところです。私は現実的には秀逸な記事とは「現時点で可能な限りの努力が施してあり、選考時点ではこれ以上の具体的な改善方法が提示できない記事」と考えています。極端な話「読みづらくても、それ以上の改善方法が指摘できないのならそれは秀逸な記事である」という考え方です。人々の「優れている」という感覚が全く異なる以上、「誰が見ても優れている」記事は存在しないと考えています(Wikipedia:完璧な記事)。だから、反対理由には具体性と改善方法の明記が必要であり、それが明記されずに放置されている投票などは、何らかの方法で無効化すべきであると考えます。このあたりで3人以外のかたの意見も聞いてみたいですね。--ZERO 2007年1月28日 (日) 13:35 (UTC)

うーん、それは、秀逸な記事でやることではない気がするのですが。改善事項が指摘されたり、それに応じて編集するのは悪いことでは無いのですが、それを義務づけることはまた違うでしょう。
僕も先に言っておきますが、僕は記事に対する条件不可は反対していません。上にあるように、参考文献を必須とするなどは、有効な案であると考えます。ここで反対しているのは、行為者に対する制約だけです。理由は、先に述べた通りです、--ゆきち 2007年1月28日 (日) 13:55 (UTC)
ゆきちさんすみません。3人が発言していますので、指示代名詞をなるべく使わずに、もう少し発言をかみ砕いて、詳しく説明してください・・・。「それは、秀逸な記事でやることでは〜」の「それ」とは、誰の発言のどの部分を指していますか?次に、「それを義務づける」の「それ」というのは、私の提案した「特定票排除に関する明文化」を指しているのか、それともTantalさんの提案のどれかを指しているのですか?あと「行為者」とは、推薦者のことで間違いないですか?なるべくゆきちさんの考えと齟齬をきたさないように、ゆきちさんの文意を正確に汲み取ろうと思っていますので、すみませんがなるべく詳しくお願いします。--ZERO 2007年1月28日 (日) 14:16 (UTC)
最初の「それ」は「選考時点ではこれ以上の具体的な改善方法が提示できない記事」ということです。基本的に「改善方法の提示」というのは、どちらかといえば、加筆依頼、査読依頼でやることで、秀逸の選考の段階で持ち出す基準では無い気がします。「それを義務づける」といっているのは、そうした改善方法の提示です。コメントの段階でいちいち改善提案を出すのは、おかしいでしょう。そもそも必要なのは、票であって、改善提案ではないはずです。「行為者」というのは、ここでいえば、推薦、及びコメント者、つまり、選考作業に関わる全ての人です。はっきりいえば、「記事に対する条件はあり、人間に対する制約は極力無し」ということです。荒しなどの認定された問題行為を除けば、個人の行動に干渉するルールは、Wikipediaにとって、望ましくないでしょう。優れていない記事は、「みんなで」改善すればいいのです。時間は実はたっぷりあります。秀逸の選考から漏れても、何も気にすることは無いです(別に僕は秀逸の基準を下げろといっているわけではありませんよ)。--ゆきち 2007年1月28日 (日) 14:34 (UTC)
オーガナイザーという言葉を私は使って、今回は説明していますが、査読依頼の場合、項目を編集していない人が査読依頼をかけるとその時点で依頼却下になるのです。査読依頼では、依頼をした人が実質上のオーガナイザーの役割を果たしているわけですが、査読依頼よりも厳格にならざるを得ないFA選考にオーガナイザーは果たして、不要なのでしょうか?--Tantal 2007年1月28日 (日) 14:22 (UTC)
そのルールは、査読依頼だけなんじゃないでしょうか。別に各種依頼に上下関係はないと思いますが。--ゆきち 2007年1月28日 (日) 14:41 (UTC)

(インデント戻します)ゆきちさんへ(1月28日 (日)14:34 (UTC))。詳しく説明して頂いてありがとうございます。問題点が見えてきました。問題点はゆきちさんと私の『秀逸な記事を通過させること』に対する意欲の違いだと思います。
『「改善方法の提示」は査読依頼でやること』『必要なのは票であって、改善提案ではない』…おっしゃることはとてもよくわかります。ただ、2004年から今日に至る現実問題として、秀逸な記事の反対理由は、「改善可能な問題点を指摘する」ことで正当な反対理由と人々に認識されてきたことは紛れもない事実です。それはWikipedia:秀逸な記事の選考/過去の推薦をみればわかると思います。それはなぜかというと、例えば、自分が一生懸命記事を書いて、ぜひ「秀逸な記事の選考」を突破したい!と考えたとします。そして選考の段階で他の方から「具体的な理由は言えないけどなんとなく反対」といわれたらどう思いますか?ゆきちさんならここで「誰が見ても優れているとは言えないから諦めよう」と思うのかもしれませんが、私をはじめ今までの推薦者の方々は納得いかないです。こうした人に「時間は実はたっぷりあります。秀逸の選考から漏れても、何も気にすることは無いですよ」といわれて、納得できる人は皆無でしょう。だからこそ今までの選考では「改善可能な問題点を指摘する」ことで正当な反対理由とされてきました。私は、今までの秀逸な選考の状況をふまえて「特定票排除に関する明文化」を求めています。ゆきちさんのおっしゃる「そういうことは査読依頼でやるべき」というのは、理想としてはわかりますが、現実の選考状況をふまえた上での発言ではないように思います。推薦者に「秀逸の選考から漏れても、何も気にすることは無いです」と言って、どれだけの人が納得するのか、私には疑問です。なんとか「特定票排除に関する明文化」を許してはもらえないでしょうか?--ZERO 2007年1月28日 (日) 15:52 (UTC)

私の認識が間違っていたら補足願います。現在のFA選考の問題は「満場一致による選考通過を前提としている点」なのではないでしょうか? このため、Tantalさん・ZEROさんがおっしゃるように、ちょっとだけ立ち寄って{条件付賛成/保留/反対}とだけ入れる方が一人でもいらっしゃって、その後の議論に参加されない場合、通過させるのは大変困難になります。今回の提案はこのようなケースに対応したいとの意図だと理解しています。このような意図は大変理解できます。しかし、個人的にはただでさえ今の選考には参加者が少ないのにこれに票の排除ルールを加えるのはいかがなものかという思いもあります。そこで、排除ルールを付けるよりは、そもそものこの前提となっているルールを変えて(全員賛成でなくても良い)とする方が良い気はします。Wikipedia:珍項目/選考のような単純な多数決ルールでもある程度活発にコメントがついてうまく回っているのを見ると複雑な思いがいたします。現実的にはWikipedia:管理者への立候補のような賛成者の最低票数と反対票との比率で決するあたりで十分機能しそうな気はします。いかがでしょうか?--Masao 2007年1月28日 (日) 17:03 (UTC)

秀逸な記事の選考方法について議論しているとお聞きして参りました。専ら論点は特定票排除の明文化、ということでしょうか。明文化するというのには賛成なのですが……。確かに、明確な理由や意見を述べない、議論に参加しない、などの反対票は推薦、賛成側の立場からすると非常に厄介でしょう。ただ、記事を読む能力、書く能力、そして自分の意見を伝える能力は決して常に兼ね備えられるものではありませんし、皆ウィキペディアに十分な時間を割ける方ばかりという訳でもないので、一概に「明確な理由を述べない」「すぐに返答をしない」などの理由で反対票が無効化されることを危惧してもいます。(2、3日で返答できないような人間は議論に参加してはならない、という訳ではない筈です)反対票の無効化を明文化するならば、その規定は決してきつくないものにして(安易に放置と断定せずに)、むしろ議論の締切の方を4ヶ月などに延ばした方が良いのではないかと私は思います。--氷鷺 2007年1月28日 (日) 22:40 (UTC)

私も秀逸な記事の選考方法について議論しているとのお誘いを受けて参りました。現在最大の論点となっている「排除ルール」について、査読依頼を利用している立場から意見を申し述べさせて頂きますと…。建設的な改善意見のない保留・反対票は、記事作成者や推薦者から見ると、やり切れないものを感じます。とは言え、「秀逸」というのは、ある意味最終目標的な「タイトル」であり、多少ハードルが高くとも是認できるものであります。「明確な理由を述べない」人に対して即無効にするのは、うまく意見を纏められない人を排除することに繋がり、もしかしたら誰も指摘できなかった致命的な欠点に気づいた人の貴重な意見を聞き逃す可能性もあります。そこで、議論の締め切りを延ばした上で、「明確な理由を述べない保留・反対者」に理由を求めるコメントが出されてから一定期間(1週間か2週間)経っても返答がなかった場合に限り無効意見とする、というのは如何でしょうか?--ろう(Law soma) 2007年1月29日 (月) 00:13 (UTC)

Masaoさんと氷鷺さんとろうさんの意見を受けて、私の案が固まりました。1月28日 (日) 10:55 (UTC)の私の発言を少し変えたものです。ゆきちさんの意見も取り入れて、なるべく皆さんが制約や負担をあまり感じないように、諸処の時間軸を余裕を持って2週間としました。以下、【ZERO私案】です。


