アンドレア・ストラマッチョーニ

イタリアのサッカー監督

アンドレア・ストラマッチョーニAndrea Stramaccioni1976年1月9日 - )はイタリアローマ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現アル・ガラファ監督。

アンドレア・ストラマッチョーニ
2019年のストラマッチョーニ
名前
ラテン文字 Andrea STRAMACCIONI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1976-01-09) 1976年1月9日(48歳)
出身地 ローマ
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995 イタリアの旗 ボローニャ 0 (0)
監督歴
2012-2013 イタリアの旗 インテル
2014-2015 イタリアの旗 ウディネーゼ
2015-2016 ギリシャの旗 パナシナイコス
2017-2018 チェコの旗 スパルタ・プラハ
2019 イランの旗 エステグラルFC
2021- カタールの旗 アル・ガラファ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

現役時代のポジションはディフェンダー。ロムレアの下部組織で育ち、1990年にボローニャのプリマベーラに移籍する。1994年、イタリア国内の若手が集うトーナメントトルネオ・チッタ・ディ・ヴィニョーライタリア語版では最優秀選手賞に輝き、将来を嘱望された[1]。しかし同年にプロ契約を結ぶ直前、セリエCコッパ・イタリア、エンポリ戦に出場するも、試合中に相手選手と衝突。右膝半月板と靱帯に大ケガを負い、選手生命を絶たれた。

約6年間のブランクを経た2000年USラティーナ・カルチョ下部組織で指導者としてのキャリアをスタートさせる。ASローマの下部組織では6年間在籍し、その間に3つの異なるカテゴリーを指導して2度の優勝に導いた[2]

これらの成功によってローマは育成部門の最上位、プリマベーラの監督への昇格を検討したが、クラブはアルベルト・デ・ロッシ(ローマMFダニエレ・デ・ロッシの父親)を続投させた。

2011年インテルプリマヴェーラの監督に就任。2012年3月25日、U-19世代のチャンピオンズリーグに相当するNextGen シリーズの決勝でアヤックス・アムステルダムを下して優勝[3]

その翌日の3月26日、成績不振により解任されたクラウディオ・ラニエリの後任として、トップチームの監督に電撃的に昇格した[4]

就任後の9試合で5勝2分け2敗とチームの建て直しに成功すると、翌年のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した[5]マッシモ・モラッティ会長がミラノダービーでの勝利を評価したこともあり[6]、シーズン終了後に契約を更新し、2015年までの3年契約を結んだ[7]

2012-13シーズンは序盤はユヴェントスの無敗記録を49で止めるなど順調だったが、負傷者続出などもあり最終順位は9位という成績に終わった。シーズン終了後、解任が決定した。

2014-15シーズンからは、フランチェスコ・グイドリンが退任したウディネーゼ・カルチョの監督に就任することとなった。チームは16位と低迷し、シーズン終了後に解任された。

2015年11月8日パナシナイコスFCと2年半の契約を交わし監督に就任[8]11月22日に行われたオリンピアコスとのギリシャ・ダービーで初めて指揮を執った。

2017年5月28日、ACスパルタ・プラハの監督に就任した[9]チェコ1部リーグで外国人が監督を務めるのはこれが4人目となった。2018年3月6日、成績不振によって解任された。

指導歴 編集

監督としての成績 編集

クラブ 就任日 退任日 記録
試合 勝率 %
インテル 2012年3月28日 2013年5月24日 65 31 11 23 047.69
ウディネーゼ 2014年6月4日 2015年6月1日 42 12 13 17 028.57
パナシナイコス 2015年11月8日 2016年12月1日 52 22 14 16 042.31
168 69 39 60 041.07

タイトル 編集

指導者時代 編集

インテルナツィオナーレ・ミラノ

脚注 編集

外部リンク 編集