日和山 (仙台市)

仙台市の山

日和山(ひよりやま)は、宮城県仙台市宮城野区蒲生にある標高3 m。1991年から1996年まで[1]、また2014年4月以降、国土地理院により「日本一低い山」と認められている[2]人工的に作られた山であり、自然にできた山として日本一低い山は、徳島県弁天山である。

日和山
被災後の日和山(2014年5月30日)
標高 3 m
所在地 日本の旗 日本 宮城県仙台市宮城野区蒲生
位置
日和山 (仙台市)の位置(日本内)
日和山 (仙台市)
北緯38度15分20.7秒 東経141度0分42.5秒 / 北緯38.255750度 東経141.011806度 / 38.255750; 141.011806座標: 北緯38度15分20.7秒 東経141度0分42.5秒 / 北緯38.255750度 東経141.011806度 / 38.255750; 141.011806
山系 独立峰
種類 築山
プロジェクト 山
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概要 編集

 
日和山から見た蒲生干潟(2005年8月)

仙台市北東端の仙台湾に面した場所にあり、七北田川河口の北側、蒲生干潟の西に位置する。

かつては標高6.05 m、山塊が南北約40 m、東西約20 mあり、数本のマツが植えられ海側への眺めが良く、初日の出の名所ともなっていた。登山道は山塊の南西部に1本整備されており、14段の階段が設置されていた。北麓に、1374年南朝文中3年、北朝応安7年)創建)[3]の川口神社が昭和期に遷宮してきた。

一時、国土地理院の地形図に載っている山としては日本一低い山に認定されたが、大阪市天保山 (4.53 m) が再掲載されたためその地位を譲った[4]。そのため、山頂にある「日本一低い山」と書かれていた案内看板には「元祖」の文字が書き加えられていた。

2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)によって地盤沈下に見舞われ、さらに津波の直撃を受けて蒲生干潟と共に消滅し[5][6]、同時に川口神社も津波で流失した。しかし地元住民がその場所に砂利を積み上げたこともあって、2014年(平成26年)4月、国土地理院による調査により、標高3 mの山として認定された[2]。これにより、18年ぶりに天保山を下回り、「日本一低い山」に返り咲き[2]、同年7月1日には地元有志による「山開き」も行われた[7]

歴史 編集

江戸時代から明治半ばまで流通拠点として賑わった当地は、鉄道の普及によってその地位を失い、半農半漁の集落へと変化した。そのような時代の変化の中で、明治時代に漁師が出漁の際に天候を推測するため(日和るため)、日和山が築かれた。

高度経済成長期に当地の北側に仙台港(仙台新港)[† 1] が建設されると、旧来からの集落の西側の農地は工業・流通地区へと整備されて住民の生活も一変し、日和山が漁師に利用されることはほぼなくなった。その一方で、釣り・サーフィン・乗馬、あるいは、蒲生干潟のバードウォッチング潮干狩りなどで当地を訪れる市民が、日和山を憩いの場として利用するようになった。

関連年表 編集

画像外部リンク
  江戸時代の町蒲生の様子(御舟入堀・御舟溜・蒲生御蔵・高瀬堀 ほか)[8]
  震災前の日和山
1984年 - 1987年の空中写真と現在の地図の透過。
 
1945年(昭和20年)頃の周辺地図。日和山は同図中央下。当時の七北田川河口は日和山よりも北にあったが、現在は日和山より南に流路変更になり、河道跡は蒲生干潟になった。蒲生競馬場は廃止され、高度経済成長期に仙台港が新設されている。
 
山頂の展望台にあった看板(2004年4月29日)
 
南東側から見た日和山と登山道(2004年4月29日)
 
