和気貞臣
平安時代初期の貴族。和気仲世の三男。従五位下・大内記、大学允
和気 貞臣(わけ の さだおみ)は、平安時代初期の貴族。播磨守・和気仲世の三男。官位は従五位下・大内記。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 弘仁8年(817年) |
死没 | 仁寿3年4月14日(853年5月25日) |
別名 | 字:和仁 |
官位 | 従五位下・大内記 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 和気氏 |
父母 | 父:和気仲世、養父:和気真綱 |
経歴 編集
幼い頃に母を喪うが、定められた礼の基準を越えて悲しみ悼み、叔父・和気真綱はこれを深く哀れんだという[1]。若くして、治部卿・安倍吉人に付いて老荘の教えを受ける。のちに、大学に入学して休まず研鑽し、承和8年(841年)文章得業生に補せられ[2]、承和10年(843年)対策を受験するも不第となった[3]。
承和14年(847年)大学大允、嘉祥元年(848年)大内記を経て、仁寿元年(851年)従五位下に叙爵する。のちに疱瘡を患ったために、仁寿3年(853年)4月14日卒去。享年37。最終官位は大内記従五位下。
人物 編集
聡明鋭敏である一方、質素素朴で華やいだところは少なかった。また、雷を非常に恐れた。些細な技能には興味が無く、ただ囲碁のみを愛好し、好敵手と相対した際は、日が暮れて対局が深夜に及んでも気がつかない程であったという[1]。
官歴 編集
『続日本後紀』による。