ノート:クオリア

最新のコメント:10 年前 | トピック:様々なクオリア 嗅覚 における、改行の改善について | 投稿者:Endou subaru

「仮にクオリアが物理的現象でないならば,クオリアはこの世界(物理的世界)以外の世界に存在する現象だ」はようするにクオリアは脳の機能に他ならないと言えばいいだけなんじゃないかな? それでなにが問題なんだろ?面白い記事だが、存在と機能ぐらいはきちんと区別して書くべきだ。--Rumhi 2006年7月15日 (土) 07:02 (UTC)返信

「クオリアは脳の機能に他ならない」と書いてしまうとクオリアが物理現象であることになり、「仮にクオリアが物理的現象でないならば」という仮定と矛盾しますね。--しまでん 2006年7月15日 (土) 09:18 (UTC)返信
「脳が特定の状態になると痛みを感じる、という対応関係」は「脳の機能」なんだろうか?。まあ、それはともかく、脳と自分の意識の対応関係は、自分の中での「意識学」としては探求できるだろうけれども、その知見が他者と共有し得ない点で、今までの物理学とは相違するのだろうな。--Jacques Amano 2006年7月17日 (月) 08:09 (UTC)返信

大変興味深い記事だと感じました。我々が日々生活している中でこのような概念を持つ人は少なからずいると思います。しかしそれが「クオリア」という名を冠し議論されているとは知りませんでした。 ただ改めて記事を読むと、クオリアとは神経から伝達される信号、あるいはそれによって引き起こされる脳内活動(例えば、何らかの感情が湧き上る、過去の体験を連想する、体でリアクションを取る、等)のことだというふうに受け止めました。ここで書かれてるような捕らえ所のないもやもやとしたものとは思えないのですが・・・。もし違うとしたらどなたか詳しい方お教えください。。--johnta 2007年2月16日 (金) 07:44 (UTC)返信

