ティム・キーフ

アメリカ合衆国の野球選手 (1857-1933)

ティモシー・ジョン・キーフ(Timothy John Keefe、1857年1月1日 - 1933年4月23日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

ティム・キーフ
Tim Keefe
1888年発行の野球カードより
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ケンブリッジ
生年月日 1857年1月1日
没年月日 (1933-04-23) 1933年4月23日(76歳没)
身長
体重
5' 10.5" =約179.1 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1880年4月6日
最終出場 1896年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1964年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ニックネームは"Sir Timothy"(サー・ティモシー)。投手の球種の1つであるチェンジアップを初めて実用した投手とされている。

経歴

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1880年ナショナルリーグトロイ・トロージャンズからデビューし12試合に登板。この年の防御率は後年計算したところ、0.86であった[1]。1882年までトロージャンズでミッキー・ウェルチと先発の二枚看板をなしていた。

1883年アメリカン・アソシエーションニューヨーク・メトロポリタンズに移籍。これは当時メトロポリタンズ、ゴサムズの両方を持っていたオーナーの意向で、ゴサムズの二枚看板であるウェルチとキーフを、それぞれのリーグに振り分けたためである。同年キーフは68試合に登板して41勝27敗、619回を投げてリーグ最多の361の奪三振を記録した。1883年7月4日にはダブルヘッダーに続けて先発し、両方の試合を完封した記録もある。

1884年ワールドシリーズの前身となる年間王者決定戦(ナショナルリーグ、アメリカン・アソシエーションの優勝チームによる5回戦制)に出場し、この年に年間60勝を挙げていたチャールズ・ラドボーンと投げあった。結果は2連敗で、その後彼はそのままそのシリーズの審判を務めている。

1885年、オーナーが利益の低かったメトロポリタンズから再度選手を引き上げ、キーフはニューヨーク・ジャイアンツで再びウェルチのチームメイトとなった。同年は46試合の登板ながら防御率はリーグ最低の1.58を記録する。翌1886年は自身2度目の40勝を記録(42勝20敗)し、1888年にはシーズン19連勝を含む[2]35勝、335奪三振、防御率1.74の記録を残し、投手三冠を手中にした。ジャイアンツ在籍中には自らユニフォームをデザインして、球団に売り込んだこともあったという。1890年、史上2人目となる通算300勝を達成。

1883年から1888年まで6年連続で30勝を上げ、1893年フィラデルフィア・フィリーズで現役を引退。現役最後の年は投手-本塁間の距離が長くなり、今と同じ60フィート6インチ(約18.4m)になっていたが、それでも10勝7敗の成績だった。引退後は1896年まで審判員としてナショナルリーグに関わっていた。

1933年、生まれ故郷のケンブリッジにて逝去。1964年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1880 TRO 12 12 12 0 -- 6 6 0 -- .500 397 105.0 68 0 16 -- -- 39 1 0 27 10 0.86 0.80
1881 45 45 45 4 -- 18 27 0 -- .400 1693 403.0 434 4 83 -- -- 103 13 0 241 145 3.24 1.28
1882 43 42 41 1 -- 17 26 0 -- .395 1588 376.0 367 4 78 -- -- 111 8 0 221 104 2.49 1.18
1883 NYP 68 68 68 5 -- 41 27 0 -- .603 2517 619.0 488 6 108 -- -- 359 27 0 244 166 2.41 0.96
1884 58 58 56 4 -- 37 17 0 -- .685 1950 483.0 380 5 71 -- 15 334 15 0 196 121 2.25 0.93
1885 NYG 46 46 45 7 -- 32 13 0 -- .711 1577 400.0 300 6 102 -- -- 227 35 0 154 70 1.58 1.01
1886 64 64 62 2 -- 42 20 0 -- .677 2173 535.0 479 9 102 -- -- 297 40 0 250 152 2.56 1.09
1887 56 56 54 2 -- 35 19 0 -- .648 1981 476.2 428 11 108 -- 11 189 37 0 256 165 3.12 1.12
1888 51 51 48 8 -- 35 12 0 -- .745 1723 434.1 317 5 90 -- 12 335 21 0 143 84 1.74 0.94
1889 47 45 39 3 -- 28 13 1 -- .683 1563 364.0 319 9 151 -- 18 225 11 0 216 136 3.36 1.29
1890 NYI 30 30 23 1 -- 17 11 0 -- .607 1012 229.0 225 6 89 -- 8 89 12 0 137 86 3.38 1.37
1891 NYG 8 7 4 0 -- 2 5 0 -- .286 265 55.0 70 1 27 -- 4 30 3 0 57 32 5.24 1.76
PHI 11 10 9 0 -- 3 6 1 -- .333 350 78.1 82 2 30 -- 4 34 5 0 55 34 3.91 1.43
'91計 19 17 13 0 -- 5 11 1 -- .313 615 133.1 152 3 57 -- 8 64 8 0 112 66 4.46 1.57
1892 39 38 31 2 -- 19 16 0 -- .543 1330 313.1 279 4 98 -- 13 136 9 0 142 82 2.36 1.20
1893 22 22 17 0 -- 10 7 0 -- .588 822 178.0 202 3 80 -- 13 56 3 0 131 87 4.40 1.58
通算:14年 600 594 554 39 -- 342 225 2 -- .603 20941 5049.2 4438 75 1233 -- 98 2564 240 0 2470 1474 2.63 1.12

獲得タイトル・記録

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脚注

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  1. ^ 内訳は、投球回105.0で自責点10。同年はシーズン83試合の日程だったため、現在の規定に基づくと規定投球回数は83.0回である。
  2. ^ “楽天田中が大記録! 世界初の開幕20連勝達成”. J-CASTニュース. (2013年9月7日). https://www.j-cast.com/2013/09/07183214.html 2020年2月14日閲覧。 
  3. ^ 1883年はアメリカン・アソシエーションでの記録

関連項目

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外部リンク

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