利用者:香川二郎氏の行為についてコメントを依頼します。

これまでの経緯 編集

被依頼者は、出典付きの記述を記事から除去する行為をしばしば行っています。その際、出典付きの記述を「独自研究である」と宣言することもあります。

それらの行為については、2017年の時点で利用者‐会話:香川二郎#出典付き記述の合意形成ない削除は荒し行為です(2017年2月26日)および利用者‐会話:香川二郎#独自研究について(同12月)において2人の利用者から指摘を受けており、前者についてはそのような行為をやめて、出典付き記述を除去する際は合意をとってからするよう要請され、後者については「独自研究」という用語の不理解を指摘されています。

それら2人からの指摘を受けて、被依頼者のそのような行為がおさまったわけではなく、上述の2017年2月26日のコメントを受けた後も、下記のように継続しています。直近でも2019年6月29日 (UTC)から2019年7月6日 (UTC)にそのような行為が5件みられます(投稿記録を参照)。

出典付き記述を除去する例
出典付き記述を除去する際に、その箇所が「出典著者の独自研究である」旨を宣言し、かつその論拠を示さない例
上掲2017年12月に「独自研究」という用語の不理解を指摘された後でなお、出典付き記述を「出典の著者の独自研究」と称して除去する例
出典付き記述を除去する際に、除去の理由を「当該出典の信頼性の問題」であるとしつつも、その具体的な説明はない例
信頼性の問題に加えて、「出典著者の独自研究」という理由付けも加えている例
出典付き記述を除去する際に、出典著者の「宣伝」や「売名」と断じる例

被依頼者のこれらの編集のうち、直近のものにあたる、弥助におけるこちらの編集は、出典付き記述を除去するものであり、その理由は「藤田みどりというよくわからない人物の独自研究なので削除」とのことでした。藤田氏というのは当該箇所の出典の著者です。これに対して私(依頼者)は、「藤田氏の信頼性についてはノートで議論して合意をとるべきと思いますので一旦差し戻します。なお発行元は岩波書店ですので一般的には信頼できる情報源でしょう」と要約欄に書いて差し戻しました。これを被依頼者がさらに差し戻す、という編集が行われました。この際の被依頼者の言い分としては「Wikipedia:信頼できる情報源の1次2次3次資料に該当しない。岩波書店だろうが関係ない」とのことでした。

すなわちそこで被依頼者は、藤田氏のその本(藤田みどり『アフリカ「発見」日本におけるアフリカ像の変遷』岩波書店、2005年5月)が「二次資料でない」という主張をしていますので、なぜその本が二次資料でないと言えるのか訊ねました(参照)。その問いに対する被依頼者の回答(2回連続)がこちらです。

  • 岩波書店だから2次資料だという主張は誰にも受け入れられないと思いますよ。」(参照
  • 岩波出版だから2次資料だとか、藤田みどりが書いたから2次資料にあたるという主張は誰にも理解されないと思いますよ。」(参照

すなわち、私の問い「藤田氏のその本が二次資料と言えないのはなぜか?」に対する回答にはなっておりません。

その他
  • 会話ページにおける他者の発言の改変行為も直近にありました(参照)。単なるミスであればよいのですが、内容からしてミスとも考えにくいものがあり、気になります。

--Leonidjp会話2019年7月6日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

補足しておきます。被依頼者が弥助を編集するにあたって、「二次資料でない」とか「(著者のことが)よくわからない」等と主張している藤田みどり氏の著書『アフリカ「発見」―日本におけるアフリカ像の変遷』は「第5回島田謹二記念学芸賞」を受賞した書籍です(出典)。同賞は「「比較文学比較文化」の呼名に適合する分野での(中略)中堅・若手研究者の手になる、堅実な学問的業績に対し、奨励の意味を籠めて贈呈する」賞とのことです(出典)ので、その受賞作品が「研究者による堅実な学問的業績」と見なされていることが分かります(勿論その評価に不賛同を表明することは可能ですが)。また、版元は岩波書店ですので、「学術的な出版社によって出版された資料」と呼んでも不正確ではないでしょう。そのうえでなお同書を「二次資料でない」と主張するためには、同書の内容の何処がどのように「二次資料でない」かを説明するほかはないのですが、現在のところそれは為されていませんので、「この本は二次資料でない」という被依頼者の宣言の具体的な意味は不明です。--Leonidjp会話2019年7月6日 (土) 11:22 (UTC)[返信]

