境野駅

かつて北海道常呂郡置戸町にあった北海道ちほく高原鉄道の駅

境野駅(さかいのえき)は、北海道常呂郡置戸町字境野にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃駅)である。国鉄JR北海道池北線時代の電報略号サノ事務管理コードは▲120503[3]

境野駅
駅舎(2005年8月)
さかいの
Sakaino
豊住 (2.8 km)
(1.8 km) 西訓子府
所在地 北海道常呂郡置戸町字境野
北緯43度42分51.27秒 東経143度39分36.46秒 / 北緯43.7142417度 東経143.6601278度 / 43.7142417; 143.6601278
所属事業者 北海道ちほく高原鉄道
所属路線 ふるさと銀河線
キロ程 116.6 km(池田起点)
電報略号 サノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1922年大正11年)8月1日[1]
廃止年月日 2006年平成18年)4月21日
備考 ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
駅構内(2005年8月)
1977年、国鉄池北線時代の境野駅と周囲500m範囲。右が北見方面。千鳥式の相対ホーム2面2線であるが、島式ホームは短い簡易型であった。駅舎横の北見側に貨物ホームと引込み線がある。駅裏側の貨物積卸線は、池田側分岐を切られて引込み線化されている。かつては木材搬出を行っていた駅の一つとして、駅裏の大半がストックヤードとして使用され、沢山の木材が野積みされていた時期もあったが[2]、倉庫や一般家屋、木工場の敷地に占められて跡形も無い。その後無人化と伴に島式ホームが撤去され、駅舎側本線に棒線化された。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史 編集

駅名の由来 編集

付近にオケト原野とクンネップ原野の境をなすことから「境川」と称されていた川があり、原野の境ということから「境野」と命名された、とされている[5][6][8][注釈 1]。現地名については駅名が後年地名化したもの[8]

駅構造 編集

単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては相対式ホーム2面2線を有しており列車交換が可能であった。

利用状況 編集

乗車人員の推移は以下のとおりであった。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日
平均
1955年(昭和30年) 92,630 253 [9]
1970年(昭和45年) 68,856 189
1975年(昭和50年) 60,829 166

駅周辺 編集

境野の集落がある。

駅跡地 編集

駅跡を示す碑が建造されている。

隣の駅 編集

北海道ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線
豊住駅 - 境野駅 - 西訓子府駅

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「境川」ではなく「境野」となった経緯について、駅の開業時すでに同名の駅が存在していたためとする解説がなされているものもあるが、この「同名の駅」について『北海道 駅名の起源』では「大阪環状線にも同一の駅名があるため」として境川信号場と思われる駅を指している。

出典 編集

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、894頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ a b 『官報』 1922年07月22日 鉄道省告示第80号(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、102頁。NDLJP:1029473 
  6. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日。ASIN B000J9RBUY 
  7. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  8. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  9. ^ 置戸町史編纂委員会『置戸町史 下巻 (戦後編)』置戸町、1987年12月、531頁。doi:10.11501/9571967 

関連項目 編集