Wikipedia:コメント依頼/利用者サブページの下書きの記事化

利用者ページのサブページとして用いられている下書きの記事への再利用について考えましょう。

執筆者として、wikipedia.org上で下書きページを使いたいが、そのためにはCC-BY-SAに同意しなければならず、しかし勝手に記事にされても困る、という意見があるようです。その考えは、理解できます。

執筆者の意志をきちんと反映させるやりかたとしては、再利用してもいい下書きはwikimedia.org上に置き、再利用されたら困る下書きはローカルまたは再利用できないブログなどに置くというふうに使い分けるのが、自然です。wikipedia.org上でCC-BY-SAでライセンスされない下書きページを作る、というのは、ぼくの手に余ります。

ここでは、利便性のためなどから、使い分けではなく、いったんCC-BY-SAとはするが、下書きを記事にすることを、コミュニティの合意として、ある程度防ぐための決まりを作ることを考えます。

前置き 編集

決まりを作ること自体については、ライセンスは基本的には関係なく、たとえば新規記事の内容として「あああああああ」と書かれた投稿は、通常削除されますが、これはライセンスの問題ではなく、百科事典の記事として、削除するのが適当だということで、合意の上で削除対象になっています。なお、「CC-BY-SAでリリースされる下書きページ」についての注意喚起は、Help:利用者ページのノートで検討がはじまっています。ライセンスのことについては「User:Ks aka 98/CC-BY-SAに同意するとはどういうことか」に書いてみました。

ライセンスは関係なく、と言っても、CC-BY-SAでライセンスしているというのは、つまりライセンスを守る限り、自由な再利用を認めますという意思表示なのですから、素直に受け取れば、著者はそのように考えているのだとみなされる、ということは前提とさせてください。たとえば、第三者がウィキペディア外で使うことを妨げることはできません。これをも拒むなら、ウィキペディアに投稿しない、ローカルで下書きをするしかない、です。

ライセンスが意味することを理解していない、または読んでいない利用者がいる、多くいるのが現実だとは思いますが、全員が理解していないことを前提する、というのは無理があると思います。投稿時の表示に則ってライセンス文や利用規約を読み、きちんと同意している利用者にとっては、下書きとはいえ自由な再利用を認めますという意思表示です。Wikipedia:利用者ページ#利用者スペースでできることには、「ウィキペディアのプロジェクトは、利用者スペースの利用方法に関しては利用者にかなり広い自由裁量権を認めています。しかし、利用者は利用者スペースの所有権を保有するわけではありません。/・利用者スペースのコンテンツは、CC-BY-SAおよびGFDLの下で公開されます」と書かれています。

また、著者が一度CC-BY-SAに同意して、その上で、著者があれこれ言える状態にするというのは、本人の意思として使わないとした、まさにその権利を、著者として行使するのですから、かなり不自然なことだということは、ご理解ください。CC-BY-SAは、「あなたは、このライセンスによって付与される利用許諾受領者の権利の行使を変更または制限するような条件を提案したり課すことはできません。」と、付帯条件を無効にしてしまいます。著者が決めるのが当然で、著者に許諾を得よう、という理屈で追加の制限をするというのは、ライセンスに関係することで、ライセンスが禁じている追加の制限になってしまいます。著者が決めるのが当然で、著者に許諾を得るのが当然だ、と、考えている方もいらっしゃるかもしれませんが、以下では、それではない理屈を付けるようにしています。

基本的な方向 編集

アクティブな利用者/意志が確認できる場合 編集

少なくとも、アクティブな編集者が、記事にするために書いていた下書きを、本人が未完成・不十分と認識しているにもかかわらず、本人に無断で記事名前空間に持ち出すことは、道義上の問題があると考えられるということに異論はなさそうです。

  • その書いている本人が未完成・不十分と認識しているであろう下書きが、やがて記事になると期待でき、対話が容易に可能であるにもかかわらず、それを怠って記事にすること。
  • 方針を守ることが求められていない場所で作成されている、未完成・不十分と認識しているであろう下書きなのだから、検証をすることなしに、記事とするにはリスクがあるということ。

となるでしょうか。この場合は、とにかく本人に確認することができるのですから、嫌がるなら、未完成・不十分と認識している下書きを検証なしに記事化することは好ましくないものとして、意志を尊重する、ということでよいでしょう。

