クロフネ

日本の競走馬、種牡馬

クロフネ(欧字名:Kurofune1998年3月31日 - 2021年1月17日)は、日本競走馬種牡馬[1]

クロフネ
クロフネ(2001年5月6日、東京競馬場)
欧字表記 Kurofune[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 芦毛[1]
生誕 1998年3月31日[1]
死没 2021年1月17日(23歳没)
フレンチデピュティ[1]
ブルーアヴェニュー[1]
母の父 Classic Go Go[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[1]
生産者 Nicholas M. Lotzo[1]
馬主 金子真人[1]
調教師 松田国英栗東[1]
調教助手 渡辺勉[2]
装蹄師 西内荘[3]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀ダートホース(2001年)
ダートグレード競走最優秀馬(2001年)
生涯成績 10戦6勝[1]
獲得賞金 3億7023万5000円[1]
IC I125 - M125 / 2001年[4]
勝ち鞍
GI NHKマイルカップ 2001年
GI ジャパンカップダート 2001年
GIII 毎日杯 2001年
GIII 武蔵野ステークス 2001年
テンプレートを表示

アメリカ合衆国で生産され、日本で調教された外国産馬2001年春にNHKマイルカップに優勝、ダート路線に転じた秋にはジャパンカップダートを含む2戦をいずれも大差でレコード勝ちしたが、同年末に屈腱炎発症のため引退した。同年のJRA賞最優秀ダートホース。通算10戦6勝、うちレコード勝利4回。芝とダートの双方で活躍したが、特にダートでは日本競馬史上最強馬と評される1頭である。

2002年より種牡馬。短距離GI競走で2勝を挙げたカレンチャン、白毛馬として史上初めてGI競走を勝利したソダシなど10頭のGI級競走優勝馬を輩出している。2020年限りで種牡馬を引退。

日本軽種馬協会が運営するJBISサーチにおいては、同名の競走馬が1957年産[5]、1971年産[6]において存在。本記事では1998年産の競走馬について記述[注 1]

経歴 編集

生い立ち 編集

アメリカ合衆国ケンタッキー州のニコラス・M・ロッツによる生産。父フレンチデピュティは競走馬時代に米G2・ジェロームハンデキャップなど4勝を挙げ、2年前にアメリカで種牡馬入りしたばかりだった[7]。母ブルーアヴェニューは北米で5勝を挙げ、その姉にはヴァニティー招待ハンデキャップ、ミレイディハンデキャップ(いずれもG1)など11勝を挙げたブロートツウマインドがいた[7]。他方、母の父であるクラシックゴーゴーはテキサス州において無料に近い種付け料で種牡馬生活を送っていた無名の存在であった[8]

1歳時にピンフッカー[注 2]に7万ドルで購買[8]された後、ナイルブレイン・ステーブルズで調教を積まれ[9]、2000年2月にファシグ・ティプトン社主催のトレーニングセールに上場された[7]。当時ナイルブレイン・ステーブルズで研修していた吉田俊介(後のノーザンファーム空港牧場場長)によれば、同所で育成されていた後のホープフルステークス(アメリカ)優勝馬・ヨナグスカに勝るとも劣らないという評判であったといい、吉田自身も「大物感というか、落ち着き払った感じで風格があった」と回想している[9]。ここで最初の購買時から6倍強の価格となる43万ドルで吉田勝己に落札され[8][10]、4月に輸送され北海道早来町ノーザンファームで育成調教を積んだ[7][10]。同場の育成担当者も「良い動きをするし、古馬のような雰囲気を感じる」と高く評価し、調教の進捗に連れてその評判はさらに高まっていった[7]。翌年の2001年には東京優駿(日本ダービー)がはじめて外国産馬にも開放される予定となっており、馬主となった金子真人は本馬に「開放初年度のダービーを勝って欲しい」という願いを込め、1853年に浦賀へ来港し日本に開国を迫ったマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊の通称「黒船」に由来するものである「クロフネ」と命名した[7][11]

競走馬時代 編集

2歳(旧3歳)時(2000年) 編集

 
松田国英(2010年)

8月、管理調教師・松田国英(栗東トレーニングセンター)のもとへ入厩[12]。松田はトレーニングセールでの姿をビデオで観た際、その雄大な馬格から「歴戦の古馬のようだ」という印象を抱いていたが、当時は日本到着後の長い検疫明けだったこともあり、痩せた牝馬のようであったという[12]。しかし松田はクロフネがこうした厳しい経験をしたことでさらなる成長が見込めると期待していた[12]。松田は気心の知れた記者から「今年期待の新馬は」と問われた時にクロフネの名を挙げ、「馬体のバランスが良くて、勝負根性もある。しかも品がある。彼こそ本当の紳士だよ」とクロフネを言い表した[13]

10月14日、京都開催の新馬戦で松永幹夫を鞍上にデビュー。関係者の間では注目を集めていたが[13]、直前の調教でのタイムは水準級といったものであり[12]、父・フレンチデピュティの実力も未知数だったということに加えて芝の適性に疑問符がつく血統だったため当日は3番人気であった[13][14]。レースでは逃げるシゲルフェニックスの2番手につけて折り合いもつき、終始楽な手応えを維持[14]。4コーナーではエイシンスペンサーとほぼ同じ位置取りだったものの、馬群の中を割ったエイシンスペンサーに対して窮屈な内に入ってしまい[14]、立て直して外に持ち出し急追したもののエイシンスペンサーにクビ差届かず2着に敗れた[14][12]

