いなせ家半七

日本の落語家

いなせ家 半七(いなせや はんしち、1959年3月13日 - 2023年5月11日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身の落語家落語協会所属。本名:国本 貴久出囃子は『昼飯』。

いなせ 半七はんしち
Inaseya Hanshithi
いなせ家(や) 半七(はんしち) Inaseya Hanshithi
中陰光琳蔦(画像は中陰蔦)は、林家彦六一門の定紋である。
本名 国本くにもと 貴久たかひさ
生年月日 1959年3月13日
没年月日 (2023-05-11) 2023年5月11日(64歳没)
出身地 日本の旗 日本大阪府
師匠 五代目春風亭柳朝
春風亭小朝
名跡 1. 春風亭朝吉
(1981年 - 1985年)
2. 春風亭茶々丸
(1985年 - 1996年)
3. いなせ家半七
(1996年 - 2023年)
出囃子 昼飯
活動期間 1981年 - 2023年
所属 落語協会
公式サイト いな・はんの湯屋番日誌

経歴 編集

山口県熊毛郡大和町(現在山口県光市岩田)で育ち、山口県立徳山高等学校卒、成蹊大学法学部政治学科中退後の1980年5月五代目春風亭柳朝に入門。翌年11月に前座になる。高座名は朝吉

1985年3月、二ツ目に昇進、茶々丸に改める。1991年2月、師匠柳朝が亡くなり、兄弟子春風亭勢朝と共に兄弟子春風亭小朝門下に移籍する。

1996年3月に春風亭勢朝三遊亭窓里林家とんでん平柳家さん福橘家蔵之助柳家福治三遊亭らん丈橘家仲蔵と共に真打昇進し、合わせていなせ家半七に改めた。

2003年2月、山口県議会議員選挙(熊毛郡区)に出馬を表明するも、告示前日に入院のため立候補を断念した。

2023年5月11日午前0時40分、膵臓がんのため、死去した。64歳没。同年4月20日の鈴本演芸場の定席が生前最後の寄席出演となった[1]。師である春風亭小朝によれば、同年秋までに寄席の主任を務める予定があったことを明かし「実現できなかったのが心残りです」と悼んでいる[2]

得意ネタ 編集

芸歴 編集

逸話 編集

立川志らくが書いた本の内容に激怒。しかし誤って立川談春に殴りかかってしまう。[要出典]

地下鉄丸ノ内線に乗っているときに十一代目桂文治と鉢合わせた。常に着物姿である文治に対して「いつも着物だから目立つね。」と声をかけたが、半七当人は全身金のスーツを着ていた。

人物 編集

池袋演芸場落語協会特選会で三遊亭吉窓柳家福治と共に「はなし武芸長」という会を開いている。

趣味:温泉巡り

脚注 編集

  1. ^ いなせ家半七 訃報 - 一般社団法人 落語協会 2023年5月16日
  2. ^ 春風亭小朝、一門のいなせ家半七さんの死去報告 トリ計画も「実現できなかったのが心残り」”. 日刊スポーツ (2023年5月4日). 2023年5月4日閲覧。

外部リンク 編集