読売新聞

讀賣新聞
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

事業者 株式会社読売新聞グループ本社
株式会社読売新聞東京本社
株式会社読売新聞大阪本社
株式会社読売新聞西部本社
本社 東京都中央区銀座6-17-1[1]
大阪府大阪市北区野崎町5-9
福岡県福岡市中央区赤坂1-16-5
代表者 白石興二郎(読売新聞グループ本社社長)
創刊 1874年11月2日(東京)
1952年11月25日(大阪)
1964年9月23日(西部)
言語 日本語
価格 1部 (朝刊)130円
(夕刊)50円
月極 (朝夕刊セット)3,925円
(統合版)3,007円
発行数 (朝刊)約992万部
(夕刊)約346万部
ウェブサイト http://www.yomiuri.co.jp/
駅売店に陳列されている読売新聞を含む販売用新聞各紙
東京・大手町にある読売新聞東京本社(現在建て替え工事中)
読売新聞東京本社が2010年10月から大手町本社建て替えのため仮社屋として使用している旧日産自動車本社ビル(東京・東銀座)
読売新聞中部支社(旧中部本社)
読売新聞大阪本社
読売新聞西部本社

読売新聞(よみうりしんぶん、新聞の題字及び漢字制限前の表記は讀賣新聞英語:Yomiuri Shimbun)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社及び株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。発行部数は朝刊が約992万部[2]、夕刊が約346万部[3](朝刊・日本ABC協会調べ)で、世界最多である(かつてはソ連共産党機関紙プラウダ[4]

歴史

読売争議

読売争議は、ポツダム宣言受諾により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治下にあった敗戦直後の日本で発生した労働争議をさす。間接統治では総司令部から日本政府への命令が覚書、メモ、口述により伝えられた。口頭の場合は命令ではなく示唆であり「するべきではないか」という曖昧さにより伝えられた。

労働争議は労使契約を締結した使用者側と労働者側において労使関係に意見の一致を見ないとき生じる争いで労働組合法において認められた行為になる。敗戦直後の日本は勤労者はいても労働者は一人も存在しなかったし、法律も存在しなかったが現実には12月の時点で509組合38万人が組織され翌年に12,000組合368万人、組織率は41.5%へ膨張していた。

第1次争議

1945年9月13日、読売新聞社の中堅幹部45名が正力松太郎社長へ社内民主化に関する意見書を提出した。

「君の社にはどうしてあんなにたくさんのい社員がいたのか」と正力の巣鴨出所後、友人伊藤忠兵衛が質問したところ、正力は「俺は勤勉に、真面目に社のため働く人間はどんな思想をもっていようと構わない方針だった。赤には新聞記者として有能な人間が多いから、自然、赤い社員ができたのだろう」と答えている
「読売は藤原銀次郎郷誠之助など財界のお歴々がカネをだして匿名組合でやっていた新聞でした。朝日や毎日に比べて記者が少なかったんです。(中略)ほうぼうから記者を引き抜いて強化しました。それで左翼でもはいれたんですが監視するスパイ網はつくっていましたよ」

同年の10月23日、読売新聞社の鈴木東民編集委員他は、東京本社の講堂において全従業員大会を開催した。翌日、従業員代表は正力へ大会にて決定した「社内機構の民主化」「従業員の人格尊重と待遇改善」などを求めた要求事項を書面で提出した。正力は要求を拒否、また社内民主化運動の中心人物であった5名を社内に混乱を生じさせたとして退職を命じた。

正力は徹底した独裁者であり、火の玉のような男である。この意見書を見た彼は果然、激怒をもって一蹴してしまった。普通の対談でも怒号するように聞える彼の話ぶりであるから、怒った時のその語調や態度は容易に想像できる