johntaさん、こんにちは。Was a beeと申します。私にわかる範囲でお答えしたいと思います。
>クオリアとは神経から伝達される信号、あるいはそれによって引き起こされる脳内活動(例えば、何らかの感情が湧き上る、過去の体験を連想する、体でリアクションを取る、等)のことだというふうに受け止めました。
こうした考えは一般に同一説(心脳同一説)と呼ばれます。同一説は特にクオリアを対象に考えられた論ではないのですが、1950年ごろにギルバート・ライルという哲学者を中心に始まりました。同一説の考えの中心は次のようなものです。「<心>なんてのは、単に脳の物質的な活動につけられらた別の呼び名にすぎない」。例えば私たちが積み重なったレンガのカタマリを<家>という名前で呼んてみたり、複雑に絡み合った繊維の絡み合ったものを<布>という名前で呼んだみたりりするのと同じく、神経細胞の集まりの特定の振る舞いを<心>と呼んでるにすぎない、これが同一説の主張です。つまりレンガと別に<家>があるわけでもなく、繊維と別に<布>があるわけでもないのと同様に、脳と別に<心>があるわけではない、というのが同一説です。ライルは「脳とは別に<心>なんてものがある」と考えるから話がややこしくなると言い、「脳とは別に<心>というものがある」という実体二元論的な考えを「カテゴリーミステイク(カテゴリー錯誤)」と名づけ、大いなる誤りとして広く宣伝しました。実際、心的(と言われていた)性質の多くはこの方法で、単なる物質の振る舞いとして存在論的に消去することができます(心的なものは唯の名前にすぎず、物理的なものと別に存在する何かではない、と言ってしまうことができます。)。例えば、記憶は「海馬側頭葉のあたりにある神経細胞郡のシナプス結合の重み付け」として、簡単に消去してしまうことが出来ます。(細かい研究はまだまだこれからですが、心的な性質の多くは、脳をニューラルネットワークとして考えたときの振る舞いとして、理解できてしまうだろうと広く信じられています。)こうして、同一説はある程度の支持を得ましたし、多くの部分については今も正しいのですが、こと意識の問題となると今や完全に下火です。その理由が1970年代から盛んになってきたテーマ、この記事の主題でもあるクオリアの話です。 
ここはちょっと説明が難しいのですが、科学的な方法で神経細胞の集まりである脳の振る舞いをどれだけ詳細に説明してみたところで、いつまでたっても主観的な体験は出てきません。(これは「説明からの締め出し」の問題、または「物理領域の因果的閉鎖性」の問題などと言われます)。例えば誰かが赤いものを見て、「あ、赤い」と発言するまでの過程を説明する場合、普通の科学的方法での説明では一切クオリアの話は出てきません。
光が網膜に入射する⇒神経細胞1が発火する⇒神経細胞1が発火する⇒神経細胞2が発火する⇒神経細胞3が発火する⇒神経細胞4が発火する⇒神経細胞5が発火する・・・(中略)・・・⇒肺につながる神経細胞10が興奮する⇒肺から空気が送り出される⇒口から空気が出てくる(これが「あ、赤い」という音)
クオリアや主観的体験についての言及がどこかに出てきたでしょうか?そうです、こういう説明にはクオリアの話は一切出てきません。ですからこれは実はクオリアを欠いた哲学的ゾンビについて説明しているのだ、と考えることもできるのです。こうした点から同一説ではクオリアの問題をうまく説明できないわけです。このことw専門的には「現象的な性質(クオリアのこと)は、物理的な性質に、論理的に付随(スーパーヴィーン)しているわけではない。自然法則的に付随(スーパーヴィーン)しているのだ」から「物理的なものと現象的な性質(クオリア)は同一のものではない」となります。うまく説明できた自信はありませんが、ご参考までに。Was a bee 2007年2月16日 (金) 11:02 (UTC)返信
Was a beeさんとてもご丁寧な回答大変うれしく思います。Was a beeさんに示していただいた赤いものを見て「あ、赤い」と言うまでの一連の流れですが、現在の科学では本当にそこまでしか説明できないのでしょうか?私は私なりに私が持っているちょっとした知識と実体験でもっと細かく説明ことができます(文字や言葉に変換すると長くなりますが・・・)。例えばWas a beeさんに示していただいた事象を例にとって見ると私の解釈はこうです。
