Wikipedia:井戸端/subj/ノートページ2

ノートの名称を議論に変えたほうが使いやすいのではないか。 編集

ノートとは何を表す言葉なのか漠然としている上に、そこでなされていることはたいてい議論なのですから、議論に変えたほうが良いと思うのですが、ノートと表記することに何か理由があるのでしょうか。--以上の署名のないコメントは、218.46.132.109会話投稿記録)さんが 2007年4月7日 (土) 00:51(UTC) に投稿したものです(Happy B.による付記)。

同感。韓国語版は토론(討論)を使用しています。ノートでは漠然としていて意味不明。--hyolee2  2007年4月7日 (土) 00:55 (UTC)[返信]
これには同意。--突撃ひとり 2007年4月7日 (土) 00:59 (UTC)[返信]
反対。結果として議論になることがままあるにせよ、別段議論が推奨されているわけではないし、議論なんかせずにまともな記事に仕上げることができればその方が望ましい。「議論」というページにすることでやらなくてもいいような議論に誘導するような方向性が生じてしまうことを懸念します。--Nekosuki600 2007年4月7日 (土) 02:41 (UTC)[返信]
Nekosuki600さんへの返信 
「議論」することについて、否定的な見解を示していますがなぜでしょうか。wikipediaの性質上、必要不可欠なことであるし、記事に対する議論もwikipediaの持つ重要な価値だと思うのですが。--以上の署名のないコメントは、218.46.132.109会話投稿記録)さんが 2007年4月7日 (土) 03:15(UTC) に投稿したものです(Happy B.による付記)。
井戸端では署名をお願いいたします。~(チルダ)4つで署名になります。さて、英語版は、ノートに相当する部分がDiscussionになっています。これも「議論」ですね。「ノート」が漠然としているというのも同意します。「ノート」だとここを下書き領域に使われるという懸念もあります(実際、宣伝目的の記事が本体とノートと両方に記載されるケースは見かけられます)。--Happy B. 2007年4月7日 (土) 03:30 (UTC)修正--Happy B. 2007年4月7日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
議論は、まあ嫌いじゃないんですが、それはとにかく。Wikipediaにおける議論は「記事を仕上げるために必要な付帯的な活動」であって、目的じゃないわけです。手段にすぎない。また、議論に発展することでトラブルにつながっていることも多く、必ずしも歓迎できるものでもない。というわけで、議論を推奨してしまうような方向にはもって行きたくないなあと思うわけです。ノートがわかりにくいというのには同意するんですが、改名しなければならないほどの問題だとは思わないし、改名するとしても「議論」はまずいんじゃないかという感じです。--Nekosuki600 2007年4月7日 (土) 04:41 (UTC)[返信]
ノートは議論をするためだけに用いられるわけではありません。投稿者へのお礼や対話などにも用いられる場所であって、名称変更はふさわしくないと考えます。当該部分がひたすら議論だけで埋め尽くされるというのも問題があるでしょうし。ただし現行の名称が「漠然としている」というのには同意です。--クロウ 2007年4月7日 (土) 03:41 (UTC)[返信]
署名はこれでできているのかな。
Wikipedia:ノートページ
ここに書いてあることを基とすれば、クロウさんの仰る投稿者へのお礼はノートの本義にそぐわないし、何かテーマがあってそれについて対話をすれば、議論だと思うのですが、いかがでしょうか。
