ジャパングランプリ (全日本女子プロレス)

ジャパン・グランプリJapan Grand Prix)は、かつて全日本女子プロレスで開催されたシングルマッチによる総当たりリーグ戦またはトーナメント戦である。旧称:フジテレビ杯争奪ジャパン・グランプリ(フジテレビはいそうだつジャパン・グランプリ)。

歴史 編集

第1回は1985年3月15日、松戸運動公園体育館で開幕。決勝戦は6月25日に品川プリンスホテルアイスアリーナで開催された。

年度によって大会形式は変わる。1次リーグと勝ち抜き形式トーナメントの場合が多いが、総当たり戦のみやトーナメントのみの年もあった。また、ジュニア部門も併せて開催した年もあった。

優勝者はWWWA世界シングル王座への挑戦権を得られた。

2005年に全女が解散したため、2004年が最後の大会となった。

歴代優勝者 編集

優勝者 準優勝者 備考
第1回 1985年 ライオネス飛鳥 ダンプ松本 ダンプとクレーン・ユウが仲間割れ。ユウは引退しレフェリーに転向。
第2回 1986年 大森ゆかり 長与千種 大森大活躍。
第3回 1987年 長与千種 ダンプ松本 宇野が首の骨折でリタイア。永友が引退。ブルが途中でリーグ戦放棄と波乱の大会。
第4回 1988年 ブル中野 堀田祐美子 昭和58年組のブル、小倉小松と昭和61年組のベア以外は昭和60年入門組というフレッシュな大会。
第5回 1989年 西脇充子 メドゥーサ 初のトーナメントによる大会。
第6回 1990年 豊田真奈美 堀田祐美子 6月17日にワンデートーナメントで実施。
第7回 1991年 井上京子 バイソン木村 京子が1日3連勝の快挙。北斗が途中棄権。
第8回 1992年 アジャコング 豊田真奈美 レッドゾーン、ブルーゾーンに分かれそれぞれの上位2名がワンデートーナメントで優勝を決める大会。バイソンがアジャ戦を最後に棄権。北斗が肋骨骨折で休場するなど、不戦勝不戦敗が続出。
第9回 1993年 北斗晶 堀田祐美子 前年と同じ形式。ハーレー斉藤福岡晶の2名が全女以外の選手として初参加。
第10回 1994年 堀田祐美子 豊田真奈美 優勝決定戦はなく、最高得点者が優勝。上位2名は東京ドームでの日本選手権に参加。
第11回 1995年 豊田真奈美 堀田祐美子 豊田が史上初の複数回(2度目)の優勝。
第12回 1996年 アジャコング レジー・ベネット アジャが2度目の優勝。決勝戦はなく最高得点者が優勝。
第13回 1997年 伊藤薫 豊田真奈美 決勝戦はなく最高得点者が優勝。
第14回 1998年 豊田真奈美
脇澤美穂(ジュニア)
ZAP-I(伊藤薫)
中西百重元川恵美(ジュニア)
豊田が3度目の優勝。「ジュニアリーグ」を開催。
第15回 1999年 豊田真奈美 堀田祐美子 豊田が2年連続4度目の優勝もWWWA優先挑戦権を堀田に譲る。
第16回 2000年 伊藤薫
高橋奈苗(21世紀)
三田英津子
中西百重(21世紀)
ジュニア勢による「21世紀リーグ」を開催。
第17回 2001年 中西百重 前川久美子 伊藤が現役WWWA王者として初参加も優勝を逃す。
第18回 2002年 高橋奈苗 中西百重 伊藤が開幕戦で中西に敗れるも7月7日に豊田へのWWWA挑戦が決まったことを理由に棄権。
第19回 2003年 アメージング・コング 高橋奈苗
第20回 2004年 前川久美子 Hikaru[要曖昧さ回避] ワンデートーナメント。最後の大会

その後 編集

全女解散から10年が経過した2015年5月5日、1994年大会優勝者である堀田祐美子が主催した「デビュー30周年記念〜暴走集会〜」の第2試合として組まれたミゼットプロレスミスター・ブッダマン vs プリティ太田に対し「小人ジャパングランプリ2015開幕戦」と名付けられた[1]

脚注 編集

関連項目 編集