そう考えると、本人による意思表示の仕組みを作るのがよさそうです。利用者ページか、下書きページの冒頭に、適当なテンプレートを置くことで、自ら記事化しない下書きは未完成・不十分と認識しているという意思表示であり、他者の記事化を好まないとする。やめると決めてやめる、なら、その時に下書きページの削除というのも可能ですが、みんながそうやってやめられるわけではないので、活動中に、活動休止後も、本人の意思が確認できる表示をしておくことは合理的だと思われます。

削除 編集

下書きの記事化が行われてしまった場合、削除または移動の差し戻しが必要になります。利用者サブページの記事名前空間への移動、または、利用者サブページの記事名前空間への転記で、その執筆者が依頼したもの、記事化を認めない意思表示が確認できるものを削除対象とすることで、基本的には対応できそうです。移動で記事化されて、他者の編集があった時に、早さを求めるなら移動の差し戻しと編集の差し戻し、履歴の厳密さを求めるなら移動後の編集を特定版削除した上で移動の差し戻し。転記された場合は基本全削除。ライセンス違反によるコピペの場合は、下書きとの同一性を確認して(完全なコピペである必要はない)、全削除。ライセンス違反でもあるが、履歴を補っての版指定削除にはしない。もともとあった記事への加筆、上書きなどなら、それ以降の版指定削除(履歴統合をしていないなら、コピペでの転記ですから、下書きはそのままのはず)。有意な加筆がなければ即時削除。

検討の必要な例 編集

ややこしそうな例としては、

  • 本人はアクティブだが、やがて記事になる見込みが低くなりつつありそうなものの場合(たとえば数年放置されている下書き)
  • 自分が書こうとしているもの、書き始めたもので、その後、他の人の下書きに気付いた場合
  • 記事化を認めない意思表示が確認できるが、執筆者が活動を休止していて、記事になることが見込めない場合で、その下書きが有用だと思われる場合

があります。下書きの執筆者と対話ができる状況なら、まずは本人と相談がよいでしょうから、本人に確認できるものは確認することを前提として、十分記事になる優れた記事だが本人は拒むような場合や、視点や資料の違いからマージすることで明らかに記事の質が高まるような場合に、コミュニティの合意などによって本人の意思を覆して利用できる余地を作るかどうか。また、本人と対話ができないが、記事化を認めない意思表示があった場合に、再利用する余地を認めるかどうか。

また、下書きの記事化が行われてしまった場合としては、

  • 十分な加筆があった場合で、下書き作成者が削除を望む時、または記事化を認めない意思表示があった時にどうするか。転記した人による加筆、または第三者による加筆ならどうか。

記事化の際には、「利用者ページサブページから記事名前空間への移動」または「要約欄に利用者サブページから履歴継承のための内部リンクを含む」という形になりますから、フィルターかbotで検出して早めに対処というのもできなくはなさそう。

意思表示がない時 編集

次いで、本人による意思表示がない場合に、どうするか。

アクティブでない利用者に関しては、やがて記事になると期待することが難しく、本人に確認することもかなわず、尊重すべき意志が不明の場合です。事前に声をかけることは、義務としたほうがよいでしょう。どの程度待つか、また、どの程度で「アクティブでない」と捉えるか、は、様々な意見があると思います。

まずは原則OK/原則NG/原則合意が、考えられますが、まずはどういうのならOK、どういうのならNGと考えてるのかってのを集めないと、なのかな。たとえば、

  • 記事の質、権利侵害のリスクなどについて、どう扱うか、という問題があります。基本的には、権利侵害に関しては下書きであっても執筆者の落ち度となりますが、その侵害の範囲を拡大させたことについては記事化した利用者も責任を負う。検証可能性や中立性などの質が不十分であることについては、記事化した利用者の落ち度。
  • 質の高さを要件とするか。スタブ程度の記事であっても、記事化を認めるか。

そのほか、

  • 合意なら、それを決める場所はどこにするか。
  • 移動で記事化するか、コピペするか。

など。

やりかたや考え方もいろいろありそうなので、とりあえず上の意思表示システムを先に考えて、当面こっちは記事化前にコメント依頼推奨、くらいにしておくのがよさそうだと思っています。英語版の関連文書としてはen:Wikipedia:WikiProject Abandoned Drafts