条件付賛成・保留・反対票を投じる際は、執筆者に改善方法が伝わるように、できるだけ具体的な問題点を指摘してください。(←これは注意書きみたいなものです。具体的ではないからといって、即無効であると書いているわけではないところが重要です。)

  • 投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。
  • 選考終了までの2週間以内に、上記のような質問やそれに対する回答があった場合は、選考期間は発言時点から2週間の延長となります。(←投票者が説明をまとめる猶予と執筆者が記事を改善する猶予)
  • 選考終了までの2週間以内に、条件付賛成・保留・反対票が投じられた場合も、選考期間は投票時点から2週間延長となります。(←執筆者の記事改善猶予)

これが私の案であり、このような内容をルールに組み込んでほしいです。排除という言葉はつかわないようにしました。(なんだか「票」ではなくて「人」を排除するようなイメージになってしまいそうなので。)。実はMasaoさんのような比率による議決決定にしてしまうのもありかな、と思ったこともあるんですが、そうするとろうさんの言われるように、今までの選考と大幅に難易度が変わってきそうな気がしてしまって、腰が引けました。一旦こんな形で固めてみましたが、Tantalさんの考えとはまた違うかもしれません。これとは別に、オーガナイザー(当該記事の推薦委員長みたいなイメージで良いんでしょうか?)については、まだ私は何とも判断が付いていません。皆様、ご意見を宜しくお願いします。--ZERO 2007年1月29日 (月) 11:58 (UTC)

オーガナイザーについてですが、たしかにいたほうがいい場合もあります。ただ依頼者である必要性はないと思います。これまでの例でみると、むしろ、選考のページ全体を見ている人が、適時議論の方向性を作ることが多かったようにも思います。また過去の選考をみるに、すべての選考で必要というわけでもないでしょう。すんなりいくときはすんなり決まるものです。むしろ、あいさつ同好会(仮)のように、同じ方向性をもったユーザのプールを作っておいて、依頼者が世話役をするもよし、必要なときそこにお願いできるようにしておいてお願いするもよし、くらいではいかがでしょうか。--Aphaia 2007年1月29日 (月) 12:04 (UTC)
  1. 理由付けのない、または曖昧な反対票や保留票のどこが困るかといえば、その投票者が認識している問題点を執筆者が具体的に把握することができないことによって問題点の改善が困難となることにあります。曖昧な反対・保留について執筆者がその主旨を推し量って対応するというのはあまりに酷な作業です。そこで問題点は具体的にはどの点ですかと投票者に質問することになるわけですが、投票者が的確に指摘してくれるとは限りません。そのような時に執筆者は投票者の反対理由を具体化させる努力をどのくらいの期間、どの程度までしなければならないのでしょうか。現状ではそれがまったく明確ではないと思います。これでは努力する側にとっては大変な精神的負担を強いられることになってしまうと思います。この点について、是非明文のルールが必要だと思います。
  2. ちなみにナリタブライアンでは、『条件付き賛成や保留、反対で挙げられた場合でも、その条件が満たされた、またはその指摘による改変は必要ではないという合意がなされ、賛成のみ3票以上集まったならば通過します。』という、すでに明文化されているルールを活用することで具体性に欠ける(漠然性ゆえに改善困難なと言い換えてもいいかもしれません)反対票の排除・無効化を行いました。「排除」や「無効化」という言葉の響きがよくないのであれば、「問題点は改善され、賛成票へ転じたとみなす」ということにして、賛成票にカウントするのも一案かもしれません。いずれにしてもこの際、「合意がなされ」たとさなされるための要件について、もう少し具体化したほうがよいのではないでしょうか。また個人的には、合意がなされたとみなされるための要件をきちんと定める代わりに、その後その投票者が改めて反対・保留票を投じた場合には即座にこれを削除できると明文化するべきだと思います。
  3. 選考が混乱をきたした場合などには、議論を整理するユーザーがいることが好ましいと思います。ただ、これを推薦者に義務づけるべきなのかはやや悩ましいところです。しかしFAへの強い意欲を有するユーザーなど特定の個人がこれを負うとなると負担が大きいでしょうし、そのユーザーがログインできない事情が生じた際などに議論が停滞する可能性も考えられます。議論が煮詰まった際にはWikipedia:秀逸な記事の選考でアナウンスするなどの方法でこれを知らせて、議論への新規の参加を促進する制度を設けるというのはいかがでしょうか。そしてその中から進行役が現れるのを期待するわけです。

私の意見は今のところ以上です。-- 2007年1月29日 (月) 15:20 (UTC)

再整理 編集

以上のことを踏まえて、下記に秀逸な記事の選考のルールの見直しが必要な細則についての議論をそれぞれの項目において、分節化してみました。少しは、議論が分かりやすくなるだろうと思います。(Tantal 2007年2月11日 (日) 02:40 (UTC))

出典の明記のルールの厳格化 編集

  • (Tantal私案)最低限でも、書籍、新聞、雑誌、インターネット上の記事のアーカイブ(具体的には、CNNやBBCなど)のホームページアドレスが記載されていることで、検証可能性を十分満たしている記事であることが求められる(参考、Wikipedia:秀逸な記事の再選考及びWikipedia:出典を明記する)。

条件付賛成・保留意見・反対意見が改善されたかの告知及び選考期間の2週間延長 編集

ほぼZEROさんの私案を踏まえた形で、私は、結構かと思います。以下、上記ZEROさんの私案を転載します(Tantal 2007年2月11日 (日) 02:40 (UTC))。

  • (ZERO私案)条件付賛成・保留・反対票を投じる際は、執筆者に改善方法が伝わるように、できるだけ具体的な問題点を指摘してください。(←これは注意書きみたいなものです。具体的ではないからといって、即無効であると書いているわけではないところが重要です。)
  1. 投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。
  2. 選考終了までの2週間以内に、上記のような質問やそれに対する回答があった場合は、選考期間は発言時点から2週間の延長となります。(←投票者が説明をまとめる猶予と執筆者が記事を改善する猶予)
  3. 選考終了までの2週間以内に、条件付賛成・保留・反対票が投じられた場合も、選考期間は投票時点から2週間延長となります。(←執筆者の記事改善猶予)

すなわち、選考終了2週間前に、オーガナイザーが意見の集約と再整理を行ったうえで、選考期間の2週間延長を宣言した上で、議論参加者の意見の再集約と再度の議論の参加を呼びかける。議論の結果、FAにふさわしくないと判断された場合、延長期間の終了を持って、選考を終了する。

コメント
  • 「すなわち」以下の部分に関しては明文化しなくてもよいと思います。理由は2つです。1つめは、「オーガナイザー」が現状「ボランティア的存在」であることから、必ずしも各選考に存在するとは限らず、この文章ではオーガナイザーでないと期間延長が出来ないと捉えられてしまうこと、2つめはこの文章だと「いつの時点から2週間延長なのかわかりにくくなる」こと(私案では発言時点・投票時点から2週間の延長です。選考終了2週間前に質問した場合、プラスマイナス0で全体的な選考期間は変わりません。「すなわち」以下の例では、発言時点から4週間延長となっています)--ZERO 2007年2月12日 (月) 05:21 (UTC)
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  • 「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」の箇所ですが、「1週間が経過して返答が無い時点で、相手の会話ノートに返答を促すメッセージを載せなければならない」というルールを追加するという案はいかがでしょうか?そもそも投票をした以上はそれに対する反応に注意を払う義務があるとも思うのですが、うっかり忘れたということもあると思うので。-- 2007年2月13日 (火) 13:18 (UTC)
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  • 何らかの理由(条件)が改善されたら賛成というのが反対票なのには違和感があります…それは条件付賛成であって反対ではないのでは…推薦時点の記事が反対票を投じられるほど秀逸に遠いのであれば一旦取り下げ、加筆修正、再度推薦とするのが本来の形ではないでしょうか。

--218.140.154.28 2007年3月3日 (土) 02:42 (UTC)

