八田 宗吉(はった そうきち、1874年明治7年)10月9日[1] - 1938年昭和13年)1月16日)は、日本の政治家実業家陸軍軍人である。幼名は吉之丞。立憲政友会所属の衆議院議員馬議員[2]鉄道代議士百姓代議士などの異名があった。 日本医科大学教授で衆議院議員の八田貞義は息子。

八田 宗吉
はった そうきち
八田宗吉の肖像写真
生年月日 1874年10月9日
出生地 福島県河沼郡日橋村(現・会津若松市
没年月日 1938年1月16日(65歳没)
前職 陸軍歩兵大尉
所属政党 立憲政友会
配偶者 渡部セヘ

内閣 田中義一内閣

日本の旗 陸軍省参与官
内閣 浜口雄幸内閣
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概要 編集

福島県河沼郡日橋村(現・会津若松市)出身。福島中学を経て、陸軍軍人となり歩兵大尉まで進級している。故郷である日橋村村長となったのが政治家としての第一歩で、県会議員、参事会員を歴任。実業家としては福島県農工銀行只見川水力電気日本化学工業会津電力の役員を務めている。

1917年(大正6年)福島二区から衆議院議員に初当選。立憲政友会に所属し、当選は8回を数える。陸軍省参与官馬政調査委員を務め、日本競馬会の設立や競馬法の成立に尽力。会津地域の鉄道整備にも努めている。 稚松会会員。

出典 編集

  1. ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.5。
  2. ^ 『日本人名大辞典』p1505

参考文献 編集

  • 梅谷芳光『忠鑑 畑元帥』国風会本部、1964年
  • 『日本人名大辞典』講談社
  • 『大正人名辞典』 (下巻)日本図書センター
  • 『政治家人名事典 明治 - 昭和』日外アソシエーツ
  • 財団法人 稚松会名簿』1937年12月

外部リンク 編集

日本中央競馬会 日本競馬140年の歴史