ウジェーヌ・ギヨーム(Jean-Baptiste Claude Eugène Guillaume、1822年7月4日 - 1905年3月1日)はフランスの彫刻家、美術評論家である。

ウジェーヌ・ギヨーム
Eugène Guillaume
誕生日 1822年7月4日
出生地 フランス,モンバール
死没年 1905年3月1日
死没地 イタリア,ローマ
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略歴 編集

コート=ドール県モンバールで生まれた。ディジョンの美術学校で学んだ後、1841年からパリのエコール・デ・ボザールで画家のジャン=フランソワ・ミレーや彫刻家のピエール=ジュール・カヴァリエ、ルイ=エルネスト・バリアスに学んだ。1845年にローマ賞を受賞し、ローマに留学した。

1850年代に制作した、アナクレオン像やパリのサント・クロチルド聖堂のレリーフをはじめ、フランス各地に多くの記念碑を制作した。

1864年に、エコール・デ・ボザールの校長になり、1878年から1879年はエコール・ポリテクニークの校長を務めた[1]。1882年にコレージュ・ド・フランスの教授になった。1891年から1904年の間は在ローマ・フランス・アカデミーの校長を務めた。ギヨームの教えた著名な彫刻家には、アルフレッド・ルノワール(Alfred Lenoir: 1850-1920)がいる。

美術史に関する著書も執筆した。

 
アトリエ。1885年頃から1890年頃

1869年にイギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの名誉会員に選ばれ[2]、1898年にオマール公アンリ・ドルレアンの後任としてアカデミー・フランセーズの会員(席次21)に選ばれた(ウジェーヌ・ギヨームの後任はエティエンヌ・ラミー英語版)。1900年にレジオンドヌール勲章(グランクロワ)を受勲した。

ローマで没した

作品 編集

著作 編集

  • Études d’art antique et moderne. Perrin, Paris 1888.
  • Essais sur la théorie du dessin et de quelques parties des arts. Perrin, Paris 1896. (Online).
  • Études sur l’histoire de l’art. Le Panthéon d’Agrippa, les ruines de Palmyre, Dante considéré comme artiste, Apollon, Bacchus, Cérès, le costume, la coiffure, les bijoux, barbare, captif. Perrin, Paris 1900.

脚注 編集

  1. ^ cths.fr.
  2. ^ List of Honorary Foreign Academicians, 1868–1904. In: J. E. Hodgson, Fred. A. Eaton: The Royal Academy and its Members 1768–1830. Scribner, New York; Murray, London 1905, S. 359. (Textarchiv – Internet Archive).

参考文献 編集

  • Hans Vollmer: Guillaume, Eugène (Jean-Bapt. Claude Eug.). In: Ulrich Thieme, Fred. C. Willis (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 15: Gresse–Hanselmann. E. A. Seemann, Leipzig 1922, S. 298–299 (Textarchiv – Internet Archive).

関連項目 編集

前任
アンリ・ドルレアン (オマール公)
アカデミー・フランセーズ
席次21

第11代:1898年 - 1905年
後任
エティエンヌ・ラミー