ハンブルガーSV

ドイツのサッカークラブ

ハンブルガー・シュポルト=フェアアイン・エー・ファウHamburger Sport-Verein e. V.)は、ドイツハンブルクに本拠地を置く総合スポーツクラブ。通称:ハンブルガーSV(ハンブルガー・エス・ファウ[注 1])、略称:HSV(ハー・エス・ファウ)。バドミントンバスケットボール野球ハンドボールをはじめ様々な種目のスポーツ部門を傘下に持つ[1]登録社団サッカー部門が特に知られており、この項で扱う。

ハンブルガーSV
原語表記 Hamburger Sport-Verein e. V.
愛称 HSV(ハー・エス・ファウ)
クラブカラー 青と白と黒
創設年 1887年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 2.ブンデスリーガ
ホームタウン ハンブルク
ホームスタジアム フォルクスパルクシュタディオン
収容人数 57,000
代表者 ドイツの旗 ベルント・ホフマン
監督 ドイツの旗 ティム・ヴァルター
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

「Sport-Verein」(シュポルト=フェアアイン)とは「スポーツ協会、連盟」と訳せる言葉である。サッカーのトップチームは2017-18シーズンまではブンデスリーガから降格した経験がなかったことでも知られる[1]

歴史 編集

創設期 編集

 
ハンブルク市の旗や紋章に描かれた赤色はクラブのユニフォームカラーとして採用された。

1887年9月29日、「ヴァンツベック=マリーエンターラーSC」と「ホーエンフェルダーSC」が合併しSCゲルマニア英語版を創設[2]。同クラブはハンブルガーSVの前身となる3つのスポーツクラブのうちの一つであり、クラブはこの年を創設年としている[2]

1888年6月1日、ギムナジウムの学生により「ハンブルガーFC」を創設し、1914年に「ハンブルガーSV」と改称[2]1906年には「FCファルケ」が創設されたが、3つのクラブは第一次世界大戦終結後の1919年7月1日に「ハンブルガーSV」として合併した[2]。クラブの公式カラーは「ハンブルガーSV」や「SCゲルマニア」のカラーでもあったが採用されたが、それとは対照的にホーム用のユニフォームにはハンブルク市の旗や紋章の色でありハンザ同盟の色でもあると白を採用した[2]

ドイツ・サッカー選手権では1921-22シーズンに初の決勝進出を果たし1.FCニュルンベルクとの対戦となり再試合に持ち込まれたが2試合とも決着がつかずドイツサッカー連盟 (DFB) はハンブルガーSVを勝者と定めたが、クラブはこのタイトルを返上した[2]。翌1922-23シーズンに2大会連続で決勝進出をするとウニオン・オーバーシェーネヴァイデを3-0で下し初タイトルを獲得[2]、1927-28シーズンにはヘルタ・ベルリンを5-2で下し2度目のタイトルを獲得した[2]

1950年代から1960年代 編集

 
1950年代から1960年代の中心選手・ウーヴェ・ゼーラー

1953年、後にドイツ代表となるウーヴェ・ゼーラーが入団[3]。1955-56シーズンのDFBポカールでは決勝戦でカールスルーエSCに敗れ準優勝に終わったが、1959–60シーズンのドイツ選手権では決勝で1.FCケルンを3-2と下し32年ぶり3度目のタイトルを獲得。ゼーラーは1960年から選定の始まった年間最優秀選手賞の最初の受賞者となった[3]。1962–63シーズンのDFBポカールでは決勝戦でボルシア・ドルトムントを3-0と下して初優勝を果たすと、国際舞台においてもUEFAカップウィナーズカップ 1967-68ではフランスのオリンピック・リヨンやウェールズのカーディフ・シティFCなどを下して決勝進出、決勝戦ではイタリアのACミランに敗れたものの準優勝の結果を残した[3]。ゼーラーは1964年[3]1970年[4]にも年間最優秀選手賞を受賞し人気選手となったが、一方で国内リーグでは1963年に発足したブンデスリーガの創設メンバーとなったものの[3]、ゼーラーの現役時代にはリーグタイトルを獲得することは出来なかった。