この結果をうけて従業員側は闘争宣言を発し、鈴木東民を委員長とする闘争委員会を結成した。同月25日、闘争委員会は新聞の生産管理を宣言し、これに従わない編集局長、工務局長の現場よりの退出を求めている。紙面を決定する編集局、新聞を印刷する工務局はここに闘争委員会の管理下におかれた。読売新聞社内部において従業員組合が結成され世間の注目が集まると同時に政治的な色彩が濃くなっていく。

同年の10月10日には府中刑務所を出獄した日本共産党徳田球一、志賀義雄、金天海が熱狂の中で迎えられ、蔵前工業会館では日本全国から戦前の労働組合関係者170名あまりが集まり第一回労働組合再建懇談会が開かれている。22日には朝日新聞の従業員大会において村山長挙社長以下首脳陣が戦争責任をとり退陣すると発表した。

政府は11月2日に労働争議の調停に関する通牒を出して東京都に下駄が預けられた。都は第三者機関として『労働争議調停委員会』に仲裁を任せるために委員を選任したが、これが労働者側から資本家よりの反発を食らう。都は『調停委』の下にさらに『臨時委員会』を設立する。委員長に末弘厳太郎、労働者側の委員に徳田球一聴濤克巳鈴木茂三郎。資本側に鈴木文四郎品川主計田村幸策が選ばれた。12月2日、都庁会議室において世間の注目を浴び第一回の調停委員会が開かれたが双方のラッパの吹き合いが終わって本番となる、五回目の委員会を前にして正力松太郎がA級戦犯指名を受けて巣鴨プリズン収監が決定。経営側と従業員側は12月に調停案に合意した。

第2次争議

「民主読売」の成立は他のマスコミに大きな影響を与え、さらには記者クラブ改革や新しい新聞の発刊にまで波及した。しかし、1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。

1946年6月、馬場はGHQの支援を取り付けた上で、鈴木たち共産党員6名に退社命令をだした。これがきっかけで争議が再発した。GHQ民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を陰ながら応援していたが、この第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。

日本共産党などはこの争議を高く評価しているが、大勢的に見れば冷戦とそれによるGHQの方針転換に大きく振り回された争議と見ることもできる。また、馬場のイメージもあまり芳しくないが、馬場サイドから見ればGHQの方針転換に忠実に従ったまでのことであり、鈴木がそれを見抜けなかっただけだという見方もある。この争議の混乱が尾を引いて読売は社の体力が大きく疲弊。読売の民間ラジオ局「読売放送」の構想が挫折した(後にラジオ東京の前身の一つとなった)。

組織

社会部

読売新聞は、かつて立松和博本田靖春(東京本社)、黒田清大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。とりわけ大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すことはなかった。渡邉の意を呈した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている[要出典]

この行動は読売新聞の論説体系の統一の観点からはやむを得ないものではあるが、一方で従来の「保守的なリベラル」というバランスに立脚した論説体系を捨てたともされる

医療情報部

読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。

紙面・論調・歴史

現在の論調は、概ね中道右派親米保守である[12]大衆主義とも評される[13]

大垣藩士・子安峻佐賀藩士・本野盛亨柴田昌吉らの創業した読売新聞は、「文学新聞」として知られ、明治初期、日本最大の発行部数を誇った[要出典]。明治中期以降、部数が衰えた読売新聞は、1919年白虹事件によって東京朝日を退社した松山忠二郎たちをむかえ、「大正デモクラシー梁山泊」として、プロレタリア文学などの発表の場となるとともに、政治・経済の硬派記事を加え、部数も3万部から13万部に急伸させた。1923年関東大震災の襲来にともない経営不振に陥った読売新聞は、正力松太郎の手に委ねられる。