続いて出走した2戦目の新馬戦は距離が前走の1600メートルから2000メートルに延長されたが、単勝オッズは1.3倍の人気を集めた[14]。道中は3番手につけ、スタート直後の1コーナーでやや行きたがるそぶりを見せたもののそれ以降はスムーズに折り合う[14]。直線持ったままで先頭に並びかけると松永がわずかに鞭を入れたのみで抜け出してゴールし、従来のレコードを1秒2更新しての初勝利を挙げた[15][14]。続くエリカ賞でも単勝1.3倍の人気を集め[16]、レースではマイネルユーゲントとアドマイヤコンドルの先頭争いを見ながら3番手を追走し、外目を回って直線に向くと松永が軽く追い出しただけで抜け出して快勝[16]。2000メートルで2戦連続のレコードを記録する[17]。2000メートルという中距離を連続して使われた背景には、2400メートルで行われる日本ダービーに向け、騎手の手綱に反して先へ行きたがる気性を矯正しておきたいという思惑もあった[12]

重賞初出走となったラジオたんぱ賞3歳ステークスでは、当年の日本ダービー優勝馬アグネスフライトの全弟・アグネスタキオン札幌3歳ステークスの優勝馬・ジャングルポケットが出走してきたものの当日の単勝オッズでは1.4倍の1番人気に支持された[18]。クロフネの馬体はレースを使いつつ絞れてきた馬体だったが[19]、松田はクロフネが最も強いとみて余裕を残した仕上げで送り出し[12]、前走から6キロ増の514kgで出走した[19]。レースはスターリーロマンスとマイネルエスケープの2頭が先行争いを演じるもペースは上がらず、1000メートルの通過は61秒8[20]。淡々とした展開の中でジャングルポケットとともに5番手を追走。その直後にアグネスタキオンがつけて3コーナーに入ると久々のレースで手応えが悪いジャングルポケットが下がり気味になり、変わって上がってきたアグネスタキオンとともに先頭に立つ勢いで直線へ入った[19]。しかし、前走までのような伸びがなくクロフネをマークしていたアグネスタキオンに難なく抜き去られ[20]、さらにはゴール前でジャングルポケットにも先着を許しての3着に敗れた[20][19]

レース後、松永は「今日はテンから外へ逃げ気味。ロスが多かったよ」とコメントし[19]、松田は「エリカ賞と同じタイム(2分1秒2)で勝てる」とみていたが[12]、アグネスタキオンのタイムはそれを0秒4上回るレコードであった[18]。松田は「初めて味わう挫折」であったと述べている[12]。レース後のレントゲン検査では左内側の管骨溜が判明し[21]、当年はこのレースを最後に休養に入った[12]

3歳時(2001年) 編集

NHKマイルカップ、日本ダービー 編集

3歳となっての初戦は、当初は2月4日に東京競馬場で行われる共同通信杯を目標に調整を進めていたが、軽い骨瘤と歯替わりがあったため回避し[20]、3月24日の毎日杯に出走した。レースが行われるまでの調教はモタれる癖を矯正するためにブリンカーを着用して行い[21]、レースでもブリンカーを着用して出走した[22]。それまでの4レースで鞍上を務めた松永幹夫はドバイへ遠征を行っていたため[注 3]四位洋文に乗り替わっての出走となり、単勝1.3倍の1番人気に支持された[21]。終始楽な手応えで2番手を追走し、直線入り口で馬なりのまま先頭に立ち[21]、4コーナーでルゼルコイントスが迫っていったもののスピードの違いで振り切って瞬く間にリードを広げていき[21]、2着コイントスに5馬身、3着ダイタクバートラムにさらに5馬身という差をつけて重賞初勝利を挙げた[22]。後半5ハロンは全て11秒台で走り、走破タイム1分58秒6は前走同じ距離で走ったアグネスタキオンのタイムを2秒2上回り[20][21]、古馬のコースレコードに0秒3差迫るという優秀なものだった[12]。レース後、四位洋文は「僕は乗ってただけでした。本当にいい馬。順調にいってほしいですね」とコメントし、松田は「3か月かけてまっすぐ、かつ自信を持って走れるようにテーマを持ってきました。いろんなことをクリアしてきましたが、前に馬を置いて願ったりのレースができましたね。より強い勝ち方をすることで、ファンも喜んでくれるでしょう。次走はNHKマイルカップを使う公算が大きいですが、ブリンカーは取る予定。そこでどんな走りをするかチェックしてダービーに向かいます」とコメントした[21]

日本ダービーを目指すに当たっては、GI・NHKマイルカップで2着までに入るか、京都新聞杯または青葉賞に勝利するという条件を満たす必要があった。それまでの出走歴から、2000メートルの京都新聞杯か、ダービーと同じ2400メートルの青葉賞に向かうともみられていたが、松田は馬主の金子と相談のうえで[9]、距離が1600メートルと短いNHKマイルカップを選択。東京競馬場のゆったりとしたコース形態と、GIの格を重視してのものだった[12]。また、クラシック三冠初戦の皐月賞を無敗のまま制したアグネスタキオンを意識し、「GIのタイトルを持ってアグネスタキオンと対決すれば、よりダービーが盛り上がるだろうと決めた」と公言してもいたが[23]、アグネスタキオンはNHKマイルカップの最終追い切りを済ませた後に屈腱炎を発症と報じられて戦線を離脱[24][25]。以後復帰することなく、9月に引退している。

