ゴドフロワ2世 (ルーヴェン伯)

ゴドフロワ2世フランス語:Godefroid II, 1110年ごろ - 1142年6月13日)またはゴットフリート7世ドイツ語:Gottfried VII.)は、ルーヴェン伯およびブラバント方伯(2世、在位:1139年 - 1142年)、下ロートリンゲン公(7世)およびアントウェルペン辺境伯(在位:1139年 - 1142年)。ゴドフロワ1世とイド・ド・シニーの息子。

ゴドフロワ2世 / ゴットフリート7世
Godefroid II / Gottfried VII.
ルーヴェン伯
下ロートリンゲン公
在位 1139年 - 1142年

出生 1110年ごろ
死去 1142年6月13日
埋葬 ルーヴェン伯領、ルーヴェン、聖ペテロ教会
配偶者 ルイトガルト・フォン・ズルツバッハ
子女 ゴドフロワ3世
家名 レニエ家
父親 ルーヴェン伯ゴドフロワ1世
母親 イド・ド・シニー
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ゴドフロワ2世とルイトガルトの結婚

生涯 編集

ゴドフロワは1136年に最初に公爵の称号を帯びて父ゴドフロワ1世とともに確認される。ゴドフロワの公爵位は、ゴドフロワの妻の姉妹と結婚していたドイツ王コンラート3世により承認された。1139年1月25日に父ゴドフロワ1世が死去し、ルーヴァン伯位を継承した。また同年8月に下ロートリンゲン公であったリンブルフ伯ヴァルラム2世が死去し、ゴドフロワが下ロートリンゲン公となった。しかしヴァルラム2世には、下ロートリンゲン公位の継承権を主張した息子ハインリヒ2世がいた。1140年にゴドフロワとハインリヒ2世は戦争に突入したが、ハインリヒ2世はすぐに決定的な敗北を喫した。しかしゴドフロワはその勝利から2年後に肝臓の病気で死去し、ルーヴェンの聖ペテロ教会に埋葬された。

結婚と子女 編集

ゴドフロワ2世は、ズルツバッハ伯ベレンガル2世の娘ルイトガルトと結婚した。ルイトガルトはドイツ王コンラート3世の妃ゲルトルートおよび東ローマ皇帝マヌエル1世コムネノスの皇后ベルタの姉妹であった。2人の間には1男が生まれた。

  • ゴドフロワ3世(1142年頃 - 1190年) - ルーヴェン伯、下ロートリンゲン公

ルイトガルトはゴドフロワ2世の死後、ダグスブルク伯フーゴ2世と再婚した。

参考文献 編集

先代
ゴドフロワ1世
ルーヴェン伯
1139年 - 1142年
次代
ゴドフロワ3世
先代
ヴァルラム
下ロートリンゲン公
1139年 - 1142年
次代
ゴドフロワ3世