218.46.132.109 2007年4月7日 (土) 04:25 (UTC)[返信]
Wikipedia:ノートページの定義に議論をする場所とあるのですが、実際には記事の編集について広く会話をする場所として使用されています(広い意味では議論といえるかもしれません)。「会話」「対話」「会議室」というのが現実にあっているようにも思います。英語版ではtalkということで、discussionに限定されていないようですね。ノートという今の表現は、下書きをする場所のような誤解を与えかねませんし、議論ではやや限定されすぎるように思います。--PeachLover ももがすき。 2007年4月7日 (土) 04:31 (UTC)[返信]
(改名反対)記述者のメモとしても使われるので(例:ルイジ・コラーニ/同ノート)。また過去の記述中にあるリンクが軒並み破壊され、それの修正だけでも凄い負担が掛かりそう…言うのはタダだけど。--夜飛/ 2007年4月7日 (土) 04:36 (UTC)[返信]
リンクは変更しないという手もあるかもしれません。--Happy B. 2007年4月7日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
修正。英語版では、ノートに相当する部分が、上のタブの表記はdiscussionに、またページ名はTalk(例、en:Talk:Main page)になっています。--Happy B. 2007年4月7日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
あら、talkもdiscussionも使われていますね。--PeachLover ももがすき。 2007年4月7日 (土) 04:47 (UTC)[返信]
私がノート欄を用いる一番の用途は、ある編集をしたときのその編集を行った理由の報告、ないしは説明です。ですからこれを「討論」ならともかく、「議論」と言われると大分違和感があります。私は「ノート」で差し支えないと思いますが、もし変えるのなら、「談話室」、もしくは「サロン」などが適当ではないかと思います。Midz 2007年4月7日 (土) 07:01 (UTC)[返信]
変更するべきとの意見に賛成です。「ノート」では、その記事のテストページと勘違いされやすいので。名称はお任せしますが、リンクが「ノート」のままでもページにつながるようにして欲しいと思います。--Kazutoko (会話履歴保管倉庫) 2007年4月7日 (土) 07:05 (UTC)[返信]
(「議論」には反対)英語のDiscussは「意見を出し合う」というニュアンスなのですが、日本語で「議論」というと対立意見をぶつけあう「ディベート」のことと思い込む人も少なく無いようです。本来、コンセンサスを形成するための対話の場なので、誤解をまねきやすい「議論」という言葉を用いない方が良いと思います。「ノート」という名前は充分定着していますし、変更するとシステムに負荷がかかるなら、改名しない方がいいでしょう。--miya 2007年4月7日 (土) 07:22 (UTC)[返信]
クロウさんの意見に賛成。ノートは何も討論だけを行う場所ではない、というのが1つ目の意見です。ノートというのが英語版からの(音のみの)和訳であると、様々な意味を持つと思います。日本人はノートと聞けば、基本的にnotebookを思い浮かべると思いますが、英語でのnoteは「メモ」や「注意」などの意味合いも持っていたと思います。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月7日 (土) 07:28 (UTC)改訂しました。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月7日 (土) 07:38 (UTC)[返信]

