マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ

ブラジルのサッカー選手

マルキーニョス(MARQUINHOS)ことマルコス・ゴメス・デ・アラウージョ(Marcos Gomes de Araujo、1976年3月23日 - )は、ブラジルマットグロッソ・ド・スル州リオブリリャンテポルトガル語版出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

マルキーニョス
名前
本名 マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ
Marcos Gomes de Araujo
愛称 マルキ
ラテン文字 MARQUINHOS
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1976-03-23) 1976年3月23日(48歳)
出身地 マットグロッソ・ド・スル州リオブリリャンテポルトガル語版
身長 176cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 スペインの旗 オウレンセ 18 (2)
1997-1999 ブラジルの旗 オペラリオ-PR 12 (10)
1999-2001 ブラジルの旗 コリチーバ 62 (27)
2001-2004 日本の旗 東京ヴェルディ1969 29 (10)
2003 日本の旗 横浜F・マリノス (loan) 24 (8)
2004 日本の旗 ジェフユナイテッド市原 (loan) 14 (12)
2005-2006 日本の旗 清水エスパルス 43 (20)
2007-2010 日本の旗 鹿島アントラーズ 119 (59)
2011 日本の旗 ベガルタ仙台 1 (0)
2011 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 5 (1)
2012-2013 日本の旗 横浜F・マリノス 54 (26)
2014-2015 日本の旗 ヴィッセル神戸 49 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

Jリーグ外国籍選手最多得点記録保持者。

現在はブラジルでフッチボレーの選手としてプレーしている[1]

経歴 編集

2001年シーズン中盤、J2降格の危機に瀕していた東京ヴェルディ1969に加入するために来日し、チームのJ1残留に貢献した。

2003年には横浜F・マリノス久保竜彦と2トップを組みリーグ優勝に貢献したが、安貞桓獲得に伴い構想外となり、2004年にはジェフユナイテッド市原でプレー。9月26日の柏レイソル戦で左アキレス腱を断裂という重傷を負い[2][3]、この年はそれ以降プレーの機会が無く退団して帰国した。

2005年8月、清水エスパルスに途中加入し、14試合9ゴールの成績を挙げてJ1残留に貢献した。

2007年から2010年まで鹿島アントラーズでプレーした。2008年は、来日8年目にして初の得点王に輝き、リーグ連覇を経験した。リーグ戦以外でも、3月12日のACLクルン・タイ・バンクFC戦では来日初のハットトリックを達成。8月6日のナビスコカップ清水エスパルス戦では来日公式戦100得点目を達成した。

2010年は3月6日のリーグ開幕戦浦和レッドダイヤモンズ戦で、来日通算10シーズン連続得点を達成したほか、4月24日の横浜FMとのリーグ戦で、史上5人目のJ1通算100得点を達成[4]。9月18日の大宮アルディージャとのリーグ戦では、自身のリーグ初ハットトリックを達成した。チームの若返り方針に伴いこの年限りで退団。

2011年ベガルタ仙台に完全移籍したが、東日本大震災の影響による精神的ショックを理由に4月9日に退団[5][6]。ブラジルのアトレチコ・ミネイロに移籍した。

2012年横浜F・マリノスに移籍。3月23日には第1子となる長男が誕生した。開幕前に腰痛で離脱したこともあり、GWまでリーグ戦では出場機会がなかったが、5月3日の浦和レッズ戦で後半27分より途中出場し、後半43分に決勝ゴールを挙げた。11月7日のヴィッセル神戸戦でシーズン二桁ゴールを達成。

2013年リーグ2節清水エスパルス戦でハットトリックを達成[7]。その後もシーズン途中に6試合連続得点をあげる[8] など、ベテランの多いチームで輝きを放った。シーズン終了後、契約満了となり横浜FMを退団した[9]

2014年ヴィッセル神戸へ移籍[10]。序盤から順調に得点を重ね、同年4月19日の対鹿島アントラーズ戦であげた得点が、2001年の来日以来J1通算140得点目となり、三浦知良の記録を抜いてJ1通算得点歴代二位となった[11]。同年J1第16節横浜F・マリノス戦にて、外国籍選手初のJ1リーグ戦300試合出場を達成した。

