Wikipedia:井戸端/subj/インタビューで本人が語った情報は、一次情報として、特段の理由も無く、強制除去の対象となってしまうのか?

インタビューで本人が語った情報は、一次情報として、特段の理由も無く、強制除去の対象となってしまうのか? 編集

皆様にご相談です。例えば、読売新聞でタイトル「ラグビーで鍛えた体力で首相に就任。A首相独占インタビュー」、本文「私は、幼少期から10年間ラグビーをしており、高校の時には東京代表に選ばれました。」と政治家A本人談が語り、これが新聞に掲載されたとします。Aがラグビー東京代表になったとのソースは、読売新聞と政党公式サイト以外に存在していません。

そこでWikipediaの編集人Bが、「読売新聞に掲載されたAへのインタビューによると、Aはラグビーを10年継続、東京代表となった」と帰属化をした上で、Wikipedia記事にラグビー歴を追記しました。 ところが、別の編集人Cがあらわれて凄い剣幕で「本人のインタビューは一次情報扱いなので、除去。政治家として体力をアピールしている自慢に終始している。これは政治家Aの宣伝以外の何物でもない。論外!」と強制除去を主張しました。 編集人Bは当然「なんで貴方が勝手に自慢とか宣伝とか判断するの?メディアが読者のために、A首相の発言の中から、独自に取捨選択して掲載した二次情報だよね?」と反発しています。

さて、ご質問です。「Aは・・・と読売新聞で語った」という帰属化済みの二次情報は、Wikipediaでは、問答無用の強制除去対象なのでしょうか。 実はこれは「経営者インタビュー」を巡って現在進行形の論争です。ベテランJapaneseA氏は「インタビュー内容は全て宣伝に終始しています。本人がインタビューに答えるだけで、それをインタビューする側が何のコメントもしていないものなど、瑣末な情報の収集です。真に重要な事柄であれば、本人のインタビュー載っけて、それで終わりとはしないでしょう」と一律除去を主張しています。これに対して、それはWP:INFOや大言壮語等の特段の理由ない限り、一律除去すべきでないと回答したところ[1]、彼が言うところのWikipedia方針・ガイドラインに従わないのであれば私を「排除する」[2]とまで言われてしまいました。

そこで皆様に相談です。

  • 「信頼できる媒体」に掲載された「本人のインタビュ」ーは、宣伝や一次情報扱いとなり、本当に強制除去対象なのでしょうか?(常識的には、「あー、うー」という声が入った書き起こし文(一次情報)を媒体記者が独自評価した二次資料の何物でもないと思うのですが・・)
  • インタビューされている本人と、媒体側インタビューアーがいますが、インタビュアー側(媒体側)のコメントしか、Wikipediaに採用できないルールや慣習が本当にあるのでしょうか?(常識的には、本人とインタビュアーは取材中にいろいろい話をしても、最終的なインタビュー記事の仕上がりは、「本人独白風」にまとめられることが多々あります(例 楽天社長@日経ビジネス[3])。その場合、重要な情報ほど、本人が話をしている独白部分に出てくることになります。それにも関わらず、本人インタビュー情報は、ある1人の編集人がそれを宣伝だと解釈するだけで、Wikipediaから強制除去されてしまうのでしょうか?

私はWikipedia参加でまだ1か月程度の新参者です。ベテランのJapaneseAは強制除去を執拗に主張しております。この点、コミュニティに大変貢献しているJapaneseA氏がそこまで言うなら、彼の考え方こそがWikipediaのルールなのだろうと思う反面、初心者の私なりに方針・ガイドラインを読み込んだ限り、そして百科事典の趣旨から常識的に考えるに、JapaneseA氏の主張は私論の押し付けに過ぎないようにも見えています。