正力は、品川主計、小林吉政などの警察官僚を積極的に経営・販売に迎え入れ、「警察新聞」化をすすめる一方、アメリカのハースト系新聞社のイエロージャーナリズムにならい、警察ネタとセンセーショナルな記事を結合させる独自の紙面作りを推し進めた。とくに、暗黒街の取材に関しては他紙の追随を許さず、戦後は、原四郎社会部長の下、読売「社会部王国」を築き、「読売の在野精神」とよばれ、「庶民感覚」に根ざしたリベラルな論調を展開した。これは、絶対的な権力をもつ社長・社主の正力松太郎自身、自民党の政治家でありながら、社論に容喙することが少なく、また「販売の鬼」「販売の神様」と呼ばれた後任社長務臺光雄も、新聞の心臓部である編集に口を差し挟まなかったことが大きい[14]

1979年渡邉恒雄の論説委員長就任以降、紙面の編集方針や論調は右派保守主義となった。現在は基本的に自民党支持、改憲支持、日本経団連支持、新自由主義経済改革支持である。その一方、「大連立構想」以降の社説等で見られるように民主党など中道左派・左派系の政治勢力や、左派系の考え方が強い労働組合、平和運動、正力松太郎が深く関与した日本への原子力発電に相反する反核・反原発運動などへの論調は厳しいものが多い。しかし、民主党「も」政権に参加する「大連立」には積極的である[15]という側面もある。そのためか、民主党については、方向が違うために批判する場合だけでなく、税制改革[16]のように基本的な方向は現在の民主党主流派と一緒だが程度の違いがあるための批判という場合もある。その他に、主筆・渡邉恒雄が戦争経験者であるため、特に靖国神社(特に遊就館)における歴史認識には批判的で、小泉純一郎靖国参拝には反対した[要出典]

政府の政策に関し、政策分野によっては(憲法改正問題、防衛政策など)、社の見解(社論)を明確に打ち出すのが特徴である[要出典]。他方、不得意な政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどであることも特徴である[17]

5大全国紙中で唯一の人生相談コーナー「人生案内」を紙面に持っている。また教育面は早稲田大学と提携[要出典]

一方、全国紙では唯一、週刊誌を発行していない(週刊読売→読売ウイークリーがあったが2008年、販売不振で休刊)。

読売新聞の読者層について、木村雅文大阪商業大学JGSS研究センターの調査をもとに、「日経や朝日と比べて高卒(新制)の割合、ブルーカラーの割合、非正社員の割合が多い」としている。これら学歴、職業を反映して読者世帯の平均年収は、毎日と並んで、日経、朝日、産経に次ぐとしている(いずれも木村、2004[1])。

Jリーグのチーム表記問題

他メディアに対する姿勢

注目を集めた報道・スクープ

疑義が持たれた報道・スキャンダル

不祥事

マスコットキャラクター

どれどれ

「どれどれ」の特長
その他

田村ゆかりのいたずら黒うさぎ内で、田村ゆかりがどれどれをよむよむと言い間違える事態があった(ちなみにyom yomは新潮社の文庫判雑誌である)。

だっち君

読売新聞とプロ野球

日本のプロ野球ファンの中で最も数が多い巨人ファンから見ると、読売新聞を巨人軍の「親会社」と考える者は多くても、巨人軍を読売新聞の「グループ企業」と見る向きは少ない[要出典]。そのため、巨人軍に「読売」色が全面に出るのを嫌う人達も少なくない(むろん、巨人ファンの大多数が読売新聞の読者というわけでも、あるいは読売新聞の論調を支持しているわけでもなく、あくまで巨人軍という球団のファンであるに過ぎない)。また、読売ジャイアンツの通称としては「巨人」がマスコミも含め一般に浸透しており、「読売」と呼称するのはむしろアンチ巨人の立場のファンに多く見られる。

キャッチコピー

CM日本テレビ系列の放送局を中心に放送されているが、関東地区ではTBSフジテレビテレビ東京でも放送される場合がある。また、オリンピック中継の際は読売新聞が日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーである関係でテレビ朝日系列でも放送される。2009年には正月限定でソフトバンクの白戸家とタイアップしたCMを放送した。

掲載四コマ漫画

発行所

読売新聞大阪本社東館(編集・制作・印刷部門が入居)