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  • 218.140.154.28さんへ。ちょっと誤解があるようなので書かせて頂きますと「何らかの理由(条件)が改善されたら賛成というのが反対票」という理解ではないんです。今回のルール改定の論点は、条件付賛成・保留・反対票の「無効化」であって「賛成票化」ではありません。理由が改善されたからといって、その票が賛成票に数えられるわけではありません。218.140.154.28さんの言い方を借りますと「何らかの理由(条件)が改善されたら無効というのが反対票」とでもなりましょうか。218.140.154.28さんもお分かりだとは思うんですが、条件付賛成・保留・反対のいずれも「そのままでは賛成できない」ことにはかわらず、あとは理由(条件)の大小によって条件付賛成・保留・反対のいずれかに投票がなされます。今までの選考の問題点として明らかになったのは、「反対票を投じられるほど秀逸に遠」くはない(=重大な欠点を挙げられない)のに、それらの票を投じた人がいて、それらの票の扱いについて大変難儀したという経緯が今まで現実にあったからです。それは今までの議論や過去の選考をよく見て頂ければ、わかると思います。もしちゃんと「反対票を投じられるほど秀逸に遠い」理由を挙げているのであれば、218.140.154.28 さんのおっしゃるように「一旦取り下げ、加筆修正、再度推薦」が正しい形だと思います。しかし現実には「反対票を投じられるほど秀逸に遠」くはないのに反対票を投じる人がいるので、今回の改正の議論になっております。--ZERO 2007年3月3日 (土) 04:02 (UTC)
コメント
  • 廉さんのこの節に述べられているコメントは重要です。対話拒否あるいは、ウィキペディアからの退出を想定しなければならないからです。--Tantal 2007年3月3日 (土) 04:31 (UTC)
コメント
  • さて、ナリタブライアン、GARNET CROWに続いて、本日付で、日本語をFAに移行させました。今回の日本語で、前回、あえなく落選した日本航空123便墜落事故、今回の論議が始まる前にFAになった金星の日面通過を含めると5例目です。そろそろ、慣習法的に経験を積み重ねたこともありますので、ZEROさんの私案をそろそろ明文化させてもいいのではないでしょうか?--Tantal 2007年3月3日 (土) 04:31 (UTC)
コメント
  • あと一週間みて異論がなければ、私案を本文に廻してみようと思います。廉さんのおっしゃった部分に関しては、「メッセージを載せなければならない」とすると、対象人数が多い場合などは結構負担になるかもしれません。努力目標的に「載せるとよいでしょう」ぐらいにしておいてはどうかな・・・と思います。--ZERO 2007年3月10日 (土) 19:59 (UTC)
さらに1週間みて異論なく、ZERO私案部分はルールに組み込みました。--ZERO 2007年3月18日 (日) 22:36 (UTC)

オーガナイザー(それぞれの記事を秀逸な記事にするための世話人役)の設置について 編集

  • (Tantal私案)選考の意見が錯綜した場合、ボランティア的に、オーガナイザーは意見の整理を実施することが可能である。
  • (Tantal私案)オーガナイザーは誰でもログインユーザーであればなることが出来る(下記のAphaiaさんの意見を取り入れ、私案追加。ただ、もう少し、いい文章を考えないといけないかも)。(Tantal 2007年2月11日 (日) 11:10 (UTC)))
コメント
  • 議論の整理をすることをコミュニティに促す方向には賛成です。ただ、言い方によっては「オーガナイザーではないのにしゃしゃりでてくるな」ていうか「お前が仕切るな」的な場外乱闘に発展する可能性があります。ご提案の文面ですと、オーガナイザー以外は意見の整理を実施することが可能ではない、という解釈も引き出せるように思います。それはTantalさんの本意ではないでしょうから、そのように読めないような文面にしたほうがいいのではないかと思います。いかがでしょうか。--Aphaia 2007年2月11日 (日) 10:14 (UTC)

Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト 編集

場違いなお願いですいません。Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテストを3月に実施します。ただいまコンテストの審査員を現在募集中ですが、人員が不足しております。コンテストを盛り上げるためにもご協力いただければと思います。--LonelyPlanet 2007年2月18日 (日) 11:03 (UTC)

加筆等により秀逸でなくなる場合 編集

秀逸な記事に選ばれた記事でもその後の加筆や分割等で秀逸な内容ではなくなった場合には秀逸記事から外される場合とかはあるのでしょうか?--目蒲東急之介 2007年3月15日 (木) 09:25 (UTC)

Wikipedia:秀逸な記事の再選考に、再銓衡が提案され、「除去3票、75%以上となったとき、」外されます。--壽日 2007年3月15日 (木) 09:43 (UTC)
素早いご回答ありがとうございます。私は今まで知らなかったので参考になりました。感謝します。--目蒲東急之介 2007年3月15日 (木) 10:22 (UTC)

選考結果のページが巨大化してきた件 編集

以上の2つのページについてです。現在は選考結果を展開して表示させていますが、かなりページサイズが大きくなってきて、ときどき表示しづらいことがあります。Wikipedia:削除依頼/ログ/長期積み残し案件と同様に、リンクだけにするのはどうでしょうか?--ZERO 2007年7月2日 (月) 22:32 (UTC)

賛成です。時期別にページをわけてしまう、ということも考えられますが、そうする必要はないとも思います。 Kzhr 2007年7月3日 (火) 04:08 (UTC)
ご意見ありがとうございました。異論は恐らく出ないだろうと思ってさっさとやってしまいました。もしどなたかご意見ありましたら、よろしくお願いいたします。--ZERO 2007年7月3日 (火) 09:52 (UTC)

秀逸候補テンプレートの貼り付けについて 編集

「推薦の仕方」として

この推薦を多くの人に知ってもらうために、以下の二つのことを任意に行うことができます。
  1. その分野に詳しそうな、あるいは適切なコメントをしてくれそうな人の会話ページにお知らせを書く。
  2. 当該項目のノートの先頭に {{秀逸候補}} という Template を貼る。これによって以下のメッセージが表示されます。
できるだけ多くの人からコメントを得ることが望ましいので、少なくとも片方は行った方が良いでしょう。

とされています。ここで「いずれか」とされていますけど、{{秀逸候補}}テンプレートの貼付は必須にすべきだと思います。このテンプレートを貼っておかないと「Wikipedia:秀逸な記事の選考/○○○」へのリンクがありません。「Wikipedia:秀逸な記事の選考/○○○」をウォッチリストに入れておかないと「Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考/○○○」での議論にも気づけないのです。

あるいは「Wikipedia:秀逸な記事の選考」のページの「選考中の記事」に表示される

賛成/条件付賛成/保留/反対 2/0/0/1 この項目の選考期間は、2008年6月27日 (金) 09:35 (UTC)(2008年6月7日 18:35 (JST))までです。(ノート)

賛成/条件付賛成/保留/反対 2/0/0/1 この項目の選考期間は、2008年6月27日 (金) 09:35 (UTC)(2008年6月7日 18:35 (JST))までです。(選考のノート)

にするのも手かと思います。いかがでしょう? --赤い飛行船 2008年4月4日 (金) 00:56 (UTC)

テンプレート使用を必須にする件は御意でよろしいと考えますが。テンプレート自体の告知効果としてはノートを開かないと当該記事が秀逸推薦されていることやリンクにたとりつけないです。実際のところ私が秀逸推薦の追加削除に気が付くのはWikipedia:秀逸な記事の選考につけているウォッチリストだったりします。興味があれば秀逸な記事の選考のサブページにウォッチリストを付けます。個人的にはルールが「当該記事の先頭に貼る」でなくて「当該項目のノートの先頭」となっているのできるだけ多くの人からコメントを得ることができないような気がします。まぁ、何かの理由でノートの方にテンプレートをノートに貼ることになったのでしょうが、現状で見直してノートではなく本文の方に秀逸テンプレートを貼っても良くなっているかも知れません(まぁ、経緯が不明なものでルールにしたがっていますが)--あら金 2008年4月4日 (金) 02:17 (UTC)
打てば響くようなコメントありがとうございます。私もWikipedia:秀逸な記事の選考につけているウォッチリストで知るのが多いです。しかし、個々の案件の審査にはサブページをウォッチリストに入れておかないとまずいですね。そうしないとノートでの議論に気づけないのですから。特に反対なければ15日頃を目途にしてテンプレート使用を必須に書き替えておきます。(ついでに「井戸端(告知)」となっているところを「お知らせ」に変えておかんと)▼ノートに貼っているのは印刷の邪魔になることなどを理由としています。Template‐ノート:秀逸にそのあたりの経緯が残されています。貼付位置の件は提起してみての話ですね。広報ということではWikipedia:お知らせの利用かなと思っています。--赤い飛行船 2008年4月5日 (土) 08:02 (UTC)
印刷だけが問題であるならばノートの秀逸候補テンプレートは従来どうりにして本文に貼る方は{{Featured article}}に相当するようなWikipedia:秀逸な記事の選考へのリンクを持つアイコンのテンプレート(例: )でも気を引くという点ではよいかもしれません。--あら金 2008年4月5日 (土) 08:35 (UTC)
アイコン を使うのは良さそうですね。この程度なら邪魔にならないでしょうし、情報を必要としている人にはしっかり伝えられるというわけですね。-- 赤い飛行船 2008年4月11日 (金) 10:51 (UTC)

どうも、遅ればせながらですが、久しぶりにここを見ていましたらTemplate‐ノート:秀逸でオーガナイズした話題でしたので出てきました。プリントアウトについては Monobook からは .noprint というクラスが作られまして、印刷時には省かれるようになっています。なので、これについては class="noprint" を指定することで解決できます(Common.cssに移した方がいいかもしれません)。あとは全体的に以前よりも項目にテンプレートを用いるようになってきて、項目自体に貼ってもあまり反発がないかもしれません。その辺の具合によっては ns:0 に貼っても問題ないと思います。ノートでも構わないとも思います。電気山羊 2008年4月13日 (日) 11:44 (UTC)