5月6日に迎えたNHKマイルカップでは、馬主の金子が当時フランスに滞在していた武豊に直接騎乗を依頼し、武もこれを快く承諾したため新コンビを組んでの出走となった[25][26]。当日は単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持される[27]。スタートが切られると行き脚がつかず、それまで好位からのレースを続けていたところから一転し、後方14番手から進むことになった[27]。平均ペースで流れるなか、そのまま後方待機策をとると、最後の直線では馬群を縫うようにして抜け出していった[27]。その時点ではまだ10番手で[25]逃げるグラスエイコウオーと未だ大きな差があったが、鞍上の武が鞭を入れると一気に加速し、ゴール前で同馬を半馬身差し切っての優勝を果たした[27]。クロフネに加え、松田にとってもこれが開業6年目でのGI初制覇となった[9]。武豊もデビュー2年目からの連続GI勝ちの記録を14年に伸ばした[25]。出走権獲得となったダービーへ向け、松田は「道中の位置取りに少しハラハラしました。後方から直線だけで差し切っての競馬でしたが、次のダービーにつながる内容だったと思います[9]」と感想を述べ、また武は「ストライドが大きく、乗っていてあまりスピード感がない馬なので一瞬心配しましたが、きちんと差し切ってくれましたね。素晴らしい馬だと思います。間違いなくダービーの有力馬の1頭でしょう[9]」と称えた。

日本ダービー(5月27日)ではアグネスタキオンこそ不在だったが、皐月賞2着のダンツフレーム、同3着のジャングルポケットが顔を揃え、クロフネに対する皐月賞上位馬の決戦という図式となった[28]。1番人気には皐月賞で大きな出遅れから3着まで追い上げたジャングルポケットが推されて2.3倍、クロフネが3倍でこれに続き、ダンツフレームが6倍という順となった[29]。スタートが切られるとテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ダンツフレームが2番手集団の前方、ジャングルポケットが12番手、その直後にクロフネという隊列となった[29]重馬場にもかかわらず、1000メートル通過は58秒4とダービー史上最速のペースとなり、ダンツフレームが位置取りを下げて一時は上位人気3頭が並ぶように進む[29]。第3コーナー過ぎからクロフネとダンツフレームが上位に進出していき最後の直線に入ったが、仕掛けを遅らせたジャングルポケットが抜け出しを図る両馬を一気にかわし、ダンツフレームに1馬身半差を付けて優勝[29]。クロフネは伸びあぐねて5着と敗れた[29]。松田によれば、ダービーに向けての「手加減した調整」が裏目に出たといい、「5着という着順は、成功したという感じはもちろんないし、かといって、大きく失敗したという感じもない。馬主さんも褒めもしないし、非難もしない。何となく中途半端なレースになってしまった」と振り返っている[12]

天皇賞への蹉跌 編集

夏の休養を経ての秋シーズンは、これも当年より外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に、9月の神戸新聞杯から復帰。鞍上は蛯名正義が務めた。ここではダービー2着のダンツフレームと再戦することになったが、当日の1番人気は札幌記念でジャングルポケットを破っていた外国産馬エアエミネムに譲った[30]。レースではスタートで躓いて後手を踏み、道中もスローペースを堪えきれず蛯名との折り合いを欠いた[30]。最後の直線では鋭く追い込んだものの、勝ったエアエミネム、さらにサンライズペガサスも捉えきれず3着と敗れた[30]。松田は「馬が気負いすぎて出遅れてしまった。本当なら馬群の外目を先行するはずだったので、差す競馬は予定外だった。それでも終いの脚は良かったし、天皇賞に向けて収穫はあったと思う」と語った[31]。敗れはしたものの、上がり3ハロンはメンバー中最速の34秒2をマークした[32]

その後は天皇賞出走を予定していたが、2頭の外国産馬枠に対して獲得賞金額でクロフネを上回る年長馬のメイショウドトウアグネスデジタルが優先権をもったことから、出走することができなくなった。2頭のうちアグネスデジタルは直前になって急遽出走を決めたもので、クロフネへの期待を摘まれた一部ファンからはアグネスデジタル陣営への非難の声が上げられた[33]。松田も「『まさか』が正直な気持ちだった」と振り返っているが、この時点で翌年の予定にダートGI競走・フェブラリーステークスが入っていたことから、これを機会に一度ダートを走らせようと、天皇賞前日に行われるGIII・武蔵野ステークスに出走することになった[12]

ダートで他を圧倒 編集

当日は1番人気ながらオッズでは連勝中のエンゲルグレーゼと2倍台を分け合った。外の15番枠から好スタートを切ると中団の好位につけ、初ダートとは思えぬ抜群の行きっぷりで楽々とハイペースを追走[34]。3コーナーを前にして動き出すと、第4コーナーでは一気に先頭を行くサウスヴィグラスに並びかける[34]。最後の直線では後続を引き離し、前年のNHKマイルカップ優勝馬・イーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝した[35]。走破タイム1分33秒3は、1992年にナリタハヤブサが記録した1分34秒5を1秒2更新するJRAレコードであり[36]、芝コースのタイムに匹敵するものだった[37]。騎乗した武は「3コーナーから一気に上がっていく競馬を、あえてしてみた。普通、直線が長くて最後に坂がある東京であんなレースをしたら、惨敗するのが当たり前だが、この馬は最後に突き放して勝ってくれた。他の馬とは次元が違うというか、レベルが違いすぎた」と振り返っている[12]。なお、翌日に行われた天皇賞ではアグネスデジタルが優勝し、同馬の馬主である渡辺孝男は「周りから心ないことを色々言われたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないか」と語った[38]