南西側から見た日和山と養魚場。左側の赤い社殿は川口神社(2004年4月29日)
  • 江戸時代の寛文年間(1661年 - 1672年)に、七北田川の河口が現在の七ヶ浜町湊浜から当地に流路変更された。同時に、仙台城城下町とその外港である塩竈松島湾内)とを結ぶ運河系と物流ルートが整備された。すなわち、仙台湾に沿って塩竈と当地との間に「御舟入堀」(現・貞山運河の一部)を開削し、当地の御舟入堀には荷揚げするための御舟溜と蒲生御蔵を設置、そして、蒲生御蔵と七北田川河口部とを繋ぐ高瀬堀を開削し、七北田川をさかのぼった中流には荷揚げするための鶴巻舟溜と鶴巻御蔵を設置、さらに鶴巻御蔵と苦竹との間には御舟曳堀を開削し、苦竹には荷揚げするための苦竹舟溜と苦竹御蔵が設置され、苦竹御蔵からは陸路で塩竃街道(現国道45号)下りの第一宿駅である原町宿に運んで原町御蔵に集荷され、隣接する仙台の城下町に配送するという流通システムである。このルートでは年貢米などが運ばれ、蒲生は重要な流通拠点の1つとなった。
  • 1871年8月29日明治4年7月14日)、廃藩置県が実施されて体制弛緩が起きると、漁業に新規参入する人々が生まれた(当地での状況は不明)。また、廃藩置県によって仙台藩が消滅すると、年貢米の流通拠点としての蒲生の地位は失われ、さらに内陸の御舟曳堀も使用不能になり、当地の舟運は衰退した。
  • 1875年(明治8年)、蒲生に砂糖・塩・ニシンなどを扱う荷物請負問屋が開設された。これにより、塩竈から御舟入堀を舟運で運ぶのは従前と同様ながら、蒲生から仙台までは馬または荷馬車などによって運搬するルートが確立され、蒲生の流通拠点としての地位が復活した。またこの時期、当地に現在の仙台蒲生郵便局の前身が設置された。現在の仙台市域における当時の郵便局の配置は、仙台中心部に一等郵便局、二等・三等がなく、原町長町、蒲生の3か所に四等郵便局が設置されている。これは、1878年明治11年)成立の仙台区に次いで、仙台からの陸羽街道(旧奥州街道、現国道4号)上り第一宿駅でかつ同年名取郡役所が設置された長町、塩竃街道(現・国道45号)下り第一宿駅でかつ同年宮城郡役所が設置された原町と並び、蒲生が重要な交通の要衝であったことを示す[9]
  • 1882年(明治15年)2月、宮城木道社が蒲生御蔵前から仙台区東六番丁(現在の仙台駅東口)まで木道を敷設。これにより、蒲生 - 仙台間の流通は宮城木道社の馬車軌道が中心となる。
  • 1886年(明治19年)
    • 9月21日、宮城郡塩竈村(現塩竈市)にて虎列刺病の蔓延の兆しが見られたことから、県が旅人や貨物の同村回避を求め、翌9月22日には同村と他村との間の交通遮断を命じた[10]。このため塩釜港での貨物揚陸ができなくなり、仙台の外港として蒲生が活用された[10]
    • 10月19日、塩竈村における虎列刺病が終息したため、同村と他村との間の交通遮断が解除された[11]
  • 1887年(明治20年)12月15日日本鉄道本線(現JR東北本線)が仙台駅を経て塩竈駅(後の塩釜線塩釜埠頭駅)まで開業した。これにより、塩竈と仙台とを結ぶ流通ルートの拠点だった蒲生の地位は著しく低下し、宮城木道も廃止となった。
  • 1890年(明治23年)、「官有地取扱措置」が定められて海面の使用が許可制となり、沿岸漁業の発展が始まった。
  • 1909年(明治42年)頃、地元住民により日和山が築かれた[6][12]
  • 1913年大正2年)、地元住民が日和山に土盛りを実施した[12]
  • 1919年(大正8年)、地元住民が日和山に再び土盛りを実施した[12]
  • 1967年(昭和42年)12月、日和山の隣接地で仙台港[† 1] の建設工事開始。
  • 1971年(昭和46年)、仙台港[† 1] 開港。
  • 1972年昭和47年)、山階鳥類研究所が実施している鳥類標識調査農林省から環境庁に所管が移った際、日和山が新たに「鳥類観測ステーション」に指定された[12]
  • 1992年平成4年)
    • 日本地図センター発行の『地図ニュース』(現・月刊地図中心)の4月号 (No. 235) において、国土地理院の職員による独自調査により当山が日本最低峰(標高6.05 m)であるとされ、マスメディアで取り上げられた。ただし、大阪市にある天保山が、いわゆる「山」としての形は成していないとはいえ二等三角点もあり、標高4.5 mで日本最低峰であるとの異説も唱えられた。
    • 7月1日富士山山開きに合わせて、当山でも山開きを行った。
  • 1993年(平成5年)、地形図から天保山の山名が抹消され、当山が地形図に載っている山では日本最低峰となった。
  • 1996年(平成8年)7月1日、地形図に天保山の山名が再掲載されて日本最低峰とみなされるようになったため、当山は「元祖 日本一低い山」と称するようになった。
  • 2006年(平成18年)9月1日、この日より旅の足跡証明書普及会北海道帯広市)が当山の「登頂認定証」の発行を開始した[13]
  • 2011年(平成23年)3月11日、この日発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波により山体が消滅した[5]
  • 2014年(平成26年)
    • 4月、国土地理院による調査により標高3 mの山として認定され、18年ぶりに「日本一低い山」に返り咲いた[2]
    • 7月1日、「日本一低い山」に返り咲いたことを記念して、地元有志による山開きが行われた[7]

