マイク・ボールドウィン

マイク・ボールドウィン (Mike Baldwin, 1955年1月15日 - ) はアメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナ出身の元オートバイレーサー。1980年代にAMAスーパーバイクのトップライダーとして活躍し、世界グランプリにも参戦した。

マイク・ボールドウィン
グランプリでの経歴
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ
活動期間 1979,1981,1985 - 1988
チーム ヤマハ
レース数 37
チャンピオン 0
優勝回数 0
表彰台回数 6
通算獲得ポイント 133
ポールポジション回数 1
ファステストラップ回数 0
初グランプリ 1979年 (500cc 西ドイツGP)
最終グランプリ 1988年 (500cc イギリスGP)
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略歴 編集

ボールドウィンはAMAフォーミュラ1のタイトルを5度獲得し、また鈴鹿8時間耐久ロードレースで初めて3勝を挙げたライダーでもあった。世界グランプリにはケニー・ロバーツ率いるヤマハのチームから参戦し、1986年には500ccクラスでランキング4位の成績を挙げた[1]。そのまま最も成功するアメリカ人レーサーの一人になるかと思われたが、怪我によって選手生命を縮めることになった。

2001年、AMA殿堂入りを果たした[2]

戦歴 編集

AMA 編集

  • 1974年 - ロードレースにデビュー(10勝)[3]
  • 1975年 - AMAノービス250ccクラスに参戦[3]
  • 1978年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン[4]
  • 1983年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン[4]
  • 1984年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン[4]
  • 1985年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン[4]

ロードレース世界選手権 編集

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス チーム マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位 勝利数
1979 500cc スズキ RG500 VEN
-
AUT
14
GER
10
ITA
5
SPA
3
YUG
-
NED
-
BEL
-
SWE
-
FIN
-
GBR
-
FRA
-
17 13位 0
1981 500cc スズキ RG500 AUT
-
GER
-
ITA
-
FRA
NC
YUG
-
NED
-
BEL
-
RSM
-
GBR
-
FIN
-
SWE
-
0 - 0
1985 500cc HRC ホンダ NS500 RSA
9
SPA
7
GER
NC
ITA
11
AUT
7
YUG
-
NED
NC
BEL
11
FRA
10
GBR
-
SWE
7
RSM
8
18 11位 0
1986 500cc ラッキーストライクヤマハ YZR500 SPA
3
ITA
3
GER
3
AUT
5
YUG
5
NED
3
BEL
NC
FRA
4
GBR
18
SWE
3
RSM
4
78 4位 0
1987 500cc ラッキーストライクヤマハ YZR500 JPN
NC
SPA
NC
GER
-
ITA
-
AUT
-
YUG
-
NED
-
FRA
-
GBR
-
SWE
-
CZE
-
RSM
-
POR
NC
BRA
10
ARG
6
6 18位 0
1988 500cc HRC ホンダ NSR500 JPN
-
USA
10
SPA
NC
EXP
-
ITA
-
GER
-
AUT
-
NED
-
BEL
20
YUG
14
FRA
13
GBR
13
SWE
-
CZE
-
BRA
-
14 19位 0

鈴鹿8時間耐久レース 編集

車番 ペアライダー チーム マシン 予選順位 決勝順位 周回数
1978 2 ウェス・クーリー ヨシムラレーシング スズキ・GS1000 2 1 194
1981 1 デビッド・アルダナ ホンダ・フランス ホンダ・RS1000 6 1 199
1982 20 木山賢悟 ホンダ 2 Ret 3
1984 1 フレッド・マーケル ホンダ ホンダ・RS750R 5 1 191
1985 2 ドミニク・サロン アメリカ・ホンダ ホンダ・RVF750 5 2 195
1986 2 ケニー・ロバーツ チーム・ラッキーストライクヤマハ ヤマハ・YZF750 2 Ret 130

人物 編集

マイクはアメリカ西部のカリフォルニア州の山の中の町で生まれ、3歳のときに同州内にある湖の近くに転居し、10歳のときに東部のコネチカット州に転居する。兄弟は、実兄1人、実弟1人、異母弟1人、異母妹2人である。趣味はスキーとヨットで、スキーは大回転が得意である[5]

マイクは16歳のときに初めてバイクに乗った。最初のバイクは125ccのトレールバイクで、それに乗って森の中を走り回っていた。18歳になるとロードスター(roadster)に乗り換え、舗装路での走りを楽しんでいた。友だちに誘われてバイクレースを観戦しに行く。レースへの出場も誘われ、出走することになる。最初のレースは1974年で、使用したバイクは、レース会場まで乗って行ったロードスターであった。マイクはレーサーを持っていなかったのである[6]

家族の中でバイクに乗るのはマイクだけである。マイクは19歳でロードレースを始めたが、そのことを知った家族はあまりいい顔はしなかった。そこにはアメリカ東部でのバイクレースの社会的な位置付けが関連し、また、バイクレースはスキーよりも危険だという認識が家族にはあった[7]

マイク自身にとってはスキーもバイクレースも危険性は同じであった。ただ、スキーでは収入を得ることができない、と考えていた。それに対して、バイクレースは楽しんで収入を得られるもの、という認識であった[8]

1974年のデビューレースでバイクレースの面白さに気づいたマイクはロードスターを売り、レーサーを探していた。そんなときにある友だちがマイクのために市販ロードレーサーヤマハTR-2(350cc)とヤマハTA125[9](125cc)の2台を買ってくれた。その友だちはマイクに無償でロードレーサー2台をあげたのである。2回目以降のレースはこの2台で出場した。その年は全レースを走り、10勝をあげた[3]

1975年AMAノービス250ccクラスに参戦。ヤマハTR-2(350cc)を250ccに改造しての参戦である。TA125は売却し、ハーフトラック(約800m)用のダートトラックレーサーを購入し、ダートトラックレースに1年間参戦した[10]

マイクが掲げるレーシングライダーとして必要なことは次の三つである。

  • 集中力
  • 勝利への決意
  • レースに対する思い入れ

集中力を身に付けることはたやすいことではないが、一度その方法を会得すれば、その後は集中力を維持することは容易である、とマイクは考えている。一方、勝利への決意を維持することは難しいと考えている。レース経験を重ねると緊張感が緩んでくるというのである。そのため、いつも自分を奮い立たせる必要があるという。レースに対する思い入れについては、マイクはスキー選手だった頃にスキーレースに打ち込んでいて、スキーのことばかり考えていた。そのことが習慣として身についており、ロードレースを始めてからは、シーズン中はロードレースのことばかり考えることがごく普通にできるのである[11]

マイクにとって、走ることは楽しいことであり、ダートトラックレースなど他のスポーツはロードレースでより速く走るための糧である[12]

参考文献 編集

ウェブサイト

出版物

脚注 編集

  1. ^ Mike Baldwin career statistics at MotoGP.com
  2. ^ Motorcycle Hall of Fame Archived 2007年12月24日, at the Wayback Machine.
  3. ^ a b c 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p64)より。
  4. ^ a b c d 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p60)より。
  5. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p62, p67)より。
  6. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p63, p64)より。
  7. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p62)より。
  8. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p63)より。
  9. ^ 頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since1955・前期、閲覧日 2009年9月1日(火)、より
  10. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p65)より。
  11. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p65 - p67)より。
  12. ^ 『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p67)より。