1970年代から1980年代 編集

 
1981年2月に行われたバイエルン・ミュンヘン戦。
 
1982年9月に行われたディナモ・ベルリン戦。

1972–73シーズンにはDFBリーガポカールで優勝[4]。国内リーグではゼーラーの引退と前後して下位に低迷したものの、クノ・クレッツァー英語版監督の指揮の下で後にドイツ代表となるマンフレート・カルツフェリックス・マガトカスパー・メメリングドイツ語版らが加入。1975–76シーズンにはDFBポカール決勝で1.FCニュルンベルクを2-0と下し2度目のタイトルを獲得すると、UEFAカップウィナーズカップ 1976-77ではベルギーのRSCアンデルレヒトを2–0と下して初のヨーロッパタイトルを獲得した[4][5]。さらに1977年5月、イングランドのリヴァプールFCから当時の世界的選手の一人だったケビン・キーガンが移籍[4]。翌1978年1月にはゼネラルマネージャーとしてギュンター・ネッツァー、同年7月には監督としてユーゴスラビアのブランコ・ゼベツを招聘[4]。ストライカーのホルスト・ルベッシュも加入し1978-79シーズンにはブンデスリーガ初優勝を果たした[4]

UEFAチャンピオンズカップ 1979-80では準決勝でスペインのレアル・マドリードを下し決勝進出を果たすが、決勝ではブライアン・クラフの率いるイングランドのノッティンガム・フォレストFCに0-1で敗退[6][7]

1981年7月、 オーストリアのエルンスト・ハッペルが監督に就任[6]UEFAカップ1981-82では決勝戦でスウェーデンのIFKヨーテボリに敗れタイトルを逃したが[6][8]、1981-82シーズンのブンデスリーガでは36試合無敗記録を作り、1978-79シーズン以来2度目のタイトルを獲得[6]。27得点をあげたルベッシュが得点王となった[6]。翌1982-83にはUEFAチャンピオンズカップ 1982-83に出場しソ連のディナモ・キエフやスペインのレアル・ソシエダを下して決勝戦へ進出すると、決勝ではイタリアのユヴェントスFCをマガトの決勝点で1-0と下し初優勝を収めた[6][9]。またブンデスリーガにおいても連覇を成し遂げるなど、クラブの歴史上において最も成功した瞬間を祝った[6]。その後、1986-87シーズンのブンデスリーガでは2位となり、DFBポカール決勝ではシュトゥットガルター・キッカーズを3-1と下して3度目のタイトルを獲得したが[6]、ハッペルは1987年6月限りで退任した。

1990年代から2000年代 編集

ハッペルの退任を経て1990年代に入ると下位に低迷するようになり、1990–91シーズンに在籍したトーマス・ドルが当時の記録となる1600万ドイツマルクの移籍金でイタリアのSSラツィオへ移籍したことや、クラブOBのマガトの監督復帰やゼーラーの会長就任などが明るい話題となった[10]

1999-00シーズンにはフランク・パーゲルスドルフドイツ語版監督の指揮の下で好調を維持しリーグ戦を3位で終えると、UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01予選への出場権を獲得[10][11]。デンマークのブレンビーIFを下して1次グループリーグへ進出すると、イタリアのユヴェントスFCに対して1勝1引き分けと健闘したもののスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャとギリシャのパナシナイコスFCに競り負けグループ3位で敗退した[11][12]

2004年、クラブOBのドルが監督に就任[11]。2005-06シーズンは3位でシーズンを終え[11]、オフには左サイドバックとしてファン・パブロ・ソリン、ディフェンスラインの要としてヴァンサン・コンパニヨリス・マタイセン、FWにはブバカル・サノゴダニエル・リュボヤを獲得したが、2006-07シーズンは攻守の歯車がかみ合わず、一時期は2部降格圏をさまようまで成績が低迷、ドルからフーブ・ステフェンスへの監督交代で建て直しに成功したが、2000-01シーズン以来の出場となったUEFAチャンピオンズリーグ 2006-07では、予備戦3回戦でCAオサスナに勝ち抜き本戦出場を決めたものの、アーセナルポルトCSKAモスクワと同組となったグループリーグでは第5節まで連敗を続け、最終節のホームで迎えたCSKAモスクワ戦で勝利したものの、1勝5敗でグループリーグ最下位での敗退となった[13]