  • 電気山羊さん、ありがとうございます。「class="noprint" を指定することで解決できます」というのは、Template:秀逸候補のソースにclass="noprint"を書き加えることで、記事本文冒頭に貼っても印刷するときには無視されるので解決する、という意味なのでしょうか。-- 赤い飛行船 2008年5月4日 (日) 12:05 (UTC)

ログインユーザの投票権について 編集

現在、推薦者以外のログインユーザの投票権には制限がありませんが、現在選考中のWikipedia:秀逸な記事の選考/岡部幸雄およびWikipedia:秀逸な記事の選考/大鴉で、利用者ページに「ja-0」のテンプレートが貼られているログインユーザからの投票(賛成票)がありました。これについて、「日本語が不得手な方が、その言語(日本語)に対して高度な理解が要求される秀逸な記事の選考に参加されることに疑問を感じ」るという異議が唱えられています。これは何らかの観点からログインユーザの投票権を制限すべきかどうかという重要な問題に繋がると思われますので、ノートに提起したいと思います。-- 2008年10月27日 (月) 15:35 (UTC)

  • 技術的にみれば、babelの自己申告がなんであるということを銓衡に加わる要件とすることは、babelが自己申告であるということにより、実効的な制約をしかねるのではないでしょうか。
  • ただし、銓衡に加わる資格がなんであるかということは、いままで問われてこなかったことであり——わたくし自身は銓衡員たる資格は「みずから名乗ること」で十分だと思ってはいるものの——、それについて有益な議論がなされるのを妨げようというものではありません。ただ、言語理解能力を問うのであれば、リタラシを問わず言語の流暢さのみを基準とすることには、強い懸念を唱えておくものであります。 Kzhr 2008年10月27日 (月) 15:56 (UTC)

Kzhrさんご指摘の「技術的な問題」もそうですが、仮に全アカウントユーザがja-*を掲出していたとしても、ja-*が何を意味しているのか、という問題があるような気がします。たとえネイティブだとしても、その言語を使う能力が高いという保証はどこにもないわけです(ネイティブでも客観的な文章を書く能力が致命的にかけている人がjawpにはたくさんいるような、いないような…)。ただし、流暢さはともかくリテラシは問われるという指摘は、全くその通りと思われます。ただ、それをどう定量的に計測するかという問題がある。これをクリアする方法は……ちょっと思いつきません。言語能力を云々するのは困難そうです。

ただ、一つだけ提案できるとすれば、「秀逸な記事の目安」に対する理解度(諸方針の理解度とほぼ重なる)と言う意味で、活動歴や編集履歴に即した制限を課することは出来るのではないでしょうか。もちろん、経歴の長さと方針やプロジェクトに対する理解度は単純には比例しませんが、指標としてはそれなりの意味をもちますし、別のWikipedia名前空間(WP:RFB)で運用された実績のある制限です。いかがでしょうか。--ikedat76 2008年10月27日 (月) 16:33 (UTC)

Wikiシステムの特長は可逆であることです。秀逸な記事に選ばれてからも再選考する方法が用意されていることからとくに考慮しなくてもいいと思います。万が一、日本語が苦手な方や、Wikipediaの仕組みに不理解な方、特定の思想に偏った方が投票結果を支配することになって秀逸でない記事が秀逸と選ばれても、それは単にその時期に投票への関心やウィキペディアの流動性が足りなかったというだけです。誰の目からみても不完全な記事が秀逸に選ばれたら、自ずと記事への関心は増えますし、そのときに再選考を依頼すれば投票に関心が向かうでしょう。

ウィキペディアは新規参加者や潔癖症な参加者などあらゆる参加者を歓迎すべきです。原理的に難しい制限を課せば、潔癖症な参加者が一方的に不適切と思われる参加者に言いがかりをつける機会を増やします。結果的に新規参加者をひとりでも追い出したり、気分を害する原因を作ることになるならば、ウィキペディアにとって損失です。秀逸な記事に選ばれようが選ばれまいが、長期的な記事の価値は変わらないという観点に立てば、「秀逸な記事」という企画はそのようなリスクより優先して存在するものではないと思います。--H335 2008年10月28日 (火) 00:28 (UTC)

(コメント)秀逸な記事審査員資格試験制度でももうけるのではないのならば、投票者の能力をもって制限をすることが 公平性の原則に合致するという合理的な根拠はないと考えます。民族性なのかはわかりませんが、「秀逸な記事の選考」というよりは「完璧記事コンテスト」と化している現状ではこれ以上ハードルを高くしてどうしたいのかはよくわかりません。現行ルールでは一名でも理由と根拠を示して、条件付き賛成としたり、保留とするだけで選考は通過しませんから他者の選考が自分の基準より甘いと考えれは理由を述べて保留にしたり、欠点の改良を条件にして条件付き賛成をすればよい話だと考えます。また投票が恣意的かどうかは経験や能力の問題とは別に発生するので、特定のグループが特定の行動を取りやすいというような噂に基づく制限をするのはよろしくないと考えます。個別の審査で当該投票者に理由とその根拠の呈示をもとめるのでなければその投票が恣意的かどうかが第三者に判断できません。なのでやっぱり投票者の資格を特定のグループに属しているかどうかで判断することがよいという合理性は無いと考えます。(IPは本人同一性が確認できないので投票権がないというのは純粋な技術上の制限事項だと考えます)--あら金 2008年10月28日 (火) 03:58 (UTC)

この問題を指摘したかぼです。言語への理解度で選考への参加を制限するのは現実的ではありません。また「ja-0」をつけていたとしても辞書を引きつつ時間をかけてなんとか意味をとり、母国語版の記事とも照らし合わせて判断する利用者がいるとすれば、それは貴重な意見です。ですから言語への理解度から一律に選考への参加可否を決めることは反対です。ただ今回は氏のコメントを見ても、日本語の長文記事を精読したと思われなかったことから疑問を書かせていただきました(私の説明不足があり、また善意の賛成票に対して厳しいコメントをつけてしったことは私も反省すべきところです)。
論点がずれますがikedat76さんへの賛同コメント。Wikipedia:秀逸な記事の選考/ナリタブライアンの例が示すとおり、方針への理解が不足した利用者の反対票により、コミュニティが多くの時間的犠牲を払うことを防ぐために、編集回数等の制限を課すことは検討に値すると思います。--かぼ 2008年10月28日 (火) 12:21 (UTC)

横槍失礼します。ソックパペットのことは問題ないのでしょうか?過去の選考でどう見てもソックの新規ログインユーザーが客観的を装ったコメントをつけていたことがありました。一票でも反対なら秀逸になれない現状のシステムでは「あいつは気に食わない。あいつの書いた記事が秀逸なんて許せない、反対してやれ。でもメインアカウントでやると恥ずかしいからソックを使おう。」ということが置きかねないのではと思うのですが。--らりた 2008年10月28日 (火) 14:35 (UTC)
FAの投票は、条件付き賛成や保留、反対で挙げられた場合でも、その条件が満たされた、またはその指摘による改変は必要ではないという合意がなされ、賛成のみ3票以上集まったならば通過します。この場合も移動までに一週間の猶予期間を設けます。
このルールによって、投票という形態をとっても実際のところ関心を持った参加者全員が合意するというウィキペディア本来のコンセンサス制度になっています。したがって、問題箇所の明示がなければ反対票も有効には機能しませんし、説明のない単なる賛成票も投票への関心を示す以上の効果はありません。これは合意するための形式的投票であっていわゆる多数決のための投票ではないことに注意すべきです。時間的犠牲との言葉がでてきましたが、FAに選ばれたからといってただちに記事の価値が変化するわけではないのだから合意するための数日は意義こそあれロスではないと思います。ソックパペットの使用も、同様の理由でこのFA投票に限っては有効に機能できないでしょう。
参考までに、スペイン語版Wikipediaでは、スペイン語話者人口の多い国ごとに徒党をなす傾向があります。実際、スペイン語話者人口の多い国の国別ポータルが多く存在し、その国に関係のあるFAを積極的に表示しています(例: es:Portal:Argentinaes:Portal:Españaes:Portal:Chile)。したがって、国別に興味の偏るテーマでのFA投票では当然のように関心が集まります。そのようなケースでは投票の賛成票の多くは理由の明示なく単にその記事を好むという意味の投票であることが多いように感じます(20票から30票の賛成票が投じられます)。一方で、反対票には明確な理由が必要ですから、明らかにダメな記事以外では不十分な理由ならただちに棄却されるため1票から5票程度しか投じられませんし、重複する理由による反対票が4票以上集まっても機能しない(反対のみ3票以上は早期終了)ことが分かっていますから、それを超えて反対票が集まることは稀ですし、本来それで十分なのです。また、反対票に添えられた理由が合理的な理由なら記事のほうが迅速に改訂されていきます。結果的にとても視点が偏るケースでもFAの投票は機能し、記事の改善によい影響を与えています。
したがって、現状のわずか数名しか投票もコメントもしない、良い記事が推薦されたならば完璧記事コンテスト or 悪い記事が推薦されたならばもぐら叩きとなっているというのが、問題の根本であって、それは過渡的な現象であると思います。ここにさらに制限を増やすようなことをすれば、よりFAは萎縮してしまい、本来の記事を改善するためのフィードバック機能としての秀逸な記事という企画から遠ざかってしまうという意見です。--H335 2008年10月29日 (水) 00:16 (UTC)
「コミュニティが多くの時間的犠牲を払うことを防ぐため」というのはWikipedia:秀逸な記事の選考#投票が無効となる場合と選考期間の延長の「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」を活用して反対投票者に合意に至らない相違点を明確化するのが本筋であると考えます。ルール改正はコミュニティ全体にかかわるので投票者からビギナーを排除するというのは一定の合理性があるとかんがえます。しかし秀逸な記事の選考については当該記事の論評で直接他者に干渉するものではないのでビギナー排除の合理性はないと考えます。それよりは、選考の合意は「当該記事の問題点は改良がなされたのか/改良は十分であるか」にあります。改良の手がかりを示さない反対票は「改良の手がかりを具体的に質問し、二週間以内に回答してもらう」というのがよろしいと考えます。(それは投票者に問題があるだけではなく、選考の推薦者が合意形成のコーディネートを放棄しているのも原因だと考えます。)--あら金 2008年10月29日 (水) 00:51 (UTC)
ソックパペットを禁止しないと理論的には永久に妨害行為が出来てしまうわけですが(そんな暇な人はいないでしょうけどね)。
そういったことも含めて参加する人数の少ない現状で規制を設けることは益よりも損が大きいということでしょうか。それを覚悟の上のことであるのならば私が申し上げることはありません。横槍失礼いたしまた。--らりた 2008年11月1日 (土) 12:45 (UTC)

