アリー・オスマーン・ムハンマド・ターハアラビア語: علي عثمان محمد طه‎, Ali Osman Mohammed Taha, 1944年1月1日 - )はスーダンの政治家、元第一副大統領(1998年 - 2005年、2011年 - 2013年)、元第二副大統領(2005年 - 2011年)、元外務大臣(1995年 - 1998年)。国民会議党の副総裁であり、第二次スーダン内戦の和平交渉にあたり、2005年1月5日スーダン人民解放軍 (SPLA) 指導者ジョン・ガラン包括和平協定を結んだ。

アリ・オスマン・タハ
علي عثمان محمد طه

スーダンの旗 スーダン共和国
第13代 第一副大統領
任期 2011年7月9日2013年12月
元首 オマル・アル=バシール

スーダンの旗 スーダン共和国
第5代 第二副大統領
任期 2005年1月9日 – 2011年7月9日
元首 オマル・アル=バシール

スーダンの旗 スーダン共和国
第10代 第一副大統領
任期 1998年2月 – 2005年1月9日

スーダンの旗 スーダン共和国
外務大臣
任期 1995年 – 1998年

出生 (1944-01-01) 1944年1月1日(80歳)
政党 国民会議

タハはハルツーム大学の法学部出身で、学者として著名となった。私法の分野で活動した後、判事に任命され、1980年代に国会議員として政治に関わりはじめた。

エピソード

編集