上田 良武(うえだ よしたけ、1878年明治11年)5月6日 - 1957年昭和32年)2月21日)は、明治昭和期の日本海軍軍人海軍兵学校28期海軍中将

略歴 編集

鹿児島県に生まれる。薩摩藩士の上田良貞の次男。攻玉社から海軍兵学校に進み、1900年12月卒業。1902年1月に海軍少尉1903年9月に海軍中尉1905年1月に海軍大尉1910年12月に海軍少佐1915年12月に海軍中佐1919年海軍大佐となる。この間、1908年7月 - 1912年1月にアメリカに派遣され、1918年6月 - 1920年12月にはアメリカ駐在武官を務めている。1923年4月に航空機試験所長に任ぜられて、後に海軍技術硏究所に入り、1924年12月に海軍少将となる。1925年6月に海軍技術硏究所航空硏究部長に任ぜられ、1927年3月には広海軍工廠長、同年12月には海軍航空本部技術部長を務めて、日本の航空戦略に大きな影響を与えた。1928年12月に海軍中将となるが、翌1929年4月には予備役に編入され、以降は海防義会理事長や日本地政学協会会長を務めた。1945年4月1日に退役。

太平洋戦争の終戦後の1945年9月11日にA級戦犯容疑者に指定され、同月15日にアメリカ陸軍第8軍の憲兵司令部に出頭して横浜刑務所に拘禁された[1]。その後、巣鴨プリズンに移送されたが、A級戦犯容疑者の中で最初に不起訴が決定して釈放された[1]

妻の信との間に一男(良和)と一女(利子)を儲けた。

脚注 編集

  1. ^ a b 朝日新聞社法廷記者団『東京裁判 第1輯』東京ニュース社、1946年、9-15頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1041967/1/12 

参考文献 編集