印刷工場

各社の担当地域

株式会社読売新聞東京本社
青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県新潟県山梨県長野県及び静岡県
株式会社読売新聞東京本社北海道支社
北海道
株式会社読売新聞東京本社北陸支社
富山県及び石川県
株式会社読売新聞東京本社中部支社
岐阜県愛知県及び三重県名張市伊賀市以外)
株式会社読売新聞大阪本社
福井県、三重県(名張市伊賀市及び南牟婁郡御浜町紀宝町の一部)、滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県鳥取県島根県岡山県広島県徳島県香川県愛媛県及び高知県
株式会社読売新聞西部本社
山口県福岡県佐賀県長崎県熊本県大分県宮崎県鹿児島県及び沖縄県

海外取材網

ヨーロッパ
  • ロンドン(欧州総局)
  • パリ
  • ブリュッセル
  • ジュネーブ
  • ベルリン
  • フランクフルト
  • ローマ
  • ウィーン
  • モスクワ
  • プラハ
  • アテネ
北米・中南米
  • ワシントン(アメリカ総局)
  • ニューヨーク
  • ロサンゼルス
  • メキシコ
  • ハバナ
  • リオデジャネイロ
東アジア
  • 北京(中国総局)
  • 上海
  • 瀋陽
  • 香港
  • 台北
  • ソウル
東南アジア
  • バンコク(アジア総局)
  • マニラ
  • シンガポール
  • ジャカルタ
オセアニア
  • シドニー
南西アジア
  • ニューデリー
  • イスラマバード
中東
  • カイロ
  • エルサレム
  • テヘラン
  • イスタンブル
アフリカ
  • ヨハネスブルク

朝夕刊の別

北海道石狩管内上川管内空知管内後志管内胆振管内日高管内)、茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県山梨県静岡県富山県石川県滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県山口県福岡県大分県沖縄県では、一部地域を除いて朝夕刊セット。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独である。

なお、静岡県向けの夕刊及び、西部地方向け朝刊に限っては社内事情により、中部支社管内の清須工場で印刷しトラック輸送している(こちらを参照のこと)。

また、沖縄県では東京本社発行版と西部本社発行版が朝夕刊とも空輸で送られ、お昼過ぎから翌朝にかけて配達されている。

さらに、西部本社管轄で統合版地域の佐賀県では、佐賀市中心部と鳥栖市三養基郡基山町の一部で夕刊も沖縄を除く上記地域と同じ時間に配達されている他、JR佐賀駅鳥栖駅新鳥栖駅キヨスクでは夕刊も販売されている。佐賀県と同じ統合版地域の熊本県鹿児島県でも、JR熊本駅鹿児島中央駅のキヨスクで夕刊早版が販売されている他、大阪本社管轄で統合版地域の岡山県でも、JR岡山駅のキヨスクで夕刊早版が販売されている(岡山・熊本・鹿児島3県とも宅配及び番組表の差し替えはなし)。

縮刷版

読売新聞の縮刷版は1958年9月号より刊行されており、毎月下旬に発売している。一か月分(東京本社発行最終版=東京23区内版)の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の本にして発行。全国の図書館などで閲覧することができる。

書籍の他、CD-ROMによる読売新聞縮刷版も毎月下旬に発売されている。

日本図書センターより1945年から1948年までの「讀賣報知」「讀賣新聞」紙面の復刻縮刷版が全8巻で刊行されている。

また、通常の縮刷版とは別に、重大事件・事故・災害が起こった際に、関連ニュースを中心とした「特別縮刷版」を発行する場合もある。例を挙げると、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際は、1月17日付号外から2月17日付夕刊まで、普段は縮刷版を発行していない大阪本社発行の最終版紙面からの重要記事を一冊の本にまとめた「大阪読売特別縮刷版 阪神大震災」を発行した。また、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際は、3月11日付号外から4月11日付夕刊までの紙面(いずれも東京最終版)からの重要記事を一冊の本にまとめた「読売新聞特別縮刷版 東日本大震災1か月の記録」(ISBN 978-4643110067)を発行している。

