オグリキャップ 編集

賛成/条件付賛成/保留/反対 4/0/0/0 この項目は選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。2008年9月12日 09:58 (UTC) (2008年9月12日 18:58 (JST))までに異議がなければ秀逸な記事となります。

(ノート) 《推薦理由》秀逸な記事に選ばれた競走馬の記事(ナリタブライアン)を参考に、複数の文献にあたりつつ加筆しました。ナリタブライアンと比較しても遜色はないと思います。 2008年5月24日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

  • (賛成)なかなかスポーツ分野では秀逸な記事の候補となる記事が出てこない中で、再び、競馬分野から候補が出たことを歓迎したいと思います。当時のアイドルホースであるだけに様々な評価がされた競走馬だとは思いますが、数多い参考文献とそれを担保するために付与された脚注の多さが執筆者の努力の賜物と思いますし、ナリタブライアンと比べても遜色ない記事に仕上がったと思います。--Tantal 2008年5月24日 (土) 13:25 (UTC)[返信]
  • (コメント)解決済み参考文献に、書名・出版社・出版年・ISBNのみ書かれた文献が挙げられていますが、著者か編者は分からないでしょうか?--かぼ 2008年6月19日 (木) 22:03 (UTC)[返信]
  • (条件付賛成)(賛成)秀逸な記事になっているナリタブライアンと比べても遜色ない記事になっていると思います。ほぼ賛成なのですが、気になった点が一つ。脚注なのですが、片や渡瀬p.XXとなっているのに、片や岡部幸雄や市丸博司、大川慶次郎に関しては、脚注に書籍名まで書いてあります((例)岡部幸雄『勝負勘』p.10)。参考文献で書いてあるので、どちらかに統一していただけるとよいかなと思います。どちらかにスタイルが統一されれば賛成にまわります。なお、個人的には、脚注では渡瀬(1992)、岡部(2006)、光栄出版部編(1995)、光栄出版部編(1996)を使い、参考文献では今のように書籍の詳細を書けばいいかと考えます。(尚、同一執筆者が同じ年に書いていれば、XX(1999a)、XX(1999b)みたいな形式にすればよいかと)--Wushi 2008年8月11日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
  • (賛成)ナリタブライアンに続き秀逸な記事に推薦されたことを歓迎します。欲を言えば、評価の説で渡瀬(1992)に頼りすぎているのでもう少し他の文献にもあたってほしいと思いますが、反対する理由にはなりません。また、内部リンクの修正など今後も長くメンテナンスしていく必要があるでしょう。--かぼ 2008年8月14日 (木) 16:03 (UTC)[返信]
  • (保留)(合意により排除)文頭より避けるべき表現「いわゆる」が使用されており、Wikipedia:素晴らしい記事を書くには以下の考慮すべきガイドラインの内容ではありますが、強調の文字飾りの多用(レース詳細は・・)・雑多な内容を箇条書きした節を避ける・国語的な問題として「また」の多用に問題があり、わかりやすく書かれていないと思います。引用ですが、ライターの市丸博司は「オグリキャップの人気の秘密を無理に分析」すると の部分に代表されるように、無理に分析したような部分を百科事典の記事の内容として表記することは適切ではないように思います。他のライターの発言・意見の掲載についても精査が必要かと思います。ライターとの表現が多く出ていましたが、新聞記者か雑誌記者のような立場でしょうか。直接的にオグリキャップに関わっていない人間の意見を百科事典に掲載することに関しても疑問があります。以上の理由によって保留を表明します。保留の嵐 2008年8月20日 (水) 05:35 (UTC)[返信]
(コメント)保留の嵐氏のコメントへの反論。
  1. 冒頭のいわゆる「平成三強」。オグリキャップ、イナリワンスーパークリークの三頭のことを指していることは自明。「いわゆる」というのはあくまで「平成三強」にかかる修飾語に過ぎず、秀逸な記事に不適切というのは妥当とは思えない。
  2. 「また」の多用はどの文か一つ一つ明記してください。メンテナンス出来ません。
  3. 市丸(1994)に関して、廉氏が引用した部分は市丸(1994)の著作より検証可能性の観点からオグリキャップの評価について記述・引用したものであり、不適切な記載とは思えない。ライターの発言・意見の掲載も同様。別にオグリキャップに直接関係していようがいまいがライターたちが取材した内容を元に記事を起こして、それを参考文献にして検証可能性を担保しているのですから、問題は無いと考える。
  4. 雑多な内容の箇条書きをあくまで避けるべきであり、今回の文章はオグリキャップの評価の観点について検証可能性の観点を踏まえて、各人の意見を整理しているものです。文章にしたら逆に読みにくくなると考えます。--Wushi 2008年8月20日 (水) 15:16 (UTC)[返信]
(コメント)同じく反論です。
  1. 「強調の文字飾りの多用」については、Wikipedia:素晴らしい記事を書くには解説に従って、ご指摘の箇所を改めたいと思います。
  2. いわゆる「平成三強」の部分と「箇条書き」については、Wushi さんと同じ意見です。
  3. 「また」の多用についてもWushi さんと同様で、どこがどう問題なのか具体的な指摘をお願いします。
  4. 市丸博司の引用は、Wushi さんがご指摘に同意しますし、加えて全体を見れば市丸氏の「無理な分析」を引用することが趣旨ではないことは明白だと思います。そのことからもご指摘は当たらないと思います。
  5. 市丸を含め、文章を引用した「ライター」はいずれも競馬に関する文章や本を多数執筆しており、引用して何ら問題のない活動実績がある人物だと思います。第一、「直接的にオグリキャップに関わっていない人間の意見」を排除すると、大川慶次郎野平祐二のような、かつての競馬界における重要な言論人の文章やコメントも引用できないことになってしまうと思います。保留の嵐さんが示された改善案は適切さを欠いていると思います。-- 2008年8月20日 (水) 16:02 (UTC)[返信]
(コメント)保留の嵐さんの活動履歴を見て、今回の投票が約1年8ヵ月ぶりの投稿であること、さらに以前の活動が1日だけであることから、今後どの程度の間隔をおいて返答があるのか、若干の不安があります。#投票が無効となる場合と選考期間の延長には「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。」という規定があるようですが、私としては保留の嵐さんの過去の活動履歴を考慮してそれよりも早く1週間返答がなかった時点で#選考の是非にある「その条件が満たされた、またはその指摘による改変は必要ではないという合意」の形成を目指したいと思います。そのことを予め意思表示したいと思います。-- 2008年8月20日 (水) 16:19 (UTC)[返信]
(コメント)Wushiさん廉さんの反論への回答です。
まず、廉さん文字飾りへの対応ありがとうございました。他の記事と同様の書式に改められた部分がとても読みやすくなりました。
  1. いわゆる、はWikipedia:避けたい言葉にあるように「使わずに内容を並べることができればそうするべきです。」だそうです。この場合も無くても意味は同じ、よって指摘しています。自明との表現ですが、ウィキペディアは百科事典であり専門的でない分野において自明という基準はないかと思います。
  2. また、ですがIEを利用の場合Ctrl+Fを使用することにより検索が可能です。まず、「乳の出があまり良くなく、また仔馬に」「吉田は、賢くておとなしく、また人なつっこい馬だったが」「そうやろねと答え、またもしクラシックに出られたら」「ベストバトル、また1989年のベストマッチ」「骨膜炎に苦しみ、また以前ほどの気迫を」「呼ぶ者もいた。また、」の各部分は削除しても文意は変わらないと思います。⇒以上のことは一読した際に文章として違和感を感じたので指摘しました。同様に「とくに」の箇所に疑問があります。「とくに中京競馬場の芝コースで行われた8戦目の中京盃を優勝[25]して以降は申込みが殺到した」の部分は中京競馬場が重要なのでしょうか。申込みが特に殺到したのでしょうか。「とくに重賞優勝馬でありこの年の宝塚記念で4着となったランドヒリュウ」の部分は、おそらく「特に」ファンの注目が集まった、のではないでしょうか。このような例ですが、読むうちにこれは記事としての完成度が低い・わかりにくい記事と判断しています。対策としては推薦の仕方に記述があるように、査読依頼を行なうことを提案します。
  3. Wikipedia:独自研究は載せないの「信頼できる資料」に書かれています。資料の信憑性を評価するには、の部分に「読者層は大きいか、それともとても小さいか? 」「あるいは気まぐれで何でも掲載してしまうか?」とあります。各人物をどういう人物なのか検索しましたが、主にライターと記述のある人物の発言についての疑問です。野平祐二については騎手・調教師としての卓越した業績のある人物として異論はありません。しかし、野平ほかJRA関係の人物(オグリキャップに騎乗した騎手・厩務員・調教師・獣医師・ライバル騎手)などの発言と、ライターの意見を同列に比することが問題であると考えます。ライターの意見を載せることが百科事典として有用でしょうか?また大川慶次郎については当時TV番組で解説を担当していたようですが、このあたりや他にもTV放送にふれた(当然著作権に触れない範囲)記述はないものでしょうか?検索には多々挙がります。次に代表的なものとして、関口隆哉瀬戸慎一郎市丸博司の発言について、本項目で記述すべき意見でしょうか?「気まぐれで何でも掲載してしまうか?」に公式な方針とされる点において別にオグリキャップに直接関係していようがいまいがは、問題があり人気を表現する部分で変更が必要と考えます。対策として「馬券売り上げ・入場者数の増加」「女性ファン」「関連グッズ」などの数字によって客観的な事実として表現、事実に語らせる記述が可能だと思います。
