Wikipedia:井戸端/subj/小説作法にのっとって、三点リーダーを使うべきなのか?

小説作法にのっとって、三点リーダーを使うべきなのか? 編集

ひぐらしのなく頃にのストーリーの所で、三点リーダーについて編集合戦になりつつあります。たしかにWikipedia:表記ガイドでは、「……」と二個使うよう書いていますが、これは小説を書く際の独特な作法であって、一般の文章ではこのような表記はされません。少なくとも、辞書・新聞などではこのような表記はされていないように思います。おそらく、小説家や物書きでない方にとっては、馴染みのない文章作法だと思います。みなさんの意見を聞かせてください。--アイバー 2009年1月15日 (木) 12:28 (UTC)[返信]

リーダー (記号)辺りに詳しく書かれていますよ。とりあえず「一般の文章ではこのような表記はされません」と仰っておられますが、くぎり符号の使ひ方 (PDF) - 文部省 1946年3月付では既に一般的に使われているようです。アイバーさんの仰る一般というのがどこら辺を指すのか出典付きで提示して頂ければと思います。--凪海(Nami-ja)会話 / 投稿記録2009年1月15日 (木) 12:49 (UTC)[返信]
そもそもリーダーが無くても説明上なんら問題ありません。一度外してみてください。別に無いなら無いで困らないはずです。
>小説家や物書きでない方にとっては馴染みのない
そういった作法に則って書かれた小説を読んでいるのは物書きでない一般の方々も含まれているはずです。--草薙 2009年1月15日 (木) 14:17 (UTC)[返信]
本屋の新刊案内じゃあるまいし、ストーリーを説明するのに、三点だろうと二点だろうとリーダーで文末を濁すのは一般的に百科辞典としてふさわしくない文体と考えます。Wikipedia:言葉を濁さないにも主張されているとおり、書くなら書くで明快に言い切るべきですし、明快にできないというならそもそも書かれるべきではありません。すなわち、「一般」がどうかなどという議論以前の問題として、掲出のひぐらしのなく頃にに限らず多くの小説・マンガ・映画等の記事に蔓延しているリーダー濫用文体はすべからく「である。/であった。」などとキチンと言い切る形で書き直すべきでしょう。Kojidoi 2009年1月15日 (木) 15:17 (UTC)[返信]
たとえば、同じ「あらすじ」という事であれば、「Goo 映画」あたりが参考になるかと思います。ざっと10作品ほど確認したところ、二回続けて使うことは1作品のみ(長い年月の経過を表現したもの)。その他は1回だけの使用でした。それと、言われてみれば、新聞・辞書などでは三点リーダーは控えるべきですね。ですが、あらすじについては、別の扱いも必要になるようにも思います。
これまで、日常的な文章でこうした作法を守っている人を、私は見たことがありませんでした。一応、私も小説・文章などを書いたりしていますが、その際にはこの作法に則って書くようにしています。しかし、日常的な文章でも徹底するようにされるのは、どうにも違和感があるのです。はたして、周知されていない小説作法を一般人に課すのが、本当に正しいのか…。
あと、ひぐらしのなく頃ににおいて、三点リーダーの後に「句点を打たない」というのは、このユーザーさんの癖なんでしょうか? 手元にある一般小説だと、基本は句点を打ち、その後に文章が続かない場合などで、句点を打っていないものが何冊かありました。--アイバー 2009年1月15日 (木) 23:46 (UTC)[返信]
そのユーザさんの会話ページや、ひぐらし記事のノートにて本人と話し合った方があれこれ癖について推測するより早いのではないでしょうか?