提案のまとめ 編集

  • 原則として、アクティブな他者の利用者ページにある下書きを記事にすることは認められません。下書きを活用したいと考えた場合には、その執筆者に確認してみてください。
  • 下書きを書く時に、利用者サンドボックスの下書きの冒頭にテンプレートを置くことによって、記事化を望まないことを示すことができます。このテンプレートによって、活動休止した後などでも、下書きの執筆者の意志を明示することができます。(以上をHelp:利用者サンドボックスあたりに明記)
  • 「検討の必要な例」については、意見が集まったところでまとめる。
  • 「下書きの記事化」を削除の方針に追加。
  • 「意思表示がない時」は、意見がまとまったところでまとめ。

というあたりが落としどころと見込んでいますが、集まった意見次第ですし、個人的には、全部禁止でも全部OKでも受け入れられます。こだわりがあるのは、

  • 前置きで書いたCC-BY-SAの付帯条件とぶつかるのはできるだけ避けたいということ、
  • ちゃんとライセンス読んで自由に使っていいものとして下書きをサブページに置いている人の下書きの再利用を、ライセンス読んでない人への配慮によって阻害するのは納得しにくいということ、

あたりでしょうか。--Ks aka 98会話2014年7月2日 (水) 18:59 (UTC)[返信]

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コメント 編集

前置きの部分のライセンスに関わる話についてはUser:Ks aka 98/CC-BY-SAに同意するとはどういうことかも参照ください。このへんの話についての議論は、長大化することが予想されますので、サブページのノートを使うのが好ましいと思います。議論の様子がここと分断されることを避けたいということなら、ノートか、コメント最下部に「ライセンス関係の議論」節を作るなどしていただけると幸いです。--Ks aka 98会話2014年7月2日 (水) 18:59 (UTC)[返信]