  4. スタイルマニュアル(人物伝)の「人、漫画家ほか現代人の記事について」に以下のような記述があります。「芸能人等のテレビ番組等に出演する人物の場合、関連項目には原則として同時出演した出演者などを記述しないでください。 」これは参考になると思います。対策として、Wushiさんも同意されているように雑多な内容の箇条書きをあくまで避けるべきであり、血統的背景に記述のある「兄弟」は記述が少なく、文章に編集が可能でしょう。関連項目の「オグリキャップと対戦した主な競走馬」は削除し、競走馬時代内の文章やリンク先に任せることが可能だと思います。雑多な内容の箇条書きとして大きな問題は、「競走馬としての特徴」「オグリキャップの関係者による評価」にあると思います。たとえば、「川瀬友光は、運動をさせるときはおとなしく利口で、なんと扱いやすい馬かと思った」の部分は笠松時代の関係者による評価に記述されていますが、身体的特徴に書くべき内容とどう相違性があるのか不明です。逆に「栗東トレーニングセンターでオグリキャップの診察を担当していた獣医師の吉村秀之は、無駄な労力を使わないためであり賢さの現れとしている」の部分はなぜ中央時代の関係者による評価の項目にないのか、この2大項目の住み分け基準が不明です。2例を代表的に挙げましたがこの項目は他の記述も同様に考えてください。対策として、大幅な編集・移動を加えることでより理解しやすい配置になるかと思います。以上のような指摘と対策を示します。--保留の嵐 2008年8月21日 (木) 03:21 (UTC)[返信]
(コメント)「引退後」の部分と「マーチトウショウに2度」について、見出しと内容の分量・バランスが他の部分と比較してアンバランスであると思います。何とかうまくまとまりませんか?--保留の嵐 2008年8月21日 (木) 03:29 (UTC)[返信]
(コメント)
  1. 「いわゆる」ですが、Wikipedia:避けたい言葉には「事実を含まないで、誹謗中傷するために使うことができます。」とあります。私には「平成三強」という概念が事実であって誹謗中傷でもない以上は使用しても差し支えないと読み取れます。平成三強が事実ではない、または誹謗中傷であるということでなければ、保留の嵐さんのご指摘はWikipedia:避けたい言葉の趣旨からみて失当ではないでしょうか?「使わずに内容を並べることができればそうするべきです。」とあることは確かなので修正したいたいと思いますが、趣旨をみると保留の理由とすべきほどの事柄かどうか疑問を禁じえないことは表明したいと思います。
  2. 「また」「とくに」についてですが、言葉の使い方や表現の問題は、Wikipediaの基準にそぐわないものや文法上明らかにおかしいもの以外は、「こうしたほうがいい」という個人の主観・感覚の問題に過ぎないと思います。「また」「とくに」の用法についてWikipediaに何か指針等はあるでしょうか?ないのであれば現状のままでも問題はないと思います(たとえば保留の嵐さんが「また」を除いても意味が通じると思ったとしても、それはどうしても「また」を除かなければならない、「また」があってはいけないということではないということです。)。
  3. 「とくに中京競馬場の芝コースで行われた8戦目の中京盃を優勝[25]して以降は申込みが殺到した」の箇所についてですが、これは感覚とは別の問題だと思います。秀逸な記事の目安には「ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。」とあります。競馬が高度に専門的な事柄かどうかはわかりませんが、地方競馬の項目を読んでその特性を理解していれば、当時地方競馬所属であったオグリキャップが芝のレースを優秀は走破タイムで優勝したことの重要性は理解できると思います。失礼ながら、保留の嵐さんは地方競馬の基本的な事柄にあまりお詳しくないのではないでしょうか?もうすこし日本の競馬について理解を深めてから投票をされたほうがよろしいのではないでしょうか?
  4. 競馬関係者についてですが、まず大川慶次郎については大川慶次郎をご覧くださいとしか言いようがありません。(オグリキャップは大川慶次郎の経歴について詳細に記述する場ではないと思います。)関口隆哉、瀬戸慎一郎、市丸博司についてはすでに書いたように「競馬に関する文章や本を多数執筆しており、引用して何ら問題のない活動実績がある」ことから引用して問題はなく、「気まぐれ」な引用というご指摘は当たらないと思います。
  5. オグリキャップの兄弟については現行のスタイルのほうが文章が読みやすいという観点を満たすことができると思います。これも語法と同じく主観・感覚の問題だと思いますが、どうしても納得がいかないということであれば「その条件が満たされた、またはその指摘による改変は必要ではないという合意」の形成を図るしかないと思います。ちなみに、記述が少ないのであればそもそも「雑な内容の箇条書き」ではないのでは?
  6. 「オグリキャップと対戦した主な競走馬」は、読みやすさを担保するために個々の競走馬名を文中に極力登場させないということと、同時期にどのような著名競走馬がいたのかを読み取れることの両立させるための手段で、ナリタブライアンの選考過程で編み出されたものです。これが雑多な内容の箇条書きかどうかは個人の感覚の問題でしょう。他の投票者の方々からもそのような意見が多ければそれに従いたいと思います。
  7. 「競走馬としての特徴」「オグリキャップの関係者による評価」をしっかり分類することは確かに重要だと思います。しかし具体的に指摘された川瀬友光の箇所については「扱いやすい」ということが主要な部分で、、「運動をさせるときはおとなしく利口」というのはその理由です。こうした主・従の関係から「評価」の項目に入れることが適当と判断しました。なお、「この項目は他の記述も同様に考えてください。」とのことですが、賛成以外では問題点や改善案を明確に指摘して下さい。投票の仕方
  8. 『「引退後」の部分と「マーチトウショウに2度」について、見出しと内容の分量・バランスが他の部分と比較してアンバランスであると思います。』とのことですが、種牡馬として目立つ実績がない以上、競走馬時代の記述が多くなることはやむを得ないと思います。また、注目度の点から参考文献はいずれも中央時代の記述に重きをおいているため、相対的に地方競馬の記述量が少なく見えることもやむを得ないと思います。引退後やマーチトウショウについて内容の分量が絶対的に不足しているということでなければ現状で問題はないと思います。-- 2008年8月21日 (木) 08:18 (UTC)[返信]
(コメント追加)
  1. 「いわゆる」について追加です。「使わずに内容を並べることができればそうするべきです。」とあることは確かなので修正したいと思いますが、前述のように全体の趣旨をみるとどうしても修正しなければならないと思えないことも表明しておきたいと思います。
  2. 大川が発言した状況について、検証可能性を担保できる範囲で補足しました。具体的な番組名を記した文献は現在のところ見当たりませんし、それは大川による評価を引用するにあたって重要な問題ではないことから必ずしも必要ないと思います。-- 2008年8月21日 (木) 11:44 (UTC)[返信]
(コメント追加)
  • 「とくに重賞優勝馬でありこの年の宝塚記念で4着となったランドヒリュウ」の部分についてですが、若干修正をしました。これでより意味が通りやすくなったと思います。-- 2008年8月21日 (木) 12:35 (UTC)[返信]
(コメント)廉氏のコメントへの付け加えです。
  1. 「とくに」という言葉は副詞です。つまり、用言を修飾するわけですから、「とくに中京競馬場の芝コースで行われた8戦目の中京盃を優勝[25]して以降は申込みが殺到した」・「とくに重賞優勝馬でありこの年の宝塚記念で4着となったランドヒリュウとの対戦にファンの注目が集まった」の被修飾語はそれぞれ、殺到した集まったです。何ゆえ、中京競馬場という表記が出てくるのか理解に苦しみます。
  2. 定量的な評価ならば、売上高や人気投票の結果は日本中央競馬会の統計データあるいは競馬雑誌(競馬ブックなど)から簡単に持ってこれるでしょう。しかし、定性的な評価ならば、各ライターが取材した記事は以下の理由で問題ないと考えます。保留の嵐さんは「ライターの意見を載せることが百科事典として有用でしょうか?また大川慶次郎については当時TV番組で解説を担当していたようですが、このあたりや他にもTV放送にふれた(当然著作権に触れない範囲)記述はないものでしょうか?」と記述していますが、上記ライターの著作はスポーツ新聞やゴシップ誌ではありませんのでWikipedia:信頼できる情報源と考えられますし、Wikipedia:独自研究は載せないにおいて上記ライターの著作は独自研究ではなく、一次資料ないし二次資料として認められています。著作権法に触れない範囲に関しては引用の要件を満たせば事足りるわけで問題なしだと考えます。
  3. 「Wushiさんも同意されているように雑多な内容の箇条書きをあくまで避けるべきであり」の表現ですが、曲解されていませんか?以下の文「今回の文章はオグリキャップの評価の観点について検証可能性の観点を踏まえて、各人の意見を整理しているものです」と書いている通り、この記事においては、雑多な内容の箇条書きとは私は判断していません。
  4. 最後に、せめてJRAが発行している月刊誌『優駿』を本屋でいいから立ち読みしてください。重賞勝ち馬の血統表一覧に兄弟の成績に関して長々と文章を書いていません。父馬・生年・性別・主な勝利重賞名を簡潔にまとめています。血統表における兄弟の記述も問題無しと考えます。--Wushi 2008年8月21日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
(コメント)