個人的には、一般がどうあれこのような方針文書として纏まっており、殆どの記事でこれを適用して記事が執筆されている以上、「Wikipediaの記事表記ルールとしてある程度コミュニティの合意が得られている指針となるもの」として従っておいても何ら不利益はないかと思います。これが例えば記事名中にあるものが正式には「ほげほげ…」ではなく「ほげほげ・・・」である、とかそのような問題なら判るんですが、文中に「……」があるか「…」なのか、という記事内容に殆ど影響を及ぼさない編集者同士の編集者スタイルのみの問題なら、上記でも他の方が書いていらっしゃいますが、そもそもそういった記述を行わない、紛糾や編集合戦が発生する事態に発展することそのものが不毛である、と思います。--凪海(Nami-ja)会話 / 投稿記録2009年1月16日 (金) 00:56 (UTC)[返信]
Wikipediaの記事でも、この規則は守られていないように思うのですが…。むしろ、WEB上においても少数派だからこそ、私も不自然に感じたわけです。Wikipedia:表記ガイドでも、リーダーの項で書かれているわけでなく、あくまで「。。。」「・・・」を書く際の注意書きにとどめられています。
また文部省の出典についても、資料としては1946年と古いものであり、さらに小説家・物書き以外では、一般的に周知されている作法ではありません。遠い昔ではありますが、私は義務教育で習った記憶もありません。1946年時点では、WEB上の文章は想定されておらず、原稿用紙と新聞書籍を想定した独自作法であると思われます。
小説作法のマニュアル書籍やWEB上の参考ページなどを見ても、多くの場合「小説独特な作法」という表現がなされています。その小説分野においても、近代小説・ライトノベル・携帯小説・サウンドノベル…等においては、必ずしも守るべきものとされず、自由な文章表現が重視されつつあります。
とりあえず、この件については、「Wikipedia:表記ガイド」に議論を移したほうが良いかもしれませんね。--アイバー 2009年1月18日 (日) 06:15 (UTC)[返信]
三点リーダーの使い方について議論がしたければ表記ガイドのノートでしてもらって結構ですが、その前にここに返信している三者が「あらすじに三点リーダーを使う必要はない」と言っているその意味を理解してもらえると幸いです。ここはガイドやレビューや小説を書くサイトではなく、百科事典を作るサイトであり、Wikipedia:編集方針以下様々な方針が定められています。それらに気を配って書かれていく説明は、決して「日常的な文章」ではない、と僕は思っています。表記ガイドにて英数字は半角を用いるようにとされていたり、一般には必ずしも周知されていないことを決めたガイドラインもありますから。--草薙 2009年1月21日 (水) 10:09 (UTC)[返信]
私も、あらすじを小説として捉えてはいませんよ。ただ、三点リーダーを使うべきではない…という論理であれば、カギ括弧なども使うべきではない…という論理にもなります。三点リーダーは、内容をボカしたり、時間経過を表すだけの意味ではなく、様々な使い方があります。あくまで記事を説明する上で、読む側がわかりやすくなるのであれば、あまり作法にこだわる必要性がないように思うのです。
三点リーダーについて色々と調べてみましたが、たとえばこのページにもあるように、小説・新聞などのように縦書きの場合には、二回。WEB・論文などの横書きの場合には、一回の場合が多いようです(いづれも例外が多く、最終的には好みの問題)。 個人的には、この説明がもっとも納得できたのですが、いかがでしょうか? --アイバー 2009年1月22日 (木) 07:31 (UTC)[返信]
1倍か2倍かについて。基本的にはリーダーは全角2倍でないのですか。私の感覚では、縦書きはもちろん、横書きの場合も2倍リーダーです(数式中の省略は1倍)。先ほど手当たり次第に確認しました。2倍3点リーダー「……」を使っている横書きの学術書(といっても教養水準)は、記号論(ISBN 978-4-88059-228-2)、言語学(ISBN 978-4-00-006906-9)、生物学(ISBN 978-4-06-153434-6)、数学(ISBN 978-4-8171-2210-0 ただ数式中では1倍「…」を使っていることもあった)など、いろいろでした。語学(ISBN 978-4-560-05868-8)は1倍を用いていますが、ピリオドのリーダー「...」でした。これは欧文からの流用であって、「…」とかならずしも同じではないでしょう。精神分析(ISBN 978-4-00-002411-2)は、2倍「……」と1倍「...」を場所によって使い分けています。以上は私の直感と一致しています。少なくとも横書きで1倍リーダーが“多い”とまではいえないのだろうと考えます。(推測でしかありませんが、そのブログでいわれている横書き論文での3点リーダーも、数式での省略のことをいっているのではないかと推測します。) そのブログに書かれているとおり、横書きであっても、1倍なのか2倍なのかは出版社や編集者の方針によってさまざまなのでしょう。
3点リーダーを使用するかどうかについて。ほかの方もおっしゃっていますが、私も、省略など明確な目的をもたず、ただ雰囲気(余韻)をもたせるための3点リーダーは、百科事典としてふさわしくないだろうと考えます。省略などの機能があれば読者のためになるので、3点リーダーを使ってよいと思います。(そのため、雰囲気で3点リーダーを使うなということは、カギカッコなどほかの記号も使うなということにはつながりません。) 現在の版でも、「……」を「。」ないし「、」に置き換えたところで、読者がわかりにくくなるということもないですし、編集合戦を避ける策という意味でも、なくしてみてはどうでしょう。 --Shaz 2009年1月22日 (木) 10:23 (UTC)[返信]