2015年5月6日、J1リーグ1stステージ10節湘南ベルマーレ戦でリーグ通算150得点目を記録。2ndステージ中断期間の8月に練習態度を巡り指揮官ネルシーニョと衝突[12]。その後全ての試合でメンバーから外れ、シーズンが終わる前の11月22日に帰国[13]

2016年1月8日に公式サイトで正式に契約満了が発表された[14]

2019年3月に発売された『月刊サッカーマガジン』のインタビューで、現在はフッチボレー(ビーチバレーのサッカー版)選手としてプレーしている事を明かしている[1]

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997 オペラリオ-PR
1998
1999
1999 コリチーバ セリエA
2000 11 2
2001
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 東京V 33 J1 14 8 0 0 1 1 15 9
2002 9 15 2 5 1 0 0 20 3
2003 横浜FM 36 24 8 7 4 0 0 31 12
2004 市原 8 14 12 4 1 0 0 18 13
2005 清水 17 14 9 0 0 2 2 16 11
2006 29 11 5 3 1 2 35 16
2007 鹿島 18 31 14 10 4 5 0 46 18
2008 30 21 2 1 2 2 34 24
2009 31 13 2 0 3 1 36 14
2010 27 11 2 1 1 1 30 13
2011 仙台 1 0 - - 1 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2011 アトレチコ-MG セリエA 5 1 - - 5 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 横浜FM 18 J1 22 10 2 0 4 1 28 11
2013 32 16 9 7 2 3 43 26
2014 神戸 34 14 5 2 1 0 40 16
2015 15 3 3 0 0 0 18 3
通算 ブラジル
日本 J1 333 152 56 24 22 13 411 189
総通算

その他の公式戦

  • 2008年
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合1得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC AFC CL
2008 鹿島 18 5 5
2009 7 4
2010 6 2
通算 AFC 18 11

タイトル 編集

横浜F・マリノス
鹿島アントラーズ
個人

脚注 編集

  1. ^ a b 『月刊サッカーマガジン』2019年05月号より
  2. ^ オシム監督の試合後のコメント - ジェフユナイテッド市原公式
  3. ^ J1-2nd:第8節 市原 vs 浦和 レポート - J's GOALニュース
  4. ^ 2010Jリーグディビジョン1 第8節  マルキーニョス 選手(鹿島)J1通算100得点達成!”. Jリーグ (2010年4月24日). 2013年9月21日閲覧。
  5. ^ マルキーニョス選手 契約解除のお知らせ ベガルタ仙台 2011.04.09
  6. ^ J1仙台・マルキーニョス退団 震災で精神的ショック 河北新報 2011.4.10付記事 (アーカイヴ)
  7. ^ 2013Jリーグディビジョン1 第2節 マルキーニョス 選手(横浜FM)ハットトリック達成 Jリーグ公式サイト
  8. ^ 【J1:第20節 横浜FM vs 鳥栖】レポート:マルキーニョスの6試合連続弾で横浜FMが2連勝。鳥栖は注目の豊田が沈黙し2連敗(13.08.11) J's GOALニュース
  9. ^ マルキーニョス選手 退団のお知らせ 横浜F・マリノス公式サイト
  10. ^ 横浜F・マリノスよりFWマルキーニョス選手 完全移籍加入のお知らせ ヴィッセル神戸公式サイト
  11. ^ 神戸 逆転4連勝で暫定首位!マルキ“カズ超え”J1通算140得点 Sponichi Annex
  12. ^ 神戸 マルキーニョス退団か…指揮官と衝突、練習に姿なし Sponichi annex
  13. ^ J1神戸のマルキーニョス退団へ 国内チーム移籍か 神戸新聞NEXT
  14. ^ FW、マルキーニョス選手 契約満了のお知らせ ヴィッセル神戸公式サイト

関連項目 編集

外部リンク 編集