フィリス・アレンPhyllis Allen, 1861年11月25日 - 1938年3月26日)はアメリカ合衆国女優コメディエンヌ、ヴォードヴィリアン。

フィリス・アレン
Phyllis Allen
Phyllis Allen
「給料日」(1922年)
生年月日 (1861-11-25) 1861年11月25日
没年月日 (1938-03-26) 1938年3月26日(76歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨークスタテンアイランド
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 女優コメディエンヌ
ジャンル 映画ヴォードヴィル
活動期間 1910年 - 1923年ごろ
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ヴォードヴィルを起点に映画界に入り、1910年から1923年ごろにわたって74もの作品に出演。1913年から1916年まで在籍したキーストン社時代を中心に、コメディ作品の常連としてチャールズ・チャップリン「ファッティ」ロスコー・アーバックルマック・スウェインメーベル・ノーマンドらと共演を重ねた。

生涯 編集

フィリス・アレンは1861年11月25日、ニューヨークスタテンアイランドに生まれる。間の経歴は定かではないが、最終的にはヴォードヴィルの世界に入り、のちにはミュージカルにも出演するようになった[1]。映画界には1910年ごろに入り[1]、間もなくマック・セネットに誘われてキーストン社に移籍する。1916年にキーストン社を去ったあとはウィリアム・フォックスが創設したフォックス・フィルム・コーポレーション[注釈 1]ヴァイタグラフ社英語版[注釈 2]ファースト・ナショナル英語版と渡り歩いた[1]。フィリスは1923年ごろに引退し、1938年3月26日に76歳で亡くなった。

フィリスは、特にチャップリン作品では主に口やかましい「恐妻」の役どころを演じ、たとえ妻でなくても、メーベルやエドナ・パーヴァイアンスのような「あこがれの存在」とは正反対の、「顔を見ると逃げ出したくなる」ような女性[2]の役どころを引き受けた。この「恐妻」の印象があまり強いのか、1974年に伝記作家デニス・ギフォードがチャップリンの伝記を著した際にフィルモグラフィーが付されたが、その中で「口やかましい女性」はすべてフィリスにあてがわれるというミスが生じてしまうほどであった[3][注釈 3]

1861年生まれのフィリスはまた、生年、没年あるいはその両方が明らかなチャップリンの共演者としては、『チャップリンの寄席見物』(1915年)や『チャップリンの霊泉』(1917年)、『犬の生活』(1918年)などで共演したジェームズ・T・ケリー1854年生)に次ぐ年長者にあたる[4]。1861年という生年は、チャップリンを見出したフレッド・カーノー英語版やチャップリンの片腕として長く活躍したヘンリー・バーグマン、さらにはチャップリンの両親、チャールズ・チャップリン・シニアハンナ・チャップリンよりも年上であることを意味する[5]

主な出演作品 編集

インターネット・ムービー・データベースのデータによる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 20世紀フォックスの前身の一つ
  2. ^ ワーナー・ブラザースの前身の一つ
  3. ^ ちなみに、「エドナが『殺人狂時代』(1947年)と『ライムライト』(1952年)にエキストラ出演した」という誤伝も、ギフォードの著作が元ネタである(#ロビンソン (下) p.445)。

出典 編集

参考文献 編集

サイト 編集

印刷物 編集

  • チャールズ・チャップリン『チャップリン自伝』中野好夫(訳)、新潮社、1966年。ISBN 4-10-505001-X 
  • デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 上、宮本高晴、高田恵子(訳)、文藝春秋、1993年。ISBN 4-16-347430-7 
  • デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 下、宮本高晴、高田恵子(訳)、文藝春秋、1993年。ISBN 4-16-347440-4 
  • 大野裕之『チャップリン再入門』日本放送出版協会、2005年。ISBN 4-14-088141-0 
  • 大野裕之『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』日本放送出版協会、2007年。ISBN 978-4-14-081183-2 

関連項目 編集