コメント 編集

  • 前段として。私とKs aka 98さんはこの話以前にtwitter上でだいたい2日間くらいやり取りをしています。基本的に私は今から同じことを書くので、もしよろしければ先にtwitterのやり取りを確認いただければ、参考になるかも知れません。ハッシュタグ「jawp」で7月1日および2日に「isk_twit」というアカウントが呟いているものは、ほぼほぼこの件のものになっているはずです(何回かは冗談くらい言ったと記憶していますが、片手ほどだったと思います)。
結論からいうと、私はこの件について「利用者サブページの下書きを再利用するなら慎重にやれ」というようなことを、Wikipedia:利用者ページに書き加えるだけで良いと考えています。以下のポイントによります。
  1. ライセンスに従った再利用は、WikipediaがCC-BY-SAを採用している以上、妨げられない
  2. 現在まで再利用が行われなかったのは、それが「共同作業」という点から乖離している行為だと(暗に、あるいは常識的に)認識されていたから
  3. 委縮した(のは7月1日、2日の削除記録をみれば明らかです)利用者サブページの利用を継続してもらうためには、一切の付帯条件(例えば再利用を拒否する旨のテンプレートを付与させる)を強要すべきでない
  4. (これは私の感覚によるもので、おそらくではあるが)例えば、「利用者サブページをライセンス付与の対象外とせよ」や「利用者サブページの再利用を禁止せよ」というようなことまでは、求められていない
順に説明します。
まず1。基本的に「Wikipedia上に投稿されたすべての文章」は、「ライセンスに基づいて再利用が可能である」ことには、同意します。潜在的に今回Benzoylさんが行ったようなことが、誰かに実行される可能性は常にありましたし、これからもあります。「ライセンスに基づいて再利用が可能である」ということはそういうことですし、それによる恩恵は受けていると思います。メリットがありながらデメリットだけを否定することはできないですから、この点は基本として押さえておく必要はあると思います。
次に2。しかしながら、今までそうした行為はおこなわれてきませんでした。それは「Wikipediaにおける記事執筆」が「共同作業である」からです。記事をひとつの「プロダクト」として捉えたとき、「下書き」というのは「未完成なプロダクト」と言えます。設計図しかないのか、パーツはそろっているが組み立てられていないのか、仮組みはされているが接着されていないのか。あるいは塗装がされていないのか、デコレーションが終わっていないのか。いずれにしても「下書き」は、執筆した利用者本人からは「未完、不十分」である、作業途中であると認識されているものと捉えるのが妥当でしょう。そしてそれを「他者が記事化する」というのは、「あとは俺(か他の人)が仕上げてやろう。こっちに寄越せ」という行為に等しい。「完成していると思ったから記事化した」も同様です。「まだ仕上がっていないのに、こういう部分は不完全なのに、なんでそういうことをするんだ」と言われるでしょう。これらは「相手の意思を尊重する」という前提を持つ「共同作業」という枠から外れた行為です。これを指して「下書きのネコババ」とした形容は、その通りだと思います。
やや脱線しますが、これらのことが言えるのは、それが「利用者(サブ)ページへ投稿されたもの」だからです。利用者サブページは、利用者の裁量が認められます。言い換えれば、その利用者に属するものとして、使い方などの意思・意図が尊重されているということです。「ライセンス上は問題なく可能である」行為が今までおこなわれてこなかった背景には、この「利用者に属するものとして、使い方などの意思・意図が尊重されている」ということが、自然におこなわれてきたということがあると考えています。「利用者に属するものとして、使い方などの意思・意図が尊重されている」というこの考えは、記事には適用されません(例えば、記事の所有権はその主張を認められていません)が、しかしながら、考慮されないものではありません。編集合戦の際などには、相手の考えを尊重し、理性的な話し合いを心がけることが推奨されているはずです。
いわばこの考え方は、「Wikipediaでの作業は共同作業である」ということを前提に、「相手を尊重した」上で、結果的に「利用者サブページの下書きは記事化しないほうがよい(あるいは慎重であるべきだ)」という「常識」として「一種の不文律として守られてきた」ものだと考えます。今まで利用者サブページの下書きを利用していた方々は、この「常識」を担保に、利用者サブページの下書きを利用してきたと思います。今回それが裏切られた形になったこと、しかも同時に1がまずい形でクローズアップされた(信頼が裏切られても泣き寝入りするしかないのだと認識させた)ことによって、利用者サブページの利用が一気に委縮したと私は考えています。
そして3。「利用者サブページ」を利用してもらうことには、一定以上の意味があります。利用者サブページへの入力はいわゆるWYSIWYGです。これはローカル環境では実現できません。ローカルにMediaWikiをたてることは可能ですが、テンプレート適用、赤リンク、カテゴリなどは同様になりません。脚注なども同様でしょう。これらを整備しなければならず、かつそれをせよというのは、利用者側に対する手間の押しつけでしかありません。