このような経緯でございますので、論争となっている個別記事おけるノートでの議論は一旦脇に置かせて頂き、ここ井戸端では、「方針・ガイドラインのレイヤー」での一般的な議論として、まずは上記の「読売新聞に掲載された、A首相のラグビー歴について」を例に「「信頼できる媒体に掲載された、本人インタビュー情報は、一次情報・宣伝と見做しうるから、議論の余地なく強制除去すべきである」という主張の是非ついて、皆様のご意見を広く頂きたく存じます。大変お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いします。--金融の専門家会話) 2016年9月29日 (木) 00:59 (UTC) 一部語句修正--金融の専門家会話2016年9月29日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

  コメント 特定個人利用者の行動に関する疑問でしたらWikipedia:コメント依頼をご利用下さい。というか既にWikipedia:コメント依頼/JapaneseA_20160612#第三次コメントをご存知のはずですので、ここに場外乱闘状態で議論を飛び火させる行為は金融の専門家さんの立ち位置を危うくすると思います。以前にも同様の指摘を受けているはずですが。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年9月29日 (木) 01:37 (UTC)[返信]
ひどい話ですね。この話の元ネタはヘッジファンドダイレクトです。この方が問われているのは会社経営者のインタビュー記事が「宣伝でしかないから載せるな」でした。それを首相に置き換え、首相の趣味に置き換えれば、それは宣伝としても益も害もないものになります。明らかに内容的に大きく違う問題に置き方上で、「信頼できる媒体に掲載された、本人インタビュー情報は、一次情報・宣伝と見做しうるから、議論の余地なく強制除去すべきである」というずれた主張について是非を問う、というのはきわめてはっきりした詭弁です。皆様にはご承知のこととは思いますが、記事とノート頭もご確認の上で判断願いたい。--Keisotyo会話2016年9月29日 (木) 01:43 (UTC)[返信]
上記に書かせていただいた通り、純粋に「本人インタビュー情報はどう取扱うべきか?」を知りたい次第です。複数のユーザが「インタビューは本人情報だから、除去」と発言しているのを私が未参加の議論でも多々見たことがあり、以前から疑問でした。私の問題提起上、たしかに特定個人利用者に疑問があることはここでは記述するべきではありませんでした。大変申し訳ありません。私としては上述の通り、JapaneseAさんの個別議論は脇に置き、ここ井戸端におきましては、「首相Aのラグビー歴」を事例に特化して、コミュニティのご意見を頂ければ幸いです。--金融の専門家会話2016年9月29日 (木) 01:49 (UTC)[返信]