(コメント)リスクを適正に評価するには、リスクの発生頻度と発生した場合の影響範囲の両方を加味してリスク損失を見積もらなくては不公平でしょう。秀逸な記事の選考のケースに関しては恣意的に多重投票しても一票の条件付き賛成以下で阻止されてしまいます。一方、恣意的に多重投票によって落選を試みるケース(一票の反対票で十分なので)は非現実的であると考えます。いままで組織票で落とされたようなケースも思い浮かびませんし、また制度上は(一票であれ複数票であれ)回復させる手続きは存在するのは前述のとおりです。翻って、ソックパベットは不正好意であるとしても、恣意的であるかどうかは議論で明らかにすべきでありその手間を損失に含めるのは違うように考えます。コーチングの研修などでは「言って、して見せて、やらせてみて、その繰り返しで人は少しずつ認識するもので、くどくど6回は繰り返さないと自分の意図を100%伝えることはできない」というのを聞きます。なので手間を惜しむのは議論の放棄と同じことです。--あら金 2008年11月1日 (土) 15:00 (UTC)

現在の選考ルールではソックパペットによる投票の排除は明確に規定されていません。他方で、議論を恣意的に停滞させる投票を排除する手続きは明確に存在します。したがって、ソックパペットによる投票であることが明確である(たとえば、該当ユーザーがソックパペット行為によるブロックされた、等)場合でも、いちいち「手続き」を踏まなければ排除できません。
秀逸選考が何のために行われているのか、必ずしも明示がありませんが、優れた記事を顕彰し、他の記事・執筆者に対して、より優れた記事を作成する、もしくは既存記事をよりよいものに改善する上でのマイルストーンを示すものでしょう(程度の低い記事や執筆者が多い中で「完璧記事コンテスト」云々と揶揄している場合ではない。何を云っているのか)。そのために本当に必要な議論ならいざ知らず、ソックパペットによる不正投票であることが明確である場合にも、「議論で明らかに」しなければならず、その「手間を惜しむのがは議論の放棄と同じ」なのでしょうか。少なくともそうした場合には、単純に排除(すくなくとも有効な賛否票としてはカウントしない)できるようにするべきでしょう。私も反応が遅れてしまいましたが、おそらくらりたさんが言っておられるのはそうした場合のことも考えてのことではないでしょうか。そういう意味で、あら金さんの言われるようにソックパペット票であっても問題が生じないとは解せません。
本来の目的の阻害という以外にもリスクはありえます。上に秀逸選考の意義について若干推測しましたが、そのような意味では、不正票がただちに排除されないという仕組みは、秀逸と呼ばれるに値する優れた記事を執筆者の執筆意欲を損ねるものとなりえます。秀逸選考ではありませんでしたが、同様のencourageとしての意味を持つ月間新着記事賞(Wikipedia‐ノート:月間新記事賞)や新着投票(Wikipedia‐ノート:メインページ新着投票所/新しい項目候補)でも、必ずしもソックパペットとは限りませんが運営の混乱は紛糾を招いたことを考えると、そうした懸念は確かにあると指摘しておきます。--ikedat76 2008年11月1日 (土) 17:43 (UTC)

んーと、ソックパペット排除の問題はともかくとして、投票者に編集回数制限を設けるというのは、現状の秀逸選考では「それはやっちゃいかんやろ?」という部類の判断かと。そもそも、現在のウィキペディアが抱えている大きな問題の一つが「専門家の参入が少ない」ということなわけです。そもそも専門家のチェックなしに選考されたものを、堂々と「秀逸」と名乗れるか? と言われると、それだけでも僕は(いくつか選ばれてる身としては)正直恥ずかしいと思うところがある。普段の執筆過程ならばいざ知らず、秀逸の選考という過程で「専門家によるチェックがない」というのは、それくらい致命的な問題なんです。それまでの編集回数制限を付ける、ということは、秀逸選考が行われているということを知って「これはいかん」と乗り出してきた専門家を排除する口実になりかねない、という問題がある。少しでも「専門家のチェックが増える可能性がある」のであれば、門扉を広げてその可能性を増やしたいと思いこそすれ、少しであっても減らす方向に進めるのには反対、です。

正直、今の選考システム(反対1で却下可能)については、不備な点も大きいとは思うのだけど、かと言って「自分が推薦する記事を通したいから、もっと通過しやすいように」というような動機だけで新しいシステムを提案するのであれば、それは、そもそもの「秀逸記事の目的」を見失ってるとしか言えないわけで。全体的にバランスの取れた提案について、前からいろいろ考えてはいるのだけど、思いついては自分で棄却し、思いついては自分で棄却し、の繰り返しで、なかなかいいアイデアというのは思いつけないものですね。--Y tambe 2008年11月2日 (日) 00:32 (UTC)