 
クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場)

11月24日、ダートの国際招待競走・ジャパンカップダートへ出走。当年はアメリカから一線級の実績馬であるリドパレスが出走したが、クロフネは同馬を抑えオッズ1.7倍の1番人気に支持された[37]。スタート直後クロフネは隣のゲートのジェネラスロッシと接触、やや出負けした感じで後方からの競馬となったが[39]、2コーナーで外に出すと馬なりのまま徐々に順位を上げていく[39]。3コーナーを前にしてリドパレスもかわして3番手まで上がると、4コーナーで持ったままで単独の先頭に躍り出た[39]。直線に入ると独走態勢となって前年度優勝馬ウイングアローに7馬身差をつけての優勝を果たした[37]。走破タイム2分5秒9は同馬が前年度に記録した2分7秒2を1秒3更新する、2戦連続のJRAレコードであった[40]。武は「これまでにも、いい馬にたくさん乗せていただきましたが、今日のレースに限って言えば、今まで乗ってきた馬の中でも、こんなに強い馬はいませんでした」と称え[40][39]、松田は「スムーズに4コーナーを回ったところで勝てると思いました。レコードで2回続けて走ったので、注意深く馬の様子を見ていく必要がありますね」とコメントした[39]。8着と敗れたリドパレス騎乗のジェリー・ベイリーは「言い訳はしない。勝った馬が強すぎた」と述べた[37]

引退 編集

ジャパンカップダートの後は休養に入り、翌年にはダートで行われる世界最高賞金競走・ドバイワールドカップを目標とすることが決定していた。12月6日には有馬記念のファン投票の最終集計結果が発表され、クロフネ陣営は出走回避を明言していたものの8万9171票を集め、このレースを以って引退するテイエムオペラオーに次ぐ2位に選ばれていた[41]。しかし、それから19日後の12月25日[41]、スポーツ紙が一斉にクロフネが右前脚に屈腱炎を発症、最悪引退と報道した[41]。報道3日前の22日、フェブラリーステークスに向けて調整されていたクロフネは調教後、右前脚に熱を持っていることが判明し[42]、直ちに栗東トレーニングセンター競走馬診療所で検査を受けた[42]。検査の結果右前浅屈腱炎、少なくても9か月の休養が必要と診断され、これで翌年出走を予定していたドバイワールドカップ、ブリーダーズカップクラシックへの出走プランはすべて白紙となった[42]。報道翌日の26日には競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された[8]。引退の報を聞いた武豊は「来年を楽しみにしていただけに本当に残念です」とコメントし[43]、松田は後に調教師としての立場からこの故障について次のように語っている[12]

「人を殺したわけじゃないけど、私の中ではそれと同じくらい、『大変なことをしてしまった』という思いが強かった。毎日の調教を私が指示して、確認して。その繰り返しの中で起こった故障ですから。マツクニという人間は馬の世界しか知りません。そんな自分が自信を持ってやったことが、まるで否定されたかのようで……。クロフネはGIをふたつ勝ちました。レコードタイムも4度マークしました。けど、その勲章と、屈腱炎とを天秤にかけたら、はるかに屈腱炎の方が重いんです。たとえダービーを勝っていても、同じ気持ちになっていたと思います」

翌年1月、年度表彰・JRA賞が発表され、クロフネは最優秀ダートホースに選出された[44]。同月15日には、ダート競走格付け委員会によるダートグレード競走最優秀馬にも選ばれた[45]。またJPNクラシフィケーションでは、ダート2戦の内容が北米のハンディキャッパーからも高く評価され、アメリカのケンタッキーダービー優勝馬モナーコスと並び、国内ダートでは史上最高評価となる125ポンドを獲得、3歳のMコラム(1400メートル以上、1900メートル未満)では芝を含めても世界第1位となった[4]

種牡馬時代 編集

2002年より社台スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度から201頭の交配相手を集めた[12]。初年度産駒は2005年にデビュー、フサイチリシャール朝日杯フューチュリティステークスを制し順調なスタートを切る[46]。2007年以降はランキング10位以内に定着し、2010年には3位、2011年には2位を記録している[46]。2015年には史上16頭目となる産駒のJRA通算1000勝を達成した[47]。芝、ダートの双方で重賞勝利馬を輩出しているが、特に牝馬の活躍が多い[46]。産駒は芝、ダートを問わずに走ることから中央のみならず地方でも多数活躍しており、2021年8月22日現在、中央・地方合計で1686頭が出走し、このうち1210頭が勝ち上がっているが、これは日本で供用された種牡馬の歴代最多記録であり、中央・地方合計の勝鞍4339勝は歴代第2位である[48]。2023年にはママコチャスプリンターズステークスを制したことで、産駒が19年連続でJRAの重賞を勝利。これはパーソロンと並んで歴代1位タイの記録である[49]。2001年には父・フレンチデピュティも日本に輸入されて数々の重賞勝利馬を輩出し、北米の主流血統であったヴァイスリージェント系の日本への定着に父子で貢献した[46]

