久保 文雄(くぼ ふみお、1962年12月3日 - )は、和歌山県伊都郡高野口町[1]出身の元プロ野球選手投手)。左投右打。

久保 文雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県伊都郡高野口町
生年月日 (1962-12-03) 1962年12月3日(61歳)
身長
体重
183 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト外
初出場 1981年10月12日
最終出場 1986年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

伊都高では、1年次の1978年夏の甲子園県予選準決勝に進み先発を任されるが、藤村雅人岡本哲司のいた吉備高に敗退。1980年の春季近畿大会では内田昌作投手との二本柱で準決勝に進むが、山脇光治のいた浪商高に9回裏サヨナラ負け。同年夏も四番打者、一塁手として県予選決勝に進出するが、箕島高に敗れる。

1980年オフに、ドラフト外横浜大洋ホエールズに入団[1]

主に対左打者用のワンポイントとして起用され、左腕投手不足だった当時の大洋で期待された。1983年に10試合連続登板のセ・リーグタイ記録を樹立。左投げながら右打ちという珍しいタイプで、野球解説者から「振りの鋭さは野手級」と言われたこともある。オーバースローから重い速球とスライダー、緩いカーブ主体の投球が持味。一時は抑えの構想もあったが、フォームが毎年変わるなど投球に安定性がなく、1987年限りで現役を引退[1]

ゴルフ会員権会社営業社員を経て、現在は株式会社スポーツ・オフィス代表としてスポーツビジネスに取り組む傍ら、プロ野球マスターズリーグ東京ドリームスでも活躍した。

1992年公開の映画ミスター・ベースボール』に選手役で出演。往年の投球を披露。自らの会社スポーツ・オフィス代表としてモルツ球団設立に参画。自身も投手として参加している。

座右の銘は、「人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1981 大洋 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 8 2.0 1 0 2 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.50
1982 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 41 7.2 12 2 7 2 0 8 0 0 12 12 13.50 2.48
1983 23 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 107 24.1 23 3 13 1 0 11 2 1 15 15 5.55 1.48
1984 28 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 165 40.0 31 2 16 2 2 31 0 0 14 12 2.70 1.18
1985 36 2 0 0 0 2 2 1 -- .500 204 49.1 38 11 19 2 0 24 2 0 22 21 3.83 1.16
1986 22 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 81 19.0 26 3 2 0 0 15 0 0 12 12 5.68 1.47
通算:6年 115 3 0 0 0 2 5 1 -- .286 606 142.1 131 21 59 7 2 90 4 1 75 72 4.55 1.33

記録 編集

背番号 編集

  • 19 (1981年 - 1983年)
  • 49 (1984年 - 1987年)

脚注 編集

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、199ページ

関連項目 編集

外部リンク 編集