伊達 村詮(だて むらあき)は、江戸時代中期の陸奥国仙台藩一門第九席・川崎伊達家初代当主。

 
伊達村詮
時代 江戸時代中期
生誕 元禄10年5月17日1697年6月2日
死没 延享元年3月14日1744年4月26日
改名 丑千代(幼名)、村詮
別名 織部、宮内
戒名 常照院殿雄岳良英大居士
墓所 宮城県柴田郡川崎町の龍雲寺
主君 伊達綱村吉村
陸奥中津山藩→陸奥仙台藩
氏族 川崎伊達家
父母 伊達村和、信愛院
兄弟 村詮、卯三郎、三沢村清、駒五郎、村倫、しほ、律道
中村成義娘・房子
村敏
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生涯 編集

元禄10年(1697年)5月17日、中津山藩主・伊達村和の長男として江戸六本木の中津山藩邸にて誕生。幼名は丑千代

元禄12年(1699年)に、父・村和が旗本・岡孝常との刃傷沙汰(土器町事件)により改易されると、父と共に仙台に戻され、享保4年(1719年)に赦免されるまで逼塞を余儀なくされた。

享保5年(1720年)、村和の出家に伴い家督を相続すると、暫定的に一門格の待遇を受け、村和が死去した享保7年(1722年)には正式に一門第九席に列し、柴田郡川崎要害を拝領して知行2000石を与えられると、翌享保8年(1723年)に川崎に入部し、以後幕末に至るまで同地を治めた。このため村詮の家系を川崎伊達家と称する。

享保16年(1731年)、義弟・村敏を養子に迎え、家督を譲って隠居する。

延享元年(1744年)3月14日死去。享年47。

系譜 編集

参考文献 編集

  • 『川崎町史』(宮城県柴田郡川崎町)
    • 史料編(1972年)
    • 通史編(1975年)
先代
伊達村和
川崎伊達家
初代:1722年 - 1731年
次代
伊達村敏