ミネソタ準州(ミネソタじゅんしゅう、英:Minnesota Territory)は、1849年3月3日[1]から、合衆国32番目の州としてミネソタ州となった1858年5月11日[2]まで存在したアメリカ合衆国の自治的領域、すなわち準州である。

ミネソタ準州

アメリカ領土に関する上院委員会の議長であった民主党スティーブン・ダグラスがミネソタ準州を承認する法案を起草した。ダグラスはミシシッピ渓谷上流の将来を思い描いており、この地域が隣接する領土によって切り分けられないように意欲を燃やした。1846年、ダグラスはアイオワ州がその北部境界内にスネリング砦やセントアンソニーの滝を取り込まないようにした。1847年ウィスコンシン州を設立する者達がセントポールやセントアンソニーの滝を含めないようにした[3]1849年3月3日、ミネソタ準州はアイオワ準州ウィスコンシン準州の残りの土地から設立された。

初期の領域はアイオワ準州から切り出され、現在のミネソタ州の領域とミズーリ川東の後にダコタ準州となった領域の大半を含んでいた。また、ウィスコンシン州にならなかったウィスコンシン準州の一部で、アロウヘッド地域を含むミシシッピ川とウィスコンシンの間の領域も含んでいた[4]

準州が創られた時セントポール、セントアンソニー(現在はミネアポリスの一部)およびスティルウォーターの3つの都市があった。準州の主要な施設はこの3都市の間で分けられた。セントポールは準州都、ミネアポリスにはミネソタ大学、スティルウォーターはミネソタ準州刑務所の場所に選ばれた[5]

準州知事

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ホイッグ党のアレクサンダー・ラムジーがミネソタ準州の初代知事となり、民主党のヘンリー・ヘイスティングス・シブリーが合衆国議会に対する準州代議員となって、セントポールとセントアンソニーの人口は脹れ上がった。1853年にシブリーと交替して準州代議員となったヘンリー・M・ライスはミネソタの利益を振興させるよう議会に働きかけた。セントポールとスペリオル湖を結び、セントポールとイリノイ・セントラル鉄道を繋ぐことになる鉄道の建設についてロビー活動を行った[3]

# 知事 就任 離任
1 アレクサンダー・ラムジー   1849年6月1日 1853年5月15日 ホイッグ党
2 ウィリス・アーノルド・ゴーマン   1853年5月15日 1857年4月23日 民主党
3 サミュエル・メダリー   1857年4月23日 1858年5月24日 民主党

脚注

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  1. ^ Timeline of Early Stillwater from the Stillwater Public Library, retrieved 4 July 2007.
  2. ^ See This Day in Minnesota History by the Minnesota Historical Society.
  3. ^ a b Risjord, Norman K. (2005). A Popular History of Minnesota. Saint Paul, MN: Minnesota Historical Society Press. ISBN 0-87351-532-3 
  4. ^ See The Student Page of the Minnesota Secretary of State Archived 2007年7月1日, at the Wayback Machine. for an overview of how Minnesota's state boundaries were determined.
  5. ^ Minnesota History Archived 2007年7月3日, at the Wayback Machine. at the Minnesota State University, Mankato website, retrieved 4 July 2007.

関連項目

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ミネソタ準州100周年記念切手

外部リンク

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