(選考期間延長の提案) 現在、選考期間は2008年8月24日 (日) 12:11 (UTC)(2008年8月24日 (日) 21:11 (JST))までとなっています。現在保留の嵐さんから投票があり、それに対する質問と回答が続いている状況です。ひとまず、Wushiさんが投票内容についての質問を行った2008年8月21日 (木) 14:46 (UTC)から2週間後の2008年9月4日 (木) 14:46 (UTC)まで先行期間を延長したいと思うのですが、よろしいでしょうか?明日一杯待って異論がなければ延長したいと思います。-- 2008年8月22日 (金) 10:07 (UTC)[返信]

反対がないようなので延長します。-- 2008年8月23日 (土) 15:06 (UTC)[返信]
期間終了が迫ってきたので再度の提案です。私が保留の嵐さんに質問をした2008年8月28日 (木) 15:19 (UTC)から2週間後の2008年9月11日 (木) 15:19 (UTC)まで期間を延長したいと思います。-- 2008年9月1日 (月) 09:02 (UTC)[返信]
延長しました。-- 2008年9月3日 (水) 09:04 (UTC)[返信]
Wikipedia:合意形成に基づき提案への回答・合意には1週間程度の猶予期間が必要です。私はこの延長提案に反対します。現時点で表明を集計すると賛成票0反対票1になります。Wikipedia:秀逸な記事の選考#投票が無効となる場合と選考期間の延長に以下のようにありますので、
  1. 投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。
  2. 選考終了までの2週間以内に、上記のような質問やそれに対する回答があった場合は、選考期間は発言時点から2週間の延長となります。
  3. 選考終了までの2週間以内に、条件付賛成・保留・反対票が投じられた場合も、選考期間は投票時点から2週間延長となります。
最新の投票である私に保留票に対し、Wushiさんが投票内容についての質問を行った2008年8月21日 (木) 14:46 (UTC)から2週間後の2008年9月4日 (木) 14:46 (UTC)までが選考期間になります。以上のように規定に沿って期限を訂正しました。--保留の嵐 2008年9月4日 (木) 14:38 (UTC)[返信]

(コメント)保留の嵐さんは何か勘違いをされておられないでしょうか。今は投票内容に関する質問と回答が繰り返されている状態です。つまり選考期間終了日時の起算点は延び続けています。そして、この規定は合意形成なしに、質問や回答があったことにより自動的に適用されると解釈すべきだと思います。(私は起算点に間違いがないか確認したまでで、合意形成がなければ延長できないと考えているわけではありません。)一方的な解釈で勝手に選考の終了を宣言するのはやめてください。-- 2008年9月4日 (木) 15:21 (UTC)[返信]


(論点の整理とご意見のお願い) 保留の嵐さんの投票について、(現在未解決の)指摘を整理したいと思います。

改善措置が施されたもの
  1. 『いわゆる「平成三強」』という表現
  2. 「とくに重賞優勝馬でありこの年の宝塚記念で4着となったランドヒリュウ」の部分に疑問がある
  3. 「競走馬としての特徴」「オグリキャップの関係者による評価」の住み分け(具体的には「川瀬友光は・・・」と「栗東トレーニングセンターでオグリキャップの診察を担当していた獣医師の吉村秀之は・・・」の住み分け)
改善措置が施されていないもの
  1. 雑多な内容が箇条書きされている。(具体的には「血統的背景」の「兄弟」の部分、関連項目の「オグリキャップと対戦した主な競走馬」)
  2. 「また」の多用に問題がある。
  3. 「とくに中京競馬場の芝コースで行われた8戦目の中京盃を優勝[25]して以降は申込みが殺到した」の部分に疑問がある。
  4. 直接的にオグリキャップに関わっていない人間(具体的には大川慶次郎、関口隆哉、瀬戸慎一郎、市丸博司)の意見を百科事典に掲載することに関して疑問がある。
  5. 「引退後」の部分と「マーチトウショウに2度」について、見出しと内容の分量・バランスが他の部分と比較してアンバランス。

私としては改善措置が施されたものについてはすでに条件が満たされたと思いますし、改善措置が施されていないものについてはその指摘による改変は必要ないと思います。そこで、保留の嵐さん以外に投票をされたTantalさん、かぼさん、Wushiさんに、上記の点についてどう思われるかお伺いしたいと思います。ちなみにこれは『条件付き賛成や保留、反対で挙げられた場合でも、その条件が満たされた、またはその指摘による改変は必要ではないという合意がなされ、賛成のみ3票以上集まったならば通過します。』という規定を意識したものです。(少なくとも1週間は保留の嵐さんの返答を待つつもりですので、合意が形成されたとしてもすぐに措置を講じようということではありません。)お手数ですがどうかよろしくお願いします。-- 2008年8月22日 (金) 10:26 (UTC)[返信]

Wushiです。上記のとおり保留の嵐氏の疑義に対し、私の回答と廉氏の回答は書いておりますが、改編の必要なしと考えます。理由は以下の通り(回りくどく書きたくいないので以下の理由は常体の文章で記述しています)。

  • 1.雑多な内容が箇条書きされている。(具体的には「血統的背景」の「兄弟」の部分、関連項目の「オグリキャップと対戦した主な競走馬」)
オグリキャップの兄弟(正確には「きょうだい」なのかもしれないが)は箇条書きでいい。理由は上記の通り。オグリキャップの「きょうだい」で活躍しているのは桜花賞馬のオグリローマンだけであり、これに関してはオグリローマンの記事を見ればよい。ほかの「きょうだい」は兄の七光りで種牡馬になったようなもので、特筆性はほかにないから、箇条書きで十分(母馬のホワイトナルビーもあるし)。
主な競走馬を文章にしたら、何を伝えたいか分かりにくくなる。「タマモクロス天皇賞(秋)ジャパンカップではオグリキャップに先着したが、有馬記念では後塵を拝した」といった文章を数十も書くのか?タマモクロスならまだしも、フレッシュボイスだと「オグリキャップとともに出走した全てのレースで敗退している」と書かないと均衡を欠く。正直言ってムダにくどい。
  • 2.「また」の多用に問題がある。
「また」は文と文をつなぐ並列の接続語であり、問題ない。
  • 3.「とくに中京競馬場の芝コースで行われた8戦目の中京盃を優勝[25]して以降は申込みが殺到した」の部分に疑問がある。
上記の通り「とくに」は副詞であり、用言を修飾する。この文中に用言は「行われた」・「優勝し」て・「殺到した」があるが、「殺到した」を修飾するのは自明。
  • 4.直接的にオグリキャップに関わっていない人間(具体的には大川慶次郎、関口隆哉、瀬戸慎一郎、市丸博司)の意見を百科事典に掲載することに関して疑問がある。
上記の通りWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:信頼できる情報源を担保すると考える。
  • 5.「引退後」の部分と「マーチトウショウに2度」について、見出しと内容の分量・バランスが他の部分と比較してアンバランス。
時系列で「マーチトウショウに2度」から述べる。マーチトウショウはオグリキャップが笠松時代(旧3歳(現2歳))に負けた相手にすぎず、それ以降の特筆性なし。中央時代におけるオグリキャップのライバルであるタマモクロス、イナリワンスーパークリーク、ジャパンカップのホーリックスのような相手と同列に述べるには無理がある。
次いで「引退後」、オグリキャップの代表産駒はオグリワン・・・、重賞戦線に乗ったのはオグリワンしか印象ない。そのオグリワンも早熟馬が集う小倉3歳ステークス(当時)で入賞がやっと、クラッシクではジェニュインが勝った皐月賞でビリ、タヤスツヨシが勝った東京優駿でブービー(Yahoo!スポーツ競馬~オグリワンの競走成績)、この状況で記事を膨らませることはできないと考える。以上--Wushi 2008年8月22日 (金) 14:31 (UTC)--微修正。Wushi 2008年8月23日 (土) 03:38 (UTC)[返信]

Tantalです。今回のオグリキャップに関しては、私自身も記事の瑕疵はないのではないかと思います。

  1. Wikipedia:特筆性は公式な方針ではないが、特筆性がないものを記事にしたとしてもスタブの乱造にしかならない。また、Wikipedia:ウィキプロジェクト_競馬では、常に、記事にする点においてグレーゾーンの競走馬が削除依頼にかけられることがあるが、現状では、重賞入賞あるいはオープン勝ちをしないと競走馬の記事の存続は問題がある(但し、あくまで議論中であることは注記しておく。種牡馬になった競走馬は特筆性があるという主張もあるため)。
  2. 「また」は純粋な接続語、「特に」は副詞で用言を修飾する言葉。とりわけ、後者の疑問にこっちが疑問符がつく。
  3. オグリキャップにかかわりがない人間の論評の否定をした場合、根本的に、歴史記事は崩壊する。例えば、『ローマ人の物語』を著した塩野七生氏は現代を生きる日本人である。これで言わんとすることはお分かりでしょう。
  4. サンデーサイレンスのようにオグリキャップが種牡馬として大活躍をしていれば、問題なかったんでしょうけれども、オグリキャップに関してはこれが事実。イナリワンスーパークリークも種牡馬としては成功しなかった。そのことさえ、分かればいい。逆に笠松競馬という地方競馬で重賞を勝ち進んで、中央競馬へ転厩し、最後には有馬記念のラストランを飾ったサクセスストーリーこそがオグリキャップの記事の真骨頂だと思いますけどいかがか?--Tantal 2008年8月22日 (金) 14:47 (UTC)[返信]

かぼです。お知らせありがとうございます。まず、保留の嵐さんのご意見は記事をより良くするための建設的なものであると感じます。廉さんもまた秀逸な記事の落としどころとして常識的な意見を仰っているように感じます。どちらが正しい、間違っているということは言えないので、ぜひ冷静に議論していただきたいと思います。

さて、問題となっている5点について手短に意見を述べます。

  1. 「血統的背景」の「兄弟」の部分については現状で問題ない。「関連項目」の書き方はナリタブライアンに倣っているとはいえ、競走馬名しか書かれておらず分量が多いわりに視野が狭いという指摘は免れないものと考える。競走馬以外の関連する事項を盛り込む一方で、特筆すべき必要の無い競走馬を除外することも検討すべき。
  2. とくに問題ないと考える。
  3. とくに問題ないと考える。
  4. 直接関係した者の評価しか載せられていないとすれば、むしろそのほうが問題である。
  5. そこまでオグリに詳しくないので事実に即した意見は避けるが、WushiさんやTantalさんのご意見は妥当と感じる。生涯を通してずっと同じペースで活躍・話題提供する人や馬は少なく、それを踏まえれば記事にめりはりが生じるのも当然であろう。--かぼ 2008年8月23日 (土) 17:22 (UTC)[返信]

Wushiさん、Tantalさん、かぼさん、ありがとうございます。「関連項目」については確かに多すぎる気もします。おそらく原因は「先着したことのない競走馬」が多すぎるせいだと思いますが、オグリキャップの場合ナリタブライアンにおけるエアダブリンのように「先着したことはないが競走生活に深いかかわりがある」という存在はいないと思われますので、ひとますここをコメントアウトしてみようと思います。競走馬以外の関連する事項については「第二次競馬ブーム」があれば一番良かったと思うのですが独立した項目としては存在しないので今回は見送ります。具体的に思い当たる項目があれば提案をお願いします。-- 2008年8月24日 (日) 03:07 (UTC)[返信]