「「これはいかん」と乗り出してきた専門家」がいたとしても、現在のjawpやMediaWikiには、その自称「専門家」の真正性を識別する手立てがありません。今すぐにポインタを示せませんが、数年前に英語版で神学教授を名乗っていた人物が実は大学教育すら受けていない高校中退者であった(だったかな?)とかいう事件があったが如くに、です。それに「専門家」の欠如、という問題は既知の問題ではないでしょうか。もちろん、この既知の問題に対する反論が全く上手くいっていないのがjawpの現状かもしれませんが、それはここで解決できるような問題ではありません。「専門家のチェック無しに選考されたもの」でないことをもって、そもそも論的な疑問に付してしまえば、Wikipediaのシステム自体が成り立ちません。「「これはいかん」と乗り出してきた専門家」の発言がそれなりの内容のあるモノであれば聞き届けられるだろうし、それを見逃して恥をかくのはせいぜいjawp、当該記事の編集に携わった人、さらに、jawpに掲載されている記事を鵜呑みにして裏を取らなかった読者です。そこまで心配する必要はありません。--ikedat76 2008年11月2日 (日) 04:27 (UTC)typo--ikedat76 2008年11月2日 (日) 04:29 (UTC)
んー、専門家の真贋の問題はここでは関係ないので、やめておいた方がいいと思いますよ。その「自称神学者」は、あるとき急に現れた新規参加者でしたか? その事例は参加期間を以てその専門性を図る指標にならなかった、ということの実例でしかなくて、どっちかと言うと僕側の立場が示すべき事例なんで。そうではなくて、私が言っているのは「本当の専門家」は世界に実在しているという事実と、それらの人々の多くウィキペディアには参加していないだろうという(推論的だがまず間違いないという意味での)事実にすぎません。我々には「本物の専門家」を見分けるすべがなく、おそらく「本物の専門家」は今はウィキペディアの外にいる。だから、その人たちがやって来るときに問題を生じないようにしておく、というのが「非専門家」の立場からウィキペディアを良くするためにできる、最善のことなんです。
それから、「恥をかくのはせいぜいjawp」ということだけど……少なくとも、こういう議論に参加する人は、そういうことを言うべきじゃないと思いますよ(まぁあんまり固いこと言う気はないけど、それくらいの「建前」は弁えた上で参加してもらわないと困る、というか)。僕もIkedat76さんも、wikipediaというプロジェクトに参加している以上、「jawpの恥は自分の恥」と考えなきゃならない。それが「共同作業」というもののあり方です。まぁぶっちゃけ、これだけ巨大なプロジェクトなんだから無限責任は取れないけど、少なくとも「秀逸記事の選考のあり方」を決める場で「決まった秀逸記事の品質に責任を取らない」と言っているようなものなわけなんで、揚げ足取られてもおかしくない発言ですよ(まぁ、そんな本論から外れたところで揚げ足を取る気はさらさらないので、「そんなものか」と聞いといてもらえれば、それでいいですが)--Y tambe 2008年11月2日 (日) 06:42 (UTC)
(コメント)ソックパベットといわれているものの実体と投票の妨害であるとする根拠がよくわかりません
目的はブロック逃れ — 投稿禁止であるから、投票自体が無効というのは合理的。しかしブロック逃れの投稿の没収はすでに制度があり二重に制度を新設する合理性は疑問。
目的は多重投票 — 好ましくないとされる。秀逸な記事の選考の投票に多重アカウントが有効という合理性に乏しく、わざわざ捨てハンを作って投票するかどうか疑問。(反対捨てハンなら質問後二週間で排除可能/賛成捨てハンなら反対票1票で対応可能)
というよりは、投票後に秀逸な記事の選考の選考過程に誠実に参加していただけるかどうかの問題だと考えます。「投稿回数が少ないものは選考過程に誠実に参加しない」という前提は合理性に疑いがあります。執筆者の執筆意欲に関しては、実体験(その1その2その3 )からすると「この人は何でこういう意見をするのかなぁ。言うだけ言いいやがって、どないせぃちゅうんや」と執筆意欲をへしおられることはたびたびであり、それは投票者の投稿回数の多少と関係があったとは決して思いませんでした(きっとその投票ユーザーの個性なのだと考えます)。意見をされれば不愉快に思うのは人の常であり、それを執筆意欲の糧にするのか、執筆放棄の理由にするのかは執筆者の資質の問題でありWikipediaの制度でフォローする範囲外だと考えます。--あら金 2008年11月5日 (水) 03:54 (UTC)
(コメント)えーとですね。ソックにせよそうでないにせよ「質問後二週間で排除」されるわけですが、その後が異なります。排除された後で同じアカウントで文句をつけても即却下でしょう。ですが、新しいソックアカウントで反対票をつけた場合、一応二週間は待たないといけない訳です。これを繰り返せば永久に妨害が出来てしまうのは問題は無いかなと。また「その意見が妥当か否か、排除するべきか否か」の議論をする場合でもソックを使って多数派工作を行うことが出来はしまいか。ということも問題ではないかなと。
以上が私の当初の疑問だった訳です。そういうことがあったとしても手続きどおりに進めていくだけだ。ということであるのならばそれで構いません。ちょっと疑問の確認をしたかったということですから。--らりた 2008年11月5日 (水) 08:57 (UTC)
ここでするか、各記事でするかで区別することなく、ねちねちとコミュニティを疲弊する行動だけを専業とされる邪悪なユーザーが出現したら、それなりの根拠を添えてコメント依頼にかけて正式にご退場いただくのがよろしいと考えます。しかしそこまでひどくないのであれは礼節をもって扱うのがよろしいと考えます。--あら金 2008年11月6日 (木) 07:35 (UTC)

「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」について 編集

Wikipedia:秀逸な記事の選考/岡部幸雄において、質問に対する回答が2週間なかったことを理由に反対票を無効にしたのですが、投票者から一ユーザーの独断で決められるものなのか、という反論がありました。私は事後に(当該投票者以外から)異論が出た場合は議論の必要が出てくると思いますが、ひとまず無効とすることは一ユーザーが行って問題ないと考えますが、この点について皆様のご意見をお聞かせ願えないでしょうか?-- 2008年12月5日 (金) 15:05 (UTC)

却下の要件について 編集

現在、Wikipedia:秀逸な記事の選考/東京駅について、却下提案がされています。理由を付した反対票がかなり前から3票(最近4票目が入りました)投じられていたにもかかわらず、賛成票(1票=実質的な理由付けがないもの)サイドからは何のレスポンスもなく、却下はうなずけるところです。ところで、現在、却下の要件は「候補に反対票しか付かず、反対のみ3票以上集まった後、一週間経過してもそれ以外の票が付かない場合」とされており、これを文言どおり読むと1票残った賛成票の存在が気になるのですが、実質的な理由付けがない場合にはカウントしないという解釈でよろしいのでしょうか。今後のために、却下の要件を書き直すことも考えられるのではと思いましたが、詳しい方にご教示いただければ幸いです。--ゴーヤーズ 2009年2月5日 (木) 23:58 (UTC)

文言のとおりに解釈するしかないと考えます。つまり完成度は高いが、出典に欠けるといっているので完成度が高くないということを(主観的ではなく)客観的あるしは具体的に示せなければ賛成票を無効にする合理的な根拠はないと考えます。賛成する側もそうですが反対する側も具体的にどこが要出典なのかを根拠を示して、どこを改善したらよいかを示す必要があります(現在は反対票も改善すべき出典を欠く部分が具体的にどの文どこであるかを示していません、賛成者なり推薦者なりも文意を組みにくい点を改善するつもりがない)。であるならば修正の機会を公平に与えているとも言い難い点がありますので賛成も反対もどっちもどっちであるとも考えます。一方、賛成であるという見解について反対意見を具体的に示して、賛成者が返答しない場合は質問に回答しないことを理由にまず賛成投票を無効にしてから、反対者だけなので早期終了というのはOKだと考えます。(出典をしっているのに反対して見殺しにするのは意地悪だとも考えます)--あら金 2009年2月6日 (金) 02:20 (UTC)

今回の却下提案について、経過節名説明をします。単純に私のミスです。サブページにも書きましたが、珍項目選考の早期却下規定との混同によるものです。現行の選考規定を変更する等々の意識があったわけではございません(選考規定の変更等については特に意見は持ち合わせておりません)。大変失礼しました。お詫び申し上げます。--ikedat76 2009年2月6日 (金) 16:48 (UTC)typo--ikedat76 2009年2月6日 (金) 16:49 (UTC)

却下の要件を書き直すとしたら、
『反対票が三票以上存在し、且つ反対以外の票が存在する場合は、反対の理由となっている具体的な修正箇所の加筆依頼を公募し(つまり既存のテンプレートや告知ページの加筆依頼ルール、秀逸選考依頼ルールを使うということ)、一定期間内(要期間決定)に加筆が開始されなかったら改善の見込みがないことを理由に早期却下をすることができる。一方、加筆依頼を公募した場合は、反対票は加筆後に再評価を行う。加筆後の再評価の求め反対票投票者が一定期間内(要期間決定)に評価結果を回答しない反対票は無効票とすることができる。』
を追加する位だと考えます(反対票のみ三票というルールはそのまま)。(賛成票への公平性担保としては)仕組み的には加筆依頼を公募しない反対票は審査期間いっぱいは無再評価で引っ張ることが可能ですが、すでに質問に無回答の場合は無効票化できるとという規定が存在するのでルールの重複になるのでその点の追加は不要だと考えます。(保留が増えるだけですが、保留も質問で無効化は可能なので熱心なコーディネーターが存在すれば…以下同文)趣旨はコーディネーター不在で賛成、反対を双方言いっぱなしで三ヶ月間の野ざらしは時間の無駄ということです。--あら金 2009年2月6日 (金) 20:07 (UTC)
ありがとうございます。ルールが複雑化するだけかもしれませんので、とりあえず今回の件に関してはルール改定の話は撤回したいと思います。--ゴーヤーズ 2009年2月8日 (日) 00:33 (UTC)

Template:秀逸 編集

Template:秀逸に秀逸理由へのリンクが付加されましたので、テンプレ使用に関する記述箇所へ補記を行いました。反対の少ない案件と考え、事後連絡にしてしまいましたが、まずいようなら差し戻してTemplate‐ノート:秀逸へ意見願います。--toto-tarou 2012年1月30日 (月) 14:48 (UTC)

FA・GAの選考・再選考について 編集

「提案」というほどまだ考えていないので、あくまで思いつき程度の話としてください。FA選考・FA再選考・GA選考・GA再選考について、これらを統合するのは現実的でしょうか。それぞれ規定が異なりますし、統合までの準備や運用は確実に面倒になりますが、

  • FA選考に出されたが、FAには一歩届かないものをGAに
  • GA選考に出されたが、それ以上に優れているもの(あるいは選考中に大幅に改善されたもの)をFAに
  • FA再選考に出されたが、GAの域には達しているものをGAに
  • GA再選考に出されたが、選考中に大幅な改善がなされFAの域にまで達したものをFAに

といった柔軟な対応が可能になります。もっとも、そういう例がどれだけあるかというとちょっと微妙ですが…。--氷鷺会話2012年7月14日 (土) 07:13 (UTC)

