多治比水守
多治比 水守(たじひ の みずもり)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。左大臣・多治比嶋の子。官位は従四位下・宮内卿。
時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 和銅4年4月15日(711年5月7日) |
官位 | 従四位下・宮内卿 |
主君 | 文武天皇→元明天皇 |
氏族 | 多治比氏 |
父母 | 父:多治比嶋[1] |
兄弟 | 池守、水守、縣守、広成、広足、阿伎良 |
子 | 土作[2] |
経歴 編集
大宝2年(702年)尾張守を務めていた際に、文武天皇の行幸があり、封戸10戸を与えられた(このときの位階は従五位下)[3]。その後も尾張守(再任)・河内守・近江守と文武朝から元明朝にかけて地方官を歴任し、和銅2年(709年)には従四位下に至っている。また、同年9月に藤原房前による東海・東山道の行政監察が行われた際、国司としての統治の功績を賞されて田10町・穀200斛・衣1襲を与えられている[4]。
官歴 編集
『続日本紀』による。