2019年からは体調面がすぐれないために種付けを中止して経過観察をしていたが、良化の兆候がみられず高齢となったこともあり、2020年をもって種牡馬を引退することとなった。その後は社台スタリオンステーションで引き続き余生を過ごしていた[50]が、2021年1月17日14時、老衰のため、死亡した[51]

クロフネ死亡時点で後継種牡馬はテイエムジンソク一頭のみであるが、この種付け数が2020年は7頭[52]となっている。

競走成績 編集

以下の内容は、JBISサーチ[53]およびnetkeiba.com[54]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2000.10.14 京都 3歳新馬 芝1600m(良) 9 4 4 006.90(3人) 02着 R1:35.7(34.2) -0.0 0松永幹夫 53 エイシンスペンサー 516
0000.10.28 京都 3歳新馬 芝2000m(良) 9 3 3 001.30(1人) 01着 R2:00.7(34.8) -0.3 0松永幹夫 53 (マイネルエスケープ) 512
0000.12.03 阪神 エリカ賞 500万下 芝2000m(良) 12 7 10 001.30(1人) 01着 R2:01.2(35.1) -0.5 0松永幹夫 54 (ダイイチダンヒル) 508
0000.12.23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 芝2000m(良) 12 5 5 001.40(1人) 03着 R2:01.4(34.8) -0.6 0松永幹夫 54 アグネスタキオン 514
2001.03.24 阪神 毎日杯 GIII 芝2000m(良) 11 2 2 001.30(1人) 01着 R1:58.6(34.5) -0.9 0四位洋文 55 コイントス 510
0000.05.06 東京 NHKマイルC GI 芝1600m(良) 18 2 4 001.20(1人) 01着 R1:33.0(34.3) -0.1 0武豊 57 (グラスエイコウオー) 506
0000.05.27 東京 東京優駿 GI 芝2400m(重) 18 8 17 003.00(2人) 05着 R2:27.9(36.7) -0.9 0武豊 57 ジャングルポケット 510
0000.09.23 阪神 神戸新聞杯 GII 芝2000m(良) 12 6 7 004.40(2人) 03着 R1:59.6(34.2) -0.1 0蛯名正義 56 エアエミネム 520
0000.10.27 東京 武蔵野S GIII ダ1600m(良) 15 8 15 002.30(1人) 01着 R1:33.3(35.6) -1.4 0武豊 57 イーグルカフェ 520
0000.11.24 東京 ジャパンCダート GI ダ2100m(良) 16 5 9 001.70(1人) 01着 R2:05.9(35.8) -1.1 0武豊 55 ウイングアロー 520
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

特徴・評価 編集

表彰 編集

年度 表彰 票数 出典
2001年 JRA賞最優秀ダートホース 282/283 [44]
ダートグレード競走最優秀馬 - [45]

レーティング 編集

年度 種類 馬齢 馬場 距離区分 (m) 出典
2000年 JPNクラシフィケーション (旧)3歳 - 107 [55]
2001年 JPNクラシフィケーション 3歳 ダート M (1400 - 1899) 125 [4]
I(1900-2199) 125
M(1400-1899) 113
合同フリーハンデ ダート M (1600) 124 [56]
I (2000) 130
M (1600) 114
I (2000) 112
L (2400) 111

4戦で騎乗した武豊は、2003年に行われたインタビューの中で「今まで乗った馬で『凄さ』を感じたのは、オグリキャップサイレンススズカ、そしてクロフネぐらい」、「全く別の次元の競馬をして、能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べている[12]。また、乗り味の良さは抜群のものであったといい、「これほど大きいストライドで走る馬は、なかなかいない」とも評している[12]。武はクロフネに人気がある理由について「負けるときは負けるけど、(勝つときは)ぶっチギって勝つからでしょうね」としており、このような競走成績からテイエムオペラオーより強いというイメージを持っている人も多いのではないかと述べている[57]。評論家の吉沢譲治もストライドの大きさに言及し、「まるで1頭だけ、むかしの長距離戦を走っているようだった。そのふわりふわりと走るさまが、遊んでいるようにも、はなからやる気がないようにも見えた」と評している[8]

ダートでは日本競馬史上の最強馬とも評される。日本中央競馬会 (JRA) の広報誌『優駿』が2012年に読者へ行った「カテゴリー別最強馬」のアンケートでは、ダート部門で2位ホクトベガに3倍以上の差を付ける532票を集め、第1位に据えられた[58]。生産者、騎手、調教師にもあわせてアンケートがとられ、回答者17人のうち、松田国英・池江泰郎池江泰寿岡田繁幸国枝栄小島茂之四位洋文中舘英二松永幹夫の9人がクロフネをダートの最強馬として挙げた[59]。岡田は「アメリカのダートでも勝負できたかもしれないと思わせるほど、能力が高かった」と添えている[59]。松田は「普通、ダート馬は勝ち気で人の言うことをあまり聞かないようなタイプが多いが、クロフネは精神的に余裕があって、おっとりしていた。精神面だけでなく、肉体面も立派な馬だった。フレンチデピュティ産駒らしい顎の張った馬で、だから飼い葉食いも良く、筋肉の盛り上がった雄大な馬体をしていた[注 4]。だからといって、決してパワータイプという感じではなかった。素晴らしいスピードがあって、芝でも通用するダート馬だったと思う」と評した[58]伊藤雄二は、東京競馬場のダートコースが速い時計の出る造りになっているとはいえダートのクロフネは本当に走る馬だと評しており、ジャパンカップダート後も怪我をせずに予定通りドバイワールドカップに出走していたら勝てたのではないかと述べている[60]

