お父さんはお人好し

日本のラジオドラマ番組

お父さんはお人好し』(おとうさんはおひとよし)は、長沖一原作・作、NHK大阪放送局制作で、NHKラジオ第1で1954年(昭和29年)12月13日から1965年(昭和40年)3月29日まで全500回で放送されたラジオドラマ[1]

お父さんはお人好し
ジャンル ラジオドラマ
放送方式 公開生放送(地方都市ではまれに収録)
放送期間 1954年12月13日 - 1965年3月29日
放送時間 月曜 20:01 - 20:30(30分)
放送回数 500
放送局 NHKラジオ第1放送
パーソナリティ 花菱アチャコミヤコ蝶々
特記事項:
原則としてNHK大阪放送局スタジオでの公開生放送。年数回は地方局のスタジオ、またはホールで公開生放送かまれに収録も行われた。
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アチャコ青春手帖』と並び戦後の花菱アチャコ浪花千栄子の代表作となる上方人情ドラマで、絶大な人気を博して関西喜劇ブームの先駆的な作品となり[1]、映画化もされた。

基本的にはNHK大阪放送局スタジオでの公開生放送だが、年数回全国各地で公開生放送(または収録)がされていた。

概要 編集

昭和27年1952年)1月より放送されていた『アチャコ青春手帖』が昭和29年1954年)3月末に103回で放送終了したあと、アチャコ・浪花コンビを夫婦として、アルフォンス・ドーデの『川船物語』を原作とした『ほろにが物語・波を枕に』というドラマが制作されたが、文芸作品のドラマ化ゆえにあまり人気が出なかったため、「再び明るい笑いを提供したい」とのNHKの意向により、新たなドラマが企画される事になった。

「アチャコ青春手帖」に続いて長沖一が脚本を担当し、数年前に日本で上映されヒットしたアメリカ映画一ダースなら安くなる』を参考に、五男七女の12人を子に持つ夫婦の日常生活の悲喜こもごもを描く一話完結のドラマとした。長沖一の次男である長沖渉によると、「自分の家であった事が、数週間後にドラマ化されていた」[注 1]との事で、身近に起きる出来事をコミカルに描いた事で聴取者の人気を集め、やがて聴取率1位を獲得する人気番組となった。

番組は昭和40年(1965年)3月末まで放送され、全500回で終了した。

あらすじ 編集

キャスト 編集

他多数、NHK大阪放送劇団関西芸術座他、京阪神で活動する複数の劇団の俳優が多く出演。子供たちの名前は、東海道本線の駅名(2021年5月現在東京駅神戸駅)から取られている。

担当アナウンサー 編集

スタッフ 編集

放送日時 編集

1954年12月13日 - 1965年3月29日

月曜日 20:01[注 2] - 20:30

受賞 編集

エピソード 編集

  • アチャコと千栄子は実際の夫婦と勘違いしている人も多かった。地方の公開収録の際も移動の列車の座席が隣同士だったり、ホテル(宿)の部屋が一緒にさせられたりしたこともあった。
  • 当時、大阪の放送番組は、週に3時間半の枠だけ、東京でも放送されていた。その中の1時間を使って放送され、人気を得たのが、『てなもんや三度笠』『番頭はんと丁稚どん』などであった。だが、これらの番組で使われた言葉は、東京向けに手直しされた大阪弁であった。これに対し、『お父さんはお人好し』では手直しはされず、そのままの大阪弁の発音が使われた[3]

舞台劇版 編集

共にNHKのテレビで放送。

作品リスト(舞台劇版) 編集

  1. お父さんはお人好し お父さんのお正月(1958年1月3日
  2. お父さんはお人好し特集 いねむりこっくりの巻(1959年3月1日)

映画版 編集

作品リスト(映画版) 編集

※映画版のキャストはラジオ版のキャストと異なる。

  1. お父さんはお人好し(1955年9月6日、大映映画、監督・斎藤寅次郎、脚本・伏見晃、原作・長沖一)[4]
  2. お父さんはお人好し かくし子騒動(1956年2月11日、大映映画、監督・斎藤寅次郎、脚本・笠原良三、原作・長沖一)[5]
  3. お父さんはお人好し 産児無制限(1956年2月19日、大映映画、監督・斎藤寅次郎、脚本・笠原良三、原作・長沖一)[6]
  4. お父さんはお人好し 優等落第生(1956年5月1日、大映映画、監督・斎藤寅次郎、脚本・笠原良三、原作・長沖一)[7]
  5. お父さんはお人好し 迷い子拾い子(1956年5月18日、大映映画、監督・斎藤寅次郎、脚本・笠原良三、原作・長沖一)[8]
  6. お父さんはお人好し 家に五男七女あり(1958年2月18日、宝塚映画、監督・青柳信雄
  7. お父さんはお人好し 花嫁善哉(1958年3月12日、宝塚映画、監督・青柳信雄)

漫画版 編集

  • 『おとうさんはお人よし きえた花よめの巻』長沖一原作、松沢のぼる絵、集英社、1958年[9]
  • 『おとうさんはお人よし どじょうすくいの巻』長沖一原作、松沢のぼる絵、集英社、1959年[10]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 長沖一が盲腸で手術をした時は、阿茶太郎にも盲腸手術を受けさせ、長沖家が大阪市内から羽曳野市に引っ越した時には、藤本家も大阪府南部に引っ越す演出を行った。
  2. ^ 20:00からの1分間はニュースを放送していたため、放送開始時間が20:01からとなった。

出典 編集

  1. ^ a b c お父さんはお人好し〔123〕”. 放送ライブラリー. 2021年5月5日閲覧。
  2. ^ 『上方放送お笑い史』、122頁
  3. ^ 朝日放送ディレクター・プロデューサー、東阪企画社長澤田隆治。2015年(平成27年)12月19日午前4時台、『ラジオ深夜便』より。
  4. ^ お父さんはお人好し”. 角川映画. 2021年5月5日閲覧。
  5. ^ お父さんはお人好し かくし子騒動”. 角川映画. 2021年5月5日閲覧。
  6. ^ お父さんはお人好し 産児無制限”. 角川映画. 2021年5月5日閲覧。
  7. ^ お父さんはお人好し 優等落第生”. 角川映画. 2021年5月5日閲覧。
  8. ^ お父さんはお人好し 迷い子拾い子”. 角川映画. 2021年5月5日閲覧。
  9. ^ おとうさんはお人よし きえた花よめの巻 - Webcat Plus(2021年5月12日閲覧)
  10. ^ おとうさんはお人よし どじょうすくいの巻 - Webcat Plus(2021年5月12日閲覧)

参考文献 編集

関連項目 編集