ノート:山中峯太郎

最新のコメント:4 年前 | トピック:本記事の巻き戻しの提案 | 投稿者:Takabeg


今村均による若き日の山中 編集

山中峯太郎#今村均による若き日の山中 という節があるが、一節をほぼひとつの文献からのコピペ品質や内容に疑問を抱く引用?で相当な分量を構成している。また、作家山中の軍人時代のエピソードを、ある人物からの視点でのみ構成したものである。

記事の構成としても異質であり、内容を圧縮した上で、人物交流や軍人時代の1エピソードとして再構成したほうがよいだろうと思う。--Bellis会話) 2019年11月30日 (土) 18:43 (UTC) 揚げ足取り的な抗議が下に示されたが、言いかえを試みることにしよう。「品質や内容に疑問を抱く引用?」--Bellis会話2019年12月1日 (日) 06:58 (UTC)返信

貴殿は何を根拠に他利用者の編集を「コピペ」と決めつけたのですか?他利用者の編集を、根拠を示すことなく「コピペ」と決めつけるのは、WP:NPA#WHATISに示された類型の「悪意をもって相手を非難する、あるいは根拠なく相手を非難する行為を繰り返す。「○○は荒らしだ」、「△△は悪い編集者である」など。」に該当すると思料しますので、管理者伝言板に報告いたしました。--Pooh456会話2019年11月30日 (土) 19:26 (UTC)返信
特定の個人を名指ししていないにもかかわらず「○○は荒らしだ」、「△△は悪い編集者である」などのように非難されたと主張するものがいる。そもそも記事編集は共同作業。その認識が基礎にあるならば、記事内容の問題が指摘されたときに、個人の問題と解釈できてしまうのはおかしな話だろう。記事の私物化、独占をしたいのだろうか。--Bellis会話2019年12月1日 (日) 06:58 (UTC)返信
その部分を執筆したのは私であり、他の利用者が特に手を加えていないことは編集履歴を見れば明白です。よって前述のように判断いたしました。--Pooh456会話2019年12月5日 (木) 11:05 (UTC)返信

問題は本当に必要な内容を適切に引いているのかということだ。今村から見た山中の印象(主観情報)を書くことは正しいが、それに留まらずに山中の軍歴に内容(客観情報)は脱線していく。例えば、今村の想像なのか、恣意的なコラージュでストーリをでっちあげようとしているのか、某上官との関係性で主席になれなかったと故意に誘導している。出典から明確に判ることは、山中が恩賜を外した(=優等生ではない)ということのみ。これは事実といえるのか。--Bellis会話2019年12月1日 (日) 06:58 (UTC)返信

貴殿ほどのベテラン利用者には釈迦に説法と思いますが、「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」では、下記のように示されております。

この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。

貴殿は何を問題視しておられるのですか?出典「今村均 『続・今村均回顧録』 芙蓉書房出版、1980年。」がWP:Vを満たさないと主張なさるのですか?--Pooh456会話2019年12月5日 (木) 11:05 (UTC)返信

ルールを悪用しないこと。--Bellis会話2019年12月5日 (木) 14:50 (UTC)返信
理解力が無いようだからもう一度書く。「うわさ話」と「他の事実」を「合成」している。そういうおかしな文章は排除する。--Bellis会話2019年12月5日 (木) 15:01 (UTC)返信

評伝を見て 編集

尾崎秀樹『夢いまだ成らず 評伝山中峯太郎』を見て、気がついた点を大まかに記す。検証と執筆に時間が取れず、本文中への反映はいつになるかわからないため。

山中の軍隊時代エピソード

  • 軍隊時代のエピソードは評伝全体の実質で3分の1弱程度。
  • 義妹の名はひろ子、義弟は秀三。結婚話はあったものの義妹を妻とはしていない。
  • 妻は込田(こみた)ミユキ。なれそめは東条英機の紹介。
  • 士官学校19期時代の担当区隊長は中村中尉。軍事記録書ではないからか、それ以上の記載は見当たらない。
  • 今村回顧録(獄中記)によれば、士官学校在学中は会話を交わさない間柄。それなりに距離感のある情報である前提でみる必要有り。
  • 依願免官は、3章の最後。