販売店

新聞販売店の愛称は「YC」。これは「Yomiuri Center」の略称で、それまでは東京、中部、西部各本社(中部は現在支社格下げ)の管轄地域は「YSC」(Yomiuri Service Center)、大阪本社管轄地域のみ「読売IC」(Yomiuri Information Center)といっていたのを2000年の創刊125周年達成を機に統合した。近年では新聞の販売のみではなく、YCによる地域に特化した情報を提供する「ヨミパラ」のような試みも見られる。

備考

在籍していた著名人

著名な記者

読売グループの企業・団体

読売新聞グループ本社の支配下にある放送事業者

ここでは、放送局の開設の根本的基準(昭和25年電波監理委員会規則第21号)第9条(いわゆるマスメディア集中排除原則)に於いて「支配」に当たる10%を超える議決権を読売新聞の持株会社である株式会社読売新聞グループ本社が有しているものとして総務省のウェブサイトに於いて公表されている放送事業者を挙げた。

海外特約メディア

脚注

  1. ^ a b c 東京本社建替え工事に伴う暫定的な本社。2010年10月1日より2014年(予定)まで。登記上の本社は東京都千代田区大手町1丁目7番1号北緯35度41分14秒 東経139度45分51.1秒 / 北緯35.68722度 東経139.764194度 / 35.68722; 139.764194である。
  2. ^ 読売新聞広告ガイド
  3. ^ 全国紙の朝・夕刊別販売部数
  4. ^ ギネスブックにはHighest Daily Newspaper Circulationで、朝刊と夕刊をあわせて2002年に1432万3781部を発行したと記されている。
  5. ^ 社長就任前は、横浜税関の翻訳官を務め、『横浜毎日新聞』の記者でもあった。
  6. ^ 1904(明治37)年5月7日 電報通信 【『読売新聞百二十年史』(読売新聞社, 1994)掲載】、実業史研究情報センター(公益財団法人渋沢栄一記念財団)、2009年5月7日。
  7. ^ 報道協定を参照
  8. ^ 夕刊のスクリーントーンは夕刊創刊時~1992年ごろまでは東京・西部の両本社版のみで、バックに灰色と白の縦じまを入れていたものであった。1993年にカラー化が本格的に進むと、大阪本社版を含めて夜をイメージする薄い青紫色に白の縦じまを入れたトーンが採用された。題字へのトーン廃止後は発行所(札幌、東京、高岡、名古屋、大阪、福岡)を記載する欄にトーンの配置を変更。朝刊は黄土色、夕刊は薄い青紫色のバックを使っている
  9. ^ 読売新聞とウォール・ストリート・ジャーナル紙が提携読売新聞、2009-02-27閲覧。
  10. ^ 2009年5月31日付までは西部本社管轄の北九州工場で印刷されていたが、輸送上の問題から大阪本社管轄の尾道工場の印刷に切り替えた。
  11. ^ 読売新聞のニュースリリースより
  12. ^ 伊藤元重ゼミ
  13. ^ 現代日本の新聞の読者層
  14. ^ a b 佐野真一 1994, p. 137
  15. ^ 2007年11月3日付社説。なお、毎日新聞は同日付の社説で大連立を批判している。
  16. ^ 読売新聞2010年12月17日付社説。
  17. ^ a b c d 魚住昭 2000
  18. ^ 実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いたこともあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。
  19. ^ a b 「ツイッター大臣」批判の読売記事 フリージャーナリストらから反論続出
  20. ^ 読売新聞広報部・渡辺会長へ節度ある取材を
