ピクシーズ

アメリカのロックバンド

ピクシーズ英語: Pixies)は、アメリカ合衆国ロックバンド。1986年に結成され、初期オルタナティヴ・ロックシーンで活躍した。乾いた轟音ギターにボーカルのブラック・フランシスの絶叫が重なったサウンドは、後のインディー・ロックミュージシャンに影響を与えた。

ピクシーズ
カンザスシティにて(2004年10月)
基本情報
別名 ピクシーズ・イン・パノプリー
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト ピクシーズ公式サイト
メンバー
旧メンバー

また、ブラック・フランシスは「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第67位にランクインしている[2]

来歴 編集

1986年マサチューセッツ大学アマースト校を中退したフランシスが、同級生のサンティアゴをバンドに誘う。ドラムとベースを募集するために地元紙に〈ハスカー・ドゥピーター・ポール&マリーが好きなメンバー求む〉と募集広告を掲載したところ、ドラムのラヴァリングと結婚披露式で出会ったディールが来た。ここにピクシーズが完成した。

バンド名は、ギターのジョーイ・サンティアゴが適当に辞書を引いたところが「pixies」だったため。このバンドの正式名称は "Pixies in Panoply"であり、略してPixiesと読んでいる。

デビューの為のデモテープを制作したところ、イギリスのレーベル4ADのオーナー、アイヴォ・ワッツ=ラッセルに気に入られ同レーベルと契約する。バンドはミニアルバムの『カム・オン・ピルグリム』を制作した。このタイトルは、同アルバム内の「レヴァテイト・ミー」 (Levitate Me) の歌詞から取られたものである。このミニアルバム制作直後の1988年に、エンジニアにスティーブ・アルビニを迎え1stフルアルバム『サーファ・ローザ』を制作した。このアルバムでピクシーズは、世界の音楽界で巨大な名声を手に入れた。翌1989年にはギル・ノートンプロデュースの2ndアルバム『ドリトル』をリリース。同アルバム内の「ヒア・カムズ・ユア・マン」と「モンキー・ゴーン・トゥ・ヘヴン」 はイギリスのヒットチャートTop10にランクインし、また北米チャートTop100にもランクインした。1990年にはバンド最大のヒット曲「ディグ・フォー・ファイアー」を収録した3rdアルバム『ボサノバ』を制作した。この頃からメンバー内に軋轢が発生するようになった。この頃にディールは、ブリーダーズを結成する。1991年、4thアルバム『トロンプ・ル・モンド』をリリースしたが、結局これがラストアルバムとなった。

1993年初頭にブラック・フランシスはラジオのインタビューでバンドの解散を発表した。彼はフランク・ブラックに改名してソロアーティストとしてのキャリアをスタートさせた。

2004年にはミネソタで再結成を果たし、フジ・ロック・フェスティバルにも出演した。2010年にはサマーソニックに出演した。

2013年6月14日、バンドのFacebookページにてキム・ディールの脱退が発表された[3]。翌7月1日、新ベーシストにザ・マフスのキム・シャタックを迎えてヨーロッパ・ツアーを行うことが発表された[4]。しかし、バンドは同年11月には早くもシャタックを解雇し[5]、翌12月9日にア・パーフェクト・サークルズワンの元メンバーであるパズ・レンチャンティンをツアーベーシストに迎えて2014年のツアーを行うことを発表した[6]

2014年4月には23年ぶりとなるアルバム『インディ・シンディ』のリリース、SUMMER SONIC 2014への出演。[7]

メンバー 編集

ブラック・フランシス (Black Francis)
ボーカルギター担当。
本名チャールズ・マイケル・キットリッジ・トンプソン四世。ソロ転向時にフランク・ブラック (Frank Black) に改名したが、後に芸名を再びブラック・フランシスに戻した。
ジョーイ・サンティアゴ (Joey Santiago)
ギター担当。
デイヴィッド・ラヴァリング (David Lovering)
ドラムス担当。