  コメント 一般論として、見解を示します。
先ず、その「独占インタビュー」では、「ラグビーで鍛えた体力」の存在、それも「東京代表に選ばれ」るほどだったことと「首相に就任」したこととの関連性が主題乃至は主題の一つ、そうではないにしても記者の何等かの考察が加えられているのでしょうか?
主題の一つであったり考察が加えられているのであれば、それは二次資料として適切である可能性があります。ある程度の論拠が無い限り一律除去は不適切です。実際、特筆性の主張も容易でしょうし、首相の記事以外でも言及があるでしょうから「百科」事典として適切です。しかし首相がそう発言したのが(例えば「なるほど選挙戦には体力が不可欠であると、ところで」等で)さらりと流されて他の質問等に話題が移っているのであれば、それは「インタビューの特性上首相の発言を記録しただけ=一次資料」であると看做すべきであり、一律除去の主張が認められることになります。
特殊な例として独占インタビューではなかった場合になりますが、複数誌が「ラグビーで鍛えた」や「東京代表に選ばれ」たことを記載している場合があります。こうなると二次資料として適切である可能性が出てきます。その複数誌をそれぞれ出典として挙げれば、一律除去を主張するのはちょっと分が悪い話になります。
インタビューには二種類あります。特定の主題に関して話を聞くものと、特定の人物に内容は問わず話させるものです。
前者は「その主題に関する発言」には特筆性(わざわざその話を聞きに行こうとした)が認められます。例外としてそれが「独占インタビュー」の場合は逆に、他誌が誰も主題の特筆性を認めていないと看做すべきでしょう。でなければ、そのインタビューを引用した二次資料/三次資料が他誌から出てくるはずなので、インタビュー記事に拘らなくとも出典が豊富にあるはずだからです。
後者は自叙伝に過ぎず、基本的に特筆性を認められません。例外はその人物が主題の分野の権威である等の社会的影響力を持つ特筆性がある場合ぐらいのものです。つまりオリンピック選手が何のアニメが好きかという内容は例外には含まれない、という話です。以前よりマスコミによる誘導尋問が如き質問の仕方を批判する向きがありますが、言い換えるとそれは、後者(特筆性の無い内容)を装って事実上の前者(特筆性のある内容)にしようという試みでもあります。
此処で重要なのは「査読」の有無です。インタビューは「査読」よりも「発言の事実」を優先します。なので「インタビューだから」という差別主義は有用な推定です。それでも特筆性があるならば、他の出典なり本人の発言以外の部分なりが存在するはずであり、つまりそれを提示すればいいだけの話だからです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月29日 (木) 02:34 (UTC)[返信]
そういう意味では、最近の米大統領選で、トランプがヒラリーのスタミナをバカにした件を念頭においてください。政治家にとっては体力こそアピールしたいものだとします。例の記事は、「政治家Aが体力自慢で首相になった話(=政治家Aの成功の秘訣は体力である)」が報道の主題であり、タイトル「ラグビーで鍛えた体力で首相に就任。A首相独占インタビュー」、本文「私は、幼少期から10年間ラグビーをしており、高校の時には東京代表に選ばれました。」と読売新聞が報じたという例です。だからこのインタビューを、ある編集人が政治家Aの単なる自慢・宣伝と見るにも、当然、一理あります。「宣伝=一律除去論」にも一理あるからこそ、編集合戦が発生。さて、コミュニティの判断は?というケースとご理解ください。--金融の専門家会話2016年9月29日 (木) 03:31 (UTC)[返信]
実例だったのか、と思って軽く「トランプがヒラリーのスタミナをバカにした件」でググってみました。
私は既に述べました。これだけ沢山の出典があるのならば、それを並べ立てれば済む話だと。
コミュニティーの判断としては、
  1. 「大統領討論会」は「独占インタビュー」ではない
  2. 「大統領討論会」の内容に関する大量の出典がある
  3. しかしその主題は「大統領に体力が必要か否か」であり、「政治家Aのラグビー歴」ではない(しかも出典に依れば体力は問題ではない、との締め括りなのでラグビー歴とか無価値)
  4. 大半の出典に「政治家Aのラグビー歴(やそれに代わる何か)」は記載されていない
の四点より、
  • 1.2.により「大統領討論会」を引用した出典を使用するべき
  • しかし3.4.により「それ」は政治家Aのラグビー歴の特筆性を示していない(政治家Aの発言の記録=一次資料に過ぎない)
となります。結果として、政治家Aのラグビー歴を記載する必然性は見られません。3.4.の見解で意見が分かれる可能性が考えられますが、この事例では最終的に除去と合意が得られる(か記載を主張する側が何だかんだとブロックされる)ことでしょう。
