ロシア帝国国家基本法

ロシア帝国末期に発布された憲法

ロシア帝国国家基本法(ロシアていこくこっかきほんほう、ロシア語: Основные государственные законы Российской империи)は、1906年ロシアで定められた憲法

ロシア帝国国家基本法
Основные Государственные Законы Российской империи
第一ドゥーマ英語版の開会勅語を朗読するニコライ2世
施行区域 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
効力 廃止
成立 1906年4月23日ロシア暦
1906年5月6日グレゴリオ暦
公布 1906年4月23日(ロシア暦)
1906年5月6日(グレゴリオ暦)
施行 1906年4月23日(ロシア暦)
1906年5月6日(グレゴリオ暦)
政体 ツァーリズム立憲君主制の折衷
元首 皇帝
立法 国会ロシア語版英語版
国家評議会
行政 閣僚会議ロシア語版
司法 元老院
新憲法 ロシア共和国憲法
作成 ピョートル・ハリトーノフ
セルゲイ・ウィッテ[1]
署名 ニコライ2世
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概要 編集

1905年、ロシア第一次革命が勃発し、皇帝ニコライ2世十月詔書ドゥーマ国会ロシア語版英語版)の開設を約束した。しかし、革命が収束に向かうと、ツァーリ政府はドゥーマの無力化を図るべく、法律などの整備を行った。その仕上げとしての役割を果たしたのが、1906年4月23日に公布された国家基本法(憲法)である。

制定に際しては憲法制定会議は開かれず、大臣会議で作成された案をツァーリ同席のもとで採択し、ロシア民衆に下賜する形がとられた。すなわち、欽定憲法であった。

憲法では皇帝に最高統治権、法律裁可権、外交指導権、宣戦布告・講和締結権、官僚任免権などが認められており、国会閉会時における非常事態にも皇帝の広範な権力が認められていた。

出典 編集

関連項目 編集

参考文献 編集

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