まず、現実世界では赤いものを見ただけで何の理由もなしに「あ、赤い」ということはほとんどありませんので設定を加えさせていただきます。このようなありふれた状況を例にしましょう、
「ある女性は量産型ザク(緑)の存在は知っているが、シャア専用ザク(赤)の存在は知らない。それは女性が彼氏の部屋でしかザクを見た経験がなく、しかもそれは量産型ザクのガンプラで、女性の記憶の中には「彼氏が持ってるザクという名前のプラモデルはこんな形で緑色をしてる」ということしかザクに関しての情報がないから。しかし、女性の知らないところで彼氏が間違えて量産型ザクを壊してしまい、彼氏は気分を変えることもかねてシャア専用ザクに新しく買いかえた。」と、このような背景をまず設定します。
そして女性が彼氏の部屋へ入っていくところからはじめます。まず女性の網膜へ光が入る→網膜に敷き詰められた視覚細胞一つひとつが色を感知する→感知した色に応じたパターンの信号を視神経へ伝達する→視神経を介して伝達された信号のパターンを脳の視覚野が受け取り、その信号パターンをそれぞれの色として認識する→色を集合し画像を形成する→画像を脳内で補正処理する(網膜に直接あたる光は上下が逆転しており、周辺視野はぼやけているため)→画像を記憶の中の彼氏の部屋と照合し、その画像が確かに彼氏の部屋であると認識する→一方、記憶の中の彼氏の部屋との些細な違いをいくつか発見する→その中に以前から記憶にあるザクとほぼ同じ形状をした違う色のガンプラがおいてあることを認識する→その変化後の色が緑から赤への変化であると認識する→その色が変化したという事象についての記憶が存在しないことを確認する→自分の知らない間にそのような変化があったのだと認識する→その変化を自分が確認したということを彼氏に伝えることにより彼氏との会話が発生することを過去の体験記憶から推測する→ガンプラを指し、「あ、赤い」と発言することにより自分がザクが赤くなったことを発見したことを伝えられると過去の体験記憶より推測し、彼氏と会話がしたいという欲求があるため、行動欲求が生じる→欲求に応じて運動野によりアクションを起こすために必要な筋肉の部位(指をさすなら肩、腕と指の筋肉。声を出すなら腹筋、あるいは胸の筋肉と声帯、舌、そして口の筋肉)とその緊張量を決定する→脊髄、運動神経を介しその情報が筋肉に伝えられ実際に筋肉が動く→指をさし、「あ、赤い」と発言する。
これが私なりの解釈です。クオリアという言葉がなくても私はこの解釈をもって感覚神経から伝えられる外部情報とそれを受けた脳内の活動について物理現象であると納得することが出来ます。逆にこの中にクオリアという言葉を当てはめるとしたらそれは感覚神経から伝えられる信号パターンのことであると認識します。赤には赤の-もっと言えばトマトの赤にはトマトの赤の、空の青には空の青の信号パターンとそれからイメージを連想するという脳内活動そのものをクオリアと呼ぶのではないでしょうか?確かに赤という色がどのような信号パターンによって伝達されるかはわかりません。でも、そうでないとしたらクオリアとはいったい何なのでしょうか?別物であるとしたら私には理解できません。よろしければまたこの議論にお付き合い願えればと思います。--johnta 2007年2月17日 (土) 17:26 (UTC)返信
丁寧な説明ありがとうございます。助けになるかはわかりませんがご返答さしあげます。とりあえずまず基本的な点について。
  まず心の哲学は確かに哲学の一分科なのですが、基本的に物理学の与える世界の捉え方を共通の前提として研究者の間で議論が進行していいます。ですから物理学の知識がないと、なかなかクオリアの問題を理解することは難しいだろうと思います。(心の哲学は今までに集められた様々な知見を、総合していく、基礎付けていくことを志向している学問ですので、他にもチューリングマシンコネクショニズムといった計算科学系の知識も前提とされていますし、けっこう広い範囲からの情報が前提されて議論が行なわれています。こうした知識は前提として扱われるているので、心の哲学内部では細かく議論されたり解説されたりすることは基本的にありません。ですから、そうした前提知識がない時には「話がよく飲み込めない」という状況に陥りがちです。私自身、過去に何度もそういう状況になりました)