周辺 編集

  • 蒲生干潟
  • 仙台港(仙台塩釜港仙台港区)
  • 貞山運河
  • 仙台乗馬倶楽部
  • 丸新養魚場

アクセス 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b c 正式名称は、1971年(昭和46年)より「塩釜港仙台港区」、2001年(平成13年)より「仙台塩釜港仙台港区」。

出典 編集

  1. ^ 日本一低い山再び? 津波で地形一変 仙台・日和山 2014年05月20日 河北新報
  2. ^ a b c d “標高3メートル、日本一低い山に…天保山下回る”. 読売新聞. (2014年4月9日). オリジナルの2014年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140413013717/http://www.yomiuri.co.jp/national/20140409-OYT1T50137.html 2014年4月9日閲覧。 
  3. ^ 同社の説明看板より。[信頼性要検証]
  4. ^ 蒲生・日和山・高砂神社周辺(仙台市「杜の都 緑の名所100選」)
  5. ^ a b 野鳥の楽園、見る影なく 一帯に砂、復元不能か 蒲生干潟河北新報 2011年4月1日
  6. ^ a b 国内で2番目に低い山、3・11の津波で消える読売新聞 2011年9月14日
  7. ^ a b 青柳雄介 (2023年7月17日). “標高3メートル「日本一低い山」に登山客が殺到 東日本大震災から12年後の「山開き」が笑顔に包まれた理由”. 週刊新潮. 2023年7月31日閲覧。
  8. ^ 地元学推進事業(仙台市宮城野区「仙台藩を支えた米の道 蒲生から原町」)
  9. ^ 仙台市史 通史編6「近代I」p.71
  10. ^ a b 「宮城県医師会史(医療編)」宮城県医師会、1975年9月15日、p.497
  11. ^ 「宮城県医師会史(医療編)」宮城県医師会、1975年9月15日、p.502
  12. ^ a b c d 日本一低い山再び? 津波で地形一変 仙台・日和山(河北新報 2014年5月20日)
  13. ^ 元祖日本最低の山「仙台・日和山 登頂認定証」(旅の足跡証明書普及会)
  14. ^ 蒲生干潟自然再生協議会「第5回管理計画検討部会 議事録」 (PDF) (宮城県)

関連項目 編集

外部リンク 編集