--Bellis会話2019年12月1日 (日) 08:40 (UTC)返信

記事破壊 ? 編集

「東條英機(陸士17期)は山中と同じく原隊が近歩三であり」という行のところで脚注が本文に入り込んでしまっているようです。WP:IINFOな状態であるのは確かですが、ルールとソースによってではなく、利用者のPOVで除去されてしまっている箇所も多いように見受けられるため、適切な版に復帰させてから、ルールとソースに基づいた意見交換によるコンセンサスが得られてから作業に移ったほうがよいでしょう。--Takabeg会話2019年12月28日 (土) 10:00 (UTC)返信

とりあえず、脚注は除去ミスだったので除去で対処しました。
Takabegさんが指摘した点は2点あります。WP:IINFOな状態(!)、利用者のPOVで除去されてしまっている箇所も多い(2)。しかし、どちらも仄めかしに留まっているためどこの何を指摘しているのか不明です。また、差し戻さないと話ができないということでもないと思います(過去版へのリンクを張れば参照しながらの話し合いはできるはず)。例えば、改稿する用意がありその作業の妨げになるから一旦差し戻したいというのなら、差し戻し動機としては理解できます。--Bellis会話2019年12月29日 (日) 07:31 (UTC)返信

Bellisさん、Pooh456さん:

  • 特別:差分/75192693について、①『日本陸海軍総合辞典 [第2版]』の167頁に単独立項されていること (ただし、妻に関する記載は間違いである可能性が大きいように思われます。また、山中峯太郎、山中峯太郎、山中ミユキ共著共著『円満御家庭』資文堂 1929年という本で「中山ミユキ」、日本文藝家協会編『文藝年鑑1981年版』132頁で山中峯太郎の著作権継承者として「中山ミユキ」と書かれているので、カタカナではないかと思います。) ②『近代日中史人名辞典』の594~595頁の書き出しが、「陸軍軍人、作家。」であること。③『名探偵ホームズ全集 第③巻』の平山雄一による解説 (606頁) に「彼と陸軍との繋がりは絶えることはなく、」とあること。④本村恭子「https://ci.nii.ac.jp/naid/120006343882/ 一九三〇年代初頭の戦争美術 : 創作版画誌『白と黒』、『版芸術』を中心に」]『藝叢:筑波大学芸術学研究誌』27、67頁に『満州事変絵画集』の解說を峯太郞が執筆したことが述べられていますが、ここで「軍人で小説家の山中峯太郎」とされていること。⑤古川隆久『東条英機: 太平洋戦争を始めた軍人宰相』の024頁に「元陸軍軍人の作家の山中峯太郎」とあること。などから、「山中の評価は軍歴にない。冒頭に書く必要なし。」というのは利用者個人の感想でしょうね。峯太郎の軍との関係を考えると、記述されてしかるべきと考えます。また、作品ベースですと、東条との関連で『一億の陣頭に立ちて』は書かれているようですが、後輩の田中軍吉との関連で『皇兵』が記載されていないのは寂しいですね。
  • 特別:差分/75192721について、「山中との関係性が不明瞭」とは言えないものの、藤井非三四『陸軍派閥 その発生と軍人相互のダイナミズム』には山中峯太郎の名前を見つけることができませんでした。そうであれば、独自研究と見做される恐れがあります。どうしても掲載すべきというのなら、東条と峯太郎についての関係に言及している出典を提示して書けばよいでしょう。
  • 特別:差分/75246868について、まず第一に、『続・今村均回顧録』は、研究書や研究論文ではありません。「使用してはいけない」というわけではありませんが、トリビアにならない程度に、峯太郎への言及のないソースを使用して独自研究に陥らないような形で紹介するのは問題ないとおもいます。また、平山からの引用は問題なく使用できると思います。現時点で地の文に残っている箇所でも不要なのかと思う箇所はありますが、今村均が書いているものは「今村によれば、」という形にして、脚注にいれるのがよいような気がします。秦はよいとしても藤井非三四や堀元美や山口宗之の書籍において山中峯太郎への言及があるのかどうか、もう一度確認してみてください。無ければ使用しないほうがよいと考えます。ソースはたくさん持っていますので、改稿することは可能です。が、まずは、Pooh456さんに問題点を理解していただきながら修正していただいたほうがよいかと考えています。というわけで、いったん戻して、ルールに反すると考える利用者がいるであろう箇所をPooh456さんに削っていただいて、そのうえで百科事典的に不足している情報などを加筆しようと思っています。それでは。-- Takabeg会話2020年1月22日 (水) 13:33 (UTC)返信
  • 軍人山中は否定していません。例えば、ノンフィクション作家の梯久美子は「ネットで探してもみたが、軍医だった森鴎外と、『敵中横断三百里』などで知られる山中峯太郎くらいしか職業軍人だった小説家は見つけられなかった。」というように、元軍人+作家という要素は無視できないとの認識でいます。ただ、バランスも必要です。Takabegさんが提示したエピソードも、作家時代のものです。冒頭部は文章量を増やしたほうがよいと思っていますが、それは本文を情報の紹介であるべきで、数字の羅列が望ましいとは思いません。
  • 山中と東条の関わりは陸軍中央幼年学校から始まっていません。現状これといったエピソードは拾えていないので書くこともありませんが。
  • 妻の名前(山中?中山は誤り?)。、著作権継承者情報は、本名と思ってよかったのでしょうか。『円満御家庭』は把握しており、筆名も確認してはいますが、ペンネームの可能性もあるため、判断は保留としていましたが。--Bellis会話2020年1月22日 (水) 16:16 (UTC)返信

