吉田 喜代(よしだ きよ[1]1904年明治37年〉 - 2003年平成15年〉)は、日本の第4548495051内閣総理大臣である吉田茂内閣総理大臣夫人)の後妻。

よしだ きよ

吉田 喜代
生誕 坂本喜代
1904年
日本の旗 日本
死没 2003年(98 - 99歳没)
日本の旗 日本
配偶者 吉田茂(夫)
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経歴 編集

1904年明治37年)に生まれる[2]。「小りん」という名前で東京新橋新橋芸者であり、花柳流名取もしていた[2]

後に夫となった吉田茂とは昭和のはじめに知り合った[2]。吉田茂とは長く愛人関係にあったとされるが、1941年(昭和16年)に前妻の雪子が亡くなると、大磯の自邸(現:大磯城山公園)で同居を始めた。1944年(昭和19年)に正式に結婚。前妻の雪子との間には2男3女を儲けているが、喜代との間には子供はいなかった。1967年(昭和42年)秋の吉田没後は、度々インタビュー・回想談を申し込まれたが、夫の遺志により一切応じなかった。

2003年平成15年)、死去[2]

脚注 編集

  1. ^ 吉田喜代子とも表記される。
  2. ^ a b c d 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第三章 吉田茂」の項
先代
幣原雅子
芦田寿美
内閣総理大臣夫人
1946年5月22日 - 1947年5月24日
1948年10月15日 - 1954年12月10日
次代
片山菊江
鳩山薫