(インデント解除します)「会話ページ」に統一するのが一番望ましいと思います。 Wikipedia:井戸端/subj/ノートページ←ここもあわせて御覧下さい。Greenland4 2007年4月7日 (土) 07:41 (UTC)[返信]

「ノート」という名称は MediaWiki だけではなく、 Wiki ソフトウェアにとっては一般的な討論・議論用のページの日本語名称として使用されているみたいですね。ぼくも、ノートページの用途は結構勘違いされている部分があると思います。実質には MediaWiki のノートページの用途はページをよりよく改善するための議論用のページです。何故か、利用者ページのノートページだけは会話ページになっていますが一番、用途にあっていて分かりやすい名称のような気がします。ただし、今から変更すると過去のすべてのページの「ノート」を「会話」に変更しなければいけなくなるという不便もありますね。これに関しては MediaWiki 側でリダイレクトが同一と見なせるシステムがあればいいのですが。 --Mzm5zbC3 2007年4月7日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
(ノート)議論のためではなく、編集の際に気づいたことをメモしておいて自分の覚えにしたり、ほかのひとが編集する際の参考にしてもらうこともあります。たとえばこんなことを書いている場合、議論によって記事が改善されることは期待していず、むしろ、だれかが参考にして記事に加筆してくれることを期待していたりします。
「議論」や「討論」でも悪くないとおもうのですが、討論に誘導する効果がつよまると記事の編集がお留守になってしまうことが多少心配です (これは本当はページ名称の問題ではなく、生産的な議論ができないことが問題なのだとおもいますが)。
また、「会話」だと文字どおりおしゃべりを推奨しているようで、賛成できません。--Hatukanezumi 2007年4月7日 (土) 14:13 (UTC)[返信]
日本語で「ノート」は漠然としていると思っていました。本来の目的を最も端的に表す単語は、記事についての「意見」「所見」といったものではないでしょうか。記事について意見がある場合に記載し、その意見にまた他者が意見を持った場合に記載し、「意見交換→記事の改善」を最大の目的としています。名称として例えば「意見ノート」であれば、格好良くはないですが、随分わかりやすくなり、用途に合致するように思います。--Bossa 2007年4月7日 (土) 18:36 (UTC)(追記・推敲)--Bossa 2007年4月7日 (土) 18:58 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさんの仰るように、実際にノートページには色々な使われ方がある訳ですし、またWikipedia:ノートページ#ノートページの目的には『ノートの目的は、百科事典的な観点から、主ページの内容を改善するのに役立てることです。』という記述もあります(ただしこれは冒頭の定義文などとはやや矛盾しますが)。そういうわけで、あえて「議論」を前面に押し出さなくとも、現状の「ノート」のままでよいのではないかと思います。Hegyi János 2007年4月7日 (土) 22:08 (UTC)[返信]

この時点で名前空間名を変更すると後処理の労力が半端ではありませんので、止めてください。万単位であるのノートへのリンクを正しく張り直せますか? その作業は誰がやるのですか? 過去の版からのリンクがすべて途切れるることになりますが、それでよろしいのですか? 名前空間名を変更することに、以上のようなデメリットを上回るメリットがありますか? --Tietew 2007年4月9日 (月) 11:18 (UTC)[返信]

明らかに時機を逸したコメントですが、リダイレクトしたらしまい、ではないでしょうか。
現在でもTalk:蜂女ノート:蜂女にリダイレクトされるようになっているわけで。仮に討論:蜂女喋り場:蜂女になったとしても、リダイレクトされるのならリンク張り替えは徐々にすすめればよくなります。また、単にリンク張り直しということなら、システムレベルで編集時に自動的にソースを改変する (「パイプの裏技」のように) ことだって考えられないわけではない。
これまでのサイトURLの変更などでもつねに、リダイレクトなどによる後方互換性は確保されてきたのに、そういう解決策を検討せずに「人間が苦労するぞ」(リンク張り直しが発生する) という結論を導くのはおかしいです。本来、機械の都合に人間があわせなければならない謂れはないです。まずは人間の都合でいろいろ検討をしてみて、機械の都合とどう折り合いをつけるかは最後に考えればいいとおもう。--Hatukanezumi 2007年4月23日 (月) 09:34 (UTC)[返信]

ウィキペディアは言葉の辞書でもあるわけで、しかも不特定多数の方々とそのニュアンスを確認しあうことができるという数少ない貴重な場を提供しています。単なる技術的な問題はそれに貢献するべきもので、技術的問題が言葉の問題を規定するのはできるだけ避けなければならないと考えます。したがって、「ノート」でよいのか「議論」がよいのか、はたまた、「対話」がよいのかの「議論」はきわめて貴重なものといえます。

その議論を続ける前に、各言葉の定義が実際どのようになっているのか見てみましょう。

この「ノート」の英語版ではDiscussionとなっています。一方、その先頭ではTalkになっています。この言葉の関係はどうなっているのでしょうか? 英英辞書を引いてみましょう。

If there is discussion about something, people talk about it, often in order to reach a decision. (Collins COBUILD)

"discussion"は"talk"の一つであることがわかります。この定義では複数の人が共通のテーマでtalkすれば、そして、結論を得ることを志向していれば、それはdiscussionであることがわかります。ここでは無論対立もあるでしょうが、議論とは一つの結論をお互いに得ようとすることが目的であることを示しています。対立は議論の一要素に過ぎません。

では日本語の「議論」とは、discussionとは含蓄が異なっているのでしょうか?