こちらにまとめます。

  1. 「オグリキャップが出走した競走で1着になったことのある競走馬」については戦歴の文中においてリンク済み、内容からもオグリキャップに勝っていることが明らかに示されています。次に「先着したことのある馬」まで説明することはありません。競馬においてある馬が敗戦した場合流れ込みなどにより先着されることが多々あります。かなりの強豪馬だとテイエムオペラオーを記述する際においてのアメリカンボスの重要性、グラスワンダーの際のウメノファイバー、などと同様で、これはナリタブライアンに従った記述とのことですが適宜検討すべき問題かと思います。(ナリタブライアンではどのような必然性があるのか存じませんが少なくともオグリキャップには必要性を感じません)Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)の「人、漫画家ほか現代人の記事について」に以下のような記述があります。「芸能人等のテレビ番組等に出演する人物の場合、関連項目には原則として同時出演した出演者などを記述しないでください。 」これは参考になると思います。よって編集し除去が適切であると考えます。
  2. 日本語の問題であり、より読みやすく理解しやすくするため、今回狭い人員内で意見が分かれていますので第三者による査読依頼を行うことが望ましいと思います。競馬以外の編集者による第三者の意見を踏まえ、より日本語表現が洗練されれば記事にとって有用だと考えます。なお秀逸選考を問わず、いつの時点においても査読依頼は行って有用であるとの主張です。
  3. とくに殺到した、に訂正が適切です。あらためて自明との言葉を使われているようですが、オグリキャップの記事を読む人の競馬への理解度は千差万別であり、オグリキャップが中京地方にゆかりある競走馬であることから、中京競馬場の前に付属させることは適切ではないとの主張です。なお廉さんは2.3に項目を分けておられますが、発言者としてこの項目は同趣旨です。よって査読依頼の話にリンクしています。
  4. これも同様に廉さんは大川慶次郎を一括りにされていますが、原文では「次に代表的なものとして、関口隆哉瀬戸慎一郎市丸博司の発言について」です。大川については後に述べますが、関口瀬戸市丸についてオグリキャップの現役時代どういう形でどのように取材に携わっていた人物か全く不明であり、書籍を多数出版とされても記事の質を担保するものではありません。市丸の出版書籍については確認できる限り[1]です。内容を精査すれば「読者層は大きいか、それともとても小さいか? 」「あるいは気まぐれで何でも掲載してしまうか?」に抵触すると考えます。市丸においては急遽項目が作成されたようですが、出版書物はオグリキャップ引退後数年を経てからのものが中心であり、30歳前後で現役時の同馬にどのように取材して執筆されたものか質に疑問符をつけざるを得ません。瀬戸[2]関口も同様です。これらライターに関して、名を挙げてオグリへのコメントを内部関係者と同列に比して掲載することは記事の質に問題を生じさせると考えます。
a.オグリの内部関係者(騎手・調教師・厩務員・助手・獣医師などJRA・地方競馬・牧場関係者)の発言
b.外部関係者

ここは区別して精査しなければなりません。a.の発言は生の貴重で重要なものでありオグリを百科事典の記事と説明する際には有用ですが、b.においては「読者層は大きいか、それともとても小さいか? 」「あるいは気まぐれで何でも掲載してしまうか?」を慎重に考慮すべきです。ウィキペディアは百科事典でありムック本ではないのです。ですので、有吉など5社の大手新聞社による記事については指摘しておりません。当初より名前を挙げたライターのコメントを指摘しています(現在未改善) 次に塩野が何とかとの意見ですが、ジョン・F・ケネディなど歴史的な人物記事を読んでください。一ライターのコメントを掲載することは稀です。JFKは秀逸な記事ではありませんが、世界中・日本中のライターが雑誌に数多くコメントを残したであろう事象の例です。世の中全般に振り返りとりわけ重要な人物による歴史的なコメントは精査して掲載することが望ましいですが、今回の関口以下はそれに該当する業績・活動が見当たりません。 最後に大川についてですが、当時ネットは未整備であり大川・白川次郎などによるTVラジオの重要な報道による外部関係者は多々存在するかと思われます。これらは視聴率・聴取率を取っても前述のライターの発行部数とは比較にならない層数を有しているもので、オグリキャップといえば大川・白川・杉本清などの名文句実況が合わさって人気の一翼を形成していたことは事実です。これらと比較しても取り上げる上記の面々の発言で、オグリキャップの記事としての重要性・質は担保できません。

  1. 「マーチトウショウに2度」について。これはオグリキャップぼ全競走生活を説明する上で見出しを使用して強調するほどの事象ではありません。シンザンが叩きのオープン戦で、タイキシャトルがテンザンストームに、負けたことと同様なくらい微々たる話題です。むしろタマモクロスに2度敗戦したことの方が乗り替わりなど意味のある重要な事象です。(見出しにしろと言っているわけではない) 閲覧者に誤解を与えぬよう競走内容と併合することが適切だと考えます。

ですので人気の項目(特に概要)でライターのコメントを除去することが適切だと考えます。客観的な事象としては、単枠指定の話に触れることも必要でしょう。未改善ですので、対策として「馬券売り上げ・入場者数の増加」「女性ファン」「関連グッズ」などの数字によって客観的な事実として表現、事実に語らせる記述が可能だと思います。 以上改善されない問題点を指摘します。根幹的な問題だと思われます、安易な合意形成を目指さず確たる議論を希望します。--保留の嵐 2008年8月26日 (火) 03:22 (UTC)[返信]

