木内宜彦
木内 宜彦(きうち よしひこ、1942年〈昭和17年〉10月25日 - 1988年〈昭和63年〉8月28日)は、日本の法学者。専門は、商法・手形小切手法。中央大学教授在任中に急逝。指導教員は、高窪利一。
人物 編集
1988年、45歳の若さで死去。手形理論において、二段階創造説をとる鈴木竹雄の説に真っ向から挑み、大きな影響力を残しており、木内が長命であったなら手形理論にも相当な影響を与えたであろうと言われている。
学説 編集
木内は、実質的意義の商法について、西原寛一が日本において提唱した商法企業法論に影響をうけつつこれを更に発展させ、商法を近代市民法が予定した「人」の活動として把握することは困難であるとし、現代資本主義社会においては、企業と消費者、大衆投資家・大企業と小企業、元請企業と下請企業との関係において「企業法」として把握して解釈した上で、会社法、手形法を含めた実質的意義の商法を体系化すべきであると主張した[1]。
木内は、手形法学説における 手形理論において、師である高窪が創造説(のうち所有権説)をとっているにもかかわらず、民法理論に忠実な交付契約説を展開する。それは手形が振出人から受取人に渡されることが正常な手形取引の形態だからであり、それを出発点として手形上の権利が発生すると考えるのが企業間取引の実態に合っているからである。創造説のように交付欠缺という異常な事態を、通常の事態と同平面の理論に取り込むことによって救済を図る理論構造には疑問を呈する。手形取引の安全のためには、「企業法」を支配する取引優先の原則に基づいて確立されてきた権利外観理論によって修正すれば足りるとした[2]。
木内は、白地手形と無効手形の区別においては、一転して民法理論に忠実とは言い難い客観説(証券の外形上補充が予定されていれば白地手形とする見解)をとる[3]。これは、「企業法」の見地から白地手形が企業における商慣習として発達してきた事実を直視するものであり、上掲交付契約説をとることと何ら矛盾するものではない。
エピソード 編集
- 数百人が入る大教室で講義する場合、普通は教授は教壇から動かないものだが、木内はワイヤレスマイクを持ったまま教室内を動き回って、学生にマイクを差し出し「君は、どう考える?」と問いかけていた。聞かれたくない学生は教室の後ろの方にすわっていたが、ある日、木内は「今日は後ろの人に聞こう」と言って、後方まで行ってマイクを向けたりした。しかし、学生がとんちんかんなことを言っても、木内は非難めいたことは言わなかった。