国語辞典を引いてみましょう。

それぞれの考えを述べて論じあうこと。また、その内容。 (goo辞書)

ここでも対立が必ずしも持ち込まれていません。

「議論」という言葉を嫌う人は「議論」という言葉の意味、あるいは「議論」そのものを間違って認識しているのではないでしょうか? 

ちなみに"discussion"のについて別の定義がなされています。

A discussion of a subject is a piece of writing or a lecture in which someone talks about it in detail.(Collins COBUILD)

このdiscussionは、論文の書式で使われる要素でしょう。多くの論文の書式(テンプレート)では、議論(論考、考察)の欄があります。この欄ではその論文のテーマについて詳細に様々な観点で見解、推察を述べる欄であって必ずしも「対立」が本質ではありません。

以上のような理由から「議論」と訂正するのがもっともよい対応と考えます。Iletoire 2007年4月17日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

辞書の言葉の定義と人々の一般的な言葉に対するイメージというのは異なっていると思います。ノートページの「ノート」というのは、自分の意見を自由に書くノート、例えば観光地などによくある意見・感想ノート、を思い浮かべればいいのではないでしょうか。--Widehawk 2007年4月17日 (火) 17:49 (UTC)[返信]

いわれるとおり、私も

「辞書の言葉の定義と人々の一般的な言葉に対するイメージというのは異なっている」

と思います。

百科事典では定義に基づいて文書を書くべきで、そのイメージに基づいて文書を書くべきではないでしょう。そうでなければ正確な記述はできず、百科事典が本来持つ啓蒙性が失われます。

もし、そのイメージをあらためて「議論」の定義とするのであれば、もう、"discussion"は「議論」と訳されるべきものでないことになります。それでは、先に掲げた辞書でのdiscussionの用例を訳するのに窮します。 また、論文でつかわれているdiscussionに対応する一般的な訳語の使用の停止を暗にWikipediaは変更することを要求・勧告することになります(わたしはそれぐらい影響力を持つべきものとWikipediaを高く評価していますし、Wikipedianにはそう自覚してほしいと思います)。

さらに、日本語は世界の中で孤立した言語ではなく、漢字を使用しているお隣の中国や、あるいは、漢字を使用している(すくなくとも漢字をその言葉の背景に持っている)韓国等との関係を考慮すべきと思われます。Wikipediaとその姉妹プロジェクトは各項目に対応する別言語へのリンクがはられています。つまり対応する言葉が示される(もう訳語)ことになります。

韓国・朝鮮語の"토론", 中国語の"讨论", ロシア語の"обсуждение", 英語の"discussion", フランス語の"discussion", ドイツ語の"Diskussion", イタリア語の"discussione"に対応する日本語として適当なものは何かを問うことになります。

もし「ノート」という言葉を使うのであれば、これはカタカナ語ですが、英語の"note"との関係を問うことになります。下手をすると「ノート」の訳語として"note"は不適切ということになります。あるいは英語のWikipediaにおいて"Disucssion"の使用に替わって"note"の使用を提案するべきことになりかねません。

技術的に見るとおそらく「名前空間」としての「ノート」を変更する必要はなく「ノート」ページで表示されるタブ風の表示される「ノート」の文字、文書タイトルの中にある「ノート」の文字の書き換えですみ、IEでいうとろころアドレス欄に記載のURLでは「ノート」(%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88)はそのままにしておくことでリンクが切れる心配はないと考えます。ただしこれはWikimediaソースコードの修正を提案することになるかもしれない。Iletoire 2007年4月17日 (火) 22:34 (UTC)[返信]