況してや「独占インタビュー」であれば1.2.すら無いわけですから、議論の余地無く除去が妥当でしょう。
本件話題の最初の例とこの実例とでは大きな差異があります。しかしその「大きな差異」を以ってしてもなお、「政治家Aのラグビー歴」が除去されるのは妥当です。実際に金融の専門家氏が直面している問題では、より以上に除去されるのが妥当と判断されることでしょう。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月29日 (木) 04:57 (UTC)[返信]
大統領の例を出してしまい、余計ややこしくしましたね、すみません。ヒラリーの件は、「政治家は体力自慢を”宣伝”することあります」という例示です。あくまで、議論では、A首相の話で、と思っています。--金融の専門家会話2016年9月29日 (木) 09:00 (UTC)[返信]
残念ながら、その例示では情報が少なすぎて矛盾が発生しています。その矛盾の存在下では即時除去となるでしょう。議論を要求したら無視され、数か月返事が無いから合意と看てもう一度書いたらそのままブロック依頼を出す慌て者が出てきても不思議はありません。(怖いのの中です)
  1. 「政治家にとって体力こそアピールしたいもの」
  2. 「有権者にとって政治家の体力の有無は重要」(1.より常識的に導かれる、1.と同値の仮定)
この二点が仮定されるはずです。これが常識的に同値であることは「企業にとって製品の良さ/安さ」などと換言すれば理解が容易になるでしょう。
だとすれば2.に基づき、メディアやマスコミは先を争って「体力の有無/その根拠」を発表するはずです。即ち、インタビューなんぞする以前どころか最初に政治家に立候補した時から複数の雑誌で記者が独自に調べて「ラグビー歴」を公表することでしょう。況してや「高校の時には東京代表」だなんて目立ちますものね。公表一番乗りは記者にとっての名誉です。必死で先を争うことでしょう。記者だって生活が懸かっているんです
そしてその後も折に触れて何度も何度も引用されることでしょうし、自誌に都合の良いように可能な限りの曲解をした考察(アベノミクスに関してググればわかると思います)が加えられるはずです。そしてその結果、首相となり独占インタビューを受けることになったのでしょう。つまり「特殊な例として独占インタビューではなかった場合」が該当することになります。
なのに、それがありません。とある一誌による独占インタビューであり、首相になる以前には無く首相になってから一回だけ、と看て良いようです。しかし、此処が重要な争点となります。
つまり2.に疑義が出るのです。「政治家本人にとってはアピールしたいかも知れないが、実は有権者は興味が無い」可能性です。当然、百科事典の読者だって興味は無いことでしょう。にも拘わらず1.が満たされるとするならば、つまり「首相(政治家A)は本来有権者にとって重要な(体力以外の)何かに関して何もアピールすることが出来ない」ので(どこぞの大統領候補者のように)1.が満たされてしまっている、という場合ぐらいしか考えられません。他に強引に考えるならば「有権者へのアピールではない」場合ですかね、愛人とか?
出典が沢山あるなど、2.が満たされることが明らかであれば百科事典に載せることも考慮されるべきなので「一律除去を主張するのはちょっと分が悪い話」であることは既に述べた通りです。
ですが2.が満たされないのであれば、それは百科事典に載せる価値が無い可能性を示唆するものであり、場合によっては1.が「政治家の本分から外れている」疑惑が出てきます。それどころかインタビューなのですから、記載内容が政治家Aの虚言である可能性まで疑わなければなりません。いくら信頼できる情報源だと言っても、主題に関してであればともかくも、インタビューで発言された一言半句誤りが無いか否かを調べてから記載するわけではありません。自分で自分の「ラグビー歴」を間違うとは考えないものです。時事ネタになりますが例えばこんなのとかもあります。
やはり、2.が満たされない状況下では、余程特殊な反論(=一般論では語れない固有の事情)が無い限り即時除去が妥当です。
ついでながら、下のカールセルの例えでは、「スマホを~~となるサービス」が争点となるでしょうね。つまり、それが本当に「~~の原型となる」サービスなのか、及び「スマホ~~するEC」に特筆性があるのかの二点です。世界初というだけでも特筆性が得られるとは限らないのに、目新しいというだけで特筆性が認められるはずがありませんから。多分、複数の新聞に載っても除去を唱える勢力の方が多いです。新聞や第三者の本に「~~にどんな特筆性があるのか人類の生活にどう影響を与えたのか」に関する内容が書かれてしかもそれが世界初であった場合に漸く、除去勢力が居なくなると考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月29日 (木) 10:29 (UTC)[返信]