武蔵野ステークス(ダート1600m・1分33秒3)、ジャパンカップダート(ダート2100m・2分05秒9)の2戦で記録した中央競馬のダート競走における距離別レコードタイム(3歳以上)は20年以上更新されていない上に(2021年現在)[61][注 5]、中央競馬のダート競走における距離別レコードタイム(3歳以上)のうち現存しない距離のレコードタイムを除くと良馬場で記録されたものはクロフネによるこの2戦の記録のみである [61][注 6]

『優駿』が2010年と2015年にそれぞれアンケートをとった「未来に語り継ぎたい名馬ベスト100」では、いずれも19位となっている[63][11]

種牡馬成績 編集

年度別成績 編集

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2005年 47 116 13 19 76 1.55 2億7580万1000円
2006年 147 687 55 71 25 1.37 7億9785万6000円
2007年 218 1331 103 170 10 1.61 13億9705万2500円
2008年 273 1814 137 211 5 1.91 20億7256万6000円
2009年 355 2371 164 264 5 1.61 22億3976万7000円
2010年 372 2627 178 310 3 1.74 26億2181万8000円
2011年 375 2660 161 296 2 1.77 26億1135万5500円
2012年 391 2928 181 322 5 1.60 23億9096万9000円
2013年 406 3158 176 353 8 1.31 19億9628万0500円
2014年 400 3088 169 339 9 1.18 17億8795万1250円
2015年 410 3259 187 318 7 1.19 18億2521万6000円
2016年 396 3456 188 347 6 1.23 19億3095万2000円
2017年 383 3400 180 344 7 1.31 21億3917万9000円
  1. 出典:JBISサーチ「クロフネ 種牡馬成績世代・年次別
  2. 2017年終了時点。

重賞勝利産駒 編集

GI級競走優勝馬 編集

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。太字はGI、JpnIおよびJ・GI競走。

その他グレード制重賞優勝馬 編集

※GII、JpnIIおよびJ・GII以下の重賞優勝馬。

地方重賞優勝馬 編集

地方競馬限定格付けの重賞勝利馬。

母の父としての主な産駒 編集

グレード制重賞優勝馬 編集

地方重賞優勝馬 編集

血統 編集

血統背景 編集

父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューはいずれも、2001年に日本に輸入された[46]。兄弟の主な活躍馬として、全妹のBella Bellucciがアメリカで重賞を2勝している[157]

血統表 編集

クロフネ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 デピュティミニスター系
[§ 2]

*フレンチデピュティ
French Deputy
1992 栗毛 アメリカ
父の父
Deputy Minister
1979 黒鹿毛
Vice Regent Northern Dancer
Victoria Regina
Mint Copy Bunty's Flight
Shakney
父の母
Mitterand
1981 鹿毛
Hold Your Peace Speak John
Blue Moon
Laredo Lass Bold Ruler
Fortunate Isle

*ブルーアヴェニュー
Blue Avenue
1990 芦毛 アメリカ
Classic Go Go
1978 鹿毛
Pago Pago Matrice
Pompilia
Classic Perfection Never Bend
Mira Femme
母の母
Eliza Blue 1983
芦毛
Icecapade Nearctic
Shenanigans
*コレラ
Corella
Roberto
Catania
母系(F-No.) ブルーアヴェニュー(USA)系(FN:2-r) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearctic 5×4、Nasrullah 5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com クロフネの血統表2017年2月11日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。


脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 日本競馬においては、顕著な活躍(GI・JpnI級の競走優勝、あるいは主要国際競走優勝馬と同じ馬名)や種牡馬登録などによって保護された馬名以外は、登録抹消後に一定期間を経れば再利用することができる。競走馬#馬名登録のルールも参照のこと。
  2. ^ 育成調教後に転売する業者
  3. ^ ドバイワールドカップレギュラーメンバーに騎乗するため[21]
  4. ^ 全10レースの出走時の馬体重は506〜520kg[10]
  5. ^ 地方競馬も含めた日本レコードでは2020年に盛岡競馬場のダート1600m(マイルチャンピオンシップ南部杯)にてアルクトスが稍重で1分32秒7を記録し更新されている[62]
  6. ^ ダートコースにおいては良馬場よりも稍重〜重のほうが時計が出やすい傾向にある(馬場状態の記事を参照)