統合するなら、「FA選考に出されたが、FAには一歩届かないもの」とかは無くなるんじゃないですか? 同じ選考の舞台に出して、ある基準をクリアしたら秀逸、その下の基準をクリアしたら良質、それに届かなかったら見送り、という3段階の判定をするイメージではないかと思いますが。ただ、実務的には極めて煩雑になることが見込まれるように思います。
また現状、秀逸な記事の選考はかなり細かいことまでチェックして時間をかけて審議している印象なので、良質な記事の選考に同じ基準でやられると大変だという感じがします。同じ選考でやることになれば間違いなく同じようにチェックしようとする人が出てきますし。今の段階でも、良質な記事はもっとどんどん通していいと思っているのですが、どうも秀逸な記事と大差ない選考基準で読んでいる人が多いように思います。上は秀逸な記事できちんと締めているのだから、その下の段階である良質な記事はある程度緩めないと、という意識が私にはあります。--Tam0031会話2012年7月14日 (土) 16:09 (UTC)
FAとGAの目安を、違いがはっきりとわかる形で整備しないままで選考の場を統合すると、FAとGAの違いが認識できない投票者が現れて混乱を招くかもしれません。たとえば秀逸な記事の目安に「『出典』または『参考文献』が挙げられている。」という一文がありますが、実際のFA選考・再選考では(氷鷺さんはよくご存じだと思いますが)かなり徹底した「脚注による出典明記」が要求されます。しかしながら表向きは「『出典』または『参考文献』が挙げられている。」とあるだけですので、良質な記事の目安である「検証可能性が信頼できる情報源によって担保されている」との違いが分かりにくい状態にあります。Tam0031さんがGA選考の基準について、「秀逸な記事と大差ない」という感想を抱かれるのも、おそらく両者の目安の違いが必ずしも明確に定められていないため、それぞれの投票者の「GAに要求されるレベルはこのくらいだろう」という判断がFA寄りになって厳しくなってしまっているということなのだと思います。統合の前に選考の実際の目安について、現在のように投票者のさじ加減に任せるのではなく、「FAはここまで要求する。GAはここまででよい」というラインを明文化したほうがいいのではないでしょうか。--Pastern会話2012年7月15日 (日) 06:28 (UTC)
  コメント現状を端的に言えば、GAが専門集団による審査なのに対して、FAが無名の一般批評家による審査です。したがってFAとGAとで連続性のある審査基準を合意形成するなんて、日本人気質からすると、今世紀がおわっても議論は終結しないかと存じます。寧ろ氷鷺氏の提示された問題(ちょっと合格まで届かない)の、根源はルールではなく、(審査員の質ではなく)審査の質の担保という問題です。「ちょっと合格まで届かない」最大の理由は、条件付賛成者、保留者が一人でもガンバられると、ほかの人は「それは基準に達しているじゃないの」といくら思ってもニッチもサッチも行かなくなるということです。条件付賛成者、保留者なりがご自分で問題点を加筆訂正していただけるのなら救いはありますが、純粋に口だけの一般批評(only)家だと、ほぼ合格の望みはないです。ですから「査読逆コンテスト」?でも開いて審査員のアドバイス能力の質的の向上でも図ったほうが早道のような気がします。--あら金会話2012年7月16日 (月) 02:48 (UTC)

FA・GA基準の再考 編集

上の話題とも関係してきますが、FA・GAの基準について(どの程度にするかはともかく)再考してはどうかと思います。とりあえず現行の「目安」をまとめてみました。

Wikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#良質な記事の目安
  • 1. その主題を扱う専門家(研究者、実務家、その他)から見て、百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている。ただし、何が必須かは部分的には関連記事との連携・分担関係にもよる。
  • 3. 内容が充実している。必須の点だけをわかりやすくカバーしただけでは不十分。
  • 4. 完成度が高い。文章が読みやすい、構成がしっかりしている、明らかに未完成な部分がない、(可能なら)図や画像や表などがついている、など。
  • 2. 詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている。ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。
  • 7. 以上の点が全て満たされている。
  • 5. 以上の点が全て満たされている。

なんというか……どうまとめればいいのか迷うほど、内容に整合性がありません。まず最初に突っ込むべきは、FAの(1)と(3)と(4)が重複気味というところと、GAの(1)が実質2項目であるところでしょうか。それと、「検証可能性」「中立性」「出典を明記する」「独自研究を避ける」といった根本的なところの表現が見事にズレていて、「同じではない」ものの「どう違うのかいまいち分からない」という厄介な状況です。「Wikipedia:良質な記事」ではGAを『高い質を保ち、もう少しで秀逸な記事になりそうな記事』と定義されているにも関わらず、これではどちらが上位なのかも断言しづらいように思います。個人的には、GA選考における個々の条件の達成度を(FAに求められるそれに比較して)どの程度に設定すればいいのか分からない、というのが問題だと思います。現状では GA = FAレベルの90%以上 とするも GA = FAレベルの10%以上 とするも勝手に解釈できそうですが…。あと、FAの基準としてスタイルマニュアルや独自研究云々はクリアしているという前提で外していても良いものでしょうか。--氷鷺会話2012年8月17日 (金) 16:49 (UTC)

  •   コメントGAの目標を「専門性が高度な記事を選抜する」と考えるならば、GAの目標はFA基準の十分条件の関係になるということです。であれば、GAとFAとの差別化はGAの必要条件であるがFAの必要条件ではないものは何かという話であって、それは一義的には「非専門家に対する説明性能が(FAもしくは一般記事レベルに対して)優越している」ということ考えます。つまり「記事スタイルが遵守されている」、「図表が使用されている」という基準は非専門家に対する説明性能の十分条件ということだと考えます。したがってFAの必要条件と(その具体例の例示の為に示される)十分条件とを、まずは整理して比較しないと、論点は自己撞着に陥ると存知ます。とどのつまりは「スタイルマニュアル」や「独自研究云々」は、FAあるいはGAの十分条件です。--あら金会話2012年8月18日 (土) 03:47 (UTC)
    •   コメントGAの目標を「専門性が高度な記事を選抜する」と考える』というのは誰の主張でしょうか。--氷鷺会話2012年8月18日 (土) 04:23 (UTC)
      • まず、「…考えるならば」と、書かれているとおりです。つまり前提というのは論議のたたき台に過ぎません。前提として別の命題をもってきても議論は同様です。命題のつまり必要条件と、例示のための十分条件とを同列に比較しても命題の「FAとGAとの識別」、つまり前提としてはっきりしなければ、条件を表で仕分けしても、「存在するから、正しい」という自己撞着ですから。前提がコミットされなければ、議論としては「イカにも、タコにも」の如しです。--あら金会話2012年8月18日 (土) 06:59 (UTC)
        •   コメント そうですか。最初の『GAの目標を「専門性が高度な記事を選抜する」と考えるならば、GAの目標はFA基準の十分条件の関係になるということです。』からして、論理的でないように思いますが。そもそもFAGAの関係が定義されていない・条件が規定されていない以上、どう仮定したところで『GAの目標はFA基準の十分条件の関係になる』訳がないでしょう。ところで、現行の「目安」についての意見は何もお持ちでないのでしょうか。--氷鷺会話2012年8月18日 (土) 10:06 (UTC)
      • 英語版のGAであれはFAとの関係は定義されていて、"Good articles are articles that are considered to be of good quality, but are not yet qualified as quality for featured articles. Good articles meet the good article criteria, passing through the good article nomination process successfully. " つまり「品質の面でFA及ばないのがGAだ」と。言い換えれば、FAとGAとで審査基準を共有していないとそういうことはいえないのでGAの十分条件は量的な問題であると考えられる。つまり、FAの分量として十分であり、Wikipadiaスタイルとして欠けるところはがないが、それ以外の点で瑕疵がある。それがGAだと。一方、日本語版GAのページでは、FA落選がGAになるとされていますが、落選理由が質なのか量なのかは明示的には問題にしていない。あるいは執筆コンテスト入賞というのは順位なので質でも量でも無いですよね。プロジェクトが定義したGA基準というのも、探そうと思ってもなかなか見つからない。GA審査とGA再審査の履歴を見た印象を言わせていただければ、選考通過レベルというのがよくわからないし、GA再審査の剥奪はたいていは出典不足。では、ケーススタディとして、GAにおいて「項目に記述されるべきトピックがある程度網羅され、検証可能性が信頼できる情報源によって担保されている。」とは、どれらい出典をつければいいのでしょうか?あるいはFA項目6とGA項目1とで基準に違いがあるのでしょうか? 比較できないものは基準ではなく、方針だと考えます。--あら金会話2012年8月19日 (日) 01:31 (UTC)
        • 「日本語版GAのページでは、FA落選がGAになるとされています」というのはどこに記載されていますでしょうか? FAの方がGAより上だから、FAに選ばれたらGAから除外される、という規定はありますが、それ以外の点でFAとGAの関係を規定したものは無いはずです。--Tam0031会話2012年8月19日 (日) 15:51 (UTC)
  • 出典について意見します。FA・GAともに、選考の現状を考えれば表現に不足があるように思います。現状は単に検証可能性を満たせばいいのではなく、脚注を活用するなどして検証がある程度容易であることが要求されています。現在の漠然とした表現を改め、一定程度の検証容易性を要求するよう踏み込んでもいいのではないでしょうか。また、これは「観点の中立性」の保持と関連することですが、同一著者による文献の提示では不足とし、複数の著者による解説や分析が反映されていることを要求してもいいのではないかと思います(FAについてはより厳しく、「多くの」著者による解説や分析の反映を要求するのも一案でしょう)。--Pastern会話2012年9月11日 (火) 01:25 (UTC)