(コメント)
  1. 関連項目についてですが、Wikipedia:関連項目の『本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。』という規定を重視して、すべてコメントアウトしようと思います。
  2. 単枠指定の話に触れることも必要」とのことですが、私があたった資料には単枠指定に絡んだ特筆すべきエピソードは見当たりませんでした。何か特筆すべきエピソードがあるということでしたら、具体的な提示をお願いします。(単にどのレースで単枠指定になったというレベルの話であれば、敢えて記述する必要はないと思います。)
  3. その他の点については保留の嵐さんと、保留の嵐さん以外の投票者と私を合わせた4人の見解が異なるということが改めて明らかになりました。議論は重要ですが、議論を行ってなお互いの主張が平行線でどうしても一致しない時には何らかの方法によって解決する必要があるとも思います。そして、今回のような問題を解決するために合意形成に関するルールがあるのだと思います。申し訳ありませんが、すでに「関連項目」を除いては完全な合意の形成ができていますので、どうしてもご納得いただけない場合にはルールを活用させていただきたいと思います。
  4. 保留の嵐さんが指摘された点のうち、いくつかはすでに改善されていると思います。わかりやすいように解決済みのものには削除線を入れるなどしていただけるとありがたいです。-- 2008年8月26日 (火) 09:54 (UTC)[返信]
(コメント追加)
  • マーチトウショウについてですが、見出しをつけたのは読みやすさを考慮したからです。競走内容と併合すると読みづらくなると思います。また微々たる話題で見出しを付けるほどではないとのご指摘ですが、そうは思いません。むしろ地方時代の記述について「秀逸な記事の目安」である『百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている』かどうかを判断する材料のひとつだと思います。-- 2008年8月26日 (火) 11:00 (UTC)[返信]
(コメント)たしかに規定には賛成票を投じた3人以上で合意ができていれば話を進めることができると書かれています。しかし保留の嵐さんの今回のコメントで問題がより鮮明になってきたと思います。とくに4番目のご意見、すなわち「大川慶次郎と他のライターを同列に扱うのはいかがか」という指摘は大変興味深いと思います。「主張が平行線」と言って保留の嵐さんの意見を(言葉は悪いですが)切り捨てる前に、4つめの指摘だけでももう少し煮詰めていただければと思います。私はここで挙げられたライターについては存じませんのでなにもできず恐縮ですが…。--かぼ 2008年8月26日 (火) 12:21 (UTC)[返信]
(コメント)大川慶次郎と関口・瀬戸・市丸を比べると知名度や実績に差があることは確かでしょう。しかしそのことをもって3氏の著作物が引用にふさわしくないと判断することはできないと思います。以前に書いたように3氏はともに競馬に関する文章や本を多数執筆しており、引用して何ら問題のない活動実績があると思います。また、保留の嵐さんは3氏について「読者層がとても小さい」「気まぐれで何でも掲載してしまう」ことを示唆しておられますが、そのことを裏付ける根拠を挙げておられません。そうである以上「関口・瀬戸・市丸などは読者層が小さそうだし気まぐれで何でも掲載してしまうのだろう」という主観的な決め付けに過ぎず、これでは説得力に欠けると思います。-- 2008年8月26日 (火) 12:44 (UTC)[返信]
(コメント追加)また、保留の嵐さんはWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料について誤解をされているようです。そこで排除されるべきものとして例示されているのは「自費出版」、「自己出版」、「急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞」などです。果たして3氏の出版物はそれらと同じ程度に信頼が置けないのでしょうか?私にはそうは思えません。もし同じ程度に信頼が置けないというのでしたら、その証拠を挙げていただきたいです。-- 2008年8月27日 (水) 00:16 (UTC)[返信]
(コメント)廉さん編集ありがとうございます。
  1. 確認しました。
  2. [3]例として4歳時の京都4歳特別・高松宮杯・毎日王冠・有馬記念などが単枠指定に当たります。特筆すべきエピソード、ですがオグリキャップの項目では単枠指定について一切触れられておらず、廃止された制度が馬連以降の最近から競馬を知った閲覧者には戦績の枠順の不可解さは伝わらないかと思います。JRA側が人気を予想される馬を単枠指定していた事実ですので、1行でなり関連項目でリンクなり触れることは記事として有用でしょう。
  3. マーチトウショウの扱いに関して、これはオグリキャップの全競走生活を説明する上で見出しを使用して強調するほどの特筆すべき事象かどうかについて皆様の意見をいただきたい点です。オグリキャップの誕生以降全体を見渡して見出し強調するほどの重要な事件でしょうか?ということです。読みやすさに関していえば、見出しを削りプレビューしてみましたが特に問題は感じられません。接続詞として「なお」など付ければ適当な編集になるかと思われます。大川ほかについては以下に述べます、議論継続中です。議論の結果、その上で皆様の意見がとなれば受け止めますの宜しくお願いします。
  4. 了解しました。
  5. コメント追加分に関して。マーチトウショウは3.で述べたとおりです。次に大川ほかの話しについてですが、誤解はありません。公式な方針・ガイドラインの原文を本項目に適用される部分をそのまま引用しています。
Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料にはこのように書かれています。資料の信憑性を評価するには、幾つか自分に質問を投げかけてみるのが良いでしょう。それは公然と特定党派を支持しているか? 読者層は大きいか、それともとても小さいか? 自費出版を請負う出版社か? 個人経営か、それとも多くの社員を抱えているか? 何らかの査読制度を持っているか、あるいは気まぐれで何でも掲載してしまうか?
Wikipedia:独自研究は載せない#関連する基本方針とガイドラインには以下のように記述があります。その観点がいかに顕著なものであるか、多数派に支持されているのか少数派に支持されているのかなど、その観点の背景に関する情報を提供してください。ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点を掲載することは、独自研究に認定される場合があります。このことについて、ウィキペディアの共同創始者ジミー・ウェールズは、次のように述べています。もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。 もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。 もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない[3]。
Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見にはこうあります。特別なケースがひとつ考えられます。審美的な判断にかかわるものです。ウィキペディアの記事の一部はアート、アーティスト、その他クリエイティブな話題(例えばミュージシャン、役者、本、テレビゲーム、など)を扱うもので、執筆者が感じたことを表現する傾向にあります。これは、百科事典にそぐわない記述だと言えるでしょう。だれそれが歴史上最も偉大なベーシストである、といったことについてはわれわれは意見の一致を見ることができないでしょう。ですが、あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。ある作品についての一般的な解釈の概説をすること、それもできればその解釈を提唱している特定の著名な人への言及なりその人の引用をつけて、はよいことです。例えば、シェイクスピアが英語による著述家の中で最も偉大な人の一人だということは、どこかの生徒が百科事典から学ぶべき重要な知識でしょう。
記事で扱うコメントについて、JRA関係者・大川や井崎など・新聞記者・フリーライターなど出所と背景を精査することは重要な課題といえます。関口・瀬戸・市丸などは競馬に比較的詳しい者が集まったこの場においても2人はこれまで知りませんでした。日本全体において読者層は本当に大きいでしょうか?大きいというならば多数派に支持されているのか少数派に支持されているのかなど実数を挙げて説明をお願いします。
オグリキャップの現役当時大川慶次郎・井崎脩五郎(関西での大坪元雄など)あたりは評論家としてキャリアを有しTV出演も果たしていました。([4]例示としてディープの有馬記念の視聴率を挙げる)オグリの現役当時視聴率が3%(関東のみ)と見積もっても日に50万世帯[5]以上(関東のみ)がこれを視聴しており、その著名性を有していると言えます。そのような人物のコメントです。それと比較して関口・瀬戸・市丸などの著名性はどれほどのものでしょうか。ジミー・ウェルズの言葉を借りたならば同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない、ということですので彼らの意見と同じ意見を持った著名な支持者の名前をお願いします。さらに関口[6]・瀬戸[7]・市丸[8]などはおいては、出版活動がなされているのは先にも指摘したとおりオグリキャップ引退後数年を経てからのものであり、オグリキャップの現役当時どういった立場での取材・執筆ができたか、またそういった人物の発言ですので、上記の指摘と合わせて取り上げるべき質として大いに疑問があります。なお、山河拓也[9]についてのコメントの扱いも同様だと考えます。
以上問題点を指摘します。対策として、同じ意見を持っている著名な支持者のコメントに差し替える必要があります。それまでは一旦コメントアウトが適切だと思います。現在大手紙では本項目で取り上げられている朝日新聞記者[10]有吉[11]以外に、日経新聞[12]記者野元賢一[13]のように大手新聞に自らのコラムを掲載している記者がいます。オグリキャップほどの社会現象ならば当時に取り上げた新聞記事が存在するかもしれません。及ばずながら私も余暇に図書館をあたってみます。--保留の嵐 2008年8月28日 (木) 04:45 (UTC)[返信]
(コメント)大川とは著名度が異なるとはいえ、競馬好きのおじさんが勝手に書いているブログではなく、あくまで競馬評論家・競馬ライターの評価です。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源にもあるとおり、少なくともその旨(「取材時期が釈然としないものの」、「大川と比べれば認知度が小さく競馬関係者・ファンの多数派の意見を代弁していると断言はできないが」等)断り書きを入れれば問題ないと思います。
無論、より信頼性の高いソースが見つかれば置き換えていけばよいと思いますが、現在の記述をコメントアウトしてしまうのは厳しすぎるのではないかと思います。寂しい言い方になってしまいますが、完璧な記事は存在しえないということを頭の片隅にでも入れておいていただければ幸いです(理想に近づける努力は必要ですし、自ら図書館で調べようという姿勢には敬意を表しますが)。--かぼ 2008年8月28日 (木) 13:32 (UTC)[返信]
(コメント)
  1. 単枠指定の問題について「廃止された制度が馬連以降の最近から競馬を知った閲覧者には戦績の枠順の不可解さは伝わらない」とのご指摘ですが、以前に述べたように「高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。」とあります。また、そもそもオグリキャップの記事を見ただけで枠順の不可解さが伝わる構造にはなっていないはずです。以上の2点から説明は不要だと思います。
  2. マーチトウショウについては上に書いたように、『百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている』かどうかを判断する材料となりうるほど重要だと思います。
  3. まず、3氏の著作物が引用に値しないということについて、Wikipedia:秀逸な記事の選考#投票の仕方に『賛成以外では問題点や改善案を明確に指摘して下さい』と規定されていることから、すべての挙証責任は保留の嵐さんにあることを確認しておきたいと思います。また、保留の嵐さんには漠然と指針を持ち出し、具体的に3氏の著作物の引用がどのように指針に反すると主張したいのかが不明確なきらいがあります。問題点の指摘は具体的にお願いします。その上で各論に入ります。Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料についてですが、引用が『それは公然と特定党派を支持しているか?』以下の列挙された点に触れるというのであれば、どの点に触れるのかということと、そのことの具体的な根拠を示してください。なお文脈上、『読者層は大きいか、それともとても小さいか? 』にある「とても小さい」とは、これは「急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞並みに小さい」と解釈すべきというのは先に述べたとおりです。また念のため断わっておきますが、読者層が大きいことやとても小さくはないことの証明をこちらに求めるのは挙証責任の不当な転換です。保留票の原因となる事由(たとえば読者層がとても小さいこと)の証明は、保留票を投じられた保留の嵐さん自身がしなければならないのです。次にジミー・ウェールズの言葉についてですが、書き出しに『複数の確立した観点が一つの議題に関して存在しています。』とあるように、これは学術的な問題など、対立する見解が複数存在する場合に、個々の見解の記述について、ごく小さな少数派にしか支持されていないものは排除されうることについて述べたものだと思います。その上でお伺いしますが、具体的にどの記述のどの部分がこの指針に照らして問題となるのでしょうか?繰り返しますが、問題点は具体的に指摘してください。最後にWikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見についてですが、オグリキャップはこの指針の対象である「芸術作品」や「アート、アーティスト、その他クリエイティブな」存在ではありません。具体的な検討に入るまでもなく持ち出されている指針はこの記事には当てはまらないと思います。なお念のために申し上げますと、論理的に考えて芸術作品について「特定の著名な人への言及なりその人の引用をつけて、はよいこと」イコール「特定の著名な人以外への言及なりその人の引用をつけて、は悪いこと」ではありません。むしろ『あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。』とありますから、有名な専門家ではない批評家の見解を掲載することは許容どころか奨励されているのではないでしょうか。
  4. 3氏の著名度について、誰かと比較してその人物よりも相対的に劣ると主張しても説得力がありません。なぜなら比較は比較でしかないからです。B山の標高がA山よりも低いからといって、「B山は低すぎて山とは呼べない」という主張が成立するでしょうか?そうではなくB山そのものについて検討しなければ判断できないと思います。それと同じことです。3氏の著名度が引用にふさわしくないほど低いというのであれば、比較ではない絶対的な根拠を挙げて下さい。
  5. 著作物の出版時期について、オグリキャップの引退の時期から離れていることを問題視されているようですが、その趣旨が理解できません。対象が活躍した時代から『数年を経て』執筆された文献を参考にすることがふさわしくないとなれば、対象が存在した時代から数世紀後に書かれた文献を参考にすることもありえる歴史記事はどうなるのでしょうか。根本的な質問ですが、その主張を裏付けるwikipediaの方針はありますか?私には保留の嵐さんがwikipediaの指針に存在しない、オリジナルの、説得性に欠ける厳しい条件を突きつけているとしか思えないのですが。-- 2008年8月28日 (木) 15:19 (UTC)[返信]

