太 徳足(おお の とこたり、生没年不詳)は奈良時代貴族朝臣位階従五位下。名は徳多理とも表記される。

経歴 編集

聖武朝後期の天平17年(745年路野上鴨石角田辺高額楢原東人らとともに従五位下に昇叙される。翌天平18年(746年)路野上・鴨石角らとともに内位従五位下に叙せられた。

天平18年(746年)正月の降雪で、左大臣・橘諸兄や大納言藤原豊成ほか諸王諸臣たちが元正上皇の御在所(中宮の西院)で雪かきをし、それから酒宴が行われている。その際に、上皇の勅命によりを題材として諸臣が和歌を詠むことになり、徳多理も応詔歌を詠んだ。しかし、その際の和歌を記録しておかなかったため、名前があがっているだけで現在に伝わっていない[1]

官歴 編集

続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 『万葉集』巻第17-3926左注

参考文献 編集