2008年、オランダのマルティン・ヨルが監督に就任[11]。2008–09シーズンのDFBポカールとUEFAカップ 2008-09はともに準決勝進出を果たすが、いずれもヴェルダー・ブレーメンに敗れ決勝進出を逃した[11][14]2009年、ヨルの後任としてブルーノ・ラッバディアが監督に就任[11]。UEFAカップから改編されたUEFAヨーロッパリーグ 2009-10では準決勝進出を果たすが、イングランドのフラムFCに敗れた[11][15]

2010年代 編集

2010-11シーズンからはアルミン・フェーが監督に就任したが、シーズンを通じて成績が低迷し2011年3月に行われたバイエルン・ミュンヘン戦で0-6と大敗すると、監督を解任された[11]。最終的に8位でシーズンを終えたが、それまで維持し続けていたUEFA主催の国際大会への出場権を失った[11]。2011-12シーズンは開幕から下位に低迷し[16]、2011年10月にトルステン・フィンクが監督に就任した後も成績が伸び悩むなどクラブ史上初の降格も現実味を帯びたが[17]15位で辛うじて残留を果たし、翌2012-13シーズンは7位でシーズンを終えた。

2013-14シーズンも引き続きフィンクが指揮を執ったがシーズン最中に解任され[18]、オランダのベルト・ファン・マルワイクが監督に就任したがチーム状態を立て直すことは出来ず2014年2月に解任[19]。後任にミルコ・スロムカが就任すると[20]最終的に16位となり、SpVggグロイター・フュルトとの入れ替え戦の末にかろうじて残留を決めた[1][21]

2014-15シーズンも不振を抜けられず、昇格組のパーダーボルンに完封負けするなど1分2敗となり、9月15日にスロムカ監督を解任した[1][22]

ブルーノ・ラッバディア監督就任後に最後の数試合で勝ち点10を獲得。特に最終節の前までは自動降格圏内の17位であったが、最終戦のシャルケ戦を2-0でものにし、最終的には逆転で昨シーズンに続き16位となった。山田大記の所属するカールスルーエSCとの入れ替え戦は、第1戦のホームを1-1で引き分けるも、第2戦のアウェー戦を延長戦の末、2-1の勝利で残留を果たした。なおセレッソ大阪から復帰したゴイコ・カチャルはシーズン終盤の31節から33節にかけて3連続ゴールを決め残留に貢献した[23]

2016-17シーズンは開幕5試合で勝ち点1に留まりラッバディアは解任され、後任にマルクス・キズドルが就任。その後も未勝利が続いたが、12節でようやく初勝利を挙げる。 そして16位で迎えた最終節のVfLヴォルフスブルク戦、両チーム共に勝てば自力残留が決まる大一番を2-1で勝利し14位で残留を決めた。

2017-18シーズンは開幕2連勝だったものの開幕戦でニコライ・ミュラーがゴール後のパフォーマンスで着地に失敗して右膝前十字靭帯断裂する重傷で7か月の離脱もあり、残留争いに巻き込まれ、第19節で最下位の1.FCケルンに敗戦したことを受けてキズドル監督を解任した[24]

2018年5月12日のリーグ最終節ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦で2-1と勝利したが、勝ち点2差の16位につけるVfLヴォルフスブルク1.FCケルンに勝ったため、クラブ史上初の2部降格が決定した。幾度となく奇跡を起こしてきたハンブルガーSVだったが、54年間守り続けた降格なしの伝統は終わりを迎えた。