ノートページは「百科事典」のうちに含まれないと思います。百科事典であるのは記事の本文のみで、あくまでノートページは「百科事典を執筆するためのツール」のひとつであると考えます。そういうわけで、そこまで「ノートページ」という名前に厳密性を持たせる必要は無いと思います。それと、「discussion」の訳ですが、厳密に語同士を対応させ、直訳である必要は無いと思います。意訳でもいいのではないでしょうか。--Widehawk 2007年4月18日 (水) 10:04 (UTC)[返信]

「ノートページ」(英語ではtalk page または、discussion page)のコンテンツは「百科事典」の「記事」ではありませんが、「百科事典」のコンテンツの一部で、WikipediaをWikipediaたらしめているものです。通常の出版物では共著者の協議が公開されることはありませんが、Wikipediaではそれが協議の結果だけでなくその経過も公開されているわけです。また、私がtalk(会話)しているのは、「ノートページ」のコンテンツそのものではなく、Wikipediaのノートコンテンツを表す名前である「ノート」「議論」の言葉の用法とその用法を生む「議論」に対する観念についてです。

「ノートページ」は、

「付随」する項目の内容について議論するために用意されたウィキペディアの専用のページです(英語版では “Talk page” です)。(ノートページ, 下線はIletoire)

現状では下の画像(英語ウィキペディアのtalkページ)の2箇所のtalkと見かけ上のタブ名であるdiscussionを「ノート」と「意訳」されているわけです。しかし、これでは本当に一般の人に「わかりやすい」もので、「様々なニュアンスを考慮した翻訳」とはいえないと考えます。

 
英語ウィキペディアのtalkページ

一般の人の中には「議論」は必ずしも対立を本質とせず、「論争」との違いを認識(イメージ)しているひともいますし、そうでない人もいます。Wikipediaでは、「『付随』する項目の内容について議論」することを勧めているわけであり、したがって、「議論」という言葉を避ける理由はそこには見つかりません。「議論」が過度に「対立」を生み生産的でないと考えられている人、「議論」に過度に「対立」を持ち込む人は、「議論」そのものが「対立」を持ち込むものではなく、「対立」を解決する手段であることを理解し、今一度Wikipediaの内外で一般の人々が、「議論」(Discussion)という言葉をどのようなニュアンスで使っているかを調べて見るべきでしょう。

辞書は現在および過去の日本の一般の人々がもつ、言葉のニュアンスやイメージを考慮して言語学者が作成しているものですので、一般の人々のそれらを手始めに知る有力な手段です。「一般の人」とは日本では1億人を超える人のことで、あなたの身の回りの数人、数十人のことではありません。Iletoire 2007年4月19日 (木) 21:23 (UTC)[返信]

1つだけ言わせてください。「辞書は現在および過去の日本の一般の人々がもつ、言葉のニュアンスやイメージを考慮して言語学者が作成しているものです」と言いましたが、辞書では、今・「現在」の「日本の一般の人々がもつ、言葉のニュアンスやイメージ」は反映しきれていないと思います。辞書は「言語学者が作成してい」ますが、保守的であり、必ずしも「今・現在」を反映しているとは思いません。しかし、確かにIletoireさんがおっしゃる通り、「今一度Wikipediaの内」(外はちょっと難しいでしょうね)「で一般の人々が、『議論』という言葉をどのようなニュアンスで使っているかを調べて見るべき」でしょうね。--Widehawk 2007年4月20日 (金) 03:12 (UTC)[返信]
Wikipediaの外で調べる方法をご紹介しましょう。いずれもそれなりにバイアスがかかることに注意が必要ですが、一人の思い込みのイメージや、身の回りの狭い範囲の人々のイメージにおけるバイアスよりは小さいでしょう。
  • 学生にアンケートをとる。大学で学生にアンケートをとってみてください。それでもその大学のバイアスがかかりますが。
  • 街頭アンケートをとる。
  • 主要な書籍、雑誌、新聞をくまなく当たる。
  • そして簡単にできる方法は、Googleの検索する。そのとき「議論とは」で検索する。
  • もちろん英語についても実施する。define:discussion. -- Iletoire 2007年4月20日 (金) 05:28 (UTC)[返信]