(意見募集)廉です。「大川慶次郎と他のライターを同列に扱うのはいかがか」という指摘についてもう少し議論を煮詰めたようがいいというご意見を受け、議論を進めています。しかし今のところ、保留の嵐さんは自らが問題視する関口・瀬戸・市丸の3氏について、引用を排除しなければならないということを正当化する根拠を挙げることができずにいると思います。Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料を読んで感じたことですが、「大川慶次郎ほど著名ではない」人物は2種類に分類することができると思います。「大川慶次郎ほど著名ではなく、かつ信頼できない資料を発行している人物」と「大川慶次郎ほど著名ではないが、信頼できない資料を発表しているとはいえない人物」です。前者の資料の引用は許されないでしょうが、後者の資料の引用は許されていいと思います。保留の嵐さんは3氏が大川慶次郎よりも著名ではないということを強調するだけで、彼らが前者であるという理由を示すことができていません。私は「大川慶次郎と他のライターを同列に扱うのはいかがか」という問題について、「大川慶次郎と同列に扱うことができないライターの著作物であっても、ただちに引用不可とはならない」という結論を導くことができるといっていいのではないかと考えます。また、「オグリキャップの記事について引用不可な著作物からの引用があるという証拠は示されていない」ことも確認できると思います。そして3氏が「大川慶次郎ほど著名ではなく、かつ信頼できない資料を発行している人物」である理由が示されていない以上、この点に関しては保留の嵐さんによる保留票は正当な理由がないと見なさざるを得ないのではないでしょうか。保留の嵐さん以外の投票者の方々がどう思われるか、意見を伺ってみたいと思います。-- 2008年8月30日 (土) 14:32 (UTC)[返信]

大川vs他の競馬ライターの件ですが、他の競馬ライターの著作物の引用は、問題ないと判断すべきであるという考えは変わりません。最近は近代インド史(イギリス領インド帝国ムハンマド・アリー・ジンナーなど)の編集が私としては多いのですが、例えば、前者で取り扱っている『現代パキスタン分析』の編者である黒崎(一橋大学)、子島(東洋大学)、山根(大阪外国語大学⇒現、大阪大学)は、助教授クラスですが、少なくともパキスタン政治においては日本の第一人者であることは確かでしょう。
それでは、今回の関口、瀬戸、市丸、山河といったメンバーは、競馬を第一線で取材しているライターであり、少なくとも、その辺のブログで管を巻いている人々のおっさん、おばさんが書く文章と比較すること自体、論外なのは自明ではないでしょうか?
スポーツ関連の記事で秋天の陽炎という記事がウィキペディアには存在します。スポーツライター金子達仁の取材結果が人口に膾炙して、記事として存立しているということもありうるわけですし。
はっきり言えば、保留の嵐さんの意見は、独自解釈に過ぎず、それぞれのジャンルにおける第一人者の意見は検証可能性を担保するうえで必要不可欠であると考えます。--Tantal 2008年8月30日 (土) 14:49 (UTC)[返信]
関口(2003)--オークラ出版、瀬戸(1997)--『競馬最強の法則』(ベストセラーズ)、市丸(1994)--廣済堂文庫といった出版物は自費出版ですか??そうではないでしょう。保留の嵐氏が意図して省略したのがどうか分かりませんが、氏の引用の後にはこう続きます。
「もしあなたが資料として利用しようとしている媒体が、あなたについて否定的な記事を掲載しようとしていると聞いた場合、あなたは(a)事実をちゃんと確認しない無責任な媒体だからと怯えるでしょうか、それとも(b)その媒体は何層もの編集スタッフ、事実調査員、弁護士、編集長などを抱えているから、たいていの誤りは訂正してくれるだろうと少しは安心するでしょうか。もし(a)であるなら、その資料は使用しないでください。もし(b)であるなら、それこそがウィキペディアで言うところの「評判の良い」というものなのです。」
企業の形態をなしており、従業員が多数いるならば、原稿をあげる時に誤謬が無いかチェックが入るはずです。そうしなければ、その書籍は嘘だらけのまがい物と悪評がつき、企業の信用を失い、最悪倒産になりかねないからです。上記「引用部分」を意図的か否か無視しているのかは不明ですが曲解しているとしか思えない保留の嵐氏の意見はナンセンスです。
最後に、Wikipedia:独自研究は載せない#歴史家タキトゥスのすすめを書いておきます。
ここでは、歴史家たちの一致した証言をたどっていくことにしよう。そして、彼らの記述が相違する点は、誰の記述かを示した上で書いていこう。 (タキトゥス『年代記』13章20節 )
関口等ライターの意見を排除するという保留の嵐氏の意見はタキトゥスの言にも反しませんか?--Wushi 2008年8月31日 (日) 11:46 (UTC)[返信]
(コメント)上で「4つめの指摘だけでももう少し煮詰めていただければ」とお願いしましたが、論点が明確になり、かつ資料の信頼性についてより具体的な議論になったことを歓迎します。私としては廉さん、Wushiさんのご意見に同意します。また保留の嵐さんの主張がWikipediaの方針等に合致しない可能性が高いことが複数の利用者から示されたので、氏のお返事を待ちつつ、そろそろ議論を収束させる段階に入ってもよいのではないかと思います。--かぼ 2008年8月31日 (日) 14:39 (UTC)[返信]
(コメント)Tantalさん、Wushiさん、かぼさん、どうもありがとうございます。私も保留の嵐さんの返答を待ちたいと思います。-- 2008年9月1日 (月) 09:13 (UTC)[返信]