1年でのブンデスリーガ復帰が求められていた2018-19シーズンは4位で終了した。

2020年代 編集

2019-20シーズンと2020-21シーズンも2部で4位に終わる。2021-22シーズンは3位で昇格プレーオフ(入れ替え戦)に回るも、1部のヘルタ・ベルリンに敗れ昇格はならなかった。

2022-23シーズンは最終節まで自動昇格2枠を3チームで争い、ハンブルガーはダルムシュタットハイデンハイムに次ぐ3位に付けていた。アウェイでザントハウゼンに勝利したチームは、上位2チームの結果を待っていた。この時点でダルムシュタットとハイデンハイム双方が負けており、昇格を確信したファンがホイッスルと同時にピッチに雪崩れ込み、選手とともに昇格を祝った。会場アナウンスがハンブルガーの昇格を報じたことも歓喜を後押しした。しかし、ハイデンハイムは93分にPKで同点に追いつくと、99分には劇的な逆転ゴールを決め2-3で試合終了。1部昇格を決めると共に2部優勝も手にしたため、ハンブルガーは2年連続で3位に終わり昇格プレーオフに回ることとなった。その後ザントハウゼンは誤報を認め、ハンブルガーのサポーターに向けて謝罪した[25][26]。プレーオフでは2戦合計1-6でシュトゥットガルトに敗れ、またしても昇格はならなかった[27]

エピソード 編集

2010年以降、FCバイエルン・ミュンヘンを非常に苦手としており、0-6(2010-11), 0-5(2011-12), 2-9(2012-13), 1-4(2013-14), 0-8(2014-15), 0-5(2015-16), 0-8(2016-17), 0-6(2017-18)と8年連続で大敗している。また、過去10試合で44失点を記録し、1試合平均4.4ゴールを決められている計算となる[28]

タイトル 編集

国内タイトル 編集

  • 北ドイツ・サッカー選手権:10回
    • 1921, 1922, 1923, 1924, 1925, 1928, 1929, 1931, 1932, 1933
  • ガウリーガ・ノルトマルク:4回
    • 1937, 1938, 1939, 1941
  • ガウリーガ・ハンブルク:1回
    • 1945
  • シュタッツリーガ・ハンブルク:1回
    • 1946