一次資料と二次資料の違いについてはWP:PSTSを読むのが早いです。例えば、インタビューそのものは一次資料です。インタビューに基づいて、インタビューされた人物とは別の者が分析・評価などを行ったものであれば二次資料です。少なくとも人によって解釈が分かれる(論争がある)事柄を一次資料に基づいて記述することは避けるべきです。一次資料だから書くなということではありません。--有足魚会話2016年9月29日 (木) 07:44 (UTC)[返信]
 有足魚様、ご教示、ありがとうございます。そうしますと、例示させて頂いた三木谷社長の記事[楽天社長@日経ビジネス[4] ] は一次情報扱いでしょうか?文中の「楽天がシンガポールで出資している企業にカルーセルという会社がありますが、まさにそのスマホを用いて個人同士が取り引きするECの原型となるサービスを展開しています」という発現はこの記事と楽天公式サイトにしかない場合、帰属化の上、ウィキペディアに書けますでしょうか?(カールセルという会社の実在性に誰も疑義が無いものとします) この記事は媒体記者が、三木谷氏の発言を加工編集した上で、インタビュー風の記事にしておるので、分析・評価などを行った二次資料であると考えていますが、いかがでしょうか?--金融の専門家会話2016年9月29日 (木) 08:52 (UTC)[返信]
ご例示いただいた記事に関しては、会員ではないので冒頭しか読むことができなかったため、判断はできません。一般論で言えば、同じ記事の中であってもインタビューを受けた人物の話した内容に関しては一次資料、それを第三者が解説した部分は二次資料、と別れることもあるでしょう。「楽天がシンガポールで…」については、二次資料で取り扱われていないのであれば特筆すべき内容ではない(瑣末である)と判断されてもおかしくないでしょう。百科事典は記事の主題に関するあらゆる詳細な情報を提供するものではなく、その分野で広く受け入れられている知識を解説するものだからです(WP:NOTEVERYTHING)。
ご回答ありがとうございます。私は今まで、WP:PSTSを読み、「一次資料(=三木谷氏を編集者が取材し、そこで彼が話をしたこと。その書き起こしテープ)から得た作成者(日経ビジネスのライター)の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見(=つまり、何を記述し何を記述しないかの記者におる取捨選択の結果)」である「インタビュー記事」こそは、二次資料の何者でもない、と解釈しておりました。三木谷氏の日経ビジネス記事は「二次資料」と考えておったのです。この私の考えは間違い、ということですね? 私の身内は何度もマスコミのインタビュー取材を受けており、傍で見てますと、本人が全く語っていない内容すらインタビューとして出ることは良くあります。全くもって「本人インタビューとはマスコミの一記者による創作物」と実感していました。ですから、ウィキペディアではそれが一次情報扱いとは思ってもいませんでした。WP:PSTSを読み、私と同じような誤解をするものが他にもいると思うのですが、これは、コンセンサスという理解でよろしいでしょうか?(具体的には、この日経ビジネスの記事は、コミュニティはどう判断するのでしょうか?)ちなみに、上記シンガポール云々は非会員でも見える同氏発言の一番冒頭です。もしよろしければご覧くだいた上で、ご判断をお聞かせ願えますと幸いです。--金融の専門家会話2016年9月29日 (木) 10:38 (UTC)[返信]
「この私の考えは間違い、ということですね?」に関しては、自分はそう思います。もしすべてのインタビュー記事が金融の専門家さんのおっしゃるようなものだったとしたら、ウィキペディアでインタビュー記事を出典に記事を書くこと自体が許されていないでしょう。金融の専門家さんのご主張は常識的なものとは思えません。--有足魚会話2016年9月29日 (木) 10:59 (UTC)[返信]
有足魚様、ご回答ありがとうございます。貴殿のおっしゃる通り、その楽天の記事が一次資料扱いとなるのだとすると、私が別所で議論していたこのインタビューも、同様に一次資料扱いとなりますか、ノートでの私の主張は当然、撤回することになりそうです。--金融の専門家会話2016年9月30日 (金) 05:54 (UTC)[返信]
  •   当事者です。議題提起者との争点は、インタビューする側のコメントの記載ではなく(これは2次資料なので)、インタビューされる側のコメントの記載についてです(一応、念のため)。政治家の趣味程度であれば、目くじら立てて除去しようとは思いませんが、議題提起者が記載したがっているこの出典のインタビューについては、ノートでコメントした通り[5]です。--JapaneseA会話2016年9月29日 (木) 15:13 (UTC)[返信]