改訂ルールの実際の適用範囲について 編集

条件付賛成・保留意見・反対意見が改善されたかの告知及び選考期間の2週間延長について、このようなルールがあることは最近知りました。ところで、何ら具体的な改善点を指摘すること無くFAに反対する投票は防がれるべきである、という点について、秀逸な記事の選考だけでなく再選考の場合も何ら異なるところがないと思われるのですが、Wikipedia:秀逸な記事の再選考の方にこのルールへの言及がないのは、単なる書き忘れでしょうか、或は、再「選考」だから当然に適用されるという趣旨でしょうか、それとも、再選考の場合は別に理由があってこのルールは適用されないものと考えられるのでしょうか。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考には適用があるようですね。

また、「投票は無効となる場合があります」という書き方は曖昧に思えますが、どのような場合であれば無効となり、どのような場合であれば無効にならないのか、それは誰が判断できるのかわかりません。いちユーザーが勝手に判断してはならないものではないのかということで余計な紛争の種になるおそれがありますし、現に前例もあったようですね。この点についての新たな議論を提起したいと思います。確かに、もっぱら自分の立場と異なる反対票を潰す目的のみで投票者に対して質問を繰り返す、という制度の濫用が考えられますので、そのような曖昧な書き方になっているのかもしれません。だとすれば、どのような場合であれば投票が無効となる場合にあたるのかについて説明が必要なのかなと思われます。Phenomenology会話2012年11月12日 (月) 21:15 (UTC)

  コメント こんなところで言っても仕方がありませんよ。『単なる書き忘れ』でもなければ、『再「選考」だから当然に適用される』訳でもありません。どちらも間違いで、見当違いです。既存のルールを読めば、それぞれが(多少は似ているものの)独自のルールで運用されていることは、たとえウィキペディアに不慣れな子供ですら理解できるはずです。ここで「選考のルール」として定められたものが「勝手に」再選考で適用されることはあり得ません。再選考のルールにそれが必要だと思うのであれば、あちらのノートで提案する必要があります。あなたがしているのは、「神奈川県条例に東京都条例の○○が無いんですが、書き忘れですか? それとも当然適用されますか?」と都庁に文句を言っているようなものです。--氷鷺会話) 2012年11月13日 (火) 18:32 (UTC) 下線部訂正[1]。--氷鷺会話2012年11月14日 (水) 22:03 (UTC)
  コメント 基本的には氷鷺さんのおっしゃる通りで、選考と再選考は別ものです。それは制度的に別のものだという形式的な観点からだけではなく、反対者が一人でもいれば選出されない選考と、多数決による除去がありうる再選考とでは選考の性質が違うのです。無効の規定については、選考において、改善を尽くし、十分な数の賛成者がいるにもかかわらず明らかに筋の通らない理由から強硬に反対する利用者が少数いる、あるいは反対票を投じたままウィキブレイクに入ってしまった利用者がいるといった、記事の改善によっては打開しようのない特殊な状況を解決するための特別な規定とご理解ください。また規定が曖昧なのは、様々なケースについて様々な方法により推薦者・執筆者の側を救済するためと私は解釈しています。--Pastern会話) 2012年11月13日 (火) 21:04 (UTC) (修正)--Pastern会話) 2012年11月13日 (火) 21:06 (UTC) --Pastern会話2012年11月13日 (火) 21:07 (UTC)
  コメント 「ウィキペディアに不慣れな子供ですら理解できる」ものではないことは、氷鷺さんご自身が立証してくれています(Wikipedia:秀逸な記事の再選考/0.999... 20120826)。実質的には適用されうるものとお考えだったのではないのでしょうか?こんなところで言っても仕方がないかどうかを決めるのは氷鷺さんではありませんので、無断でノートページにおける他者の発言を削除しないでください(Help:ノートページ#他の利用者のコメント)。現に、Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考#「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」について、本ページで回答がないままになっていますが、未解決の問題です。どのような場合に適用された実例があるのか、ご存知でしたら指摘していただきたいと思います。現状では、かえって新たな紛争の種になりかねませんし、現になっているわけです。また、そもそも、選考・再選考共に、建前上は誰でもできるとは言いながらも、実際上ごく少数の特定人によって運営されているに等しく、そこでの議論の流れや個々人の趣向のみが選考結果を左右することになりかねないという点について、選考の場合も再選考の場合も異なるところがないのではないように思われます。もっとも、両者がどのくらい同じでどのくらい異なるものかについては、印象論や水掛け論になりがちですから、現時点で本ルールがどのように機能しているのか、もう少しはっきりさせる必要があるように思います。本ページで議論を提起したのはその為でもあります。Pasternさんの言い方から推測するに、いわゆる伝家の宝刀のようなもので、事実上ほとんど機能していないということなのでしょうか。だとすれば、適用範囲を拡げるべきでない、という流れになるのでしょうね。Phenomenology会話) 2012年11月14日 (水) 08:11 (UTC)(修正)--Phenomenology会話2012年11月14日 (水) 08:56 (UTC)
  コメント 平凡な日本語の文章すら読解できないのでしょうか。選考・再選考の既存のルールを読めば、と書いてあるでしょう。存在しないルールが適用されると思い込み、それを押し通そうとする姿勢といい、Phenomenologyさんはちょっと文章の理解力に問題があるのではないでしょうか。法解釈以前に日本語の解釈をきちんと行ってください。もう少し物事をよく考えてから発言してください。あなたの無効票云々という妙な指摘に対して、その根拠をよく確認せずに対応してしまったのは問題でしたが、それが、無効化の規定が再選考に適用される・適用されると誤解される余地があるなどという戯言は通りません。--氷鷺会話2012年11月14日 (水) 22:03 (UTC)

結論から申し上げますと、Wikipedia:秀逸な記事の再選考/0.999... 20120826におけるКОЛЯさんの投票が無効である、という Phenomenology さんの主張は無理筋である、と思います。えーと、選考と再選考は判断の基準が違うとのこと、「反対者が一人でもいれば選出されない」という「選考」における基準は、私はさっき初めて知ったのですけれども、現状を変える方のハードルを高く設定しているということなのでしょうか、それが妥当かどうかともかく、そういう非対称な基準があるのであれば、Pastern さんのおっしゃる「選考と再選考とでは性質が違う」という主張は頷けます。(話は逸れますが、意見表明の制限がほとんど無いにもかかわらず、反対がひとりでも居れば駄目、なんて選考があるものか、と個人的には思います。もっとハードルを下げてはいかがでしょうか。)一旦投票したからといって、逐一反応を返す義務を負わなければならない、というのも変な話だと私には思われます。なお、КОЛЯさんはノート:0.999...#可能無限の観点からの0.999...への記述がなされていないでも(的を射ていたかはともかく)真摯に対応して下さった方のひとりであり、そういう方の意見表明は無視できるものではなく、今後の参考とすべきである、と個人的には考えております。--白駒会話2012年11月14日 (水) 15:35 (UTC)

  コメント特定の事例について議論しようというのではありませんよ。問題提起部分において、そんなことは言っていないでしょう?白駒さんには恐縮ですが、それはこのノートページで議論すべき問題ではありません。そうではなく、何度も申し上げますように、既にこのノートページで第三者から問題提起がなされているにもかかわらず、どのような場合に適用があるのか何ら回答・解決がなされておらず、制度の実態が外からは不明瞭であることが一番の問題なのです。実際「一旦投票したからといって、逐一反応を返す義務を負わなければならないというのは変な話」ですから、「制度の濫用」もありうるかもしれないと書いているのです。単に再選考に書いていないから当然適用されないという形式的な理由だけでは、じゃあ再選考についても制度の実質が同等なら、適用があるようにルールを明文化すべきだ、という議論を当該ページで起こすべきことになりますし、Pasternさんから指摘のあったように、両者は制度の実質において異なるものだというのであれば、とくに反対する理由はありません。だからこそこのルールが「事実上ほとんど機能していない・・・とすれば、適用範囲を拡げるべきでない、という流れになる」のは納得できる、と書いているのですよ。結局、白駒さんも指摘されますように、秀逸な記事の選考につき現行のやり方にはいかにも問題がありはしないか、ということは言えるだろうと思います。Phenomenology会話2012年11月15日 (木) 02:30 (UTC)
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