国際タイトル 編集


過去の成績 編集

出典[29]
シーズン ディビジョン DFBポカール
リーグ 順位
1963-64 ブンデスリーガ1部 30 11 10 9 69 60 32 6位 1回戦敗退
1964-65 ブンデスリーガ1部 30 11 5 14 46 56 27 11位 2回戦敗退
1965-66 ブンデスリーガ1部 34 13 8 13 64 52 34 9位 準々決勝敗退
1966-67 ブンデスリーガ1部 34 10 10 14 37 53 30 14位 準優勝
1967-68 ブンデスリーガ1部 34 11 11 12 51 54 33 13位 1回戦敗退
1968-69 ブンデスリーガ1部 34 13 10 11 55 55 36 6位 準々決勝敗退
1969-70 ブンデスリーガ1部 34 12 11 11 57 54 35 6位 2回戦敗退
1970-71 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 54 63 37 5位 準々決勝敗退
1971-72 ブンデスリーガ1部 34 13 7 14 52 52 33 10位 2回戦敗退
1972-73 ブンデスリーガ1部 34 10 8 16 53 59 28 14位 2回戦敗退
1973-74 ブンデスリーガ1部 34 13 5 16 53 62 31 12位 準優勝
1974-75 ブンデスリーガ1部 34 18 7 9 55 38 43 4位 2回戦敗退
1975-76 ブンデスリーガ1部 34 17 7 10 59 32 41 2位 優勝
1976-77 ブンデスリーガ1部 34 14 10 10 67 56 38 6位 2回戦敗退
1977-78 ブンデスリーガ1部 34 14 6 14 61 67 34 10位 ベスト16
1978-79 ブンデスリーガ1部 34 21 7 6 78 32 49 1位 1回戦敗退
1979-80 ブンデスリーガ1部 34 20 8 6 86 35 48 2位 3回戦敗退
1980-81 ブンデスリーガ1部 34 21 7 6 73 43 49 2位 準々決勝敗退
1981-82 ブンデスリーガ1部 34 18 12 4 95 45 48 1位 準決勝敗退
1982-83 ブンデスリーガ1部 34 20 12 2 79 33 52 1位 ベスト16
1983-84 ブンデスリーガ1部 34 21 6 7 75 36 48 2位 ベスト16
1984-85 ブンデスリーガ1部 34 14 9 11 58 49 37 5位 1回戦敗退
1985-86 ブンデスリーガ1部 34 17 5 12 52 35 39 7位 1回戦敗退
1986-87 ブンデスリーガ1部 34 19 9 6 69 37 47 2位 優勝
1987-88 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 63 68 37 6位 準決勝敗退
1988-89 ブンデスリーガ1部 34 17 9 8 60 36 43 4位 準々決勝敗退
1989-90 ブンデスリーガ1部 34 13 5 16 39 46 31 11位 1回戦敗退
1990-91 ブンデスリーガ1部 34 16 8 10 60 38 40 5位 ベスト16
1991-92 ブンデスリーガ1部 38 9 16 13 32 43 34 12位 2回戦敗退
1992-93 ブンデスリーガ1部 34 8 15 11 42 44 31 11位 2回戦敗退
1993-94 ブンデスリーガ1部 34 13 8 13 48 52 34 12位 ベスト16
1994-95 ブンデスリーガ1部 34 10 9 15 43 50 29 13位 2回戦敗退
1995-96 ブンデスリーガ1部 34 12 14 8 52 47 50 5位 1回戦敗退
1996-97 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 46 60 41 13位 準決勝敗退
1997-98 ブンデスリーガ1部 34 11 11 12 38 46 44 9位 2回戦敗退
1998-99 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 47 46 50 7位 ベスト16
1999-00 ブンデスリーガ1部 34 16 11 7 63 39 59 3位 ベスト16
2000-01 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 58 58 41 13位 2回戦敗退
2001-02 ブンデスリーガ1部 34 10 10 14 51 57 40 11位 2回戦敗退
2002-03 ブンデスリーガ1部 34 15 11 8 46 36 56 4位 ベスト16
2003-04 ブンデスリーガ1部 34 14 7 13 47 60 49 8位 ベスト16
2004-05 ブンデスリーガ1部 34 16 3 15 55 50 51 8位 1回戦敗退
2005-06 ブンデスリーガ1部 34 21 5 8 53 30 68 3位 ベスト16
2006-07 ブンデスリーガ1部 34 10 15 9 43 37 45 7位 1回戦敗退
2007-08 ブンデスリーガ1部 34 14 12 8 47 26 54 4位 準々決勝敗退
2008-09 ブンデスリーガ1部 34 19 4 11 49 47 61 5位 準決勝敗退
2009-10 ブンデスリーガ1部 34 13 13 8 56 41 52 7位 2回戦敗退
2010-11 ブンデスリーガ1部 34 12 9 13 46 52 45 8位 2回戦敗退
2011-12 ブンデスリーガ1部 34 8 12 14 35 57 36 15位 ベスト16
2012-13 ブンデスリーガ1部 34 14 6 14 42 53 48 7位 1回戦敗退
2013-14 ブンデスリーガ1部 34 7 6 21 51 75 27 16位 準々決勝敗退
2014-15 ブンデスリーガ1部 34 9 8 17 25 50 35 16位 2回戦敗退
2015-16 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 40 46 41 10位 1回戦敗退
2016-17 ブンデスリーガ1部 34 10 8 16 33 61 38 14位 準々決勝敗退
2017-18 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 29 53 31 17位 1回戦敗退
2018-19 ブンデスリーガ2部 34 16 8 10 45 42 56 4位 準決勝敗退
2019-20 ブンデスリーガ2部 34 14 12 8 62 46 54 4位 2回戦敗退
2020-21 ブンデスリーガ2部 34 16 10 8 71 44 58 4位 1回戦敗退
2021-22 ブンデスリーガ2部 34 16 12 6 67 35 60 3位 準決勝敗退
2022-23 ブンデスリーガ2部 34 20 6 8 70 45 66 3位 2回戦敗退