「三点リーダーは、内容をボカしたり、時間経過を表すだけの意味ではなく、様々な使い方があります…」とまでわかっていらっしゃるなら、「百科事典で使うべきではない」のがどういう場合か理解できると思います。僕が言ったのは叙事的な記述をするときに使う必要はないという意味で、まさにShazさんが補足している通りの意味です。直前に使っているような、省略の意味合いを含ませる時にまで使うなとはいったつもりはありません。ただ、現行のあらすじの部分では省略のような機能的な使い方は決してしていませんから、必要ないと言っています。そして、アイバーさんは説明中のリーダーの使い方を話し合おうとしてますが、僕は「そもそも雰囲気を持たせるために三点リーダーを使う必要はないんじゃないか?」という観点で話してるので、話がかみ合ってません。--草薙 2009年1月22日 (木) 11:27 (UTC)[返信]
Shazさんのコメントに同意します。ご指摘の状況は私の感覚にもよく合致しています。あくまでも正統な書法は「……」であって、他は許容されうる慣用書法と捉えるべきでしょう。アイバーさんは記憶にないそうですが、私はそのように小学校の作文の時間に習ったと記憶してますがね。少なくとも「小説を書く際の独特な作法であって、一般の文章ではこのような表記はされません」とのアイバーさんの認識には同意しかねます。
草薙さんのコメントにも全面的に同意です。私の考えるところ、WPの文章の中でリーダーが出てきてもいい場所は、
  • ワイルドカード。Wikipedia:言葉を濁さないで使われている事例。
  • 引用。
  • 引用部分の部分省略。ただしこの場合は「ほげほげ(中略)ほげほげ」のような書き方の方がより適切と考えます。
  • 数式。
これ以外に何かあるでしょうか。少なくともあらすじの紹介においてリーダーを使う必要性はどこにもないと思います。ぜんぜんわかりやすくも何ともありませんから。これ以上議論を続けたいなら、アイバーさんには、リーダーを使用することによって「記事を説明する上で、読む側がわかりやすくなる」具体的な例をまず出していただきたく思います。というか、どう考えても現在の版は百科事典の記事の文章としてはあり得ません。あらすじとはああいうものだと思い込んでいる執筆者が百科事典のなんたるかも考えず惰性で書き流しているのでしょうが、そのありえないはずの文章がこれに限らず多くの記事中に蔓延している状況こそおかしい。問題提起するならそちらが先でしょう。Kojidoi 2009年1月22日 (木) 15:14 (UTC)[返信]
いえ、ですから現在の版は、私は認めたいと思っている書式ではありません。提案の段階において、私はあくまで、三点リーダーを使う際の用法について質問しているのであって、それを使う・使わないについて議論するつもりはありません。結果がコレなんだから、課程は気にするな…という論法は、ひどく乱暴なように感じます。
時間の経過を端的に表すことで、わかりやすく表現するのが「…」の意味あいの一つでもあります。ボカす、省略する…ということに捕らわれすぎている方が多いようですが、無駄な修飾語などを重ねてユーザーの理解を妨げることなく、時間の経過を表現できる便利な記号だと、私は考えます。そうした意味で、あらすじについては多用は控えながらも、適所で使っていくべきだと思います。
あと、今回のこと以前にも、個人的に三点リーダーについては疑問に思っていたので、色々調べてはいたんですが。子供2人にも聞いてみたところ、やはり義務教育で教えているようには思えません。作法以前に、三点リーダー自体を教えていないのでは? 検索しても出てこないのですが、このあたり実際に教えているという出典などあるんでしょうか? どちらにしても、あくまで「原稿用紙に書く際の作法」でしかないように思うのですが…。--アイバー 2009年1月23日 (金) 06:59 (UTC)[返信]

整理します。ここであがっている問題は、

1) 3点リーダーは1倍か2倍か
2) 3点リーダーはWikipediaにおいてあらすじを書く際に用いるのに適当か、
3) 3点リーダーにはどのような機能があるか

の3点があがっています。2) と3) とはたがいに関係した問題となっています。1) はそれらとは独立した問題です。私(Shaz)も含めて、草薙さん、Kojidoiさんも、2)、3) を議論するほうが先であり、1) はその後の問題と考えていると思います。ただ、ここでは1) の問題が提起されているため、ここでは1) に限定して話しませんか。それでも2) のほうが重要と考えるなら、別に提案していただいたほうが、議論は錯綜しないと思います。2) が気になるとしても記号の用法についての議論として割りきってはどうでしょう。

3点リーダーは1倍か2倍かについて。この点については上では私(Shaz)とKojidoiさんが明快に述べていて、2倍リーダーだろうということです。細かい根拠等については、これまでの書き込みを参照していただくことにして、アイバーさんが小説以外の横書きが1倍リーダーを標準としていると考えた根拠は何でしょうか。私は上で文献をいくつかあげましたが、数式以外の省略で1倍の3点リーダーを見たことを憶えておらず、そのようなことを聞いて実は驚いているところです。