  21. ^ a b c 菊池賞受賞者一覧
  22. ^ a b c d e f g h i j k l 新聞協会賞受賞作
  23. ^ 『現代新聞批判』1938年9月15日
  24. ^ a b 『現代新聞批判』1941年10月1日
  25. ^ 『週刊実話』2012年2月2日号
  26. ^ 中山典之『昭和囲碁風雲録(下)』岩波書店、2003年
  27. ^ a b 後藤文康『誤報―新聞報道の死角』岩波新書、1996年
  28. ^ http://d.hatena.ne.jp/eichi44/20090628/p1
  29. ^ SAPIO』 2009年11月11日号 p.12
  30. ^ イラク大量破壊兵器、開発計画なし…米最終報告
  31. ^ J-CASTニュース 「アサヒ・サッポロ経営統合提案」報道を両社否定
  32. ^ ロイター アサヒのサッポロへの経営統合提案、両社とも「事実ない」と否定
  33. ^ 読売の挿絵に著作権侵害の疑い 高知新聞などに謝罪
  34. ^ 読売記者、ネット情報だけで記事 休職1カ月処分 金沢
  35. ^ 読売新聞記者が記事を捏造
  36. ^ 「小沢報道~記者クラブよ、この《疑惑報道》を謝罪訂正しないのか?」『週刊ポスト』2012年4月20日
  37. ^ 読売記者が中国新聞盗用 野球コラム酷似、謝罪
  38. ^ 読売記者が記事盗用 中国新聞のプロ野球コラム
  39. ^ 読売記者の記事盗用は8本=諭旨退職など社内処分
  40. ^ 大手マス・メディアの信用を毀損する読売新聞の世論調査記事JANJAN2009年7月24日
  41. ^ 「小沢報道~記者クラブよ、この《疑惑報道》を謝罪訂正しないのか?」『週刊ポスト』2012年4月20日
  42. ^ 赤っ恥!!日経、読売大誤報
  43. ^ 「小沢報道~記者クラブよ、この《疑惑報道》を謝罪訂正しないのか?」『週刊ポスト』2012年4月20日
  44. ^ 東電社長に築舘氏…赤字1・5兆、清水氏引責
  45. ^ 東電、赤字1兆2千億円…社長は西沢常務が昇格
  46. ^ 小沢氏側近の山岡氏が初入閣、鹿野農相は再任
  47. ^ 誤算の「岡田玉突き」=藤井氏の説得不調-閣僚人事時事通信社
  48. ^ 巨人・新人契約金「超過」読売新聞が朝日新聞に「もっと取材しろよ!」『J-CASTテレビウォッチ』2012年3月15日
  49. ^ 「海外取材までして警視庁『2ちゃんねる潰し』を応援する読売の見識」『週刊ポスト』2012年4月13日号
  50. ^ 朝日からウィキペディア修正820件! 厚労省の8倍の仰天事実 - Jcastニュース2007/9/12
  51. ^ 裁判員に読売新聞が取材 裁判員法に抵触のおそれ
  52. ^ 裁判員法:抵触か 奈良の裁判員に読売記者が取材
  53. ^ 地裁所長、読売新聞に抗議=裁判員取材の記事掲載問題―奈良
  54. ^ 裁判員を取材 読売新聞に抗議
  55. ^ 読売に地裁が抗議文 裁判員取材「誠に遺憾」
  56. ^ 裁判員取材の読売新聞に奈良地裁が抗議
  57. ^ 「読売新聞1面に期待していたのに」 巨人の「お家騒動」ほぼ無視でガッカリ
  58. ^ 十勝毎日新聞の工場にて印刷。
  59. ^ 朝日プリンテック船橋工場にて印刷。
  60. ^ 新潟日報社の本社内にある印刷センターにて印刷。
  61. ^ 北日本新聞・創造の森 越中座」にて印刷。2011年3月21日に、それまで高岡工場(北陸支社内)で印刷していた石川富山両県発行分の印刷を引き継いだ(それと同時に最終面左下隅での表記も「北陸」から「富山」に変更となった)。

参考文献

関連項目

外部リンク