ピエール・ウェボ

カメルーンのサッカー選手

ピエール・アチール・ウェボ・クアモPierre Achille Webó Kouamo, 1982年1月20日)は、カメルーンバフーサム出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW

ピエール・ウェボ
名前
本名 ピエール・アチール・ウェボ・クアモ
Pierre Achille Webó Kouamo
ラテン文字 Pierre Webó
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
生年月日 (1982-01-20) 1982年1月20日(42歳)
出身地 バフーサム
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 ガンビアの旗 レアル・デ・バンジュールFC
2000-2002 ウルグアイの旗 ナシオナル・モンテビデオ 21 (15)
2003 スペインの旗 CDレガネス 7 (0)
2003-2007 スペインの旗 CAオサスナ 114 (20)
2007-2011 スペインの旗 RCDマヨルカ 113 (27)
2011-2013 トルコの旗 イスタンブール・バシャクシェヒルFK 54 (24)
2013-2015 トルコの旗 フェネルバフチェSK 65 (24)
2015-2017 トルコの旗 オスマンルスポルFK 49 (15)
2017-2018 トルコの旗 ガズィアンテプBB 7 (1)
2018 ウルグアイの旗 ナシオナル・モンテビデオ 2 (0)
代表歴2
2003-2014 カメルーンの旗 カメルーン 59 (18)
監督歴
2019- トルコの旗 バシャクシェヒル (アシスタントコーチ]
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月30日現在。
2. 2014年10月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

CAオサスナRCDエスパニョールに所属したウェボは、スペイン1部の舞台で8シーズンに渡りプレーし、227試合48得点を記録した(スペインでは、他に下部のCDレガネスでプレーしていた)。

カメルーン代表としては2003年に初めて選出され、アフリカネイションズカップ2回と2010 FIFAワールドカップでプレーした。

現役引退後の現在は、スュペル・リグイスタンブール・バシャクシェヒルFKでアシスタントコーチを務めている。

経歴 編集

クラブ 編集

初期 編集

 
マヨルカでのウェボ

西部州バフーサムに生まれたウェボは、ウルグアイナシオナル・モンテビデオでプロキャリアを始め、3年の在籍で2度リーグ戦で優勝した。最後の3年目は特にチームにとって重要な選手となり、2002年のコパ・スダメリカーナで得点王に輝いた[1]

2003年1月にヨーロッパへ移動し、マドリード郊外にある2部CDレガネスと契約した。

CAオサスナ 編集

2003年夏にCAオサスナに移籍し、それから3シーズン目に6得点を挙げた。そのシーズンはリーグで4位になりUEFAチャンピオンズリーグ 2006-07の予選3回戦出場権を獲得するが、ハンブルガーSVに敗れたため本選出場は叶わなかった。2006年夏にはマラリアの治療のためにプレシーズンを棒に振った[2]が、2006-07シーズンは昨シーズンと同じ31試合に出場した。UEFAチャンピオンズリーグで敗退したことにより出場したUEFAカップ2006-07では準決勝まで勝ち進んだ。ウェボ個人としては、決勝トーナメント2回戦のレンジャーズFC戦セカンドレグで勝ち抜けを決める決勝点を挙げ[3]、準々決勝バイエル・レバークーゼン戦ファーストレグでは途中出場してすぐにチップキックでゴールを奪う活躍を見せた[4]。準決勝のセビージャFC戦ではセカンドレグ終盤にポストを叩くヘディングシュートを放ったものの、得点はならず敗退[5]。この大会で9試合2得点を記録した。