アイバーさんへのコメント。ここで議論を提案している立場にもかかわらず、リーダー (記号)を編集するようなことは避けていただきたいと思います。議論に不誠実な印象を免れません。 --Shaz 2009年1月23日 (金) 10:53 (UTC)[返信]

私もいくつか出典を挙げてますが。とりあえず、Goo 映画のあらすじ をズラズラっと作品を見ていってもらえれば、けっして二倍三点リーダーが普通だとは言えないと思います。適当にWEBブラウジングしていき、30サイトほど見ていきましたが、どう考えても二倍三点リーダーを使用しているのは、WEBでは少数派のように思います。(というより、あまりに雑多な使用法が多すぎます)
それと、何度も重ねますが、別に私は「二倍三点リーダー」を拒絶している人間ではありません。自分でも小説・エッセイもどき等を書く時などには、二回繰り返すの面倒だなーと思いながらも、きちんと使っています。仕事相手によっては、厳しく突っ込まれますので…。ただこの一週間、ほんとうに三点リーダーのことを色々調べたり、周囲の人に尋ねてみたわけですが、やっぱり作法はほとんど周知されていないし、一般的には「個人の好み」の問題でしかないように思うんです。文筆業においては、「デザイナーだからMACを使わなきゃ駄目」というのと同じような臭いを、私は感じるんです。(でも、最近はWindowsでも良いんだよ~、これだからMAC使いは……という状況も含めて)
あと上でも書いたように、そろそろ井戸端での議論を終了したいんですけど、いつまでお付き合いすればいいんでしょう? 議論終了後に該当ページを編集することは、そんなにNGなんでしょうか? どのタイミングであれば、問題ないんでしょうか? 特別に間違った記述はしていないつもりですし、内容には偏らないよう注意したつもりなのですが…。--アイバー 2009年1月23日 (金) 12:03 (UTC)[返信]
このページからの引用になりますが、「そもそも、クライアント(新聞社や出版社など)からの指定がほぼ〈…〉〈……〉のどちらかだし」とあるように、会社によってローカールルールがありますので、出典そのものが意味をなさないようにも思います。--アイバー 2009年1月23日 (金) 12:16 (UTC)[返信]
アイバーさんのいっている「横書き」は、ウェブサイト限定なのですか。ウェブサイトだけをあげると、校正が入っていないというのもあって、かなりソースが偏ってしまいます。ウェブサイトだけを見て、横書きの用法はすべて雑多と判断するのは難しいでしょう。横書きの紙媒体の出典はありませんか。
それからそのブログのその文言ですが、全体を読むと、それは1倍と2倍のどちらかであるといいたい箇所ではなく、中黒3連打ちがありえないことをいっているだけです。その文から会社によってリーダーが1倍か2倍か異なるとまでは読むことはできません。たとえば、数式では1倍、それ以外では2倍という規則は、そのブログの記述と矛盾しないわけです。
該当ページの編集についてですが、議論終了後なら問題ないでしょう。アイバーさんのそのページの編集では、横書きでは1倍3点リーダーが多い傾向にあるとしていますが、ここでの議論を考えると、ちょっと急ぎすぎだと感じました。別に急ぐことではないので、ここで議論が一段落するまで待って、それを議論終了とみなせばよいのではないでしょうか。すぐ支持が得られると思って気楽に議論を始められたのだと推察しますが、おっしゃるとおり、文筆業の常識と個人のこだわりとが衝突する場面という意味で微妙な問題ですので、気長に話を続けてもらえればと思います。 --Shaz 2009年1月23日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
すみませんが、リーダー (記号)は再編集させてもらいました。2倍3点リーダーが小説家限定だとか、現時点ではアイバーさんの個人的な見解に過ぎず、独自研究と言わざるをえません。こうして異論がでているその最中に、議論修了後だとか偏ってないだとか言い放って自分の見解を一方的に編集に反映されるとは遺憾ですね。Kojidoi 2009年1月23日 (金) 13:52 (UTC)[返信]
>あらすじについては多用は控えながらも、適所で使っていくべきだと思います。
僕はそうは思いません。なぜなら百科事典に馴染まないからです。「10年後」としたければ、「10年後…」などではなく「10年後、」ないし「10年後。」とすればいいと思います。このように、三点リーダーの使い方(1倍か2倍)を議論した所で、あらすじなどの叙述(あらすじに限定はしません)には使うべきではない考えを持っていますので、僕は最初から「使うべきではない」と言い切っています。最初に取り上げられたのがストーリーの節だったので、そこに対応した形で返答したというのもあります。これも、大きな意味では三点リーダーの取り扱い方の一つであると受け取っていただいても宜しいでしょうか? Wikipediaのリーダーのページにある用法に従って言い換えると、「時間の経過、静寂、余韻としては使わない」という考えです。ですので、その他の部分で使う場合についてだけ意見を申し上げます。
重要なのがその内容ではなく台詞そのものである時、感情表現の含まれた台詞の引用に使う場合は2倍。
判例などを引用する際の省略に使う場合は、2倍。出典は各種の法律本です。例:「行なう場合には、通常……違法とはならない」
記号として使う時には1倍。例:小さじ…1杯
こういう風に考えています。--草薙 2009年1月24日 (土) 07:10 (UTC)[返信]