本記事の巻き戻しの提案 編集

本記事については、利用者:Bellis会話 / 投稿記録 / 記録氏によって、ウィキペディアのルールを無視した編集が行われておりましたが、同氏は無期限ブロックとなってWP:EDITWARの恐れは消滅しました。

ついては、同氏が編集を始める前の版(Pooh456による 2019年11月30日 (土) 18:09(UTC)の版)にいったん巻き戻すことを提案します。--Pooh456会話2020年2月6日 (木) 02:52 (UTC)返信

上で指摘されていることも考慮にいれ、『続・今村均回顧録』が二次資料ではないこと、藤井非三四や堀元美や山口宗之の書籍など山中峯太郎への言及のない文章や資料をむやみに挿入しないことなどもご理解いただいて、IINFOにならないような形で復帰させるのがベストで、機械的に巻き戻すのがベターといったところだとおもいます。いずれにしても、最終的にPooh456さんご自身でルールに従ってIINFOを回避していただければよいのではないかと思います。-- Takabeg会話2020年2月7日 (金) 11:42 (UTC)返信

  報告 提案と告知から2週間が経過しましたが、Takabegさんからコメントを頂いたのみで、特に異論が出ておりませんので、「Wikipedia:合意形成#合意形成」の示すところに従い、巻き戻しを実施いたしました(差分)。

なお、提案した版(Pooh456による 2019年11月30日 (土) 18:09(UTC)の版)よりやや遡る「Bellisによる 2019年11月30日 (土) 17:38(UTC)の版」への巻き戻しとさせて頂きました。

WP:IINFOを回避するための改訂については、これから改訂案の提示などを進めて行きたいと存じます。よろしくお願いいたします。--Pooh456会話2020年2月20日 (木) 02:50 (UTC)返信

IINFO に加えて、独自研究と見做され得る箇所もありますので、可能な限り早急に改訂作業を進めてください。-- Takabeg会話2020年2月26日 (水) 13:43 (UTC)返信
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