RCDマヨルカ 編集

2007年、ディエゴ・トリスタンマクシミリアーノ・ロペスの退団からストライカー獲得を迫られていたRCDマヨルカに移籍した。すぐさまチームに適応したが、シーズン開幕早々に右足第5中足骨を骨折して全治3ヶ月の怪我を負った[6]ことで1年目の出場機会は僅かなものだったが5得点を挙げた。翌シーズンになると得点王を獲得したダニ・グイサが去ったことで、主に途中出場だったものの出場機会が増え(33試合中24試合が途中出場)、2008年9月28日のラシン・サンタンデール戦で決勝点を挙げるなど5得点を挙げた。2009-10シーズンはチーム2位タイの6得点を決め、チームは5位でUEFAヨーロッパリーグ 2010-11プレーオフの出場権を獲得した。スペイン1部での8シーズンは先発出場と途中出場がちょうど半々くらいであるが、毎シーズン安定して5点前後を決めている[7]。また、ヘディングシュートを得意としており、2007-08シーズンはリーグ戦での4得点中4点を、2008-09シーズンは5得点中2点を、2010-11シーズンは11得点中6点をヘディングで決めている[8]

2010-11シーズンは降格寸前の苦しいシーズンだったが、ウェボ個人としてはアリツ・アドゥリスが去ったこともあり、今までの控えの状況から一変してレギュラーの座を掴み、キャリア最高の11得点を挙げた。残留に一役買ったこもありシーズン終了後に契約を3年延長したが、8月に入ると個人的な理由から退団を望んだ[9]

トルコ 編集

当初は、トルコカイセリスポルへ移籍金125万ユーロで加入濃厚だった[10]が、最終的にイスタンブールBBに入団。2011年9月11日の開幕戦・ガラタサライSK戦 (2-0) でデビューした[11]

2013年1月31日に同じイスタンブールを本拠とする強豪フェネルバフチェSKに移籍金300万ユーロ・3年契約で加入[12]スィヴァススポル戦でデビューし、初得点を決めたがホームで1-2と敗れた。3月7日のUEFAヨーロッパリーグ・ラウンド16でのFCヴィクトリア・プルゼニ戦 (第1レグ) において唯一の得点を挙げ、勝利に貢献した[13]

2015年7月24日にオスマンルスポルFKへ移籍[14]

2017年にガズィアンテプBBへ移籍した。

代表 編集

2003年11月にカメルーン代表に初招集された。2006 FIFAワールドカップ・アフリカ予選コートジボワール戦でハットトリックを決めて勝利したが、順位はコートジボワールにあと一歩及ばず、本大会には出場できなかった。また、同年のアフリカネイションズカップ2006に初出場した。

2009年8月12日、ウィーンで行なわれたオーストリアとの親善試合では前半のみの出場だったが2得点した。2009年7月にポール・ル・グエン監督が就任してから重用されるようになり[15]2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選の最終予選で6試合中5試合に出場し、本大会進出が懸かった最終節のモロッコ戦で先制点を決めた[16]。予選終了後の親善試合・ケニア戦(アウェー)でも得点した。アフリカネイションズカップ2010では格下相手に先制点を与える試合が続き、準々決勝で敗退した[17]

2010年5月、2010 FIFAワールドカップに出場するカメルーン代表メンバー23人に選出され[18]、大会開幕直前の6月1日に行われたポルトガル戦では1-3で敗れたもののチーム唯一の得点を決め、6月5日に行われたセルビア戦ではヘディングで2得点する[19]など好調さを見せていたことから、グループリーグ初戦の日本戦と次のデンマーク戦に先発出場するも得点を挙げることは出来ず、最終的にチームはグループリーグ最下位で敗退した。

エピソード 編集

2008年9月のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で、デポルティーボのチームDJのウェボに纏わる発言が話題となった。チームDJは「いこうぜ、マヨルカはウェボ1人のみ、デポルは20のウエボがある」とアナウンスしたのだが、スペイン語でウエボとは卵の意で、俗語では睾丸を意味する。このウェボとウエボを掛けた発言に悪意はなかったものの、審判記録に記載された。

所属クラブ 編集

タイトル 編集

クラブ 編集

ナシオナル・モンテビデオ
フェネルバフチェSK

個人 編集

脚注 編集

外部リンク 編集