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o クロフネ(USA)”. JBIS-Search. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年3月6日閲覧。
  2. ^ 内尾篤嗣 (2012年9月25日). “栗東から”. 報知競馬ブログ「現場発!POGブログ」. 報知新聞社. 2017年2月11日閲覧。
  3. ^ 西内 荘”. パールダッシュ. 2017年2月11日閲覧。
  4. ^ a b c 『優駿』2002年2月号、pp.69-72
  5. ^ クロフネ”. JBIS-Search. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年10月6日閲覧。
  6. ^ クロフネ”. JBIS-Search. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年10月6日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 『優駿』2001年5月号、p.139
  8. ^ a b c d e 『優駿』2002年2月号、pp.22-25
  9. ^ a b c d e f 『優駿』2001年6月号、pp.138-139
  10. ^ a b c 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.11
  11. ^ a b 『優駿』2015年3月号、p.46
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『名馬物語』pp.18-24
  13. ^ a b c 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.5
  14. ^ a b c d e f g 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.12
  15. ^ 『優駿』2000年12月号、p.72
  16. ^ a b 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.13
  17. ^ 『優駿』2001年2月号、p.72
  18. ^ a b 『優駿』2001年2月号、p.69
  19. ^ a b c d e 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.14
  20. ^ a b c d e 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.6
  21. ^ a b c d e f g h 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.15
  22. ^ a b 『優駿』2001年5月号、p.126
  23. ^ 『優駿』2001年5月号、p.7
  24. ^ 『優駿』2001年5月号、p.5
  25. ^ a b c d 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』pp.16-17
  26. ^ 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.28
  27. ^ a b c d 『優駿』2001年6月号、pp.24-25
  28. ^ 『優駿』2001年7月号、p.7
  29. ^ a b c d e 『優駿』2001年7月号、pp.10-13
  30. ^ a b c 『優駿』2001年11月号、p.121
  31. ^ 『優駿』2001年11月号、p.21
  32. ^ 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.19
  33. ^ 『優駿』2001年12月号、p.12
  34. ^ a b 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』pp.20-21
  35. ^ 『優駿』2001年12月号、p.126
  36. ^ 『優駿』2001年12月号、p.140
  37. ^ a b c d 『優駿』2002年1月号、pp.27-30
  38. ^ 『優駿』2001年12月号、p.134
  39. ^ a b c d e 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』pp.22-23
  40. ^ a b 『優駿』2002年1月号、pp.134-135
  41. ^ a b c 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.4
  42. ^ a b c 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』pp.4-5
  43. ^ 『週刊100名馬vol.93 クロフネ』p.10
  44. ^ a b 『優駿』2002年2月号、p.64
  45. ^ a b ケイバブック (2002年). “ニュースぷらざ”. インターグロー. 2017年5月18日閲覧。
  46. ^ a b c d e 『優駿』2014年12月号、pp.90-91
  47. ^ クロフネ産駒がJRA通算1000勝達成”. ラジオNIKKEI (2015年5月10日). 2015年8月4日閲覧。
  48. ^ 【札幌記念】距離不安を払拭した価値のある1勝 - 柏木集保 | 競馬コラム”. netkeiba.com. 2021年8月23日閲覧。
  49. ^ クロフネ産駒が19年連続でJRA重賞制覇 パーソロンと並んで歴代1位タイ”. netkeiba.com (2023年10月1日). 2023年10月4日閲覧。
  50. ^ クロフネが種牡馬を引退、余生は社台SSで過ごす - 日刊スポーツ(極ウマ・プレミアム)2020年7月14日
  51. ^ 芦毛の怪物クロフネが老衰のため23歳で死す - デイリースポーツ online 2021年1月18日
  52. ^ 2020年の種付情報の公開と各種雄馬の種付頭数
  53. ^ クロフネ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年1月19日閲覧。
  54. ^ クロフネの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年1月19日閲覧。
  55. ^ 『優駿』2001年2月号、p.30
  56. ^ 2001年合同フリーハンデ確定3歳(1)”. ケイバブック. 2017年5月18日閲覧。
  57. ^ 島田(2007)p.270
  58. ^ a b 『優駿』2012年9月号、pp.36-39
  59. ^ a b 『優駿』2012年9月号、pp.47-49
  60. ^ 鶴木 (2009) pp.130-134
  61. ^ a b レコードタイム表”. 日本中央競馬会. 2021年12月17日閲覧。
  62. ^ 【南部杯】アルクトス日本レコードV!悲願のG1初制覇 クロフネの記録を更新”. テレビ東京 (2020年10月12日). 2022年1月4日閲覧。
  63. ^ 『優駿』2010年8月号、p.40
  64. ^ フサイチリシャール”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  65. ^ スリープレスナイト”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  66. ^ カレンチャン”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  67. ^ ホエールキャプチャ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  68. ^ アップトゥデイト”. JBISサーチ. 2018年3月12日閲覧。
  69. ^ クラリティスカイ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  70. ^ 関東オークス競走優勝馬南関東競馬情報サイト、2015年11月3日閲覧
  71. ^ 2015年JBCレディスクラシック結果南関東競馬情報サイト、2015年11月3日閲覧
  72. ^ ホワイトフーガ”. JBISサーチ. 2017年6月1日閲覧。
  73. ^ 牝馬アエロリットが3歳マイル王に輝く!/NHKマイルC - netkeiba.com、2017年5月7日閲覧
  74. ^ ママコチャ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年10月1日閲覧。
  75. ^ ホワイトメロディー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  76. ^ オディール”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  77. ^ ユキチャン”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  78. ^ ブラボーデイジー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  79. ^ セイコーライコウ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  80. ^ ドリームセーリング”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  81. ^ マルモセーラ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  82. ^ アースソニック”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  83. ^ ストークアンドレイ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  84. ^ クロフネサプライズ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  85. ^ インパルスヒーロー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  86. ^ マイネルクロップ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  87. ^ テイエムジンソク”. JBISサーチ. 2018年1月23日閲覧。
