本多 健一(ほんだ けんいち、1925年8月23日 - 2011年2月26日)は、日本の電気化学者

本多 健一
(ほんだ けんいち)
生誕 1925年8月23日
日本の旗 日本埼玉県
死没 (2011-02-26) 2011年2月26日(85歳没)
日本の旗 日本東京都
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 電気化学
研究機関 日本放送協会技術研究所
東京大学生産技術研究所
東京大学
京都大学
東京工芸大学
出身校 東京大学工学部卒業、パリ大学博士号取得
博士課程
指導学生
宮坂力
主な業績 本多-藤嶋効果酸化チタン光触媒反応)の発見
主な受賞歴 #受賞参照
プロジェクト:人物伝
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人物

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埼玉県出身。太陽光エネルギーの化学的変換を中心とする光化学・電気化学の研究で名を知られた。特に、酸化チタンを材料とする光触媒、酸化チタン電極と白金電極とを組み合わせた太陽電池を開発した。

また藤嶋昭と共同で開発した、光をエネルギー源として水の電気分解を行う触媒系は「本多-藤嶋効果」と呼ばれる。

1997年文化功労者に選ばれ、1998年には日本学士院会員に選任された。2004年には日本国際賞を受賞している。

祖父は日比谷公園などの設計を手がけ日本の「公園の父」といわれる本多静六

2011年2月26日肺がんのため死去[1]

略歴

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  • 1949年、東京大学工学部卒業
  • 1957年、パリ大学理学博士
  • 1957年、日本放送協会技術研究所
  • 1961年、東京大学工学博士 論文の題は「有機化合物の電解製造およびポーラログラフ的研究 」
  • 1965年、東京大学生産技術研究所講師
  • 1966年、東京大学工学部助教授
  • 1975年、東京大学教授
  • 1983年、京都大学教授
  • 1986年、東京大学名誉教授
  • 1989年、東京工芸大学短期大学部教授
  • 1991年、東京工芸大学短期大学部理事
  • 1994年、東京工芸大学教授、芸術学部長
  • 1996年、東京工芸大学学長(2004年まで)

受賞

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栄典

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記事出典

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  1. ^ 本多健一氏死去=藤嶋氏と「光触媒」発見 時事通信 2011年3月3日閲覧
  2. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年9月2日閲覧。
  3. ^ ジャパンプライズ(Japan Prize/日本国際賞)”. 国際科学技術財団. 2022年9月2日閲覧。
  4. ^ 「95年秋の叙勲 勲三等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊
先代
田丸謙二
日本化学会会長
1990年
次代
田中郁三