三富村

日本の山梨県東山梨郡にあった村

三富村(みとみむら)は、かつて山梨県東山梨郡に存在した。村域の北部は秩父多摩甲斐国立公園に指定されている。

みとみむら
三富村
紅葉の西沢渓谷・七ツ釜五段ノ滝
紅葉の西沢渓谷・七ツ釜五段ノ滝
廃止日 2005年3月22日
廃止理由 新設合併
山梨市・牧丘町三富村山梨市
現在の自治体 山梨市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
東山梨郡
市町村コード 19303-8
面積 134.91 km2
総人口 1,306
(住民基本台帳人口、2004年4月1日)
隣接自治体 塩山市東山梨郡牧丘町
埼玉県秩父郡大滝村
長野県南佐久郡川上村
村の木 クリ
村の花 フジザクラ
三富村役場
所在地 山梨県東山梨郡三富村川浦262番地
座標 北緯35度47分34秒 東経138度44分19秒 / 北緯35.79283度 東経138.73872度 / 35.79283; 138.73872座標: 北緯35度47分34秒 東経138度44分19秒 / 北緯35.79283度 東経138.73872度 / 35.79283; 138.73872
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村名は箇村が合併してむようにとの願いを込めたもの。

2005年3月22日、隣接する山梨市・牧丘町と新設合併し、新市制による山梨市となった。現在は山梨市三富地区となっている。

地理 編集

郡北端部、甲府盆地北東部に位置。甲武信ヶ岳を望み、長野県埼玉県にも接している。

歴史 編集

村域の大部分が山林で、笛吹川や支流の徳和川流域の平坦地に縄文時代の遺跡が見られる。

古代の律令制下には山梨郡加美郷に比定される。平安時代後期には甲斐源氏の一族が甲府盆地各地に進出し、三富村は安田義定が根拠地とした牧荘に含まれると考えられている。甲州市塩山小屋敷に所在する恵林寺夢窓疎石が開山で、戦国時代永禄7年(1564年)に武田晴信(信玄)が再興している。三富村に所在する乾徳山は夢窓が修行をした場所である言われ、上柚木一帯は武田氏が寄進した恵林寺領に属する。また、甲斐・武蔵間の国境であったため、荻原には武田家臣の荻原氏が国境警備にあたった。

近世には6か村が成立する。近世の九筋二領では笛吹左岸の川浦・上柚木両村が栗原筋に属し、右岸の上釜口・下釜口・徳和・下荻原の4か村は万力筋に属した。近世初頭には全村が幕府直轄領で、寛永10年(1633年)には万力筋の4か村が甲府徳川家領、栗原筋の2か村が徳美藩領となる。元禄11年(1698年)には徳美藩領が上知され、宝永年間には全村が甲府藩領となる。享保9年(1724年)には甲斐一国の幕領化となり、全村が石和代官支配となる。

川浦には秩父往還口留番所が置かれ、諸村が関守番人を務めた。盛業は笛吹川流域や山腹斜面を耕作し、わずかな水田のほかは焼畑による雑穀栽培も行われていた。また、養蚕煙草栽培のほか、林業製炭などが主な生業あり、しばしば山の入会権を巡る山論が発生した。

近代には養蚕から果樹栽培や観光産業へ移行する。1929年昭和4年)には塩山駅から三塩軌道が開通し、木材や物資の輸送が行われた。広瀬集落は明治初期に他地域から移住者が集住して成立したが、1975年(昭和50年)の広瀬ダム造成により消滅した。

沿革 編集

隣接する自治体 編集

交通 編集

道路 編集

甲武信ヶ岳への登山 編集

村内の広瀬湖方面から登山できる。その際、東沢渓谷を通る。

特産品等 編集

ブドウ、いのぶた(イノシシと雌の掛け合わせによる交雑種で食用にされる。)

関連項目 編集