元メンバー 編集

キム・ディール (Kim Deal)
ベース、ボーカル担当。2013年6月脱退。
1988年頃まではミセス・ジョン・マーフィー(Mrs. John Murphy)名義。
自身のリーダーバンド、ブリーダーズ (The Breeders) でも活動。
キム・シャタック (Kim Shattuck)
ベース、ボーカル担当。
ザ・マフス (The Muffs) でも活動。
2019年10月2日死去。
パズ・レンチャンティン (Paz Lenchantin)
ベース、ボーカル担当(ツアーメンバー)。
ア・パーフェクト・サークルズワンの元メンバー。
2024年に脱退。脱退についてバンドからの発表は「自身のプロジェクトに専念するため」としているが、本人は解雇されたことを示唆している[8]

評価・音楽性 編集

ブラック・フランシスの歌唱は、その人を食ったような歌詞と相乗し、狂気的でありながらも文学的である。それらの狂気がキム・ディールの可愛げなコーラスと合わさったピクシーズの形容しがたい表情は、アーティスティックなものとして受け入れられ「ヘヴィメタルともロックンロールとも違うギターミュージック」として、多くのフォロワーを生んだ。

フランシスの歌詞の題材になるのは、近親相姦、歪んだ恋慕、殺人キリスト教社会・学歴社会への反発(これらはフランシスの人生と大いに関係している)、死生観、自然観、動物観、などである。

初期の作品はスティーブ・アルビニ録音などの影響でローファイアンダーグラウンド色が強く、剥き出しの音楽を生み出した。その後の作品はギル・ノートンによってプロデュースされ、メジャーシーンに進むにつれて厚いギターが目立つようになったが、その評価はいささかも揺らぐことはなかった。ローリング・ストーン誌のエーラ・バートンは「1990年代以降のギターロックの本山」として、ピクシーズに高い評価を与えている。

ピクシーズに影響を受けたミュージシャンは数多く、ニルヴァーナカート・コバーンU2ボノウィーザーブラーレディオヘッドストロークスアリス・イン・チェインズアーケイド・ファイアペイヴメントPJ ハーヴェイキングス・オブ・レオンなど。 ニルヴァーナの代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はクリス・ノヴォセリックがピクシーズの曲("Debaser"だと言われる)のベースラインを演奏している様子にカート・コバーンがインスピレーションを得て出来た曲だといわれている。

トリビュートアルバムもいくつか作られており、1999年にアメリカでリリースされた"Where Is My Mind? A Tribute to the Pixies"にはウィーザーナダ・サーフリール・ビッグ・フィッシュらが、2000年に日本でリリースされた"Tribute to the Pixies"にはBEAT CRUSADERSPENPALSMO'SOME TONEBENDERNAHTらがそれぞれ参加している。

作品 編集

アルバム 編集

  • カム・オン・ピルグリム - Come on Pilgrim (1987年、EP)
  • サーファー・ローザ - Surfer Rosa (1988年)
  • ドリトル - Doolittle (1989年)
  • ボサノバ - Bossanova (1990年)
  • トゥロンプ・ル・モンド(世界を騙せ) - Trompe le Monde (1991年)ジーザス&メリーチェインの「ヘッド・オン」のカヴァーを収録
  • インディ・シンディ - Indie Cindy (2014年)
  • ヘッド・キャリア - Head Carrier (2016年)
  • ビニース・ジ・エリー - Beneath The Eyrie (2019年)
  • ドガラル - Doggerel (2022年)

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c Erlewine, Stephen Thomas. “Pixies Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. RhythmOne. 2020年11月19日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ Kim Deal Leaves the Pixies”. ローリング・ストーン (2013年6月14日). 2013年7月1日閲覧。
  4. ^ Pixies Add New Bassist Kim Shattuck”. ローリング・ストーン (2013年7月1日). 2013年7月1日閲覧。
  5. ^ Pixies Fired Kim Shattuck Via a Phone Call From Her Manager”. スピン (2013年12月11日). 2013年12月19日閲覧。
  6. ^ Pixies Draw A Perfect Circle's Paz Lenchantin as New Touring Bassist”. スピン (2013年12月9日). 2013年12月19日閲覧。
  7. ^ http://hostess.co.jp/pixies/
  8. ^ ピクシーズ、ベーシストのパズ・レンチャンティンの脱退を発表”. amass (2024年3月5日). 2024年3月5日閲覧。

外部リンク 編集