Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/第三次イタリア戦争 20170706

第三次イタリア戦争 - ノート 編集

選考終了日時:2017年7月20日 (木) 16:47 (UTC)

  • (自薦)秀逸な記事となっているen:Italian War of 1521–26からの翻訳であり、背景、経過、次のコニャック同盟戦争までのいきさつなどが出典つきで詳しく記述されているため、自薦とさせていただきます。--ネイ会話2017年7月6日 (木) 16:47 (UTC)[返信]
  •   賛成 :--ネイ会話2017年7月6日 (木) 16:47 (UTC)[返信]
  •   賛成 :良質な記事の水準には達しているように思います。--鈴玉会話2017年7月6日 (木) 23:23 (UTC)[返信]
  •   コメント いくつか改良が必要だと思います。現状ではまだ読みづらいです。--Tam0031会話2017年7月10日 (月) 14:43 (UTC)[返信]
    • 冒頭定義節で、ヴェネツィア共和国の大統領を示すドージェという言葉が突然出てきますが、さすがにこれではわかりづらいです。下の方ではリンクがされていますが、こちらでもリンクをして、この言葉を知らない人にわかりやすくしてほしいです。
    • 同じく冒頭定義節「これは後の両国間の同盟の素地になった」とありますが、普通に読めばフランスとオスマン帝国の同盟なのでしょうが、あるいはオスマン帝国が神聖ローマ帝国に最後通牒をした後の何らかの動きで、オスマン帝国と神聖ローマ帝国が同盟したと読めなくもない(間に神聖ローマ帝国という国家名が出てくるため)ので、文章を明確化した方が良いでしょう。
    • 「背景」節、「フランスもイングランドがウルジー枢機卿を起用して野心的外交政策を断行したことが障害になっていた」とありますが、フランス「も」ということは、その前段のルターの宗教改革の動きが、教皇と皇帝にとって障害になっていた、ということで良いのでしょうか。次の皇帝位をめぐって、マクシミリアン1世もフランソワ1世も自身の主張を推すための外交をしていたが、それぞれにとって、宗教改革やイングランドの外交政策が障害になっていた、というような対応関係を明確化するような文章構成が欲しいです。
    • 「教皇レオ10世はスペイン軍がバチカンから60キロのところで待ち構えていたことに怯えてフランスを支持した」は、スペイン軍がいたら普通は、スペインと関連する神聖ローマ帝国を支持しそうに思えるのですが、なぜフランスを支持することになるのでしょう?
    • 「フランスとナバラの連合軍が(中略)ナバラ王国全土に侵攻した」というのは、ナバラがナバラを攻撃? と思って不思議に見えます。エンリケ2世 (ナバラ王)の記事を見て、ナバラはスペイン(アラゴン)の占領下で、ナバラ王がフランスの保護下にあった、とわかりますが、できればこちらでも少し補足したいところです。
    • 「フランスの劣勢」の節、「火縄銃の旧式軍隊に対する優位が再確認された」とありますが、「火縄銃を装備した旧式軍隊」に対する「その他の軍隊」の優位が確認された、とも読めてしまうので、「旧式軍隊に対する火縄銃の優位が再確認された」の方が良いかと思います。
    • 「マドリード条約」の節、「資金捻出のためにヘンリー8世と約束したテューダー家との婚約を破棄し、イザベラ・フォン・ポルトゥガルと結婚した」はわかりづらいです。最低限、資金捻出のために、の後に読点がないと、資金捻出のためのテューダー家との婚約を破棄して、それ以外の結婚をした=資金捻出を諦めた、とも取られかねないでしょう。
  •   返信 コメントありがとうございます。上記のうち、4点目を除いて修正しました。4点目のレオ10世がフランスを支持した理由は、わたしの手持ちの文献では見つからなかったため、代わりに支持した事実だけを書き、出典を追加いたしました。--ネイ会話2017年7月10日 (月) 15:42 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2017年7月14日 (金) 13:48 (UTC)[返信]