久喜菖蒲工業団地
埼玉県久喜市にある工業団地
概要 編集
久喜菖蒲工業団地の所在地は河原井沼と呼ばれた沼地であり、享保年間の絵図にも記録がみられる。[1]その後1728年(享保13年)に井沢弥惣兵衛により掘り上げ田として開発された。時代は下り、昭和中期・後期になると周辺では県道36号大宮栗橋線や東北自動車道が開通し、道路交通の便が向上した。この時代になると作業効率のあまり良くない掘り上げ田においては耕作放棄地も次第に見られるようになってきた。この折に工業団地造成の造成計画が持ち上がり、久喜菖蒲工業団地として整備・開発された。[2]造成される間、農家からの用地買収などをはじめとする幾多の難問に見合うも、1977年(昭和52年)7月に昭和沼の整備と合わせ造成が完成した。
アクセス 編集
脚注・参考資料 編集
脚注
参考資料
- 『久喜市史 通史編 下巻(478ページ ~ 485ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成四年一月二十日 発行
- 『菖蒲町の歴史と文化財 通史編(270ページ ~ 272ページ)』 社会教育課 編集 菖蒲町教育委員会 発行 平成一八年三月一五日 発行