文化庁の最新の資料であるくぎり符号の使ひ方によると、やはり「……又は…」という扱いをされています。また、用法を見る限り、必ずしも2倍三点リーダーを推奨しておらず、3倍・4倍の三点リーダーも用いています。ようするに、そう厳格に決められている訳でなく、文化庁としては適当なんですよ。ただ、出版社によっては、独自ルールにより厳格なところとそうでない所がある。自分の周りの意見も、そんな感じです。おそらく、デジタルでのデータ渡しになったため、「原稿用紙から起こして印刷する時代のように、厳格さを求められなくなったのでは?」との意見があり、なんとなく自分は納得しました。--アイバー 2009年1月24日 (土) 07:25 (UTC)[返信]
私(Shaz)(やおそらくほかの人)は、文化庁が厳格に決めていると主張するつもりはありませんので、文化庁についてはコメントをしません。
最初のアイバーさんの提案から考えると、このすぐ上でアイバーさんの述べている「ただ、出版社によっては、独自ルールにより厳格なところとそうでない所がある」の内実が問題になっているのだと思います(ここでは、とくに横書き、小説以外の一般的な評論や学術的な文章について焦点化されています)。これに沿って言い換えるならば、私の意見を繰り返すと、出版社の独自ルールは比較的厳格なところが多く、そうでないところは少なく、なおかつ独自ルールはだいたい一般に2倍3点リーダーである(原稿用紙での伝統的な用法が守られている)というものです。これは、校正のしっかりしていると思われる出版社の本を何冊も見てきたところからの推察です。
デジタルでのデータ受け渡しだからといって厳格さが求められなくなったという論理については理解しかねます。むしろデジタルだからこそ、厳格に修正するのが楽になったともいえませんか。私はこの後者の立場に立つつもりはありませんが、デジタル化よりは、上の段落で述べた出版社の独自ルールの厳格さのほうが、今回の問題の主要な要因だろうと考えます。
蛇足ですが、アイバーさんはこのページで最終的にどうしたいと考えているのでしょうか。失礼ながら、「意見を聞かせてください」と提案しながら、アイバーさんは出た意見に対して反論を述べるばかりで、こちらのことを少しでも考慮する態度にあるようには見受けられません。自分の意見と同じ意見の根拠以外には納得する姿勢にはないように思えてしまいます。虚心坦懐にとまではいいませんが(私自身のことを考えてもそこまではいえません)、議論の提案者として、もう少し多様な意見を省みつつ、それをひとつにまとめるような、もう少し広い心もちで議論に臨んでみてはいかがでしょうか。たとえば、反対の論点を呈示するにしても、ほかの人の意見を踏まえたものを出したりするなどすれば、議論は平行線ではなく、展開していくと思います。意見を求めている側がそれ以外と対立して、反論を繰り返していると、終わる議論も終わらないのではないかと危惧しています。 --119.238.91.148 2009年1月24日 (土) 10:24 (UTC)(すみません、ログインするのを忘れていましたが、Shazです。--Shaz 2009年1月24日 (土) 10:26 (UTC)[返信]
当初のアイバーさんの主張である≪たしかにWikipedia:表記ガイドでは、「……」と二個使うよう書いていますが、これは小説を書く際の独特な作法であって、一般の文章ではこのような表記はされません。≫は、 Shazさんの指摘によって既に論破されたと考えます。
アイバーさんは最近の発言では≪別に私は「二倍三点リーダー」を拒絶している人間ではありません。(中略)「個人の好み」の問題でしかないように思うんです。≫とおっしゃっています。これはアイバーさんの「二倍三点リーダーを一倍三点リーダーに変更するだけの編集行為と整合していません。好みにすぎないなら「2倍」も許容されてしかるべきなのに、この編集ではアイバーさんは明らかに二倍三点リーダーを拒絶し、自分の好みを一方的に押し付けています。好みの問題として決着させるならそれでもいいですが、その場合は件のような編集は不適切であるということを確認しておきたいところです。
文章にはTPOにふさわしい文体というものがあると思います。エッセイやインフォーマルな文章におけるふさわしい文体と、百科事典にふさわしい文体とはおのずと違うものになります。可能な限り論旨を明確化し誤解を生じにくくする算段を考えるのは、百科事典編集のような場であれば当然の考え方であり、そのためには多少強引なようでも「厳格」なルールを設定して書法を統一しようとするのは自然です。たとえば理工学系の雑誌ではテンとマルを「、。」ではなく[,.」で書くように指定される場合があります。これはあまり一般的とは言えないでしょうが、英語交じりの文章が多い事情で表記の統一をしやすくするという観点から一定の市民権を得ています。このように「一般的でない」ことはWPにおける既存の書法ルールに異議を唱える根拠としては弱すぎると考えます。
また、Wikipedia:表記ガイドには「コンピュータ上で作られる文書であることに配慮しながら、印刷物の慣行に近づける意図があります。」と明記されています。したがってここで参考にすべきはweb上の「一般的な」コンテンツではなく、紙の書物における綴り方の方であるべきです。
あらすじにリーダーを使う余地があるかどうかについては、草薙さんのコメントに全面的に同意します。リーダーは「無駄な修飾語などを重ねてユーザーの理解を妨げることなく、時間の経過を表現」する役になど全く立っていません。アイバーさんにとってはそれが時間の経過を示していることは自明なのかも知れませんが、他の読者にとってはそうとは限りません。「時が経ち」のように言葉で明示した方が遥かに誤解の余地が少ないのは明らかであり、これは「無駄な修飾語」などでは断じてあり得ません。Kojidoi 2009年1月24日 (土) 13:05 (UTC)[返信]