  次に言葉の基本的な定義ですが、心の哲学において「物理現象」とか「物理状態」とか「物理的なもの」といっている場合には、具体的には次のような対象を指しています。「自然法則を表現する式(⇒基礎方程式)に含まれる変数物理量、そうした数を足したり引いたりして得られる量、そしてそうした量の時間的な推移」また「標準模型において実体的に扱われている素粒子、およびそうした素粒子から構成される対象全般、そしてそうした対象がもつ状態の時間的な推移」。主にこういったものが物理現象といった言葉で指されている具体的な内容です。要は「現在の物理学がもつ世界モデルに含まれている事物」が<物的なもの>ということです。(しかしながら「<物理状態>と因果関係をもつのだから<意識>や<クオリア>といったものも、やはりそれは<物的なもの>であるとすべきではないのか」という考えももちろんありまして、そうした考えをもつ人は時に<物理的なもの>の範囲を<意識>や<クオリア>にまで拡張して使用している場合があります。しかしながらそうした場合には何らかの但し書きがある場合が普通ですので、一般的な文脈では上に示したようなものを想定していれば十分です。)
では本題です。ご質問の点について私にわかる範囲で答えてみようとおもいます。
  >クオリアという言葉を当てはめるとしたらそれは感覚神経から伝えられる信号パターンのことである、認識します
  >でも、そうでないとしたらクオリアとはいったい何なのでしょうか?別物であるとしたら私には理解できません。
まずお伝えしておきたいのですが「○○は□□である」すなわち「○○と□□は同じである」というのは、実はけっこう複雑な問題で、哲学においては同一性と呼ばれ重要な分析の対象の一つになっています。つまり「同じ」という言葉はその細かい意味に関してはかなり広がりがある、という点についてとりあえずご理解ください。さて、今回のjohntaさんの疑問に関してですが、ジョン・サールが著書『MiND 心の哲学』の第四章「意識」において、まさに対応するかのような議論をやっています。(:ジョン・サール著 『MiND 心の哲学』 朝日出版社 2006年 ISBN 4-225-00325-4)ここでサールは「因果的な還元」と「存在論的な還元」という二つの概念を導入し、「クオリアは因果的には物理状態に還元できる。しかし存在論的に物理状態に還元することはできない」としてクオリアに関するよくある誤解について解説しています。因果的に還元できるとはつまり「どのようなクオリアが体験されるかは、物理状態によって完全に決まる(すなわち物理状態に付随・スーパーヴィーンしている)」という事です。そして、存在論的に還元できない、とは「クオリアと物理状態は別の存在様式である」ということです。この構図は例を出していうと「スピーカーからどんな音が流れてくるかは、レコードに彫られたミゾの形によって完全に決まる(スピーカーから出てくる音は、レコードに彫られたミゾの形に付随・スーパーヴィーンする)」しかし「音はレコードのミゾではない」というのと同じです。この例の場合哲学的ゾンビとは、「レコードのミゾはちゃんと彫られているのに、スピーカーから音が出ていない場合」に当たります。
  >でも、そうでないとしたらクオリアとはいったい何なのでしょうか?
これはよく分かりません。意識の問題は人類に残された最大かつ最後の知的挑戦だ、などとしばしば伝えられるように、現象的な意識(クオリア)の問題は非常に困難かつ厄介な問題です。研究が進むうちに、もう少し具体性のある何らかの理論がポツポツと出てくるようになると思いますが、どう贔屓目に見ても現時点では<よくわかっていない>としかいえない状況です。以上長くなりましたが、ご質問の点に関しては同一性の分析が鍵になってくると思われます。Was a bee 2007年2月18日 (日) 02:18 (UTC)返信
ご返答ありがとうございます。レコードのたとえ、とてもよくわかりました。確かにそうですね。神経を伝う信号そのものと脳内で再生されるクオリアとは別物だということですよね。たしかにそれを知るのは鏡を使わないで自分の目を見るぐらい難しいことだと思います。これから先この専門の人たちがどうにかそれを知るすべを見つけてくれることに期待したいですね。ありがとうございました。johnta 2007年2月19日 (月) 01:50 (UTC)返信


ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン - 脳のなかの幽霊 編集

表題の本でいくつかクオリアについて触れているんですが、紹介的でも文章を組みこむべきでしょうか? 現在は手元にないので、しばらくしてから手を入れることが可能です。 ただ、もし、上手くできる方がおられれば、おまかせしたいですが(w…… --M-Falcon (talk/hist) 2006年10月17日 (火) 08:25 (UTC)返信

追記-「脳のなかの幽霊、ふたたび」を注文したので、そちらの内容も合せて関係する所があれば追記していこうと思います。(もちろん内容を消化してですが) --M-Falcon (talk/hist) 2006年10月17日 (火) 13:02 (UTC)返信
協力したいのですが、ラマチャンドランの著作を読んだことがありません。がんばってください。Was a bee 2006年10月18日 (水) 08:13 (UTC)返信
うー、読み直したんですが、
  • 哲学的問題から科学的問題へ
  • 現在まだ検証されきっていない推測面が強い
  • なにより、総合的には難しい
ため、文章に組みいれそうにないです。文中の科学面がさらに進めばいろいろ追記できるかもしれませんが...もうちょっと先になりそうです。すみません。 --M-Falcon (talk/hist) 2006年10月22日 (日) 08:05 (UTC)返信


秀逸にご推薦 編集

Toki-hoと申します。大変よい項目だと思いましたので、秀逸に推薦しました。Wikipedia:秀逸な記事の選考/クオリアで、ご意見をお待ちしております。Toki-ho 2006年11月30日 (木) 00:57 (UTC)返信

Was a beeと申します。当記事の編集に関わらせてもらった者のひとりとして、今回のことは嬉しく思います。と、同時に編集に関わったものとして責任も感じます。ということで、Wikipedia:秀逸な記事の選考/クオリアRedattoreさんがなされた指摘について、当記事の編集者の一人として、微力ながらも反応し、また私で分かる範囲のことについてのみになってしまいますが、可能な範囲でご意見にお応えしていきたと思います。
林檎の色の部分は正しく記述されておりません。「林檎の色は…決定される」というところです。暗がりで林檎を見ても赤く見えますから。
暗がり、すなわち照明の明るさ、というのは電磁場の振幅の大小、または光子数の多寡でしかありませんので、指摘には若干の誤解があるように思います。おそらく色覚の恒常性(照明光の違いによらず、色がちゃんと認識できること)について言及したかったのではないでしょうか。確かにそこははしょっています。この点を論じるには知覚心理学などで研究されている錯視といったテーマが絡んでくるのですが、話を発散させずにそれらのテーマを取り込むことが難かしかったため、はしょっています。しかしこのことは当節の文脈上、あまり大きな問題ではありません。なぜならこの節で書こうとしている点は、「物理状態がなぜ特定の「感じ」を生むのか」という話の身近な例にすぎないからです。ですからご指摘の点、錯視のテーマまで取り込んでより正確に記述すれば、記述は若干変化し「特定の周波数分布・空間分布を持つ光子の集団が、網膜に一定の時間変化をもって入射をし続けることで引き起こされる脳細胞の興奮が、なぜ特定の色として感じられるのか」となります。これは非常にわかりにくいと思いますが、それでも確かに現状は はしょりすぎの感もあるため、修正したいと思います。
全体の論調が茂木健一郎の主張に強く依存している
茂木氏の本の内容が、基本的にほとんどチャーマーズに依存して構成されているため、そう見えるのかもしれません。むしろ当記事はチャーマーズからの影響が大きいだろう、と思います。これは彼の著述が現在 最も情報量が多く、内容が詳細なため、参考文献として非常に有用だからです。しかし彼独自の立場も書籍中には多いため、そこは当然割愛して書いています。反対意見や対立する立場も、論点が自分の中で咀嚼でき次第、適宜追加していきます。
日本語の外部リンクや参考文献、他の(日本の)研究者についても引いてほしい。
ここが問題です。英語圏に比べて日本の研究者層は非常に薄い状態です。これが次に書く個人のサイトを引用せざるを得ない状況にもつながっています。しかしまだ引用していない研究者も存在するため、適宜、参考文献として追加していきます。
日本語の外部リンクにWikipedia:外部リンクの選び方から判断すると適切とは思えないものがあります。
公的な研究機関から出ているサイトにリンクしたいのはやまやまですが、上にかいたような状況ゆえ、日本語ではそうしたサイトが皆無に等しい状況です。そこでとりあえずの策としてクオリティの高く、まともで、かつわかりやすいページだけを選んで、リンクしています。(「哲学的な何か、あと科学とか」は書籍にもなっており ISBN 4576061844 、永続性もある程度担保できるでしょう。)。公的な個人・組織からの分かりやすい情報が増えてくるにつれ、適宜リンクを貼り替えて行きたいと思います。