依頼者のコメント 編集

上述のとおり、依頼者は、出典付き記述を除去する際にはノートで合意を取るべきことを2017年時点で要請されていますが、その後も実行されておりません。除去の理由として持ち出す「独自研究」という概念の理解も未だ不正確であることがうかがえます(出典の著者が書いたものを独自研究と呼んでいる例が最近の数日間にもあることから)。出典の文献や出典の著者の信頼性の問題を理由として除去する際は、それらの信頼性がどのように足りないのかを説明することがありません。また上掲の弥助の例では出典が「二次資料に該当しない(から除去する)」という主張もしていますが、その理由を訊ねると上掲のように話をそらします。これらの行為は、合意形成の手順を踏まずに出典付き記述の除去を遂行したり、反対意見の存在を知ってもなお除去を強行しようとするものであり、記事の破壊につながる危険な編集姿勢だと思います。--Leonidjp会話2019年7月6日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント 編集

被依頼者はウィキペディアの方針に沿って編集を行い品質の向上に努めているだけです。以下に抜粋したウィキペディアの方針を記載します。

ウィキペディアには三大方針があります。 ・中立的な観点 ・検証可能性 ・独自研究は載せない

Wikipedia:中立的な観点 ウィキペディアのコミュニティにおいての中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐことを意味します。

  • 1.1 意見を事実として記さない
  • 1.2 深刻な論争がある主張を事実として記さない
  • 1.3 論争の余地のない主張を単なる意見として記さない
  • 1.4 判断を下さない表現が好まれる
  • 1.5 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す

Wikipedia:検証可能性 ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。

Wikipedia:独自研究は載せない 独自研究 (original research) とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません。記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです

Wikipedia:信頼できる情報源 ウィキペディアの記事の出典には、信頼できる公刊された情報源を使用するべきです。

  • 一次資料ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。
  • 二次資料ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。
  • 三次資料通常は二次資料を要約したものです。

情報源のないまま、あるいは不適切な情報源に基づいた編集を行うと、異議を申し立てられたり除去されたりすることがあります

--かがわじろ会話2019年8月3日 (土) 13:22 (UTC)[返信]

第三者のコメント 編集

以前会話ページで「利用者‐会話:香川二郎#独自研究について」でご説明したのですが、被依頼者の方にはご理解いただけていないようで残念です。もちろん出典の信頼性は吟味しなければなりませんし、信頼性に問題のある出典であれば除去することは適切ですが、それはあくまで方針・ガイドラインに準拠して合理的に判断されるべきものです。日本の中近世移行期の人物記事においては、比較文化学者の藤田氏の出典の信頼性はけっこう微妙なところもある(WP:RS#偽の権威に注意)とは思います。しかし、上で指摘されている「藤田みどりというよくわからない人物の独自研究なので削除」「「Wikipedia:信頼できる情報源の1次2次3次資料に該当しない。岩波書店だろうが関係ない」という被依頼者の主張は、明らかに被依頼者の方針・ガイドラインの無理解によるものです。あるいは「本文に突然、近代の歴史学者の名前を出すな。百科事典の書き方も知らないのか」として専門家の見解を除去した編集も、「[[WP:NPOV##偏った記述は帰属化・明確化する」、WP:RS#意見などを参照するまでもなく、除去の理由に妥当性はないと考えられます。問題が長期化していることから、このままでは次の段階に進まざるを得ないでしょう。--伊佐坂安物会話/履歴2019年7月7日 (日) 15:55 (UTC)[返信]

  手短かに。公刊された「二次資料」が「二次資料執筆者による独自研究」という論が通ってしまうと、ありとあらゆる「気に入らない二次資料」を独自研究認定して、それに基づく除去が可能になると思うんですよね。被依頼者に限らず、二次資料つきの記述を覆したい利用者がよく持ち出す論理ですが、これを通すべきではない、と思いますね。「公刊された二次資料」そのものが独自研究かどうかは、依頼者も、被依頼者も、勿論私も決める事はできません。二次資料は二次資料として、ウィキペディアのルールに沿って適切に扱うべきです。ルールをねじ曲げて運用している利用者がいるとすれば、ブロックされるべきでしょう。--Rienzi会話2019年8月3日 (土) 13:59 (UTC)[返信]

  コメント そもそも「独自研究」とは被依頼者自ら引用しているように「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語で」あり、出典を伴わないjawpの利用者の編集を意味する言葉であって、岩波書店から出版され第5回島田謹二記念学芸賞を受賞した書籍が該当しないのは論を俟ちません。被依頼者は引用はしたものの「Wikipedia:独自研究は載せない」を全く読んでいない、あるいは全く理解できていないと考えざるを得ません。--Xx kyousuke xx会話2019年8月4日 (日) 07:13 (UTC)[返信]

--Aiwokusai会話2019年8月5日 (月) 15:34 (UTC)[返信]

まとめ 編集