(コメント)期限が迫りました。

  • まずマーチトウショウに2度の見出しについて。さんは「見出しをつけたのは読みやすさを考慮したからです」と「『百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている』」とおっしゃっているのみに終始しますが、[14]実は今回著名性を問題としている瀬戸による出典においてさえもその名は1文字たりとも記述がありません。全く問題にされていない。この見出しは編集者による独自解釈で不当に強調されている例です。反論があるなら他のオグリキャップの事象と比較し強調して扱われている著作を示してみてください。独自解釈でなければどの出典を元にした記述でしょうか。
  • 次に単枠指定について。さんは「高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。」とされていますが、オグリキャップから単枠指定へのリンクさえないことを問題として前回指摘しています。内容が充実している。必須の点だけをわかりやすくカバーしただけでは不十分。にも抵触します。ですので関連記事を読んで理解、ということには当たりません。
  • それは公然と特定党派を支持しているか? 読者層は大きいか、それともとても小さいか? 自費出版を請負う出版社か? 個人経営か、それとも多くの社員を抱えているか? 何らかの査読制度を持っているか、あるいは気まぐれで何でも掲載してしまうか?についてですが、さんの理解は著しく誤っておられるかと思います。当文は並列の関係にあります箇条書きですさんの言うように「急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞並みに小さい」としてすべてandでくくられると定義した場合、それは政治的宗教的観点を締め出す極めて適用範囲の狭い一文にしかなりませんのでその誤りは明らかです。(例:特定の政党を支持した読者層の小さい自費出版の個人経営で査読をしない何でも載せる雑誌、のためにこのような記述はされ得ない)根幹的な誤解へのその指摘の上で続けますが、
  • 「どの記述のどの部分がこの指針に」という問いですが、ライターの関口隆哉は「シンボリルドルフを軽く凌駕し」、「ハイセイコーとも肩を並べるほど」と評している ライターの市丸博司は「オグリキャップの人気の秘密を無理に分析」すると「地方出身の三流血統馬が中央のエリートたちをナデ斬りにし、トラブルや過酷なローテーションの中で名勝負を数々演じ、二度の挫折を克服」したことにあるとしつつ、オグリキャップは「ファンの記憶の中でだけ、本当の姿で生き続けている」、「競馬ファンにもたらした感動は、恐らく同時代を過ごした者にしか理解できないものだろう」と述べている ライターの瀬戸慎一郎は、第二次競馬ブームの主役がオグリキャップであったのはいうまでもない、としている 競馬ライターの山河拓也は「『オグリ=最後の有馬記念』みたいな語り方をされると、ちょっと待ってくれと言いたくなる」と述べている の各部分。
  • 著作物の出版時期について。さらに関口[6]・瀬戸[7]・市丸[8]などはおいては、出版活動がなされているのは先にも指摘したとおりオグリキャップ引退後数年を経てからのものであり、オグリキャップの現役当時どういった立場での取材・執筆ができたか、またそういった人物の発言ですので、上記の指摘と合わせて取り上げるべき質として大いに疑問があります。なお、山河拓也[9]についてのコメントの扱いも同様だと考えます。 については年代も挙げ指摘したことに対し、具体的な反論がありませんでした。さんはすべての挙証責任はと繰り返すことに終始されているのみですが、関口・瀬戸・市丸などは競馬に比較的詳しい者が集まったこの場においても2人はこれまで知りませんでした。ということに対して反論なしです。これでは体をなしているとは言えません。反論があるなら知名度の高さを示してみてください。元から知らない者に対して全く反論もなしでは、廉さんが理解できるような説明が挙げようもないではありませんか。さらに新たに知名度の証明の一例として、オグリキャップとライターとの相関性を検索結果の形で示します。それぞれオグリキャップと各ライターを検索した結果です。大川2750件[15]そして井崎脩五郎3090件[16]杉本清5460件[17]、白川次郎449件[18]、対して関口206件[19]市丸192件[20]瀬戸134件[21]。この差では各ライターのオグリキャップへの言及は大川などの言及と比較しても扱うべき意味合いが小さいことを如実に示しています。秀逸な記事の選考基準完成度が高いとして著作の時期にも問題はある(上記・前回指摘ずみ具体的反論なし)が、先のジミー・ウェルズにもこうあるのです。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。各ライターがいかに社会的に少数派の意見であるかは検索結果の数字が如実に示しました。ですのでこの先は、この意見を支持する者が同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いないに答えなくてはなりません。でなければ独自研究に認定されるものだと言えます。Wikipedia:独自研究は載せない#関連する基本方針とガイドライン
  • Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見については当然ですが今回抵触します、芸術作品などの特徴に関する意見ですので、芸術作品に限ったものではありません。廉さんは「当てはまらない」と言っておられる割にそれを引用され矛盾していますので引用を認めているものとしますが、ある作品についての一般的な解釈の概説をすること、それもできればその解釈を提唱している特定の著名な人への言及なりその人の引用をつけて、はよいことですと書かれています。『あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。』というのはもちろん独自の調査を載せないに基づいて書かなければなりません。有名な専門家ではない批評家の見解を掲載することは許容どころか奨励、というのは誤りですね。文中にもわざわざ有名な専門家などにと明記されております。
  • A山B山の発言については上記の説明で十分です。廉さんの解釈が誤りです。先のジミー・ウェルズにもこうあるのです。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。各ライターがいかに社会的に少数派の意見であるかは検索結果の数字が如実に示しました。ですのでこの先は、この意見を支持する者が同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いないに答えなくてはなりません。でなければ独自研究に認定されるものだと言えます。Wikipedia:独自研究は載せない#関連する基本方針とガイドライン
  • またTantalさんの前々回の発言で菊池寛賞ほか末は天皇陛下から紫綬褒章まで受けたほどの社会的評価の高い塩野七生を、オグリキャップにかかわりない者への対比として関口瀬戸市河を支持されていますが、後者は前者塩野ほどの社会的評価の高い人物でしょうか?そういう人物との比較はあまりに的外れであります。また今回も前者で取り扱っている『現代パキスタン分析』の編者である黒崎(一橋大学)、子島(東洋大学)、山根(大阪外国語大学⇒現、大阪大学)は、助教授クラスと関口瀬戸市河の記事をwikipediaへの出典として同列に扱えるように捉えておられますが、これは大きな問題です。一流大学の准教授に就任するためには修士課程博士課程を経、担当分野で論文を執筆、多くの査読を経て学会・論壇で認められなければなりません。それら准教授の論文を引用した著作と、上記ライターのそういった手順を経ない著作を同列に対比させることは無理を通り越していると言えます。「その辺のブログで管を巻いている人々のおっさん、おばさんが書く文章と比較すること」について、そのような記載はありません。また、金子達仁の秋天の陽炎について触れられていますが、上記ライターの発言でそのように人口に膾炙したものは現在確認されていません。ですのでTantalさんの一連の指摘は不適切かと思います。
  • 次にWushiさんの発言に対しての言及ですが、Wikipedia:独自研究は載せない#歴史家タキトゥスのすすめについてリンク先が確認できませんでしたが、その言ここでは、歴史家たちの一致した証言をたどっていくことにしよう。そして、彼らの記述が相違する点は、誰の記述かを示した上で書いていこう。には賛成です。歴史家たちの一致した証言をたどっていけばよいのです、今回のWikipedia:独自研究は載せない#関連する基本方針とガイドラインにももしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。 もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。あるように同じ主張をしているわけですから。より著名な証言を集め記事とすることに問題は何らありません。
  • がぼさんに対しての回答ですが、「無論、より信頼性の高いソースが見つかれば置き換えていけばよいと思いますが」それに対して何ら異論なく賛成です。その上でそのような状態の記事を選考基準完成度が高いとして推薦できるかどうか、これまで議論してきた問題点で提起しているわけです。私も完璧な記事の引用を待たずに、無論素晴らしい記事以前の話として議論しています。基本方針やガイドラインへの抵触が議題として上がっているわけですから。
  • 保留表明が1名という状態で的確に議論を進め、落とし所を探ってきましたが、現状ではまだ根幹的なポイントで改変が必要ですので残念ながら条件付賛成に転じることはできません。ですが当初より廉さんはじめ編集者による熱心な編集や皆様との議論の結果、記事は良質になったと思います。感謝します。この結果、数ある問題点への指摘を黙殺して秀逸な記事の通過を目指すならば選考とwikipediaに影を落とす結果になり残念で仕方ありませんが、問題点と改善方法は先般より指摘していますので、期限まで回答を期待します。他の秀逸な記事にこんなに一ライターのコメントを必要としているかどうかマーチトウショウの記述は本当にオグリキャップの数ある著作でこのような大きな見出しとしての扱いがなされているかどうか皆様全員による再検討を期待します。--保留の嵐 2008年9月2日 (火) 04:24 (UTC)[返信]
(コメント)
  1. マーチトウショウについてですが、わざわざ瀬戸のみを持ち出す根拠がわかりません。該当箇所に出典は示しているのですからその文献を読めば記述があるというのが常識的な考え方ではないでしょうか。
  2. 「オグリキャップから単枠指定へのリンクさえないことを問題として前回指摘しています。」とのことですが、私には問題とすることの理由が見当たりません。「廃止された制度が馬連以降の最近から競馬を知った閲覧者には戦績の枠順の不可解さは伝わらない」ことを理由として挙げておられましたが、それに対する私の反論は既に述べたとおりです。
  3. Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料の趣旨は自己出版や急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞などの「信頼性に欠ける著作物」からの引用を排除するということにあり、「信頼性に欠ける著作物」を判別する方法として「それは公然と特定党派を支持しているか?」以下の列挙された点について検討を加えることを勧めているのだと思います。ですから、読者層について「とても小さい」とは「自己出版」や「急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞」並みに小さいことであると解釈することはまったく不自然ではないと考えます。すでに何度も繰り返していることですが、市丸その他の知名度や読者層の大小に問題があるというのであれば、その根拠(比較を除く)を示してください。何度お願いしても保留の嵐さんは比較をされたり、こちらに挙証責任を転換しようとされるだけです。
  4. ジミー・ウェールズの言葉について、書き出しに『複数の確立した観点が一つの議題に関して存在しています。』とあることは既に書きました。この指針を適用するならば、保留の嵐さんがその箇所について複数の確立した観点が存在することを証明しなければならないと思います。列挙された点すべてについてです。
  5. 著作物の出版時期についてですが、提起の根拠に疑問がある、wikipediaの指針に存在しない独自の価値観に基づく提起ではないかと反論しています。
  6. Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見は芸術作品を念頭に置いたものであるという考えに変わりはありません。後段は仮に芸術作品に適用するとしてもおかしい、つまり二重の意味で不適当な指摘であるということを指摘しているにすぎません。
  7. A山B山の点については、その説明では不十分。また、挙証責任の不当な転換はすべきでないと繰り返すしかありません。-- 2008年9月2日 (火) 12:35 (UTC)[返信]

(コメント)

  • 最初に読売新聞(YOMIURI ONLINE)毎日新聞(毎日jp)朝日新聞(聞蔵)の記事検索システムによる記事と新・競馬百科(日本中央競馬会)によるものであることを付記します。
  • まず単枠指定について。「日本中央競馬会は二十二日、有馬記念(25日・中山)にタマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイの三頭が出走登録をした場合は、いずれも単枠指定にすると発表した。有馬記念での三頭単枠指定は、五十九年(シンボリルドルフ、カツラギエース、ミスターシービー)以来四年ぶり二回目。」(1988. 12. 23読売新聞東京朝刊スポーツ面)とあります。同様に1989年天皇賞、1990年安田記念・宝塚記念などをはじめとして新聞記事に複数掲載が行われています。
  • 次にマーチトウショウの件について。同様に検索を行ったがヒットせず、またオグリキャップが地方で敗れていることを問題視する記事も発見に至らず。新・競馬百科にも記載なし。このオグリキャップの記事では強調されていますが、少なくとも4件の新聞・書籍で全く重要視されていない。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。に基づいて、見出しとして強調した状態で残したい希望者は、出典を挙げていただきたいです。ですので、例えば廉さんがこれを現状どおり掲載したいと考える場合、挙証責任は廉さんに属します
  • 人気について。相変わらず一ライターのコメントに依拠した状態が続いていますが、「日本中央競馬会の調べによると、当日の入場者は十七万七千人余、うち女性は一万五千人余で一割近くを占めた。二年前には二%余だったことを考えると、女性の競馬熱は目を見張るばかりだ。」(1990. 12. 26読売新聞東京夕刊三面)とあります。項目内にこれらの記載はなしです。同様に多くの重要であろう記事が見つかっていますが長文で即時編集できる状態ではないため省略します。
  • 次に廉さんへのコメントが続きます。「市丸その他の知名度や読者層の大小に問題があるというのであれば、その根拠(比較を除く)を示してください」とありますが、具体的に挙げて証明しています。かたや大川などは地上波の視聴率しかり、一日に数百万人が見ているということを述べています。逆に市丸・関口・瀬戸などは地上波に長年レギュラー出演して著名性を得ていますか?ということです。大川に匹敵するようなレギュラー出演の痕跡は発見できません。これをもっても論拠と言えます。また発行部数については少なすぎるものについては誰も調べようがありません。前述のとおり証明を果たしていますので、挙証責任は私にはありません。また、多いのだとご存知であるならば簡単に挙げて否定できますが廉さんはそれを行えません。
  • 『あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。』と以前にも挙げたとおりです。有名な専門家によってどう受け止められたか、これが重要です。今回問題にしているライターは上記により説明済みのとおり、有名であるとはいえません。
  • A山B山については前回述べたとおりです。ジミー・ウェルズにもこうあるのです。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。各ライターがいかに社会的に少数派の意見であるかは検索結果の数字が如実に示しました。ですのでこの先は、この意見を支持する者が同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いないに答えなくてはなりません。でなければ独自研究に認定されるものだと言えます。Wikipedia:独自研究は載せない#関連する基本方針とガイドライン に具体的な反論が全くなされませんでした。
  • タキトゥスのここでは、歴史家たちの一致した証言をたどっていくことにしよう。そして、彼らの記述が相違する点は、誰の記述かを示した上で書いていこう。には前回の発言どおり賛成です。この項目で問題とされているのは、一致した証言ではないということです。何が一致していないか、それは各ライター1人のコメントに依拠しているということです。オグリキャップの項目ではそれがなされていませんが、たとえば関口のコメントと同様のコメントを大川慶次郎が残しているのであれば、一致した証言と言えます。しかし現状はそうではありません。
  • Tantalさんのコメントについて。「私が言いたいのは、「同時代人以外が歴史の事象を述べて当然である」ということであって、保留の嵐さんのコメントを拝読すると、私たちは、どうやら、ガンディーのことも、カエサルのことも研究して述べてはいけないようです。」ということですが、左様なことは述べていません。Wikipedia:独自研究は載せない#関連する基本方針とガイドラインにももしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。 もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。とあるとおりです。各ライターはそれほど著名ですか?多数派でしょうか?という問題です。そうであるならば他にも同じ主張をしている著名な支持者が見つかるはずなのに、ということを述べているのです。大川慶次郎の著作も引用しているのですから、そのような同様の発言が見つからないことがその論拠です。
  • Wushiさんの質問ですが、上記の回答で左様なことのみを問題としていないことが明らかです。秀逸な記事の選考ににもあるような質と上記の問題です。引用にあるTantalさんがぼさん廉さんの発言に対しては当項目での大川慶次郎の引用(直接関係なし執筆数年後)を問題視していないことでも証明されます。付け加え、Tantalさんへの上記回答を一読してください。
  • なお、具体的に論拠を展開、その影響により記事の改善もなされていますので私の票排除については反対です。--保留の嵐 2008年9月4日 (木) 05:08 (UTC)[返信]

