大久保忠脩

江戸時代後期の相模国小田原藩の世嗣

大久保 忠脩(おおくぼ ただなが)は、江戸時代後期の相模国小田原藩の世嗣。名は忠修とも。官位従五位下安芸守

 
大久保忠脩
時代 江戸時代後期
生誕 文化7年6月21日1810年7月22日
死没 天保2年11月9日1831年12月12日
改名 賢二郎(幼名)、忠脩
別名 忠修
戒名 敬順院愼行了性
官位 従五位下安芸守
相模小田原藩世嗣
氏族 大久保氏
父母 大久保忠真
兄弟 忠脩、逸、偶子
小笠原忠固
忠愨、伝吉郎
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略歴 編集

7代藩主・大久保忠真の長男として誕生。幼名は賢二郎。正室は小笠原忠固の娘。

小田原藩嫡子として生まれ、文政9年(1826年)に従五位下・安芸守に叙せられるが、家督相続以前の天保2年(1831年)に22歳で早世した。戒名は敬順院愼行了性。

代わって長男・忠愨が嫡子となった。