  88. ^ オウケンビリーヴ”. JBISサーチ. 2018年8月17日閲覧。
  89. ^ ジューヌエコール”. JBISサーチ. 2021年10月8日閲覧。
  90. ^ パクスアメリカーナ”. JBISサーチ. 2019年2月4日閲覧。
  91. ^ エメラルファイト”. JBISサーチ. 2019年11月20日閲覧。
  92. ^ レーヌブランシュ”. JBISサーチ. 2021年10月8日閲覧。
  93. ^ ディアーウィッシュ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  94. ^ スターシップ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  95. ^ ジョーモルデュー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  96. ^ アースファイヤー”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  97. ^ タートルベイ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  98. ^ ジョーイロンデル”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  99. ^ ビーボタンダッシュ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  100. ^ ベレンバン”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  101. ^ ハイパーフォルテ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  102. ^ スウィングダンス”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  103. ^ バトードール”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  104. ^ ナターレ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  105. ^ ミヤサンキューティ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  106. ^ ドラゴンシップ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  107. ^ ロクイチスマイル”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  108. ^ カツゲキドラマ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  109. ^ エーシンスパイシー”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  110. ^ キョウワカイザー”. JBISサーチ. 2017年12月25日閲覧。
  111. ^ ナンディン”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  112. ^ スクワドロン”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  113. ^ ホウライナデシコ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  114. ^ サーモピレー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  115. ^ ワットロンクン”. JBISサーチ. 2018年2月13日閲覧。
  116. ^ トーコーヴィーナス”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  117. ^ ディックカントウ”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  118. ^ テイエムサンピラー”. JBISサーチ. 2018年3月6日閲覧。
  119. ^ アンティノウス”. JBISサーチ. 2021年7月23日閲覧。
  120. ^ ナガタブラック”. JBISサーチ. 2020年3月20日閲覧。
  121. ^ コバルトウィング”. JBISサーチ. 2022年11月11日閲覧。
  122. ^ カラフルデイズ”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  123. ^ ステファノス”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  124. ^ メドウラーク”. JBISサーチ. 2018年7月17日閲覧。
  125. ^ シャイニングレイ”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  126. ^ “アドマイヤミヤビが差し切り、3連勝で重賞初V!/クイーンC”. netkeiba.com. (2017年2月11日). https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=118928 2017年2月11日閲覧。 
  127. ^ カワキタエンカ”. JBISサーチ. 2018年3月21日閲覧。
  128. ^ ノームコア”. JBISサーチ. 2018年10月11日閲覧。
  129. ^ リュウノユキナ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年4月19日閲覧。
  130. ^ ノーヴァレンダ”. JBISサーチ. 2018年2月11日閲覧。
  131. ^ クロノジェネシス”. JBISサーチ. 2018年2月11日閲覧。
  132. ^ ハヤヤッコ”. JBISサーチ. 2019年8月5日閲覧。
  133. ^ パッシングスルー”. JBISサーチ. 2019年12月11日閲覧。
  134. ^ リオンリオン”. JBISサーチ. 2019年12月11日閲覧。
  135. ^ ゲンパチルシファー”. JBISサーチ. 2022年7月10日閲覧。
  136. ^ ハヤブサナンデクン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年3月26日閲覧。
  137. ^ ヴェラアズール”. JBISサーチ. 2022年10月10日閲覧。
  138. ^ イロゴトシ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年4月15日閲覧。
  139. ^ テリオスベル”. JBISサーチ. 2022年11月30日閲覧。
  140. ^ ブレークアップ”. JBISサーチ. 2022年11月6日閲覧。
  141. ^ スルーセブンシーズ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年3月11日閲覧。
  142. ^ スタニングローズ”. JBISサーチ. 2022年4月13日閲覧。
  143. ^ プラダリア”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年10月9日閲覧。
  144. ^ ガイアフォース”. JBISサーチ. 2022年9月19日閲覧。
  145. ^ アマンテビアンコ”. JBISサーチ. 2024年4月24日閲覧。
  146. ^ ガッツオブトップ”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  147. ^ ユメノアトサキ”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  148. ^ タガノギャラクシー”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  149. ^ ドラゴンエアル”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  150. ^ ジュエルクイーン”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  151. ^ ユズチャン”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  152. ^ ミサイルマン”. JBISサーチ. 2017年2月11日閲覧。
  153. ^ ドリームズライン”. JBISサーチ. 2017年5月18日閲覧。
  154. ^ ネーロルチェンテ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月25日閲覧。
  155. ^ ガルボマンボ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年11月5日閲覧。
  156. ^ シトラルテミニ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年10月22日閲覧。
  157. ^ Bella Bellucci(USA)”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。

参考文献 編集

  • 島田明宏『武豊インタビュー集スペシャル 勝負篇』(廣済堂文庫、2007年)ISBN 978-4331654125
  • 鶴木遵『新編・調教師 伊藤雄二の確かな目 真相』(KKベストセラーズ、2009年)ISBN 978-4584392874
  • 『週刊100名馬Vol.93 クロフネ』(産業経済新聞社、2002年)全国書誌番号:20234784
  • 『名馬物語 - The best selection (3) 』(エンターブレイン、2004年)ISBN 978-4757720794
  • 『優駿』(日本中央競馬会)各号

外部リンク 編集