はぁ~。出典を示せというから、出典を示しているだけであって、どうしてそれが「反論」になるんでしょう? 自分の主張が通らないからといって、いきなり相手を批難するのは、あまりに自分本位な考え方なのでは? しかも、ようやく探し出して示した「これ以上ない出典」に対して、今度はそれを無視して話をすすめるわけですか? しかも、そこには「……又は…」とも書いているのに、あくまで2倍三点リーダーが普通だと? どうにも納得いきかねますね…。
自分としては、以前からの謎であった「三点リーダー」について、自分なりに資料を漁ったりWEB検索していたのですが。 どうにもお話にならないですし、ここしばらく風邪引いていることもあり疲れました…………。これ以上の議論は無意味でしょうから、私はこれで失礼します。--アイバー 2009年1月24日 (土) 14:09 (UTC)[返信]
アイバーさんのおっしゃるようなことを意図してはいません。そう思われたのであれば、申しわけないと思います。「……又は…」という文献をさがしていただいたこと自体を無視するつもりはありませんでした。私としては、それが「これ以上ない出典」というわけではないということを、しっかり述べたつもりでした(「最初のアイバーさんの提案から考えると」の段落がそれに相当します)。つまり、議論の終着点を見通しつつ、最初のアイバーさんの提案を考えると、何か文化庁のような機関がルールを定めているものを参考文献とするよりは、出版社が「……」「…」のいずれを採用しているのかを推測するため、実際の出版物を参照点として探さなければならないだろうという提案でした(もう少し詳しい論理は、上の私の書き込みを)。上のように「コメントをしません」の一言でせっかく探し出してくれた文献を一蹴する扱いをし、意を削いでしまったことは、私の落ち度です。議論の参加者としてふさわしくない態度だったろうと反省します。また、もちろん、蛇足の部分を書いたのも、決して私自身の主張が通らないからではありません。議論の終息を見込んでのこととご寛恕ください。 --Shaz 2009年1月24日 (土) 17:45 (UTC)[返信]

最後まで話がかみ合わなかったことは残念ですが、三点リーダーについてのコンセンサスは確認できたものと思います。ひぐらしのなく頃にのストーリーの方はしかるべく編集させていただきました。Kojidoi 2009年1月24日 (土) 14:44 (UTC)[返信]

アイバーさんが繰り返していらっしゃったように、もともとの提案は、あらすじ(ないし百科事典的な記述)で3点リーダーが1倍か2倍かという論点であって、あらすじのなかで3点リーダーを使うかどうかではありませんでした。本来のトピックから外れた議論があるのは仕方ありませんし(私もそういった書き込みをしています)、それにもとづいて編集があるのも当然のことだとは思いますが、本来のトピックから外れた結論を「小説作法にのっとって、三点リーダーを使うべきなのか?」というセクションのコンセンサスとしてよいのでしょうか。私には判断がつきかねますが、気になりましたのでここでそう述べておきます。本来のトピックから外れた「コンセンサス」があるのなら、議論が錯綜していることもありますし、具体的にどのようなコンセンサスがあったか書き下していただけませんか。私自身は、あらすじで3点リーダーは使うべきでないと考えていますが(おそらくこれが「コンセンサス」なのだと思います)、ここでのコンセンサスとすることは留保したいのです。 --Shaz 2009年1月24日 (土) 18:00 (UTC)[返信]
 少なくとも次の二点に異議は出ないものと思いますがいかがでしょうか。
  • あらすじで3点リーダーは使うべきではない。
  • 少なくとも二倍三点リーダーの使用はWPを含むウェブコンテンツで否定されていない。
さらに、これは「ここでの」コンセンサスとしていいかどうかはわかりませんが、
  • とりあえずWPの表記ガイドで二倍三点リーダーが支持されている以上、現時点での編集ではそれを尊重すべきでしょう。
以下は私の見解ですが、上記第二点目からしても、三点目からしても、ひぐらしのなく頃ににおける発議者の編集は不適切だったと考えます。また、リーダーを使うかどうかという議論が本来のトピックと外れているとは言えないでしょう。問い:「1倍か2倍か」答え:「どちらも不正解。正解は0倍」です。Kojidoi 2009年1月25日 (日) 02:19 (UTC)[返信]
具体的な書き下し、ありがとうございます。出た論点としては、そのとおりだと思います。2点目、3点目に同意しますが、1点目については留保します。上で書いたことの繰り返しになりますが、たしかに、「ひぐらしのなく頃にのストーリーで3点リーダーを使うとき、リーダーは1倍か2倍か」という問題には、リーダーを使うべきかどうかということと、1倍か2倍かというふたつの問題が同時に含まれています。しかし、それは特定のひとつのページを相手にしているからです。ここで議論にあげられているのは、「一般にWikipediaの記述で3点リーダーは1倍か2倍か」という問題です。これは、前者の問題、つまりある特定の条件で3点リーダーを使うべきかを考えることとは独立です。そのため、本来のトピックから外れていると考え、私はここでの同意事項としては留保します。 --Shaz 2009年1月25日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