現所属メンバー 編集

2023-2024シーズン 開幕戦(シャルケ04戦)フォーメーション(4-3-3)
2023年11月6日現在[30]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ダニエル・ホイヤー・フェルナンデス ( )
2 DF   ウイリアム・ミケルブレンシス英語版
3 DF   モリッツ・ハイヤー
4 DF   セバスチャン・ションラウ英語版  
5 DF   デニス・ハジカドゥニッチ ( )
6 MF   ウカシュ・ポレンバ英語版
8 MF   ラースロー・ベーネス
9 FW   ロベルト・グラッツェル
10 MF   イマヌエル・フェライ
11 FW   ランスフォード・クニスデルファー英語版 ( )
12 GK   トム・ミケル
13 DF   ギリェルメ・ラモス
14 MF   ルドヴィト・ライス ( )
18 FW   ベーカリー・ジャッタ英語版
No. Pos. 選手名
19 GK   マテオ・ラーブ英語版
20 FW   ネーメト・アンドラーシュ ( )
21 MF   レヴィン・エズトゥナリ
22 DF   イグナス・ファン・デル・ブレント
23 MF   ヨナス・メファート英語版
27 FW   ジャン・リュック・ドンペ英語版 ( )
28 DF   ミロ・ムハイム英語版
35 DF   ステファン・アンブロシウス ( )
36 MF   アンシ・スホネン英語版
37 DF   ヴァルン・ズンベリ英語版 ( )
41 MF   オマール・メジード英語版 ( )
44 DF   マリオ・ヴシュコヴィッチ
45 FW   トム・ザネ英語版
46 MF   エリヤー・クラーン英語版
47 DF   ニコラス・オリベラ ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
5 DF   デニス・ハジカドゥニッチ (FCロストフ)( )
6 MF   ウカシュ・ポレンバ (RCランス)
No. Pos. 選手名
22 DF   イグナス・ファン・デル・ブレント (RBザルツブルク)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   ヨナス・ダビド (ハンザ・ロストック)( )
-- GK   マルコ・ヨハンソン (ハルムスタッズBK)( )
No. Pos. 選手名
-- FW   ダウダ・ベレメ (FCインゴルシュタット04)( )
-- GK   レオ・オッパーマン (アルミニア・ビーレフェルト)

歴代監督 編集

出典[31]

歴代所属選手 編集

GK 編集

DF 編集

MF 編集

FW 編集

その他のスポーツ 編集

ドイツのスポーツクラブはその傘下にいろいろな種類のスポーツ部門を持つ「総合型スポーツクラブ」として知られているが、HSVにはほかに以下のものがある。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 日本ではアルファベット部分は英語でエスブイとも呼ばれる。

出典 編集

  1. ^ a b c d ハンブルガーSVのクラブデータ”. ブンデスリーガ公式ウェブサイト. 2014年9月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Die Entstehungsgeschichte des Hamburger Sport-Vereins”. HSV.de. 2014年9月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e Die Ära Uwe Seeler”. HSV.de. 2014年9月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f Die 70er Jahre”. HSV.de. 2014年9月15日閲覧。
  5. ^ 1976/77: Hamburg end Anderlecht's dream”. UEFA.com. 2010年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h Die 80er Jahre”. HSV.de. 2014年9月15日閲覧。
  7. ^ 1979/80: Shilton keeps Hamburg at bay”. UEFA.com. 2014年9月15日閲覧。
  8. ^ 1981/82: Eriksson plots Göteborg success”. UEFA.com. 2014年9月15日閲覧。
  9. ^ 1982/83: Magath thunderbolt downs Juve”. UEFA.com. 2014年9月15日閲覧。
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外部リンク 編集