この前提に立った時、今まで問題なく(繰り返しますが、潜在的には問題は存在していましたが、露見しませんでした。それは、2で説明した理由によるものです)使えていたものが、+αの手間をかけなければ使えなくなるというのは、これもローカルWikiの整備要求と同様に、利用者側に対する手間の押しつけでしかありません(ずっと軽い手間であることは確かだとは思いますが、手間を忘れてしまったときにやっぱり勝手に利用されてしまう可能性があるなど問題もあります)。利用者ページでの下書きを利用してもらうことは、より質の高い記事を寄稿するための手段としては有用で、これはWikipediaにとっても十分に利益になることです。にも拘らず、何らかの形で今までになかった手間をかけさせるのは良いこととは思いません。
最後に4。これは重要なことですが、今回のような「あとは俺(か他の人)が仕上げてやろう。こっちに寄越せ」というような行為は、すでに何人もの利用者の方々が不快感を表明されていますが、「利用者サブページをライセンス付与の対象外とせよ」や「利用者サブページの再利用を禁止せよ」とまでは求められていと私は受け取っています(これを実現するのは難しいという点については、Ks aka 98さんに同意します)。忌避されたのは「相手の意思を尊重するという前提を持つ共同作業という枠から外れた行為」であって、「利用者サブページの再利用」ではない。であるならば、「利用者サブページの再利用」にあたって「それが共同作業の枠内に収まるように」、つまり「相手を尊重してください」と明示するだけでよいのではないかと考えます。例えば「文献などを持っているので、一緒に作業させてもらえないかという意図でおこなわれるリリース要請」や「完成形の記事であるように見えるので、リリースして他の人の加筆にも期待したほうが良いのではないかという意図でおこなわれるリリース要請」などがあったならば、それは「一緒にやりましょう」という意図の、つまりは「相手を尊重した」「共同作業」と言える行為であったと思います。これも「利用者サブページの再利用」ですが、歓迎されたはずだと私は思います。
以上まで4点について述べましたが、2点補記します。
1点目。これは、あくまで「Wikipedia内の、共同作業ということによりかかった、信頼関係のはなし」であって、「ライセンスのはなし」ではありません。「Wikipediaというものを運営していく上で、ライセンスとは別に、そういう信頼関係も重要視しなければならない」から、「ライセンスの規定とは別にそうした振る舞いを求めましょう」ということです。だから仮に、そうした「信頼関係を考慮できない、すべきでない」外部サイトでの取り扱いについては、どうしようもありません。それをも避けたいのならば、その場合は、残念ながらローカルに書いてもらうしかありません。これは、申し訳ないけれどどうしようもない(仮に記事化拒否のテンプレートを置くとしても、やっぱり外部サイトへの転記は免れないのではないかと思います)。転載をおこなうサイトを迷惑に思うのは確かかもしれませんが、選別して弾くような真似をしている余裕はないと思いますし、そんなことをしていたら「ライセンスにのっとってWikipediaを利用してくれるところ」まで面倒に思って使ってもらえなくなる可能性すらあります。それは正常ではありません。繰り返しますが、純粋にライセンスの話になったら対処は難しいということはKs aka 98さんに同意します。
2点目。それでも、利用者をないがしろにした下書きの記事化がおきたら。まず、それ自体は防げません。おこなった人は「共同作業が難しい利用者」ととらえられるでしょう(今も変わらないと思う)。次に記事。Wikipedia:削除の方針ケースZでの審議となると思います。私は「利用者サブページの下書きを再利用するなら慎重にやれ」というようなことを、Wikipedia:利用者ページに書き加えることを提案していますので、実現されれば、この文章を根拠に、つまり再利用が慎重におこなわれなかったことを理由として審議をおこなえばいいと思います。あとは是々非々判断すればいい(これも今と変わらないように思います。削除を主張する根拠となる文章が一つ増えるだけで)。
私の主張は以上です。それをもとにした具体的な提案として、以下の文章をWikipedia:利用者ページへ記述することを提案します。Wikipedia:利用者ページ#利用者スペースの編集#他者による編集や削除依頼あたりが良いのではないかと考えています。
利用者ページに不適切な内容があるときなど編集を要する場合や、利用者サブページに書かれた記事下書きの再利用をおこないたい場合などには、その利用者自身に働きかけ、その対応を待つなど慎重な取り扱いが推奨されます。ただし、利用者が協力的ではない場合には他の利用者が直接編集するなどの対応を取ることも認められます。削除の方針に合致するものは利用者ページの削除依頼に提出してください。
提案する文面は以上です。慎重な取り扱いを推奨する意図までは記載していません。記載するかどうかは他の方に委ねたいと思います。Wikipedia:利用者ページにあるように「慣習として」でもいいですし、また共同作業であるからだとしてもいいです(が、その場合は長くなりそう)。
私からは以上です。--いすか (/) 2014年7月3日 (木) 12:08 (UTC)[返信]