一般にWikipediaの記述で3点リーダーは1倍か2倍か」といいますが、そういう一般論に意味があるんでしょうか? 使う場所が数式なのか地の文なのか引用なのか省略なのか、それに応じてふさわしい書法というのがあるはずで、ただ記号だけ取り出してきて一般的にどうだとかいう議論がかみ合うわけはないのです。今回の議論の方向性は定まるべくしてこのように定まったと思います。Kojidoi 2009年1月25日 (日) 16:24 (UTC)[返信]
まず、本題の前に、Kojidoiさんのおっしゃる「使う場所が数式なのか地の文なのか引用なのか省略なのか、それに応じてふさわしい書法というのがあるはずで」についてです。数式・地の文は文の形式で、引用・省略は用法であり、並列するものではないと思いました。また、あらすじというのは、文の形式にも用法にも相当せず、別のカテゴリ(文章の型といってよいと思います)です。書法が文の形式に依存するか、用法に依存するか、文章の型に依存するかは、たがいに別の水準の問題です。(文の形式も用法といってもよいかもしれませんが、それでも文章の型はやはり別のカテゴリで、これが問題になっています。) さらに、「書法」という言葉は、3点リーダーを書くべきところで1倍にするか2倍にするかという意味であって、書くべきかどうかということは含まれていないことを確認しておきたいと思います。これまでのKojidoiさんや私の「書法」という言葉の使い方にも、書くべきかどうかというところは含まれていません。
私のいっている一般性は、用法にかかわらず一般に3点リーダーは2倍であるという意味です。文の形式を用法とするにしても、数式など少数の文の形式を例外とするものと考えています。つまり、3点リーダーの書法は、文の形式(ないし用法)に依存する場合があるが、文章の型には依存しないということです。
ところで、ここまでの議論を振り返るだけなら、私が一般論の観点を呈示することに疑念をもつ必要はないでしょう。現にこれまでのみなさんの議論そのものも、そういった一般性の点から論じられています。私はというと、書法と用法の関係について触れたことはありません。また、書法と文章の型とについては、わざと関係させないと明示しました。Kojidoiさんも、上で「あくまでも正統な書法は『……』であって、他は許容されうる慣用書法と捉えるべきでしょう」と述べており、同じコメント内で、3点リーダーの用いられる場所(用法と文の形式)についても触れています。しかし、書法と場所を結びつけようとはしていません。「あくまでも(後略)」の内容は、場所に応じてふさわしい書法があるということを前提した書き振りではありません。また、「ストーリーを説明するのに、三点だろうと二点だろうとリーダーで文末を濁すのは」と書かれており、文章の型と書法との関係を意図的に切り離しています。このように、現にKojidoiさんも私も、その意味で一般論に関与していて、用法や文章の型に依存する書法というものには関与していません。一般論にそれなりに意味があったのだから、Kojidoiさんも私もそのように書いてきたのだと思います。
このように、書法が用法や文章の型に依存するという論点は、これまでの私たちの前提とは相反します。今はまとめの段階であることを考えると、そのような相反する観点からこれまでの議論を振り返るときではないと思いました。
そうでなくとも、少なくとも私個人は、上の意味で一般論を論ずることができると考えますので、すでに前に述べた理由から、第1点の「あらすじで3点リーダーは使うべきではない」を、ここでのコンセンサスとすることには反対です。(逆にいうと、このページのコンセンサスとするのに反対であると表明したにすぎず、そういった意見を撤回させようと思っているわけではありませんし、むしろその意見に賛成する論拠ならばもっています。もし別のサブページに「あらすじのところは、余韻をもたせようとリーダーを使ったりせず、ちゃんと百科事典然と書くべき」という提案があるなら、「あらすじで3点リーダーは使うべきでない」ということに大賛成です。)
頭のなかでは整理しているつもりですが、うまく言葉にして伝えるのが難しい。意を汲みとっていただければと思います。 --Shaz 2009年1月25日 (日) 20:50 (UTC)[返信]
発議者が逆切れ気味にケツをまくって逃げてしまい中絶してしまった議論の論点やら何やらをこれ以上検討し続けることに、さしたる意義があるとも思えません。「ここでの」結論がどうであるにせよ、私が上げた3点が少なくとも現時点でのWPでのコンセンサスであるとして差し支えなさそうだと確認できたことこそがはるかに重要です。私としてはこの辺で打ち止めにしたく思います。Kojidoi 2009年1月26日 (月) 13:04 (UTC)[返信]
いえ、それは誤解です。私が「コンセンサス」をとろうとしているのは、ここでの結論ではなく、WP全体の結論とするためです。1点目については、現時点でのWPでのコンセンサスであるとは考えられません。このサブページは2点目、3点目に関する議論として始まっており(表題があらわすとおり)、1点目はこのサブページの中で勝手に別の論点として導入されているのだから、WP全体のコンセンサスとするのは不自然です。つまり、第2、第3をここでの結論かつWP全体の結論とすることはできるが、第1はここでの結論でしかなくWP全体の結論ではないと考えています。(だからこそ、私はWP全体の結論とするには別のサブページでの提案が必要だろうといっています。) 私も打ち止めにしたいと思いますが、誤解されているのは心苦しい。 --Shaz 2009年1月26日 (月) 13:53 (UTC)[返信]
