十九条城

岐阜県瑞穂市にあった戦国時代の日本の城

十九条城(じゅうくじょうじょう)は、現在の岐阜県瑞穂市にあった戦国時代日本の城平城)。

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十九条城
岐阜県
城郭構造 平山城
築城主 斎藤利良
築城年 1526年大永6年)
主な改修者 織田信長
主な城主 織田広良
廃城年 1562年(永禄5年)
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯35度23分36.8秒 東経136度39分37.1秒 / 北緯35.393556度 東経136.660306度 / 35.393556; 136.660306座標: 北緯35度23分36.8秒 東経136度39分37.1秒 / 北緯35.393556度 東経136.660306度 / 35.393556; 136.660306
地図
十九条城の位置(岐阜県内)
十九条城
十九条城
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概要 編集

大永6年(1526年)、土岐頼純の命により、川手城を防衛する出城の一つとして斎藤利良によって築かれた。一番外側の出城である。しかし、土岐氏が衰退し、美濃国斎藤道三が支配するようになると存在意味がなくなり、廃城となる。

永禄4年(1561年)、織田信長墨俣城以外の美濃国攻略の拠点の必要性を考え、かつての十九条城跡地に着目する。信長は自ら兵を率いて十九条城跡地を占領。再び十九条城を築き、織田広良が城主となる。

永禄5年(1562年)、斎藤龍興は十九条城を目指して稲葉山城から出陣する。これに呼応して信長も兵を出し、十四条(現・瑞穂市)と軽海(現・本巣市)で両軍が激突する。この戦いで城主の広良は野々村正成に討たれて戦死する。十九条城は焼失し廃城となる。

現在の状況 編集

十九条城の本丸跡は津島神社になっている[2]

所在地 編集

  • 岐阜県瑞穂市十九条

交通機関 編集

脚注 編集

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集