デッド・ケネディーズDead Kennedys)は、アメリカ合衆国ハードコア・パンクバンド。カリフォルニア州サンフランシスコ出身。ジェロ・ビアフラの個性的なボーカル、政治的でアナーキーな姿勢、風刺アイロニーに富んだ反体制的な歌詞で人気を博した[1]

デッド・ケネディーズ
Dead Kennedys
ドイツ ニュルンベルク公演(2019年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンフランシスコ
ジャンル
活動期間 1978年 - 1986年
2001年 - 現在
レーベル
公式サイト Dead Kennedys.com
メンバー イースト・ベイ・レイ
クラウス・フローライド
ロン・スキップ・グリアー
旧メンバー ジェロ・ビアフラ
6025
テッド
D. H. ペリグロ
ブランドン・クルーズ
ジェフ・ペナルティ
デイヴ・シェフ
グレッグ・リーヴス

ロカビリーサーフカントリーのルーツを隠さない、時にはロックンロールな、あるいは極めてスピーディーなハードコア・パンクを1stアルバムで演奏した[2]。ミニ・アルバム『イン・ゴッド・ウィ・トラスト,INC.』でハードコア色がさらに強まり、以後のUSハードコア・パンクに影響を与えた。

来歴 編集

 
元ボーカルのジェロ・ビアフラ

結成から解散まで 編集

デッド・ケネディーズは1978年6月、ギタリストのレイ・ペッパーレル(イースト・ベイ・レイ)が出したバンド・メンバー募集広告に集まったメンバーにより結成された。バンドはボーカルのジェロ・ビアフラ、ベーシストのクラウス・フローライド、ドラマーのテッド(ブルース・シュレシンジャー)から成り、当初は「ザ・シャークス」を名乗った。彼らは地元で多くのステージを行い、1979年10月に最初のシングル「カリフォルニア・ユーバー・アレス」をオルタナティブ・テンタクルズからリリースする。彼らは続いて東海岸のツアーを行った。

彼らはデビュー・アルバム『暗殺』のリリースに先立って、ベイ・エリア・ミュージック・アウォーズへの参加を依頼された。またアルバム『Fresh Fruit for Rotting Vegetables』はイギリスのチャートで3位となり、グループ結成25周年の記念CDでは、55分のDVDとメイキング映像が付録として追加された[3]

メンバーの対立 編集

1990年代の終わりに、バンドのメンバーとオルタナティブ・テンタクルズ・レーベルとの契約に問題があることが発見された。メンバーに適切なロイヤルティーをビアフラが支払わなかったとして、レイ、ペリグロおよびフローライドは問題の解決を試みたが、結局は訴訟問題に発展した。ビアフラは敗訴し、他のメンバーへの適切な報酬を支払うこととなった。またバンドの過去のカタログの権利をメンバーに明け渡すことを強いられた。

この論争は関係者全員によって熱く争われた。そして、パンク・ロック界でもニュースとなった。最終的に彼らの関係は気まずくなることになり、2005年現在解決に至っていない。

三人がバンド再結成で「和睦する」ことをジェロ・ビアフラに依頼した時、問題が発生した。ジェロ・ビアフラは彼らがかつて電話をしなかったことで、再結成は問題外であると考えた。

再結成 編集

2001年には、ブランドン・クルーズがビアフラの代わりのボーカリストとしてレイ、ペリグロおよびフローライドと共に活動を始めた(前述のビアフラと他の三名の対立のため)。この新たなバンドはデッド・ケネディーズなのかそれとも単なるトリビュートバンドなのかどうかで多くの議論となった。しかしながら彼らは「デッド・ケネディーズ」の名称同様に、ビアフラを含んだオリジナル・ラインナップと区別するため「DK・ケネディーズ」のバンド名で活動した。多くのプロモーターは不用意に「デッド・ケネディーズ」の名称で広告を行った。再編成グループはアメリカ大陸、ヨーロッパ、アジア、南アメリカ、ロシア、日本でライブツアーを行った。

その後、ボーカリストは交代があり、2003年からジェフ・ペナルティ、2008年からロン・スキップ・グリアーが担当している。

2022年10月、長年在籍したドラマー D. H. ペリグロが事故による急死[4]

メンバー 編集

※2022年10月時点

現ラインナップ 編集

  • イースト・ベイ・レイ (East Bay Ray) – ギター (1978年–1986年、2001年–現在)
  • ロン・スキップ・グリアー (Ron "Skip" Greer) – ボーカル (2008年–現在)
  • クラウス・フローライド (Klaus Flouride) – ベース (1978年–1986年、2001年–2010年、2011年–現在)

旧メンバー 編集

  • ジェロ・ビアフラ (Jello Biafra) – ボーカル (1978年–1986年)
  • 6025 (6025) – ドラムス (1978年)、リズム・ギター (1978年–1979年)
  • テッド (Ted) – ドラムス (1978年–1981年)
  • D. H. ペリグロ (D.H. Peligro) – ドラムス (1981年–1986年、2001年–2008年、2009年–2022年) ♰RIP. 2022
  • ブランドン・クルーズ (Brandon Cruz) – ボーカル (2001年–2003年)
  • ジェフ・ペナルティ (Jeff Penalty) – ボーカル (2003年–2008年)
  • デイヴ・シェフ (Dave Scheff) – ドラムス (2008年)
  • グレッグ・リーヴス (Greg Reeves) – ベース (2010年–2011年)

来日公演 編集

ディスコグラフィ 編集

スタジオ・アルバム 編集

  • 『暗殺』 - Fresh Fruit for Rotting Vegetables (1980年)
  • 『イン・ゴッド・ウィ・トラスト,INC.』 - In God We Trust, Inc. (1981年)
  • 『プラスティック・サージェリー・デザスターズ』 - Plastic Surgery Disasters (1982年)
※上記2枚は後にカップリングされて再発された。
  • 『フランケンクライスト』 - Frankenchrist (1985年)
  • 『民主主義よ永眠なれ』 - Bedtime for Democracy (1986年)

ライブ・アルバム 編集

  • 『ミューティニー・オン・ザ・ベイ~デッド・ケネディーズ・ライヴ』 - Mutiny on the Bay (2001年)
  • 『ライブ・アット・ザ・デフ・クラブ』 - Live at the Deaf Club (2004年)

コンピレーション・アルバム 編集

  • 『ベスト~ギブ・ミー・コンビニエンス・オア・ギブ・ミー・デス』 - Give Me Convenience or Give Me Death (1987年)
  • Milking the Sacred Cow (2007年)
  • Original Singles Collection (2014年)

脚注 編集

  1. ^ 『PUNK ROCK STANDARDS - The Greatest Discs for 30 Years』 TOKYO FM出版、2006年、32頁。
  2. ^ 行川和彦 『パンク・ロック/ハードコア史』 リットー・ミュージック、2007年、32頁。
  3. ^ Dead Kennedys: Fresh Fruit for Rotting Vegetables”. 2020年6月7日閲覧。
  4. ^ デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロが死去”. Barks (2022年10月31日). 2022年10月31日閲覧。
  5. ^ デッケネ初来日!!!
  6. ^ ニューヨーク・ドールズ、デッド・ケネディーズら、パンク・スプリングに出演決定!

関連項目 編集

外部リンク 編集