Kojidoi さんへ。「発議者が逆切れ気味にケツをまくって逃げてしまい」とは、ひどく心外です。あなたが具体例を示せというから、出典を示したら、逆にあなたが逆ギレしたのでは? 正直、あなたのような攻撃的・挑戦的な態度は、会話していてひどく不愉快でした。自分の主張と対立する相手を徹底的にやり込めるのは、議論とは言わないと思うのですが…。もうちょっと、言葉を考えたほうが良いのではないでしょうか? --アイバー 2009年2月7日 (土) 00:41 (UTC)[返信]

これは小説作法ではなく、日本語の規定として定められています。(昭和61年7月1日内閣告示「改訂現代仮名遣い」参照) (1)・(読み、中点・黒丸):①物を並列する場合、②外来語、日付などを表す場合 (2)……(読み、点線):①省略する場合、②余韻を持たせる場合  尚、用いるときは三点リーダを二個用いる (3)--(ダッシュ):①言い換える場合、②間を置く場合  尚、用いるときはダッシュを二個用いる これらは、どのような人が読んでも、日本語の文章として同じ意味になるよう定められています。 日本語の百科事典とするのならば、日本語として規定された様式に則るのが正と思いますが。

(コメント)ここは百科事典なので、引用でもしていない限り、使う必要は無いのではありませんか?正直百科事典と言う視点が抜けているように感じます。小説作法(書き方)は、百科事典の書き方ではありませんよね。百科事典に「余韻」や「時間の経過」は必要ありません。ですので、「Wikipediaの記述で3点リーダーは1倍か2倍か」ということであれば、「原則0倍。ただし引用の場合を除く」が正解であると考えます。--Kodai99 2009年2月7日 (土) 13:50 (UTC)[返信]

上にも書いていますが、私が上で示している出典では、「……又は…」と書かれており、あくまで文章に応じて、適当に用いるとされています。こちらの方が、文化庁が出しているし、WEB発表なんで最新だと思うのですが。「……」と二倍リーダーを厳格に決めているのは、あくまで特定の出版社(特に一般小説分野)だけです。そこを取り上げて、ウィキペディアでは二倍リーダーだと決め付けてかかるから、「小説」云々の話になるんです。--アイバー 2009年2月9日 (月) 13:06 (UTC)[返信]
元々Wikipediaで小説作法のリーダーを使用する必要があるのかについての議論のようでしたが、「私のいっている一般性は、用法にかかわらず一般に3点リーダーは2倍であるという意味です」との発言からも、途中で一般論での三点リーダーの使い方についての論点も加わってきておりました。その点について、アイバーさんの考えに同意します。私はWikipediaにリーダーは不要であるという意見を支持しますが、リーダーの一般性については、後々このコンテンツを読んだ閲覧者が誤解しないように整理しておきたいと思います。まず、上でKodai99さんやアイバーさんがリーダーの使用法について規定の出展を示しておりますが、その時々によって1倍であったり2倍であったり、規定自体が定まっておりません。この事から、三点リーダーに関する日本語としての明確な規定は、未だ定まっていないと考えられます。そう致しますと、「三点リーダーは2倍で使用」という認識を一般的と解釈するには、大多数の方がそうであると認めている状況が現に無ければなりません。しかし、私の家族や会社の人間23名に聞いて回ってみたところ、そのような認識を持った者はおりませんでした。おそらく、100人に聞いても同じでしょう。1000人でも疑問だと思います。それ程に、世の中に浸透していない認識である、というのが私の経験から来る印象です。個人が文を書く時も、皆めいめいの使い方でリーダーを使用しているように感じます。ですから、「一般的に三点リーダーは2倍で使用する」という事は、現時点では言えないと思います。2倍の使用を明確化しているのは、上で書かれている通り、文章のゆらぎを防ぐ必要のある一般小説を中心にした出版業などです。しかし、それでも私は週刊誌で1倍や3倍のリーダーを何度も目にした事があります。つまり、出版社でさえ明確化していない事があるのが現状と言えるのではないでしょうか。また、規定として定められていないのですから、個人に対して2倍三点リーダーを強制する事も出来ません。Wikipediaに2倍三点リーダーに関するガイドがあったのは、恐らくテキストが主体のコンテンツであるWebの中でも、特にテキストに特化したWikipediaの著者達が、テキストコンテンツの極みとも言うべき小説の作法に習おうとしたからでしょう。Wikipediaでそう決まっているのなら、Wikipedia内ではそれに従うべきだと思います。もし、それに不服を持つ者があれば、皆で投票すべきです。ただ、Wikipedia内の記事でもリーダーを見掛ける事は非常に稀です。必要無いと思っている方が多数のため、議論が起こらないというのが現状でしょう。しかし、何も議論が起こらない事を肯定と捉え、Wikipedia外でも「一般的に三点リーダーは2倍で使用する」と解釈するのは間違いです。あくまで、「三点リーダーは小説などでは明確に2倍で使用する事が多いが、使用時の数に関しては日本語として規定が定まっている訳では無い」とすべきです。--野崎敏明 2012年4月12日 (木) 15:33 (UTC)[返信]