  • 正直なところ、提案者はちょっと事態を甘く見すぎという気がします。「質が不十分であることについては、記事化した利用者の落ち度」というのは私もそう思いますが、転記された元記事作者の気持ちはそれでは収まらないことも多いと思いますよ。これは「取られた」という感覚の問題だけではなく、「(元記事作者から見ると)自分の書いたことが原因で質の低い投稿がされてしまった、ルール違反の投稿がなされてしまった、結果として世の中に迷惑をかけてしまった」という結構深刻な問題です。下書きだから、出典が見つからなかったら消すつもりで、とりあえず記憶に基づいて書いた、とか、ブログで見かけたもっともらしいことを書いた、とか普通にありえます。勉強不足の人に転記されたら、その間違いに気づけるほど詳しい人はウィキペディアには自分以外にいないのだから、結局「ウィキブレイク」だったはずなのにその間違いを正すために無理して現役に復帰する他無い。仕上げ作業は本来なら一番楽しいはずなのに、むりやり復帰させられたんじゃそういう楽しさも半減以下でしょう。ジュ・ド・ポームに関しては、元記事作者以上にこの件に詳しい人が現状は他にいないのだから、とりあえず編集除去が適当だと思いますよ。--Freetrashbox会話2014年7月6日 (日) 00:12 (UTC)[返信]
  • 道義という、広く曖昧な定義よりも、もっと明確で深刻な問題があると思います。それは書く人のモチベーションの顕著な低下です。
  • 書く人は、書籍を買ったり、図書館行ったりして、金銭と時間をウィキペディアにおける執筆という、趣味なんでしょうかボランティアなんでしょうか、兎に角『仕事ではない=報酬のない奉仕』の為に費やしているわけで、それを仕上げる前に人に弄られたりしたら、ルール上の手続きが明確であっても、執筆のモチベーションは顕著に低下します。
  • あと、極論でしょうが、ハゲタカの如く、人が積み上げた下書きを、「合法的に横取り」できます。ライセンスを変えるのは現実的に考えて不可能でしょう。ローカルルールを設けるのも弊害が多そうです。そして今回の一件みたいなことが起こってしまった以上、公衆の場にこういう「合法的な横取り」のマニュアルが公開されてしまった形になります。とすると、その手の「合法的な横取り」だけを専門にウィキペディアに参加するという参加姿勢が許容されてしまうことになります、というか今までもそうだったのかもしれませんが明白な形でそういう参加姿勢が容認されることが発露してしまったと考えます。
  • となると、せっせとウィキペディアの外で資料集めて、時間と金を費やして書いてる人達は、馬鹿馬鹿しくなると思います。やがてウィキペディアに参加するのが阿呆らしくなって、ウィキペディアを辞めてしまう、そういう可能性は十二分に考えられます。
  • 結果、ウィキペディアから執筆者が去って、百科事典の成長は遅滞・鈍化します。
  • こういう弊害が確実に起こるんじゃないかと私は考えています。「合法的にディストピアの風土が整ってゆく」とでも言うべきなのでしょうか。私のような、大して実績もあげていないユーザーでも、今まで参加してきて、こんなサイトに参加するの阿呆臭い、と考えたことが何度かあります。ましてや、執筆の為に、頭を回転させ、場合によっては少なからぬ金銭と時間を投資してくれる、真面目な書き手の方々であれば、なおさら、モチベーション下がって、ウィキペディアへの参加意欲を無くすと思います。
  • これが、私が一番危惧する問題です。今の所は。客観的に見たら被害妄想っぽく見えるかもしれませんが、私はこの点についてもっと深刻に考えるべき、という立場です。--ShellSquid/履歴 2014年7月7日 (月) 10:27 (UTC)[返信]
    •   ライセンス上阻止するような手段がないというのは間違いないところですが、それをもって「『合法的な横取り』だけを専門にウィキペディアに参加するという参加姿勢が許容されてしまう」というのは言い過ぎではないかと考えます。現にこうして「合法的な」再利用に関する議論も起きていますし、現役利用者のサブページを流用して、本人から抗議があっても「ライセンス上問題ないから」と開き直って恥じず、さらに同じ行為を重ねるような利用者がもしいたとしたら、それは疑いようもなく対話拒否に当たります。--Jkr2255 2014年7月11日 (金) 23:58 (UTC)[返信]
  •   ここで何をいってもライセンスに従った再利用を拒むことは出来ないのであまり意味はないかと思いますよ。鼻豆になりますから詳細を書きませんがWikipedia日本語版内での特別ルールを作ったとしてもそれを回避する方法など少し考えれば思いつく人が出てきます(やろうとは思わんが私は既にその方法は思いついてる)。一番の予防策は移動(転記)されて困るものならWikipedia上の公開された空間に置くなと言うことにつきると思います。私ですら簡単に思いつく事を他の人が思いつかないなんてことはないでしょうから。--Vigorous actionTalk/History2014年7月7日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
  •   コメント いすかさんの意見に同意します。CC-BY-SAである以上、ライセンス以上の制約を課すのは現実的な方策ではありませんが、「ウィキペディアは、(中略)百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト」(Wikipedia:ウィキペディアについてより、強調は引用者)です。たとえば、Wikipedia:削除の方針#著作権侵害案件の存続時対応にも、「削除依頼時に除去された部分や、審議中に加筆されて審議終了時に除去された部分を、他の人が書き戻してもライセンス上問題ありません。ただし礼儀上、要約欄に「削除依頼中の加筆を復帰」などと断るようにしましょう。」とあります。こんなふうに「礼儀」という形で一言加えて、あとはやった人に対するコミュニティの評価に任せる、というのが妥当なところかと思います。--Jkr2255 2014年7月11日 (金) 23:37 (UTC)[返信]