三百六十五夜』(さんびゃくろくじゅうごや)は、小島政二郎小説作品、及びそれを原作とした日本の映画テレビドラマ作品である。

概要 編集

1946年昭和21年)に創刊された娯楽読物雑誌『ロマンス』の3号、1946年8月号から小島政二郎の長編恋愛小説『三百六十五夜』が連載され、岩田専太郎の挿絵も相まって人気を呼び、連載終了と同時に1948年に映画化され、東京篇と大阪篇が制作された。この映画と主題歌の人気は『ロマンス』の売り上げに拍車をかけ、1948年には発行部数82万部にまでなった。その後も映画・テレビドラマなどでリメークされている。

なお、1948年は閏年で一年が366日であった。

映画 編集

1948年版 編集

1948年9月21日(東京篇)・9月28日(大阪篇)公開。新東宝製作・東宝配給、モノクロスタンダードサイズ。現存するフィルムは1949年11月29日から12月5日にかけて再公開された119分の総集編のみである[1]映倫番号:S-3(総集編)。

制作経緯 編集

監督の市川崑は、当初、芥川龍之介原作の『偸盗』を『羅生門』という題名で映画化しようと、プロデューサーの児井英生に話を持ち掛けたが、「僕は卒業論文を芥川龍之介で書いたから『偸盗』が素晴らしいのはよく分かる。二人でやろうよ。その前にひとつ、これをやらんかね」と逆に提案されたのが本作の映画化だった。完成すれば『偸盗』を撮れると思った市川は、早速、脚本を館岡謙之助に依頼するも、面白くないと感じて自宅に持ち帰った。すると妻の和田夏十が手早く脚本協力を行い、市川は台詞の主要部分を彼女に任せて全体の構成のみを担当して脚本を完成させた。活動写真的なスタイルにしたいと、市川が東京篇と大阪篇に分ける提案をしたところ、児井も賛成して、本作は2部作で上映された。主題歌と併せて映画は大ヒットし、市川は『メロドラマの名手』と評され、新東宝の規定だった、助監督時代に映画三本を完成させるという条件も満たして、晴れて監督に昇進することができたが、肝心の『偸盗』の映画化は実現せず、後年、黒澤明監督によって、『藪の中』を原作とした映画『羅生門』が公開されることになる[2]

キャスト 編集

スタッフ 編集

主題歌 編集

1962年版 編集

1962年9月9日公開。東映製作・配給。

キャスト 編集

スタッフ 編集

  • 監督・脚本:渡辺邦男
  • 企画:亀田耕司、原伸光
  • 撮影:渡辺孝
  • 音楽:山田栄一
  • 美術:進藤誠吾
  • 録音:加瀬寿士
  • スチル:加藤光男
  • 照明:川崎保之丞

TVドラマ 編集

1961年版 編集

1961年11月23日日本テレビの『武田ロマン劇場』(武田薬品工業一社提供。木曜21:45 - 22:30)にて放送された。

キャスト 編集

スタッフ 編集

日本テレビ 武田ロマン劇場
前番組 番組名 次番組
誰か夢なき
(1961.11.9)
三百六十五夜
(1961.11.23)
男の償い
(1961.12.3 - 1961.12.28)

1963年版 編集

1963年関西テレビにて放送された。放送時間は毎週水曜13:00 - 13:30(JST。後の『ライオン奥様劇場』の枠)。

キャスト 編集

スタッフ 編集

1969年版 編集

1969年4月21日 - 6月13日に、TBS系列「花王 愛の劇場」枠にて放送された。[注 1]

キャスト 編集

スタッフ 編集

TBS系列 花王 愛の劇場[注 1]
前番組 番組名 次番組
女の絶唱
(1969.2.24 - 1969.4.18)
三百六十五夜
(1969.4.21 - 1969.6.13)
新妻鏡
(1969.6.16 - 1969.8.1)

参考文献 編集

  • 塩澤実信『創刊号に賭けた十人の編集者』流動出版 1981年

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b 一部の資料で、当時TBS系列腸捻転解消前)であった、朝日放送(ABC)が制作を担当したという記述があるが誤り。[3]

出典 編集

  1. ^ a b 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P490
  2. ^ 『市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P41~44
  3. ^ 三百六十五夜(1969年版)”. テレビドラマデータベース. 2023年11月20日閲覧。

外部リンク 編集