定義部を見ますと、「クオリアは科学的に…現在もほとんど何も分かっておらず」といいつつ「クオリア(は)…科学的・哲学的な一大問題…」と言い切っています。ではどう一大問題なのか、記述がありません。
「何なのかよくわからないことこそが問題である」、ということを書いたつもりですが、分かりにくいようですね。とりあえずは問題の詳細を別記事に書こうと思い、記事:意識のハードプロブレムを別に立ち上げ、リンクさせています。ここがよく分からない、ここに違和感を感じる、などの感想をいただければ、それを参考に記述を見直していきたいと思います。
目次以下の文章を読んでも、クオリアの実例と称するもの、思考実験らしき羅列が並んでいるだけで、「クオリア」とは何なのかも分かりません。
日常的にありふれた現象ですが、クオリアが何なのかはよく分かっていません(これこそが問題です)。ですから物理学にで行なわれるような、スッキリとした対象の定義というのはできません。それゆえ実例の羅列を元に、各人が概念を自分なりに帰納していく、という方法以外まともな方法がないのが現状です。
哲学者の間の議論が紹介されているかと期待すると、見当たりません。
カントフッサールブレンターノが表象や現象や志向性について論じていたことは、哲学の世界では有名な話です。しかしながら自分はここらへんについて簡潔な記述ができるほど、内容を咀嚼していないので、ご指摘のように手薄になっています。また現代における議論は細かい補助概念(付随、思索可能性、消去主義、物理主義、様々な思考実験、等々)を色々と導入して行なわれているので、周辺記事がある程度 充実していなければ、なかなかうまく記述できません。周辺記事の充実を心がけながら、現代の哲学上の議論も補充していきたいと思っています。
最後にこれは指摘はされていない点ですが、クオリアの問題でもっとも激しくバトルになるのは、クオリアは物理的なものに還元できるのかどうか、という点です。すなわち「物理的な系のマクロレベルでの振舞いを意識やらクオリアやらと呼んでいるにすぎない」(こうした考え方を還元主義といいます)と考える人からすると、クオリアという言葉自体が、そもそもの前提を誤った擬似問題にしか見えません。この論点からクオリアという概念自体に噛み付く人が多いのはひとつの事実であり、ここは詳細に記述しなければいけないだろう、と考えています。(現状としては、ほとんどの心の哲学者は、クオリアの問題は素粒子のマクロレベルでの振舞いに還元することはできないだろう、と考えています。もし物理的なものが全てだ、と考えている人が殆どなら心の哲学という学問分野自体これほど大きくはならないでしょう)いちおうチャーマーズとデネットの対立として記事中でこの点については軽く言及していますが、より詳細に論じるためには還元主義様相論理についての詳細な概念が必要となりますので、周囲の補助概念の記事の充実にあわせて、この点についても補充していきたいと思います。Was a bee 2006年12月11日 (月) 08:54 (UTC)返信
ありがとうございます。現在の本文は平易に記されておりますが、Was a beeさんの説明を本文に反映していただけると、さらにクオリア研究の現状についても理解できます。
もう一つ、「感覚」から「クオリア」を引いた後に残るものも示しておいたほうがよいでしょうね。概念の重なり具合が分かりやすくなると思います。---Redattore 2006年12月11日 (月) 14:46 (UTC)返信

Sdfvas (会話 | 投稿記録) による 2010年8月13日 (金) 04:52 へのリバートについて 編集

CUの結果に基づき、不正なアカウントによる編集を一旦戻しました。理由の詳細はこちらをご覧ください[1]。ご不明な点やご意見などございましたら、進行中のWikipedia:コメント依頼/IonianWind 他をご覧ください。ご迷惑をお掛けしますが、ご理解のほど宜しくお願いします。--Nyurutan 2010年11月25日 (木) 01:49 (UTC)返信

不適切なリバートです。もう少し慎重かつ丁寧にやって下さい。不正なアカウントだったという理由での懲罰的なお手軽なリバートではなく、面倒臭くても一々文章の検討の後、個々の理由を述べた上でなるべく最小限の編集でお願いします。--Gyulfox 2010年11月25日 (木) 02:38 (UTC)返信

様々なクオリア 嗅覚 における、改行の改善について 編集

様々なクオリア 嗅覚 の改行が不自然になっているため編集を行ってはみたものの改善しなかったため、どのようにするべきかという項目を追加させていただきました。--Endou subaru会話2013年10月28日 (月) 11:43 (UTC)返信

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