エレクトリック・シネマ (ノッティング・ヒル)


エレクトリック・シネマ(The Electric Cinema)はイギリスロンドンノッティング・ヒルにある映画館。イギリスに現存する映画館では最古の部類に属する[1]イギリス指定建造物において特別に重要な建造物を指すグレード「2*級」に指定されている。

エレクトリック・シネマ
The Electric Cinema
エレクトリック・シネマ (2009年)
地図
概要
住所 ポートベロー・ロード英語版191
ロンドン
イギリスの旗 イギリス
座標 北緯51度30分56秒 西経0度12分18秒 / 北緯51.5155度 西経0.2050度 / 51.5155; -0.2050座標: 北緯51度30分56秒 西経0度12分18秒 / 北緯51.5155度 西経0.2050度 / 51.5155; -0.2050
経営者 ソーホー・ハウス英語版
文化財指定 イギリス指定建造物 - 2*級
種類 映画館
座席数 83
現用途 映画館
建設
開業 1910年2月24日
閉鎖 1993年 (2001年再開)
設計者 ジェラルド・セイモア・バレンティン英語版
ウェブサイト
オフィシャルサイト
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歴史 編集

建造 編集

ロンドンのエレクトリック・シネマは、建築家ジェラルド・セイモア・バレンティン英語版が設計したエドワード朝バロック英語版様式の建造物である。600席の映画館として1910年2月24日ポートベロー・ロード英語版にオープンした[2]バーミンガムにある同名のエレクトリック・シネマ英語版より約2ヶ月遅れての完成であった。映画館としてだけでなく、電気供給された建造物としてもイギリス最初期のひとつである[3]。1911年2月23日の『ヘンリー8世』が初演となった。トーキーが登場する18年前の完成だったため当初は音響設備がなかった[3]。 1930年代以降の大規模ピクチュア・パレス興隆により存在意義は薄れたが、ごく短期間を除いて今日まで営業を続けている[4][5]

斜陽 編集

第一次世界大戦のさ中、エレクトリック・シネマは群衆に襲撃されたことがあった。近隣のアランデル・ガーデンズ英語版ドイツツェッペリン飛行船から爆撃を受けたのは、ドイツ帰化人のエレクトリック・シネマ支配人が屋根から飛行船を誘導したためだと信じ込んでの行動であった[6]。 1932年、エレクトリック・シネマ改め「帝国劇場」(Imperial Playhouse)に名称が変わった。地域民は「虫食い穴」というニックネームで呼んだ[7]。この頃ポートベロー・ロードを含むノッティング・ヒル一帯はすっかり寂れていた。 第二次世界大戦中、日夜ドイツ軍による空襲が続くのをよそに毎週4000人程の観客が訪れた[8]。1940年代後半、悪名高き連続殺人鬼ジョン・クリスティ]はエレクトリック・シネマで映写技師として働いていたと噂された。クリスティを描いた映画『10番街の殺人』のタイトルにもなった彼の住居「リリントン・プレイス10番地」はまさに目と鼻の先であった[9]。 1960年代、名称はエレクトリック・シネマ・クラブとなり、主にインディペンデント系の小作品や前衛映画が上映された。1984年、当時のオーナーメインライン映画が廃業と骨董市場への転用を画策したが、オードリー・ヘプバーンアンソニー・ホプキンスを含む1万以上の反対署名が集まった[8]。その後経営悪化により度々閉鎖と再開を繰り返し、遂に1993年完全に営業を終了した。

復興 編集

 
エレクトリック・シネマの内部(2013年5月)

1990年代後半、エレクトリック・シネマを入手した地元の建築会社ヨーロピアン・エステートと建築家ゲブラー・トゥースは4年間再建策を練り、2001年快適なエアコンとトイレを完備しレストランを併設した現代的な映画館として完成させた[10]。 2000年代、現在のオーナーであるモンスーン・アクセサライズ英語版創業者ピーター・サイモン英語版はエレクトリック・シネマをソーホー・ハウス英語版へ貸し出すのに先立ち、500万ポンド[注釈 1]を投入してエドワード朝バロックのファサードとインテリアを復元した[2]。2012年6月9日、キッチンからの出火により火災に見舞われ、同年12月3日の再オープンまで閉鎖を余儀なくされた[11]

関連ページ 編集

注釈 編集

  1. ^ 当時の日本円で約8億円。

脚注 編集

  1. ^ Alison Donnell (11 September 2002). Companion to Contemporary Black British Culture. Routledge. pp. 222–. ISBN 978-1-134-70024-0. https://books.google.com/books?id=B-XkBXMWKjcC&pg=PT222 
  2. ^ a b Star of the big screen” (英語). Evening Standard (2002年5月1日). 2019年6月15日閲覧。
  3. ^ a b THEATRES”. www.ladbrokeassociation.info. 2019年6月15日閲覧。
  4. ^ article on the Electric Cinema at cinematreasures.org (2010年11月)
  5. ^ article on the Electric Cinema at Notting Hill local magazine The Hill Archived 2009-11-20 at the Wayback Machine. (2010年11月)
  6. ^ www.historytalk.org Archived 2011-12-16 at the Wayback Machine. (2012年1月)
  7. ^ Julian Mash (14 August 2014). Portobello Road: Lives of a Neighbourhood. Frances Lincoln. pp. 68–. ISBN 978-1-78101-152-2. https://books.google.com/books?id=vEbYBAAAQBAJ&pg=PT68 
  8. ^ a b Livingetc (2018年3月2日). “Design Icon: The Electric Cinema, Notting Hill” (英語). Livingetc. 2019年6月15日閲覧。
  9. ^ Article at cinematour.org (2010年11月)
  10. ^ The Rediscovery of London's Electric Cinema, article from The Sunday Times 04.03.01 Archived 2010-12-02 at the Wayback Machine. (2010年11月)
  11. ^ Cinema evacuated following fire” (2012年6月9日). 2019年12月15日閲覧。

外部リンク 編集