他力本願(たりきほんがん)

  1. 仏教用語阿弥陀仏本願に頼って成仏すること [1][2][3]浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。#用法1を参照。
  2. 人まかせ、他人依存、成り行き任せの意[1][2]#用法2を参照。

概説 編集

上記の双方の意味とも、『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。

本来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の本来の用法からして誤解である」[4]、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」[2]と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書[5]もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「本来は~」として用法1の意味を解説する辞書[6]もある。

用法1 編集

自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味している[1][2][3]

ここでの「他力」の「他」とは、もっぱら阿弥陀如来を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう[7][8]

「本願」とは、あらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのことであり、人間の欲望を満たすような願いのことではないとされる。

親鸞は「正信偈」にて

彌陀佛本願念佛 邪見憍慢惡衆生 信樂受持甚以難 難中之難無過斯

(訓読) 弥陀仏の本願念仏は 邪見憍慢の悪衆生 信楽[注 1]受持[注 2]すること 甚だ以ってかたし 難の中これに過ぎたるは無し

と述べ、「邪見[注 3]」や「憍慢[注 4]」の心にとりつかれている私たちを「悪衆生」とし、その悪衆生が、本願の念仏を素直に喜び、いただき続けていくことは、「邪見」や「憍慢」が妨げとなり、はなはだ困難であり、困難なことの中でも、最も困難なことであって、これに過ぎた困難はない、つまりこれ以上の困難はないと述べている。そして、「正信偈」の上記部分に続く「依釈段」で七高僧の教えを説き、このような悪衆生たる私たちだからこそ、自らの力による修行によらない、阿弥陀仏の本願による他力の信心が、私たちに差し向けられていて、また本願にかなうとしている[12][13]

用法2 編集

主に、宗教的意味を伴わない文脈で、「ひと任せ」「他人依存」「第三者に任せっきりにして自分の手を一切汚さずに物事を完遂する」「(太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働きなどによる)成り行き任せ」などの意味で使用される。

浄土真宗浄土宗では、これらの意味で「他力本願」の語を用いることは、誤用で誤解であると定義している[14][15][16][17]

キリスト教における「三位一体」同様、現在の日本語の中で、元々の宗教的概念や意味合いとは異なって、使用されることのある用語の一つである。

抗議に至った事例 編集

現在では「用法2」の意味も、国語辞典に掲載される一般的な用法である。しかし、用法2の意味で使った事例に対して、浄土真宗各派から抗議が行われたことがある。以下に、その事例を挙げる。

関連文献 編集

  • 多屋頼俊横超慧日・舟橋一哉 編『仏教学辞典』(新版)法藏館、1995年。ISBN 4-8318-7009-9 
  • 河野法雲、雲山龍珠 監修『真宗辞典』(新装版)法藏館、1994年。ISBN 4-8318-7012-9 
  • 瓜生津隆真、細川行信 編『真宗小事典』(新装版)法藏館、2000年。ISBN 4-8318-7067-6 
  • 古田和弘『正信偈の教え』 上、真宗大谷派宗務所出版部、2008年。ISBN 978-4-8341-0397-7 

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 信楽:「教えを聞いて信じ喜ぶこと、ひたすら信じて疑わず、おのずから心に歓喜が生じることをいう。(中略)浄土教では、弥陀の本願を深く信じて疑わず、救済されんことを願うことをいい(後略)[9]」。
  2. ^ 受持:〈受〉は受領。〈持〉は憶持の意。〈受け持(たも)つ〉と訓戒し、教えを受けて記憶すること[10]
    憶持:記憶して心に持つこと。心に記憶して忘れないこと。翻訳語としては、憶念と同一[11]
    憶念:東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い[11]
  3. ^ 真実に背いたよこしまな考え方。
  4. ^ 自ら思い上がり、他を見下して満足する心。

出典 編集

  1. ^ a b c 『大辞林 第三版』「他力本願」
  2. ^ a b c d 『大辞泉』「他力本願」[要文献特定詳細情報]
  3. ^ a b 『新明解四字熟語辞典』「他力本願」[要文献特定詳細情報]
  4. ^
    世間一般には、自己の主体性を放棄して他人の力だけを当てにしてものごとを成し遂げようとする依存主義・頼他主義に関して用いられることがあるが、これは語の本来の用法からして誤解である。 — 中村元ほか編 『岩波仏教辞典』第二版、岩波書店、2002年10月、p.689「他力本願」。
  5. ^ 『大辞林』第二版「他力本願」。
  6. ^ 他力本願(たりきほんがん)の意味・使い方 - goo四字熟語辞典”. NTTレゾナント. 2018年12月3日閲覧。
  7. ^ 『大辞泉』「他力」。[要文献特定詳細情報]
  8. ^ 『広辞苑』第五版、「他力」。
  9. ^ 中村ほか 2002, p. 565.
  10. ^ 中村ほか 2002, p. 500.
  11. ^ a b 中村ほか 2002, p. 114.
  12. ^ 一楽 2007, pp. 189–190.
  13. ^ 浄土真宗教学編集所 2009, pp. 43–44.
  14. ^ えっ!仏教語だったの?”. 東本願寺. 東本願寺. 2018年12月3日閲覧。
  15. ^ 本多 2009, p. 75.
  16. ^ 坂東 2005, p. 85.
  17. ^ 他力本願の意味とは?|「他力本願-阿弥陀さまにゆだねる- み教えの言葉を学ぶ」より”. 他力本願.net. 2022年4月9日閲覧。
  18. ^ 『朝日新聞』2005年5月28日号。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集