(合意形成の提案) 保留の嵐さんからの回答がありました。私を含む4人から様々な質問や疑問が提起されていましたが、それに対する回答ということになります。私には、相変わらず挙証責任の転換を図ろうとしている点、指針を文脈や全体の趣旨を考えずに独自の解釈を行おうとしているきらいがある点など、従来と変わりない主張に感じられました。そこで、Wikipedia:秀逸な記事の選考#改めて選考の是非にある『条件が満たされた、またはその指摘による改変は必要ではないという合意』の形成を試みたいと思います。今度の提案は実際の行使、つまり合意がなされた場合に保留の嵐さんの保留票を取り消すことを前提にした提案です。改めて、意思表示をお願いします。(なお、大部分は前回に合意形成済みですが、「マーチトウショウの見出しは不要」や「単枠指定に関する記述が必要」といった新たになされた提起された条件もあります)-- 2008年9月2日 (火) 11:41 (UTC)[返信]

Wushiさんのタキトゥスの引用は、Wikipedia:検証可能性に記載されています(多分、誤記)。
それはともかくとしまして、慎重に保留票を排除しないといけないわけですが、「単枠指定」の件に関しては頼むからその記事を読んで理解すべきであると考えます。シンボリルドルフの皐月賞のようにJRAの配慮により、2頭が単枠指定ということであれば、話は理解できますが、オグリキャップに関しては、単に、1頭に人気が集中するから単枠指定を受けた程度のことではないか。ただ、あくまでもこれは私の推論であり、当然、検証可能性に基づいての文章は提示できるわけもなく、JRAの公式見解をどこからか探してこないといけない。とはいえ、単枠指定があったらその都度、単枠指定の説明をJRAがしていたかどうかは不明であるから、オグリの記事にその件を盛り込む必要性は感じないと考えます。
「マーチトウショウ」の件は、旧3歳時のオグリキャップの特色を表わすのに十分だと思います。シンザンのように、OP戦を調教代わりに出て負けた(大川慶次郎はシンザンのOP競走を批判したわけですが)のならともかく、極端な短距離戦では、どんなに強いオグリでも敗戦してしまうという特色を十分に説明しているわけです。したがって、この部分を削除するのは不可解に感じます。これを排除するならば、影におびえたんで(ナリタブライアン)、突風が吹いて(ジェニュイン)、観客席の影が……(デイジュール)といった、その馬の性格、特徴を表わすことが不可能ではないでしょうか。さらに、マーチトウショウの件については、当時騎乗していた原氏のコメントが東方出版編(2005)で記載され、そのコメントも検証可能であるだけに、なおのこと、削除する必要性はないかと思います。
あと、私に対してのコメントを批判するのは自由ですが、私が言いたいのは、「同時代人以外が歴史の事象を述べて当然である」ということであって、保留の嵐さんのコメントを拝読すると、私たちは、どうやら、ガンディーのことも、カエサルのことも研究して述べてはいけないようです。歴史の記事を書くということはそんなに薄っぺらいことでしょうか?
私としては、保留票の排除に賛成ということで、コメントを終えたいと思います。--Tantal 2008年9月2日 (火) 13:10 (UTC)[返信]
(保留票排除に賛成)Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料には
常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。
と書いてあります。私が言及した関口等の著作はこれに該当します(前回の意見で述べた「原稿をあげる時に誤謬が無いかチェックが入るはずです」に該当します)。それでも信頼できないというならばその根拠を示してください。彼等の著作がタブロイドと同等である証拠を示してください。
Tantal氏の発言(2008年8月22日 (金) 14:47 (UTC))「オグリキャップにかかわりがない人間の論評の否定をした場合、根本的に、歴史記事は崩壊する。」、かぼ氏の発言(2008年8月23日 (土) 17:22 (UTC) )「直接関係した者の評価しか載せられていないとすれば、むしろそのほうが問題である。」、廉氏の発言(2008年8月28日 (木) 15:19 (UTC) )「対象が活躍した時代から『数年を経て』執筆された文献を参考にすることがふさわしくないとなれば、対象が存在した時代から数世紀後に書かれた文献を参考にすることもありえる歴史記事はどうなるのでしょうか。根本的な質問ですが、その主張を裏付けるwikipediaの方針はありますか?」という意見に対し、なんら斟酌せず独自の解釈を延々と繰り返すだけの保留の嵐氏の保留票排除に賛成します。--Wushi 2008年9月2日 (火) 14:10 (UTC)[返信]
    • ちょっとお待ちください。今は保留の嵐さんの投票について、質問と回答が継続している状態です。また、2008年9月2日 (火) 14:10 (UTC)の時点ですでに投票者の半数が投票の排除に賛成しています。(今は念のためかぼさんの意見表明を待っています。)勝手な運用はやめてください。-- 2008年9月4日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
      • (コメント)延長規定の導入の経緯をみると、「選考期間の延長の問題」は「特定票の排除を図った場合、ある程度の時間の猶予が必要」という観点から導入されたもので、保留の嵐さんがある管理者に問いかけた際のやりとりにおいても、「この規定を文章の通りに読むと廉さんの判断となるかと」という返答があります。選考期間の明確化については、今後検討する余地はあるかもしれませんが、現時点においては、少なくとも排除が検討されている票を投じた当事者である保留の嵐さん以外の議論参加者の同意なく、選考を終了させることは妥当ではないと考えます。--Ks aka 98 2008年9月4日 (木) 15:51 (UTC)[返信]

(コメント)お返事が遅れました。かぼです。遅れた私が言うのもなんですが、まだ議論の最中であり、選考途中と考えるのが筋と思われます。
まず、マーチトウショウについてですが、マーチトウショウの記述自体を削除することはないと思います。ただ、「マーチトウショウに…」という見出しを立てる必要性がいまひとつはっきりしません。ナリタブライアンの記事ではビワハヤヒデの名を含む節がありますが、これはある程度納得がいきます。ではマーチトウショウはオグリキャップにとってそれほど特筆すべき馬なのでしょうか。マーチトウショウという馬が重要なのか、オグリキャップでも超短距離では負けるということが重要なのか、論点の切り分けが重要と思われます。現状では、目次を見たときにマーチトウショウがオグリ最大のライバルであるかのような印象を受けます。保留の嵐さんの「オグリキャップの誕生以降全体を見渡して見出し強調するほどの重要な事件でしょうか?ということです。読みやすさに関していえば、見出しを削りプレビューしてみましたが特に問題は感じられません。接続詞として「なお」など付ければ適当な編集になるかと思われます。」というコメントに同意します。
次に単枠指定制度の問題です。まず「オグリキャップ」は高度な物理学や哲学用語ではなく、競馬に少しでも興味を持てば誰でも知りたがる単語のひとつです。それに対して単枠指定という17年も前に廃止された制度を「それぐらい知っていて当たり前」は不親切かと思います。その点、ナリタブライアンの選考におけるメギドファイヤーさんの要求とは少し事情が異なるでしょう。オグリの記事で単枠指定について詳らかに説明する必要はないですが、ごく簡単な説明を脚注につけたり、単枠指定制度の記事へのリンクをつけるくらいの配慮はあってよいと思います。むしろ廉さんが強硬に反対される理由が分かりません。
最後に市丸などの著名性についてですが、私は問題ないと思います。ただ、廉さんの「市丸その他の知名度や読者層の大小に問題があるというのであれば、その根拠(比較を除く)を示してください」など一連の挙証責任に関するコメントは、なにか保留の嵐さんを徹底的に論破しようという姿勢が感じられます。いかに優れた記事であったも、よりよい出典(あえて曖昧に「よりよい」としますが)があれば随時置き換えていくべきであると考えます。選考の場において"とりあえず"ライターたちを擁護することに反対はしませんが、仮に秀逸な記事に選ばれてもその点は完璧な記事に近づけるための課題として残ることをどうか忘れないでいただきたいと思います。
ということで、マーチトウショウと単枠指定については改善ないし説明を求めます。ライターの著名性については"とりあえず"秀逸な記事として問題ないという合意形成に賛同するものとします。--かぼ 2008年9月4日 (木) 15:18 (UTC)[返信]
(コメント)かぼさん、ご意見ありがとうございます。投票者のうち半数が同意見ということを重視したいと思います。マーチトウショウについては見出しを取り除き、単枠指定については馬券売り上げ・入場者数の増加の項目に記述を追加しました。出典については今後の課題だということはもちろんだと思います。-- 2008年9月4日 (木) 15:38 (UTC)[返信]
(コメント)迅速な対応に感謝します。保留の嵐さんのご指摘も踏まえつつ、妥当なところで落ち着いたかなと思います。保留の嵐さんにも納得していただければ一番良いのですが、仮に納得いただけなくとも秀逸な記事とすることに異存ありません。--かぼ 2008年9月4日 (木) 15:48 (UTC)--誤字修正かぼ 2008年9月4日 (木) 15:49 (UTC)[返信]

(コメント) 皆様ありがとうございました。改変は加えましたが市丸氏など3氏に関する問題がまだ残っているので、保留の嵐さんにこれでご納得いただけるかどうかはちょっとわかりません。ひとまず合意形成を受けて排除とします。保留の嵐さん、今回の改変について何かコメントがありましたらお願いします。-- 2008年9月4日 (木) 16:04 (UTC)[返信]